「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.03.21
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ヨハネス・フェルメールの代表作『真珠の耳飾りの少女』は、オランダのマウリッツハイス美術館の宝物です手書きハート


美しいですね〜手書きハート


しかし・・・どこかでお会いしませんでしたか?


そうそう、イタリア・ローマで


この子です

『ベアトリーチェ・チンチ』


美しいですね〜手書きハート


イタリア・ローマの


「バルベニーニ美術館」でお会いしましたね〜


​​Palazzo Barberini​​


誰もいませんが・・・バルベリーニ宮殿(ひとりじめ)




グイド・レーニ
​Guido Reni​ attr.
Bologna 1575-1642

​Batrice Cenci,c.1599.​

64.5cmx49.ocm

『ベアトリーチェ・チェンチ』 1599年頃?​

イタリア・ローマ「バルベリーニ美術館」所蔵。


虚ろな瞳に哀しみをたたえた肖像画ですが、

ポーズが、

オランダの 『真珠の耳飾りの少女』 にめっちぁ〜似ています


ヨハネス・フェルメール
​Johannes Vermeer​

​Girl with a Pearl Earring 1665-66

油彩 カンヴァス 44.5cmx39.0cm

『真珠の耳飾りの少女』 1665年〜1666年​​​


オランダ・ハーグ「マウリッツハイス美術館」所蔵。


1559年 頃の『ベアトリーチェ・チェンチ』​

1665年 頃の『真珠の耳飾りの少女』​ は、


フェルメールが・・・ 106年後 に描いています




イタリアで見たという可能性は低いです。

しかし、

ベアトリーチェ・チェンチは大評判の絵でした。

フェルメールは、この絵を何かで見て

(真似?)いや、ヒントを得ていたとも思えます。





ベアトリーチェ・チェンチの悲しいお話し

​Beatrice Cenci,​

1577年2月6日〜1599年9月11日(22歳没)
教皇領・ローマ〜サンタンジェロ城にて斬首


彼女の悲しいお話は・・・

多くの文学・芸術の題材となった。


伝説によれば・・・

ベアトリーチェは、貴族の家に生まれた。

父は、暴力的で不道徳な人間であった。

母は、彼女が7歳の時に死去。

兄もいたが、

父に2番目の妻がきて弟も生まれた。


一家は、ローマの北側・リエーティ近郊の

ペトレッラ・サルトに城を所有。


父は、妻と息子たちを虐待し、

ベアトリーチェには、性的虐待を行なっていた。


父は、いつも教皇庁裁判所と度々悶着を起こしていたが、

ある時、別の罪で投獄された。

貴族であったので、

すぐに恩赦で釈放されたが、


その時、ベアトリーチェは・・・

父から頻繁に受ける虐待を当局に訴えた!


ローマ市民は、父がそういう人であることを

よく知っていたが、何の手立ても打たなかった。


父は、娘が自分を告発したことを気づき、

ベアトリーチェと異母、2人の兄弟を追い出し、

田舎の城に住まわせた。


ベアトリーチェと異母、2人の兄弟は、

全員で父親を殺すしかないと・・・決心。


1598年、父が城に滞在中に事件が起こる!

ベアトリーチェの秘密の恋人と

召使いの2人に助けてもらい

父に麻薬を盛ったが、殺すまでは至らず、

やむなく家族全員で金槌で殴り殺し、

死体はバルコニーから突き落とした。


ベアトリーチェは・・・

事故死を主張したが、信じてもらえなかった。

ベアトリーチェの恋人は拷問を受けたが、

口を割らずに亡くなってしまう。


家族の友人は、

もう一人の召使いからの事件発覚を恐れ、

召使いを殺そうとするも失敗し、

ベアトリーチェたちは、逮捕され、

有罪判決を受けて「死刑を宣告」される。


ローマ市民は、

殺人の動機を知っていたので裁判所に抗議したので、

処刑は延期されることになったが、


チェンチ家の財産を狙っていたと思われる当時の

ローマ教皇クレメンス8世は、処刑を命じた。


1599年9月11日未明、

サンタンジェロ城広場に移送されたチェンチ家の家族、

死刑台に足場が組まれ、

兄は、四つ裂きの刑。

母とベアトリーチェは、斬首。

下の弟は幼かったので死刑は免れたが、

家族の死刑を見届けさせられた。

結局財産は没収され教皇の家のものとなった。

ローマ「サンタンジェロ城」

「サンタンジェロ橋」

毎年、ベアトリーチェの処刑された日の前夜、

ベアトリーチェの幽霊が斬られた自分の首を持って、

橋へ戻ってくるとの伝説が残る。


ベアトリーチェの悲劇は小説などで

語り継がれました。


そうなると興味が膨らんできますが、


『真珠の首飾りの少女』 も・・・​

悲しいお話があったのでしょうか?


それは、ちょっと違うみたいですクール


フェルメールの・・・謎の少女。


実は、当時流行していた ​「トローニー」​ と呼ばれる、


ジャンルの絵なのです


架空のフェルメールの想像の中の少女ということになります。


グイド・レーニも、


想像で描いたベアトリーチェ・チェンチだとも思われますが。


そうなるとこの青いターバンは・・・

エキゾチックなイメージで風変わりなターバンを巻かせたのです。


ベアトリーチェ・チェンチの白いターバンは・・・

意味が違っているのです。


斬首の前の晩の姿を描いています。


これは、マリー・アントワネットの斬首の時と同じ白い被り物

首をはねられる時に・・・


髪の毛で刃が滑らないためのもので、

血を拭くためのものだとされています。


同じように白装束です。


んん〜ちょっと嫌な話になってしまいました


気分を変えて明るいお写真を(おまけ)


フェルメールの作品が収蔵されている

オランダ・ハーグ「マウリッツハイス美術館」


こちらが正面です。

大好き過ぎて2回も訪問してしまいました


(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2022.03.21 00:10:11
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