「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2023.08.23
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カテゴリ: 話題の人
朝ドラ「らんまん」のドラマ牧野萬太郎と牧野富太郎のお話は更に過酷な道へと

牧野博士ゆかりの小石川植物園


まきのとみたろう
牧野富太郎の生涯 ​・・・その4

1867年5月22日〜1957年1月18日(94歳没)

1891年(明治24年)、

実家の岸屋がついに破綻し、

財産を清算するために帰郷する。


このとき、






富太郎は・・・

郷里の高知に帰郷中、

地元の植物の研究をしたり、

西洋音楽の演奏会を開いて自ら指導し、

時には、

指揮棒を振ったりしていたが、

知人らの助力により、

駒場農学校(現在:東大農学部)にて

研究を続けることができるようになり、帰京。



1893年(明治26年)、矢田部非職後に



​松村任三​ 教授に呼び戻される形で助手となった。
(まつむらじんぞう)
1856年2月14日〜1928年5月4日(72歳没)

日本の植物学者。

東京帝国大学理学部植物学教授。

小石川植物園の初代園長。




文献購入費などの研究に必要な資金には事欠いた。


それでも、

研究のために必要と思った書籍は、

非常に高価なものでも全て購入していたため、

多額の借金をつくり、

ついには家賃が払えず、

家財道具一切を競売にかけられたこともある



その後、

各地で採集しながら植物の研究を続け、

多数の標本や著作を残していく。


ただ、

学歴の無いことと、

大学所蔵文献の使用方法

(研究に熱中するあまり、参照用に

 借り出したままなかなか返却しないなど)

による研究室の人々との軋轢もあり、

厚遇はされなかった。


松村とは、

植物の命名などを巡って対立もしている。


(つづく)


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最終更新日  2023.08.23 00:10:12
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