浜松中納言物語 0
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「フラッシュは避ける」 「中国上海写真ライフ」では、海南島の写真を公開しています。中国のハワイとして冬でも泳げることで、北京や上海からも多くの中国人が訪れている。写真は亜龍湾広場に造られた貝殻博物館の中。世界の貝殻が収集され、綺麗に展示されていた。貝類を中心として、自然の造形美を味わえたが、全てがガラス張りになっており手では触れなかった。シャッターを切っても切っても切りがない。また露出の値を考えセットし、フラッシュは避ける。多くの人がフラッシュを当てているがガラス反射を、起こして画像は思ったように写らない。
2009.07.02
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「ドリアンの一種か」 「中国上海写真ライフ」では、海南島の写真を公開しています。南国のホテルでは湿っぽい感じのする部屋が多いと、感じていたが、今回泊まったホテルでは感じなかった。私の上海からの旅行は全て一人旅であるが、ベットは、いつもツインであり、二人分のベット料金を支払う。ツインベットの片側のベットの上に旅行バッグを、思いっきり広げて、片側のベットで寝る事が好きである。写真はドリアンと思うがどうだろうか?ドリアンの果実は、臭いが強烈なため、中国では飛行機内への持込みが禁止され、公共の建物やホテルも、持ち込み禁止にしている所が多い。
2009.07.01
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「金馬坊と碧鶏坊」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。写真の坊は昆明市内に建つ金馬碧鶏坊は明朝年間に、建てられたが、明代と言っても1426年から10年間掛かった。金馬坊と碧鶏坊は向かいあって立っているので、初めて見た場合はどちらも同じように見えてしまう。この金馬碧鶏坊の建物は、文化大革命で破壊され、1999年5月に現在の金馬碧鶏坊として再建された。高さ12m、幅18mで昆明の民俗特色を持ち、夜ともなるとライトアップされて綺麗な姿が見れる。
2009.07.01
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「獅子に掛けられたリボン」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。元時代に建てられた麗正門は「太陽に近づく楼」と言われ、清代に「近日楼」と改名したが、その近日楼の向え側に、レストランがあり、その玄関先に掛けられた赤提灯の写真。この獅子はレストランの入り口左右に置かれており、写真を撮ろうとしてウエイトレスから制止されたが、女性支配人から許可を得て撮影した写真である。この獅子の首に結ばれた赤いリボンだが、この日は、結婚式披露宴があるとの事で、掛けられていた。ちなみに、上下雄雌の見分けはつきますか?写真は、近日楼の前に造られているブロンズ像の前で、写真撮影していたので便乗したが、この日は肌寒い日で、それを気にしながらシャッターを切っていた。
2009.07.01
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「清代に近日楼と改名」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。東寺塔と西寺塔で400mの距離をはさんで東西に建つ。寺は戦火で消失し、現在は寺塔だけが立っている。街並みは昔を再現するように1998年に造られた。 元時代の麗正門は雄大で広角レンズで撮影しないと入らない。地元では、太陽に近づく高楼と言われ、元々昆明古城にあった。麗正門は清代に近日楼と改名し、門の上に近日楼描かれる。
2009.07.01
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「スムーズに行動できた」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。2年半前に来た時も自由行動で全く同じ場所を散策。しかし、今回は円通寺で時間を使いすぎたので、その分、自由行動の時間が少なくなっていたが時間配分は分かっていた。私は一人で見て回った。その方がスムーズに行動できた。他の観光客たちは記念撮影に余念がなく1カットに、かなりの時間を掛けていたが、私は3カット10秒ほどで済ませた。他のツアー客の人達が私を見つけて時計を見ながら、集合場所へ遅れないようにしてくださいよと話しかけて来た。私は、この辺の風景や像は撮影しましたから先に行きますよと、東西寺文化街の400mほどの通りを急ぎ足で向かった。
2009.07.01
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「ココア園でココアの飲み物」 「中国上海写真ライフ」では、海南島の写真を公開しています。無人島での海水浴は3時間ほどの時間だった。私は2時間歩き回って花たちを撮影したのち、私も海に入り何年ぶりかで泳いだ。海岸沿いの草花は風で揺れ、中々止まらなかった。ブーゲンビリアの花も揺れて中々止まってはくれなかった。やっと止まり急ぎシャッターを切ったが後ろの葉は揺れたまま。船で海南島へ戻り、ココア園へ行ったがココアのほか、色々な果物を見たが、間もなく出口が近づいてきた時、レストラン風コーヒーショップの中へ通され、ココアで、作った色々な種類の飲み物を飲んだ。コーヒーが好きな私は、コーヒー味のする飲み物が気に入り、結局、50袋入りを3袋買うことになった。衝動買いはすまいと思っていたが、買ってしまっていた。下の写真はゴムの木である。
2009.06.30
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「ヤシの実は美味しいか」 「中国上海写真ライフ」では、海南島の写真を公開しています。中国最南端の海南島へは2度目の旅である。初めに行った時は、広東省に居た時だったので1時間ほど、上海からだと3時間40分ほど掛かってしまうが、海南島では、大きく無駄金を使うこともない。南国のフルーツの代表といえばやはりヤシの実だろうか。皆さんはヤシの実を食べる?と言う場合が多いが、食べるのではなく、飲むと言ったほうが正解だろう。ヤシの実を薪を割るような分厚い鉈で頭部分を削り、手早く穴を開けストローを差し込み飲むのだが、あまり美味しくはないしジュースを口にした後などに、飲めば最悪であり、冷えていないヤシも美味くはない。
2009.06.30
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「古びた街並み」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。東西寺文化街のブロンズ像であるが、2年半前この地を、訪れたときには綺麗に整備されたばかりの頃だった。その当時を思い出しながら古びた街並みを歩いていた。ブロンズ像も観光客が触った故なのか、それとも風雨によってか、塗料が少しずつ剥がれ落ち、より重厚な感じがしていた。
2009.06.30
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「ペチュニアの花」 「中国上海写真ライフ」では、海南島の写真を公開しています。初め訳も分からず高速船で無人島へ渡った。その無人島で働く人々は夕方時間が来ると迎えの船で、海南島へ帰り、翌朝また島まで送るとの事だった。しかし、当然の如くこの無人島で家族を持ち働く人や、その人たちの住まいもあったことは言うまでもない。沢山の人が水着に着替え、キャーキャー言いながら泳いでいた。私も裸足になり綺麗なサラサラの砂浜を歩いた。だが、カメラを置いて泳ぐ事も出来ず、撮影に回った。私が写真ばかり撮っているので、中国人より海南島へ来て、どうして泳がないのと質問に、カメラを手から離して泳ぐのは、無謀と語ると、カメラを預かると言われ海に入った。久しぶりの水泳に気持ちよかったが、泳ぎ終わったあとで、髪の毛や体が塩でベトベトになり、やはり後悔した。写真は、夏の花壇には欠かせないペチュニアの花。
2009.06.30
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「強い雨もやんでいた」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。雲南昆明市にある園通寺を出る頃には、強い雨に変わっていた。土産物屋より中国人ツアー客たちが円通寺の出口へ来た。バスに乗ってより、やっぱり行かないほうが良かったわよと、土産物屋へ行った事を手土産を見つめながら私に言った。バスに乗り東西寺文化街へ付く頃には、強い雨もやんでいた。バスは東西寺文化街の中までは進入できないので少し歩いて行った。中国人たちと話しをしながらも東西塔の撮影の事ばかり考えていた。運良く雨の水溜りが出来ていたので皆をやり過ごして撮影した。
2009.06.30
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「高速船で離島まで行った」 「中国上海写真ライフ」では、海南島の写真を公開しています。観光スポットである離島までクルーザーで10分間、かなりスピードが速く波の上を飛ぶ感じだった。「合歓の木」に良く似ているが正式名は、「オオベニゴウカン」との事であるが花の名前は難しい。もぎ取ったばかりの青いバナナを食べたが甘くはなかった。ブーゲンビリアの名前は何度も間違いながらも覚えたが、オレンジ・トランペット・バインの名前は中々覚えられなかった。
2009.06.29
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「鮮やかな龍の彫塑」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。円通寺は唐代に建立された昆明最古の寺である。私は大きな池のある境内の八角亭、円通宝殿、曲廊また、円通寺裏山のラマ教の寺など小雨の中見て回った。私は中国人ツアーから離れて一人で見て回っていた。1時間半の時間を頂き、時間になったら写真奥の出口付近での、集合だったが時間を大きくオーバーしてしまった。丁度1時間半を過ぎた頃に携帯まで連絡が入り、何処にいるかを、聞かれたが、急ぎ集合場所へ向かっても30分は掛かるので、円通寺を出て15分ほどの土産物屋へ行く事を知っていた私は、出口で待っているので、迎えに来てほしい事を告げ了承された。ガイドが了承したのは、私の為だけで土産物屋へ行かないと、土産物屋から会社へ苦情が行く事と、私が昆明は3回目である事、一般の中国語は全く問題ない事などを挙げていた。写真は帰りの参道で円通勝境坊越しに出口を撮影した。鮮やかな龍の彫塑は出口の壁にあり広く知られている。つづく
2009.06.29
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「千手千眼観音」 「中国上海写真ライフ」では、海南島の写真を公開しています。海口から入り、車にて1時間で博鰲東方文化苑に着く。その博鰲東方文化苑の中心にあるのが「博鰲禅寺」である。「博鰲ボアオ」では、自然と調和して諸施設が造られている。写真は「博鰲東方文化苑」の中心にあるのが「博鰲禅寺」で、中に祀られているのが写真の「千手千眼観音」である。高さは16.8メートルあり近くから見ると本当に大きい。
2009.06.28
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「香炉付近から八角亭を望み撮影」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。円通寺は唐代に建立され、元代に再建され昆明最古の寺で、大きな池のある境内には、円通勝境坊、八角亭、円通宝殿、曲廊などの建築物が池の中心と回りに造られている。写真の八角亭へは池に造られた石橋を渡り、八角亭を通り過ぎ四天王殿を通り抜け円通宝殿にたどり着く。円通宝殿には既に写真で紹介した宋代の仏像が安置されている。写真は円通寺池の辺りの香炉付近から八角亭を望み撮影した。
2009.06.27
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「博鰲東方文化苑」 「中国上海写真ライフ」では、海南島の写真を公開しています。海口から入り、車にて1時間で博鰲東方文化苑に着く。その博鰲東方文化苑の中心にあるのが「博鰲禅寺」である。中国各地に建てられている寺の殆どは禅寺であり、また道教の寺であるが、中国文化大革命で多くの寺が破壊された。最近になり、各地で寺の再建がなされている。海南島にあっても新しい寺の建設が進んでいた。そして、写真の千手観音堂の中には17mの観音像があった。
2009.06.27
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「南国の花々に心癒された」 「中国上海写真ライフ」では、海南島の写真を公開しています。3度目の海南島の写真を公開。以前の海南島ツアーへは2度ともゴルフ三昧。3度目は一人で海南島の現地ツアーに参加。1週間の短い旅だったが毎日快晴の日々で、海南島の一年の降雨日数を調べると、年間晴天日数も310日を越え、降雨日数は50日ほどであり、降雨時の大半は台風が影響である。海南島では3日間自由に行動でき、ハイビスカスや、ブーゲンビリアなど色とりどりの南国の花々に心癒された。そんな心癒されたシーンを思い出しながら写真を更新したい。
2009.06.27
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「一番ポピュラーな写真」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。昆明円通寺の中で一番ポピュラーな写真である。バックに八角亭を、手前に欄干の上の獅子の姿である。実際には更に八角亭を後ろにし、全体像を撮影したものが、円通寺の紹介写真では世に知られている。円通寺は仏教寺院の造園の形で作られていない。写真を見ても分かるとおり庭園造園の形で建てられ、中心に池を取りその周りに回廊を造り、池の中心には、八角亭や宝殿を配した造りかたになっているのが特徴である。
2009.06.26
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「異常気象は龍神の怒り」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。中国で麒麟の他に架空の動物は龍である。龍は地上の水の支配者であるとされている。地上に雨となって降る天の水、雲や風、稲妻や雷の支配者。写真は龍であるが、非常にリアルな描写で造られている。昔の人は異常気象の年には龍神の怒りと話し、冬から春になると龍達は、地上の水から天に昇っていき、互いに雲の中で戦い、稲妻を発し雷を轟かすと言われた。写真の龍は円通寺から円通山へ向かい、石造りの階段を上って行くと水路と通路の壁に、セメントで止められていた。
2009.06.26
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「麒麟の姿と違い辟邪のよう」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。円通宝殿裏の石段を登るとラマ教門の入り口の左右に、白い動物の像が置かれているが、これは獅子ではない。麒麟(キリン)と呼ばれる門のガードをしている。麒麟といえば、中国では貴金属店などの前に置かれているが、黒の麒麟で、白い麒麟は初めてお目に掛かった。日本で麒麟と言えばキリンビールの商標マークが有名だが、動物園にいる首の長いキリンと違う。麒麟は架空の動物であり色々な動物の体の部分を、つなぎ合わせて出来ている。全身は鱗に覆われていて、姿は鹿、蹄は馬、尻尾は牛いう想像上の動物。古代中国を中心に東アジアでその存在が信じられていた。だが、よくよく架空の動物である麒麟の姿と写真の像とは、蹄が蹄ではなく指が四本ある事に気付き麒麟とは違う?獅子でもなく麒麟でもなく辟邪のようでもあるが、魔除けである事だけは確かである。もし辟邪ならば神話では龍の9番目の息子になるが・・。つづく
2009.06.25
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「宝殿の釈迦牟尼如来像」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。写真は昆明円通寺円通宝殿の釈迦牟尼如来像で、通常では「お釈迦様」と呼ばれ、南方仏教では唯一の礼拝対象。四苦八苦の煩悩の人を一人残らず悟りへ導こうとする如来。表情は日本で知られている釈迦像の表情とはまるで違う。宝殿の後に銅佛殿があり、中に安置されている銅の仏像は、タイ国から寄贈されたものであるが、この時点で私には、寺側からガードが付き、撮影する事が出来なかった。日本では西方極楽浄土の教主である阿弥陀如来や、薬師如来また大日如来など知られているが中国やタイの如来とは、顔の表情が日本の荘厳な感じとは全く違う。上と下の写真の像は誰なのだろうと調べてみた。だが分からなかったので想像で綴るので間違っているかも?密迹金剛(金剛力士)像と考える事ができるが、極めて、中国化された像のようで、金剛力士像は明代以降の、「封神演義」の影響を受け、陳奇・鄭倫が死後封神されて、哈二将となったもので仏の守護神とされ四天王とはまた違う。
2009.06.25
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「昆明最古の寺」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。唐代(650年頃)に建立され元代(1280年頃)に、再建された昆明円通寺は、昆明最古の寺である。元代の再建前までは違う寺の名前だったが、再建後に、現在の円通寺の名称になった。そして大きな池のある境内には、石橋を通り八角亭を越えると円通宝殿に出る。円通宝殿は中国各地にある禅寺宝殿と、同じ造りになっているが、宝殿の中に安置してある守護神の、姿は少々違っていた。中の様子は素早く撮影してあるので、次に公開したいと写真データをアップした所だ。写真は円通宝殿の境内に置かれてある香炉の画像だが、中国の、どこにでもある禅寺の香炉に円通禅寺と寺名が彫られていた。
2009.06.25
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「広目天・多聞天・持国天・増長天」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。昆明最古の寺である円通寺の円通宝殿手前には、四天王が安置されているが、中国各地の禅寺と殆ど、同じ造りになっている。だが、各地の仏像の表情や、四天王の表情もそれぞれ個性があり眺めていると心和む。日本の四天王の表情は荘厳なもので初めて中国や東南アジアの、四天王を見た時には、その荘厳さはなくユニークな表情である。日本でも中国でも四大天王の名前は同じである。広目天・多聞天・持国天・増長天の四天王であるが、名前と顔姿が一致して言える中国人も少ない。四枚の写真で一枚目が広目天で千里眼を持った尋常でない眼、特殊な力を持った眼と四方を守る広目でと訳された。欲界の六欲天の中の初天で天に住み仏教における4人の守護神。上から二枚目は多聞天で単独では毘沙門天と呼ばれている。今NHK大河ドラマ天地人での親方様の上杉謙信は自身を、毘沙門天の生まれ変わりと信じ旗印も「毘」の文字を使った。上から三枚目が持国天であり、東方を護る守護神である。下の四枚目は増長天であるが、中国では黒い顔で宝剣を持ち、本尊の向かって左手前に安置するルール。四天王の安置する位置は、四体共に安置する位置が定められ、広目天は本尊に向かって、左後方に安置し、多聞天はその右隣に安置し、持国天は増長天の隣に安置している。各守護神の持ち物で見分けられる。「中国の四天王」をクリックすると更に写真が見れますよ。つづく
2009.06.24
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「獅子の表情は皆違っていた」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。造園の方法で建てられた円通寺には、大きな池が造られ池の周りには大理石で造られた欄干がある。その欄干は2mごとに欄干の支柱があり、その上に子供獅子が、乗せられている。獅子の表情は皆違っており、また子供獅子が、向いている方向もそれぞれであり、その表情は実に可愛い。写真は子供獅子にピントを合わせ鮮やかな六角堂をバックにした。上に写真は2mごとに造られた子供獅子。写真を見て分かるとおり、石の風化が相当進んでいるのが分かる。この子供獅子は池の周り全てに造られており、また八角堂や、円通宝殿へ渡る石橋の両端にも、子供獅子が参拝者を見守る。下の写真は六角堂から円通宝殿へ渡るめがね橋風アーチを、撮影したものであるが、この上にも子供獅子は居る。つづく
2009.06.24
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「慈悲深い母のイメージ」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。昆明市内の円通街に位置する円通寺は、昆明で最も古い仏教寺院であり、造園の方法で建てられた円通寺を、歩いて行くにしたがって大きな池が一望でき、その中心に八角堂が、目に飛び込んでくる。その八角堂へは石橋を歩いて渡る。八角堂に入ると千手観音のような准胝観音菩薩の像が迎えてくれる。東洋のマリアと呼ばれる准胝観音菩薩。この像が准胝観音菩薩かどうかは定かではないが、中国人に聞いてみてもハッキリとは分からないようだ。だが、准胝とは慈悲深い母のイメージがあるが写真の像は、童顔であり本来の母の慈悲という感じがしない。つづく
2009.06.23
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「中国の焼香はかなり大きい」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。池の中に建つ八角亭の手前まで来ると、池の周りの建物や石橋などが一望できる。八角亭までは石橋を渡り中に入って行くが、焼香は手前の鋳物で造られた焼香台へ刺す。中国の焼香はかなり大きいが、焼香に火を点け、その焼香を自分の顔より上げて三度頭を下げてより、焼香台の灰の中に刺していた。中国では焼香の撮影はタブーとされている。勿論、仏閣の仏像や守護神も撮影は禁止されている。中国人が心より祈りをささげる横で撮影する事自体、あまり良い気分ではないのであろうと思った。本来、心の問題なのではあるが、ある反面撮影され、世に多く出回る事で仏を尊厳を汚すからだろうか。
2009.06.23
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「般若心経の五藍皆空の文字」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。「円通勝境坊」から円通寺入り口を撮影した。円通寺入り口が相当上の方に見えるのではないだろうか。中国での寺は日本でも同じではあるが、入り口より上の方へ向かって参道を歩いていくが、円通寺は違っていた。下は既に「円通勝境坊」から下って300mほど歩いて来た所で、仏の弟子で仏を守護する神が祭ってある閣へ差し掛かった所。五藍皆空や皆大歓喜という文字が書かれているが、般若心経の経文に出てくる語句であるが仏教寺院なので、何の不思議もない。だが香港映画で皆大歓喜という映画があった。大衆の欲望と思惑が様々に交差する考えさせられる作品と、説明があったものの、その映画とは全く関係がない。ここを通り過ぎると間もなく、池の中に建つ八角亭へ出る。
2009.06.23
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「円通勝境」は「円通は景勝の地」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。上の石段の上側が入り口になっている。つまり石段を降りて奥に進むにつれて下って行く。禅寺の大雄宝殿(本堂)は最も低い位置に建てられている。上の獅子は雄獅子であり雌獅子は反対側に置かれている。つまり雄雌の見分け方は、手鞠を押さえているのが雄で、雌獅子は子供をあやしているので見てすぐ分かる。「円通勝境」と坊に書いてあるが、「勝」の字は中国簡体字では「月偏に生」と書き「勝境」で、「景勝地」との意味で「円通勝境」は「円通は景勝の地」と訳す。上の写真は前方が下っており、坂を下りて行くと右へ曲がり、道の通り進むと大きな池が見えてくるが池の周りにも、大理石で彫られた子供獅子が出迎えてくれる。
2009.06.22
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「石柱の上には大理石の獅子」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。円通寺の中へ入ったが観光客が少ないのか、寺院に入る境内の通路が広く感じられた。境内を少し歩いて行くと通路の上に石段が作られていた。その石段の欄干を構成する石柱の上には大理石を、彫刻した飾り獅子が取りつけられていた。遠くからその獅子を見ながら歩いて行き、石段の欄干の上の子供獅子達を見ていると楽しくなって来た。曇り模様から小雨になり観光客の姿もまばらな中、私が獅子達をウキウキしながら見ている姿に首を傾げながら、通り過ぎて行った。写真は子供獅子の姿を撮影した。
2009.06.22
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「昆明でもっとも古い寺院」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。石林の旅から昆明へ戻ったのは夜7時ごろ。夕食を済ませたあとホテルで一夜を明かした翌朝は雨だった。私たちは予定通り昆明の市区内の円通街に位置する仏教寺院へ、向かったが昨日の中国人とは違うメンバーだった。円通寺と呼ぶ仏教寺院は昆明でもっとも古い寺院である。円通寺は唐代にイ族が南昭国を成立させ昆明に寺を建てた。南昭国は645年に成立し既に1350年以上の歴史がある。円通寺は昆明市内でもっとも大きな寺院として、東南アジア一帯に知名度が高く雲南省の仏教協会本部でもある。造園方式で建てた円通寺には緑の山を造り、大きな池に橋を掛け、風景は絵のようであり、中国の重点仏教寺院の一つである。円通寺には大乗仏教と小乗仏教またラマ教の三大宗派の殿堂が、建っており日本の一宗派を伝承した寺とは様子が違っている。インドで衰えた仏教は中国へ伝来し、南伝仏教の禅や密教と、北伝仏教の理論中心の仏教とに分かれ円通寺は北伝仏教である。今回も撮影禁止箇所が多かったが一人行動で撮影して来たので、出来るだけ写真をアップしていきたい。
2009.06.22
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「現地で飲んだ香ばしい感じがしない」 「中国上海写真ライフ」では、七彩雲南の写真を公開しています。お茶の入れ方実演は30人が入れる部屋で行われ、杯より小さい透明なグラスに、結構色の濃いお茶が注がれ、お盆の上に乗せられたグラスを観光客の前に差し出し、手渡されたグラスに入ったお茶を音を立てながら飲み干す。ぐい飲みなので喉ごしは良く、お茶の葉を買いたくなる。福を逆さまに置いてある写真は間違えて置いてあるのではなく、中国では来るを「到」と書き、逆さまの「倒」と同じ発音。 福を逆さまに置き、福到来という中国の洒落である。私も3年前に2缶を買ってしまった。上海に帰り着き、思い出したようにお茶を入れても、現地で飲んだ香ばしい感じがしなく、苦い味しかなく、結局、殆ど飲まずに部屋に飾ったままで賞味期限が切れ、どうにもならなくなってしまい中国人に差し上げた。最近では、薬にしろお茶にしろ買わないようにしている。次回から昆明へ帰り、昆明で一番古い仏教寺院円通寺の、写真を公開して行きたいと予定して写真アップ。
2009.06.22
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「プーアル茶は糖尿病や高血圧に」 「中国上海写真ライフ」では、七彩雲南の写真を公開しています。石林鋭い岩面のカルスト地形を見た後、お決まりのお土産物売り場「七彩雲南」へ直行した。3年前来た時と同じコースのようで、まず部屋に通され、2人の女性が手早くお茶を入れてくれる高山白茶、プーアル茶、紅茶などを説明を聞きながら小さなグラスで試飲した。写真は茶摘職人が当時使用していたバッグ。高山白茶は喉に良く、冷茶は呆け防止。プーアル茶は糖尿病や高血圧に効き、説明を受けていくうちに、なんとなく買わなければいけないような錯覚に陥るから不思議で、中国人数人が高価なお茶を買い求めていた。私は直ぐに外へ出て、人気のない茶摘後の作業展示室の中を撮影した。つづく
2009.06.22
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「日本人とイ族女性の恋物語」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。石林の旅も洞窟のような狭い通路を通り越すと、目の前に広い場所が飛び込来ると最終に近づく。山を歩いている時からテンポの良い民俗音楽の歌が、聞こえて来ていたが、最終の広場で歌や踊りが行われていた。少数民族イ族の青年男女が観光客の疲れを、癒そうと一生懸命歌や踊りを披露していた。イ族の女性が被る角の生えた帽子の側面に三角形の角が、左右対称に2本ついていれば未婚、1本だけならば婚約中、そして角がなければ人妻とルール決めされている。また日本人観光客とイ族女性ガイドの恋物語りも有名で、今結婚して上海に住んでいるとの事だった。つづく
2009.06.22
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「展望台まで来ると石林の観光も終盤」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。世界遺産石林の大石林の石柱群の上に、景観を損なわないようにコンクリートの東屋が見えてくる。東屋の展望台(亭)まで石段を上ると大石林の全景が見渡せる。聳え立つ岩峰が見渡せるので今までの疲れも吹っ飛ぶ。この展望台まで来ると石林の観光も終盤を迎える。大石林に立つ東屋亭展望台に上がり見渡すと、眼下には一面に自然が造りだした芸術品が見える。その光景は規則正しく大胆で尚且つ繊細な造りである。亭から見下ろす景色が一望出来また絶景である。そして、今まで自分が歩いて来た道を目で追った。つづく
2009.06.21
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「逆光で撮影した亀の写真」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。どこの観光地でも動物に当てはめて、あの岩は像に似ているとか猿に似ているなどと、ガイドが観光客に説明している光景をよく見る。この石林の岩も同じで、動物のようにも、万木の林立する森のようにも見える。写真は亀が石林を見守るように眺めている。見方によっては亀がいつかこの世界から出たいと、哀愁にも似た想いが、その岩から伝わってくる。逆光で撮影した亀の写真は、見ようによっては、そのような状況が見て取れるのではないだろうか。下の写真は猫が岩の上から見下ろしているように見える。
2009.06.21
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「恐る恐る首を通してみた」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。岩と岩の間の隙間が非常に狭くなっている。その岩の隙間を良く見るとピカピカに光っていた。この岩と岩の隙間に首が通れば願いが叶うとの言い伝え。最初にここへ訪れた時は、体重が81キロあり、それに比例して首も太かったので、とても通らないと諦めていた。2度目に石林を訪れた時には体重が56キロになっていた。当然首も相当細くなっており、恐る恐る首を通してみた。だが、心配をよそに問題なく通ってしまった。私はうれしくなり、観光客が来るのを待って再度通した。あまり首の太い人は、岩に押さえられ苦しいようだ。上下の写真は鳥の頭の形をした岩と像の形をした岩である。つづく
2009.06.21
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「澄み切った湖面に剣峰の文字」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。約140億年前にビックバン、100億年前に銀河系誕生。46億年前太陽系に原始地球が誕生し38億年前に生命が誕生。27億年前にバクテリアが大量に発生し地球上の酸素が急増。10億年前に多細胞生物に進化し9億年前に有性生殖を始めた。6億年前に生物の多様多量化。4億年前に海より植物が上陸し、動物も上陸を始めたが、2.5億年前に生物種類の95%が死滅。これをペルム紀と呼ぶ。中生代の2億年前にパンゲア大陸が、再分裂し現在の大陸の姿へ変化を始めた。その頃、哺乳類が生まれる事になるが、ベルム紀の地殻変動により地球上の地形が形成される。人類誕生の歴史は地球誕生からみれば、まだ始まったばかり。CO2地球温暖化の脅威は人類誕生から現在までの1億年の歴史を、わずか300年で終わらせようとしている。温暖化対策の自覚は?石林の石灰岩層は2億年の風雨に浸食され、無数の巨大な、剣の岩が立ち並び、澄み切った湖面に剣峰の文字が映る。傍らでイ族の娘が民族衣装でガイドを続ける姿を撮影。つづく
2009.06.21
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「岩の間に岩が挟まっている」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。観光客たちが立ち止まり上を見上げていた。私は何があるのかと上に視線を向けると、岩の間に岩が挟まっているのが見えた。初め70mmレンズで撮影してみたが小さく感じ、300mmレンズで撮影してみると、その様子がハッキリと、撮影できたが、海底の隆起時に出来たのか、岩の間に挟まって今にも落下しそうで落下しない。2億8千面年前から2億5千万年前に海底で、繰り返された地殻変動により山が谷に、また谷が丘に、大自然の織り成すハーモニーがよみがえる。その石林の岩には中国歴代の著名人たちが、彫らしたものであろうか色々な文字が彫られていた。つづく
2009.06.20
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「一番知られている「石林」の文字」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。雲南石林に限らず中国の多くの岸壁には、文字が刻まれている。しかし、その殆どは中華民国までで、それ以降岩に文字を刻むことは禁じられている。ゆえに、その文字の字体は今日の簡体字ではない。石林は名前の通りで、石の山は林のように、聳えたち壮大な自然がもたらした技を見る事が出来る。写真の部分は一番知られている「石林」の文字である。石林風景名勝は大小石林、乃古石林、芝雲洞、長湖、大畳水瀑布、月湖、奇風洞の7エリアに分かれる。つづく
2009.06.20
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「温暖化が進みヒマラヤ地殻変動」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。石林が形成されるには4つの偶然の第4に、5千万年前の始新世に温暖化が進みヒマラヤ地殻変動の影響を、受けたことによって、大規模な湖が形成され水の蒸発と、降雨を繰り返し自然のうちに現在の奇岩になった。地球温暖化の状況に陥ったのは、5千万年前から3千万年前彗星が海に落下した事により、海の面積が次第に狭くなり水分が減少し、温暖化が最高潮になった時、動物は死滅した。あくまでも極端な学説だが信じたい。最終的に石林は今日の面貌が形成された。つづく
2009.06.20
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「ベルム紀に火山の爆発が頻繁」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。石林が形成されるには4つの偶然の第2は、石灰岩が海底で隆起し石壁に縦や横向きの割れ目に、雨水が浸透したことにより独立した石柱となり、早期に石林が形成され現在に至る。第3は、ベルム紀に火山の爆発が頻繁にあり、初期の石林が冷却した火山溶岩に覆われたことと、2億2千万年前、ベルム紀が終り中生代の1億6千万年もの、長きに渡り一貫して火山岩に覆われ徐々に隆起し続けた。6千万年前、中生代から新生代へ入ると、ほとんど侵食された。そして、石林が露出し新たな成長が始まった。つづく
2009.06.20
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「奇峰奇岩が林立する絶景の地」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。石林は1982年中国重点風景名勝区と認可された。また世界で最も典型的なカルスト地形の特徴を、持っている景観地でもあり、奇峰奇岩が林立する絶景の地を、散策したが、この石林を散策中は雨が止んだ。石林が形成されるには4つの偶然が、一致しなければならない。その偶然の第1には、2億5000万年前に海底で形成した石灰岩が連続して、隆起を繰り返し海から浮かび上がって高原となった。つづく
2009.06.20
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「石林は四大自然景観の一つ」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。石林を訪れるのは今回で2回目となった。始め石林を訪れる前には、石林のイメージは、岩ばかりと思っていた。なぜならば14年前に深センの、ミニチュア公園で見ていたものが岩ばかりだったからだ。だが実際に石林を訪れてみると緑豊かな自然に、育まれた所と言うことを実感した。石林は「造型地形天然博物館」と称されて内外問わず、多くの観光客が訪れている。また石林は中国でも、四大自然景観の一つと呼ばれている。
2009.06.19
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「三角の角が隠れているのが人妻」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。下のカラフルな帽子はイ族の民族衣装の帽子であり、耳の上側に三角の角があるのは結婚前である。そして、三角の角が隠れているのが人妻である。この民族帽にはブルーの色の帽子と赤とがあった。だが、なぜそうなのかは分からない。趣味的問題か?前回昆明へ来た時は、成り行きで、ナイトクラブへ行ってしまい、ぼったくりに遭った。しかし、今回はナイトクラブやサウナへ行く事もなく、平穏な夜を過ごしたので朝6時半に起床しシャワーを浴びた。朝7時半にホテルを出たのち石林へ向け出発したが、同乗してきた人達は昨日までとは全く違う中国人だった。
2009.06.19
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「イ族の民族衣装の帽子」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。石林は昆明の南東方向約100キロにある。ツアーバスは昆明から1時間半で着いた。この石林は約2億5千万年前の地殻変動と浸食によって、鋭い岩面が作られたカルスト地形である。上の岩の人の頭と体に見えるのが、これはイ族が、阿詩瑪アズマと呼び親しんでいる奇岩である。また阿詩瑪アズマとは女性の事であり、赤い民族帽は阿詩瑪アズマが被る帽子である。両側に三角の布が出ているのが未婚で、片方が婚約、何も出ていないのが既に人妻という決まり。
2009.06.19
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「世界遺産としても有名」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。昆明市から70キロ離れた石林「イ族」自治区の、石林カルスト地形は「天下一の奇観」「カルスト地形の粋」と、呼ばれ気候も一年中恵まれていることから、風光明媚、民族の習俗、学術調査を一体化した著名な、観光ポイントとなり世界遺産としても有名。中国南部にはさまざまなカルスト地形がある。主に雲南、貴州、広西、重慶などの省・自治区や直轄市に、位置する南方カルストは、総面積5万平方キロに及び、中国全土のカルスト地形の55%を占める。
2009.06.19
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「海底が隆起し出来た奇岩群だ」 「中国上海写真ライフ」では、雲南石林の写真を公開しています。昆明のホテルより地元旅行社の中国ツアーに参加した。ホテル玄関先まで出迎えてくれるバスに乗り、向かったのは雲南省にある世界自然遺産の石林である。2億5千万年の昔、海底が隆起し出来た奇岩群だ。雲南昆明からバスで1時間半位で石林に着いた。石林は、1995年より公園として整備され、花博が雲南省で開催された時には更に整備された。岩と岩の広場は芝生が植えられ綺麗な緑が目に鮮やかだった。旅する人の目を癒すために花も植えられている。環境保護のため電気観覧車も備えられていた。私は2回目の観光だったが1回目とは違う感動を受けた。
2009.06.19
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「昆明市内の某ホテル内の様子」 「中国上海写真ライフ」では、雲南昆明の写真を公開しています。昆明で3つ星ホテルへ泊まったが、内陸部の3つ星ホテルよりは良い感じである。まだ新しいホテルだったので清潔感はあり、それだけが救いのような感じだった。写真は昆明市内の某ホテル内の様子である。最近中国で建設される3つ星ホテルでは、バスルームにバスタブを設置しない所が多くなった。私は、バスタブにお湯を張り脚を浸けてシャワーを、浴びるのが習慣になっておりバスタブがなく、シャワーだけは、かなり抵抗を感じたが我慢した。
2009.06.19
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「人影のない大理影視城の城門」 「中国上海写真ライフ」では、雲南大理の写真を公開しています。大理での第一観光箇所と言えば天竜八部影視城だろう。写真は天竜八部影視城の城門である。やっと出口まで来たが、今回は私が最後になってしまった。時計を見ると約束の集合時間を15分も過ぎていた。小走りにバスの駐車場を目指し、ふと振り返りざま、人影のない寂しい天竜八部影視城を写真に納めた。影視城の外へ出てからでも、その姿をカメラに収めた。小雨はまだ降っており、傘を差しながらの構図決め。再度構図を考えていると中国人ツアー客達からは、早く戻って下さいとの声が、聞こえてきた。私を探しに来た人と共に観光バスの近くまで来た。時計を見ると待ち合わせの時間から既に20分過ぎていた。皆さんには丁寧に頭を下げた。
2009.06.18
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「色の使い方が実に華麗で斬新な感じ」 「中国上海写真ライフ」では、雲南大理の写真を公開しています。大理大理天竜八部影視城中心の道路復興路を、皆が待っている集合場所へ先を急いだ。道路標識が目に留まり画像として収めたが更新していない。大理街を越えるとすぐに待ち合わせ場所に着く事が出来る。帰り道を急いで行くと「銀職人」の看板に引かれた。だいぶ大理天竜八部影視城入口の方へ戻ってきた。その途中でもカメラのシャッターを切りながら歩いた。この店は何処にでもあるような店だが、大理という事も手伝い新鮮さを増していた。「天竜女儿行」という店の名前もいい感じがした。綺麗な柄の傘、観賞用の傘にも魅せられた。色の使い方が実に斬新で華麗な感じで透明感が増していた。
2009.06.18
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