浜松中納言物語 0
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「白一色に装束して髪を結い上げ」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。中宮さまにお膳をさしあげるというので、女房が八人、白一色に装束して髪を結い上げて白い元結をして、白銀のおぼんを持ち一列になり入っていく。今夜の給仕役は宮の内侍(ないし/中宮女房、橘良芸子)で、堂々としていてとても美しい容姿に、白元結にいっそう引き立って見える髪の垂れ方は、いつもより好ましく、扇からはみ出て見える横顔は、本当に美しかった。髪を結い上げた女房は、源式部(げんしきぶ 加賀の守、源重文の娘)小左衛門(こざえもん 故備中の守、橘道時の娘)、小兵衛(こひょうえ左京の大夫、源明理の娘)、大輔(伊勢の祭主、大中臣輔親の娘)
2022.10.09
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「望み通りであったという顔つき」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。昼のように明るいので、あちこちの岩の陰や木の下に集まっている上達部の随身でさえ、それぞれ話し合っている話題は、このような世の中の光といえる皇子が誕生なさることを、陰ながら思っている。自分たちの望み通りであったという顔つきで、表情を崩し嬉しそうにしているまして、土御門(天文道・陰陽道をもって朝廷に仕えた家系)の邸の人たちはなにほどの人数にも入らない五位の者までもが、腰を屈め会釈している。皆が会釈しながら行ったり来たりして、忙しそうな様子をして、よい時勢に会ったという顔つきで、権勢に盲従する下役たちを描写する紫式部の辛辣な眼。
2022.10.08
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「松明を掲げて立ち並んでいる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。十五夜の月が曇りなく美しい上に、池の水際近くに、かがり火をいくつも木の下にともして、屯食(飯を握り集めたもの)を五十具立て並べる。宮中や貴族の邸宅で饗宴で庭上に並べて下級職員、時に身分ある人に賜った物である身分の低い男たちがしゃべりながら歩きまわっている様子なども、御産養の晴れがましさを際立たせているようだ。主殿寮(とのもつかさ/宮内省に属し、天皇の乗り物や帷帳(いちよう)に関する事および清掃・湯浴み・灯火・薪炭などの事を司る役所)の役人たちが松明を掲げて立ち並んでいる様子も真剣な様子が伺える。
2022.10.07
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「産所の空間を白で統一」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。近江の守(源高雅)は、その他の全般的なことを奉仕するのだろう。東の対の、西の廂の間は、上達部の席で、北を上席にして二列に並び、南側の廂の間には、殿上人の席が西を上席にしてある。白い綾張りの屏風をいくつも、母屋の御簾にそえて、外向きに立て並べてある。出産は母子にとって大変な営みで、中世においては尚更で、そのためもあり、出産の場では祈祷や呪いが数多く行われ、皇后や中宮が出産する際には、産所の空間を白で統一し清浄さを保ち、魔を除く想いも込められている。五日の御産養―九月十五日の夜 ご誕生五日目の夜は、殿が奉仕なさる御産養(おんうぶやしない/小児誕生の夜を初夜といい,その日から3,5,7,9日目に当たる各夜ごとに親戚・知人から衣服・調度・食物などが贈られた
2022.10.06
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「懸盤や白銀のお皿を調進」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。大夫の右衛門の督(えもんのかみ/藤原斉信)は中宮さまにさし上げるご祝膳のことで、沈の懸盤や白銀のお皿などを調進したが、詳しくは見なかった。食器をのせる台。格狭間(こうざま)を透かした台に折敷(おしき)をのせたもの。源中納言(げんちゅうなごん/源俊賢四十九歳)と藤宰相(とうさいしょう)藤原実成三十四歳)は、若宮の御衣(みそ)、御襁褓(むつき)、衣箱の折立(おたて)、入帷子(いれかたびら)、包み、覆い、下机などを調進なさる。御産養のいつもの例で、同じ白一色ではあるが、作り方は人それぞれの趣向があらわれていて念入りにこしらえてあった。強い関心を持って自ら行動する人、それほど深くは考えたことはないけれどなんとなく気になっている。
2022.10.05
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「扇の様子なども白一色なので」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。裳(も/平安時代の女房の装束で、 表着(うわぎ) や 袿(うちき)の上に、腰部から下の後方だけにまとった服)や唐衣(中国風の衣服。 広袖(ひろそで)で裾(すそ)が長く、上前と下前を深く合わせて着る)の刺繍はいうまでもない。袖口に縁飾りをつけ、裳の縫い目には銀の糸を伏せ縫いにして組紐のようにし銀箔を飾って白綾の紋様を押し扇の様子なども白一色なので、まるで雪が深く積もった山を月の明るい夜に見渡している。上着はきらきら光って、はっきり見渡す事ができず、鏡が掛け並べてあるようだ。三日の御産(うぶ)養(やしない)―九月十三日の夜 ご誕生三日目の夜は、中宮職(ちゅうぐうしき)の官人が、律令制において中務省に属して后妃に関わる事務を扱う役所では、中宮の大夫(だいぶ)をはじめとして御産養(平安朝の貴族社会などで行われた通過儀礼の一つ)を奉仕する。
2022.10.04
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「各自は独自の扇を持っていた」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。禁色を許されない女房でも、少し年配の人は、みっともないことはしないとなんとも言えない美しい三枚重ね、五枚重ねの袿(うちき)に表着(うわぎ)は織物、その上に織模様のない唐衣を地味に着て、その重ね袿(うちき)には綾や羅(うすもの)を用いている人もいる。扇なども、見た目には、大袈裟に煌びやかにはしないで、風情があるようにしている。扇には気のきいた詩文の一句をちょっと書いたりして、申し合わせたように同じ文句なのも、各自は独自のものをと思っていた。年格好が同じ者は、同じものになってしまうのを、おかしなものだとお互いに扇を見比べている。このような事からも、女房たちの人には劣らないという様子が、はっきり見える。
2022.10.03
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「一点の汚れもなく真っ白」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。前漢の宣帝は即位前に『詩経』『論語』とともに『孝経』を学んでいた。また挙周(大江挙周/たかちか)は、『史記』の文帝の巻を読むのだろう。七日間、この三人が交替で読書の役をつとめる。女房たちの服装 すべての物が一点の汚れもなく真っ白な中宮さまの御前に人々の容姿や、色合いなどまでが、はっきりと現れているのを見わたすとまるで上手な墨書きの絵に、髪だけを黒く描いたように見える。女房達を見ると、禁色の赤・青・黄丹(おうに)・梔子・深紫・深緋色・深蘇芳(ふかすおう)の七色を許された上級の女房たちは、織物の唐衣に同じく白地の袿(うちき)を着ているので、かえって端正な感じがしてそれぞれの趣向が見えない。
2022.10.02
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「庭に二列に立ち並んでいる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。中国人によって書かれた漢文形態の書物を読む博士は、蔵人の弁の広業(ひろなり/藤原広業)で、高欄の下に立って、『史記』の第一巻を読む。悪魔を払う弦打(つるうち/穢れを退散させるまじないで弓の弦を鳴らす)は二十人、そのうち五位が十人、六位が十人で、庭に二列に立ち並んでいる。夕方の御湯殿の儀である産湯(うぶゆ)をあびさせる行事といっても形式的に繰り返して奉仕する。儀式は前と同じである。ただ読書の博士だけが変わったのだろうか。今度は伊勢守(いせのかみ)致時(むねとき/中原致時)は平安時代中期の貴族。読んだのは、孝経(こうきょう/中国の経書のひとつ)の天子章の一章だろう。
2022.10.01
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「浄土寺の僧都が護身の法を行う」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。織物は身分上の制限があって、誰も思うままに作れるわけではないから裳の大腰のところだけを普通のものとは違う意匠にしているのだろう。 殿のご子息お二人(頼通十七歳と教通十三歳)と、源少将(源雅通)などが散米(さんまい/神事を行う時、神前にまき散らす米)を大声でまきちらしじぶんこそ音高く響かそうと、競って騒いでいる。浄土寺の僧都が、護身の法を行うために伺候(貴人のおそば近くに仕えること)その頭にも目にも散米が当りそうなので、頭に扇をかざすものだから若い女房たちが十二単の袖口で口を押え笑っている。
2022.09.30
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「産後にふさわしい人が付き添う」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。中宮さまが安産でいらっしゃった嬉しさは類もないのに、その上皇子でいらっしゃった喜びといったら、どうして並一通りのことであろう。昨日は一日中泣いていて、今朝も秋霧の中で泣いていた女房などもみな局に引きとって休む。中宮さまには、年配の女房たちで産後にふさわしい人が付き添う。ここに道長の栄華の基礎が固められる。人々のよろこび---殿も北の方も、あちらの部屋に移られて、この数ヶ月一定の規則にのっとって行なう加持、祈祷の作法を修することや読経に奉仕したり、また昨日今日と参集していた僧侶たちにお布施を賜った。
2022.09.29
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「髪の様子が引き立ち美しく見える」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。女房たちは、薄物の表着の腰から裳(も)をつけ、唐衣を着て、頭には釵子(飾り具)を挿し、白い髪の髻(もとどり)を結び束ねる紐(ひも)をしている。そのため髪の様子が引き立ち美しく見える。若君にお湯をかける役は宰相の君。その介添え役は大納言の君(源廉子)お二人の湯巻姿が、いつもとは違い風情がある 若宮は、殿がお抱きになり御佩刀(皇子誕生の際、帝から賜わる刀)は小少将の君が虎の頭は宮の内侍(ないし)が持って、若宮の先導役をつとめる。宮の内侍の唐衣は松笠の紋様で、裳は大波・藻・魚貝などを刺繍で織り出して大海の摺り模様に似せてある。裳の大腰は薄物で、唐草の刺繍がしてある。小少将の君は、秋の草むら蝶や鳥などの模様を、銀糸で刺繍して輝かせている。
2022.09.28
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「緑色の袍の上に白絹の袍を着て」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。御湯殿の儀(おおんゆどののぎ) 産湯(うぶゆ)をあびさせる行事は酉(とり)の時(午後五時~七時)とのこと。灯火をともして、中宮職の下級役人が、緑色の袍(ほう)の上に白絹の袍を着て、お湯をお運びする。その桶をすえた台などは、みな白い覆いがしてある。尾張の守知光(ちかみつ 美作守藤原為昭の子)と中宮職の侍長の仲信(なかのぶ 六人部仲信)がかついで、御簾のところへ運んでくる。御簾の中からお水取役の女官二人が桶のお湯を取り次いで、湯加減を水でうめて、それを女房二人、大木工と馬とが、ほとぎ(素焼きの土器)に汲み入れ、定められた十六のほとぎに入れて、余ったお湯は湯槽に入れる。
2022.09.27
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「若宮の臍の緒を切るのは殿の北の方」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。御佩刀(みはかし)・御臍の緒(みほぞのお)・御乳付(みちつけ)宮中から下賜された御佩刀(守刀の剣)を持参した頭中将源頼定は今日は伊勢神宮への奉幣使(みてぐらづかい)の出発する日だった。佩刀---皇子誕生の際に帝から賜る刀。貴人の太刀を敬っていう語。頼定は宮中に帰っても、お産の穢れ(けがれ)に触れているために清涼殿に昇れないので、殿は頼定に庭先に立ったまま、母子ともに平安の様子を奏上され、頼定に禄なども賜ったが、そのことはわたしは見ていない。若宮の臍の緒を切るのは殿の北の方。御乳付けの役は橘の三位徳子。乳母は、以前からお仕えしていて、親しくしていて気立てがよい人をと蔵人の弁(藤原広業)の妻である大左衛門のめのとが奉仕する。
2022.09.26
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「いかにものどかで心地よさそう」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。殿は縁先に出られて、随身に落ち葉などで埋もれた遣水の手入れをさせてまわりの人々も、いかにものどかで心地よさそうである。随身とは、左右近衛府の舎人(とねり)、将曹・府生・番長・近衛などで、上皇・法皇、摂政・関白をはじめ、近衛府の大将・中将・少将や、衛府・兵衛の長官や次官などに付き従い、その警護する者のこと。心配事のある人も、このときばかりはふと忘れてしまいそうで、中宮の大夫はことさらに得意そうな笑顔をなさるわけではないが、嬉しさはだれよりもでしぜんと顔に表れるのもうなづける。中宮職(ちゅうぐうしき)は、律令制の中務省に属して后妃に関わる事務などを扱う役所。元来は、全ての后妃の世話を行うために設置されたが後には皇后と中宮や皇太后との並立によりそれぞれ太皇太后宮職、皇太后宮職、皇后宮職と専属右の宰相中将(藤原兼隆)は、権中納言(藤原隆家。道隆の子)とふざけあって東の対屋の縁側に座っていらっしゃる。
2022.09.25
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「産湯の儀式の準備をさせていた」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。医師や陰陽師などで、それぞれの道で効験があった者に衣類・絹・布などの褒美をお与えになったり、内々では産湯の儀式の準備をさせていたようだ。皇子の誕生のとき、産湯(うぶゆ)をあびさせる行事。宮中では吉日を選び、朝夕二回、七日間繰り返し、読書、鳴弦(めいげん)なども行なわれる。女房の各部屋では、大きな衣装袋や包などを運び込む人たちが出入りし唐衣の刺繍や、裳のひき結びの螺鈿や刺繍の飾りを、多すぎるほどして人には見せないようにして、注文の扇はまだと言いながら化粧をし身づくろいをするいつものように、渡り廊下の部屋から眺めると、寝殿の両開きの戸の前に中宮の大夫(藤原斉信)や東宮の大夫(藤原懐平/ふじわらやすひら)などその他の上達部たちも、大勢傍に居て仕えていらっしゃる。
2022.09.24
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「産後にふさわしい人が付き添う」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。中宮さまが安産でいらっしゃった嬉しさは類もないのに、その上皇子でいらっしゃった喜びといったら、どうして並一通りのことであろう。きのうは一日中泣いていて、今朝も秋霧の中で泣いていた女房などもみな局に引きとって休む。中宮さまには、年配の女房たちで産後にふさわしい人が付き添う。ここに道長の栄華の基礎が固められる。人々のよろこび---殿も北の方も、あちらの部屋に移られて、この数ヶ月一定の規則にのっとって行なう加持、祈祷の作法を修することや読経に奉仕したり、また昨日今日と参集していた僧侶たちにお布施を賜った。
2022.09.23
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「物の怪がひどく頑強だった」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。宮の内侍の局にはちそう阿闍梨の勝算(平安中期の天台宗の僧)の弟子を担当させていたところ、ちそう阿闍梨が物の怪に引き倒されて、気の毒だったので、念覚(ねんがく)阿闍梨(園城寺の智弁の弟子の円明寺検校大納言藤原済時の子)を呼び寄せ加えて大声で祈祷する。阿闍梨の効験が薄いのではなく、物の怪がひどく頑強だったので、宰相の君の担当の祈祷師に、叡効(えいこう)(四十四歳。加持に高名[栄花物語])を付き添わせたところ、一晩中、叡効は大声を上げ続けて、声も涸れてしまった。物の怪が乗り移るようにと新たに呼び出した憑坐(巫女)たちにも皆乗り移らないので、大騒ぎしたが、午の刻(午前十一時~午後一時)に空が晴れて、朝日が射しだしたような気持ちがする。
2022.09.22
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「あきれるほど変わってしまい」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。中宮女房この小中将はいつも化粧がいきとどいた美人で、この時も明け方に化粧をしたのだが、泣いたため、化粧くずれがして、あきれるほど変わってしまい、とてもその人とは思えななかった。あの美しい宰相の君の、顔が変わってしまっている様子なども、ほんとうに珍しいことで、ましてわたしの顔などはどうだったのだろう。でも、そのときに顔をあわした人の様子が、お互いに思い出せないのは、よかった。 いよいよ出産なさる時に、物の怪がくやしがってわめきたてる声などのなんと恐ろしいことか。源の蔵人が出した憑坐には心誉(しんよ)阿闍梨を兵衛の蔵人が出した憑坐には延暦寺の阿闍梨妙尊という人を、右近の蔵人(くろうど)が出した憑坐(神子)には法住寺の律師を担当させた。
2022.09.21
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「後になってみんなが言いだして笑う」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。若宮の誕生 中宮さまのお産が重いので、仏の加護を頼んで形式的に髪を剃り受戒(仏道でいう殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒の五戒)をして安産を願っている間、途方にくれて、呆れる程悲しんでいる時に、出産された。後産のことがまだすまない間は、あれほど広い母屋から廂の間、縁の欄干の辺りまで大勢いる僧侶も俗人も、もう一度大声をあげて、額を床につけて礼拝する。 東面にいる女房たちは、殿上人にまじって座るような状態で、小中将の君(中宮女房)が左の頭の中将(近衛中将で蔵人頭を兼ねた者)とばったり顔をあわせて、あきれていた様子を、後になってみんなが言いだして笑う。
2022.09.20
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「幼い姫君付きの小式部の乳母たち」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。幼い姫君(道長の四女嬉子当年二歳)付きの小式部の乳母(道長家女房藤原泰通の妻)などが無理に入り込んで、二つの御帳台の後ろの細い通路は容易に通ることができない。すれちがったり、身動きする人は、お互いの顔なども見分けられない。殿のご子息たち(頼通十七歳、教通十三歳)や、宰相の中将(藤原兼隆)四位の少将(源雅通)などはもちろん、左の宰相の中将(源経房四十歳)中宮の大夫(たいぶ)(中宮職の長官、藤原斉信)などいつもはあまり親しくない人たちまでも、几帳の上からのぞいたりして泣きはらした私たちの目など見られるにしても、恥もなにもかも忘れていた。頭の上には魔除けの米が雪のように降りかかっているし、混雑でしわになった着物がどんなに見苦しかっただろうと、後になって考えるととてもおかしい。
2022.09.19
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「比べものにならない程大変な事」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。あと弁の内侍(中宮女房、藤原義子)、中務(なかつかさ)の君(中宮女房中務少輔源至時の娘)、大輔(たいふ)の命婦(中宮女房、越前守大江景理の妻)大式部(おおしきぶ)(道長家女房)のおもと、この人はこの邸の宣旨女房(帝の口宣を蔵人に伝える女官)。いずれも長年お仕えしている人ばかりで、心配して取り乱しているのは尤もなことだが、中宮さまに仕えて日が浅いわたしなどは中宮さまを見慣れてもおらず比べものにならないほど大変なこととじぶんなりに思われる。 また、わたしたちの後ろに立ててある几帳の向こう側に、尚侍(ないしのかみ)(道長の次女妍子当年十五歳)付きの中務の乳母(藤原惟風の妻高子)姫君(道長の三女威子当年十歳)付きの少納言の乳母(道長家女房)ほか
2022.09.18
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「中宮さまも尚更苦しいだろう」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。 内裏にこんなに人が多くては、中宮さまもなおさら苦しいだろうと、殿は女房たちを南や東の間に出されて、どうしても居なければならない人達だけこの二間の中宮さまの側に控えている。殿の北の方と讃岐(さぬき)の宰相の君(さいしょうのきみ・豊子)内蔵(くら)の命婦(道長の五男教通の乳母)が御几帳の中に仁和寺(にんなじ)の僧都と三井寺の内供(ないぐ)を呼び入れられた。殿が万事に大声で指図される声に、僧も圧倒されて読経の声も静かになったもう一間にいる人たちは、大納言の君(中宮女房、廉子)、小少将の君(中宮女房、源時通の娘)、宮の内侍(ないし)中宮女房、橘良芸子)
2022.09.17
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「安産願いにさらに尊い言葉」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。観音院権の僧正勝算(しょうさん)、定澄僧都、権法務済信権大僧都などが傍について加持をなさる。院源(いんげん)僧都(第二十六代天台座主)が、きのう殿が書かれた安産願いに、さらに尊い言葉を書き加えている。読み上げる言葉が、身にしみるほど尊く、心強く思われるのに、そのうえ殿が一緒になって仏の加護をお祈りになるのはとても頼もしくと思うもののやはりひどく悲しいので、女房たちはみな涙が流れるばかりである。内裏の女房たちが、ほんとうに不吉なこととか、そんなに泣かないでなどとお互いに言い合うものの、涙をおさえることができなかった。中宮さまの安産を願って、多くの寺社に使いが送られていた。
2022.09.16
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「紫式部の冷静な観察力が垣間見える」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。新たに実家から来た人たちは、せっかく来たのに邪魔者扱いにされて座らせてもらえず、裳裾(もすそ)や着物の袖が人混みでどこにあるかわからない。主だった年輩の女房などは、中宮さまを心配して声をひそめて泣いて取り乱している。当時、病気や難産の原因は物の怪の祟(たた)りとされた。中宮さまのお産直前、権力・財力をあげて安産祈願。騒動の中での紫式部の冷静な観察力が垣間見える日記でもある。安産を待ち望む人々―九月十一日の明け方にも、北側の襖を二間取り払い中宮さまは難産のために場所を忌み嫌って、北廂の間に移られる。御簾なども掛ける事が出来ないので、御几帳を重ね立てて、その中にいらっしゃる。
2022.09.15
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「幼童の上に神霊を招いて」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。西の間には、中宮さまの物の怪が移った憑坐の人々がいて、それぞれ一双の屏風で囲み、その囲みの入口には几帳を立てて、修験者たちが憑坐(ヨリマシ)を一人ずつ分担して大声で祈っている。憑坐は男女の幼童の上に神霊を招いて乗移らせ神の依ります。南面の間には、尊い僧正や僧都たちが重なるように座って、不動明王の生きた姿をも呼び出して出現させそうなほど、安産を祈願したり霊験のないのを恨んだりして、声がみな嗄れてしまっているのが、たいそう尊く聞こえる。北側の襖障子と御帳台との間の、とても狹い所に、四十人あまりの女房たちが後で数えてみると座っていた。少しの身動きもできず、のぼせあがって何が何だかわからないほどである。
2022.09.14
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「八百万の神々も耳をふりたて」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。ここ数ヶ月、詰めている邸内の僧たちはいうまでもなく、諸国の山や寺を探し求めて、修験僧という修験僧は一人残らず参集し、その祈祷するのか。三世(前世・現世・来世)の仏も心と身との調和につとめ、悪行にうちかつ調伏のためにどんなに空を飛びまわってることだろうと思いやられる。陰陽師もあらゆる人を集めて祈らせたので、八百万の神々も耳をふりたてて聞いて下さらないわけがないだろうと見受けられる。御誦経を行う寺へお布施を持っていく使者が、次々と出立する騒ぐうちその夜も明け、貴人の座所や寝所として屋内に置かれた御帳台の東面の間には、内裏の女房が参集して控えている。
2022.09.13
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「敷物の古風な呼び方」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。修験祈祷のありさま 九月十日の夜が明けるころ、御座所の調度や設備や衣装などが白一色に変えられる。中宮様は白木の御帳台に移られる。殿をはじめ、ご子息たちや、四位五位の人々が騒ぎながら、御帳台の垂絹を掛け帳台の中に敷く上筵(むしろ)や茵(しとね)などを運ぶさまは、実に騒がしい。 茵(しとね)とは座ったり寝たりするときの敷物の古風な呼び方。 中宮さまは、一日中、とても不安そうに、起きあがったり横になったりしながら過ごされたが、修験僧は、中宮さまに取り憑いている物の怪を憑坐に追い移し調伏しようと大声で祈り続けている。憑坐(よりまし)依代 (よりしろ) となる人間のことで子供が多い。
2022.09.12
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「中宮さまが産気づいたと大騒ぎ」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。中宮さまは、香炉に、先日の薫物を土の中に取り出させてお入れになり出来具合をためしてごらんになる。取り出してきた女房たちが、庭の景色の素晴らしさや、蔦(ツタ)が色づくのが待ち遠しいことを口々に申し上げる。中宮さまはいつもより苦しそうな様子でいらっしゃるので、加持などもなさるところなので、なんだか落ち着かない気がして御几帳の中へ入った。 そのうち人が呼んでいるというので、じぶんの部屋に下がって、しばらく休んでいようと思ったが寝てしまった。夜中ごろに中宮さまが産気づいたと大騒ぎしている。
2022.09.11
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「顔や体をぬぐうと老いが除く」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。歌を詠んで、着せ綿を返そうとしたら、北の方はもうあちらのお部屋にお帰りになってしまわれたと言うので、無用になったのでそのままにした。(ももの尻尾が下がって何だか機嫌悪そうにみえる)着せ綿とは、重陽の節句の前夜、菊の花に真綿を覆っておき、あくる朝夜露に濡れて菊の香りがうつった綿で顔や体をぬぐうと老いが除くと信じられた。遠い血縁関係の倫子(90歳まで生きた)の長寿を祝う心。同日の夜、中宮産気づく その夜、中宮さまの御前に参上したところ月が美しい頃で、お部屋の端近には、御簾の下から裳の裾がこぼれ出ている辺りに小少将の君(源時通の娘)や大納言の君(源扶義の娘廉子)が控えている。
2022.09.10
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「菊の着せ綿を持ってきて」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。弁の宰相の君(藤原豊子/ふじわらのほうし)の昼寝姿に狛野物語(こまの物語)のヒロインを連想して思わず声をかけてしまう。枕草子や源氏物語の第25帖蛍に狛野の名が見られる。現実の中に物語世界を発見して感動してしまう紫式部は熱心な物語読者であり、また物語作者としての資質もうかがわれる。五節句の一つの重陽(ちょうよう)の菊の着せ綿―重陽の節句の九月九日兵部のおもと(式部と同輩の女房。おもとは女房の敬称)が菊の着せ綿を持ってきて、これをね、殿の北の方(鷹司殿倫子)が、特別にあなたにって。これでよく顔や体をぬぐって、老いを取り除きなさいってと言うので菊の露 わかゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ菊の露にはわたしはちょっと若返るくらい袖を触れて 千代の長生きは菊の花持ち主である北の方さまにお譲りしましょうと詠む
2022.09.09
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「少し青みのある薄い紫色」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。萩や紫苑の色とりどりの袿に、濃い紅の艶やかな打衣をはおって、顔は襟の中に入れて、硯箱を枕にして寝ていらっしゃる。その額がとても可愛らしくなよやかで美しい。萩は紫み。紫苑の花の色のような少し青みのある薄い紫色。まるで絵に描いてあるお姫様のようなので、口を覆っている袖を引っぱって、まるで、狛野物語(こまの物語)の女君のようと言うと、宰相の君は目をあけて、気でも狂ったの、寝てる人を思いやりもなく起こすなんて。などと言って、少し起き上がられた顔が、思わず赤くなっていらっしゃり、ほんとうにどこまでも美しかった。 ふだんでも美しい人が、時が時なので、特別に美しく見えた。
2022.09.08
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「秘密に調合した練香を持ち寄る」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。表立っての管弦のお遊びは、殿になにかお考えがあるのだろうお催しにはならない。この数年、実家にもどっていた女房たちが、ご無沙汰していたのを思い起こして、参り集まってくる様子も騒がしい。宰相の君の昼寝姿―八月二十六日 御薫物の調合が終わってから、中宮さまは、女房たちにもお配りになる。お香を練り丸めていた女房たちがおすそわけにあずかろうと、御前に大勢集まっていた。中宮さまの御前から下がり部屋に戻る途中、弁の宰相の君(藤原道綱の娘)豊子の部屋をのぞいてみると、ちょうどお昼寝をされているときだった。御薫物の調合--各人が秘密に調合した練香(ねりこう)を持ち寄ってたき判者が優劣を判定する平安時代の宮廷遊戯。香合(こうあわせ)
2022.09.07
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「場所柄としておもしろい」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。宿直(とのい)の人々―八月二十日過ぎ 八月二十日過ぎの頃からは、上達部や殿上人たちで、当然お邸に伺候する人々は、みな宿直することが多くなって、渡殿の橋廊の上や、対屋の簀子などに、みなうたた寝をする。とりとめもなく管弦の遊びをして夜を明かし、琴や笛の演奏などは、未熟な若い人たちの読経くらべや今様歌なども、こういう場所柄としては、おもしろく、中宮の大夫(藤原斉信/ただのぶ)左の宰相の中将(源経房)兵衛の督(かみ)(源憲定/のりさだ)美濃の少将(源済政/なりまさ)などと一緒に演奏を楽しまれる夜もある。上達部(かんだちめ)摂政・関白・太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言参議や殿上人(てんじょうびと)天皇の日常生活の場である清涼殿の殿上間に昇ることを許された者の中から公卿を除いた四位以下の者を指す。(すずフェス2022の練習を終えた男女17人のチーム)
2022.09.06
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「紀伊の国の浜で拾う碁石」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。(すずフェスのため多くの男女がよさこいの練習していた)播磨守(平生昌/たいらのなりまさ)が、碁に負けて饗応(きょうおう)をした日にちょっと里に退出していたので、後日に碁盤の様子などを拝見したら碁盤の華足(けそく/花形の脚)などがいかにも風流に作られて、洲浜の波打ち際の水に次の歌が書きまぜてあった。紀の国の しららの浜にひろふてふ この石こそは いはほともなれ紀伊の国の白良の浜で拾うというこの碁石こそは 中宮の御代とともに末長くあって 大きな巌(いわお)となりますように(すずフェスから すでに多くのチームが帰宅)こんなときの扇なども、趣向を凝らしたものを、そのころ臨席した女房たちは持っていた。播磨守播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。
2022.09.05
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「女という名を持つ女郎花」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。女郎花 おほかる野辺に 宿りせば あやなくあたの 名をや立ちなむ[古今集・小野美材]女という名を持つ女郎花の多い野原に泊まったら 別に多くの女と寝たというわけでもないのに 理不尽にも浮気者だという浮名が立つだろうなどと口ずさんで、退出なさった様子こそ、物語で褒めている男君そっくりのような気がした。このくらいのちょっとしたことで後々ふと思い出されることもある。その時はおもしろいと思った事でも時がたつと忘れてしまう事があるのは一体どういうわけなのだろう。朝の道長の戯れと夕の頼通の端正なふるまい。この父子の対照は、物語の光源氏と夕霧の対照になぞらえられる。
2022.09.04
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「こちらが恥ずかしくなる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。殿の子息三位の君(藤原道長の嫡男、頼通) しっとりした夕暮れに宰相の君(藤原道綱の娘豊子。式部と最も親しい女房の一人)と二人で話をしていると、殿のご子息の三位の君(道長の長男頼通)がいらっしゃる簾の端を引き上げて、お座りになる。17歳の年齢のわりにはずっと大人びて奥ゆかしいご様子で、女はやはり、気立てのよいとなると滅多にいないなどと男女関係の話をしんみりとしておられる様子は、幼いとはほど遠い。幼いと世間の人が侮っているのはよくないことだと、此方が恥ずかしくなるほど立派に見える。あまり打ち解けた話にならない程度で、古今集を口ずさむ。
2022.09.03
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「女は心の持ちようで美しくなれる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。この女郎花の花の歌、遅くなってはいけないだろうなと殿がおっしゃったのをよいことにして、硯のそばに寄った。をみなえし さかりの色を 見るからに 露のわきける 身こそ知らるれ女郎花の盛りの美しい色を見ますと 露がわけへだてをして置いてくれないわたしの容貌の衰えが思い知らされますおお早いと、にっこりされて、殿は硯を取り寄せになる。白露は わきてもおかじ をみなへし こころからにや 色の染むらむ白露はなにもわけへだてしているわけではない 女郎花はじぶんの心から美しくなろうとしているからだろう 女は心の持ちようで美しくなれるよ女郎花を見せる趣向や歌のやり取りは、単なる主人と女房の関係かそれともそれ以上の関係か?
2022.09.02
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「朝の露もまだ落ちない頃」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。東の対では斎祇(さいぎ)阿闍梨が、西壇の大威徳明王(だいいとくみょう)を礼拝して、腰をかがめている。女官たちが出仕してくると、夜も明けた。朝露の女郎花(おみなえし) 渡り廊下の戸口の傍のわたしの部屋で外を眺めていると、うっすらと霧がかかった朝の露もまだ落ちない頃なのに殿(藤原道長)が庭を歩かれて、御随身(みずいじん)を呼ばれた。遣水のごみを取り除かせられ、渡殿の橋の南側にある女郎花が真っ盛りなのを一枝折って、几帳越しにわたしに見せられるお姿はこちらが恥ずかしくなるほど立派なのにくらべ、わたしの寝起きの顔のみっともなさが思い知らされる。
2022.09.01
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「立派な唐風の橋をいくつも渡る」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。後夜(明け方の勤行)の鉦を打ち、五壇の御修法(五大明王にあげる祈祷)の決まりの勤行が始まった。われもわれもと声を張り上げている伴僧の声々が遠く近く響きあって聞こえてくるのは、荘厳で、尊い。 観音院の僧正が、東の対から二十人の伴僧を率いて、寝殿へ御加持に行かれる足音で、渡り廊下の床板がどんどんと踏み鳴らされるのさえほかのときの雰囲気とは違っている。法住寺(ほうじゅうじ)の座主は馬場殿へ、浄土寺(じょうどじ)の僧都は文殿へと、お揃いの法衣姿で、立派な唐風の橋をいくつも渡って木々の間を見え隠れしながら帰って行く時も、ずっと見ていたい気がして感慨深い。
2022.08.31
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「十二人の僧が中宮の安産祈願」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。土御門邸(左大臣藤原道長の邸宅)の景観描写。道長の長女彰子中宮は七月十六日夜から里下りしている。二十一歳で妊娠九ヶ月の身重。十二人の僧が中宮の安産祈願のため、大般若経・最勝王経・法華経を読誦。この「紫式部日記」の冒頭のように、紫式部には、現象に従う心情と本質を見通す理性と二つの事柄に存在している。五壇の御修法(ごだんのみずほう) まだ夜深いころの月が曇って、木の下が暗いので御格子を上げましょうと言うが、女官(下級の官女)はまだ控えていないでしょうと、女蔵人が上げてなどと言い合っている。
2022.08.30
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「紫式部日記」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。 紫式部日記は、寛弘七年(1010)頃、寛弘五年(1008)の敦成親王の出産関係の記録を中心に寛弘七年の記事を一部加え消息文を書いた。しだいに涼しくなってきている風の様子に、外から庭に水を引き入れる。いつもの絶え間ない遣水の音が夜通し読経の声と混じりあって聞こえる。 中宮さま(藤原道長の長女彰子中宮)も、おそばにお仕えする女房たちがとりとめない話をするのを聞いていらっしゃる。妊娠九ヶ月の身重で苦しくしい筈なのに、さりげなく隠しておられる様子などが立派である。今更称えるまでもないが辛い事の多い世の中の慰めには、この素晴らしい方には求めてでもお仕えすべきだ。日ごろの塞いだ気分とは打って変わって、例えようもなく全ての憂いを忘れているじぶんは、考えてみればとても矛盾している。
2022.08.29
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「紫式部日記」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。紫式部に限らず日記であるからどのような内容を書いても構わない。厳しい批評を書き綴った日記を和泉式部は見ていないだろう。後世の文学者により掘り起こされ見られる点がおもしろい。土御門邸の秋―寛弘五年(1008年)七月中旬 秋の気配が深まるにつれて土御門(天文道・陰陽道をもって朝廷に仕えた)土御門(つちみかど)のお邸(左大臣藤原道長の邸宅)の様子は、言いようもなく風情がある。池のあたりの木々の梢(こずえ)や、遣水(やりみず)のほとりの草むらはそれぞれ一面に色づいて、およそ空の様子も美しいのに引き立てられて僧たちの不断の読経の声々も、いっそうしみじみと身にしみる。
2022.08.28
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「紫式部日記」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。人より特別に勝れようと意識的にふるまう人は、かならず見劣りし将来は悪くなるばかりだし、風流を気取る人は、ひどく寂しくつまらない時でもしみじみ感動してるようにふるまう。興あることを見逃さないようにしているうちに、しぜんと見当はずれの浮薄な態度にもなるだろう。そういう軽薄になってしまった人の最後がどうしてよいことがあろうか。清少納言 清原元輔の娘。一条天皇皇后定子に仕えた才女で枕草子の作者。晩年は不幸落魄の身。既に『枕草子』を著して才女として名高い清少納言を痛烈に批判している。
2022.08.27
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「紫式部日記」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。赤染衛門(あかぞめえもん)の歌が百人一首59番に、私家集四のやすらはで 寝なまし物を 小夜更て かたぶく迄の 月を見し哉あなたをお待ちするうちに夜が更けてしまい、とうとう明け方に西に傾こうとする月を眺めてしまいましたためらわずに寝てしまえばよかったのに貴方をお待ちして夜明けが来て沈むまで月を見ておりましたとの歌が詠まれてこの歌も当たり前のことを詠っただけで秀歌とはいえない。清少納言こそ、得意顔に偉そうにしていた人。あれほど利口ぶって漢字を書き散らしているけれど、よく見れば、まだ至らないところが多い。枕草子を思って批判しているのかと仕えた相手も時期も違い面識もない。
2022.08.26
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「紫式部日記」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。赤染衛門(あかぞめえもん)道長家女房。大江匡衡(おおえのまさひら)の妻歌人で三十六歌仙の一人。栄花物語(えいがものがたり)の作者と伝えられる代わらむと 祈る命は をしからで さてもわかれんことぞ悲しき (『詞花和歌集』雑下362)(息子に)代わり、死んであげたい、と祈る私の命は惜しくはないけれどその祈りが叶うなら(息子の大江挙周と)別れることになるのは悲しい。大江 挙周(おおえ の たかちか)は平安時代中期の貴族で赤染衛門の子。赤染衛門集には六一四首の歌がのっているが、紫式部は私の琴線(きんせん)に触れる秀歌といえる歌はない。琴線とは人の心の奥に秘められている真情。和泉式部の歌は難解だが心に迫るものを感じるが、赤染の歌を読んでいくうちに気づいたのは、赤染の歌には代作が多いから歌が真に迫らないのではないかということである。
2022.08.25
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「こっちが恥ずかしくなるような」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。丹波の守 大江匡衡(おおえのまさひら)の北の方を、中宮さまや殿のところでは、赤染衛門(あかぞえもん)と言っており天暦10年(956年)長久2年(1041年)平安中期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。歌は格別優れているわけではないが、じつに風格があり、歌人だからといってすべてにおいて詠み散らすことはしないが、世に知られている歌はすべてそれこそこっちが恥ずかしくなるような詠みっぷりである。それに対し、上の句と下の句がつながらない「腰折れ歌」を詠んでなんとも言いようがない気取った事をしても、自分こそ優れた歌人だと得意がってる女人なので、憎らしくもあるが、気の毒にも思われる。
2022.08.24
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「紫式部日記」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。これに対して、紫式部の歌は、澄める池の 底まで照らす かがり火に まばゆきまでも うきわが身かな澄み切った池の底まで照らす篝火のまぶしさまで 憂いに満ちた暗いわが身が 引き比べられて辛いことだ。 藤原道長邸の栄光を見るにつけても、紫式部はそれを単純に「めでたい」などとは思えない。篝火(かがりび)の光の中に闇を見てしまう。まばゆきまでも うきわが身かなと嘆くのは、紫式部独自の人生観である。和泉式部の歌は恋を情熱的に歌い上げ、紫式部の文学は華やかである。また紫式部は輝きの中に不幸な闇を見てしまう。歌人と物語作家の歌は、交換不能の秀歌といえる。
2022.08.23
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「紫式部日記」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。 夢にだに 見で明しつる 暁の 恋こそ恋の 限りなりけれ夢でさえ恋人の姿を見ることができないで明かしてしまった暁 この恋こそ 悲しい恋の極みだろう和泉式部畢生(ひっせい)の名歌である。初句から三句まではゆったりと運び、四句から結句までこいこそこいのかぎりなりけり、とカ行音を駆使している。たたみかけるようなリズムは、和泉式部の直情的、情熱的な心情をあますところなく表現し、しかも結句「限りなりけれ」で急転直下修復不能な嘆きに変わる。
2022.08.22
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「紫式部日記」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。和泉式部は口から自然と歌が出てくるような、そんな感じの歌人。こっちが恥ずかしくなるような素晴らしい歌人とは思えない。(森林公園には2400mまで100m単位で描いてある)和泉式部 越前守大江政致(おおえのまさむね)の娘。情熱的な歌人で三十六歌仙の一人。中宮彰子への出仕は寛弘六年の初夏ごろ。紫式部と和泉式部は、歌においてはまさに対極にあるといえる。例えば和泉式部はこう詠う。夢にだに 見で明しつる 暁の 恋こそ恋の 限りなりけれ夢でさえ恋人の姿を見ることができないで明かしてしまった暁 この恋こそ 悲しい恋の極みだろう
2022.08.21
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