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バナウェは、バギオの東北に位置する町で、そのライステラス(棚田)で有名である。1995年にはユネスコの世界遺産に登録されている。
「バギオからバスでどのくらいかかったのだろう?」と調べてみると、7時間から9時間ほどバスに揺られなければならないようだ。距離的には、「マニラ-バギオ」間よりはかなり近いような気がするが、その辺は道路事情がかなり違うのだろう。今では全く記憶にない。
さて、ここバナウェではユースホステルに宿泊している。かなり立派な建物だったような記憶がある。現在でも存在しているようで、ネットで調べてみると「 バナウェホテル・ユースホステル 」となっているので、ホテルも兼ねているために規模が大きかったのかもしれない。
それで、今でも鮮明に覚えているのだが、この「 バナウェホテル・ユースホステル 」は町の外れにあって、そこに行くには町の中心地、つまり、バスターミナルから少し歩かなければならなかった。「歩く」ということに関しては、何十分も歩くわけではないので特に問題はなかったが…。
問題は、犬であった。野良なのか、放し飼いされた犬なのかは分からなかったが、とにかくけたたましく吠えられた。ただ、遠くから吠えられる分には一向に構わないのだが、鎖などでつながれていないわけだから、「あいつはよそ者だ!」と分かると、走って近寄ってきて数匹に囲まれる始末である。
実は、事前情報として、フィリピンは狂犬病の発症率が非常に高い国であるということを得ていた。その辺の事情は現在でも変わらないようだ。よって、旅行前には狂犬病と肝炎の予防接種は済ませておいた次第である。
だからと言って、「噛まれてもへっちゃら!」などと言う気持ちにはもちろんなれない。目の前で吠えかかっている犬に対して、「シッシ、あっち行け!」と追い払うこともできないし、ダッシュでもして突破しようものなら、足をガブリとやられることは容易に想像ができた。こういう場合は全く無力である。ただ、立ち尽くすしかなかった。それでも、「このよそ者!」と言う感じでひとしきり吠えると、飽きたのか民家の方へ戻って行ってくれた。
犬たちの後姿を見て、思わずため息ものである。「やれやれ」と胸をなでおろして、再び歩みを進めた。すると5分も歩かないうちに建物が見えてきた。チェックインを済ませた後、荷物を下ろしてフロントに戻ると、「食事は町の食堂でとってくれ」とのこと。つまり、それは、またあの犬たちに囲まれなければならないことを意味する。気が重くて仕方がなかった。
名ばかりの食堂に置かれたイスに腰掛けて「さて、どうしたものか。1食抜くという手もあるが…」と、少し落ち込んでいると、一人の西洋人が「ハイ!」と声を掛けてきた。最初は、「どこから来たの?」とか、「バナウェには何泊の予定なの?」など、初めてあった旅人同士にありがちな内容のものであったが、私が、先程の犬の件のことを話すと、「それだったら一緒に食べに行こう!」と声を掛けてくれた。
彼は、確かデンマーク人だったと思ったが、マニラからフィリピン人のガイドとドライバーの3人でバナウェまで来ていて、「ちょど、これから町に食事に行くところなんだ」ということであった。私にしてみれば、「断る」理由などは全くないわけで、「サンキュー」と言ってお言葉に甘えることにした。
しかし、どうでもいいが、その車はもの凄い旧型のメルセデスで、「ちょっと、フロントライトが故障しているから、この懐中電灯で前の道路を照らしてくれ!」と手渡され、ドアから身を乗り出して懐中電灯で前の道路を照らさなければならなかったのを記憶している。
食事中に、「明日はライステラスを見学してマニラに戻るので、乗って行くか?」という提案をしてくれたので、再びお言葉に甘えることにした。もちろん、それは「タダ」の訳はなく、結構払ったように記憶しているが、フィリピン人のガイドがいたお陰で、ライステラスを所有する農家の家屋などを見学することができたので、それなりに満足はしている。しかし、私が払ったお金は、ガイドと運転手で山分けしたのであろうか…。
⇒ 上段の真ん中の写真と同じアングルで撮った現在の写真(トタン屋根が目立つ)
⇒ 違うアングルだが、現在の集落の様子が分かる写真を掲載しているサイト
※上の張りつけたサイトでは、もしかしたら下にスクロールする必要があるかもしれない。