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ぽかぽかぽかぽか陽気が続き、さくらも満開路線を驀進中週末はお花見に行かれる方も多いのではないでせうかそこで、今回は、「さくらがむかえた自衛隊」を再掲いたします初掲載時とは違い、イージス艦あたご事件により揺れている昨今ぜひとも、自衛隊の方々には自分たちで襟を正す姿勢をみせていただきたく願いますそして、わが国民は、そんな自衛隊を厳しく、愛をもってサポートしようではありませんかそれでは、「さくらがむかえた自衛隊」・・・どうぞカンボジアで共産党政権下の時代、独裁者ポルポトが引き起こした大虐殺は 人口の約三分の一を減らしたほどの、苛烈きわまるものであった 内戦状態のカンボジアに国連が介入し、収束、新憲法が制定された このとき国連代表「明石康」氏がUNTACを結成、派遣し、平和維持活動 を行った、そして日本の自衛隊と文民警察官も派遣されたのだ・・・ 1992年、自衛隊の派兵に反対する社会党は文民警察官を多く取り入れるよう に提案、そして与党側に対抗するため牛歩戦術に打って出た 復興支援の自衛隊と選挙監視などの命を受けた文民警察官たちは、閣僚や議 員に見送られることなく、ひっそりとカンボジアへ向かった ただ、地元の住民たちは「自衛隊、がんばれよ」と旗を降り、子供たちも見 送ったのだ、自民党宮沢政権、河野官房長官、1992年のことである カンボジアの自然は予想をはるかに上回り、過酷で彼らを苦しめた 連日の40度超え、スコール、そんななかただひたすら黙々と、橋をつくり道 路をつくり、インフラ整備を着々とこなしていく自衛隊員に現地の人々も驚 嘆と称賛の声を贈っていた、彼らは、子供たちに勉強するようにと本を渡し たり、薬をあげたりと少しでも住民の信頼を得ようと常に日本国の自衛隊員 としての誇りを持ち、PKO活動を続けていたのだ そんなある日、ピースボートが現地入りをした、ピースボートとは訳してそ のままの「平和の箱舟」を自認する平和市民団体である、現社民党議員辻本 清美がいたことで、名前くらいは知っている人も多いのではないだろうか 厚化粧でブサイク面を隠し、くさい香水をプンプンふりまきながらやってき た彼女たちは、道路整備につかう土砂山をみて、この土砂をとることによっ て自然環境に影響はないのかとしつこく質問し、いま現地の人々が困ってい ることなどおかまいなしという感じでまくしたて、さらに隊員の食事を勝手 にご馳走になり、とどめにコンドームを持っているかと、隊員の胸ポケット を指差しながら、ねちねちといじめたのだ これは、おそらく政府が隊員に性病保護の観点から渡した避妊具という報道 を真に受けていたのだろう、真相はとある避妊具会社が自衛隊員に渡して欲 しいと寄付をしたのだが、これを政府は公式に断っているのだ そして極めつけに彼らは次のような旗をPKOの門の前で掲げた おーい! 帰ろうよ! 軍隊でカンボジアの平和は生まれない日本軍=自衛隊の海外派兵反対! 残念なことにこの期間にふたりの方が共産ゲリラにより命を落とした、選挙 支援に携わったボランティア青年の中田厚仁さん、文民警察に従事した高田 晴行警視である、軽武装であり文民を全面に押し出せと主張し続けた社会党 は翌年この問題で発言したしていないとひと悶着、このPKO活動地域に視 察のため足を踏み入れた某社会党議員は、牛歩戦術のときには想像もつかな かったほどの早足で汗をふきふき炎天下のカンボジアをあとにした・・・ 元旦、自衛隊は「ジャパンフェスティバル」と称し、模擬店を開き、現地の 人々を迎え入れた、しかし会場中心がざわついている、ゲリラか?? そこには三人の招かれざる客が横断幕を持って立っていた 「自衛隊は帰ろう 明日の日本はこれで良いのか市民連合」 自衛隊員帰国の日が来た、彼らこそが一番この日を待ち焦がれていたのだ 家族に電話する国際電話料金だってバカにならない、もちろん国は出して くれないのだ、平和を愛する市民連合がもってくれればいいのに・・・ 送迎すらしない日本政府にも野党にも、市民連合にも冷たくされた自衛隊、 彼らの地道な活動は誰からも評価されることなく終わっていくのか いや、そんなことはあるまい、灼熱の中、インフラ整備に尽力し、地雷を 撤去し、住民との連帯感を深めるために「盆踊り大会」を開き、飯をともに し、子供たちとふれあった彼らの行動は、現地で最大限の評価を受けている のだから 最後に、今回の記事の参考文献のひとつとして使用させていただいた宮嶋茂 樹著、「ああ、堂々の自衛隊」の最後の文面を抜粋して掲載しておこう (帰国した)部隊はバスに分乗し、それぞれの原隊へと帰っていった。 アメリカであれば、あの湾岸戦争の後のように、ニューヨークの紙吹雪 の中を凱旋パレードするのであろう。それに比べると、自衛隊の凱旋に は首相すら来ない。しかし、部隊の車には紅の花吹雪が降り注いだ。 朝日に匂う桜花。 それは、隊員たちの労をねぎらって天が降らせているようであった。 いま現在、テロ特措法(新法)で押し問答を続けている我が日本であるが 現地に向かう自衛隊は日本国の代表としての誇りをもって、地道に真摯に 活動を続けてくれることだろう、危険を承知で彼らは軽武装で乗込むのだ 「文民統制」と偉そうに論じられる国会議員の先生様方、どちらに転ぶに せよ、命をかけてこの法案を論じて闘って欲しい 余談だが、自衛隊がカンボジアから帰国した時期は、通常なら桜は散ってしまう頃だったのだが、この年はなぜか桜の開花も遅く、散るのも遅かった。 国花「さくら」は、彼らを見捨てなかったということだろう、(涙) 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月25日
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インドに拠点を置く非政府組織(NGO)チベット人権民主化センターは20日、中国四川省・アバ県で16日に起きた暴動で23人が死亡し、この中に16歳の少女が含まれていたと発表した。同センターは、14日のチベット自治区ラサの暴動発生以来、各地のチベット民族の死者は少なくとも70人に上ると述べた。 一方、中国外務省の秦剛・副報道局長は20日、国営通信新華社を通じて声明を出し「チベット独立派」が中国の在外公館を襲っていると非難、これまでに、欧米などにある17公館が攻撃を受けたと述べた。 中国当局は20日、新華社を通じ、アバ県のデモ隊への発砲で負傷者が出たことを初めて認めたが、これまで抗議参加者に死者が出たことは確認していない。 同センターによると、死亡した少女は地元の学校の学生。当日数千人が「チベット独立」などを叫んでアバの街をデモ行進した際に警察が発砲し、死亡した。北海道新聞 「ほかの国だって同じことをするはずだ!」-。中国チベット自治区ラサで起きた暴動にからみ、中国外務省の幹部が20日の定例会見で各国メディアの質問に“逆ギレ”回答を連発した。「一部の報道は不公正だ」と暴動現場の“報道規制”を正当化。デモ隊側の死傷者数も明らかにしなかった。中国側の冷静さを欠いた対応に、各国で北京五輪への不安感がさらに高まりそうだ。◇ チベット自治区を皮切りに四川省や甘粛省など各地に抗議デモと治安当局による鎮圧が拡大する「チベット騒乱」。イライラが募ったか、中国外務省の幹部が定例会見でキレまくった。 会見したのは秦剛副報道局長。イタリア人記者がローマ法王ベネディクト16世が「対話の道を選ぶべき」と憂慮の念を示したことについてコメントを求めると、いきなり激高した。 「イタリアのジェノバで警察がデモ隊に何をしたのか、振り返ってみたらどうか」。質問には直接答えず、2001年にジェノバで開かれた主要国首脳会議(サミット)で起きた衝突でデモ参加者が警察に射殺されたことを例に挙げる形で逆質問。「暴力を容認したら法も人権もない」と、あくまで暴動鎮圧の正当性を主張した。 ポルトガル人記者が「捜査状況は」と問うと「アナタの国で暴動が発生したらどうする。警察は何もしないのか? 同じ措置を講じるはずだ」とたたみ掛ける。日本人記者が「平和的デモなら認めるのか」と質問すると、「憲法を読めば分かるだろう。言論の自由はあるが(言論の範囲は)関係法に合致している必要がある」と強調した。 さらに米国テレビ記者が「なぜ現場に記者を行かせないのか」と批判すると、「一部の報道は客観的ではない。不公正だ」と猛然と反論。「そのような報道なら現地に行こうが行くまいが関係ない」。ほとんど“ケンカ腰”状態だった。 一方でラサ市でのデモ隊側の死傷者数は「状況を把握していない」。ラサ以外の死傷者も「分からない」と客観的データを示さず。ダライ・ラマ14世については「チベット独立を放棄していない」として対話を拒否する構えを明確にした。 ラサ暴動についてラサの検察当局は20日、24人を逮捕したと初めて発表。幹部は「ダライ・ラマ一味が組織し綿密に計画した」と述べた。国営の新華社通信は市民13人が死亡し325人が負傷、被害は2億元(約28億円)と伝えたが、デモ参加者側の死傷者の有無は報じていない。サンスポ 中国外務省の秦剛報道官は20日北京で、ダライ・ラマの企む分裂の本質を見極め、如何なる方式であろうと、ダライ・ラマ及びその分裂活動に支援を提供しないよう国際社会に期待しました。 これはこの日の記者会見で述べたもので、秦剛報道官は、「最近ラサで発生した重大な暴動事件から、ダライ・ラマ一味の分裂を企む実質が暴露された。社会の安定を破壊し、分裂を作り出そうとする如何なる企みも人心を得ることができず、必ず失敗に終るだろう」と語りました。 秦剛報道官は、さらに「中国政府は責任を持つ政府であり、世界の平和と発展に終始尽力してきた。世界の如何なる国もチベットのいわゆる亡命政府を承認してはおらず、世界のすべての国は中国との友好協力関係の発展を主張しているが、これは大勢の赴くところだ」と述べました。CRI 中国共産党チベット自治区委員会のトップ、張慶黎書記は18日、同委員会と自治区政府の合同会議で、ラサで14日発生した暴動について「ダライ・ラマ集団が北京五輪の失敗と自治区の安定破壊を狙って画策した」と指摘、暴動参加者を徹底的に取り締まる方針を強調した。地元紙チベット日報系のウェブサイトが19日伝えた。 張書記はチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世らの活動を「チベットでの共産党の指導を否定し、社会主義制度を覆すのが目的」とし、ダライ・ラマ側と「生きるか死ぬかの血みどろの戦い」を続けていると強調。自治区内の各機関や団体も動員して取り締まりに当たる考えを示した。(共同)武力無き正義は、無力に等しいいまこそ、社民党、共産党のような脳みそお花畑論者はチベットを助けに、非武装デモ行進を現地でやってみろチベットがアウトで、台湾が生き残っている理由を考えろ 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月21日
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チベットでは、いまも厨獄狂燦党による理不尽な大量虐殺、人権弾圧が続いている 情報統制もおこなわれ、さらに日本人観光客への圧力もかけられているようだ温家宝はダライ・ラマとの対話の用意はあるが、条件としてチベットの独立放棄をあげてきた大東亜戦争に入る前のことであるわが国が、ABCD包囲網により経済的に苦しい状況に陥ったときがあった各国が日本の息の根をとめようと画策しているとき、中立国であったチベットはわが国に対し、同じ仏教国が困っているという理由だけでアメリカに送るはずだった羊毛を日本へ送ってくれたのださらに、武器弾薬補給線である援蒋ビルマルートを遮断された連合国側が、援蒋チベットルートを確保しようとルーズベルトは特使をチベットにおくったのだが、これを日本と国交を有する中立国という理由でチベットは断った戦後、敗戦国である日本寄りの政策をとったとして、チベットは準敗戦国という処遇を受けることになるそして第二次世界大戦の勝者の席に中国が座ったことは、彼らにとっての最大の悲劇であったのだここまで書けばわかるであろうわが国の政府が、なにをすべきかは言わずもがなである! 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月20日
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チベットで、中国狂散党による人権侵害がいまだに続いている実は、約二年前にラサでの一斉蜂起を記事で取り上げたが、このときは、いまよりもさらに小さな扱いで、ブログ自体で取り上げる人々もわずかだったあのときの日記には、中国によるチベット侵略と日本で妄言を吐く、日中友好人間たちの醜い姿を一部、御紹介した チベットをなんとかせよ!読んでない方は、ぜひとも一読願いたい二年前の三月は、他に小泉首相の後任を予測し、安倍さんと福田さんが首相になったらと銘打って、記事を書かせていただいた福田氏が首相になる日 1福田氏が首相になる日 2現実は、安倍 ー 福田の順となったが、揺れるガス田問題で書いたように、福田の媚中ぶりはむごいチベット問題を国会議会で人権問題で取り上げていない国はサミット主要七カ国のなかで、日本だけ・・・北京五輪とチベット人権問題、このふたつは密接にリンクしている果たして、いまのままで、北京で五輪を開くべきなのであろうか*最近、再掲が多いと言われますが、決して手抜きではありませぬ 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月18日
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5「お父さん、お父さん、あの本取ってよ」「あの本? こんなのうちにあったんだなあ」 啓太は背伸びをして本棚の上のほうに置いてある一冊の本を手に取り、息子に手渡した。 「どうするんだ、この本」「うん、学校の宿題で読書感想文を書くんだ、お父さん、ありがとう」 正午をまわった頃、息子が二階から足早に降りてきた。 「お父さん! クローバー、四葉のクローバー!」「どうした、シロツメクサなら庭にたくさん咲いてるぞ」「違う違う! 本から出てきたんだよ」「えっ?!」 啓太の前にそっと差し出された息子の右手の上には、綺麗な四葉の押し葉がのっていた。 (そういえば、この本・・・) あのクローバー事件の約二ヵ月後のことだった。 図書係の文也がうれしそうに啓太のほうへ走り寄り、一冊の本をぶっきらぼうに差し出した。 「啓太、おまえこの本読みたかったんだろ」「あっ、うん、ありがとう! どうしたのこれ」「今日、図書室に返ってきたんだ、オレ、まだ本の整理があるから」 (あのときの本・・・) 「ちょっと、その本を貸してごらん」啓太は息子から手渡された本をパラパラとめくり、最後のページに差し込まれている図書カードを抜き取った。「五月二十二日 小林文也」「五月二十九日 小林文也」 ・ ・「七月 十七日 小林文也」 「七月二十四日 矢島啓太」(あいつ、オレに貸すまでずっと持っててくれたんだ)啓太はクローバー事件のあとから、ぎくしゃくしたふたりの仲が快方に向かった二ヶ月の間、自分のためにずっと、この本を借りていてくれた文也の心遣いがいたいほど胸にしみた。啓太は四葉の押し葉を和紙に包み、胸のポケットにしまった。 「お父さん、午後からキャッチボールの約束でしょ」「うん、そうだったな」ツクツクボウシの声が響き渡る原っぱに着いたふたりは、キャッチボールをはじめた。何球目だっただろうか・・・「あっ! お父さん、ごめん」小さな白い花の咲く緑の絨毯の上で一休みしているノーコンピッチャーの投げた白球は、啓太を懐かしい場所に招待した。「シロツメクサ・・・」啓太は胸のポケットから四葉の押し葉を丁寧に取り出し、シロツメクサが生い茂る緑の海原にそっと沈めた。「お父さ~ん、早く早く」息子が右手をぐるぐる回して呼んでいる。朝方に降った雨がこしらえた小さないくつもの水たまりには、真っ白な入道雲がゆらゆらと浮かんでいて、時の流れを操っているかのようだった。ツクツクボウシの声がひときわ大きくなった。今年の夏も、もう終わろうとしている。完 缶 艦 寒 ぷっ*この短編小説を書いているとき、この曲が 頭の中を駆け巡っていました。第一話「宿題」はこちら第二話「レンゲ」はこちら第三話「クローバー」はこちら第四話「教室」はこちら 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月14日
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4「はい、みんな、宿題を出してください」 先生の甲高い声が、教室中に響いた。 児童たちは宿題の押し花を机の上に出した。どの児童も、他の作品が気になるのか、チラチラと隣や後ろを覗いている。 やはりというか、チューリップが圧倒的に多く、教室がチューリップ畑になったようだ。 教室のざわめきが少しおさまった頃、ほとんどの児童たちは、啓太のほうを見ていた。 先生もゆっくりと啓太の席に歩を進めた。 「あら? 啓太博士はクローバー?」 先生の声は、明らかに期待を裏切られたトーンである。 児童たちも立ち上がり席を離れ、啓太の席のまわりを囲み、不思議そうな顔で机の上に置いてあるたくさんのクローバーの葉の押し葉を見つめていた。 啓太は、うつむいて黙っていた。 その後ろ斜めの席には、同じようにうつむいて黙っている文也がいた。次回、最終話です第一話「宿題」はこちら第二話「レンゲ」はこちら第三話「クローバー」はこちら 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月13日
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3「文ちゃん、宿題はレンゲの押し花にするの?」「違う違う、オレはこれにする」 文也が指差す先には真っ白くてかわいい花が並んでいた。 「ん? シロツメクサの花?」「違うよ! 啓太、よく見ろよ」 文也は小さな葉っぱを指して、啓太の目の前で四本の指を大きく広げた。 「ああ、葉っぱのほう? クローバーだ、四葉?」「うん、四葉のクローバーを探すんだ」 文也はしゃがんでクローバーを摘みはじめた。一枚千切っては、これじゃない、さらに一枚千切っては、あれじゃないと、ぶつぶつ言いながら探している。 どれくらい時間が経ったのだろうか、陽は少し傾き、大きな桜の木の影は、背がのびてスリムになっていた。 「文ちゃん、どう? 見つかった?」 夢中で探している文也のまわりには、たくさんの三つ葉のクローバーが千切り捨てられていた。 啓太は、少しさびしくなり、そっとそれらを集め、袋に入れ始めた。 「おい、啓太、それ、三つ葉だぞ」「あ、うん、知ってるよ」「四葉じゃないと、幸運は来ないんだぞ」「でも・・・三つ葉も葉っぱだから」「おまえなあ、三つ葉じゃ幸運は来ない・・・」 啓太は文也の言葉をさえぎるように少し声を荒げて言った。 「四葉も三つ葉も、同じ葉っぱだから!」 文也は最初はきょとんとしていたが、啓太の言いたいことがわかったのだろう、バツが悪そうに、口笛を吹きながらお地蔵さんのほうへ走っていった。第一話「宿題」はこちら第二話「レンゲ」はこちら 一 夢 庵 風 流 日 記 花粉が・・・舞っています・・・
2008年03月12日
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2クラスメイトの何人かはすでに原っぱで花を採集していた。 いつもはポツンとひとりぼっちで立っているお地蔵さんのまわりが、今日はやけに賑わしい。 それもそのはず、数ヶ月前に学級会で原っぱの一角にチューリップを植えることを決めたのだが、それがちょうどいい感じに咲いているのだ。 「啓太、いつもの場所に行こうぜ」「文ちゃん、チューリップなくなっちゃうよ」 啓太は自分が植えた真っ赤なチューリップを大切に育ててきた、学校帰りに、毎日のように寄り道をして、その成長の様子をひとりにんまりしてはお地蔵さんに会釈して帰っていた。 「いいから来いよ、また甘いのチューチューしようぜ」「・・・・でも・・・」 文也は大きく手を振り、手招きしている。 (ま、いっか) 啓太は、いつもの場所に向かって駆け出した、文也は華奢なレンゲの花を摘んで、スルッと花房をむいては、その甘い蜜を吸いはじめた。 文也にレンゲの蜜の吸い方を教えたのは啓太である。 啓太は、植物や昆虫が大好きで、これに関しては誰にも負けない自信があった。文也がニッコリ微笑んで美味しそうに蜜を吸っている姿を見て、啓太は少し優越感を感じていた。第一話「宿題」はこちら 一 夢 庵 風 流 日 記 桜の花が開くのを眺めながら桜和菓子をほおばりたい(笑)
2008年03月11日
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2006年3月10日の日記を再掲します昭和20年3月10日、東京は火の海に囲まれ、多くの民間人犠牲者が出ました。 これ以前に、1月23日には有楽町・銀座地区が空襲を受け、かなりの被害を受けましたがまだまだ元気な東京は、その後それなりの生活を楽しんでおりました。 3月9日も、昼間は何事もなく空襲警報に注意をしながらも、子供たちは走り回って暮らしておりました・・・そして、「悪魔」が東京を襲いました。3月10日に切り替わった零時七分、ゴーッという不気味な唸り声と共に、サイパンを飛び立ったB29爆撃機325機は東京に来襲しました。落下された「焼夷弾」は内部にM69というナパーム剤を含んでいまして、これが48個束になっており、空中で散舞するのです。 揺れをとめるリボンもついており、このリボンに火がつきますので、あのような「火の雨」が降ってくるように見えるのでした。米国は日本の家屋、畳・ちゃぶ台に至るまで自国で作り、もっともよく燃える焼夷弾を研究していたのですね、それはそれは恐ろしい絨緞爆撃でした。墨田区江東地区は二千トンの焼夷弾が次々に落とされました、米軍は、東西五キロ南北六キロの範囲に焼夷弾を落として火で取り囲み、人々の逃げ道を塞ぎました、そして一平方メートルあたり、三発の焼夷弾を落としてすべてを焼き尽くしました。人々は、取り囲まれた火の中で、苦しみながら死んでいきました。写真は、お母さんと子供でしょう、子供は絶命したあともお母さんの背中にヒシとしがみつき泣いたことでしょう、お母さんの背中の部分が白く見えることが、それを物語っております。たった一夜の三時間弱の爆撃で、死者十万人以上、負傷者十一万四千人以上戦災家屋は二十六万を超えました、あちこちに黒焦げの死体がありました。川も道も、死体で埋め尽くされたのです、前日までの光景とは一変しました。 「無差別爆撃」を命令したカーチス・ルメイ少将という人は、核爆弾を落とすことにも関与した人ですが、それまでの精密に武器工場などを破壊する空爆をやめ、たくさん殺そうよと作戦を立案して行った人です、当時の戦災を受けた方に聞いてみてください、「鬼畜ルメイ」と話してくださるでしょう。 当時の「ライフ」誌には、次のようにあります米国人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、ジャップに対しては憎しみが自然と湧いてくる。 これは、かつてインディアン達と戦ったときと同様に、自然なものだ。また、米国内では、日本の武器工場の位置などを正確に把握していましたが、日本人はもしかしたら隠れて家屋内で武器をつくっているかもしれないと噂を広め、納得して無差別攻撃を正当化して、このような作戦をすすめたのです。東京だけでなく、全国の方々、今日、一分間、東京の方角にあわせ黙祷を捧げてください、「苦しんで死んだ方々」に対し、少しだけ自分の時間を捧げてください、「公」の気持ち、よろしくお願いします。(あとがき)戦後、ルメイは航空自衛隊に対する貢献を評価され、佐藤栄作首相当時に勲一等旭日大綬章を受けました、日本政府は空襲よりも鬼畜ルメイを評価したのです、笑うしかありませんね。二枚目三枚目の写真は、当時警視庁のカメラマンだった石川光陽氏が撮影した現場写真であり彼は、GHQの提出命令を拒否してこの数々の写真を守り続けた方であります。 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月10日
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「はい、それじゃあ終わりましょう、宿題忘れないでね」「先生、さようなら」「啓太! 先に行ってるからな」「文ちゃん、待ってよ」啓太と文也は三年三組の同級生、学校の宿題で出された押し花をつくるために、近所の原っぱで花・葉を探そうと約束したのだった。「お母さんお母さん、今から文ちゃんたちと葉っぱ探してくる」「葉っぱ? 葉っぱなんてどうするの?」「うん、宿題、それより文ちゃんが来ちゃうよ、おやつ出して」「お~い、啓太、行こうぜ」外で啓太を大声で呼ぶ声がした、文也である。啓太は食べかけのバームクーヘンを口の中に突っ込んで、あわてて玄関に向かった。「お母さん、行ってきます」「暗くなる前に帰ってくるのよ、車には気をつけてね」靴のかかとを踏んだまま、玄関を飛び出した啓太は、右手をぐるぐる回して前を走る文也を追いかけ、原っぱに向かった。昨日の雨が道のところどころに水たまりをつくって、初夏の日差しがそれに反射し、ふたりを交互に照らしていた。第一話完全三~五話へ完結予定 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月08日
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かなり間があいたが、シリーズ東條英機を続けます日米交渉をめぐって陸軍大臣と対立し、近衛は内閣総辞職し、陸軍大臣 であった東條が首相となったことで、アメリカ側は戦争を意識する 近衛内閣は陸軍を抑え込むことが役割だったのだが、第一次~三次までで 陸軍の北支派遣を決定、国家総動員法制定、対支和平交渉を打ち切り、 基本国策要綱(大日本共栄圏の確立)を発表、大政翼賛会結成、 日独伊三国同盟締結、日ソ中立条約締結、帝国国策要綱(対米戦含む)を 御前会議で決定・・・ 国民に大人気だったプリンス首相は、組閣後、陸軍の言いなりになり 軍事予算は上昇、国民の生活は困窮していく、日本政治史上、もっとも 国民をがっかりさせた男といっても過言ではない 対米回避ではあったが、対支積極派だった近衛公は、二個師団派兵が決まった夜に、大パーティーを開いた 戦後に徳富蘇峰は次のように書いている 「公は、自らその責任の解除を努め、その責任を他に向かって、嫁せ しめつつある・・・自分は近衛公には向かっては、まったく失望した 到底同情したとて、援助したとて、物になる人ではないということを 諦めた」(徳富蘇峰終戦後日記) 戦後、GHQに擦り寄る近衛に対しマスコミ、国民の声は厳しかった 主張や思想もころころ変わる近衛文麿に居場所はなかった まだ総合誌だった頃の、「丸」に電力王松永の貴重な近衛評が載って いる、松永が第一次大戦後のパリ講和会議に出席する近衛に随員として お供し、相手を務めたときの話 近衛がパリのカフェで奢ると聞き、あの近衛公が奢るのかとビックリし 珍しいこともあるものだと感心してコーヒーを飲み、いざ勘定となった ところで・・・結局、松永が支払った また、ロンドンの高級娼婦と待ち合わせをしていたのだが、風邪をひい てすっぽかした、松永は女性のところに行き、謝りに行ったのだが、 実は、近衛は他の女のところへ遊びに行っていた、そればかりか、松永 が問いただすと平然としていたという、松永の近衛に対する感想は、 「この男はいかん、正直な男ではない」だった(1953/8号 「丸」) 遊びで来日したチャップリンに、公式の挨拶が無いとして無礼だと 公言した近衛文麿は、戦争末期、天皇陛下に、アカが軍を支配して日本 を共産化するために戦争を続けて皇室を潰そうとしているという奇怪な 論理で埋められた、「近衛上奏文」を手渡した そして、サイパン島が陥落した際に、東條内閣に対する世論が厳しくなったとき、このまま東條に内閣を任せ、全責任を負わせるのがよいと発言している 戦後、GHQから憲法草案を依頼される一方で戦犯に問われた近衛文麿 は、出頭命令期日の朝に青酸カリを飲んで自殺、世間の目は醒めていた*ところで、みなさんの携帯の着メロ(着うた)はなんですか? 慶次はソフトバンクのCMでお馴染みの、ヒラリー・ダフの唄う 「ミッキーマウス・マーチ」です♪ 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月04日
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福田首相は2日朝、千葉県勝浦市を訪れ、海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船清徳丸が衝突した事故で、行方不明になっている吉清治夫さん(58)と長男の哲大さん(23)の自宅で親族らと面会した。福田首相は「こういう事故を起こして申し訳ない」と謝罪。治夫さんと哲大さんの写真の前に座って手を合わせ、涙ぐみながら、「こういうことは二度としません」と約束したという。 玄関先に見送りに出た吉清治夫さんの親族らの前で、思いをつづった手紙を受け取った福田首相=2日午前、千葉県勝浦市川津で 親族らは「こういう事故が二度と起こらないようしっかりやってほしい。辞めたらいいというものではない。絶対に負けずに頑張ってもらいたい」と訴え、思いをまとめた手紙を首相に手渡した。asahi.comイージス艦「あたご」と清徳丸が衝突して、清徳丸の乗組員二人の生存が厳しい状況となった事故が起こって、かなりの時間が経ったここで事故の分析をしておきたいまず知っておいて欲しのが、互いに直進し衝突の危険がある場合、両者が面舵(右折)で回避することが原則となっているただし、これは絶対ではない、陸の道路と異なり信号があるわけでもなし道があるわけでもない海ではそのときの状況判断がとても大切であり、実際に慶次が船舶免許を取る際にお世話になった教官も何度も状況判断の重要性を強調しておられた下図を見ていただければわかるが、正面衝突の可能性は少なかったため金平丸は一度面舵、その後取り舵で回避している、しかし清徳丸はわざわざ面舵であたごの前に航路を取っている法律的にはこの行動は正しいが、死んでしまう行動が正しいとは当然いえないのだなぜ、清徳丸は直前で右に舵をきったのか?正直、理由はわからない、メディアではいろいろ言われているが、証拠はない軍艦に限らず大型船舶が進路を急激に変えることは出来ないため、警笛やライトで危険を知らせ、小型船が回避することが暗黙の了解になっている間違えて欲しくないのは、大型船舶は横着をしてそこのけそこのけと航海しているのではないのだ(ここまでは一般的な話)といま書いたが、実はあたごが警笛を鳴らしたか否かが非常に問題だあたごの乗組員は鳴らした、清徳丸の僚船の乗組員は聞いていない参考:読売新聞記事として真っ向から証言がぶつかっている正直、今回、多くの記事や情報を集めて記事を書いているわけではないので、情報をお持ちの方は、ぜひいろいろ教えていただきたいあたごは約10ノットで航行し、舵を動かさず*コリジョンコースに入っている、当直仕官が漁船団を認識している状況なら、一番安全な方法は、警笛を鳴らし、漁船に避けてもらうことだしかし、自動操縦をどこで解除したのか? 警笛は鳴らしたのか?実は、ぶつかってはじめて気づいたのではないのか?となると、明らかな人為ミスではないか?そう、ここが今回の事故の一番の問題だと思う、果たして漁船に気づいていたのか?もっと前に漁船団に気づいていれば、イージスが面舵をとり、それで問題はなかった、しかしあたごは直進したのだ、それも自動操縦で・・・この一連の行動は、自衛隊以前の問題だ、船乗りとして失格である余談だが、イージス艦は高性能のレーダーを装備しているのになぜ避けられないのかという疑問をあちこちで見るが、対空レーダー、対水上レーダーと航海レーダーをまぜこぜにしてはいけないここでは航海レーダーを使用、一般の貨物船が装備しているような汎用レーダーである、有事の際につかうレーダーと一緒にしてはいけない某国の工作船にやられるという意見もあったが、まず日本近海で海保に拿捕されて終わりだ、それを抜けたとしても、見張りがしっかりしていれば大丈夫、逆説的にいえば、今回のような見張り連携では駄目であろうそして、いま一番の問題は、大臣に報告があったのはいつだ?有事なんてないとたかをくくっているのではないのか?在日米軍は間もなく去り、わが国の有事には全面的に自衛隊が担当することになるのだが、その気概すらないのではないか?*コリジョンコース・・・衝突コースのこと 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月02日
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わが国でも、昨年の夏に内陸部で過去最高気温を記録したまた、局地的に激暑がいたるところで記録され、不都合な真実との融合効果で地球温暖化を懸念する声が大きくなった実は、暑くなった=二酸化炭素、という単純式を刷り込まされていることに冷静になればわかるであろう東京の平均気温はここ百年でおよそ三度の上昇、地球の平均気温の上昇率の5倍以上である、夏の熱帯夜の日数は三十年前に比して約二倍になった、では原因はなんだろうか?ヒートアイランド現象であるヒートアイランドの原因は数々あると推測されている、建物から出される人工廃熱や蓄えられた地熱の放出、そして風を通さなくなった建築物の増加・・・都市化計画の失敗風は川に沿って通り、周囲を冷やしていたのだが、都市化計画により、小さな川を潰し、曲げ埋め立てたために、風は止まった沿岸部の風を止めた代償は、内陸部にも影響を及ぼしていったここでひとつ注意したいのは、高層ビルよりも2~3階建ての建物のほうが熱を溜め込みやすいということだ、高層ビルはビル風が起こるし、建物と建物との距離幅が広く緑化にも適しているが、後者の建物は密集し壁面の熱放射が横の建物に反射し、放熱しないのだ慶次は地球が温暖化していることを認めているし、環境に注意を促すことに対して大賛成だが、原因は厳密に調査すべきだと思うわが国が人工活動で排出する二酸化炭素の排出量はいかほどだろうか?約13億トン、これは世界で第4位の排出量であるでは同じアジアのインドネシアはいかほどか? 約3億トンである実は驚くことにインドネシアは、この3億トンの他に20億トンもの二酸化炭素を排出している、この時点で世界3位の排出量である何が燃えているのか? 泥炭(ピート)であるウイスキー(それもシングルモルト)が好きな人ならすぐにわかるだろう、ピートとは石炭になりかけている木質遺骸のことだ乾燥させて燃料につかう場合もある、このピートがインドネシアでは二酸化炭素を排出する原因になっている農地開発で地下水位が低下し、泥炭が乾燥する、焼畑農業の火が山火事を起こし、乾燥した泥炭に燃え移り、地下で燃焼し続けるのだ国際湿地保全連合発表によると、07年10月だけで1200箇所の火事が起こり、年平均にすると火事による二酸化炭素排出量14億トン、乾季に活発化する微生物の分解排出による二酸化炭素が約6億トンとインドネシアを分析報告している当然だが、インドネシアの山火事系統を減らす努力のほうが、生産活動における二酸化炭素排出量を減らすより、簡単なことは言うまでもない 一 夢 庵 風 流 日 記
2008年03月01日
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