Innerview-インナービュー 内側から見た世界

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2004/08/03
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テーマ: こころの旅(60)
カテゴリ: カテゴリ未分類
大学生だった頃、一般教養で大脳生理学の授業を選択していた。


では、どこに人間の尊厳があるのか。
教授曰く、脳内の微弱電流、化学物質の作用にすぎないのに、人間は笑ったり、泣いたりしている。だからこそ人間は愛しいのだ。だからこそ価値があるのだと言った。
僕はまったく納得できなかった。
もし電気や化学物質の反応にすぎないのなら、人間は単なる機械と変わらない。にもかかわらず、だからこそ価値があるとはどういうことだ。僕には自殺を避けるための合理化としか思えなかった。

大脳生理学の教授は講義以外の時間は何をしているのか。
それは動物実験だ。猿の脳に直接電極を当てたり、マウスの脳幹を切除したりして、その反応を観察しているのだ。
科学的に分析していくことで、心のありかを探したけれど、そこには何も見つからなかった。あるのはただ特定の反応を示すシステムだけだった。


こうした機械論的人間観が一般的になることで、意味や尊厳は失われ、精神の輝きというものは幻想と見なされ、人はモノだと説明される。
人がただのモノであるなら、なぜ殺してはいけないのかと問われても、きっぱり答えるのは至難だろう。ただ利己的な遺伝子に乗っ取られて、拡大をつづけるだけの生物機械ならば、弱肉強食の原理で殺しあっていくのが運命だとしても驚くには当たらない。社会契約的な善悪はあっても、絶対的あるいは道徳的善悪は消えてなくなる。こうして人はすべての尊厳や意味を失い、寄る辺なく漂っているのではないだろうか。
コードマン

こうした機械論的人間観へのアンチとして、精神世界や疑似科学に接近していく人たちもいるのだと思う。
オウム真理教に惹かれた人たちの中には、そうした心情を持つ者がいたのだと思う。でなければ、あのような超能力のデモンストレーションに心奪われるだろうか。
僕には空中浮揚とスピリチュアリティに何の関係があるのかさっぱりわからない。たとえ本当に宙に浮いていたとしても、それがどうしたというんだろう。精神性とは何の関係もない。
しかし、ある種の科学的思考にとらわれ、同時にそうした思考に疑問を持つ人たちには、訴求するものがあったのかもしれない。
何せ万有引力のような基本法則に逆らうほどのこと成し遂げるのだから、よっぽどのことだ。ただその一点だけでも、現代科学の呪縛から逃れる突破口としては十分であり、その鍵は神秘主義の中にあると純粋にも信じてしまったのかもしれない。
だからこそ何十分も呼吸を止める実験のデータを取り、科学的に実証することに躍起になったりしたのではないだろうか。

そこには科学と非科学へのとらわれがあるように思う。
しかし、こうした試みは反動であるだけに、反体制という種子をすでに抱いていたのではないだろうか。





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Last updated  2004/08/03 06:54:30 PM
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Comments

森の番人@ なぜ殺してはいけないのか? 初めまして。『機械の中の幽霊』を検索し…
Aamin @ Re:忘れないでいたいこと(04/08) Ilaaさん 2億か~  本当に途方も…
Ilaa@ 忘れないでいたいこと 映画「みなさん、さようなら」で、大学の…
幸子@専務 @ 前世はチベット人? 子供の頃から世界の不思議が大好きでした…

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