ゲミュートリッヒな暮らし~Seit 2005

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大阪在住時代~「最後の証言者たち」

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大阪在住時代~「最後の証言者たち」


★阪急電車を毎日眺める生活で独特の感性を得たと思っている
 当時、阪急宝塚線蛍池から雲雀丘花屋敷まで電車通学しており、阪急電車は毎日乗っていた訳である。阪急電車と云えば、どれもこれもマルーン一色で、みんな同じ電車と思われがちだが、形式によってみんな微妙に違う。毎日乗って眺めていると、5000系と3000系の違い、2000系と1000系の違い、こんなレベルのことは瞬時に分かるようになる。車両によって室内の木目模様の色褪せ具合が違うことまで理解し、「今日は木目模様が綺麗な6000系に乗れたから幸せ!」などと思っていたのである。


 人生の半分以上の時間、乗り物のことばかり考えていたあの時代、時間が経つにつれて記憶も資料も散逸するばかりだったが、当時を偲ぶ貴重な「証言者たち」が実家に残されていた。いずれ処分(廃棄なり譲渡なり)される前に、資料として当サイト上に保存しておくことにしたので、此処で一挙にご紹介。ごゆるりとお愉しみ下さいませ。


「ぼく」を育ててくれてありがとう・・・


 阪急宝塚線に 中山寺 と云う駅があって、もちろん中山寺が目の前にある訳だが、母が安産祈願に行っていたことが分かった。実家を整理整頓していてたまたま見つけた。感謝と同時に「何十年も整理整頓されない状態で放置」されていたことに複雑な気分。


 小学校の通知表も出て来た。拙者について、担任の先生が「整理整頓がきっちりできます」と指摘しているのが怖い。よく見てたんだなぁ。


今も残る貴重な?コレクションを一挙公開!


 四十年は経過しているはずの 「工事中セット」 発泡スチロールのケースに収められていたから、傷が極めて少ない。でも外箱はボロボロである。箱に、工事現場の標識が解説されており、教育玩具のようにも見える。車や用具の縮尺が全然合っていないのも味わい深い。


国鉄特急「こだま号」 ~東海道新幹線開業まで、東海道線の主力特急でありました。映画「三丁目の夕日」で、ヒロミが東京から旅立とうとするシーンでも登場。拙者が買ってもらった当時も、次々と廃車になっていったと思われる。なかなか再現度が高い模型だが、ヒゲやJNRがシールで再現されているので、一部剥がれかけている。ちなみに、此の模型のシリーズは103系や新幹線など、国鉄車両ばかりであった。阪急6300系の模型もあったが、もっと小さいダイキャストモデルだったと記憶している(残念ながら現存しない)。


「通交重三」 のボンネットバス~既に当時だって、こんなの走っていないでしょう。 「んさ勢伊お」 と云う逆文字も味わい深い。金属製の重量感ある製品であります。後ろ側がシールで表現されているのが物足りないのだが、かなり綺麗な状態が保たれている。確かいすゞ自動車だったかも。


ミニカーもかなり遊んでました


日産スカイライン のシリーズであります。是もケース付きなので保存状態が良かった。青いケンメリの美しさに惚れ惚れする。赤と黒のスカイラインと云えば、西部警察車両でお馴染み。西部警察ファンは永遠に不滅だから、今でもミニカーが発売されているので、拙者は最近になって結構集めてしまったのであります。幼い頃の記憶は恐ろしい!一番恰好良かったクルマと云えば、当時のスカイラインやセドリックあって、其の気持ちは今も変わっていない。でも、そんなクルマはもう世に出て来ることは無いのであります。なので、いざ自分がクルマを選ぶ年齢になると、全く違い基準で考えようとする。是もまた時代の流れであります。


 石焼き芋やラーメン屋は、プラスチック部分が多い性か、損耗が少ない。当時としては、びっくりするほど凝ったミニカーだと思ってた。小学の時分、焼き芋のトラックは必ず近所を回っていたような気がする。テレビの影響で、焼き芋が好きなのは女だから、 焼き芋は女しか買っちゃいけない ものだと信じていた(笑)。其の割に、うちの母親は焼き芋を全く買わなかった。


 日産ディーゼルのクレーン車は、何故か全然傷が付いていない。ボロボロになったミニカー、全然綺麗なミニカー、何処でこんな差が付いたのかが未だに分からない。となりの東京都清掃局バキュームカーだが、お若い方は何のクルマか分からないかも知れない。水洗になっとらん家庭の汲み取りであります。ちゃんとホースが外れるようになってる。

 ちなみに、となりの画像は誰のサインボールなのか分からない。確か父親が持って来たのだが、本人に聞いても記憶が無いとのこと。恐らく阪急ブレーブスの誰かかも知れないと期待しながら保管している。


結局、芸術家にも研究者にもなれず~まぁ人生そんなもの


 どういう経過で買ってもらったのか忘れた。 顕微鏡と完成品プレパラート のセット。植物の標本は全然面白く無かったが、動物の標本はリアルで面白かった。両親は、拙者が何かの研究者にでもなると思ったのか(理系に進んで欲しいと思っていたらしい)。既に使われなくなって数十年が経過し、経年劣化も激しい為、廃棄を決断。何の役に立ったのか分からない物の廃棄は辛いものである。


 今になって改めて驚く。こんなのやってたのかと。小学弐年時に獲得したらしい「第八回絵画コンクール」の銅メダル。三菱広報委員会って云うけど、あんな大企業集団のやってるコンクールに入賞って、そもそも「何の繋がりでそうなったのか」今となっては詳細が不明。書いた絵の記憶はうっすらあって、深緑色のダンプトラック~よっぽど三菱ふそうの実車と似ていたらしい(笑)。受賞した時のことも実は覚えていない。表現者の第一歩を踏み出していたのに、事の重大さに気付いていないのは痛い。


既に聴いていたクラシック音楽






 自宅のリビングにありました。 ビクターのレコードプレーヤー が。レコードとラジオが一体化していて、本体下部にレコードを収納するスペースがあった。左右に独立したスピーカーが付属。レコードの針もスタートが手動だった。親から取り扱いを教わりながら、小学低学年ながらチャイコフスキーとかブラームスとか聴いていた訳であります。しかも、チャイコフスキーは「カラヤンの悲愴」を愛好していたとは、そら先が思いやられる訳である。

 チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、リヒテル演奏であります。渋過ぎる!ブラームスは交響曲第一番~是もカラヤンの演奏。音楽の基準はカラヤンで、カラヤンと比べてムラヴィンスキーは速いとかバーンスタインは遅いとか、後々そう云う音楽の聴き方をするようになったのも、あの時代の影響なのだろう。幼い時の記憶とは恐ろしいものがある。

 以上、大阪在住時代を偲ぶ、懐かしの品々をご紹介しました。

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管理者は大阪生まれの相模原育ち~地域リポート・旅日記の数々です。

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