ゲミュートリッヒな暮らし~Seit 2005

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相模原在住時代~政令指定都市になって少し誇らしい気分だったのも随分昔のこと

★サイトマップ&ご案内

相模原在住時代


★二十数年間お世話になった相模原市
 昭和五十九年参月、大阪の地を離れて移り住んだのは神奈川県相模原市でした。平成二十二年に札幌市に移住するまで、思えば気の遠くなるような長い長い「或る時代」だったと思います。当ブログの開始が平成十七年ですから、ブログとしての相模原時代は約五年ぐらいです。ブログやホームページの黎明期とも云える相模原在住時代、当時の記事や企画は、まだまだしょぼいレベルでした。今となっては懐かしの思い出となった、数々のネタをグダグダ語って行くとします。


相模原在住時代~懐かしのネタ


★阪急電車のレイアウトを製作!



 結局、大阪在住時代へのノスタルジーなんです。僅かB4サイズのレイアウトボードに、池田銀行、宝塚ファミリーランドに大劇場、いろいろ強引に詰め込んだ訳です。大劇場に入ったことも無かった拙者は、床が「赤色」であることも理解していなかった。こう云う未完成なところも味わい深い。 →詳しくはこちらから

★FMさがみ(83.9)~リクエストを流して呉れた!



 FMさがみと云うコミュニティFMをよく聴いていました。コミュニティFMですから、曲のリクエストを頼むと、結構流して呉れるんです(笑)。其れが面白かった!流して呉れた曲のCDです。だんだん懐かCDの世界になって来ました。

★勝手に「相模原検定」を作る!



 はじめは遊び半分でヤフー検定で作っていました。途中でサービスが終わってしまい、検定ごっこと云う媒体で再出発。暫く更新もサボっていたが、気付いたら700人を超える方に受検をいただきました。改めて感謝です。

相模原検定を勝手にやってます。


★それなりにいろいろありました・・・




→相模原在住時代のブログ記事はこちら


相模原在住時代とは何だったのか

 昭和59年3月~其れは拙者が小学参年の終わりの頃だった。父親の転勤で、是まで住んでいた 阪急沿線 を離れることになったのだ。転居先は、東京から幾らか離れた神奈川県相模原市。典型的な首都圏のベッドタウンで、其の没個性的な雰囲気に拙者もまた、大勢の中の誰かと云う存在に埋没しつつあった。皮肉なことに、創作意欲の頂点を極めたのが小学最後の「参年間」だったとは、やはり哀愁漂うのみ。チャイコフスキー「悲愴」を、人生のテーマ曲に選んだだけのことがある。


 恐らく人生最後の勲章と思われるのが、絵画コンクールでもらった↑である。描いたのは、 学校から眺めた団地の光景 。絵は校長室に飾られるからと云う理由で返して呉れなかった。そして其の学校自体が児童数の減少で廃校になってしまい、拙者の絵がどうなったか分からなくなってしまう。
 メダルと共にもらったのは、井上靖の小説「しろばんば」~あまりのつまらなさに閉口したものだ。文学はまっぴら御免と思っていた自分が、三十数年後に 小説を書く ことになろうとは・・・いや、実は小学の時分に冗談で空想小説等を書いていたのである。やはり何かを作ることが好きだったそうで、ファミコンより MSXのパソコン でプログラム作りの方に熱中していた。それでも拙者は「埋没」してしまう流れに抗し得なかった。結局、お前は何者になりたかったのか?自分自身を顧みることなく迷走し、中学→高校→続いて遭遇したのが↓これである。


 代々木ゼミナール殿に多大な寄付を強いられる羽目になった。何が「宇宙時代も制覇する超近代的設備」じゃ!


 自分は何者なのか?迷走に迷走を重ねて、そして社会人になってからの道程も途方もなく長い行程だったのだが、とにかく下積み時代だったと云うことは確かだ。


いよいよインターネットの時代に突入



↑初代ネットPC(VAIO)~説明書には「公衆電話でネットに繋ぐ」方法が書かれてた!



↑DDIポケットの「エアーエッジ」~初期のネット環境を支えた

 このブログがスタートしたのは2005年初頭。なぜブログを始めたのか、ホームページを始めたのか、其れはやっと「書くネタが出来た」から、かも知れない。もう30歳を過ぎていたあの頃・・・言い方によってはまだ30歳そこそことも云えるのだが、長い下積み時代のおかげで少しお金が出来たのだった。其処から投資運用という世界に飛び込み、運用するために勉強して資格も取るようになった。勉強する楽しさを覚えると、いろんな資格を取りたくなり、視野も広がった。そうなると、備忘録のように何か書き留めておきたくなる。そこでブログなりホームページなりが重要な記録媒体となってくる。ホームページがメモ帳で作れるのは魅力的だった。MSXベーシックに熱中した時代の再来のように感じたのだ。
 相模原在住時代のブログ記事を見返すと、何ともしょぼい内容が多い。ああ、当時はこの程度だったのかー、表現としてもこのレベルか、などと思ってしまう。所詮下積み時代だしなーと。其れでも、 社会保険労務士 FP技能士 、果ては 消防設備士 など、現有資格の大半はこの時代に取得しているし、「相模太郎ファンド」の運用が軌道に乗ったのもこの時代だが、あくまで土台作りに過ぎないのも事実・・・。
 当時の方がずっと盛んだった「文化」もある。普段聴いている音楽の多くは、この時代にツタヤや相模原市立図書館で借りて録音した媒体だった。一見立派な音響機器を所持していたのは、そうでもしなければ用が足せない不便さを示しているのも確かだ。そして、これまたしょぼい話なのだが、人付き合いに興味を見い出せなかったあの時代において、音楽は気晴らしの出来る唯一の存在だった。やはり下積み時代だったのだ。 →カセットテープやMDに詰め込まれた思い出をまとめました。



↑カセットデッキやMDデッキが必需品だった時代があった・・・


 相模原在住時代末期、拙者は 「阪急沿線のレイアウト」 を製作した。大阪在住時代から二十数年が経過し、俄かに沸き上がったノスタルジーの意味するところは何だったのだろう。失われた時代を取り戻す、そんな決意と裏表だったように感じる。ちなみに、画像の貨物列車は、相模原市に引っ越した直後に小田急百貨店で買ってもらった初めてのNゲージ車両だ。もう動かないが、鉄道模型趣味の原点とも云うべき存在なので捨てられなかった。敢えてレイアウト上に飾って、二十数年の長いトンネルをやっと抜け出た気分を味わったものだった。
 相模原在住時代は、平成22年9月の 札幌 赴任によって突如終焉を迎えた。すでに30代後半に差し掛かり、人生の転機を模索していた頃だったが、そのとおり「人生の転機」が訪れることになる。でもそれは、ある意味遅すぎた転機でもあった・・・。

↓なつかしの写真~相模原市はそれからまた変わっていきました・・・





→その他、相模原在住時代の記事(ブログ)はこちら・・・


管理者は大阪生まれの相模原育ち~地域リポート・旅日記の数々です。

★住んでる街、住んでた街  ・横浜市 ・鹿児島市 ・華の?東京暮らし ・札幌市 ・相模原市 ・もう一度住みたい!~阪急沿線~

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