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Dec 31, 2018
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小貝川 小目沼橋小貝川 川又橋小貝川 常総橋
Dec 29, 2018
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「闇にかかわる」作品として、今村昌平のうなぎと、吉村昭の闇にひらめく、仮釈放、吉村昭が称賛した梶井基次郎の闇の絵巻などがあって、それらはいずれも醸し出される闇と光が同種の漆黒を基調にしてよく似ていると、昔、思い、書き留めたことがある。 機会があって、今村昌平の「赤い殺意」を見たところ、また、吉村昭の初期短編で表された人間と風物の陰影が思い出された。 吉村昭の短編は、人の営みの表裏のやるせなさ、生死の境目のはかなさ、自他の境の曖昧さと残酷さなどを直截に描きだしていると思う。精緻で鮮烈な描写が続き、光、風、雨、音、湿気、暑さ、寒さに、人物が眼前に削り出されてくるようだ。昆虫のぬめり、鳴声、緩慢な動作等の簡潔な記述も、人物の心象と生活を表すようで、今村昌平の映画と重なる気分になる。繰り広げられる男女間の打算と、ほどけぬ束縛感と、突然の開放は、戦後の世相の中で、露骨にひきづりだされた人間の本性の結果のようにも見えてくる。 今村昌平の「日本昆虫記」「豚と軍艦」も同種の主題があると思い出された。終戦後の昭和の文芸は、実に迫真で、すさんだ陰影を隠さないと思う。
Dec 11, 2018
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画像クリックで別窓表示下田市の来航史 この五か月後にプチャーチンのディアナ号は来航し、11月に安政大地震の津波に巻き込まれることになる。画像クリックで別窓表示
Dec 9, 2018
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崎を境に海面は穏やかに一変。不思議な潮の境。透明度にも驚いた。大瀬崎から南下して戸田との間にある煌めきの丘からの井田松江(いたすんごう)古墳群と富士。6世紀から7世紀の古墳と。推定人口を賄う水田はなく、生活の基盤は海の幸にあったらしい。
Dec 4, 2018
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西伊豆の雲見にある宿で、湯よし、料理よし、もてなしよしの三拍子の宿。足の運び甲斐がありました。 烏帽子山の風光明媚に気を取られて、15分程度の登りと軽い気持ちだと、最後に足元をすくわれそうに。それにしても、海の色も、夕日も、見下ろす街も、美しい。雲見の湯は、すべすべ感を味わえる湯で、肌ざわりが格別の湯。女将によると塩分が多いそうだが、べとつかず、長く温まると。熱い湯も露天のかけ流しでは熱すぎることはなく、夜も、朝もここちよい。烏帽子山の岩の頂に、人影が見えた。画像クリックで別窓に大きく表示
Dec 3, 2018
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吉村昭の落日の宴で、プチャーチンと川路聖謨の間では、厳しい関係の中でも恭慶を尽すとの書簡を結び、友情もとあった。 吉村昭が描く、下田入港から、津波、ディアナ号損傷、戸田回航、嵐、救出、転覆、造船、ヘダ号出航、数百人の残置乗員の米傭船での帰国、これらの事績は、劇的な魅力に溢れたものだった。 この事績は、波乱に満ちた経過の中でそれぞれの立場に忠実な人々が、話し合いで乗り越え、協働して生還する見事な外交史と思う。役人、民衆、職人、武官、水兵、技官らが、優れた指導者のもと、普通の人々でも成しえる偉業を描いたよう。 宮島村の沖に沈んだディアナ号の錨と、どこからか現れた海外風の猫に、民レベルの外交がなされたと思った。 修理港の候補として、幕府案は、下田、妻良、子浦を候補として臨んで、更には、野比、長沢、久里浜を特例として譲歩案を提示したとあったが、ロシアが修理場適地見聞した結果、険岨な後背をもつ戸田村の湾と決したとあった。 クリミアで英仏とロシアが開戦し、英仏が対露戦用の寄港地を日本に求めている中で、合点のゆく地と思う。高見から湾を見渡すと、荒波から身を守るような姿に見えた。 ロシア人一行もこの姿を見て、和して過ごしたのであろうか。川路聖謨が上の方にでているが、左下の方に通詞として、海の祭礼で描かれた森山栄之助改め多吉郎がでている。
Dec 3, 2018
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