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平成23年3月11日、東日本で発生しました「東北地方太平洋沖地震」により被災されました皆様に、心よりお見舞い申し上げますとともに、犠牲になられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。一日も早い復興と、皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。震災から2週間がたちました。3月11日、あの日はもちろん会社で仕事をしていました。その日は何故か地震の30分ぐらい前からインターネット回線が非常に遅く、同僚とサーバー室に入ってサーバーのチェックをしていました。サーバー室から出て自分の席でパソコンからサーバーに信号を送り稼動チェックをしていたら、下から突き上げるような揺れが。11日の週は地震が毎日あって、毎日揺れを感じていたので、「また、地震?」という感じでいたら、どんどん横に揺れていく。同僚が「部屋出よう、ここ下が空洞だし、サーバーがたくさんあるから、大きい地震のときは底抜けるかもといわれている」ということですぐ廊下に出ました。その後、人事部長が廊下で「全員外に避難しろ」という大声が聞こえ全員で外に避難しました。外に避難後、人事から「急ぎの仕事がないならすぐ自宅に帰宅しなさい」といわれ、子供や家のことが気になるので、すぐ帰宅。家も特に被害もなく、娘は学校からすぐに帰宅しました。ただ、息子が卒業してすぐの週だったので、友達と一緒にちょっと遠いところまで映画を見にいっていて、帰宅難民になりました。一緒にいっていた友達のお父さんの同僚のおかげで深夜1時ごろ無事帰宅しました。その日は子供と一緒に1Fのリビングで寝ました。ただ私はテレビを付けて寝ました。やっぱり余震がずっと続いているので、怖いのとすぐに逃げれるようにと思っていましたので。そして次の日の夜旦那さんが九州から帰宅。空港に迎えにいくのも高速道路が途中から通行止め。なので別ルートと環状線で迎えにいきました。初めての道ですごく怖かった。予定では月曜日早朝の便で九州に戻る予定でしたが、部品の関係で仕事が出来ず、結局木曜日の夜から仕事ということになったので、木曜日の早朝の便に変更し帰宅しました。でも旦那さんにいてもらったよかった。実は計画停電が発表されたのが日曜日21時前。会社の同僚から電話がかかってきて、「サーバーの電源を全部落とす必要がある」といってきました。余震がずっと続いていたので子供たちだけ家に残しておくのはすごく不安だったけど旦那さんがいたので、子供たちをお願いして夜9時すぎに出勤。結局その日は一睡も出来ず朝6時まで海外とやり取りをし、サーバーの電源を落としていました。結局会社近辺は計画停電対象外区域に指定されたようで、その後は電源を落とす作業はしていませんが、余震が続くので、午後は自宅待機をお願いして、自宅でずっと仕事をしていました。ただ、先週末に大規模停電が起きるかもという速報が出てから二日間は完全出社禁止が出て、全員自宅待機を命じられました。火曜日からは普通通りに出社し、残業もしていましたが、疲れが出たのか、今日は朝から熱が出てしまい、お休みをいただきました。ただ、今、家事、炊事も旦那さんがやってくれているので、、、、はい、旦那さん、17日早朝に飛行機で帰っていったのですが、九州も工場が止まっていて、、生産出来ず、17日夜のみ仕事。それ以降は目処たたずのようです。最初は掃除したりして家で過ごしていたのですが、こっちの余震が続いているし、私がまたいつ緊急で夜呼び出しされるかわからない状態だったので、19日夜に九州を車で出発、20日朝に戻ってきました。はい、車で。お米もアパートにあったのをもってきてくれて。助かりました。こっちほとんど売っていないし。ただ、私たちには事前連絡もせず、朝起きたら帰っていた、、ていう感じでしたけど。それでも旦那さんが自宅にいるだけで安心感が全然違います。ただ、旦那さんが家にいるとご飯の手抜きが出来ないです(涙)夜は深夜電力を使ってパンやオヤツを作ったりして、自分で作れるものは作っています。あと、計画停電、、、何故か我が家は会社と同様、除外区域。これは本当に申し訳なくて。停電している時間帯に除外区域では普通に使えているというのは、複雑です。はっきりいって。会社は自分がいる部屋、電気は3分の1しか付けていません。自宅でも暖房器具は付けていません。寒いけど我慢。停電中は家の電気も消すようにしていますが、、、どうしても仕事している関係でその時間しか家事できない場合は最低限の家事だけやって、あとはオフにしています。このような状況なので、旦那さんの職場異動も話凍結中だそうです。確かにどこの製造業も今動いていないし。仕方ないこと。この2週間、本当色々ありすぎな2週間でした。今日は夕方こちらの地域停電予定なので、我が家は除外地域ですが、今日は自宅にいるので、早めにご飯の支度をし、同じように電気をオフにして過ごそうと思っています。最後に1日も早く日本が元気になるよう願っています。
Mar 24, 2011
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私は今勤務している会社に勤めて、今春で丸19年。来年は勤続20年、、あっという間の人生です。入社当時はまだ二十歳前。お遊び感覚の就職。数年勤務して、好きな人と結婚したら、寿退社して~とか淡い気持ちを抱いていたのも事実。実際は二十歳になってすぐに結婚したけど、元旦那の収入が不安定だったので、会社辞められず、子供出来ても産休とって勤務しました。2つ上の先輩も私と同様、男で苦労している人だったので、出産しても復帰してくれていたので私も産休は取りやすかったです。そんな先輩も色々あって退職。当時子供がいて、主婦しながら働いているのは私一人でした。当時は主婦が仕事して子供育てながら勤務するというのは、世間の目も厳しく、何やっても認められなかったです。そしてそんな中の離婚と今の旦那さんとお付き合いしているのがバレました。もちろん会社からは「転勤か退職」のどちらかを選べというようなことを言われました。今の旦那さんは優しい人なので「会社辞めて俺の家に入れよ」と言ってくれましたが、そんな旦那さんとは当時すぐに籍を入れることが出来ない状態だったのもあり、また失敗したら、、という気持ちもあったので、仕事を辞めるという選択肢はありませんでした。そして転勤という答えを出し、再スタート。自分にとって、すごい転機だったんだなって今更ながら思っています。転勤、再婚、妊娠、出産、育児休職を経て、仕事復帰。復帰したときは今とは違う仕事でした。その後、私が今やっている仕事している子が私の直属上司とあわなくて、自分で早期退職を選び、退職。そして今のポジションに異動。英語が出来る同僚と一緒に仕事をしていました。もう憧れでしたね。英語も出来て、システムにも詳しくて。私より2つ年上のお姉さん。彼女は結婚はしていなくて、キャリアウーマンでした。そんな彼女も私の直属上司とあわわなくて、3年半前に退職。彼女から得た知識は大きかった。本当に勉強になった。パソコン、ネットワークなどの知識は得たけど英語だけはどうしようもならず。。私は彼女がいなくなってから、彼女がやっていた、海外との調整なども行うようになりました。英語が話せない、書けない、読めない自分はインターネットの翻訳サイトだけが頼り。チャットで会話するにも、必ずWebサイトの翻訳がないと何も出来なかったです。そんな私でも1年がすぎ、2年がすぎ、3年がすぎ、、、、、いつの間にか、簡単な会話が出来るようになっていました。チャットでの英会話も、ここ最近は翻訳ツールがなくても、自分で本文を考えて書くことが出来るようになっていました。そして、最近はもっと英語が出来るようになりたいという気持ちがすごく強くなってきました。なんでだろう?会社が自分のこと必要にしてくれるから?英語が出来、IT系の仕事が出来るようになると、なんとなく大事にしてくれているのが分かります。まだ自分は英語が出来るというレベルではないです。はっきりいって。でも、頑張れば本当に身につくような気がしてきました。12年前にこの転勤で今の職場に来たときもパソコンなんて触ったことなかった。一生懸命憶えることで自分を必要としてくれていた、、、そしていつのまにか、パソコンが出来る、人に教えることが出来るまで成長した。英語ももしかしたら、、、頑張れば出来るじゃないか、、って最近すごく思うようになった。最近は夜、予約が取れれば、スカイプを使って英会話レッスンを受けたり、独学で英語の勉強したりしています。私色々やりたいことがある、、、英語の勉強もしたい、美味しいご飯を作りたい、子供たちにオヤツを作ってあげたい、もちろん、ヤフオクもやりたい。時間が足りない、、、ってすごく最近思うようになった。もっと有効に使わなきゃって思うようになった。5月から毎日往復で2時間という貴重な時間が通勤で使われるようなります。本当に貴重です。この2時間。仕事量を減らすことはできないので、何を減らすか、考えなきゃって思っています。ただ、この2時間を使って英語レッスンをするようにして、自宅では勉強以外のことをするようにしようと思っています。今日も帰宅が19時半、、、、19時すぎまで仕事していました。帰ってからご飯作りがてら、明日の子供のオヤツを作りましたさつまいもの蒸しパン美味しいです。家で作るようになると、コンビニとかで売っている、蒸しパンがちょっと薬ぽい味がするような気がして食べれなくなってしまいました。明日は何作ろうかな。
Mar 7, 2011
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