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車が無く、買い物は歩いてだった頃、母の実家の近くのある人は山道を登り、疲れて石に腰をおろし一休み。 ところが急にあたり一面真っ暗になり、何も見えなくなった。「日が暮れるにはまだ早い、一体どうしたのだろう?」 途方にくれた彼はしょうがなく、「まずはタバコでも一腹吸おう。」と火をつけた瞬間、パッと明るくなった。こんな時キツネは寄り添っている、けもの故火が怖いので逃げたのだ。昨日書いた大雨の時も多くの人が集まっているなか、見かけない人が歩いておったが何も言わず通り過ぎ、みんなはあれがキツネだったと話していた。また祖父の従兄弟のOさんもよく化かされたもので、俗に言われるお人よしタイプだった、「我が家はこちらだ。」と思っても足が勝手に動くといゆう。 またお酒が入ると、訳がわからなくなるNさん、Mさんは近所でお酒を飲み、わずか数百メートルの我が家に行く途中に化かされて山中に入り。 地区で大騒ぎになり、探した記憶があるが20~30年前のことです。このようにただ化かされいたずらの時と、魚やかまぼこ類などを背負っておったときとに分けられる。 こんな日本昔話のようなことが実際にあったのです。山中を歩いておって、お葬式や結婚式を見せられるような幻覚症状を起す事もできるのです。 除霊が必要とされる憑依現象とは違って、それから開放されるには二つあり。 一つは先のように火を使う事。もう一つは「これは変だ、キツネの仕業だ。」と悟る事ですぐ元に戻ります。 われわれは動物について知らないことが多いですが、キツネの化かしも永久に忘れ去られることでしょうが本当にあった話です。
2006.07.31
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よく昔より、キツネとタヌキの化かしあい。といった言葉を聞いて、全くあり得ない事と思っておりませんか? タヌキはそんな事はなく、全くの空想ですが、キツネは実際本当に人を騙し山間地では、そんなに珍しい出来事では無く、「そんな馬鹿な。」などいゆう人はおりませんでした。 肥溜めにお風呂と間違えて入ような事が本当にあったのです。わたしの地区は当時30件ほどの集落ですが、いつも騙される人は決まっております。 常に毅然としておる人や、まるっきりのお馬鹿さんは騙されません。騙される人は知能に関係無く、お人良しといわれる人や、 アルコールが入ると豹変する人が騙されやすいのです。わたしがまだ新婚当時の出来事ですが、大きな台風が来た時ある方がお酒を飲み。自宅に戻ってなく、消防団に召集がかかり大雨の中捜索しました。 川は氾濫しもしや川に落ちたのでは、と心配しましたが、田んぼのあぜに、長靴が揃えて脱いでありました。 懐中電灯で照らすと、大雨の田んぼの真ん中に正座しておりました。「○○さ~ん。」とみんなで何回も呼ぶと、我に返りましたが。 結婚式に出席している所を見せられておったそうです。こんな事は、そんなに珍しいことではありませんが、町の友人に言っても全く信じません。 まだまだありますが書ききれないので、連載にします、お楽しみに。
2006.07.30
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わたしが小学校に入学する前、叔母は女子高生で遠く離れた町なので寮に入っていた。 小学校に入学した頃の話だが、今も鮮明に記憶しておる。叔母の通っていた女子高は昔の城跡下の、お堀を埋め立てそこに校舎を作ったのだ。 お堀ゆえ戦の時切られた武士が沈み、そのまま浮かび上がらなかったのが多くおったと言う。 昔は校舎には用務員さんがおって、夜は懐中電灯を持ち巡回した。あるときその用務員さんは二階に上がるとき、 1,2,3,4、と階段の段数を数えて上がり、降りるときまた1.2.3.と数えて降りてきたが数が合わない。 「アレッ上がる時、数え間違えたかな?」と思い、また1.2.3と数えながら上がるもまたまた段数が違う。 なぜか変だと思っておったその時、階段の上よりゴロン、ゴロンと何かが転げ落ちてくる。 見れば武士の刎ねられた生首で、用務員さんはそのまま気絶し、朝目が覚めれば何もなかったといゆう。 これがわたしが、初めて聞いた学校の怪談(階段)でした。
2006.07.29
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昨日は一日雨で高校野球宮城県大会決勝は31日に延期されました。一昨日は今年初めて、プール遊びした快くんでしたが、雨の天気にトラクたーのドライブもで来ませんでした。 最近は注文が少なく、あまり忙しくありません。商売は波があり、注文に応じるのがやっとの時もあり、 多いときは荷作りの最中に、次々と電話やメールが入ります。商品も波があり、「石鹸」が多い時や「青汁」の日といった事もしばしばです。 その中で安定しておるのが「竹酢液」です。≪竹酢液≫とは中国語で、西暦500年台頃の医学書に登場し、日本でも平安時代より、民間療法に用いられてきました。 竹炭を焼くとき出る煙を冷却して採取し、2年以上寝かせます。 また○露丸の原料としてもよく知られており、現代病に使用する方が多く、人気は衰えておりません。 それはそうと、粉炭は現在注文に応じきれません。3~5mmの粒炭を粉炭にする機械を考えておりますが、誰かよい方法を知りませんかね。
2006.07.29
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近くの同級生は大病を患ってから、特に健康に気を使うようにり自家製のお茶を家族全員で飲んでいる。 ヨモギ、ドクダミ、スギナ、熊笹、桑の葉など山間地ゆえ、全て身近に自然にある物だ。 健康に気を使えば使うほど、高価なものやめずらしいものに手を出しがちだが、彼女の考えには納得させれれる。 小学、中学と同じ学校でで、好きな音楽などよく気が合った。またよく喧嘩もした(当然大した喧嘩じゃないが。) 同級会があったとき、カメラ好きのわたしは写真を多く写したが、彼女の写真は、顔が半分写っておるのが一枚だけでたいそう文句を言われた。 撮りたくなかった訳では無いが、いつも見ている顔なので懐かしくなくついつい写さなかったのだ。 小中学の同級生は、約80名であったが、中学校はとうとう、来年の三月で廃校が決定した。 思えば小学一年入学より中学校卒業までに、10名は転校して行った。山間地よりの、人口流出はその時代より始まっていたのだと思う。 子供が多く、活気あふれたあの次代が懐かしい。まさにウサギ追いし、小鮒釣りしであった。
2006.07.27
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今日は地区内でお葬式があります。90歳で人生の幕を引きましたが、同級生の父です。 役場職員だった父の所に、同級生は毎日寄り空弁当を持ち帰るのが日課で、夏場などよくアイスを食べさせていただいた記憶があります。 温厚で頭脳明晰な方でしたが、晩年は認知症が進み仙台より息子さんさんが、毎週介護に来ていました。 人生の幕を引く時は人それそぞれですが、健康であった方が急に亡くなられたり、その逆での場合もよくあるものです。 わたしも気がつけば、もう50代半ばになり人生とは「加速するものだ。」と思っております。 我両親も青春時代に戦争を体験し、食料難、配給などを経験し戦後は食料の増産に明け暮れたと思えば、生産調整に入り、 めまぐるしく変化する時代を、生き抜いてきましたが、今の亡くなる方は、物資その他の面おいて良い時代に最期を迎えると思います。 わたしらは食料難も経験せず生きてきました。今後どう時代は変化するかわかりませんが、高齢化国家や高騰が始まった石油など、行く末が案じられます。
2006.07.27
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今ラジオでは朝鮮戦争のことを報じている。日本の支配より開放されたのもつかの間、 今度は同国民同士が血で血を洗う事態になり、8年間の内戦で126万人が亡くなり、離散家族は1,000万人といわれる。 戦後驚異的な経済発展の影に、朝鮮戦争があったことは皮肉な事だったと思う。 意味もわからず何気なく、小さい頃より使っていた言葉に「馬○チョンカメラ」がある、 「馬○」でも「朝鮮人」でも使用できると言った意味の、とんでもない差別言葉だった。 今は「簡単カメラ」などに変わったが、日本人がいかにあの国の人たちを軽蔑していたかが伺える。 世界中で挨拶にお辞儀をするのは、日本とあの国しかないし。韓国語で、ナラとは国を意味する、 わたしはキムチが大好きだ、韓国旅行も大変よかったしまた行きたい、人間として対等なお付き合いをしたいし、国同士もよい関係になってもらいたいものだ。
2006.07.26
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朝は雨だったが、何日振りかで太陽が顔を見せた。今日は合同庁舎で炭の新用途開発の講演があった。 元公務員で木炭、竹炭を焼き、主にインテリア用として販売しておる方だ。 素晴らしい発想などに関心したが、わたしは別の用途の方で手一杯でそんな加工をする人に、材料を供給する側だと思った。 会場では、和紙、柿渋、稲穂、繭など持ち寄った物で竹炭と組み合わせそれぞれ思い思いの物を作り楽しんだ。 講演後健康診断を終えた妻が会場に来て、妻の友人二人が我が家に流れてきた。二人は自由に竹炭を加工して帰った。 わたしも年に2~3回多い年は5~6回講演を依頼されることがあるが、今年はまだゼロだ。昨年は岩手県陸前高田市と福島県伊達郡飯野町でおこなった。 そういえば一昨年前の大相撲観戦の前日も、福島県川俣町で講演をした。 講演と言っても自分の行なっている事を話すだけです。炭についてと、地域おこし、食育などです。
2006.07.25
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またまた雨になりました。昭和55年の冷害のときを思い出します。 あの年の7月16日はとても暑い日でしたが、翌17日より8月17日までの一ヶ月間、全く太陽は顔を見せず。 明日こそ晴れるか、来週になれば太陽が顔を見せるかとの願いも空しく、結果生まれてはじめての冷害を経験しました。 加えて肌寒くコタツを使用する日が続きました。米は一粒も摂れず、全量新潟より譲りうけ食べました。 当時はわたしら夫婦はサラリーマンで、直接生活には影響ありませんでしたが、専業農家は大変でした。 水稲(すいとう)共済なるものをかけており、ある程度は保障されますが、7割程度です。 そんなうわさを聞き、あっちこちより米の注文を受け、18表(1表60kg)も妻の実家より、運びました。 緊急輸入により、まずいとタイ米を公園に捨てたりの事件も起きましたが世間はすっかり忘れられております。 冷害にしろ、台風や地震など災害は、のど元過ぎれば何とやらで忘れるのも早いですが、当事者にとっては忘れる事のできないものです。
2006.07.24
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今日は農協夏祭りで、ビール呑み大会に出場する妻と、孫の快の三人で出かけました。 まづ娘夫婦の所に,快を連れて行ったら発熱と時折咳き込むのを見て、薄着させたと文句を言います。 子供は多少咳き込むこともあれば、熱も出ますが娘は機嫌が悪いようです。 昨日夫婦で我家に来ておるのに、そんなに心配だったら連れて帰ればと思いましたが堪えました。 妻を農協におろし、配達に行き戻ってきた時はビール呑み大会は終っていましたが”優勝”だったと聞き喜びとちょっぴり恥ずかしい気もしました。 1.5Lのビールをストローを使用し4人で飲むそうですがアルコール好きの妻は昨年に続き選手にされました。 女子だけ8チームでの大会ですが。一地区だけメンバーが揃わず男のチームだったそうですが、それでも一位とは、、、、すごい!! 久しぶりの好天なので昼食後すぐ戻り、夕方まで草刈をし、もうへとへとです、わたしも今日はビールを飲み、早く休もう。
2006.07.23
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久しぶりの太陽です、気温も高めでつかの間の夏らしい日になりました。 昨夜も快くんはお泊まり、二週連続の二夜お泊りです。昨夜は9時半に寝たので、今日はゆっくり休めると思いきや何時に寝ようが、起床時間は4時半です。朝もやの中、快くんとトラクたーのドライブをしました。今日は農協の夏祭りで、妻はビール飲み大会に出場する為10時に出発します。 最近とても心に響くニュースがありました。昭和天皇が先の大戦のA級戦犯の靖国神社の合ひに不快感を示されておったことです。 靖国神社参拝云々ではなく、神社そのものが先の大戦を正当、美化しておる所が問題なのです。 ○岡元外相が「ボルネオの石油資源を奪え!」と発言し欧米諸国を激怒させた事にも不快感を示されておったようです。 昭和天皇の歴史認識の正しさ、しいてはお人柄を偲ばせるニュースに、もう数日過ぎておりますが、今も心に響いております。
2006.07.23
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孫の快は4時半より起きて、もう農機具屋さんよりもらっって来たトラクターのパンフを見て喜んでいる。 今も霧雨だが大雨による被害が続出で、被災地の方々にお見舞いと、お悔やみ申し上げます。 ここあぶくま山地は、そのような大雨はありませんが日照不足と低温で農作物(のうさくもつ)の発育が心配です。 種取用の大麦も萌えはじめ(芽が出てくる事)ました。ナスも生長が止まっています。 霧雨の中妻はジャガイモ掘りに行き、わたしが大好きなポテトサラダ作りの準備です。 快は今わたしがおんぶしておりますが、相変わらず、ドットッット、ドットット、とトラクたーの音を形容し乗りたがっております。 今より愛犬、モモと小太郎の散歩です。
2006.07.22
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翌朝東京にはめずらしく快晴になった。ホテル○ークラは広い、部屋も大変広くこんな立派なホテルはめったに泊まれない。 両親のため朝食は和食にしたが、そこまで遠かった。父が足が悪く、とても歩くのが遅く時間を要した。 タクシーで、はとバスの出発する、東京駅に行く、六本木ヒルズなども最初は考えたが、やはり定番の 皇居、浅草、東京タワーの半日コースにした。皇居前で記念写真を撮るが、本当に抜けるような雲一つ無い青空で、昨日の雪ためと思った。 皇居にせよ、浅草にせよ歩く距離は相当あり、父の為車イスを頼めばよかったと思った、本当にようやく歩いている。 浅草は往復歩くだけで時間が来た。東京タワーは歩く所があまり無いので助かった、羽田空港や六本木ヒルズもはっきり見えたので むしろ一望できる東京タワーで正解だったと思った。昨日の事が、頭の隅にはあったが両親に大変喜んでもらった。 昼食は特に用意はしていないので、観光コースを廻る間に自由に摂って下さい、との事だったがとても時間が取れなかった。 3時ごろだったろうか、バスを降り東京駅で駅弁を買い今度は弟に両親を任せ、わたしは明日より開催される宮城県の観光と物産展会場となる、御徒町に向かった。 両親ら三人はてっきり、母の実家に直行すると思っていたが、まっすぐ我が家に戻り、火事見舞いは翌日だった。 あんなに心配しておったのに、驚かされたそれくらい相撲と東京見物が心に残ったのではと、わたしが満足した旅行でした。
2006.07.21
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大相撲も千秋楽近くなり、だいたい優勝者が見えてきたが、父母は毎日大相撲放送を楽しみにしておる。 やはり日本人力士を応援しておるが、最近は外国力士が強く、嘆いておる。 一昨年前の1月19日、相撲好きの両親と弟と4人で初場所を見に行った、雪が積もった日で10時過ぎの新幹線で出発する。 上野で降りアメ横を通り昼食を取り、21日より開催される宮城県物産展の会場となる松坂屋を案内し、地下鉄に乗る。 2時半ごろ、少々早いが国技館に入り、初めての相撲観戦だ。3時過ぎ、叔母さんより携帯に電話が入ったが、ちょっと変な感じがした。 高見盛が栃東を破り、場内は大いに盛り上がる、弓取り式まで見て、ホテルに向かうタクシーの運転手さんは、年齢を感じてか、両親が喜ぶような時代の流行歌を聞かせてくれる。 これまた両親は大喜び、その時妻より電話は入る。「相撲は楽しめましたか、これから言う事を怪我人も何もも出なかったので落ち着いて聞いて!、ばあちゃんの実家が火事になったの!」 電話のやり取りを察して、母は問い詰めるがホテルに着いてからゆっくりと話したが明日は、はとバスに乗る予定だ。 丁度新幹線に乗った直後頃、出火したようだ。妻が会社(母の実家の近く)より駆けつけ、我が家で働いておる叔父、叔母、妹もお手伝いに行き事なきを得たがせっかく初めての相撲観戦なので、終ってから連絡しようと決めたらしい。 急遽予定変更し今晩は泊まり、明日一番で帰ることにするが母は無事を確認する為、実家に電話する。 母は目の悪い兄の不始末ではと心配したが、ボイラーが原因と判り一安心、母は兄と姪に「せっかくだから心配しないで、明日も予定どうり、楽しんで来て。」の言葉に安心したようだった。 母は浦和市の妹に電話するも、「わたしも明日行くので」との言葉に予定どうりに決定する。「家は建てられる、人命に何もなかったのが救われる。」を繰り返した。 はとバスのチケットに連絡の電話番号が無かったため、キャンセルできなかったのがよかったと思った。
2006.07.20
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昨夜からの本降りの雨は今も降り続いています。今日も高校野球の県予選の大会は中止です。 もう20年近く過ぎたろうか、青森県で県大会予選一回戦で、126対0で敗れた学校があった。 審判員は途中で幾度も試合を放棄するよう、促したが選手達はそれを断り、5回コールドゲームが成立するまで、かなりの長時間試合を続行した。 あきらめず最後までよく戦ったと賞賛する人と、次の試合などに時間が食い込むので、無駄な時間を費やしたと批判する人に意見が分かれた。 わたしは負けた選手たちが、日々の練習をしっかり行ったのであれば、結果大差で敗れようが賞賛したい。 しかし練習を怠り試合にだけ出場したのであれば言語道断だ。審判員は好きでやっておるが、殆どボランティアだ。 大会は次の試合の、予定時間もある。わたしは陸上競技の審判員を長年やってきたが、大会をスムーズ進める役目も審判員にはある。 どんな大会であろうが、役員、審判員など多くのボランティアにより運営されておる。 青森の大差で勝ったチームが、二回戦でコールド負けを喫しておるのを見ると、どうも後者ではないかと思う。 もしそうであれば、とんでもないわがままで、現代の若者の悪い所を垣間見た感じがする。
2006.07.19
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娘とのサイクリングいよいよ最終回です。鷹ノ巣キャンプ場は、新潟県関川村にあり、 飯豊連邦より流れれる川は、きれいで水量も多く、川で夕方夕食のおかずにと、釣りをするもあまり釣れずやめたが、もの凄い数のアブだ。 アブはきれいな水の所にしかいないので、知らない人が多いがさされると痛いが、それよりもその後の痒みがすごい。 アブは大きいのと小さいのと2種類おるが、小さい方がいた。これは数で勝負してくるので大変厄介者だ。私の住んでるところにもアブはいるが、とてもこんなにはいない。 翌朝朝食後突然の大雨、30分ぐらいのにわか雨でテントから出られないくらいの激しさだった。 雨が上がり、また娘と一足先に新潟へ出発。雨上がりは好天に加え、高湿度で余計に暑く感じれれた。 20km位進んだ頃、妻と二女、三女の車が追いつき声援を送ってくれる。休憩も一緒に取り、昼頃に新潟市の妻の実家着だ。 二日間で137km走り、普段車で走り判らない事も多く発見した、国道脇の小川にはすごい魚が泳いでいた。 一番困った事は、トンネルの多さだった、(13ありました。)娘は今度はトンネルのない所がよいと言った。
2006.07.18
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妻の母の喜寿祝い一泊旅行より先ほど戻ってきました。 昨日9時出発、115号線福島より土湯峠を越え、小和田雅子様が独身最後のスキーを楽しまれた箕輪スキー場を過ぎ。 猪苗代町は、野口英世記念館前のガラス館で12時に新潟の義母、兄妹夫妻5人と待ち合わせしたが。 しかし12時少し前、インターを間違えたたので30分ほど遅れるとの電話連絡が入る。 車のナビの設定を間違えたようだ。途中本降りの雨となるが、丁度止んだ時新潟の5人が着いた。 地ビール園で食事後、結婚前妻とよくデイトした、五色沼、桧原湖に行く、桧原湖では遊覧船に乗り快は大喜びだ。 本当に懐かしい、結婚前幾度となく会い、最初の子供が生まれたとき、新潟の父母と待ち合わせたのもこの場所だ。 ホテルは猪苗代スキー場のすぐ下で、猪苗代湖が見える。スキーは家族で随分楽しんだが、ここは来た事がなかった。 今日は、我家の祖父の命日の為、昼で帰らなければならず、また雨天なので、喜多方に行く事にした。 市内観光後、名物のラーメンを食べ、また土湯峠を越える。娘の所に孫の快を下ろし、おじいちゃんのお墓参りをしてから家に帰った、心に残る二日間であった。
2006.07.17
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妻の母は今月、喜寿を迎える。本日お祝いに妻の兄妹夫婦3組で、母を猪苗代のホテルに招待する。 わたしの娘たちは、それぞれ用事があり行けないが孫の快はお供だ。 昨日は朝から大雨で、予定していた楽天VSオリックスの試合は完全に中止と思っておったが、 11時半過ぎ雨は上がり、それでも試合は無理と思ったが12時に「試合がある。」と弟より電話が入りすぐ出かける。 球場に入るとまもなく、マーティーキーナート球団マネージャーに会い握手をする、2ヶ月ぶりの再会だ。 今年初のプロ野球観戦で、オリックスは初観戦だ。負ければ10連敗の楽天だったが、山村の好投とフェルナンデス、山崎らの活躍でリードを広げ、最後は福盛がきっちり抑えた。 弟と従兄弟夫妻の4人で観戦したが、弟と従兄弟はビールを飲むわ飲むわ、8杯くらいはいったのではないか。ちなみにわたしは一杯で十分だ。 7回あたりより雨だったが、勝てばよいので苦にはならない。仙台駅で4人で食事をして帰って来た。 途中娘の所より、快を連れて来てお泊り。今朝も5時ごろより、トラクターでドライブをした。 猪苗代には9時出発です。今晩は猪苗代スキー場近くのホテル泊まるのでサイクリングは明後日のお楽しみ。
2006.07.16
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米沢市内までは下りで、快調に飛ばすも、市内に入る頃より暑くなり始めた。 川西を過ぎ飯豊に入り初めての坂道、神社前の木陰で休憩を取る。ペンションの奥さんより戴いた、スポーツドリンクもはや、飲み干してしまう。 ここからがアップダウンの連続に加え、トンネルに入る。ゴ~~といゆうすごい轟音、来たのは普通の乗用車だった。 トンネルの中では物凄い音だ、まして大型トラックが来るととても怖く、自分も怖いが娘を励ましながらようやくトンネルを出る。 小国町内に入り、昼食に冷やし中華を採るが娘は残した。疲れておると思い、休憩を長く取った。 いよいよ新潟県入りだ、丁度日陰の所だったので県境のところで休憩を取り記念写真 近くに車を止めておった人にシャッターを押してもらうが宮城県石巻市の方で大変驚かれた。 3時前一日目の終点、鷹ノ巣キャンプ場に着くがその頃家族はまだ家におったのでした。それが判らなく、キャンプ場の入り口で娘とひたすら待ちました、 待つこと3時間、ようやく妻と次女、三女が来る、急いでテントを張り、夕食の準備に取り掛かる。 今日の走行85km。薄暗くなりかけた頃ようやく夕食。明日は50数キロで新潟に付く。
2006.07.15
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本日は全国的に猛暑でした。ここ、あぶくま山地も例外にもれず、30度は超えましたが、湿度はやや低かった感じがしました。 昨日あたりから、赤トンボが飛び始めております。赤トンボは7月に山で羽化し、8月頃にたまごを生み 秋になると、里に降りて行きます。だから山間地では、赤トンボは夏なのです。 夕焼け小焼け~の赤とんぼ~♪桑の実(桑ご)を小かごに摘みます歌がありますが、 今日の夕方、妻と孫の快と三人で桑ご(桑の実)摘みをしました。軽トラックで畑に行き,荷台の上で採りました。アッ、二匹の愛犬もお供しました。 ここは標高350mあり、日中いくら暑くても夜は涼しく、それだけは良いです。 娘とのサイクリングは明日また書き込みます。
2006.07.14
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娘に10段変則の自転車を買い、10km、20kmの練習をした。しかし家近くになると疲れてダメだといゆう。 我が家は標高350m以上の所にあり、家近くは登りになるからだ。母はますす反対する。 一番の難所は福島と山形の県境の栗子トンネルで3km以上のトンネルが2本あり、そこは迂回することにした。 夏休みに入ると、計画した日に「みどりの少年団」の県大会が入った。わたしの休みが1日足りない。 栗子トンネルを出た山形県側を出発と決定。県大会より帰り、ワゴン車に自転車に二台積み米沢スキー場の予約しておったペンションに行く。 一緒に夕食をとり、わたしと長女を残し妻と次女、三女は自宅に戻る。 翌朝好天気に恵まれたが、暑くなりそうだ。出発の時ペンションの奥さんに、凍らせたスポーツドリンクを戴くが、あとで大変役にたった。 オーナー夫妻に見送られ、8時ごろ一路新潟にペダルをこぎ始めた。
2006.07.14
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今は趣味が高じて炭焼きが職業になったが20歳代より40始め頃までは、第一にマラソンでした。 会社より自宅までの12kmを、春の雪解けより初冬の積雪があるまで走った。 大会は駅伝まで年間10レース以上で、河口湖マラソンを申し込んだ直後怪我をし、断念してから意欲が薄れた。 その合間にサイクリング、長女が小学6年生の時、新潟まで行ったのが大変記憶に残る、母に「危ない、なんてことをするんだ、お前は好きでやるが孫がかわいそうだ。」との警告を無視、実行した。 友人が福島市内に入院し、お見舞いに行ったらいわき市の小学5年生の男の子が父と、太平洋のいわきより、日本海の新潟までサイクリングで横断した新聞記事掲載を見た。 家に帰り話たら、娘は大いに乗り気ですぐ計画に入った。サイクリング好きの同級生より、あくまで子供を引っ張るのではなく、子供のペースに合わせ 子供を前にし、親は真後ろやや右側を走り、常に言葉をかけることや午後4時には上がり、明日の鋭気を養うなどのアドバイスを受ける。 娘、小学6年生11歳、わたし父は35歳であった。続きは明日に。
2006.07.13
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最近家族を犠牲者にする、事件が多く感じられる。それぞれの理由があろうがあまりにも、不幸な事件である。 しかも加害者は、優秀な子供さんが多いのも特徴だ。 数年前、「父性の復権」と言った本が大変売れた。その中で、友達のような父親は最低だと述べておる。 父親、先生、監督、コーチ。上司などは友達ではない。確かに人間としては平等であるが、上下の関係はある。 ある○京大学出身の先生が、中学生の我子が暴れた時手を付いてあやまり、さらに暴力がエスカレートし結局わが子を殺した、痛ましい事件もあった。 愛情と共に親として、毅然とした態度が欲しかったと思った。これだけは絶対してはダメ、といったことだ。 今学校では、体罰はどんな理由があろうが絶対ダメといっておるがわたしは出来が悪く、よく体罰を受けましたが、それも先生の愛情と、今は懐かしく、感謝もしておる。
2006.07.12
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もうすぐ夏休みになるが、小学生の時夏休みになると、とても嫌な事があった。子ども会だが、当時は「朝読み会」と称して。 朝5時より、集会所などに集まり地区の子供たちだけで宿題や勉強をすることであった。 六年生が先生になり、今日は算数と国語といったように、毎日時間割りがあり工作や絵も描いた、登山(といっても地区の小高い山)やハイキングもあり親は一切関知せず、子供だけの会であった。 そればかりでなない、朝のラジオ体操のため、約3km離れた小学校に行き、ラジオ体操をし、すぐ帰ってきて8時頃まで勉強をする。早朝起きるので大変お腹が空いたものであった。 それが終れば自由でよく川で泳いだ、あの当時は殆どの家が養蚕をしており、お手伝いもしたが、夜は疲れてご飯を食べるとすぐ眠りに着いたものであった。休みは日曜だけで、まさに規則正しい生活の見本であたっと思う。 さすがにラジオ体操は、小学校ではなく2年生より地区毎になった。「朝読み会」とは農作業に追われる、親達が考えた苦肉の策であったと思う。 小学5年の時、≪子供の自主性に任せる。≫ことになった。結果わたしらが考えた事は、早朝は嫌、勉強も嫌、8時半頃より集まり遊びだけの子ども会になった。 しかし結局自分の首を絞める羽目になり、夏休みの終わりごろみんなで集まり、必死に宿題をやった記憶が残っておる。朝読み会を無くしたのは、わたしらでした。 よく子供の自主性と言った言葉が使われるが、大変よい言葉でであるが、ややもすれば放任、無責任につながりかねない。、 子供は、楽で楽しい方に行ってしまいがちである、方向を誤らないよう、しっかりとした道筋をつけてやるのが親の勤めと思う。今となってはあの≪朝読み会≫の素晴らしさが心に残る。
2006.07.10
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昨日は西日本では猛暑だったようですが、ここあぶくま山地は、気温が低めの梅雨空でした。 車で出かけ、高校2年の時ヒットした、カスケーズの≪悲しき雨音≫が二回流れてきました。 この時期になると、必ず流れそのたびに青春時代が蘇ります。もう36年も過ぎているのですが、いつ聞いても良い曲です。 そう言えば雨の曲は,あとは、≪雨に歌えば≫、ジリオラ、チンクエッティの≪雨≫、≪ショパンは....≫などは心に残っておる曲です。 うっとうしい梅雨空ですが、懐かしい曲と共に季節感を味わう面もありますね。 今も雨は降っております。
2006.07.10
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快くん(一歳九ヶ月)は6時前に起き、もう桑ご(桑の実)採りをしてきました。とっても元気で昨日は、はだしで畑の中を走り回っておりました。 土に触れる事は、微生物に触れる事でとっても良いことなので自由に遊ばせました。 針の先をちょっと地面に触れるだけで、その針の先にはなんと、一億の微生物が付きます。針の先のですよ!! 今の子供は微生物に触れる事が、極端に少なくなっております。泥んこ遊びや、砂場で遊ぶことは大変重要な事です。 確かに0.1%以下の悪い菌もおりますが、残り99.9%以上は全く無害かむしろ有効な菌なのです。 賞味期限や、落とした食べ物にあまり神経質にならない事です、むしろ食品添加物のような、化学物質に神経を使って欲しいともいます。 我が家にいらした、30代のお父さんが自分のお子さんに「水はH2Oじゃないよ、塩はnaclじゃないんだよ。」と教えておりましたが、 H2Onにさまざまな鉱物などが含まれておるのが水で、NACLに多くのミネラルが含まれておるのが塩なのです、H2Oは蒸留水、NACLは精製塩です。 我が家で生産しておる、青汁用の大麦若葉などは、畑にたっぷりの。有機質肥料と竹炭、竹酢液を使用し完全無農薬、無化学肥料です。 畑の有機質が作物の味を決めるのです。
2006.07.09
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今日は大麦若葉種用の刈り取りをする予定でしたが、天候の回復が遅くできずじまいでした。 おかげで孫の快とは、充分お付き合いすることができました。お母さんの調子がいまいちなので、快くんは今日も我が家にお泊りです。 畑の草むしりも、ようやく一段落ですが、雑草は再生が早くアッといゆう間に伸びます。 最近は青汁のサンプルの申し込みが目立って多くなりました。ほぼ毎日あります、しかも全国です。やはり皆さん、関心があるのでしょうね。 うちは全て一倍(1kgの乾燥物より1kgの製品。)ですが、抽出液を作り、数倍に増量してある物もありますので特に安いものは注意が必要です。 今宵は霧雨ですが、こんな夜は蛍が多く飛びます。反対に満月の夜は、あまり飛びません。 明るい満月だと、自分の光がよく見えないからのでしょう。
2006.07.08
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本日、バレーボール全日本代表選手、カオル姫こと、菅山かおる選手に会いました。 地元の友人の開店記念の、お祝いに行ったら大勢の人だかり、「誰か来てるの?」と尋ねると 菅山選手が来てるというので中に入ると、テーブルに三人いました。女子高生などはキャーキャー騒いでいました。最初はこちらを向いていた、大柄ないかにもスポーツ選手のような女の人と思い 「テレビよりは、美人でないな.」と思ったら後ろ向きの、きゃしゃな女の子といゆう表現がピッタリの人でした。 真っ白な色白の肌、スポーツ選手とは思えない体つき。、筋肉質などなく、むしろモデルさんと言ったほうがピッタリの女性でした。 テレビでバレーボール(世界選手権かな?)を見て美人に加え、あの素晴らしい反射神経選手としては小柄なのに、強烈なスパイクなど この人が?と思えるような人でした。その辺にいる、スポーツとは全く無縁のお嬢さんのようです。今日はよい一日でした、それに孫の快はお泊りです。夕方、妹の家より明日大麦の刈り取りをする為コンバインを持ってきました、快を乗っけての約2.5kmのドライブに大変満足したようです。 もうすぐ一緒にお風呂に入り寝ます。
2006.07.07
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今日は七夕、大安、それに抜けるような青空です。でもここ宮城県の有名な仙台七夕は8月6.7.8日です。 昨夜は弁当の事を書きましたが、補足しますと宗さん(歌手のさとう宗○さん)企画、県内のお勧め食材を利用したコンビニ弁当です。 お勧めのオカズに、「これだけは外せない」と言われたのがたけのこの天婦羅だったのです。 この弁当は、県内限定でコンビニのサン○スで現在販売中です県内の方は一度、ご賞味あれ。 宗さんとのお付き合いは、平成11年(1999)竹酢液の注文の電話が入り、受けた母は「ご住所とお名前を.」と尋ねたところ 「さとう宗○です。」母は「あら~、同姓同名ですね。」と言ったところ「本人です、以前よりお宅の竹酢液の愛用者です。」との言葉が返ってきてビックリ。 その後H12年5月TV 局のリポーターとしてお出でいただき、その時炭窯の前で、さまざまな山菜料理と共にお出ししたのがたけのこの天婦羅だったのです。 その味が忘れられなかった、と最近のテレビで仰っられておったそうです。 また我が家の製品を現在もご利用をしていただいており、、多くの芸能関係の方にも発送しております。
2006.07.06
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妻の手作りの、たけのこの天婦羅がコンビニ弁当のモデルになりました。 宮城県で夕方のTV番組で視聴率NO1を長年継続しておる番組で司会者の、さとう宗○さんが推薦する、県内の食材を利用した物で弁当を作り、コンビニで発売開始されました。 最近数人の人より、「奥さんと宗さんとテレビに出てたよ。」といわれましたが、ここ数年宗さんは我が家にいらしてはおりません。最近は、仕事に追われTVは7時過ぎまで見ておりませんでした。 宗さん、「これだけは絶対はずせないオカズ。」と仰られたのが前にいらした時、妻がお出しした、たけのこの天婦羅なのです。 丁度5月の山菜真っ盛りの季節で、たらの芽などと一緒にたべて頂いたものでした。 その弁当是非一度はと思い、今日買ってきましたが、明日の妻の弁当にしました。
2006.07.06
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昨日の7発のミサイル発射、きちがい染みた行為を世界が許さないでしょう。 ようやく北を援護する3カ国も、重い腰を上げることでしょうが今までいくら日本が主張しようが響きませんでした。 先の大戦は日本の全国民が被害者であり、また同時に不幸にも近隣諸国に対しては加害者でもあるのです。 先の大戦の反省と謝罪がなければ、いくら声を張り上げようが近隣諸国には響かないでしょう。 韓国の金永三元大統領が言ったように「すまなかったと言ってもらえば良い」だけなのです。 すぐ日本は、大金を出しその場しのぎをします。それこそ国の不利益です。 反省、謝罪すべきはして、主張は堂々と述べるそうしなければ、後数十年たっても現在同様莫大な援助を続けなければならない事でしょう。
2006.07.06
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殆ど死語になり、今は使う人はいませんが、使う時は遊び半分にふざけて使うようです。 でも村八分、..村全体で、のけ者にし一切の協力や付き合いをしないことは知っていても、どうして十部でないのかを特に若い人は知らないようです。 二部(二つ)だけは協力やお付き合いをする事なのです。一つは火事、 これは消してやらないと、自分の家も燃える 恐れがあるからです。もう一つはお葬式です、 これ以上の不幸はなく、一人一回きりです。 この二つは村八部と言えども、他の人と同様にする事なのです。 昔は共同作業が多くあり、村八部にされると生きていけないほどだったと聞きます。 今は全くそんな事はありませんが、お付き合いを好まない人が自分から避けてる場合もあります。 今日は懐かしい言葉より、村八部について書きました。
2006.07.05
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昨日は町の、「木酢液、竹酢液研究会」の総会がありました。 午後1時半より役員会、2時半より総会3時半より使用実証者発表会があり 高校の後輩3人が発表しましたが、三人とも大変、農業に愛着と自信が感じられました。 無農薬や減農薬には必要不可欠のもので、「10年早く知く知っておれば、また違った農業ができた。」と話しておった。 今、割りと野菜が例年より高めだそうです。悪天候などが続くと、すぐお隣の国より輸入したが 相次ぐ禁止農薬の検出で、お隣の国でも検査体制が前より強化され発見したら、輸出を控えるようにあったそうです、当然ですがね。 木、竹酢液は、無農薬、減農薬の切り札として、林野庁が先頭に立ち、環境省、通産省(当時)厚生省などが後押しし、全国に広く普及し始めましたが、 3年前一転使用禁止になり、連日各地より「こんな無謀な法律はない、何とかして欲しい。」旨の電話が多く来ました。一連の≪特定農薬法≫騒動です。 全国の炭焼きの代表8人で農水省に陳情に行き、わたしはその一人です。大臣は海外出張で不在の為、林野庁長官室で話し合いをしました。 アイガモ(水田の草取り)農法、わさび、牛乳(あぶら虫が窒息死)など自然の防除材は全てが禁止、良いのは化学農薬だけの法律です。 その後動物実験を重ねましたが、途中海外より全く安全との結果が来て認証はしないが、「今までどうり使用しても良い」との農水省の弁です、 全くおかしな法律ですね。
2006.07.05
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昨年郵政民営化は参議院で否決され、衆議院が解散され小泉政権は、圧倒的多数で国民に支持された。 過疎にあえぐこの地も、10月より集配業務が無くなり15km離れた町の中心の郵便局よりの配達となる。 しかし詳しい業務内容は局員ですら、後三ヶ月足らずなのに今だ明らかになっておらず判らないそうだ。 郵政民営化は、細かい骨格はまだ決まっていないといゆから驚かされる。 骨格も決まってないのに、賛成も、反対もできないと言った人たちや、もっと検討を言った人たちを抵抗勢力と呼んだ。 わたしのところは郵便局とS急便とY運輸の業者さんが来て、三業者を利用しておるが、三者ともこの地区は赤字だといゆう。 地方の殆どの郵便局は赤字で、特に過疎地は深刻だが民間の業者とて全く同様である。 郵便局が無くなっても、民間の宅配業者があるのではと言った考えは地方の現状を知らない人である。 民間になれば採算が合わない所は、当然う運賃を上げるだろう。それに宅配業者には、年金や保険などの金融機関は無い。 今この地は、来年にも中学校の廃校、二年後の農協の無人化、それに追い討ちをかける、郵政民営化である。 10月より土日の集配は無くなり、内容やサービスの低下は無いといった小泉劇場に、早くも騙されたのである。 なによりも15kmも離れた所より来なければならない、局員はこの地よりさらに12~13km吹雪であろうがバイクで走らないとならないのである。 山村は国土保全といった国を守るべく、大きな役割を担っており単に採算だけでは図れない所もある。 世界に誇る、日本の郵政制度を無くしたことが大いに悔やまれる。日本から山村が消えます。
2006.07.03
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昨日はよく降りました、午後雨が上がったと思い、国会議員さんが帰ってすぐ、愛犬モモを連れ草刈に、、、モモは近くの杉の木に繋いで、草刈を始めてまもなく急に本降りの大雨に、すぐにモモを連れ急いで我が家に走りましたが、 何せ草刈機を持ってるので思うように走れません、家までは7~800m位の距離ですがとても遠く感じれました。モモは途中でおしっこしたりで、家に付くまで全身ずぶぬれ!!激しい雷雨で、モモは雷が大嫌いなので玄関のなかに入れておくことにしましたが、 そんな雷雨の為、チワワの小太郎の散歩は忘れてしまい、地元有志で運営する、手打ちそばやの当番(月に2~3回)だった妻もいつもより早く帰って来ました。今日はよい天気で、とっても久しぶりのような気がします。
2006.07.02
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○主党の地元選出、女性衆議院議員さんが来られ、ただ今帰られました。 地元有志で、たたら製鉄なる日本古来の製鉄を復元する会があり、本日がその鉄を作る日でした。 たたら製鉄とは、最古の製鉄方法ではありますが、この化学が発達した現代において、手術用のメスや、かみそりの刃そして日本刀などはたたら製鉄でないと出来ないのです。不純物がなく、最高の鉄だそうです。 土で窯を作り、乾かし、その間に砂鉄を採らないといけないため二ヶ月に一回しか出来ません。 全員が別の仕事を持ち、本当に趣味としているのですが。○議員さんが是非見学したいとのことで、来られました。たたら製鉄見学後我工房にもお出でいただきました。 梅雨時で肌寒い日なので,陸炉に炭を起しざっくばらんな話で大変盛り上がりました。 また雨が強くなってきました。今日の犬の散歩は大変です。
2006.07.02
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昨日まで黒いカラスのことを書きましたが本日は白い、白鳥の事を書きます。 白鳥はふだんは、時速約60kmのスピードで飛びますが、シベリヤや北海道よりの、行き帰りには なんと新幹線並みの平均時速で240km以上で飛ぶ事が日本野鳥の会の調査で明らかになっております。 もちろんジェット気流に乗りますが、驚きですね。こんな事も、最近まで判っておりませんでした。 日本野鳥の会では、標識をつけておる白鳥の追跡調査をしております。 たとえば、宮城県の伊豆沼を000000番の白鳥が00時00分に飛び立ったとPCに入力します。北海道の屈斜路湖に00時00分に到着、 これに驚いた調査員は、「そんなに早く来るはずは無い、再度番号の確認を」と連絡も、間違いが無い事が判明。 距離を時間で割ると、平均時速でも240km以上出ておる事が判明しました、(日本野鳥の会、会員談) ツバメはあんなに小さい体で、遠く南方より飛んで来ます。普段の飛び方をしておったら、絶対に来れないのです。ジェット気流に乗り、想像以上に楽に飛んで来るのです。 野生の生き物には、われわれの想像をはるかに超える能力を持ち合わせておる物が多く、その事にきずいておりません。 鳥は全ての種類とは言いませんが、完全な伝達能力を備え、それを長年伝える力を備えておる者もおるのです。 正確に気象を読み、方向と緯度、経度が判る磁石を持っております。読み書きができずとも、素晴らしい能力があるのです。 知らない所に地図が無いと行けない、われわれ人間の方が劣ってる面もありますね。
2006.07.02
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本日は会津方面へ地区の日帰り旅行でした。田植え後の慰労と地区の親睦融和が名目です。 暑くもなく、雨にも殆ど当たる事もなく楽しい一日でした、 6時ごろ帰って、孫の快と犬2匹と散歩したら、先日食べさせた、桑ごが食べたいと快が指をさします。 桑ごは養蚕用に改良された物は、実を結びませんが今は食用の桑ご採り専用の、桑の木も出ておるほどです。 今日食べたのは、野生に自生しておる桑の実で少し小さいですがおいしい物です。 先日木イチゴを採りに、快を連れて行ったのですが、木イチゴは2種類あってオレンジ色で6月中旬に食べるものは、もう終っており赤い木イチゴはまだ少し早かったので、桑ごを食べさせた所たいそう気に入ったようです。 わたしら子供の頃は、口の周りを紫色に染めて木に登ってよく食べました。 最近はすっかるご無沙汰の、桑後ですが大変なうかしく食べました、今も変わらぬ味です。 鳥の話は少し休みました、明日からまた書き込みます。
2006.07.01
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