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来月下旬出産を控えておる娘は、月曜日体調が悪いので「しばらく休む」と言い残し早めに帰宅した。 だいぶお腹が大きくなり、出産は早まりそうが昨日快と共に元気に来た、まずは一安心。 孫の快が来ると仕事の予定は大きく狂うが、来ないと寂しいものだ。だいぶ口も達者になったが、おしっこは時々しか教えない。 しかしいろんな観察力は感心するほどだ(じじい馬鹿ですが)それぞれの身の回りの個人の持ち物などは、箸、茶碗など誰のものか全てわかる。 畑の草を刈った所にトラクターで行ったら、「ないない、じいちゃんチーンチーン」とわたしが草を刈ったのが判ったようだ。 何よりご飯をいっぱい食べることが嬉しい、昨日の夕方、隣のマーくん兄弟がママと遊びにきて、帰って行くとき快も走って追いかけて行き、妻が追いかけたが走るのは速く結局マーくんちまで行ってしまた。(お隣さんは150mくらいで中間に空き家がある) 今日も元気に来るだろう、また今日は岩沼市より19名の団体さんが来る。 子供の頃の失敗談は次回にご期待下さい。
2006.08.31
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昨日に続きもう一つ、あわや大惨事といった事があった。中学生の頃、この地ではパチンコと呼び木をY字型に切りゴムをつけ打って遊ぶ道具だ。 この木は”もみの木”でなければ作れない。もみの木は生は柔らかいが乾燥するととっても硬く絶対折れない。 中学生のとき誰が言ったのか、○山のもみの木が一番良いと言うので3kmも離れた山に切りに行った。 その帰り郡で一番高い山に登った、宮城県側はなだらかだが、福島県側はかなり急勾配で枯れた草につかまり登り、後ろを振り向くと怖かった。 頂上に着き、やや広い所があり枯れた草が一面を覆っていた。誰かが「ちょっと火をつけてみよう」と言い火をつけた。 強風にあおられ瞬く間に火は広がった、5~6人の子供達は木の枝を折り必死に消そうとするが、火はますます勢いを増す。 何分いや何十分経った頃、どうにか火は収まったがあまりにも疲れ果て誰も言葉すら出なく、そこにしゃがみこんだ。 その夜はいつになく強風が吹き、夜中にそっと外に出て山を見る。翌朝復早く起きてまた山を見るようやくホットした。 小学5年の時読んだ「一本のマッチ」といった本とダブる。。草むらに火を放ち、友人が焼死した内容の本だった。 あの時のことは我らしか知らない、誰にもいえないことだ。
2006.08.30
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子供はいたずらが大好きで、専売特許だが人命や大災害に結びつくいたずらとなれば全く別物だ。 小学低学年の春先、地区の植林作業があり祖父が責任者で父母を含め50人位の人が出て作業をした。 我が家から約1km程行った所の山だ。多くの人が働く様子を山の頂上より、数人の子供達は見ていた。 山の頂上には大小の石があり、その上に上がっていたが、そに一つに動く石があった。 我ら子供達はその石を落とそうと、下を掘ったりして数人係で「よいしょ、よいしょ」と押した。 石は動き出し、ゴロンゴロンと次第に加速し山の下で作業をしておった山田さん(名前もハッキリ覚えている)の所に・・・・・ 大きな悲鳴と共に山田さんは避けたが、危機一髪かすめていったのだ。大目玉を食らったのはいゆうまでもなく。 今考えてもドキドキする、あの時当たっていれば大怪我、もしくは人命をも奪ったかもしれない。その山の木もだいぶ大きくなったが忘れられない出来事です。
2006.08.29
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数日前の新聞にある作家の方が、生まれたばかりの子猫を殺す記事が載っており、早速非難するブログを見た。 生まれたばかりの子猫、子犬を捨てる、人間の身勝手さだ。しかし一回に5~6匹を年2~3回生む、どうしようも無い事なのだ。 この地では20戸で犬は9匹ネコは10~12匹くらい居るが避妊手術をしておるのは、我が家の2匹を含め犬3匹だけでネコはゼロだ。 我が家とて避妊手術をしたのは現在飼っておる犬がはじめてである。それまでは両親の誰かが捨てておった。 誰も好きで行なう人など居ない、獣医も居ない時代それは当然のことであった。捨てるときよく念仏を唱える話を聞いたものだ。 どこの家で飼ってる犬、ネコも兄妹は多く居るが飼われておるだけでも幸せだと思う、貰い手が無くやや大きくなってからの処分も聞いた事がある。 数キロ離れた所にネコ屋敷がある、約20匹以上はいるが正確には判らない、と言い名前など無い。 そして今も増え続けている、避妊手術などするお金は無いといゆう。これも人間の困ったわがままだ。オオカミは大人になるのは20頭に一頭だけ、後の残りは殆どが餓死だ。今年我が家では10羽の子ツバメが巣立った、母は「このうち何羽が戻ってくるだろう。」と言ったが答えは簡単2羽である、だから数を維持しておるのだ。 多く子供を生むのはそれだけ無駄が出るからだ。かわいそうだがそれがが自然のルールであり掟だ。 またこの地は山間地ゆえ、捨て犬、ネコが後を絶たない、これにも困ったものだ、かわいそうだが餌付けをすると住み着く。住み着けば子を生む・・・いたちごっこだお宅のペットがお産をしたらどうしますか?
2006.08.28
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もう盆も終ってしまったが、この地では8月13日の夜は、庭に火を焚いてご先祖様をお迎えする。 昨年の8月13日は長女が泊まりに来ておった。薄暗くなった頃、長女が「マムシが車の下に入ったよ。」と言う。 暗くなって、しかも車の下は見えるはずが無く「な~に青大将だろう」とわたしは返答し、「あれはマムシの模様だ!」との娘の言葉を気に止めなかった。 その夜はビールを飲み、みんなより一足先に床に着いたが、寝ついた頃「おとうさんマムシが来たから捕ってよ。」と起される。 パンツ一丁で茶の間に降りれば、玄関の中に大きなマムシが動いて、しかもわたしのくつの上を動き回っているではないか。 愛犬モモも一度マムシに噛まれておるので、後ずさりしておる。「早く捕まえて!」と言われても、どうしようもない。 縁側よりパンツ一丁で、それに裸足で跳びだし、鎌を持ってきて、鎌の刃の反対側で首を押さえ手捕まえた。 早速ペットボトルに入れ、マムシ酒にしようと外の日の当たらないところに置いた。こうして糞をさせえてから、焼酎を入れるのだ。 半月ぐらい過ぎた頃、ある方より「盆の13日にマムシが舞い込むとは縁起が良い、それを殺したら罰が当たる!」と言われ怖くなって、やや離れた山に離した。 とんでもない盆の来客だった、こんな事は山村ゆえの事で、皆さんには考えも着かないことだろうが、この地でも聞いたことが無い。
2006.08.27
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昨夜のプロ野球楽天VSロッテは前日に続き延長戦になり今日地元有志で運営する、手打ちそば屋の当番の妻は。 「見たいけど、帰ろう!」と言うので延長11回が始まるとおき球場を後にした、その後の経過は携帯ラジオを聞きながらバスに乗り仙台駅でさよなら勝ちを聞く。 長女の所に寄り帰宅したのは12時半だった。中学までは野球大好きであったが、高校進学と共に陸上部に所属。 野球には全く関心が無くなったが、卒業後再び各スポーツに興味がわき仙台に楽天が来てからは、特に関心を持つようになった。 それまではプロ野球は地元宮城県、もしくは東北出身選手を中心に応援しておった。 従兄弟がいつも言う、「弱いから応援するんだ!」勝利の瞬間は見れなかったが、ロッテ応援団の統制の取れ、熱狂的だがけっしてやじらない、爽やかな応援にも関心して帰った。
2006.08.27
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昨夜はラジオでプロ野球を聞きながら、TVで韓国で行なわれた日本対ポーランドの試合を見入った。 用事があり10時ごろ帰宅した妻は、「あら、どちらもかけてるの」と笑う。バレーボールは9時よりの試合だったのだ。 めったに勝てない楽天、日ハムに大差で三連敗したので、今日こそと思いラジオに耳を傾けておったが結局12回1-1のドロー。ほぼ同時に終ったバレーボールはヨーロッパチャンピオンのポーランドに3-0のストレート勝ちした。 今日はまたプロ野球観戦線だ、楽天対ロッテ戦だが弟の「ロッテの応援はすごいから是非観に来て」との誘いに妻と弟と従兄弟の4人で行く。 実は今日は地元でナイターのグランドゴルフなる、主に高齢者のスポーツの大会があり、出る事になっておった。また体験農園の夕涼み会もあるが野球に行く事にした。 思いっきり応援して、税務署の事を忘れてこよう。
2006.08.26
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まだまだ残暑が続いておるが、ここ東北のあぶくま山地は日に日に雲は高くなり、朝夕はめっきり涼しくなった。 昨日はコウロギの鳴き声を聞いた、実はこのコウロギくん、秋野菜の新芽などを食い荒らす害虫なのだ。 でもなぜかコウロギの鳴き声が大好きで、聞き入ってしまう。わたしが一番秋を感じる生き物だ。 子供の頃、いやつい最近でも牧草地に寝転ぶと一瞬コウロギの大合奏が止まるが、少しの時間が経つと、一匹、また一匹、やがてまた大合奏が始まる、これが何ともいえない自然のオーケストラだ。 また昨夜車の窓を開けて走っておると、稲の独特な匂いがした。稲が実ってきた事が匂いでも判る。 燕もあっち、こっちに40~50羽くらいの集団化して、時折とても高く舞い上がる、南に向かう準備だろう。もうすぐ秋本番だ。
2006.08.25
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今怪しげな非通知の電話が入った、「部落開放がどうのこうの・・」この言葉を聞く度に違和感を覚える。 子供の頃より現在もこの地は各地区を○○部落と呼ぶ。その言葉には差別や偏見など一切無い。 部落開放といった言葉を耳にした時、部落のどこがいけないのだと思ったものだ。現在我地区には○部落集会所なるものもある。 別に誰も何とも思わないから変えようなんて事も思わない。差別用語は差別の心だと思う、 以前も書いたが、看護婦さんも保母さんもどこがいけないのでしょうか?保育士、看護士が偉いのでもないし、そんな事を思うほうがおかしいと思うのは変なのでしょうか。
2006.08.24
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う~ん頭がすっきりしない、完全な寝不足だ。何時に寝たかって?12時少し前・・・・・・ 朝にはめっぽう強いが、夜とアルコールにはめっぽう弱い。実は昨日は招かざる客が来る予定であった。 一番来て欲しくない、税務署だ、何とか来月の13日に伸ばしてもらったが、昨日は友人に点検していただいた。 その後お酒をだしたのだが、とてもお酒に強い人で、さすがの妻も帰られた後明日片付けをするからと言い、すぐに床についた。 今朝妻は食事を全く摂らないし、わたしも少しだけ食べた。でもいつもの習慣で5時前には目が覚める。 12時が特別遅いわけではない、炭窯に火が入ると真夜中も珍しく無いが、少しビールを飲むと無性に眠くなる、それを堪えてのお付き合いはとても苦しい。 その方は一学年先輩で実業高校より、独学で国立大に入った優秀な方で経理面で大変お世話になったいる。 最近はそのことが頭から離れず心が重い。早く終ればいいな。
2006.08.24
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8月15日に小学5年生の時の「大きくなったら何になる」との先生の質問のことを書いたが。 さまざまな職業は、全て同級生の言葉だ。わたしら農家の長男、いや殆どの長男は将来の職業が決まっておったのだ。 大工の長男は大工など、生まれながらに決まっており、次男や三男に対して優越感さえ持っておったと思う。 高校進学も農業高校しか自分も親も先生も頭に無かったが、当然のことで、全く違和感は持っていなかった。 むしろ先輩や同級生で別の高校や違う科に進むことを、不思議に思ったほどだ。 高校に入れば46人のクラスだったが43人が長男、三人が次男であったが、その三人の次男のうち二人は兄が亡くなっており、兄がいたのは一人だけだった。 その一人にみんなで「兄がいるのにどうして農業科に入った」と聞けば「酪農家に養子になる」とはっきり言い。現実に仙台郊外の大きな酪農家の養子になっておる。、 子供の頃の夢や希望は、酪農、養蚕、水田、林業などの選択であった。そのなかで、どんな経営をするかしかなかった。 食料増産の時代ゆえ、それだけの夢であったがむしろ現在よりは農業に対して夢も希望もあり懐かしく思う。
2006.08.23
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昨日何気なくかけたおったTV、教師の研修の内容だったが、見てびっくり、思わず見入ってしまった。 朝子供が起きないので、学校に連絡する。 子供同士で喧嘩して怪我をして休んでおるので相手の子供も休ませろ。 先生は給食費を払ってないのではないか。また以前の番組では、 うちの子供を呼び捨てにした。 反対に校長先生を呼び捨てにする。などもあったが上げればきりが無い。 なんと言う事だ、これが戦後60年の民主主義かと思うと嘆かれる。親としての責任や自覚が感じられ無くなったものだ。 加えて給食費の滞納も全国的に増加傾向にある、新車を買い、子供を塾に通わせておっても払わない。 昔の事を言えば笑われるが、わたしはできが良くなく結構体罰は受けた。でも家に帰りその出来事を話す者など誰もいなかった、また叱られるからだ。 著者は忘れたが、「父性の復権」なる本があった、友達みたいな父親は最低だと述べておる。 先生、監督、コーチ、上司も同様であると思う。そこには師弟の上下関係はある、 思いやり、いたわり、優しさと共に時には厳しく叱る事も大事だ。ハレンチ教師などもおるが、それば例外としてある程度の戒めも必要と思う、それが社会のルールなのだ。 どんな事があろうが体罰は絶対いけない、などと言っておるが程度の問題だある程度の体罰は必要と思う。
2006.08.22
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昨日の朝8時半過ぎ一本の電話が入る。「滋賀の○です、今福井県ですが今日の夕方伺ってもよろしいですか?」 数年前よりのお得意さまで、現高校の教師で元陸上槍投げの日本記録保持者、、奥様も400mの日本記録を更新した事がある方だ。 山形県出身で里帰りの途中、仙台の親戚の家に今晩泊まるので寄って見たと仰った。電話で幾度となく話をしたが、歯切れがよく丸っきりの関西弁に山形出身を聞いたときは驚いた。 県内有数の進学校の陸上部の顧問をされ、生徒達のアトピーの多さに驚き我が家に竹酢液の注文と相談があったのが最初で、以後定期的に注文されてます。 わたしも陸上の選手と指導をかじった為、話は最初より弾んだ。先生の出身地のマラソン大会に7年連続で参加、3回表彰された事もあった。 わたしは三流選手だったが子供達に恵まれ、京都の女子駅伝に二人や。全日本インカレ男子100m決勝に進んだ子もいた。その先生が現代病が急激に増えており「子供達がかわいそうだ、何とかしたい」とよく口にされるが、竹酢液でかなりアトピーが改善されとは嬉しい。 食生活が豊かになり、何でも有り余るほど食べられるようになったら、骨粗しょう症なる病気が出、よりきれいに清潔になったら、アトピーが増えた。 現在の大きく間違った食生活を今考え直さなければ、これからの子供達の将来が心配です。 ご飯は今の倍食べ野菜果物を多く摂り、おかずは減らす、清涼飲料水やスナック菓子はできれば控えるか採らないこと。レトルト食品やファーストフードも同様だ。 それに日本特有の素晴らしい食品の味噌汁の重要性を認識し納豆や漬物(自家製が好ましい)も忘れてはならない食べ物だ。 好みはあるが、もう一度自分と子供達のため食育を考えたいものです。興味のある方に「食育と炭焼き」誌(2,000円)を1,000円でお譲りします。
2006.08.22
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本日の地元紙に8月15日参拝者でにぎわった靖国神社の記事が載っておった。 例年に無く若者が多く、なかには特攻服姿や進軍ラッパが鳴り響き、誰かが口にする不戦の誓いなどどこ吹く風だ。 先の大戦の正当美化に他ならない、戦後の一貫した戦争に蓋をした教育の成果が現れた証拠だ。 国民の苦労や、近隣被害国への配慮などかけらも感じられなく、このまま右傾化が憂慮される。 戦犯にはABCがあるが、A級が一番重く次がB級ではない。A級は平和に対する責任、BC級は侵略や虐殺の現場や指導の責任である。 A級だけを取り上げる事自体がおかしいのである。戦争で亡くなられた方は、兵士だけでは無い。 国内外すべての犠牲者が、安らかに眠れるよう、静かにご供養したいものだ。
2006.08.21
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夏真っ盛りになると子供の頃より大好きな食べ物がある。なんときゅうりの煮物だ。 新潟より嫁いで来た妻は、「きゅうりは生で食べるもの。」と言って食べないが、娘達は皆大好きだ。 まずきゅうりは地這えきゅうりに限り、無ければ何でも良いが、地這えきゅうりの大きい物が一番おいしい。 作り方はきゅうりを大きく切り、油、砂糖、みりんなどであめ色に変わるまで煮込むので、結構時間を要する。好みで青唐辛子、シソを入れると尚おいしい。 熱々で食べるもよし、冷たくしてご飯にかけてもよし、これを食べないと夏と言った感じがしない、 きゅうりに限らず瓜類は体を冷やす効果があるので夏にはもってこいだ。妻は時々作るが、「味見して!」と言って絶対に食べ無いが娘達、特に三女は中学生頃より自分で作るくらい好きだ。 それに無くてはならないのが青唐辛子味噌だ、ご飯、焼肉なんでもおいしい。皆さんは何か変わった好物がありますか
2006.08.20
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わたしの子供は三人女だけだ、農家の跡取りといゆう事もあり、男児にこだわった。 しかし最初は女の子、これは初めての子供でとても嬉しかった。次は男と思いきや、これまた女の子「まぁしょうがない」と思い、 今度こそはと思い三度目の正直に期待した、しかしまたまた女の子。そのとき「二度あることは三度ある。」と言ったことわざもあったのだと思った、三度目の正直は自分の都合の良いことわざだったのだ。 その後いろんなことわざを思い浮かべたら、全てが反対のことわざがある。つまりどちらに転んでもことわざ通りになるのだ。 日本人の臨機応変さか、いい加減さか、皆さんも思い浮かべてください。 三女が生まれたとき、がっかりしたのでは生まれてきた子供に失礼だ、何より自分の子供だ、ありがたいと思った。
2006.08.20
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昨夜お泊りの快くんは午前3時にパッチリ目が覚めダダをこね、おんぶをして夜空の星を眺めながら散歩し、今はぐっすり眠っております。 昨日は30度位の気温でしたが、湿度が98%ととっても蒸し暑い一日でした。今日も暑くなりそうですが、湿度は昨日程ではないようです。 日本列島北と南で大雨のようですが、この地は雨が足りないくらいで、秋野菜の定植ができません、夕立ちでも雨が欲しいものです。 また昨日は、愛知県刈谷市からの来客があり三回も来ていただいております。6~7年前の名古屋市内のデパートで開催された、 ≪宮城県の観光と物産展≫でのお客様で、「東北の旅の時はここに寄らないといけない。」と笑われ、昨年は娘さんと三人でしたが今回はご夫婦だけでお見えになりましたが、ありがたいものです。
2006.08.19
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今から30年以上前、この地区の仏壇はどの家も裏座敷、奥座敷であり、それが当たり前と思い、よその地区に行き茶の間など、表の部屋にあるとすごく違和感を覚えたものだ。 30年前の4月、この地区最後となる自宅結婚式を挙げたが、妻が花嫁姿で両親と我が家に入り挨拶をし、最初に仏壇に手を合わさせて下さいと言う。 仏壇のある部屋は、片付けた物や泊まりの来客の荷物が多くあったが、急いで片付けた後三人は仏壇に手を合わせた。 その後新潟の父は「この地区は隠れキリシタンの里では?」と言った。その通り隠れキリシタンの里で、マリヤ観音堂なる町の文化財もある。 また地区に一番多い苗字は長崎市の中心部にある町名と同じだ、多くの人が遠く九州や岡山よりこの地まで来て住みついたといゆう。 一番古いとされる妹の嫁ぎ先の家は17代先の先祖がキリシタンだと言った文献が残っておる、 実はわたしも隠れキリシタンの末裔なのです。その後殆どが仏教に代わったといわれておるが、隠れキリシタンの里として宮城県では有名です。 ここ20年くらいで仏壇は殆どが表の部屋に移っておるがこれも言い伝えないと、忘れ去られる事でしょう。
2006.08.18
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盆も終わり今日より妻も会社だ。来客は娘達や兄弟だけで、伯父叔母は見えなかったが、 子供の頃はすごい人数だった、父の兄弟は11人叔父叔母が20人も居た。従兄弟は30人を超す、それに祖父の兄弟や分家もある。 冠婚葬祭は全て自宅で行なったので、食事や寝具など母の苦労は子供の目にもとても大変に見え、中学生頃よりとても不自然に思えたことがあった。 一つは祖母は料理を好まない人で、母に手伝う事はめったに無かった。もう一つは母に手伝う叔母が少なかったし感謝の言葉も少なかった。 叔母たちが手伝わないのは「祖母の教育が・・・・」と母がこぼしたのを聞いたことがある、そんな事を経験してか妹達に母は「お姉さんに手伝いなさい。」と今もそんな言葉を口にする。 わたしの兄弟は4人で妹二人に弟(独身)一人、甥、姪は6人しか居ない。それでも大変な事もあるのに、母の苦労は並大抵ではなかった事が想像つく。 今と違って料理も手作りで、蔵の二階には多くの食器類や寝具がありその出し入れも大変で、手伝いをしながら子供心に大変矛盾を感じたものだ。 冠婚葬祭全て自宅で行い、盆正月の来客は相当数であった、加えて 祖父の付き合いの多さだった、 ○○組合長、会長、代表など多くの役職を持ち合わせており、そんな関係の来客も多く、必ず酒を泥酔するほど飲むので、酒飲みは大嫌いだった。 冬になれば謡曲の先生だったので、火鉢を何個も並べみんな正座をし10人位の生徒が大声で歌うのでとても眠られたものではなかった。
2006.08.17
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昨夜は妻、弟、従兄弟とその子供達総勢11人で楽天対ソフトバンクのナイターを見に行った。 雨の為心配したが40分遅れでようやくプレイボール。時折小雨があったものの試合は続行された。従兄弟二人のうち一人は青森よりの里帰りで、一家5人初のプロ野球観戦だ。結果は6-3でソフトバンクが勝ったが楽しく過ごした。8回が終った時点で勝負が見えてきたので一足早く球場を後にし、 東北本線大河原駅に着いたのは11時半過ぎ、それからみんなはラーメンを食べに行ったが、妻は早朝新潟より帰ってきたので別行動で自宅に戻る。 青森の従兄弟とは、家が2~300m位しか離れておらず、兄弟同様に育ち、特に弟は年が近かったので毎日遊んでおった。 昨夜はかなり濡れたので、今は少しのどが痛く少々風邪気味だ。今日は近所でのお葬式に参列です。
2006.08.16
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大きくなったら何になりたい?先生の質問に、船員、大工、警察官、先生、自衛官などなど答えた。 先生は『そうか、なれるように頑張りなさい、先生が子供の頃は男は二つ、女は一つしかなかったんだよ』と言われた。 男は陸軍大将もしくは海軍大将。 女は良いお嫁さんになって良いお母さんになる。 小学5年生の事である、O先生は6年生の担任で、担任の先生が不在の時自習時間にきて話された、数年に及ぶシベリア抑留者でいろんな体験談を聞かされた。 同級生に言っても誰も覚えておる者はいないが、なぜか鮮明に覚えている。その先生が3年前に亡くなられた。 神社の神主さんも兼務しており、妻が一緒に山に登った時、O先生にわたしが聞いたことを話した所。 「○○君(わたし)のことは記憶に無いが、そんな事は生徒に話をした。」と仰ったそうです。 担任ではなかったが、時々思い出します、とても温厚で、笑顔が優く戦争の悲惨さと平和のありがたさを教えてくれた先生です。
2006.08.15
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子供の頃はゼロ戦、大和など大好きで多くの戦記物を読み漁ったが、読んだ物は勇ましく戦い、華々しい戦果を挙げたものや感動物が多かった。 母も昔はこんな歌を良く歌ったものと軍歌を歌って聞かせてもらったがいつも父は嫌な顔をしたものだ。 小学5年生の時、先生よりシベリア抑留など生々しい体験を聞き始めた頃より、少しづつ戦争について考えるようになり。 中学生になると泥沼化するベトナム戦争の新聞記事を、毎日くまなく読んだ。 衝撃的だったのは旧陸軍の743?部隊の事や、従軍慰安婦の事であった。若い朝鮮半島の女性を強制的の戦場につれて行き、朝鮮(当時)の人たちは、それを阻止する為相手かまわず結婚させたが、最後は離婚させて強制連行した事や、60万人に及ぶ強制労働の実態など多くは一切教育していない。 またこの地はは山村ゆえ、植林、下草刈など多くの共同作業がありこれまた生々しい体験を多く聞いたがその中には虐殺も多くあった。 昨夜もNHKで、『日中戦争、兵士達は大陸で地獄を見た』を見たが一支撃退論(いっしげきたいろん)なる一撃加えれば、すぐ退散する、といった安易な作戦が泥沼に嵌る要因だったようだ。 国会議員でさえ、南京大虐殺は無かったなど、歴史を知らないもしくは隠して正当美化する声さえある。 中国の各事変なども、入院した時に現場に直面した人から、体験談を聞くこともあった、誰が考えてもおかしく日本軍が仕掛けたものと話しておった。 よく志願兵といった言葉を聞くが、○○村は○名などと割り当てが来、身体強健、頭脳優秀な若い者に、村は志願用紙を差し出し、署名、捺印するだけだったといゆう、全員ではないが多くは志願させれれたのである。 これに反する者は投獄と反国家分子のレッテルが貼られるので誰も反対する人は居なかったといゆう。 働き手が徴兵され戦地に出ておる家は、田植えを優先的に残された女、子供、老齢者を中心に行なったが、 昔は馬があれば良い方で、その馬さえ供出させれれ、残された者の労働はとてもきつく、今もってその苦労を話す高齢者も居る。 明日は終戦記念日、慰霊は当然だが決して正当美化してはいけない。英霊など言った言葉に惑わされる事無く、供養したいものです。 不戦の誓いは、国民と加害国に対して反省と謝罪が無ければ全く無意味なものと思う。
2006.08.14
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もう快くんは5時前に起きトラクターでのドライブを終えました。妻は新潟に出発しました。 長女、三女夫婦はまだ寝ております、妻が新潟に向かったのは、従姉妹が昨日未明亡くなったので今晩が御通夜、明日お葬式に参列のためです。 従姉妹と言っても70代半ばになり、妻の母とあまり変わらない歳で、数年前大勢で我家に見えたこともありました。 子供の頃、今の時期は養蚕真っ盛りで蚕を繭にしてからのお盆で20日頃は20日盆(はつかぼん)31日盆(みそかぼん)などと呼んだ時期もありました。 その養蚕も30年から20年位前またたく間に無くなってしまい、子供の頃よりの原風景とも言える物が、一つまた一つと消えていきますまた盆頃より、キリギリスが鳴き始めると盛夏も過ぎ、秋が近づいてることを感じます。果物で言えばモモは夏、りんごは秋でしょうか もうすぐコウロギも鳴き始めることでしょう。秋、草むらに寝転んで、しばらくするとコウロギの大合唱が始まりそれが大好きで今も時々します。
2006.08.13
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従兄弟で同級生の奥さんのことだが。彼女が三歳になたっ時、妹が生まれたが産後の日経ちが悪く一週間後に彼女の母は亡くなった。 幼い妹と群馬の母の実家へ預けられ小学校時代をすごしたが、とっても優しい祖父母で、特にじいちゃんは大好きだったといゆう。 その大好きなじいちゃんが小学4の春に亡くなった。その年の盆の夜、垣根の向こうにおじいちゃんが笑って立って居た。 彼女は大好きなじいちゃんが来たので、もう嬉しくて嬉しくてすぐ行って抱きつきたかったそうだが、亡くなった事が頭にあり。 しばしの間お互い、黙ったまま笑って見つめ合い優しいじいちゃんなので怖いといった気持ちは全く無かったそうだ。 「わたしは誰がなんと言おうと幽霊は信じる、だって見ちゃったんだもの」と言い、「でも怖くないよ、また逢いたい。」と付け加えた。
2006.08.12
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日本初となる竹炭入りの青汁≪桑麦健・快そうばくけん・かい≫ようやくアップしました。 桑、大豆、大麦若葉、ヨモギ、ヤーコン、竹、ドクダミ、クレソン、竹炭の全9種類の配合でおそらく日本一と思います。 自家栽培の大麦若葉、とヨモギ他の物も地元産で、無農薬、無化学肥料の有機栽培です。 最近はトップアスリートや有名人の方にも愛飲されており嬉しい次第で是非お試しあれ ブログを読まれておる方には特別サービスいたします。 今朝は商品の事だけになってしまいました。 http://www.rakuten.co.jp/hippoあぶくま健康食品開発 です。
2006.08.12
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昨日は予定通りの畑仕事を終えましたが、快くんに変化が見られました。トラクター大好きな子供ですが、畑を耕すのは嫌いなようです。 トラクターで畑を耕す時は低速でゆっくり作業をしますが、それが面白くないようで、畑に向かうと機嫌が悪く「あっち、あっち」と反対方向を指指します。ある程度のスピードを出し、その辺を走るのが好きなようです。 またすぐ近くで木材の切り出しと、大型トラックに積み込むクレーンの作業を見るのも大好きで、「もう帰ろう」といゆうと「いやいや」します。自我の芽生えでしょうね。 今日は我家のミクロ竹炭を使用した、ラーメン屋さんの二回目のTV取材があり、今度はフジ系です。 竹炭飴と竹炭豆も在庫が無くなりました、豆は今日届きますが飴の方は緊急に作らないと・・・・在庫管理ミスです。 今日は配達が3件ありますが暑くなりそうです。妻は梅干用の梅を干し始めました。
2006.08.11
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雨はさほどではなく、今は梅雨空のような曇天です。わたしの起床時間も、日の出と共に遅くなってきました。 先ほど(5時半)突然の電話で飛び起きれば間違い電話で迷惑を被りました。 今朝の気候はもう秋を漂わせており、夏も盛りを過ぎた感じです。畑のほうも秋野菜、白菜や大根の種まき準備にかかりますが、 最初に電牧を外さないと何もできず、それから始めます。アスパラも約20年近く栽培し、収量が落ちてきたので、今年は植え替えをします。アスパラ、白菜や大根はイノシシやハクビシンの害がなく安心して作れる野菜です。自分で栽培した物を食べるのが、田舎でできる数少ない贅沢なのです。愛犬が散歩をしたく呼んでますので、今から散歩します。
2006.08.10
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雨が降りました、今月初めての雨かな?猛暑から一転涼しい日です。 人間とは勝手な者で、早く梅雨が明けないかと願い。暑い日が続けが雨でも降らないかと思います。 まだ小雨ですが台風が近づいており、東海地区は大雨が予想されておりますね。ツバメも二回目のヒナが昨日巣立ちましたが、先負なので午後でした。 快くん今日も一回自分でおしっこをして褒めてあげましたが、もうトレーニングパンツはびしょ濡れです。でも最近は毎日一回は自分でおしっこをします。 来月おにいちゃんになるので、それまでオムツが外れるようにと思っておりましたが、どうも間に合わないようです。 今快くんはカブトムシの水槽に土をすくってきて入れました。おまけに床にこぼし、ママに叱られました。 もうすぐおばちゃんが会社より帰ってきます。
2006.08.09
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孫の快のため妻が水槽に飼っておいたカブトムシの幼虫、昨日一匹孵化し、早速モモをあげたところしがみついておりました。 栄養が足りなかったのか小さいオスです。昨年は大きなタライに飼っておりましたが、屋内に置いたので乾燥により全滅しましたので、 今年は時々水をまき湿り気を持たせたのが良かったようです。幼虫は糞をするときは上に上がり、またもぐっていきます。 孵化したカブトムシくん、今日はまだ潜ったままで出てきません。水槽の中にはまだ10匹くらいはいるはずなので楽しみです。 子供の頃カブトムシやクワガタムシなど山間地ゆえいくらでも採れたものです。今嬉しい電話が入りました、バイクの日本チャンピオンより青汁の注文が入りました。スポーツドリンクをやめ、我が家の青汁を飲み始めたところとても体調が良いとの事で、昨日も同様の電話を頂戴しました。 こんな人が一名、また一名と増えており一番嬉しい次第です。
2006.08.09
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あぶくま山地にすがすがしい朝を迎えました、風が心地よく吹いております。日中は猛暑が続いておりますが、夕方6時になると涼しく現在まで寝苦しい夜は一夜もありません。 昨日母は猛暑の中、ジャガイモを掘り終えました。手伝おうと思っておりましたが、注文が多く入り手伝いはできませんでした。本当に元気です。 今朝は6時にお墓掃除に行きます、もうすぐ盆ですね、昨夜妻は友人に電話をしてるので、自分だけ先に寝ましたが眠ってる所に来て「明日お墓掃除に行こう。」といゆうのです。 仙台七夕も今日が最終日、三日間雨が降らないのは珍しいことです。アメリカやヨーロッパでは40度を越す猛暑のところがありニュースで見ましたが、これも異常気象でしょうか。 夏は暑くないと、農作物(のうさくもつ)の生育に影響します。経済的にも夏は暑く、冬は寒くないといけないので我慢ですね。 多く水分を取ると共に、塩分の補給も忘れずに、減塩は命取りになりますよ。 塩分一日6g以内などと言ってますが、季節(気温)、年齢、体重、運動量など全く無視しており、いい加減なものです。
2006.08.08
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昨日より仙東北三大まつりの台七夕は始まりましたが、昨日は広島原爆慰霊祭の日でもありました。 もう61年も過ぎ、戦後は年々薄らぎ、広島の小学生の約半数が何日、何時に投下されたのか知らないとラジオより流れており。 数日前のラジオでも、大学生に「日本と戦争をしたことの無い国を挙げよ。」と質問した所アメリカと答えた学生が一割もおったそうです。 どうもくさいものには蓋をしろとの考えか、日本人は都合の悪い事は、隠し事をしたいようです。 次期総裁選において靖国は議論すべきでない、といっておる人がおりますが、単なる参拝する、しない、あるいは心の問題などではなく、 なぜあんなにも多くの人が亡くならなければいけなかったか。 正しい歴史感とそれを伝える心と教育です。誰でも慰霊そのものに異論など唱える人はおりません、当然の事です。 しかし先の大戦の反省、責任、被害国、自国民への謝罪が全く無視されえておるところが問題なのです。 外国からの干渉など、そんな低次元ではなく、正しく歴史を見つめられるか方に、総理になって頂きたいし、子供達にもそういった教育を期待します。 我父は軍歌を歌った事は一度も無く、子供の頃のTV番組のコンバットをたいそう嫌っておりました。 不幸にも今現在も戦争は行なわれておる地域があります。戦争の責任を明確にし反省がない限り、この世から戦争は無くならない事でしょう。
2006.08.07
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東北三大祭りの仙台七夕が今日より始まりました。いつもは雨にたたられるのですが、今年はそんな心配はいらないようです。 昨日より仙台3往復しました、1往復で120km越しますので360km以上走りました。 昨夜は花火大会より家に着いたのは今日でした。デパートの屋上で1,000円会費で、生ビール2杯、弁当、焼き鳥、枝豆、とうもろこし焼きそばその他いろんな飲み物などありお得なイベントでした。 花火も昨年より4,000発多い16,000発上がり快も喜びましたがビールは一杯半しか飲めませんでした。 今日は別のイベントでまた仙台へ、朝に準備をし仙台で販売しておったら、さとう宗幸さんのマネージャーの久保さんが見えました。 仙台は思ったより暑くなく、帰ってきた我が家の方が暑いです。丁度ビルの地下よりの吹き上げがあり、また海風のせいでしょうか意外と涼しいかったです。 今日は疲れたので早く寝ます。
2006.08.06
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昨日は地元直売所の増築工事を素人だけでやり終えました。夕方快を連れ隣のマー君ちへ行くのが最近の日課になり、行きましたがおりません。 保育所の夏祭りで「誰でも行けるからいって見たら。」のマーくんのおばあちゃん(とはいえまだ52歳)の言葉に行く事に・・・・! みんなで食事をしてその後は花火をしました。 この地元は325戸も戸数はあるのに、今年はたった3名の園児でそのうち二人はマーくん兄弟です。 三人だけではかわいそうなので、時々まちの保育所に行くそうですが、昨夜も保母さんの友人と思われる人も、3人のお子さんを連れ来て、また小学1.2年生にも声がけし、20人は集まった。 入れる年齢の子供は約10人位は居るのですが、入れない家庭があるようです。それにしても子供が少なくなりました。 第一に未婚の男性が多いこと、次は結婚しても町に所帯を持つ(わが娘達も同様)、事ですが時代を感じます。 今日は仙台に2往復で一回目は床下用の竹炭300kgを配達、夕方より我らと娘夫婦(長女、三女)お婿さんの両親で。 明日より始まる仙台七夕前夜祭の花火大会があり、次女が勤めておる。○越の屋上のビヤガーデンで花火を見ます。 これは○越の社員とその家族だけが1,000円で入れ、今年は大勢で押しかける事にしました、今日も暑くなります。 注・・わたしは保母さん、看護婦さんを決して差別用語とは思っておりません。 男女の違いが判り良いと思いあえて使用しました。
2006.08.05
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いや~暑くなりました、今までの涼しい日々よりの一転猛暑は体にこたえます。 昨日は10時より、社会福祉協議会の総会、中学校の統廃合検討委員会、敬老会の打ち合わせ、行政区長会など途中昼食を取りながら3時過ぎまでの 会合があったが、昼に母より電話があり家に戻れば福島の妹が頼んでおった桃を持ってきた。 すぐに大阪の依頼主の送り状を作り荷造りをした、今日も30箱以上持ってくることになったいる。桃も早稲種が終わり最もおいしいとされるアカツキ種が出てきたが 今年は例年を大きく割り込む日照不足で、どこも甘味は若干劣るそうだが取立てはおいしい。 妹の家は酪農家で有機質肥料を多く施しておるの味はで格別で毎年多くの予約が入り送っている。 あとは我が家は全員とうもろこしが大好きで、父はご飯を食べないでとうもろこしを食べることしばしばである。 現在は殆どの物が季節を問わず、年中出回っておるが旬のものは格別です。きゅうりもトマトもナスも今が一番おいしいですね。 すいかやメロンも暑い中食べるからおいしいのです。寒い季節は珍しさが先行しておいしさはあまり感じないものです。 仕事でもいっぱい汗をかき、かいたついでに夕方7時に久しぶりに愛犬モモと約1km走り、心地よい汗をかきました、今日は2km走ろう。
2006.08.04
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昨日8月2日は母満76歳の誕生日だった。十代で父の所の嫁いできたが、親が決めた縁談で見たことも無かったといゆう。 父の兄弟は11人で、まさに大家族の見本のようで、最高で15人、常に10人以上は居たといゆう。 子供の頃TVで「ただ今11人。」といった番組があったが、我が家もその時家族は11人でした。 そんな大家族の所の嫁いだ母の苦労は、並大抵ではなかったろうが、持ち前のがんばりやで乗り切ってきた。 高等科(現高校)時代は戦争の真っ只中で、開墾に明け暮れとても勉強どころではなかったとよく話しておった。 一昨日その高等科の同級会に行き、昨日帰って来たが「とっても楽しく12時まで話し込んでいた。」とは年齢を感じさせない行動に感心した。 今はほぼ毎日庭と畑の草むしりをし、曽孫の子守を喜んでいる。春の山菜、秋のきのこ摂りは大好きで、朝起きるともう山に行っておるのである。玄関に「○○の山に行ってきます。」といつも書置きして行く。 あとは十代より続いておる短歌も生きがいのようです。最近は物忘れがひどくなったとしきりにこぼすが息子のわたしからの見た目には、まだまだ現役です。
2006.08.03
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親が一生懸命勉強したら、産まれてくる子供はその知識がもう頭の中に入っている、こんな事があったら良いですね。 わたしが経験したカメムシの事を書いてみます。昆虫や魚は卵を産み終えると、あとは何もしなくとも良い。 わたしは結婚前に親戚の畳さんより、畳の床だけ(イグサの無い物)譲り受けその上にジュウタンを轢いた、翌春カメムシが大発生、なんとそこで、越冬しておったのだ。 それから数年後の10月の小春日和の日、あっちこっちにカメムシが多くいる。とても悪臭を放つ虫で、地元では≪屁臭虫 へくさむし≫と呼ぶ。 母に話すと「今はどこにでも多くいる。」といいましたが、我部屋の窓には数十匹、隣の部屋の窓には数匹でした。 つまりこの窓の中には越冬できる所があることを、かなり高い確率でカメムシは知ってることなのです。 誰から教えられた訳でもなく、それは生まれながらすでに遺伝子に組み込まれておると思ったのです。 農作業をしているトラクターや農機具にはアブが多く寄ってくる。昔農耕用の馬に寄ったのを勘違いしておると、高齢者の方が笑うがこれも遺伝子に組み込まれておるのではと思う。(アブ 蜂に似た血を吸う昆虫) 子犬は決して三ヶ月過ぎないうちは、買ったりもらっりしてはいけません。三ヶ月の間に親兄妹と生活しながら多くのことを学ぶのです。 鳥は巣立つまでに、巣の構造や場所を見て覚えます。魚や虫はそんな事はありません、卵に教育をしておるように思えるのですが皆さんはどう思いますか?
2006.08.02
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昨日の高校野球宮城県大会決勝は、東北、仙台育英共に譲らず、延長15回0-0引き分け、規定により今日再試合となった。 息詰まる投手戦で、まさに伝統校の気迫と根性を見た感じで、おかげで昨日の午後は殆ど仕事にならなかった。 テレビに熱中しておる最中に、孫に遊んでくれとせがまれて困った。また今日も午後一時より再試合なので楽しみだ。 わたしが朝早く起きるのは、二つ理由がある。一つは害獣除けの電気牧柵の電源を切ることです。 イノシシ、ハクビシン、タヌキなどが入らないように畑のまわりに電牧を張って、夕方スイッチを入れ朝きるのです。 まだ掘ってないジャガイモ、とうもろこし、枝豆、かぼちゃなどはそれらの動物が好物とするところで、みんな苦労して守っています。 困った事に年を追うごとに増えており、過疎の為の人口減と反比例しておる。害獣駆除は頻繁に行なっておるが、一向に効果は見えない。 もう一つはPCを開き、注文とブログを見ることです。注文は波がありますが、最近は3月末日より始めたこのブログを開くのが楽しみになりました。 アッもう一つ早起きの理由、年をとったからと愛犬が散歩を待っている事も付け加えます。
2006.08.01
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