Vini Reillyが、自殺したJoy Division( ニューオーダー
の前身であったバンド)のボーカル、イアン・カーティスに捧げる曲として作った、文字通り「鎮魂曲」である。こんな哀しく美しい曲を聴かせられたら、どんな苦悩の末にこの世を去った者の魂でも救われるのではないか、と思われるくらい気の遠くなるような美しいギター曲。いつ聴いてもカタルシスがあるなあ。Durutti Column についてはこのHPの フリーページの記事
も読んでね。

ああ、あれからもう19年になるのかあ。衝撃的なライブ・アルバムだったよなあ。滅多に手に入らないこのLPは今でもオイラの宝物だよ。ただ暗い音楽ややたらと激しい音楽は腐るほどあるけど、深く、重く、熱く、暗く、屈折していて、しかし美しい、溶岩流のような当時のAATTの音楽は誰にもマネできないなあ。AATTについてはオイラのHPの フリーページの記事
でも読んでよ。あと、検索してたら中年のオッサンになった彼らの ライブのビデオ
・リンクを発見。必見!
聞いてくれよ、ロックバンドの名前が「筋肉少女帯」で、アルバムの名前が『仏陀L』だぜ仏陀L。…で、曲の名前が「釈迦」だぜ釈迦(笑)。超絶テクの激しいロック・ミュージックをバックに、大槻ケンヂがサビで「♪ど~ろ~ろ~の~脳髄ィぃ~!!」を連呼し、バンドメンバーが粗野な声で「♪…シャララ、シャララ、シャララ、シャカシャカ!」ってコーラスしてんだぜ。釈迦もナメられたもんだよな(笑)。そんなことはどうでもよくて、三柴の在籍してた当事のキンショーはほんとスゴかったんだよ。今でもたまに1人で聴いて、アドレナリン発生させてるよ。
…ああ、もうあれから20年も経つのかあ。すごいバンドだったなあ。ザ・スミスが「イギリスの知性」なら、ローザ・ルクセンブルグは「関西の知性」とでも言いたくなるような、関西の誇るべきバンドだった。当時京大の6年生だったどんとの繊細なギターと半分フザケたようで誠実なあの歌声に掛かるとモチーフの「橋の下に住む浮浪者」がこんな美しい曲になってしまうんだなあ。思いっきり哀しくさせておいて、でも「生きていこう」と思わせてしまう「ローザ渾身の最後っ屁」みたいな最高の曲。
この曲は、まだ人並みの男性ホルモンの分泌があった若い頃のマイ・ベスト・ソングであったと言っていい。いまでもオイラはこの曲を「オルタナティブの一到達点」とか「USオルタナの金字塔」とか勝手に称んでいる。10分を超える大作だが、まったく長さを感じさせない。メロウでムーディな導入部から次第にハイの高みへと誘導されていく。ジワジワと効いてくるコカインを感じながら愛する人と興じるハードコア・セックスを追体験するような音楽とでもいおうか(笑)。歌詞の世界もズブズブのディープさだ(笑)。
10年前に心斎橋氏からコメダを教えてもらった時の衝撃を覚えている。「もうオレらの音楽の時代はピクシーズの解散やカート・コバインの自殺とともに終わっちまったんだよな」…と勝手に諦念を決め込んで専ら懐メロに浸っていた頃、北欧で独自の進化を遂げたこの特殊な音楽の世界を知らされたのだった。Stjarna(スウェーデン語で「星」のこと)はコメダの知性とセンスの良さを結晶させた、異次元や異星への架け橋のような7拍子の曲。この曲もイケるなあ。

崇高と言えば、当時のコクトー・トゥインズだよな。当時はこのLPをウォークマンで聴きながら何度も極楽にイッてしまったものだ。学生時代、空き部屋のあるホテルが見つからず勝手に乗ったベネチアの運河の上に浮かぶ小舟に揺られながら聴いたLoreleiは最高だったなあ。コクトー・トゥインズとボーカルのエリザベス・フレイザーについてはこのHPの フリーページ
でも読んでくれい。
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