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いろいろあってちょっと遅くなっちゃいましたが、新ブログ無事スタートまで漕ぎ付けました♪http://blog.goo.ne.jp/kazenosato2009 でございます改めまして、みなさま、楽天さん、これまでほんとうにありがとうございますm(__)mそして、これからも楽~しくやっていきますので、どうぞよろしくです
2009年11月14日
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この日記を書き始めたのがちょうど4年前、2005年11月5日。あの頃は、新しいことを始めるんだ!というどきどきわくわく感と同時に、まだまだ“淋しい”とか“不安”とかいう氣持ちもいっぱいで。ほとんど人付き合いもなく引っ込んで暮してたから、誰かに自分の存在を認めて欲しい、言葉を交わして欲しい、わかって欲しい、という氣持ちがなにより強かったんだと思います。以前の文章を読み返していると、ときに孤独や先行きの不安に押しつぶされそうになりながらも必死でよくなろう、よくあろうとがんばってた自分がありありと思い出されます。いじらしいです(^^)4年、かぁ・・・・ほんと、いろんなことがあったなぁ・・・・去年の秋から1年ほど、ぱたりと日記を書かなくなりました。なんとなく、書きたい、書こうという氣持ちが湧かなくって。自分のことを知ってほしい、わかって欲しいという欲求がほとんど起こらなくなったようです。そして今。。。。もし4年前の自分に会ったら、胸を張って言えるような氣がします。「大丈夫素晴らしい未来が待ってるから、安心して思いっきりやりたいように生きて」って。変わったのは、やっぱり外じゃなくて中でした。住んでるところも仕事先も使ってるPCもず~っとおんなじ。収入もご近所の顔ぶれも街並も毎日見る景色もほとんど変わらず。変わったのは私自身。私の心のあり方、ものの見方、考え方。天と地ほどに変わったようにも思うし、それでいてほんの一駅隣りに移ったぐらいの変化でしかないようにも思えるんですけどただ、こんな穏やかで満ち足りた毎日を迎えられるようになろうとは、あの頃は夢にも思わなかったなぁそして、また日記が書きたくなってきました。ただ、元のところが前とは違うんです。今が淋しいから、不安だから、じゃなくて、今がとってもしあわせだから、うれしいからそこで、あれこれ考えてブログのお引越しをすることにしました。まったく違うところから始める日記だから、前の続きではなく まっさらなスタートを切るのがいいような氣がして。でも、以前の自分の思いや大切なお友だちからのコメントを消してしまうのは切なくて。だから、ここはこのまま大事に残しておこうと思います。新しいブログのタイトルは、今とおんなじ「毎日がしあわせ日和」。ただし、前はそうありたいという願いを込めての名前。今はほんとうにそんな毎日を過せることにひそやかな喜びと感謝を込めての名前。そんなふうに思い返すと、4年前には想像もできなかったけど、いつの間にか私の願いは叶ってたんだなぁ、あのしゃにむに必死のがんばりは報われてたんだなぁ、と、なんともいえないあったかぁい思いがじわ~っとこみ上げてきます。うれしいです。ありがたいです。これまでこの日記を読んでくださったみなさま、ここで仲良くしてくださったみなさま、今までほんとうにほんとうにありがとう!そしてご縁があるならばこれからもどうかよろしくお願いします!貴秋※新しいブログはただいま準備中、始まったらアドレスをこちらに載せさせていただきますね♪
2009年11月05日
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どうやら私 旅をしているらしいいや、このからだの在る世界では 家と職場以外 たいしたところへ行ってるわけでもないんだけどね (^^ゞでも 旅をしているなんかそんな氣がする人が 場所が 季節が 時間が さまざまな場面が次々と通り過ぎていくアンテナを張っているとときにはぽぅっと浮かび上がるようにときには閃光のように行き先を示すメッセージが現れる穏やかなメッセンジャーに導かれながら氣ままな旅を どこまでも続けるどうもね。。。。。。眠っているときはとりわけいろいろと 行ったり逢ったりしてるらしい。。。。。。覚えてないんだけどねでも なんかわかるんだなぁ今度はどこへ行くんだろうね。。。。。。さぁ、どこだろうね。。。。。。わくわくするね♪楽しいねぇ♪(^^)/
2008年10月14日
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自分がこうと決めたことをやり抜くためならあきらめて投げ出さないためなら頑張りややせ我慢も ときには悪くないかもね (^_-)
2008年09月12日
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私は自分の中の負の遺産を 次の世代には回しません私の代で 終わりにします宣言し続ければ 形はともあれ 必ず叶う出来るか出来ないかなんてどうでもいい 関係ないやるって決めて やるだけだぁ~!! \(^O^)/
2008年09月11日
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ぼやけていた風景のピントが ふいにすっと合わさる抜けていたパズルのピースが ふと現れてぴったりはまる途切れていた回路が ひとつ またひとつ繋がっていく薄闇に包まれていた目の前に 柔らかな明かりがさし無数の道が開けているのがおぼろに見えてくる次々ともたらされるこの恵み。。。。。。ただただ感謝して ありがたく受け取って 内なる羅針盤に従い また進んでいこうそれにしてもなぜ 今 なんだろうね答えを知りたいわけでもないんだけれどふと こんな問いが口をついて出る (^^)
2008年09月10日
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ずっとずっと後になってあのときの あの恐れは あの哀しみは あの絶望は今のこの恵みを知るためにあったのか ってわかったとき恐れは恐れでなくなる哀しみは哀しみでなくなる絶望は歓喜に変わるありがとう ありがとう ありがとう幸せです
2008年09月09日
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ちっちゃなちっちゃな私の畑。。。。。。このネコの額ほどの土地を 歓びの園にしよう今 ここから 少しずつ広げていこう少人数の職場の ちっちゃなちっちゃな一角を担う私。。。。。。そのささやかなポジションを 愛の表現の場にしよう今 ここから 少しずつ広げていこう素晴らしい人たちに次々と出会ってその広く深い愛に 心惹かれ 震え 憧れ 幸せな想いに満たされる私はまだほんとうにちっちゃいけれど今 ここにいる いさせてもらえることに 心底感謝して今 ここからちっちゃなちっちゃなところから始めよう自分を受け入れ 愛するってこういうことなのかなってふと思ったよ (*^ー^*)
2008年09月06日
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近くでまじまじと見るとなんとまぁごちゃごちゃした線。。。。。。。曲がりくねって もつれて 行ったり来たり、まるで迷路だ~さて、ゆっくり後ろに下がって下がって離れたところから見るとあらま、不思議♪ぐちゃぐちゃの線の固まりがまーっすぐの一本の線になって すぅっと伸びてるよどこに向かっているのかって?それを知ってるのは神サマだけ。。。。。。もちろん私の中の神サマもね (^_-)こ~んな感じですかね~、今の私の人生♪ようは どの視点から見るかってことかしらね♪おとといから 人生46年目に突入しました♪そしてその3日前 和歌山に移って7年を迎えました♪それが何?って、特になにもないんだけど(笑)でも、そんな記念日をよすがに ふと振り返ってみるとなかなかに むふふ な人生なのではないかと思えたりしちゃいます
2008年07月24日
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今 畑をしていて ふと思う3年前 ここで畑を始めた頃は 欲と不安に突き動かされてやってたなぁって正体のよくわからない不安が いつもつきまとっていたから状況を思い通りにコントロールすることでそれから逃れようとしてたんだと思う頭にあるのは立派に育った野菜に囲まれて 幸せそうな自分の姿その光景に 一刻も早くたどり着こうとしてがむしゃらに手を動かしていたとにかく収穫を上げることが目的だったからそれまでは 無肥料・不耕起でやっていたのを耕しもすれば 鶏フンも入れて目的のためには手段を選ばず、みたいな感じで雑草が 目の前に立ちはだかって 夢の実現をジャマしてるみたいに思えて早くどいてよ~って いらいらと鎌を動かして手元を狂わせては よく自分の手を引っ掻いただから 軍手は必需品だったわくわくするような楽しい氣持ちも もちろんあったんだけどそれなのに なんでそれをじっくり味わえないんだろうってなにをそんなにいつもガツガツ焦ってるんだろうって自分で自分が不思議だった作業をしているときネガティブな考えや想像ばかり浮かんでくるのも不思議だったこんなこと ブログに書いたこと 一度もなかったんだよね闇を見まいとしてたから光だけ集めていたかったから「楽しいよぉ♪」っていうところしか書かなかったし 認めなかったそして、今。。。。。。。。。。収穫を得ることが目的なら農って すごいエゴだと思う自分の欲しいものを得るために「雑草」って勝手に名づけたいのちを容赦なく引っこ抜いてやむを得ずとはいえ ミミズなどの虫たちを 鍬の刃にかけて農薬を使わないのは 自分のからだが心配だから堆肥を入れるのは 少しでも大きくて美味しい野菜が欲しいから自分の都合ばかり考えてそれでいて「自然にやさしいよね」なんて自然を見下ろす目線から 自画自賛してみたりなんかしてこんな自分の姿を肯定も否定もせずに ただ見つめてみる責めないで 悩まないで目を背けずに 真っ直ぐ 静かに 見つめてみると同時に思考の外側にあるからだは 五感に触れるものを感じている首筋や頬をなでる風 耳に響く鳥の声 香り立つ土や草の匂いその全てを味わいつつ 淡々とからだを動かすふと 思いがけず 答えが見えていることに氣づく作業とか、収穫とか、問題なのは 外側じゃない変えるのは 自分の内側なんだよ、って循環の環の一部に戻ること人間本来の役目を果たすこと自然界のバランスをこれ以上崩さないようによりよいバランスを実現し 保てるように頭を使い からだを動かし 精一杯尽くすこと人間は 智慧をめぐらせ 道具を使い他の生き物に出来ないようないろいろなことが出来るけれどその力は 人間だけのためじゃなくこの地球上のすべてのいのちのために使うようにと授かったもの人間が一番賢くて えらくて 力があるそんなカン違いの高みから 一刻も早く降りて 循環の環の中に戻ることそして 自分の果たすべき役割を思い出し見返りを求めず 笑顔で淡々と実行してゆくこと不思議だねウンウン悩んだり考えたりしてるわけじゃないのにひとりでに答えが浮かんでくる風や 鳥の声や 草や土の匂いを楽しんでいた心が更なる喜びに満たされ 溢れかえるもう軍手もいらない手元を狂わせることもない全身が 力むことなく動いて 淡々と作業が進み静かな 充実した時が流れていくこの家で3年、4度目の春3年前と同じように畑仕事をしながらあの頃と違うな、ずいぶん変わったなってそして 今 これまでで最高に生きてるなって思う不安が消えて ふわふわきらきらした夢が消えて自分の肉体が置かれてる現実のこの世界がぐっと存在感を増したような気がする他のどこでもない 今の この山里で この畑で生きてるよ 私生きてる
2008年04月23日
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ふきのとうの花の綿毛 切り株に咲いたスミレこの世には まだまだ美しいものがたくさんあるなぁ。。。。。。
2008年04月21日
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これは2週間ほど前の 集落内の桜。いくら眺めていても見飽きないような美しさでしたこのところ 時間の大半を畑に費やしています。 サニーレタス、サラダ菜、苗箱のトマトとナス、など、次々と芽が出ています。そして、毎年常連のカモミール、ミント類、アスパラ、ニラ、ネギ、アシタバなども続々と登場してくれています。私の今年のキーワードは “循環”昨年暮れ辺りから なんとな~く登場したんですが、これがこんなに深い言葉だったとは。。。。。。野草を摘んで お茶にしたり、ヨモギ団子作ったり、フキノトウ味噌作ったり、ハーブで化粧水作ったり、そして畑も再開して、生ゴミも土に還して、私って循環型生活しっかりやってるじゃな~い?♪ ってでもそれは 「循環」ではなくて「共生」なんだと知ったときのショック。。。。。共生は、自然にかける負担は少ないけどやっぱりどこまでも人間中心の考え方なんだなぁ。。。。。自然をいかに自分たちの役に立てるか、という発想が土台になっている。このとき「自然」の中に自分たちを入れてなかったりする。人間は 食物連鎖の最上位にいる 一番えらい生き物なんだよ、っていう目線で無意識にでも 自分たちを特別扱いして 一段高いところに置いている。じゃあ、循環とは? ってなったとき自分の内側を大きく変える必要があることに氣づかされる。当たり前のように 高みに押し上げていた我が身を 本来の位置、循環の環の一部に戻すことえらいのでも 特別なのでもなく、ただ 他の生き物とはちょっと違う役割があるだけなんだって氣づいて素直に 謙虚に 真っ直ぐに 淡々と その役割を果たしていくその覚悟があるかどうかを問われているんだと。人間は大自然の循環の中で その役割を果たすべく授かった能力を自分たちが特別優れた生き物である証しのようにカン違いして 欲に溺れて循環の環の中から飛び出して(弾き出されて?)しまったその当然の結果が今まさに押し寄せてこようとしているで、これから私たちは どのような道を選択するのか?「共生」ではなく 「循環」としての “農”とはどのようなものなんだろう。大きな思い違いと それに伴う意識の変化にとまどいながらもこれまでとは違う視点での 農のあり方を手探りしながらやはりこれからも畑と共に 濃密な時間を過していくことになりそうです。
2008年04月19日
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あちこちで 梅の花が見ごろです今年もこの季節がやってきたんだな~って なんだか幸せな氣持ち (*^ー^*)谷から吹き上げる風がなんとも清々しい花の香りを運んできてくれます空の色、光の強さ。。。。。春が もう手の届くところまで来ているようですウグイスも そこここで にぎやかに鳴き交わしています寒かった2月をよく耐え抜いたねぇあたたかい3月の陽射しを 思いっきり楽しんでね集落の人たちも畑仕事に勤しむ時間が増えたみたい。。。。。あちこちで 鍬の音や 楽しそうな話し声が聞こえます私もまた 畑 始めるぞ~♪胸が躍るなぁ
2008年03月12日
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きょうも夕日があんまり美しかったので思わずパチリ♪その少し後で大好きなブログ友達 ふじのちゃんのブログを見に行ったらなんとこちらにも夕日の写真が~ふじのちゃんは宮城、私は和歌山。。。。。。こんなにも離れたところで同じ夕日見てたなんて・・・・・・同じ夕日が見られるなんて・・・・・・なんかねああ、つながってるなぁ、ひとつなんだなぁ って心がほのぼのとあったか~くなったよ
2008年03月07日
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夕方5時半から 約45分刻々と変わってゆく夕空を眺めていましたこんなのどかな時間を過せる暮らしがありがたいです そうそう光から闇への境目ってねやっぱりわかりませんでした (^^)
2008年03月06日
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こんな子が ぽこぽこと庭のあちこちに顔を出してますな~んかねのどかで平和な光景です私も力抜いての~んびりいくかなぁ♪風はまだちょっと冷たいけどもうすぐ春だよね (*^ー^*)
2008年03月06日
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ふと思いました人間であるということを人間として積み上げてきた さまざまな記憶や情報をちょっとの間 脇に置いてひとつの小さな “ いのち ” に戻ってみようとこの里の一匹の動物のように一本の草のように山の中で息づいている名もないただの “ いのち ” に戻ってみようとそんなことをふと思いました
2008年02月20日
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毎日 パソコンを立ち上げ メールのチェックを済ませたあと、 いろんなサイトを見てまわって 情報を集めるのが日課です。きょう その最中に、ふと妙な思いにかられました。一方に生活苦から家族を鉈で惨殺し、自らも命を絶ってしまったお父さん米兵に暴行された少女わが家からさして遠くない 和歌山・新宮署の留置所で自殺した女性被告別のサイトを開くとバレンタインの贈り物や 意中の人のハートを射止める工夫のあれこれ冬を彩るファッションや 季節の食べ物のお取り寄せ、冬の旅行情報映画やテレビ、そしてきらびやかなスターたちの話題同じ世の中にこうも交わらない まったく異なる世界が共存する不思議。。。。。さらに、外側の世界を自分の内側の世界に置き換えて眺めてみました。私の心の中もこんな風に分かれているのかもしれないなぁ。。。。希望とわくわく、『楽しいこといっぱいして、素敵な人たちと知り合って、 どんどん輝いて 夢を実現していきましょうよ♪』と呼びかける声が聞こえる輝かしい日ざしと 鳥のさえずりと あたたかい風と 花の香りに満ちた世界その一方で過去の傷の痛みの残響と 湧き上がる怒り自分自身や 将来への不安政治や環境、恐ろしい未来を暗示する情報を聞くたびになすすべもなく奈落の底に落ちていくような恐怖に立ち竦む世界私の中の 光と闇ふとしたはずみで焦点を結ぶ先が入れ替わり、そのたびに一喜一憂、天国と地獄を行ったり来たりでも。。。でもね。。。。。昼と夜、それぞれの光景を切り取って並べてみれば光と闇は くっきり分かれているように見えるけれど、夕暮れ、夜明け、日の入り、日の出、そのじわじわと訪れる変化の中で光と闇の線引きが出来るものだろうか。。。。。。光と闇が単に 光が多いか少ないかという同じひとつの現象の度合いの違いに過ぎないとしたら、それはそもそもごく自然に当たり前に コインの裏表のように ひとつの存在として共に 今 ここにある世界なのかもしれないね闇に目をそむけて いいとこ取りするんじゃなくて、闇も光も 全部受け入れて 抱きしめて、さらにその向こうに無限に広がる全てがひとつである世界から愛と希望を受け取れるかもしれないね先週の木曜に第5回貯徳問答講が終講しました。参加者の方々からお寄せいただいたアンケートのご回答を読みながら、ここで得た氣づきを 光と闇のこの世界でさて、これからどう生かしてゆこうか、つらつらと そんなことを考えていた一日でした(^^)
2008年02月12日
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けんめいになって やっきになって逃がすまいとした掴み取ろうとしたしがみついた離すまいとしたそして哀しみと虚しさの涙にくれたそんなことしなくてよかったのにねいつだって ここにあったのにねずっとずっとひとつだったのにねなにしてたんだろうね (^^)
2008年02月04日
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心の中に不思議な空洞が生まれたかつてそこにあったのは私が呼吸するように あたりまえに自分自身だと思い込んでいた “なにか”自分自身だと疑いもしなかったのにまことの光に触れるとこうもあっけなく消えうせるものなのか拠り所だと思っていた “なにか”支点としてきた ”なにか”その “なにか” を引き寄せ がっちりと握りしめていた力はなんだったんだろう自分の中にふいに ぽっかりと浮かび上がった空洞をひんやりと澄んだ風が吹き抜けていく嬉しいのか 悲しいのか 寂しいのか 切ないのか 空しいのか今はただこの虚ろを感じていよう空を見上げて風に吹かれてすべての感情を 宙に浮かせて山肌を流れゆく雲の影大空をゆったり滑空するトンビの姿ぼんやり眺めながらただ 感じていよう
2008年02月04日
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その天使は冬の朝の清々しい陽射しと共にわが家にやってきました。真っ白で 無垢な 愛らしい姿背中には ちっちゃな可愛い翼ピンクのバラの花とリボンをかけた 大きなハートを携えて。。。。よく来てくれたね~旅はどうだった?ここは氣に入ってくれた?これからずっと 仲良くしてね。。。。私の全てを受け止めてくれる愛くるしい 物静かな あどけない天使。。。。頭をそっと撫ぜながら あれこれ話しかけているとなぜか 胸がいっぱいになり 涙がこぼれる。。。。突然わかった。。。。この子は 私の心の中からやってきた。。。。めったには触れることのない 心の奥の奥 傷つくことも 汚れることもない いちばん純粋な世界から。。。。ずっと探してたでしょ?ずっと求めてたでしょ?いま きたよよく来てくれたね ありがとう私はもう大丈夫これからも いろんなことがあるだろうけどあなたがきてくれたからもう なにがあっても大丈夫深い安堵の涙がこぼれ涙の中から 歓びの笑いが溢れ出たありがとう 私の天使来てくれてありがとういつまでも いつまでも いっしょにいようね
2008年01月18日
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先日お話しした貯徳問答講で 初めて講師をさせていただいた時のこと。「ありがとうと愛や 如何」というお題のときでした。ある講生さんのご投稿の一文に ふと意識が吸い寄せられました。“ありがとうって 「有り難いこと、あり得ないこと」に対して使う言葉でしょうか?”ん?そういえば、「ありがたい」は 肯定の言葉、喜びの言葉なのに「有り難い、あり得ない」だと 否定的なニュアンスになっちゃうなぁ。。。。どういうことなんだろ?これが氣になって、氣になって。。。。。(ーー;)お題が出るのが 毎週木曜日、そして 4日後の月曜日に和平さんの「まごころ思案」というメールが届きます。お題を読み解く手がかりと励ましがいっぱいこもったお便りです「?」でいっぱいになっている私のところにまごころ思案が届きました。それを読んで 「!!!」そこには こう書かれていました。 (前略) ありがとうと 呼べばありがとうが 返って来る ありがとうは 愛があらわれる 奇跡のことば ありがとうは 平和があらわれる 奇跡のことば ありがとうは 誰でも出来る 強い愛の光有難い奇跡の言葉を 感謝の言葉に 見事転換した 日本文化の智徳力は すごい!すごい!感動!感嘆! (後略)そっかぁ~!!「有り難い」はめったに起こらないこと簡単には起こらないことだから そんな奇跡が起これば 「ありがたい」でも「ありがとう」は起こったことへの 感謝の言葉たくさん奇跡が起これば たくさんのありがとうだったら 先にたくさん ありがとうを言ったら?ありがとうに引き寄せられて たくさんの奇跡が起こる!!スト~ン!と 腑に落ちました。そして ものすごく感動しました。こんな形で答えが与えられたことに。そして、日頃何氣なく使ってた「ありがとう」が当たり前の日常に 奇跡を呼び起こす 魔法の呪文だったことに。思い返せば辛かったどん底で 感謝することを思い出させてもらい素直にありがとうが言えるようになった辺りから人生が上向いてきました。そうだったのかぁ。。。。私 それと知らずに 奇跡を起こす魔法の呪文 唱えてたんだ~なんとかしあわせになりたくて“幸せな成功者”と呼ばれる人たちの本を 片っ端から読み漁っていたときどの本にも共通して書かれていたのが「感謝することの大切さ」でした。もう できることは何でもやろうっていう せっぱつまった氣持ちだったから、およそ「ありがとう」とはかけ離れた状況の中でも頑張って「ありがとう」と言い続けました。でも、どこか抵抗があったんだなぁ。。。。すっごく辛くて すっごく不幸なときに 無理やり「ありがとう」って言うのって自分にウソついて やせ我慢してるみたいで (^^ゞ今になってわかったよ♪呪文だって思えばよかったんだ♪呪文に 意味も理由もないちちんぷいぷい アブラカタブラ ありがとう唱えさえすれば 幸せを呼ぶ 奇跡が起こる和平さんが創った 「ありがとう百万遍の和(輪)」1日3000回、1ヶ月に9万回、一年で100万回「ありがとう」を唱えましょう、というネット上の集まりです。和平さんが 「ありがとう」を 3年で 300万回唱えたら何事においても すごく調子がよくなってこれは 世の中の人に教えなきゃいかん、と思ったのだそうです。実を言うと 私ありがとうの持つ力は充分認めながらも1日3000回とか そこまでたくさん唱えるつもりはなかったんです。ところが。。。。ここ3~4日自分でもなぜかまったくわからないんだけどありがとう、ありがとう、ありがとう、ブツブツブツ。。。。。。ふとした時に 唱え続ける私がいます (*゜O゜*)あらら・・・おおよそ40分ぐらい唱えると 3000回になるんですって。私は 数を数えながら唱えるのはちょっとストレスなので、一日合計40分~1時間を目安にお掃除しながら お風呂に入りながら 運転しながら頭と口が空いてるときに 一人ぶつぶつと唱えております♪やってみて氣づいたんだけど、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・・・と息つぐ暇も惜しいぐらいの勢いで言い続けてる時って眉の上とか 頬骨の辺りとか怒ったり泣いたりするとき力の入りやすい部分がほわ~んと緩むんですねそしてそのうち なんとな~く笑顔になってくる (*^ー^*)それと、ありがとうを言い続けてる時いやなこと、不安なことに 意識が向きません。唱えるのに夢中で そんな余裕ありません(笑)だから ふと心が辛い方を向きそうになったときに唱えるとよくない氣を祓ってくれるようですまさに 魔法の呪文ですさらに ありがとうは 人だけでなく 物も喜ぶ言葉のようです。わが愛車は 毎日ありがとうって言ってるから走行距離10万kmを超えた今も整備のおじさんが 「機嫌よく走りよるの~」って感心するぐらい元氣に走り続けてくれます最近プリンタの調子が悪くなって やたら紙詰まりを起こした時もありがとうをいっぱい唱えて聞かせたら ぴたりと治りました♪え?「そんなの偶然でしょ、信じられない」って?うん、そう思うのもありだけど、信じる者は 救われますぞ いつでも 誰でも どこででも唱えさえすれば 愛と幸せを運んでくれる奇跡の呪文 ありがとうあなたも唱えてみませんか?
2008年01月11日
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見ぃつけた。。。。。ん?何がって?見て見て~庭で見つけたふきのとうです~(^^)一つ見つけるとその周りに次々と見つかるんだよね♪ああ、もう そういう季節になったんだなぁって 季節を象徴するものに出合うのは いつも大きな歓びでもね。。。。今年は ちょっと困ったことが。。。。おとといから ウグイスの鳴き声が盛んに聞こえるんです。。。。。最初に聞いたときは 「まさか!?」って思ったんだけど、あれだけ鳴かれては 聞き間違えようがありません (ーー;)きのうはどしゃ降りだったから さすがに聞こえなかったけど、けさ 霧が晴れてからというものは 再び嬉しげにさえずり続けて。。。。いつもなら2月下旬ぐらいにならないと 鳴かないのになぁ。。。。。いや、ウグイスの声は大好きなんです。と~っても清々しく ころころとまろやかな美しい声でも、でもね、なんか妙なんだなぁ。。。。。。例年の1月って冬至を過ぎて 少しずつ日が長くなってくるのとはうらはらに寒さが一段と厳しくなり、カラリと一日中晴れ渡る日が少なくって、午後になるとどこか重々しい灰色の空の下枯れ色の草や 黒々と枝を伸ばす裸木の間を身を切るような冷たい風がびゅーびゅー吹き抜けて、雲の間からときおり射し込む冬の日ざしが光と影の神秘的なコントラストに荒涼と寂しい美しさを際立たせる、そんな日がず~っと続くんだよね。やがて2月に入り、景色はまだ寒々と寂しげなんだけど、かなり長くなった日照時間や だんだんと膨らんでくる木の芽が 少しずつ春への希望を誘い出し、再び冴え渡り始めた青空の下ある日見つける 今にもほころびそうな梅のつぼみとふと聞こえてくる どこかぎごちないウグイスの初鳴きが、厳しい冬を耐え抜いて 春を迎える歓びを身の内いっぱいに溢れさせてくれるこんな風に出合うウグイスの声はもう飛び上がりたくなるぐらい 感動ものそれって 長い寂しい冬を2ヶ月も耐え抜いたあげくだからこそなんだよね。今年は大晦日前後こそ 寒波でスリリングに寒かったけど、それを過ぎたら どこが1月なんだろうっていうようなぽかぽか陽氣それでも あったかくて過しやすいわ~なんて のんきに喜んでたけど、この事態はね。。。。。大好きなはずのウグイスの声を聞くたびになにか妙な感じで 氣が重くなる。。。。。今年はやったぁ~!!ウグイスの初鳴きだ~!!っていう あの感動とは もう出合えないんだね。。。。。(T_T) これはぜっっったい逃せないこれがなくては始まらないって 強く強く思ってるものが季節ごとにある。梅 ウグイスあたたかく吹きすさび駆け抜ける春一番おぼろ月夜の満開の夜桜雨に咲き濡れて彩りを増す紫陽花の群れ夏の夕暮れ時のひぐらしの大合唱夕刻の山々に響き渡る鹿の声に 秋の夜長の虫のハーモニー冷たくなった秋の空氣にのって漂うきんもくせいの香り凍てついた冬の夜空に瞬く星々の無音のシンフォニーこういうものってただある、ただやって来るだけではなく、季節の巡りとそのリズムにのってここぞという絶妙のタイミングで出合うからこそたまらなく美しいんだって今回しみじみとわかった氣がしました。。。。。。
2008年01月08日
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これは きのうの夕日。久々に 日が沈むさまを じっくりと眺めることが出来ました(^^)きょうは一日中雨。。。。お日さま まったく見られなかったので、きのうの写真に代わりを務めてもらいましょ暮れにカメラの電池を買ってきたので、また写真が撮れるようになりましたさすがに正月三箇日を過ぎると旅館もヒマらしい。。。。6日連続のお休みの真っ最中です♪からだの疲れは もうすっかりとれたようですが、昼夜逆転氣味の生活のせいもあってアタマの中は どこかぼや~んとしています (^^ゞ・・・・・って いつものことか~(笑)からだを休めながら去年のことをつらつらと思い出していました。6月の下旬本田晃一さんという方のメルマガで「貯徳問答講」という場を知り さっそく申し込みました。今思うとここから一年の前半と後半がくっきり分かれた感じ。。。。「貯徳問答講」は日本屈指の事業家・投資家の竹田和平さんとおっしゃる方が立ち上げた、メーリングリストを使ってグループで“徳”について問うて学ぶ ネット上の勉強会です。問答講や 創立者の和平さんの理念などにご関心のある方はリンクから問答講のHPに飛んでいただけますので どうぞご覧下さいねまた、本田晃一さんの メルマガの記事や 和平さんについて書いておられる文章はこちらからお読みになれます。実は私、“徳”という言葉に なんか落ち着かないものを感じてしまう癖があります。その元は 小・中学校時代の道徳の授業だと思うんです。「人や動物をいじめるのはやめましょう」「花や木を大切にしましょう」この類の標語満載、行き着く答えが最初から用意されている道徳の授業。大人の要求や意図をいち早く見抜いて従う才に長けていた私には楽勝の授業ではありましたでもそれは、ただ単に いい評価がもらえる答えを出せるというだけのこと。テーマが私の中に深く染み込んでくることはありませんでした。そして、大人にうまく調子を合わせられるようになるほど、心の底で 反発や空しさを覚える自分がいました。そういう自分を見ないようにして 優等生を演じ続けていくうちに私は 自分の言葉も 生命力も どんどん失っていってしまいました。そんな経験から「徳」という言葉には今でも “薄っぺらい”“ウソくさい”という どこか白々しくいかがわしいイメージがつきまとってしまうんです。「貯徳問答講」という場と出合えたのは、そんなイメージを書き換えなさいという 天からのプレゼントなのかもしれないなぁ。。。(*^ー^*)問答講では、週に一題ずつ「花咲爺」を名乗る和平さんからお題が出されます。たとえば こんな感じ。。。 「天意と生命や 如何」 「因果応報と輪廻転生や 如何」 「創造心と言葉や 如何」 「まごころと自我や 如何」 ・ ・ ・ ・正しくとも 心に何も呼び起こさない道徳的標語が 心の外側に位置する 命なき言葉だとすれば、問答講で論じられるお題は 一見難しそうに思えるけど心の内に作用し 善きものを生み出す ほんものの生きた言葉と言えると思うんです。学校の道徳の授業は最初から決まった正解が用意されていて、先生がキャッチャーミット構えてど真ん中の答えを要求・誘導してくるようなところがあって、その意図に応えるのは簡単だったけど、何か自分の意思に逆らうような 心地悪いものがありました。でも、この貯徳問答講は、出されたお題をどう捉え どう答えようと自由で その全てが正解逆に言うと“あなたはどう在りたいの? どう生きたいの?” というところを必然的に明確にさせられるようなテーマばっかりこれが なんとも心地よくってちょうど 講に参加する一年ほど前のおととしの7月、“これからは 神さまと私の二人三脚でやっていきます。 もう二度と たとえどんなに素晴らしい方であろうと、 丸ごと自分を預けて頼り切るようなことはしません”と ひとり天に向かって宣言したことがありました。それ以来、何かあるたびに「これにはどういう意味があるんだろう?」「なぜこういうことが起こったんだろう?」と自分の内に問い、いつも最善のタイミングで 答えと出合わせてもらいました。答えは自分の中に 必ずある。そう信じられるようになった今、天意とは? 生命とは?と、より本質に迫るお題について 真剣に問い続けるのはもうね、楽しくて 幸せで しかたないんです 「思い 考えることが 自分の世界を創る」と言われますが、戦うこと、勝つことばかり考えてた私が愛、まごころ、天、創造 というような言葉に半年も意識をクギ付けにされ続けたんですから、その効果たるや。。。。問えば問うほど答えもどんどん変化していき、そのたびに もっともっと素晴らしい世界が広がり 深まっていくような氣がしますそして、それが 現実の生活にも反映され、かつてないほど 多くの氣づきをもらって心穏やかになれた氣がしますしかも、初参加の8週間が終わったとき、「次回 講師をやってみませんか?」という ありがたいお話をいただいて、飛びつくようにお引き受けさせてもらったんです。さらにさらに、ただ今三度目に参加中なのですが、今回は 講生と講師、二つ兼任させていただいてるんです (*^▽^*)講師のお役目上グループの方々の渾身のご投稿をじっくり読ませていただくことになるわけで、自分ひとりの小さな視点や発想からは思いもつかなかったような回答に新たな視野を広げていただくことになり、また 週一題というペースから講生さん+自分の数だけの答えについて考え続けるということはもう頭の中が いやおうなしに 愛 とか まごころ とかお題のワードで一杯になっちゃうんですね 今振り返ってみると、去年の前半と後半でなにがどうって はっきりとうまく言葉にはできないんですが、自分の中で 何かこれまでと違うもの大きな幸せや充実を感じさせてくれるものが生まれるという変化が起きているような氣がします。確かに 生活のペースはすっかり変わってしまったけれど、それを補って余りある歓びや豊かさに恵まれたと感じます。だからね、今のこの暮らしが だ~い好きなんです \(●⌒∇⌒●) /そしてこんな暮らしを続けるうちに「徳」という言葉のイメージもきっと もっと素敵なものに変わっていくんだろうなって 楽しみにしています♪この日記に復帰させていただいたのも、問答講を通じて体験し、感じた素晴らしいことが あまりにもたくさんあり過ぎてそれを誰かに聞いて欲しくてたまらなくなったからなんです。想いが高じて ますますの長文、お読みくださる方には申し訳ない限りですが・・・・(^◇^;)おしまいになってしまいましたが、この素晴らしき貯徳問答講を創立してくださった 竹田和平さん問答講と出合うチャンスをくださった本田晃一さん私を講師にと推挙してくださった 講師の鬼頭宏昌さんたくさんの学びや歓びを分かち合ってくださる 講師・講生のみなさん縁の下の力持ちとなって支えて下さる問答講事務局の方々みなさまのおかげでこれほどまでに幸せな 今の私があります。心からお礼申し上げます。ありがとうございます
2008年01月07日
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この日記を読んでくださっているみなさま、すっかり遅くなりましたが、明けましておめでとうございます この年末年始も やはり夕方から深夜まで仕事の毎日で、やっときのうからが 私のお正月休みちょこちょこと家のことなどしながら、久々に時間を氣にせず の~んびりと過させてもらっています。仕事先の旅館で 酒粕をどっさり頂いたので、きのうは甘酒を作りました(^^)こんな夜遅く 物音一つしない静寂の中で コタツに入って甘酒いただきながら ゆったりとパソコンに向かっていると、しみじみと 平和だなぁ、ありがたいなぁって思えてきますかけがえのない 大切な時間です思い起こせば、去年はほんとうにいろんなことがありました。暮らしが大きく変わりました。それまでずっと毎日を自分なりに精一杯楽しく過しながらも、もっと何かがあるはずだとどこかで感じ、それが現れるのを待ち望んでいました。そうしたら。。。。。天が望みを叶えてくれたのか、7月頃から 一氣にいろいろなことが起こり始めました♪新しい学び、新しい友だち、新しい仕事、それはもうほんとに次々と・・・・することが急に増えて、わくわくと心躍る毎日と同時に、それまであまりにものどかに過してきた私には、やりたいことを全部やるために時間をどうやって作るかが 大きな課題となりました σ(^_^;)まず、それまで掛け持ちしていた仕事を ひとつやめさせてもらい、もうひとつも時間を減らさせてもらいました。そこまではよかったんですが。。。。睡眠時間を削り過ぎて 朝寝過ごし、小学校の絵本読み聞かせをすっぽかしてしまったことがありました(汗)もう 平謝り・・・・ごめんね、ほんとうに (-_-;)これはいけないと反省し、今度は食べ物作りの時間を減らしてみましたが、インスタント物の食事がしばらく続いたら、たちまち心が荒んできました景色をゆっくり眺める時間や のんびりとお茶を飲む時間をなくしてみたら、心が壊れそうになりましたそうやって いろいろと試してみるうちに だんだんわかってきました。私の活力は 毎日の暮らしを豊かに紡ぐことから生まれるんだと。毎日の食事や 四季折々の保存食を作る楽しさ美しい景色を眺め 風や水の音に耳を澄ませる歓び私の暮らしは そういうところを抜きにしては どうもうまく成り立たないらしい。。。。とにもかくにも 良くも悪くも それが私なんだなぁ (*^ー^*)というわけで、去年の暮れも 慌しかったけど、いつもより氣合入れて掃除して お飾り飾って おせちも作りました (^^)vうんうん、やっぱりこういうのは抜かせないなぁ・・・そして、今年は もっと優先順位と時間配分を工夫しようと心に決めました♪大好きな人、大好きなこと、その全てを維持するために、これが 今年私のチャレンジする課題♪正直言うと2年ほど前の あののどかな暮らしが時折なつかしくなることもあるけれど、でも、今のこの充実した スリリングで 希望一杯 わくわく満載の毎日、神さまがくださった 何ものにも変えがたい宝だと感じます。願いが次々と叶って ほんとうに幸せです。ありがとううん、私ね、やっぱり今のこの暮らしが 一番好きだわ
2008年01月05日
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去年の秋から冬にかけて私にしてはマメにブログを書いていました。あれから一年が経ちました。一年経って今年もさざんかの大木には たくさんの花が咲き、クランベリーは かわいい2個の実をプレゼントしてくれました。今年も 地域の小学校の開放週間に 授業参観に行ってきました。去年のご縁から 月に数回 朝の絵本読み聞かせボランティアに行くようになり、それももうすぐ一年になろうとしています。今年も 柿や栗の木は 落ち葉をどっさり恵んでくれ、風のない日に 少しずつ集めては たき火をしています。山や野は 豊かな秋色から 穏やかな冬枯れ色へと ゆっくり遷り変わっていきます。太陽が昇り沈む場所、星座の位置、動物や植物の生のリズム、全てが静かに、そして着実に 巡っているのを感じます。巡り、そして戻ってくる。同じであり、違うところに。あれから一年・・・・・その間に、私も 抱えきれないほどたくさんの さまざまな体験をさせてもらいました。体験することに忙しくて ブログの更新が途絶え、そして今 再び一年分の体験とその記憶、そこから日々新たに生まれる想いを浮かぶにまかせて綴りたくなってブログに戻ってきました。ただいまぁ久々に、相変わらず美しい この辺りの写真も載せたかったけど、デジカメのニッケル水素電池の寿命が来てしまったらしくうまく撮れません。「それよりも 心の中のことをせっせと書いたら?」という 天の計らいなのかもしれないね。。。。(^^)
2007年12月08日
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本日の風の里は 雲ひとつない 穏やかな青空♪ 葉っぱを落としきった栗の木の間からもぽかぽかと優しいお日さまが 顔を覗かせていますあ~、あったか~い (*^ー^*) 梅の花も 今年は咲くのが早いみたい♪遠目には 桜ほどの華やかさはないけれど、近づいてじっと眺めているとなんて清楚で可憐な花なんでしょうそして。。。ウグイスの初鳴きも聞いちゃいましたぁ♪まだ“ホーホケキョ”じゃなくて “ケキョ、ケキョ”っていう感じだけど。。。春本番に向けて ただ今練習中? (*^m^)最近 人と触れ合う機会が多くなってそんな中 当然いろんな出来事があって、そのたんびに誰かに(天に?神サマに?)「これをどう見る? どう受け取ることを選ぶ?」って 訊かれているような氣がします (。・_・。) う~む・・・・・ある本で読んだんだけど「起こることや状況など すべては中立」なんだって。。。それ自体には「いい・悪い」も「正しい・正しくない」も「好ましい・好ましくない」もな~んにもなくって、その出来事や状況に 自分がどういう意味づけをするか その選択の連続でどういう人生になるかも決まっていくんだって。。。つまり、人生って前もって決まった道や答えがあるわけじゃなくて、すべて自由に 自分の創りたいように創れるんだよっていうことみたい私は 「いい子」「優等生」を長いことやってたから、どっか自分の外に決まった答えや物差しがあるんじゃないかって思うクセがなかなか抜けなかったけど、最近は自分の人生全部自由に、言い換えれば 全部自分の責任で好きなように創っていっていいんだ~、と思えるようになりましたじゃあ どんな人生にしたいのかな~? っていいますと。。。不安や戦いの人生は もう選びたくないなぁ。。。その選択じゃ 幸せにはなれないよっていうのは過去の経験からよ~くわかってるし。。。これからは もっともっと幸せになりたいし。。。うん♪だったら決まり~だよね (^_-)愛と分かち合いの生き方 やっぱりこれでいきましょ~まずはちっちゃなことからでいいから、しかめっ面するよりは にっこり笑顔でいることを選ぼうトゲトゲしい言葉よりは あったかい言葉を選ぼうイライラするよりは ゆったりと優しい氣持ちでいることを選ぼう外側の世界には いい・悪いの基準なんかないんだから、だったら 自分の内側の基準でそれが心地いい選択かどうかで最高と思える選択かどうかで誇りに思える選択かどうかでう~んと幸せな人生にしていこうって・・・・・それが簡単にできれば苦労はないんだけど・・・・・・・(ーー;)でもねたとえうまくいってもいかなくても、「どう見る? どう受け取ることを選ぶ?」って訊かれたときには愛と分かち合い って 心の中でこっそり唱えて精一杯のことをしてみようと思うんだ~だってだって、今 せっかく多くの出会い、触れ合いの中でこの上ないチャンスをいっぱいもらってるんだものなんかね。。。「いくらでも選び直せるし やり直せるんだから、 今度こそいいもの選んで幸せになりなさいね」って 誰かに言ってもらってるような、そんな氣がするんだなぁ (〃⌒ー⌒)ちなみにこれって私だけじゃないよねみんなみんな み~んないっしょなんだよねいつもみんなで愛と分かち合いを選べたらどんなにか素敵な世の中になるだろうねなぁんて考えたりしながら今日もお仕事顔晴ってきま~す (⌒∇⌒)ノ
2007年02月19日
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落ち葉の間から 頭をもたげるふきのとう♪こんなかわいい子たちが 庭のあっちこっちでむくむくと♪もっとちっちゃいうちに採って食べちゃおうかな~と思わないでもなかったんですが、なぜか どうしても摘む氣になれなくて。。。今 こうして元氣に花咲こうとしている姿を眺めていると、しみじみ 採らなくてよかった~ と思えてきます(^^)こうやってキーボードを打ちながらもなんだかぽ~っと眠くって。。。この冬 南紀はほんとうに暖かく、きょうもお日さまぽかぽか、昼間はストーブいりません窓の外では 楽しそうな鳥のさえずり声が。。。これって どう見ても3月の陽氣です2月はいったいどこに行っちゃったんだろう。。。 (^◇^;)それはさておき・・・あ~、ようやっとblogに戻ってこられました去年の12月初めあたりから、それまでずっと 内へ内へと向かっていた氣持ちがなぜか突然くるりと向きを変えて猛然と外に向かい始めました一人静かに過すのが好きだった私が今度は外に出て いろんな人たちと 思いっきり触れ合いたくなりました9月まで勤めていた旅館のレストランの仕事に復帰させてもらい、さらに ひょんなご縁からもうひとつ別の仕事にも 週一回行くようになって、お正月前後は 連日二つの職場かけもちで接客三昧、これがけっこう楽しかったんだなぁ ヾ(●⌒∇⌒●)ノ 楽しみながらすることってどんなに忙しくってもからだの方もそんなに疲れないものなんだなって よくわかりましたそれまでは「どうせ書くようなこともないし」って持とうともしなかった予定表も、今は書きこみのない日がほとんどないっていうぐらいなんなんでしょう、この変わりようは。。。よくわからないながらも ひとつだけ言えること・・・どうやら 一人氣ままに暮らす日々は めでたく卒業を迎えたようですフシギなもので、毎日がにぎやかになり出すにつれて、ずっと音信不通だった人から 突然お手紙をもらったり、ずっと会ってなかった人と ばったり出会ったり、そんなことがたて続けに起こるようになりましたそんなこんなで このところ中身盛りだくさんの 充実した毎日を送らせてもらってます (*^ー^*)人と触れ合う機会が多くなると、良くも悪くも いろんなことが次々と起こるわけで、そんな数々の体験を通してそれまで見えてなかった、氣づいてなかった自分の姿をいっぱい氣づかせてもらってます「あ~、これblogに書きた~い」って思うこともしょっちゅうなんですが、じ、時間が~・・・という日々に 内心あせっておりましたが、ようやっと戻ってくることができました \(^O^)/ ただいまぁ~そして。。。2ヶ月以上も更新ストップだったのに毎日誰かしら見に来てくださる方があって、「新しい日記を待ってます」とおっしゃってくださる方まであったりして、ほんとうにうれしいです、ありがたいです心から感謝です、ありがとうこれからも どうぞよろしくね
2007年02月16日
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ドライブ途中の道端で見つけた 可愛いいのちたち 11月末日あたりから 一氣にぐぐっと寒くなり、「これはもうすっかり冬だなぁ」という感じですが、こんなきれいな色を見つけると、心の中からほんわか~とあたたまってくるようです (*^ー^*)私の大好きな映画、ブルース・ウィリス主演の「キッド」は、仕事は出来るんだけど イヤミな性格の主人公・ラスが、ある日突然 なぜか8才の誕生日を目前に控えた子供の頃の自分と出くわすというお話♪この中で、大人のラスが、いかにも冴えない子といった感じの幼いラスを眺めて「みっともない子だ」と嘆くシーンがあります。このシーンを見たとき・・・思わず我が身を振り返って考えてしまいました自分に自信が持てず、不安から過食してデブデブに太ってた頃の私。。。そんな自信のなさを気づかれまいと、自信ありげに傲慢に振舞ってた私。。。そんな欠点だらけの自分を直視できなくて、感性を鈍らせて いつもぼやけたような表情をしていた私。。。もし、今の自分が そんな過去の自分と突然出会ったら、親しみを感じられるだろうか。。。。。(ーー;)氣持ちよく付き合えるだろうか。。。。。(ーー;)・・・・・・・・かなりキビシイような氣がするなぁ (T^T)映画の中のラスも、今は出来るいい男だと思ってる自分が昔は冴えない子どもだったという事実をなかなか受け入れられないのですが、当の本人が目の前にいるんだから どうしようもない (^◇^;)で、いろいろなことが起こったあげく、子どものラスと一緒に8才の誕生日当日に戻った大人のラスは、その日に起こった「最悪の出来事」を思い出します。大人のラスに励まされいじめっ子にケンカで勝って ちょっぴり自信をつけたのも束の間、先生にケンカを見つかって叱られた子どものラスを、病氣のお母さんが迎えに来ます。家に戻ったラスを、お母さんのいないところで お父さんが激しく叱りつけるのです。“病氣のお母さんに 心配かけて 無理をさせて! お母さんはな、もうすぐ死ぬんだぞ!!”お父さんに怒鳴られた瞬間、幼いラスは 目元をピクピクッと痙攣させます。大人のラスには、チック症候群っていうのか目の辺りがピクピクッと痙攣する癖があるのですが、このシーンで 「ああ、これが原因だったんだ」って わかります。また、成人してからのラスが 年取ったお父さんに優しくしようとしない理由もわかります。物陰ですべてを見ていた大人のラスは、一人取り残され ショックを受けて涙ぐむ幼いラスをしっかりと抱きしめて 語りかけます。“お父さんもひどく不安なんだ。 だからあんなことを言ってしまったんだ。 おまえが悪いんじゃない”私、このシーンで 涙ぼろぼろでした・・・・・ 。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。この映画を見てからもうずいぶん経ちます。当時は「昔の自分を受け入れるとか 受け止めるとか、 とてもじゃないけど出来そうにないなぁ・・・」と思ってた私ですが。。。その後 いろいろな体験をして、自分を見る目が少しずつ変わってきました。過食してた自分、傲慢だった自分、鈍かった自分、そういう「イヤだな、認めたくないな」と思ってしまうような自分を通してそのルーツをず~っと辿っていくと、「私の中の いとしいチビちゃん」に書いたように、つらい目、怖い目に遭って どうしていいかわからず、怯えたまま時を止めてしまった幼い自分がいました。。。そのときの私は、映画の中のラスと おんなじでした。傷ついた幼い自分を(心の中で)抱きしめて泣きながら思いました。“ずっと 自分の欠点を嫌ってたけど、 私はなんにも悪くない。 欠点だと思ってたものも 欠点なんかじゃない。 ただ 何とかして 自分の身を守ろうとしただけだ。 そして 他の誰も悪くない。 みんなつらかったんだ、怯えてたんだ。 みんな 自分の身を守るために こんな風になってしまっただけなんだ”傍目には「うわ~」と思ってしまうような態度も振る舞いも、寒い時に着るコートのように 身を守るためにまとっていただけのもの。それを責めてた自分は 冷たい冷たい北風さんぽかぽかとあったかく照らしてあげればずっと簡単に手放せるものだったのねで。。。ようやっと 子供の頃の自分と仲良くなれたラス二人のラスがその後どうなったか・・・それは ビデオまたはDVDでご覧くださいね(^^)そして、度重なるチビちゃん発見&救出を体験して、北風さんを かなりやめられるようになった私「キッド」を見た頃からは想像もつかないぐらい心安らかになれた氣がします昔の自分って思い出すとやっぱり「あちゃ~」っていう感じではあるけれど、でも どんなにみっともなくってもその頃の自分が必死でバランスとって頑張ってくれたから、今の私があるんだもの心やからだをこわしてしまうこともなく ここまで来られたんだもの過去の私の頑張りの上に今の私の大きなしあわせがあるんだもの今の私なら、過去のどんな自分に出会っても、「ありがとう!大好き!愛してるよ」って思いっきり抱きしめてあげられそうな氣がしますそして、以前出会った、今出会ってる、これから出会うだろうすべての人たち。。。たとえ その人たちが 一見どんな風に見えようとも、み~んな一生懸命生きてる縁ある仲間、 大切ないのちなんだよね嫌ったり 見下したり、そんな北風さんを演じる必要は もうないんだよねうん。。。今なら。。。なんだか言えそうな氣がするなぁ。。。 I LOVE ME そして I LOVE YOU
2006年12月03日
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我家のさざんかの隣りのコブシの木♪葉っぱをきれいに落としきってから いくらも経たないとというのにもう新しいいのちが芽吹いています一見カラカラの木肌の奥にこんな瑞々しいいのちが脈々と流れているなんて。。。生きてるって すばらしいことだねかれこれ一ヶ月ほど前のこと。。。不思議な不思議な体験をしました我家には 大人の手のひらほどもある大蜘蛛が住みついています。あたたかい季節になると 1匹、2匹と姿を現し始め、夏には常時5~6匹が家中をウロウロと (^◇^;)冬が近づくと だんだん数が減っていって やがてすっかりいなくなります。10月に入ってしばらく経つと 今年も残り1匹だけになったようでした。私は 虫はそれほどニガテな方じゃないんですが、このキングサイズの蜘蛛さんだけはちょっと・・・いや、壁や天井を動き回ってる分には構わないんですが、側に寄ってこられるのは、ましてや 触られたりするのはカンベンして~、って感じで (ーー;)幸いなことに 蜘蛛さんの方でも 人間はやはり怖いようで、近づき過ぎたと氣づくと 向こうの方から急いで逃げ出してくれるのでこれまでは何事もなく済んでいたんですが。。。そのとき 私は荷物の包装をしていました。そして ふと 膝元を見ると・・・なんと あの大蜘蛛が すぐ近くまで寄ってきているではありませんかびっくり仰天、あまりにゾゾッとしたのと、集中して作業していたところをジャマされたのにムカッとなって、手元にあった物差しで ポ~ンと部屋の向こうに弾き飛ばしてしまいました。弾き飛ばすか飛ばさないかのうちに、「いけない!!」と激しく感じました。なぜか、この蜘蛛さんは なにか言いたいことがあって 敢えて近づいてきたんだ、そして これが最後で もう二度と会えないんだ、って一瞬のうちに はっきりとわかったんです。蜘蛛さんは ストーブの下の隙間に駆け込んでしまい、私は必死で「ごめん!ごめんね!お願いだから もう一度出てきて!」って 何度も何度も呼びかけたけれど、出てくることはなく、そして ほんとうにそれっきり 二度と姿を見ることはありませんでした。。。このときの氣持ち。。。なんて言ったらいいんでしょう。。。。大切な身内や友達に ひどいことを言ったりしたりしたまま二度と会えなくなってしまって 後悔に責めさいなまれるような、悲しくて 切なくて 胸をかきむしられるような氣持ち。。。まさか 蜘蛛に対してこんな氣持ちになる日がこようとは思いもよりませんでしたが。。。もうほんとに会えないのかなぁ。。。。なんてひどいことをしてしまったんだろう。。。。ごめんね。。。。思い出すたびに 涙にくれていました 。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。いや、ほんとうに。。。そして 数日後の晩。このときも やっぱり蜘蛛さんを思い出して 涙ぐみながら横になっていました。と・・・・枕元を なにかがサッと走るのが見えました。目の隅で一瞬捉えただけだったけど、金色がかった虹色とでもいうのか、透明だけど 美しい色の 光の塊。。。。その形、その動き・・・・・あの蜘蛛さんだえ!?いや、まさか・・・ そう思った次の瞬間、光が走った先に置いてあった ティッシュの紙ケースが“タカタカタカッ”と鳴りました。この音は・・・間違いありません!蜘蛛さんが 障子やふすまの上を走り回るときに いつもたてていたのとまったく同じ音、同じリズムです。飛び起きて、よかった~!!やっぱりまだ生きてたんだ!とワクワクしながらケースの周りをさんざん探し回りましたが、蜘蛛さんの姿は 影も形もありませんでした。。。しばらく呆然としていましたが、やがて 少しずつ氣が落ち着くとともに、“あの光も あの音も やっぱりあの蜘蛛さんだったんだ~”って じんわりとそう思えてきました。幻覚と幻聴って片付けることも出来たはずなんですが、なぜかそう思うことを選んだんです(^^)あの蜘蛛さんは もう前と同じ姿ではなくなったけれど、今もどこかで存在しているんだそして、いつまでも 後悔して落ち込んでる私に「こうしてちゃんといるから もう悲しまないで」って言いに来てくれたんだ。。。そんな氣がしました今でも 思い出すたびにあれはいったい何だったんだろう?って思います。現実? 空想?どっちでもあり、どっちでもないのかもしれないなあ。。。でも・・・あのときの光の色と “タカタカタカッ”という音は私の目と耳に 今でもはっきりと焼き付いていますそして、 あの荷造りのとき 蜘蛛さんが わざわざ近寄ってきてまで 何を伝えたかったのかは未だによくわからないままですが。。。ただ、あれ以来世界って 自分が五官でこういうものだって捉えてるのよりずっとずっと広くて 深くて 不思議なものなのかもしれないなって思えてきました思い悩んで なんとか答えを見つけようと焦ってアタマの中がぐるぐる回ってるときなんかに、ふと こんな声が聴こえてきます。“見える・聞こえる・知ってる世界の中だけから ムリに答えを見つけ出そうと焦らなくてもいいんだよ 世界って あなたが思ってるのよりずっとずっと 広くて 深くて 不思議で 優しいんだからね”
2006年11月28日
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我家の庭のさざんかです♪さざんかって 今頃咲くんでしたっけ?ちょっと早いような氣もするけれど。。。ま、いっか~♪ この木、私の背丈をはるかに越える大木でして、ドームのようにこんもりと広がった枝葉のそこここにかわいい蕾が星のようにちりばめられています 当分の間、美しい花を楽しませてもらえそうですきのうの朝のこと。目が覚めて、布団の中でからだを動かそうとしたら、なんか 胃のあたりが重~い感じが・・・「?」と思ううちに、みるみるそれが鈍い痛みに変わっていきましたイタタタタ。。。なにこれ~!?他の臓器はともかく、胃の丈夫さには自信あったのに。。。どんなに暴飲暴食しようと、過酷な精神的ストレスに見舞われようと、胃が痛んだなんてこと ただの一度もなかったのに~なんか悪いもの食べたっけ?などと必死で考えるうちに、ふと聴こえたのが「意味なく起こることってひとつもないんだよね。。。 じゃあ、なんで今 こんなことになったのかな~?」という心の奥の声胃を押さえながら 痛みの中に入っていくような感じでなぜ~?なにがあるの~?と恐る恐る探ってみたら。。。突然 3~4歳頃の記憶が甦ってきました。辛くて心が痛む記憶。。。この夏、自分のいびつな行動や 激しい感情の爆発などに気づくたびに今回と同じようにして探っていくと、必ず幼い頃の記憶にたどり着きました。悲しかった記憶、悔しかった記憶、恐ろしかった記憶の数々。。。そのたびに、「ああ、これが元になって こんなおかしなことしたり 爆発したりしてたのか~」っていう因果関係が よ~くわかりました。で、思うんですが。。。幼い子供と大人って、からだの大きさ以上に 物事を感じる・受け取る度合いの縮尺が大きく大きく違うんじゃないか。。。その違いが、小さい子の心の痛みを 身近な大人に見逃させ、何年も 何十年も持ち越しになってしまうんじゃないだろうか。たとえば、いつもぴったり側にいてくれるお母さんが何かの都合で30分離れてしまったとします。大人から見ればたったの30分、戻ってきたお母さんが 泣いている我が子を見たとしても、「おお~、ごめんね~、よしよし、もう大丈夫だからね~」って 泣き止むまで抱っこしてればそれでOK、ぐらいにしか思わなくても無理はありません。でも、赤ちゃんから見れば、いつも側にいてくれる大人は あったかくて 安心で 心地いい環境そのもの。それが突然 訳もわからず消えてしまう。これって、大人が、 天災や爆撃などで 突然家も土地も財産も失って放り出されるのと同じぐらいの恐怖を味わったとしても不思議じゃないですよね。この “感じ方の差”を考慮して、それに見合った充分な心のケアをしてあげないと、気づかないところで 赤ちゃんの心に傷が残ってしまうかもしれません。。。私自身、記憶のふたを開けてみて、幼い頃の自分が そんな些細な出来事(と見えちゃうんですね)でそこまで怯えたり傷ついたりしてたなんて、とびっくりしました。傷ついた幼い私は、充分共感したり慰めたりしてもらえないまま残ってしまった痛みや恐怖を、心の奥に押し込めて 見ないようにして 忘れることでどうにか持ちこたえていたようでした。そして、大人になった私は、何十年も置き去りにされた痛みや恐怖と共存しながら生きていくために、いびつな行動や 過激な感情の爆発で バランスをとっていたようです。なんでそんなことをするようになったのか 原因がわからないまま、いや、そんなこと考えもしないで 当たり前のことのように。。。それがどうやら、「そろそろ解決時だぞぉ~」ってお声がかかって、いろいろな合図を手がかりに せっせと捜索して回ることになったようです心の奥に縮こまっていた 幼い自分を一人見つけるたびに、「もう大丈夫だからね、長いこと放っておいてごめんね~」ってしっかり抱きしめて、いっしょになって泣いて、ようやく二人とも解放されたみたいですこの積み重ねのおかげで、しょっちゅう荒れ狂っていた私の心も ずいぶんと穏やかになったようで。。。半年以上前と ごく最近と、まったく同じ人から同じシチュエーションで嬉しくない要求をされたときも、自分の対応や反応の差に 我ながら驚きましたあらら・・・ずいぶんと落ち着いたみたいだね~ (^^)今回も また一人救出成功ちなみにそれ以来 胃痛の方はケロリと治り、念のためにと流動食にした昼食に、「足りないよ~!」とお代わりを催促する始末。。。つくづくノーテンキで平和な我が胃袋でございます (^^ゞあと何人いるのかわからないけど。。。必ず全員助け出すから私の中のチビちゃんたち、待っててね~
2006年11月21日
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去年の秋、クランベリーの苗を買いました。「最初の2~3年は実がつかない」ってカタログに書いてあったのに、今年の春、2輪の花を咲かせてくれました写真うっかり消しちゃったんでお見せできませんが。。。ミニチュアのユリみたいな形で、うっすらピンクがかった白の、それはそれはかわいらしい花そして、花が枯れた後に なんと、実が!わ~、今年はムリだと思ってたのに~、と大喜び最初はもっとちっちゃくってまん丸だったのが、だんだんこんな風にタテ長になってきて、この写真は6月下旬のものです♪そして。。。こっちは9月末の様子♪きれいな赤でしょ?このあと もっと濃い色に変わっていって、紅玉リンゴみたいな鮮やかな色になりました淡グリーンの実が上の方から少しずつ赤く染まっていく様子も撮ってたんですが、みんな間違って消しちゃって・・・いきなり3ヵ月後に飛んでます (^^ゞひとつの実が 形を変え 色を変え 熟していく様子を見守った半年間。。。クランベリーは私に教えてくれました。 “ いのちの成長は それなりに時間がかかるけど、 それだけの値打ちもあるんだよ ”このころ 何かにつけて 氣持ちの逸ることが多かった私ですが、この実を見るたびに、「慌てない 慌てない、そんなに急かなくても大丈夫♪」って言ってもらってるような氣がしましたたった1個の実だし、採らずにずっとこのままいてもらうことにして、外に出るたびに「今日もいい天氣だね~」「相変わらずきれいな色してるね~」って声をかけて、友達みたいな氣持ちでいました(^^)それが。。。きのう水をやろうとしたら・・・ない!なくなってる! ( ̄□||||!!大好きな友達だった実が。。。消えてなくなってしまいました。。。 ショックでした ( ノД`) かなりしょげました 。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。カラスに食べられたのか、タヌキに持っていかれたのか。。。が、やがて考え直しました。あの実がどうなったにせよ、それは どこかで他の生き物の一部になって形を変えて生き続けてるんだ、ってその美しさで喜ばせてくれて、おしまいには 多分誰かの胃袋を満たして、りっぱに生をまっとうしたんだってそう思ったら、少し慰められて 落ち着きましたあの実はもうなくなってしまったけど、きょうもクランベリーの鉢を日に当てながら声をかけました。さようなら、そして ほんとうにありがとう会えてうれしかったよ来年もまた すてきな実をつけてね、楽しみに待ってるからね
2006年11月17日
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この辺ではめったに見られない 鮮やかな真紅。。。近所の小学校の校庭で見つけたカエデです 先週が 学校開放週間に当たっていたので 見学に行ってきました♪全校生徒51名のこじんまりした小学校 大阪で 1クラス45~46名という超過密な小学生時代を過した私には、この人数の少なさがうらやましくて人数が少ない分、先生の目も行き届くし とっても家庭的な雰囲氣だしいろいろな授業を見せてもらいました♪「ALT」という、アメリカ人の先生がよそから来られて英語を交えながら アメリカの暮らしや風習などを紹介してくれる授業は、今回は 季節がら ハロウィーンのお話♪1・2年生と5・6年生で 同じ授業を続けて見せてもらったんだけど、1・2年生のみんなの英語の発音が5・6年のお兄ちゃん、お姉ちゃんに負けないぐらいしっかりしてるのに驚きましたイスを円形に置いて、とっても自由な雰囲氣♪みんな生き生きと楽しそうにお話してて、45分があっという間でしたあれは。。。たしか4年生だったかな?図画の授業前の時間に 校庭でスケッチした木々の絵に 絵の具で色づけ♪めいめい 拾ってきたカエデの葉っぱを机に置いてそれを見ながら色を塗っています♪そんな中、パレットの上で 一心に 時間をかけて絵の具を混ぜ合わせて色を作っていた女の子の姿が今でも印象に残っています茶色やグレーが少し混ざったサーモンピンク、とでもいうようなとてもシックな大人っぽい色「パレットに色塗ってるだけじゃダメだぞぅ」と先生の声。。。そうですよね、それぞれがマイペースだから 先生も大変(^^)でも 私、お嬢ちゃんが じっくりと色作りを楽しんでいる様子が見ててとっても心地よかったんです~自分が これ!って思う色をイメージしながらなんとかそれに近づけるように ひたむきに色を合わせていく姿完成まで時間がかかりそうだけど、まあ それもありだよね、って。。。あのピンク、今でも目の中に残っています♪「ちゃんと描けよ」って苦笑しながらも 氣長に見守っておられるような先生の様子も家族みたいなあったか味があって ほのぼのしましたそれと、床にじかに画板を置いて ぺったり座り込んで描いてる子たちもいて、それでもOKっていうのがよかった~人数少なくて、教室が広く使えるからっていうのもあるんだけど子供らしくて ムリがなくて 自由な感じがして別の教室では、あ、お習字だ~・・・って あれれ?こっちの子たちはリース作ってるよ???ここは2年生と3年生の複式学級でした(^^)2年生さんたちは、もう少し時間かけてリース完成させたいからって何名か残って作業してたんですって♪さすがにこだわるだけあって とってもカラフルでおしゃれなリース毛糸を貼って、ビーズをつけて、リボンを巻いて、可愛く可愛く。。。ときどき友達どうしおしゃべりしたりしながら 悠揚迫らず 納得いくところまで作りこむ様子が とってもステキでしたこのリースの土台に使われていたツルは、サツマイモのツルなんですって。春に苗を植えて育ったサツマイモを、少し前に芋掘りをして、焼き芋にして、そのときに採れたツルを使ったんだそうです。この学校は、こういう 芋掘りとか、リース作りとか、算数や国語みたいな学科以外の授業が多いように見えました♪校内には これも授業で作ったらしい色とりどりのキャンドルや石に色を塗ったり絵を描いたりしたものやダンボールのデコボコを利用して 山で拾った木の実や枝などを貼り付けたかわいい額などがいっぱい飾ってあって、私自身 こういうモノ作りが大好きだから もうワクワク見学のときの授業にも、近所のおばあちゃんたちを招いて昔の遊びを教えてもらう、なんていうのがあったりして父兄の方から聞いたところでは山歩きなどの校外学習も多いんですって♪いいなぁ、ステキだなぁ、うらやましいなぁ♪ず~っと学校ギライだった私だけど、こんな授業なら、こんな学校なら、もう一度子供に戻って通いたいぐらいだわ~この辺りは 過疎化が進んでいて 子供の人数も徐々に減っているんだそうで、この春も 4つあった小学校のうち 3校までが1つに統合されたりしてこれはなんとかしなければ、という雰囲氣なんですが、今回見学させていただいた感想としては、先生の数に対しての 子供の数が少ないのは決して悪いことばかりじゃないなって思いました。ここでは 非行だの 自殺だの そんなのありえないっていう感じ確かに 運動会とか あまり人数が少ないとやりにくいものもあるけど、その辺は 先生や父兄や近所の大人たちの情熱でカバーしているらしい親御さんたちが 自分たちでできることはないかって考えて、朝の15分間に 本の読み聞かせをしたりピアノと朗読のコラボレーションをやったり芋掘りの時は、おいしい焼き芋を焼く機械を持っておられる方が機械持参で駆けつけてくれたんですってこういうのどかな田舎でも時として 怪しげな輩が出没することもあるらしく、下校時には 近所の家やお店の人たちが さりげなく外に出て、帰宅する子供たちの様子を見守っていました最近 子供のことで 悲しい事件が多すぎるけれど、この小学校のあり方は、そういう問題を解決するのにとってもいいヒントをたくさん見せてくれてるんじゃないかなってそんな氣がしました(^^)私も 子供はいないけれど “ご近所さん”の一人としてできることを通して ずっとかかわり続けていきたい♪そんな氣持ちにさせてくれる 素敵な小学校でした
2006年11月15日
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以前の日記に書いた、あの遅ればせに播いた春菊、ほうれんそう、高菜、ルッコラの種。。。芽が出ました~!! ほうれんそう♪ 春菊♪ 高菜♪ ルッコラ♪4日ぐらい前、「あれ?これはもしや・・・?」という感じだったんですが、きのう、きょうの暖かさのおかげか、一氣に芽吹いてくれました~こんなにたくさん よく出てきてくれたね~、ほんとうにありがとう畑に行くたんび、「播いたの遅かったし 急に寒くなると困るだろうから、ムリしなくていいからね」って声かけてたんだけど、こうやってぞっくりと顔を覗かせた芽を眺めていると、「いいよいいよ 大丈夫、これでいいんだよ~」ってあったか~く応えてくれて にっこり笑いかけてもらったみたいで、なんかもう、ただただ「ありがとう~」っていう感じで。。。やっぱり種まきしてよかったぁ!!よく来てくれたね、ほんとにほんとに ありがとうね~あとは どうか無事に冬越ししてくれますように。。。
2006年11月10日
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おとといの晩からきのう丸一日 断続的に雷と土砂降りの雨で 荒れ模様でしたきょうは一転して さわやかな秋晴れ朝から風が強く 氣温もぐっと下がったけど、このお天氣は やっぱりうれしくて。。。午後から用があってお出かけしましたが、行き先が割と近くだったので 車じゃなく 歩いて行ってきましたそして帰り道、まだ通ったことのない坂道を発見! ここから先は ご一緒に 映像散歩をお楽しみください はぁ~、あっちこっち寄り道しながら よく歩いたもんだ~♪夕方4時半、日が傾くにつれて かなり寒くなってきました。冬が もうけっこう近くまで来ているかのような。。。今のうちに 秋を存分に味わっておくとしましょうか おしまいは 夕暮れ時のティータイム スパイスクッキーとミルクティーであったまりながら、少しずつ暗さを増してゆく夕焼け空を眺めつつ。。。 あ~、しあわせ~(*^ー^*)
2006年11月07日
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あらら。。。フォト管理画面 メンテナンス中で使えないみたい。。。仕方ない、きょうは写真ナシでいきましょ~きょうで ブログを始めて一年経ちました♪デザイン設定で 間違って上級コースに飛び込んでしまい、ヒーヒー言いながら 二日かかってようやくスタート(^^ゞそして 初めての日記を登録したときの ドキドキ ワクワクする氣持ちは今でもよ~く覚えてますあれから一年かぁ。。。一年で書いた日記が70少々・・・って、果たして「日記」といえるのかどうか。。。 (^◇^;)ほんと、氣ままにやらせていただきました m(__)mでも、こんな氣まぐれな日記でも 何人もの方が読みに来てくださって、日記を登録した後 カウンターの数字がぐんぐん増えていくのがどんなにうれしいことか。。。来てくださるみなさま、ほんとうにありがとうございます心から感謝ですそして。。。この日記のおかげでめぐり会えた大切なお友達このご縁は 一生の宝物!この広い世界の中で出会えてほんとによかった、しあわせだよぉありがとう ありがとう ありがとう山奥で暮らしながら新しい世界を思いっきり広げてもらったブログ。。。これから先 何が起こるんだろうどんな出会いがあるんだろうドキドキ ワクワクしつつこれからも楽し~く続けさせてもらいます~♪開設を助けて 支えてくださったみなさま、すばらしいご縁をくださったみなさま、もう一度 心から ありがとう!!(*^ー^*)
2006年11月05日
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大好きな写真なので ちょっと大きめに。。。お盆の頃 例によって 窓の外をぼ~っと眺めていて、ふと目に留まったのが このカエルさんタンジーの葉っぱにちょこなんと乗っかった後ろ姿が なんとも可愛らしくて思わずパチリせっかくのどかに過してるところをジャマしたら悪いなぁ・・・と心配しつつもついついパシャパシャと何枚も撮ってしまいましたが、カエルさん、まったく氣にする様子もなくの~んびり♪この日は 朝から風が強くて、タンジーの枝も葉っぱもゆらゆらと 右に左に大きく揺れるのですが、カエルさん 少しも慌てず騒がず、いっしょになって 右に左に ゆら~りゆらりと揺れておりましたその ゆった~りした雰囲氣が なんだかとってもいい感じで、私もいっしょになってゆった~り座り込んだまま 一時間ぐらいいたでしょうか。。。カエルさんも 一時間 ゆら~りゆらり。。。今でもときどき「ほんとにこんなのんびりした毎日でいいのかな~?」って ふと 不安が頭をもたげたりもするけれど、この写真見てると「いいよぉ、いいんだよぉ~」って言われてるような氣がしてくるなぁ(^^)もうしばらく ゆった~りいかせていただきますかぁ~
2006年11月04日
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10月のある日のこと。。。なぜか突然「ああ、おいし~いおにぎりが作れるようになりたい~!!」という思いに襲われましたそれ以来、いつもなら 一回の食事に 一人用の土鍋でご飯一合炊くところをステンレス鍋で三合まとめて炊いて、残ったご飯でおにぎりを作るのが習慣になりました♪初めのうちは鮭や梅干、おかかなど入れて のりを巻いたおにぎりでしたが、最近は 焼きおにぎりが マイブームに♪きょうの焼きおにぎり♪ゴマ油で焼いた 味噌焼きおにぎりで~す真っ黒なのは 焦がしたからではありましぇ~ん(^^)こういう色のお味噌なんです~♪仕込んでからかれこれ7~8年・・・いや、ひょっとしたら10年ぐらい経つかも。。。すんごい色の味噌ですが、塩氣がとってもとってもまろやかで 酸味もあって、いいお味なんですよおにぎりにたっぷりまぶしても 辛くなり過ぎなくて、焼くとそれはそれは香ばしくって ゴマ油の風味が またいっそう香ばしさを引き立てて もうたまりませんよ~く擂ったゴマと味噌を合わせて 油なしで焼いてもGOODです(^^)vただ 見た目あまりにも地味なので、きょうの写真は お花さんに助けてもらいましたが。。。(^^ゞおにぎりにはいい思い出がたくさんあります一番なつかしいのは、子供の頃 母が作ってくれたおにぎり♪中でも 日曜日の“ピクニック・ランチ風”昼食のおにぎりは忘れられません♪大皿いっぱいに おにぎりをどっさり盛り上げて、あとは 味噌汁に漬物、常備菜ぐらいのシンプルメニューなんですが、このおにぎりが とにかくおいしくておいしくて、何個でも食べられちゃう♪たいていはのり巻きおにぎりで、中身は食べてみてのお楽しみ♪ときには 半分が味噌おにぎりのことも♪母のは 味噌焼きではなくて、味噌まぶしのおにぎりですが、これがまたおいしくて。。。家族揃って おにぎりをパクパクほおばって 食後 お茶を飲みながら 好きなテレビを見てわいわい言っていたのどかな日曜日の午後を 今でもなつかしく思い出します焼きおにぎりでは、やはり母が作ってくれた おしょうゆ味のバター焼きおにぎり♪おしょうゆとバターのこんがりした香りが部屋いっぱいに漂って。。。寒~い冬の夕方、ご飯が待ちきれないほどお腹を空かせていたとき、これを食べさせてもらった満ち足りた氣分は 忘れられませんもうひとつ 忘れられない焼きおにぎりは、大空遊歩さんの めっちゃおいしい炭焼きおにぎり♪遊歩さんと とあるキャンプ場に行って、カレーの晩ご飯のあと、さんざんおしゃべりして ちょっと小腹が空いてきたかな~っていうときに、残りご飯で 遊歩さんが手際よく 焼きおにぎりを作ってくれました♪手馴れた様子できゅっきゅっと あっという間に握り上がったおにぎりは、大き過ぎず 小さ過ぎず、ほどよい厚みのまん丸おにぎり♪それを 七厘でいったんさっと焼いて、両面におしょうゆを塗ってから もう一度こんがりと焼き上げて、満天の星空の下でいただいたアツアツ焼きおにぎりのおいしかったこと。。。絶品でした以前読んだ 向田邦子さんの「阿修羅のごとく」の中に、4人姉妹が 実家の台所でおにぎりを作るシーンが出てくるんですが、結婚した姉二人のおにぎりの形が 実家の頃と違うと下の二人に指摘されて、「お嫁に行くと 行った先の形になるの」って言うセリフがあって、「へぇ~、そういうものなのかなぁ」と思ったものでした。そういえば 実家の母が作るおにぎりは、 いつもまん丸(タイコ型っていうのかな?)か俵型で、私が作るのもやっぱりおんなじ、丸か俵・・・おにぎりといえば三角でしょう~っていうぐらい定番の三角おにぎりは あこがれのカタチなんですが、慣れないせいか、握り方がヘタなのか、どうもうまく形作れないんですそんな私が忘れられない三角おにぎり。。。ある旅館で働いていたとき、お客さんのリクエストを受けて 先輩の女性が作るのを 横で見てたんですが、まず、その人の手が ほっそりして それはそれはきれいな手で、その手で みるみる三角に結んでいく手つきが また何ともいえず美しくて、すっかり見とれてしまいました♪出来上がったおにぎりは 三角おにぎりのお手本のような見事な形、それをふたつに お漬物をちょっと添えて お皿に乗せたところは写真に撮って残しておきたいぐらい魅力的で 今も目に浮かびますそれにしても。。。なんで おにぎりにこうまでも心惹かれるんでしょう。。。特別凝ったご馳走というわけでもないのに。。。でもなぜか、思い出に残るおにぎりは とってもあったかくて なつかしくて今は せっせと一人で作っては 一人で食べていますが、いつの日か 私のおにぎりを食べてくれた人が、あったかい なつかしい思い出としていつまでも心の片隅に残しておいてくれるような、そんなおいしいおいしいおにぎりが作れるようになりた~いおしまいに、このあたりの名物、「めはりずし」のお話を。。。「すし」という名前になってますが、これは 高菜のお漬物で包んだおにぎりです♪もともとは 畑仕事などの合間に ぱぱっと作ってぱぱっと食べるお昼ご飯として作られていたもののようで、あんまり大きくて 口に入れるとき 思わず目を大きく見張ってしまうので「めはりずし」という名前が付いたのだとか。今は 観光客用に こじんまりとかわいらしく握ったのが売られていますが、実は ほんとうにおいしいめはりずしは、出来立てをその場ですぐに食べるのが一番なんだそうです♪時間が経つと 高菜の汁氣をご飯が吸って味が落ちて 固くなってしまうらしくて。。。以前旅館で働いていたとき、地元のおばちゃんが 自家製の高菜のお漬物を持ってきてくれて、炊き立てご飯をその場で包んで みんなで食べたことがありますが、これがもう ほっぺたが落ちそうなおいしさでしたこの辺の人たちは、みんな 自分の畑で高菜を育てて、それぞれの家のやり方で お漬物をたくさん作って置いています。今年の春 大家さんのおばさんに教わって 私も作ってみました♪“我家の味”を工夫して おいし~い高菜漬けが作れるようになったら、お友達を大勢呼んで、おにぎりパーティでもしましょうか♪あなたも食べにいらっしゃいませんか~?
2006年11月02日
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これ な~んだ?これはね~、キュウリの種です♪今年 天のプレゼントでひとり生えしたキュウリからもらいました~♪黄色く熟したキュウリの 種が入った果肉の部分を取り出して、水の中で揉みほぐすと、完熟した種だけ底に沈みます。上澄みを捨てて、何度か水を替えて洗って、残った種の水氣をふき取って陰干しして出来上がり♪このやり方は、「赤目自然農法塾」というところの先生に教わりました。トマトやナスの種なんかも この方法で採れます。不思議だなぁ、面白いなぁと思うのは、どんなちいちゃな種でも、完熟しているものは 必ず水底に沈むということ♪ゴマみたいにちっちゃな粒でも やっぱり沈むんだよね♪ゴマといえば。。。せっかく採った種を干すとき、うっかり日に当てて 発芽させてしまったことがあったっけしょうがない、これもモヤシの一種だ~、と思い直して食べたけど。。。 (^^ゞお日さまの力と 種の生命力をつくづく感じました実は 今回 もう一本種採り用に残してあったキュウリを、「もうしばらくいいか~」と置きっぱなしにしていて、ある日見に行ったら、なんと 跡形もなく消えてしまっていました長いこと置き過ぎて、土に還ってしまったらしい。。。キュウリがあったはずの場所を眺めながら、なんか すごいなぁ と思いました♪実は 充分熟したら あとは土になって きれいさっぱり消えてしまうけど、中にある種だけは 消えずに土の中に残って、いつか時期が来たら いのちのスイッチがポンと入って芽を出し、新しいキュウリの苗になる♪いのちの循環って なんてうまくできてるんでしょうね採れた種をじっと見ていると、こんなカラッカラに乾いたちいちゃな粒が ちゃ~んと生きていてこの中に あのみずみずしいキュウリの苗の素が詰まってるなんて信じられないような氣持ちになります指先に乗るような 吹けば飛びそうな この種たったひとつの中からどうして あの大きなキュウリが何本も出てくるんだろう。。。採れた種は 紙袋に入れて 名前と採取年月日を書いて 箱にしまっておきます。いくつもの いろんな野菜の種の袋を眺めていると、なんだかすごく豊かな氣持ちになってきますあ~、来年の春が楽しみだな~って季節が巡り、いのちが巡り、私たち人間も そんないのちの循環の一部なんだなぁって、畑は いつも思い出させてくれます
2006年11月01日
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きょうは ぽかぽかとあったかくて とても氣持ちいい一日でした 我が家の裏手にある柿の木♪去年はすごい豊作だったのですが、今年はお休みしたのか 実がほとんどつかなかったようです。見事に色づいた葉っぱも もうほとんど散ってしまいました。もうすぐ11月ですものね。。。きょうは、春菊、ほうれん草、高菜、ルッコラの種まきをしました♪ほんとうなら もっとずっと早くに播くはずだったんですが。。。実は、今 新しい家を探し中で・・・今の家は、眺めがものすごくいいし 静かだしかわいい畑まであって 大好きなんですが、広さが。。。一人暮らしにはちょうどいい広さなんだけど、お友達に泊まりに来てもらうにはちょっと狭いかな~、という感じ。この土地のこの暮らしが好きになるにつれ、大好きな人たちにも ここの暮らしをせひ味わってもらいたい!一緒に楽しい時間を過したい!という氣持ちもどんどん強くなってきて、もう少し広い家の方がいいかなぁ と思うようになりました。で。。。ちょうど8~9月頃に そういう思いが特に強くなって引っ越す氣満々だったもので、もし すぐにでも新居が見つかって お引っ越ししちゃったら、せっかく野菜作っても 食べられないんじゃつまらないしなぁって思って種を播くのをやめてしまってたんです (^^ゞでも、ちょうどいい家との出会いもないまま日が過ぎて、夏野菜の終わった後を放っておくわけにもいかず、耕して 畝までは作って、今からでも播けそうな種の袋を引っぱり出したところで再びストップ、まだどうしようかと思い悩んでおりました (笑)“今からだと 収穫は春になっちゃうかもしれないし、 もしそれまでに引っ越すことになったら・・・” なんて ( ̄∇ ̄*)ゞでも なぜかきょう 無性に種まきがしたくなって、お日さまの光をいっぱいに浴びながら せっせと播いていたら、なんだかとってもとってもしあわせ~な氣持ちに包まれて、「あ~、なんて豊かだなんだろ、これでよかったんだぁ~」って思えてきました種まきをする喜びだけでもう充分、育ったものを誰が食べたって構わないじゃない♪ って新しく越してきた人に食べてもらったっていいし、鳥さんや虫さんたちに食べてもらったっていい新しいいのちが生まれるお手伝いができて、その上誰かに喜んでもらえるなら、こんな豊かですてきなことはないじゃないって自分や友達のためならいっしょうけんめいするけど、知らない人のためになんかイヤだ、なんて、みみっちいなぁ~、私、って ちょっと恥ずかしくもなったけど (^◇^;)でも 「豊かさ」ってこういうことなのか~ってわかったうれしさは、それ以上に大きかったです自分と他人、とか、人間とそれ以外の生き物、とか、そういう分け隔ていっさい関係なく、ただ ただ いのちが歓ぶことをするいのちの流れに沿うことをするそれが 豊かさなんだよ、生きる歓びなんだよ、って畑さんに教えてもらったような氣がしますせこくてちっちゃかった(笑)私もお日さまや 青空や ほくほくの土に触れて、豊かな自然のエネルギーをいっぱいもらって、ちょっぴり大きくなれたのかもしれませんあ~、きょうもいい一日だったなぁ
2006年10月30日
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秋の夕暮れ。。。 この色、このシルエット。。。お日さまが山に隠れだすあたりから どんどん物悲しい氣持ちになっていくのはなぜでしょう。。。向こうの山から鹿の鳴き声が聞こえてきたりして、ますます切なさが増してゆくような。。。この 物悲しさや切なさがちょっとよかったりするんですよね (^^ゞしみじみ 秋だなぁ秋といえば。。。 頂き物の柿♪訪ねた先のおばさんが 目の前で枝ごと折って持たせてくれましたあんまりかわいいんで、そのままずっと飾ってあります(^^)でも そろそろ食べごろかな~♪“すべてが 今 ここ にある”これがわかってからしばらくの間、かつてなかったほど 心穏やかな毎日を過しました。「すべてある」っていうことは、「もう 心配したりあくせく探し回ったりしなくていいんだよ」っていうことなんだ~って思って すっかり安心してそして、持っていることを忘れたままかえりみられなかったお宝を再発見しては ほっこりと しあわせ氣分に浸る毎日小さい子供みたいに ワクワクと遊び暮らしておりましたが。。。あるとき ふと こんな氣持ちに襲われました。不安がまったくないって なんか不安だなぁ・・・・・・って なんじゃそりゃ (^◇^;)思わず笑っちゃいましたが。。。このときつくづく思ったのが、「日常のトラブルや ネガティブな感情って なんてありがたいものなんだろう」っていうこと♪「不安がないのが不安」っていう氣持ちをよ~く見ていくと、それは「こんなノーテンキな生き方してていいのかなぁ」っていう思いから出ているのがわかりました。最初のうちは「わぁ、私こんなにいろんなものもってるのに、 こんなにステキな暮らしさせてもらってるのに、 心配ばっかりして 見落としてて 味わってなかったんだ~」って氣がついて、今からでも楽しむぞ~ってはりきってたんですが、ワクワクと楽しい暮らしもあんまりいつまでも 楽しい楽しいって遊んでばかりだと、なんか微妙にズレてくるっていうか、自分の世界がじわじわと狭くなって 閉ざされていって、その中で 自分がどんどん固まってちっちゃくなっていくような氣がしてきて。。。そのうちに だんだんと、人が生きていくっていうのは、和やかに楽しんでエネルギーを充電する時間と、そこで得たパワーで再び外に飛び出していってなにかを生み出す・創り上げる時間、その二つを繰り返しながら成長していくことなんじゃないかな、それが いのちの流れっていうものなんじゃないかな、って 思うようになってきました♪外に出てゆけば、そこはもう自分ひとりだけの氣ままな世界じゃないし、いろんな人と出会う中で 当然トラブルも起これば ネガな感情にも襲われるけど、そんなとき どうやってクリアしようかとあれこれ一生懸命やってみることで、問題が片付いたときなんか それまでの自分を一歩通り越して 成長できちゃったぞ~!っていうことになるんですね♪実は、6月から9月まで 週4~5日ペースで 夕方4~5時間ほど ある旅館のレストランでバイトをしていました。それまで1年余り、ひとり静かにのどかに暮らしていたのが、突然 大勢の人たちと触れ合う場所に飛び込んで、一日わずか数時間のこととはいえ、それはそれはいろんなことがありました。トラブルも起こったし 激しい感情の揺れも覚えました大変といえば大変だったんですが、そのひとつひとつを「なんで今 自分にこういうことが起こってるんだろう」っていう目で見ていくと、ぱっと見イヤだなぁ としか思えないようなことの中にびっくりするようなすばらしいメッセージをたくさん見つけることができました以前に書いた「この周りの人たち み~んな私だ!」っていう氣づきもここで働いている時に起こったことなんです♪トラブルが、悪感情が、次々と私を導いてくれるお宝に変わっていく~なんだかどんどん楽しくなってきて、欲張りになってきて、この夏は すっかりお宝探しに没頭してしまいました (^^ゞ(ブログが途絶えていたのも そのせいなんです~)まるで アップダウンの激しい スリリングなジェットコースターに乗ってるみたいな大変だけど ワクワクの毎日でした9月でバイトを辞めて、「すべては 今 ここに」の思いのもと 再びのどかな日々を過せたのは、いい骨休めであり 充電期間になりましたが、同時にあの それまで見えなかったものが見えてくる歓び、一歩一歩確実に進んでいるという手ごたえや充実感、そういったものは、この和やかな時間ではなく、トラブルやらなんやら ややこしいこと満載の あの刺激的な時間の中でこそ味わえるものなんだなぁということも しみじみ感じさせられました。安らかなんだけど、ひとつ間違えば 糸の切れた凧のようにフワフワと舞い上がっていくだけになりかねなかったあのとき、「不安がないのがかえって不安」という氣持ちが湧き上がってきてくれたおかげで、トラブルや ネガな感情の意味やありがたさを 改めて噛みしめることができましたこれって 「ネガが教えてくれたこと」で以前書いたのと同じようなことなんですが、あのとき思ったことが、いろんな体験を経た今、よりいっそう 自分の身に染み込んで、自分の一部となってくれたんだなあっていう感じがします穏やかでのんびりくつろげる時間と、トラブルもネガな感情もぎっしり詰まったアクティブな時間、二つそろってワンセット♪そしてどちらも天からのありがた~い贈り物なんですねってことは。。。やっぱり。。。 悪いことなんて な~んにもないよ~っていうことなんだぁ!!
2006年10月24日
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9月末、ふと思い立って 車中泊で伊勢に行ってきましたお彼岸も過ぎて 昼間でもだいぶ涼しくなったので、車の旅にはいい季節です行きは あいにくの雨にドシャドシャと降られましたが、あくる日は朝からさわやかな晴天にさっそく伊勢神宮(内宮)に 早朝参拝に行きました♪ 神宮の表玄関、宇治橋から見た五十鈴川。空も 川の水も澄み切って なんて氣持ちいいんでしょうこちらは 御手洗(みたらし・参拝前に心身を清める場所)から見た五十鈴川。前日の雨で 少し水かさが増しているようです。この流れの清らかで美しいこと。。。いくら見ても見飽きません しばらくぼ~っと眺めてから たくさんの木が生い茂る参道をゆっくり歩いて御正宮へ。伊勢に滞在した数日の間 いろいろな時間帯にお参りに行きましたが、早朝の神宮は なんだか空氣がちがうような氣がします。ぴんと張ってて 清々しくて さわやかで。。。人氣もあまりなく、風の音や鳥の声が 静かな境内にやわらかく響きます。 石段の下から撮った御正宮。朝の日ざしがすっかりやわらかくなって、「もうすっかり秋なんだなぁ」と思わせられます 神楽殿上空には こんな珍しいかたちの雲が消えてしまわないうちにと 急いでシャッターを押しました雨上がりの青空は じっと見つめていると すーっと吸い込まれるよう。。。滞在中は 毎日お参りに行って、あとの時間は 神宮門前の「おはらい町」をぶらぶら見て歩いたり、五十鈴川のほとりを散策したり、車の中で本を読んだり ぼぉ~っとしたりして過しました。4泊5日、なぜ行ったのか 今でもよくわからないけれど、しみじみとマイペースでぜいたくな旅をさせていただきました旅から戻って、お伊勢さん効果なのかどうかわかりませんが、ふと思ったことがありました。いや、ふと思い出した というか、思い出していることにふと氣がついた というか。。。それは、「必要なものは すべて 今 ここにある」ということ。こういうとき よく思うんですが。。。これって別に目新しい情報じゃなくて、今までになんども読んだり聞いたりしてきたことなんですね。で、そのたびに アタマではなんとなくわかったようなつもりでいたんですが・・・でも なぜか 今このタイミングで 外側からじゃなく 自分の内側から「ほんとに ほんとに ほんとにそうだぁ!!」って心底思えたんです。以前 よく 自分の人生について、「いいかげん先に進みたいのに。。。なんで行かせてもらえないのぉ!?」って 焦ったり嘆いたりしたものですが、そういうときって 実は “今 欠けているものがあって不幸だから、早くそれを手に入れに行きたい”っていうふうに思い込んでいるところがあって、だから 思うように進まないことにイラだって、焦ったり嘆いたりせずにいられなかったんですね。でも 今回 なぜか突然わかったのは、「何も欠けてなんかいない。 次に行くために必要なものは 今この瞬間 全部自分で持ってる」っていうこと。もし、ほんとうに次に行けるはずなのに行けないんだとしたら、それは、自分が今持ってるものに氣づいてなくて ちゃんと活用できてないせい、そして、見当違いの方向に無理やり行こうとしたせいだったんでしょうね (^^ゞ必要なものは 過不足なく 全部ちゃんと 今 自分の手の中にあるんだ~。そう思ったら からだのあちこちからふ~っと力が抜けて、入れ替わるように 深~い安堵感がひたひたとこみ上げてきました“もう 大丈夫だぁ~”って今までずっと自分には そんな実力はないんじゃないか とかそんなチャンスはないんじゃないか とかって不安で不安で仕方がなかったけど、実は 要るものは全部ちゃ~んと揃ってたんだよ、ってわかったから、これからは もうそんな心配しなくていいんだぁ って心配なんかしてるヒマがあったらそれよりも 今 自分が与えられているものをよ~く見て感謝してそれをしっかり味わい尽くす、それだけでいいんだ、大丈夫なんだ~って以前は「これがあったらいいのに」だの「あんなことなければよかったのに」だのってをたくさんつけてたけど、それって 勝手な期待や思い込みから生まれた ただの幻だったんですね、きっと。。。 うれしいなあ、ありがたいなあ、やっとわかることができて。。。(*^ー^*)そして・・・今回も しみじみ思いました。もし 以前の私みたいに 心配したり焦ったりしている人がいたら、その人の背中にそっと手を置いて 「大丈夫だよ。 必要なものは全部 今 ここに ちゃ~んとあるからね」って言ってあげたいなぁって
2006年10月06日
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いったん書き出すと すぐまた書きたくなったりして(笑)・・・ほんと 氣ままにマイペースでやらせていただいております m(__)mきょうの風の里は爽やかな秋晴れ この 流れる水のような、吹き抜ける風のような雲がたまりません♪見えるものも 見えないものも、秋色一色っていう感じ♪そこら中いたるところに 秋がみなぎり 溢れていますさて、話変わりまして。。。かなり前のことなんですが、以前にも何度かお話ししたHAPPYのワーク。これは今はもうなくなってしまったんですが、最後に参加した 3月のワークでのこと。ある参加者さん Aさんの家族ワークをすることになりました。Aさんは 40代ぐらいの主婦の方で、健康上のトラブルをいろいろと抱えており、家族の間にも問題があって、中でもご主人の家庭内暴力がひどく 身の危険を感じるほどなので、ご主人が自分のことをどう思っているのか知りたい、というのがそのときのテーマとなりました。で。。。いつもどおり 他の参加者に役を割り当てていく中、なんとその暴力を振るうというご主人の役が 私にまわってきました!ひゃ~家庭内暴力の話は 読んだり聞いたりしたことあるけど、実際にそういう人に会ったこともないのに、あろうことか自分自身がDV夫になる日がこようとは。。。このワークで役に入ると、ほんとうにその人そのものの感情や感覚をあじわうことになりますからね。。。いったいどんなことになるんだろう・・・怖さ半分、好奇心半分で 恐る恐る指定の立ち位置に着きました。このご主人、愛人がいるのだそうで、その愛人役の女の子が うれしそうにニコニコしながら私の腕にぴと~っとしがみついてきました (^^;さて、こうしてワークが始まったのですが、予想に反して、私の中にはなんの暴力的衝動も起こってきません。周りには、奥さん役、子供さん役の人たちももちろんいるのですが、腹が立つとかイライラするとか そういう感情がまったく湧いてきません。いや、むしろ夫であり父親である人とは思えないほど冷めています。壁や天井ほどにも 家族に関心が向きません。「ああ、妻や子供たちがいるな」とすら思わない、眼中にないといった感じです。じゃあ 愛人に対してはどうかというと、感じるのはただひとつ、「うっとおしい」。腕に重みをかけてしがみつかれているので、踏ん張ってバランスとるのが大変なんです。愛しいとかかわいいとか そんな氣持ち まったくありません。できることなら振りほどきたいぐらいなのですが、それはさすがにかわいそうで・・・でも、心の中は「頼むから離してくれー」って叫びたい氣持ちでいっぱいです。ここで いつものように「今どんな氣持ちですか?」と聞かれたので、感じたとおりを伝えました。さらに、「望みどおりにできるものならどうしたいですか?」と聞かれて言ったのは、「みんなから離れて、ひとりに、自由になりたい。 もしそうなれたら、 背筋を伸ばして まっすぐ前を見て 自分の道をぐんぐんと歩き出すだろう」これを聞いたAさんは、「信じられない!」と言いました。そして 家ではこんなこともあった、あんなこともされたって これまでの暴力の激しさをしきりに訴えるのですが、そして それらは確かに どんなにか苦しいだろうなぁ、つらいだろうなぁっていうようなひどい話ばかりなんですが、しかし、いくら聞いていても、私が今なりきって感じているご主人とは どうしても重ならない。まるで別人としか思えない。が、その感じをいくら伝えても、Aさんは「信じられない」の一点張り、どこまでも平行線のまんまです。やがて、このやりとりを見ていた他の参加者さんたちから いろいろな意見が出てきました。細かいところは覚えていないので 大筋をまとめていうと、「ご主人は 確かにそういう数々の暴力を 実際に振るったんだろうが、 それらを(無意識に)引き寄せて起こさせたのは 他ならぬAさんだと思う。 なぜそんなことをしたかといえば、 そういう体験をとおして、 Aさんが 自分について知ったり確かめたりしたいことがあったから」これを聞いて、私は「それだ!」と思いました。ご主人の氣持ちになりきっていると 何となく思い当たるものがあったからです。私がいくら「あなた方にひどいことをしたいという氣持ちなんかまったく起こらない」と言っても信じてくれず、ひたすら「ひどい目に合わされたんだ」と言い募るAさんを見ていると、だんだん無実の罪で追い詰められているような氣持ちになってくるんです。何もしてないのに「泥棒だ、泥棒だ」って言われ続けていると、「そこまで言うなら、よ~し、いっそのことほんとうに盗んでやろうじゃないか」っていう氣になってくるっていう話がありますが、あれと同じような心境になっても不思議じゃないかもなぁ、っていうような。。。一方 Aさんは 「そうなのかなぁ・・・」と言いつつも、どうしても納得できないという面持ちのままでした。無理もないですよね。。。長年思い込み続けてきたことを そうそう一瞬で変えられるものじゃあないですもの。。。で、その後どうなったかというと、Aさんは 夫に関してはどうしても腑に落ちないままでしたが、今に一番影響を残すようなことがあったとおぼしき幼い頃の自分と出会う、というワークを受ける中で、ちっちゃいころの自分と言葉を交わすうちに ふいに心の壁が崩れたようになって、涙をぼろぼろ流しながら「つらかったねぇ、でも もう大丈夫だからね」と幼い自分をしっかりと抱きしめるうちに 大きく癒されたようで、ワークが終了する頃には、病気のせいでくすみがちだった肌の色まで ツヤツヤと白く輝き、それを見ていた私たちも、「ワークの美白効果だぁ♪」などとはしゃぎながら、いっしょになって喜び合ったのでしたで・・・なんで今になってこんな以前の話を持ち出したかといいますと、このときしっかりと刷り込まれた「身のまわりに起こることって、実はどうも自分が引き寄せてるらしいぞ」っていう情報が、すごく大きなことだったらしいと氣づいたからなんですイヤなことや イヤな人に出会ったとき、それまでの私は「もう やだなぁ、なんでこんな目にあわなくちゃいけないのよ!?」ってハラを立ててばっかりでした。でも、あのワークのインパクトがよっぽど強かったんでしょうね。あれ以来 なにかあると、「あのときのAさんとご主人のように、 私に見えてるものと 実際の姿とは 実は大きく違ってるかもしれないぞ」って思えてきたりして、さらに一歩進んで、「もし このできごと(この人)を自分が引き寄せてるとしたら、 いったいここにどんなメッセージが込められてるんだろう?」っていう見方をすることが多くなってきたんですすると、驚くなかれ、一見どんなに悪いことと思えるようなことにでも、いや、むしろ悪いことであればあるほど、そこには自分を大きく変えるのに役立つすばらしいメッセージが入っていることに氣がついたんです角度を変えて見れば、自分の中の 「もっとよくなれるよ~、よくなろうよ~♪」って思ってる部分が、自分で自分をじっくり見つめて 必要とあらば これまでと違う選択をするチャンスを掴むために、そういう人やできごとを引っ張ってきてるんだ、とも言えますよねで、こういう見方でずっとやっていると、以前だったら避けて通りたくなるような ストレスを感じる人やできごとにも、「なになに~?こんどはどんなメッセージが入ってるのぉ?」って近づいていって 覗き込めるようになってきて、そのうちに、「ずっと いい、悪いって分けてたけど、ほんとうに悪いことなんてあるのかなぁ?」っていう氣持ちに だんだんとなってきたんです一見どんなにネガティブな状況のように見えても実は そこにあるのは どっちを向いても 自分をしあわせにしてくれるメッセージばかりイヤなことにいつ足元をすくわれるかとビクビクしながら生きていた自分とどっちを向いてもしあわせになるチャンスしか転がってないかもねって思えてきた自分。。。これって 地獄と天国ぐらいの違いですよね思い起こせば、これまで避けたり逃げたりしてきたせいでとり逃がしたメッセージがどれほどあることか・・・(^◇^;)うん、まあ、過去は過去でOK♪それよりも今 こんなすばらしい氣づきをもらえたことに 思いっきり感謝しますそして、これを読んでくださったみなさま、もし まだ この 「すべては自分が引き寄せていて、実はそこにはステキなメッセージが入ってる」っていう見方を試してみられたことがなかったなら、これ ぜったいおススメです!!!もし この話が誰かの人生で ささやかなヒントになってくれる なんてことがあればこんなにうれしいことはありません・・・って ふと氣がつけば 今回も 長っ!(^◇^;)長文をおしまいまで読んでくださって ありがとうございました
2006年09月24日
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すっかりご無沙汰しておりました前回の日記で「夏だ~!」と書いておいて しばらくお休みしていたら・・・秋になってしまいました(^◇^;) 集落のあちこちで ただ今ヒガンバナが満開です 白いヒガンバナも見ぃつけたぁ~♪ 栗も そこら中でたわわに実ってます サルが食べに来るという話も。。。 ムラサキシキブの実 これもよく見かけます♪毎日すっかり涼しくなって過しやすいこと。朝晩などは寒いぐらいです。もうお彼岸なんですね。そして きょうは彼岸の中日・秋分の日。「暑さ寒さも彼岸まで」ってほんとうですね。もう セミの声もほとんど聞こえなくなって 替わりに連日連夜 秋の虫たちが大合唱しています♪夕方など 鹿の鳴き声が聞こえてくることもあります。自分の内側でも外側でも あの 真夏の猛々しいほどのエネルギーがすっかり落ち着いて、しんみりと穏やかな氣配にとって代わったようです。夏のワクワクも楽しかったけど、秋の静けさもまたいいものだなぁ。。。風に揺れる秋の草花や のどかに漂ううろこ雲を眺めたり、虫の声や 栗の実の落ちる音など聴きながら、あったかいお茶を頂きつつ ぼぉ~っとしている(相変わらず・笑)時間。。。しみじみと かけがえのないものに感じます
2006年09月23日
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この空、この陽射し。。。「あ~、夏だぁ~!!」って叫びたくなります連日すごい暑さ我が家は 屋根が瓦じゃなくトタンなので、晴天の午後など その暑さも半端じゃありませんでも 夏は暑くてナンボ、そんな暑ささえどこかうれしい毎日です久しぶりの日記、まずは ここ何日分かの写真の中から 数枚をピックアップ♪ これは 先週遊びに行ってきた 白浜・千畳敷の写真♪層になった岩場が広々と海に突き出す 見晴らしのいい場所で、180度ひらけた水平線をじっくり眺めていると、あ~、地球は丸いんだなぁってしみじみ思えてきます ・・・といいつつ その広々した感じを全然出せない自分のカメラの腕前がちょっと悲しいですが。。。ゴメンなさい、あとは想像力で補ってください (^^ゞ 薄曇りの日だったけど、海の色はとっても透きとおってさわやかでした これは うちの畑のキュウリの初生り(^^)今年は場所の都合でキュウリは蒔かなかったんですが、この子は去年のこぼれ種からひとりでに生えてきてくれたんですまさに天からのプレゼント、ありがたく おいしく頂きました、みそマヨネーズつけて♪これも去年の種からひとり生えした オクラの花 去年はたくさん育て過ぎて 毎日収穫におおわらわで 花をじっくり見ることなんてなかったんですが、ことし 青ジソの畝の端っこに 1本ぽつんと顔を出して、ある日ふと見たら 一輪だけひらいていた花が なんとも清楚で華やかで愛らしくて、思わずカメラを取りに走ってしまいました♪淡いクリーム色のやわらかい花びらと 芯のところの濃いえんじ色、誰がこんな美しい組み合わせを作ったんでしょう。。。写真を撮った後も 炎天下にしゃがみこんで しばらく眺めていました これは、先日の台風7号が去ったあとの夕焼けやっぱり夕焼けは 雲が多い方が美しいですね。。。こんな鮮やかな色を見たのは 久しぶりです♪最近よく思うんですが。。。「あっ、きれい」「あっ、かわいい」って感じたトタン、写真に撮りたくなる。残しておきたいから、みんなにも見せたいから。。。でも・・・どんなに熱い想いがあっても、写真に残せるのって そのとき感じたものの100分の1もないんですよね。もちろん、何よりまずカメラの腕前っていうことがあると思うんですが (^^ゞでも、以前話を聞いたプロカメラマンの人も、「ほんとうに表現したいと思うことの10分の1ぐらいしかあらわせない」って言ってました。カタチにならないものをカタチにするのって ほんとうに難しい。あらわしたいって強く思えば思うほど もどかしくて切ない。しかも、「どう撮れば表現できるのかなあ?」といっしょうけんめいになっているうちに、肝心の“その場を味わう”ことの方を忘れちゃうんですよね(泣)最近、ぼぉ~っと過す時間が多くなった氣がします。花を眺めてぼぉ~。。。雲を眺めてぼぉ~。。。セミの声を聞きながらぼぉ~。。。風に吹かれながらぼぉ~。。。以前は こういうことをしてる自分って 許せなかった。結果をカタチとして残せるようなことをするのが 有意義な時間の使い方だって ずっと思い込んでいました。でも、最近なんか違うんだなあ。。。ぼぉ~っと過す時間って、虚しいものじゃなくて みっしりと実が詰まった とっても充実して心地いい時間に思えるんだなあ。。。見えないところで なにかとっても素敵なことが起こってるゾ、みたいな。。。だから、写真撮ることに集中し過ぎて ぼぉ~って体験する方を逃がしちゃったって氣づくと、「あ~、もったいないことしちゃったぁ」って思えて ちょっと悲しくなったりするんです。それに。。。どうやってもその片鱗さえ伝えられないなって思うものもある。たとえば、風。ここ、風の里で味わう さまざまな風。大きな風がやってくるとき、その動きが遠くからわかります。遠くの方で まず木のざわざわいう音がかすかに聴こえて、その音が 少しずつ手前の木を揺らしながら近づいてくるのが 目と耳から伝わってきます。ざわざわがだんだん大きくなって、すぐ目の前の木がざ~っ!と音をたてて大きく揺れて 止まる。次の瞬間、全身に 大きな風の塊がぶつかってきます。息を詰めるようにして待ってて、「ああ~、来た~!」っていうときの あの感じ。。。また、オーブンの中みたいな熱い熱い空気の中に、突然 ひんやりとした涼しい風や湿っぽい土の匂いのする風が吹き込んでくることがあります。北の方の山の中は 涼しいのかな?にわか雨が降ってきたのかな?って、風を感じながらあれこれ想像するときの 心和む感じ。。。そんなふうに思うと、私が伝えたいのは風 もあるけど、それ以上に、その風を感じたときの 想いや感動の方なのかもしれないなあ。。。どんなに不完全でも 無理だとわかっていても、やっぱり 美しいものを見たり聞いたりしたら、写真なり 文章なりで どうにかして伝えようとしてしまう、そんなことを これからも続けていくと思うけど、できることなら、私の大好きな人たちにも、私の大好きな風や、雲や、花や、山や、星を、いっしょに味わってほしい。この山里での暮らしを通して、この土地の、見えないなにか、聴こえないなにかを感じてほしい。そんな氣持ちが 強くなってきました長いこと ひとり静かに暮らしてきたけれど、私のちっちゃな世界も、そろそろ大きく広がっていく時期なのかもしれないなあ。。。(^^)そんなふうに思って なんとなくワクワクしているきょうこの頃です
2006年08月11日
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きょうのお客さま♪ これまたちっちゃな 体調5cmもないようなカマキリさんです♪カマなんか まだやわらかそうで、引っ掻かれても痛くないよ~っていう感じでも、きっと大勢いただろう兄弟姉妹の中で この大きさまで育った子が何匹いるのかなあって思ったら、“よくここまで大きくなったね~、よかったねぇ”って、なんだか無性にいとおしくなりましたこのままもっともっと ぐんぐん大きくなって、いつかまた 会いに来てねこれは 駐車場の栗の木の下に落ちてた まだ青い栗のイガ♪あんまりかわいいんで 思わず拾ってきちゃいました このトゲトゲも まだやわらかくて そんなに痛くないんですよ(^^)しばらく我が家で飾らせてもらいましょう♪きょうは 久々に 曇り ときどき雨 のお天氣。 風が強くて きのうまでの暑さがウソのように涼しい一日です♪このところ ずっとアイスティーやアイスコーヒーばかりだったけど、きょうは 久しぶりにホットのミルクティーを淹れて、のんびりと 涼風を味わい ひぐらしの声を聞きながらのティータイムですこんなふうに 何もせずにぼ~っとしている時間って、心もからだもふわ~んとゆるんで と~っても氣持ちいい以前は なにもしないでじっと座っていることに すごく罪悪感がありました。「こんなことしてる間に やれることがいくらもあるのに」ってまた、自分のペースをすっかり見失ってしまっていたため、じっと座っていても 心がザワザワして 長時間腰を落ち着けてくつろぐことができませんでした。ゆっくりしていたい自分と セカセカ焦って前に進もうとする自分とに分裂しちゃって、わけがわからなくなってたんですね (^^ゞ今 やっとまた ひとつの自分に戻れたのかな?自分を喜ばせて くつろがせてあげることも 大事なんですよね、きっと。。。きょうはこのまま もうしばらく風に吹かれながら のんびり過すとしましょうか
2006年07月18日
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けさ起きて 窓を開け すだれを巻き上げようとしたら、こんなお客様が。。。 体調3cmぐらいのちっちゃなカエルさんです♪あんまりかわいいんで もっと写真撮りたかったんだけど、突風が吹いてすだれが大揺れしたもので、どこかに飛んでいってしまいました (T-T)/~~~きょうは朝から風が強いですやっぱりよく晴れて暑いんですが、この風のおかげでとっても救われてますけさの眺め♪ この雲、なんだか羽根みたいに見えません? こんなむくむくの雲が 次から次へと流れていきます そのたんびに 下の山肌にも雲の影が映って ず~っと動いていく様子は、いくら見てても見飽きません これは 家のすぐそばにある栗の木こんな強い陽射しの中でも その木陰は何とも涼しそう♪“大きな栗のぉ 木の下でぇ~ ”って 思わず口ずさんじゃいます(^^)こんな風にお天気のいい日は 集落のどこかで 必ずといっていいほど 草刈り機の音が聞こえます。この季節は 草の伸びる勢いがすごいから、マメにお手入れしてないと たちまち草ぼうぼうの荒れ野原みたいになっちゃうんですね。以前に見た 確か「思い出ぽろぽろ」っていうアニメだったと思うんですが、その中に、「(山里の田んぼや畑の風景を)自然だって言うけど、これは人間が作った景色なんですよね」みたいなセリフがあったような氣がします。(うろ覚えで 確かではないんですが。。。)ここで暮らしていると、ああ、ほんとうにそうだなあ って思えてくるんです。手入れの行き届いた畑は、雑草がきれいに刈り取られ、野菜や果樹がきちんと整列して、見た目もすっきりしています。道路も、脇の草がきれいに刈られて 広々と見通しよく続いています。でも、これは ほんとうに 人間が一生懸命 時間とエネルギーをつぎ込んで どうにか維持できている姿なんですね。もし、一ヶ月、二ヶ月と 何もしないで放っておいたら、たちまちのうちに、家も 畑も 人も 大自然の中に 音もなく飲み込まれてしまう。。。そんな想像が ふと頭をかすめます。いや、これ、想像だけじゃなく 実際そうなっちゃいますよね。自然に生える草は 高さも揃ってないし、いろんな種類がごちゃまぜになってるし、土と水気さえあれば 場所を選ばず生えてくるし、およそ「すっきりした見た目」なんて感じじゃなくて、なんていうか もっとはるかに猛々しくてワイルドです。そして、その荒々しい様子からは、人間がきれいに維持している田畑よりも ずっとパワフルで奔放な力強さを感じます。“人間は 自然がなくては生きられないけど、自然は 人間がいなくなっても別に困らない”って 何かで読んだことがありますが、毎日大汗かきながら草刈りに追われている人たちの姿と、刈られても刈られても こともなげにまた生えてくる草たちの姿を見比べていると、「まったくその通りだぁ」っていう氣持ちになってきます。ここの自然を毎日眺め暮らしていると、「人間って ちっちゃいよなあ」って ふと思えてきたりしちゃいます。どんなに「人間が一番かしこくてえらい」って思い込んでても、結局は、この地球の大自然の片隅を借りている 生き物のひとつに過ぎないんだよねって。自然を征服なんてエラそうに言ってみても、結局はお釈迦様の手のひらの上の孫悟空みたいなもんなんだよねって。自然の力を 人間の思うままになんて できっこない。台風が来たって 地震が来たって、ちっちゃな人間には なすすべもない。だったら いっそすなおな氣持ちで、自分たちも大自然の一部なんだ~って感じて、その力に寄り添って 溶け合って 無理をしないで生きるのが 一番楽しくてしあわせなんじゃないかなぁって、ここで暮らしていると そんな考え方が なんだかとっても自然に当たり前に思えてきます♪暑さも寒さも 虫もホコリも 盛大に入ってくるこの家でずっと暮らしていたら、私も大自然にあやかって ちょっとはパワフルになれるかな?きょうも 強烈な夏の暑さをいっぱいに感じながら、のんびり楽しくやっていくことにしましょうか~
2006年07月16日
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夏だ~!今年も夏がやってきた~!!5月後半ぐらいから 曇りか雨のぱっとしないお天気が続いていましたが、ここ数日で一気に夏になっちゃった~という感じです う~ん、この空、この雲、夏の色だわぁ♪昼間は ウグイスに代わってセミの声が聞こえるようになり、アジサイの花と交代で ヒマワリがあちこちで元気に咲いていますそして、きょうはこれ 真夏日じゃないかなぁ。。。かなりの暑さなんですが、そして これから当分この暑さに悩まされるってわかってるんですが、それなのに、なんでこんなにワクワクするんだろう?「夏だ~!」って なんでこんなに子供みたいにうれしいんだろう?畑で草とりしていると、この季節のエネルギーの強さを感じます 抜いても抜いても すごい勢いで 新しい草がグングン生えてきます命が バリバリ活性化されてる感じです草だけじゃなく、陽射しにも、空の青さにも、雲の白さにも、影の濃さにも、セミの鳴き声にも、夏の はちきれんばかりのエネルギーを感じますそして、きっと今 私の中でも、同じこの夏のエネルギーが作用してるんだなぁだから、暑いのニガテなはずなのに、こんなにワクワクするんだろうなぁう~む。。。だったら、夏のエネルギーに負けないぐらい 自分の気持ちのエネルギーも上げていけば、どんなに暑くても 夏バテしないで済むんじゃないかなあって なんだかそんな風に思えてきちゃいましたこの暑さも、夏の景色も 風物も、思いっきり楽しんで、いっぱい汗かいて、元気いっぱい 夏を味わい尽くそうそ~んな氣分になってきました暑くて大変だろうなあ。。。からだ 大丈夫かなあ。。。そんな見方はやめて、夏でなければできないことを どんどんやって楽しんじゃおうって、欲張りな氣持ちになってきました“デトックス”っていう言葉を 最近よく耳にしますが、クーラーのない我が家では、夏の炎天下 普通の生活をしているだけで、大汗かいて 「勝手にデトックス」状態でございます(^^)誰かが言ってたけど、夏に思いっきり汗をかくことで、一年分の毒素が排出できるんですって自然って うまい具合にできているもんだなぁそれだったら、よぉしドクダミ茶をアイスにして た~くさん飲んで、毒出しの勢いをつけて、からだの中 う~んときれいにしちゃおうかぁいろいろとアイデア出して遊びながら、この夏も 楽しく過せそうです
2006年07月14日
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ちょっと前から またザーザーと雨が降ってきましたあの3日間の晴れ間は貴重だったなあ。。。今年のナスの初収穫です♪ 長い方は、前々回の日記に写真を載せた あのナスこんなに大きく育ってくれました(^^)さっそく 我が家の“ミニ・サンクチュアリ・コーナー”にお供え♪そのあと。。。 こうなりました~輪切りにしたナスを オリーブオイルでこんがりと焼いて、やはり畑で採れた青ジソの千切りと 市販のトマト&バジルソースといっしょにスパゲッティに あ~、しあわせなお昼ご飯 天の恵みに感謝、ですねきのう。。。「わ~お♪」と思うような体験をしましたそのとき 私はちょっと気分が落ち込み気味で。。。周りには大勢の人がいたんですが、「こういう人、ちょっとニガテ~」っていうようなところばっかり目について。。。よけい落ち込みそうになりました。・・・と、突然ひらめいたんです!この人たち、み~んな私だ!!って私は「人」を見てるんじゃなくて、その人がどう見えるか という「自分の意識」を見ているんであって、だから、この周りの人たちは、私のいろんな意識を「人間」という形に具現化して私に見せてくれてるんだ、これ、み~んな私だぁ!!って、なぜかリアルにそう思えたんです♪次の瞬間、信じられないほどの 深くてあったか~いエネルギーが ふわ~っと湧き上がってきて、全身に 力がみなぎって、その 周りにいる 大半は見も知らない大勢の人たちがなんだか無性にいとおしくなって、そんな気持ちが、目の合った人、言葉を交わした人みんなに届くのがわかりましたちょっと前まで「やだやだ、こんな人たちやだぁ」って思ってたのに、今は ひとりひとりがとっても大切に思えて、いつの間にか 心からにっこり笑って話しかけてましたそうしたら。。。話しかけた人 どの人も どの人も、みんな とっても親切で あったかくって 魅力的で、世界が がらりと一変してしまいました すべての現実は 自分が作り出している すべての現実は 自分が引き寄せているって こういうことだったんだぁ~って、強く 強く 感じましたそのときの幸福感は 今もず~っと続いていて、縁ある人は みんな自分の鏡、自分の分身、そして 私もまた 誰かの鏡、誰かの分身、そんな気持ちが ますます強くなりましたひとりひとり み~んな違っていて、ひとりひとり み~んな完璧、そして、み~んな ひとつなんかもう、しあわせいっぱいです
2006年07月03日
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きのうまで3日ほど、久しぶりでいいお天気が続きました雲ひとつない カラリとした晴天というわけにはいかなかったけど、それでも貴重な梅雨の中休み、畑仕事に、洗濯に、散歩にと せっせと外に出て過しました(^^)お散歩は ご近所のアジサイウォッチングに行ってきました~♪ う~ん、色とりどり♪ こちらは ガクアジサイ♪ このすっきりした形、好きなんだなぁ この道、3月から4月にかけては桜並木だったんだけど、今は “アジサイロード”と化しています♪ここを通るたんびに ワクワクしてきちゃいますわぁ、見て見て~!こんなかわいい子を発見! アジサイのつぼみ。とってもキュート、まるで天使のようだわ これは ちょっと離れたところで見つけた、白いガクアジサイ♪ 斜面に生えてて かなり撮りにくかったんだけど、珍しかったから どうしても撮りたくて、無理な体勢でがんばって 撮影成功あ~、楽しかったあ♪紫・陽の花のアジサイ、たっぷりと堪能させていただきました 話変わって。。。最近ふと気づいたんだけど、「人って みんなそのまんまで完璧なんだ」って思うようになりました斉藤一人さんの本に、「人間は、試験問題で誤った答えをだすことはあります。 でも、人間は完璧です。 あなたは、今のあなたのままで完璧なのです。 (中略) 未熟といわれる人も、今はただちいちゃいだけ。 魂の成長過程にあるというだけの話です。 未熟な人間もそのままで完璧です。」という一節があって、私、今までどうもこれがピンとこなかったんです。誤るのに どうして完璧なの?成長の途中なのに どうして完璧なの?って。。。が、この間、突然わかったんです私のそれまでの“完璧”のイメージは、完成した彫刻みたいな感じでした。完成~、ハイ、作業ストップ!これ以上 削っても付け足してもダメ!このまま、このまま・・・ってね。でも。。。新しい“完璧”のイメージとして浮かんできたのは植物の「種」でした。種は 種のままで完璧。でも、いつまでもずっと種のままなわけじゃなくて、時期が来て、条件が整ったら、スイッチみたいなものが入って、芽が出て、葉が付いて、花が咲き、実が生り・・・って、どんどん変化していく。だから、種は 変わることも含めて 完璧、なんですねそして、人間もおんなじ♪未熟だったり、まちがったり、悩んだり、いろんなことがあって、それもひっくるめてパーフェクト 彫刻は いったん完成してしまったら あとは古びていくだけだけど、人は、いくらでも学んで 成長して 新しく生まれ変わっていけるものその可能性も含めて 「今のままで完璧」 ということだったんだぁそして、悲しいことや腹が立つこと、不安なことなど 一見ネガティブなできごとは、成長し 変化していくための スイッチを押す役目をしてくれているんですね「このままじゃつらいしなぁ、う~ん、どうしよう」って悩みながら、問題を解決することで 以前の自分より ひと回り大きくなって 先に進むことが出来る、そのチャンスを提供してくれているんですねこんな風に見てみると、うわ~、なんかすてきだなあ、楽しいなあもう 自分のことも 人のことも 責めたり 冷たい目で見たりしなくていいんだ~♪だって、み~んな そのままで完璧なんだもの・・・といっても、以前のクセは残ってるから、このひらめきも 消化するまで 時間はかかりそうだけど。。。ま、それでもいっか~、私、完璧だし~、エヘヘ
2006年07月01日
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