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30分程前雲行きが怪しくなった。暗雲が立ち込め暗くなった。雨それも春雷基豪雨が来るナと思った。案の定、暫くして激しい雨が降ってきた。シャワーみたいな雨だ。屑ども達の自然破壊の所為で地球温暖化は顕著になった。日本も亜熱帯の気候に近くなったようである。其れまでは見られない亜熱帯性植物や生物が生息し始めているという。近年スコールのような短期的な土砂降り雨が多発してきたのも温暖化が原因といえる。 安くても使い勝手の良いシャワークリーンスーツにしようと思う。木曜日土砂降りの雨にあったからな。
2009/05/31
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邪獣を56せぃ”!時は今・・・ 『 時は今 ・・・ 』 時は今 ときはいま 雨のしたしる あめのしたしる 五月かな さつきかな 「 本能寺の変 」 の数日前、愛宕山で催された歌会で 明智光秀が詠んだ歌 です。 なぜ光秀が謀反を起こしたのか、今だ 歴史上の大きな謎 とされていますが、この歌は一説に 「 土岐は今、天の下治る五月かな 」 と解釈されています。 つまり、土岐氏 ( ときし : 美濃国の守護 ) の血を引く光秀 が 「 今こそ我が天下を治める時だ 」 との 決意を込めて詠んだ のではないか・・・と。 この季節、桔梗の花 ( ききょう : 明智家の家紋 ) を見る度に、光秀の人生に想いを巡らせてしまいます。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80
2009/05/29
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24時10分頃神田美土代町デニーズ前の信号で。土砂降りの雨の中傘でチャリンコで帰るときだったな。(腰痛は大分楽になった)赤に成ったが急いで渡れば何とかなると思ったのがマズカッタ。グリーンのタクシーと乗用車が前後を通過した。クラクションが鳴った。急いで止まった。向こうは減速したのが良かった。というか大手町から結構飛ばして来やがったな。お互い雨で急いで視界が悪かったのだろう。 教訓にするよ。クライアントには猛烈に批判されたしな。大厄日である。細木師の本通りだった。付いていたのは再会の月で年運立花だったのかもしれん。
2009/05/28
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当初30メートルと報じられたが実際は45メートルもある岩山だな。改めて前大統領のご冥福を祈るよ。 盧氏が飛び降りた裏山 (時事通信) 5月23日(土) 18時18分 盧武鉉前大統領の自宅近くの裏山への入り口そばに集まった人々。前大統領はこの山から飛び降り、収容先の病院で死亡した。親族の不正資金疑惑の捜査に苦しんでいたとみられ、遺書があった(23日、韓国・金海)【AFP=時事】
2009/05/27
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今から思うととても出勤できる状況ではなかったな。執念だろう。殆ど歩けないにも関わらず自転車で出勤した。3,40分程遅めの出勤だな。幸い歩かないですむ仕事だった。昼は直ぐに済ませ、神田からチャリで皇居へ。皇居前広場の芝生で30分近く寝て腰痛を緩和させた。歩くときは前傾姿勢。夕方直ぐに帰った。本当に良くやったと思う。
2009/05/27
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出勤時は何時も通り。唯座る時間が長く、狭い場所だった。10時過ぎにカスから怒りの電話が来て応対に追われる。不自然な前傾姿勢を取っていたと思う。また書くものが無いからエントランス付近で正座し書いたような気がする。これが生涯初深刻な腰痛を引き起こした原因と思う。5年程前床に直置きの状態のPCを前のめりにに成って操作し続け、激痛を起こしたのが遠因だろう。→体が柔らかいが故の過信である。幸いその時は暫く休み、大事には至らなかった。→体が柔らかかったからである。 12時頃昼食に経ったが腰が痛い。ただ、歩けはした。昼書類をとりに自宅に戻った。この時20分ほど横になって背筋を伸ばした。何時ものように。その後、またカスから電話が掛かり応答に出る。そして玄関へ。この時立てなくなり膝を突いた。15分ほど休んだ。幸いチャリンコで戻った為、現場へ行けた。違和感を感じたが午後の職務に就けた。 然し、夕方事務所へ戻る時に駐車場で仆れててしまった。腰砕けである。カバンの重さ(大して重くない)に耐えられない程腰が悪くなり、突然激痛が走ったのである。2,3分前のめりの体制をして休んだ。(これは意外と長いのだ。)そして何とか自転車に乗り事務所へ。然し、此処まで動けたのが不思議であった。今から思うとな。気力、精神力だろう。そして責任感である。事務所で執事に付いた。なるべく動かない。立ち上がる際背を伸ばすと痛みが走り伸ばせない。だから不自然なくらいの前傾姿勢になった。未経験者にわかり易く伝えると膝から下で歩くという感じだ。身長が15センチから17センチは低くなった。頭の位置が下がってな。書類一枚でも持ちたくない状況なのだ。重くて重くてというか痛くてね。そしてキャビネットへ行ったが、力尽き(というか激痛で)前のめりに倒れた。コピー機で書類をコピーしている事務所員の女性が驚いて駆け寄った。彼女に書類を渡し、書類の指示をした後しばらく蹲った。 続く
2009/05/24
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10年間韓国のニュースを見て来たが、ニュースの枠全てが一人間の話題に終始したのも初めてのことである。KBSニュース9韓国のニュースはテンポが良く、一話題1分30分ほどを各記者が報道する。視点を変えても10個報じても15分程度で収まる。最近では国宝南大門焼失が20分以上と異例の長さの報道だったが。
2009/05/23
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韓国ドラマを見ているようだ。毎度大統領が辞めた後、在任中のスキャンダルが明るみに成る。→五年後は月山明博か?弁護士出身であり、政治家にありがちな図太さ不逞不逞しさが無かったのだろう。ご冥福を祈る。盧・韓国前大統領、山で飛び降り自殺...「つらかった」と遺書2009年5月23日(土)13:24 【ソウル=浅野好春】韓国 慶尚南道 ( キョンサンナムド ) 金海 ( キムヘ ) 市郊外の 烽下 ( ポンハ ) 村で23日午前6時40分ごろ、自宅の裏山を登山中の 盧武鉉 ( ノムヒョン ) 前大統領(62)が転落し、病院に運ばれたが、間もなく死亡した。 韓国KBSテレビによると「つらかった」とする遺書が残されており、大統領時代の側近も「岩壁から飛び降りたと見られる」と発表、自殺だった模様だ。 盧前大統領は、大統領在任中に有力後援者から不正資金を受け取った疑いで最高検察庁の事情聴取を受け、最高検は5月中にも逮捕か在宅起訴かを決める方針だったが、盧氏の急死で疑惑の解明は困難となった。 聯合ニュースなどによると、盧前大統領はこの日早朝から、警護員と一緒に登山をしていた。転落の詳しい状況は不明だが、頭部を強打し、大きな傷を負ったという。午前7時5分ごろには金海市内の病院にいったん運ばれて応急手当てを受けた後、近隣の 梁山 ( ヤンサン ) 市内にある 釜山 ( プサン ) 大病院に移送されたが、同9時30分ごろ、死亡が確認された。 地元警察当局が、どのように転落したのかなど、警護員や関係者らから事情を聞いているが、盧前大統領は不正資金授受疑惑の渦中に置かれていたため、これを苦にして自殺したとみている。 KBSテレビによると、盧前大統領が家族にあてた遺書には、「これまであまりにつらかった。多くの人々を困難な立場に追いやった。(烽下)村に石碑を一つ建ててほしい」などと記されていたという。 最高検は昨年12月、盧前大統領の有力後援者や実兄を逮捕、夫人や家族らが金品を受け取った疑惑を捜査していた。4月30日には、夫人らに渡った600万ドル(約5億7000万円)が前大統領へのワイロだったと見て、10時間近くにわたり本人から聴取した。盧氏は家族らが金を受け取ったことは認めたが、「在任中は受け取りの事実を知らなかった」と述べるとともに、有力後援者への便宜供与や資金要求を否定し、収賄には当たらないと主張したとみられている。 最高検では聴取後、盧氏の身柄を拘束するか、在宅起訴とするかの検討作業を慎重に進めてきたが、大統領経験者として業績を「礼遇」すべきだとの声も強く、最終的には在宅起訴にとどめるのではないかとの観測が広がっていた。 盧武鉉(ノ・ムヒョン、1946年9月1日(旧暦8月6日)-)は、大韓民国の政治家で、第16代の韓国大統領(2003年 -2008年)。本貫は光州盧氏。カトリック教徒で、洗礼名はユストゥス。権良淑(クォン・ヤンスク)夫人との間に1男1女。歴代で初めての日本統治時代を経験していない世代の大統領である>>続きを読む(goo Wikipedia記事検索)
2009/05/23
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こっちは病み上がり(腰痛完治せず。身体能力の高さで劇的な快復を翌日以降したが。後日 詳述する)の身に電話が日中から7,8回掛かって来た。一度位は身を案じろ”!ダニ邪獣が””!春日!
2009/05/22
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今日やっと休み休み50メートル程歩けるように成りました。
2009/05/19
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澄み切っている。。。韓国のネチズン間で彼女の整形前と現在とを比較しているがそんなのは如何でもいいのだ。
2009/05/16
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澄み切っている。。。1週間振り書く気力と時間を持てたよ。
2009/05/16
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天恵の産物。浸み込む愛らしさがアルのだ。
2009/05/09
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澄み切っている。KARAの牽引車。
2009/05/09
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仕事で朝帰りだな。雨が未だ降っていた。
2009/05/08
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澄みきっている。明日も仕事だ。
2009/05/05
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JRは空いていたが、小田急は成城学園を過ぎてから混みだした。神奈川箱根、伊勢原(大山)へ向かう行楽客が多い。 のんびりと幸せな雰囲気が漂う。 もっとも俺は仕事だったがな。
2009/05/04
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ご冥福をお祈りします。 忌野清志郎さん死去...58歳ロックに生きた 伝説のロックバンド「RCサクセション」を率いるなどロックスターとして活躍した忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため都内の病院で亡くなった。58歳だった。06年に喉頭(こうとう)がんを患い、昨年には左腸骨に転移。完治を目指して療養に専念していた。歌手デビューから40年目、幅広い世代を熱狂させた歌声と「ベイビー」「愛し合ってるかい!」のシャウトはもう聴くことができない。 ド派手な衣装とメーキャップ。過激なメッセージを叫んでは若者や社会に大きな影響を与え続けてきた「キング・オブ・ロック」が、約3年間に及ぶがんとの闘いの末に旅立った。関係者によると入院はしていたが、親しい友人や関係者に心配かけまいと連絡はしていなかった。ところが、数日前から急激に容体が悪化。苦しむこともなく最期を迎えたという。それだけに覚悟していなかった友人のミュージシャンらは深い悲しみに暮れた。2日夜、遺体が安置された都内の自宅は関係者が出入りして慌ただしかったが、どの顔も悲しみで沈んでいた。 のどにがんが見つかったのは、06年7月だった。ホームページ上でがんを「新しいブルース」と表現し「何事も人生経験と考え、この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できれば。またいつか会いましょう。夢を忘れずに!」と前向きに受け止め、活動を休止した。ただし、声帯を失う手術だけは拒否して、放射線治療や抗がん剤治療、菜食の民間療法などで完治を目指した。 08年2月には「完全復活祭」と題した2年ぶりの単独ライブを日本武道館で開催。清志郎さんのためにと、RCサクセションの元メンバーたちが17年ぶりに集結。生来の爆発的な声量で24曲を歌いきり、心配する約1万3000人のファンの度肝を抜いた。「2年もよく寝たぜ!」と病を笑い飛ばし、復活を確信したはずだった。 ところが、数カ月後には左足に痛みを発症。左腸骨にがんが転移していたことが判明した。同年秋に予定していた日比谷野外音楽堂ライブなどをすべてキャンセル。公式ホームーページに「このくらいのことは覚悟してたんで、ぜんぜんヘコんでないから。ブルースはまだまだ続いているというわけだ。すぐに帰ってくるから応援してくれ!」と記し、再び治療に専念した。 昨年11月に20年来の友人で「がん友」と呼び合い、励まし合っていた筑紫哲也さんを亡くし「共に病気と闘っている仲間意識があったので、とても残念です」と、ショックを受けた。それでも、今年6月に行われるイベントのテーマ曲の制作に意欲をみせるなど、復活を100%信じていた。 反戦、原発、自衛隊など多くの社会的メッセージを問題提起し、タブーに挑戦しつづけた不世出で不屈のロッカーは逝った。3日にも近親者のみで密葬が行われるが、再会を信じていたファンのためにも、9日に青山葬儀所で一般人も弔問できる告別式が営まれる。 [2009年5月3日8時58分 紙面から
2009/05/03
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ゆったりと過ごしている。然し、明朝早くから出かけなくては成らず仕事の準備もアル。只GW中、セレブ区某駅は乗降客が通常の1,2割程と閑散としており通勤帰宅時のストレスは少なて良い。
2009/05/03
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