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2006/10/27
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「いじめとは、思わなかった。」
「遊び、ふざけだと思った。」
「○○君がにやにや笑っていた。」
「本人から訴えがなかった。」

「いじめはなかった」
「いじめと自殺に因果関係はない」


これは、教師も加担した「葬式ごっこ」いじめとして、1986年に
起こった「いじめ」自殺事件での、教員側と区の対応を抜粋したものです。


今回、福岡のいじめ事件に端を発した、一連の「いじめ報道」が行われています。

暗然たる思いに襲われました。
・・・・20年の月日で、何か変わったのだろうかと。


大学、就職と教育とその周辺産業に関わり、行政書士の傍らで、現在講師として
子どもたちと関わる中で、他人事でなく、何ができるだろうと考え、いくつか、
いじめに関わる書籍に目を通しました。その中で偶然手にした1冊が、
朝日新聞記者豊田充さんの書かれた

1994年10月発行の
「葬式ごっこ」八年後の証言(豊田 充 著  風雅書房)です。

現在は絶版のようで、図書館で入手いたしました。
今日の事態を考える上で、重要な内容を含む言葉があるように思いますので、
いくつか、取り上げてみたいと思います。




(鹿川君の)同級生の一人に「どうしてそんなに、鹿川君の問題にこだわるんですか」
と聞かれ、とっさに「他に誰もやらないから」と答えた。実際、教育界を見渡しても、
第1次(いじめ)多発期のあと、熱さがのど元を過ぎたように、いじめを解明し、
指導体験を教訓化する作業は、影をひそめた。
(中略)

(鹿川君事件の控訴審判決1994年5月、いじめを認定。その後4ヶ月間でいじめ自殺が
4件発生したことに対して) 
 学校側は親から訴えを聞きながら、控訴審判決が指摘したような「場当たり的な指導」に
終わり、「ケンカやいたずらの範囲内」といじめを否定しようとしている。
 8年前と同じことが、繰り返されている。鹿川君たち16人の死が、全く生かされていない。

教師による体罰には、教育委員会に報告されないケースが少なくない。(略)
いじめでも、同じ傾向があるだろう。 
 (以上、同書より)

「いじめは減少している。いじめ自殺は発生していません。」
この文部省の発表が、現状を表していないものである可能性は、1994年にこの本の中で、
すでに指摘されていたように、教育界の中でも感じていた人はいたように思うのです。


引き続き、同書から
「3.いじめを生む土壌」

表面的な当事者に注意し、あるいは親密な関係を作って統御する、といった在来の学校文化
が通用しないことは、教師自身にも分かっていよう。(略)
しかし、最近の自殺した例で見ると、従来の指導方法は通用しなくなっているという認識が、
いまも学校現場にない。この8年間、現場教師にとって指針となるような資料が、教育界から全くと
言っていいほど、出なかった。



記者という立場からの、無責任な第三者的意見だと言ってしまうこともできるのでしょう。
しかし、学校というのは誰もが避ける事なく通る道です。教育界だけの問題ではなく、
親・社会の問題として、それぞれが「教育」を考えて、どんな貢献が出来るかを考えて
いく必要があるように思います。
一部に見られるような、「教師が悪い、学校が悪い」というバッシングだけで終わらせることは、
将来に禍根を残すような感じます。


引き続き同書より

校内暴力・対教師暴力の多発期には、各校ごとの「つっぱり」封じ込めは、素早かった。(略)
校内暴力に、これほど敏感だったのは、教師自身が被害者だったからではないか。生徒管理の不手際に批判を浴びても、教師が直接の責任を問われず、裁判の被告側にもならなかった。
いじめでは、教師の生命・身体に危険はないが、明るみに出れば、責任問題に直結する。荒立てない方がいい。場当たり的指導でお茶を濁す。(略)被害者自身が自殺しない限り、卒業までその場しのぎで済ませてしまう。そう考えると、いじめに対する、教師たちの鈍感さが、やっと理解できる。
(略)
学校批判、教師批判が高まるにつれ、教師集団が「学校文化」に固執し、自分たちを守る排他的な
「砦」になっている場合が少なくない。


私が、実は今回の福岡の事件で象徴的に感じたのは、校長先生が「学校を守らなければならない」
という趣旨の発言をされたことでした。
私自身教育大学にて教員養成の課程を受けていましたので、本来のレールに乗っていれば、
教師として今があっても不思議ではありません。周囲の教師を見ていて、彼らが不真面目かと
いうと、決してそうではありません。いろいろな仕事で、早朝出勤、休日出勤でがんばっておられる方が多いのも事実です。
いじめ、その他で、教師が学校がすべて悪い、だから学校は信頼できない、という見方に与する気持ちはありません。
教育は、教師と学校だけが行うものではなく、家庭で社会で行うものですから。それだけに
個人的には、学校という砦の壁を低くし、多様な社会の構成員が関わっていける場になったら、
と思います。


引き続き、同書より、


同書刊行から12年がたち、学校現場はいよいよ「しつけ」の場と化し、「いい授業」は塾が行うようになったように見えます。そして子どもたちに「集団における人間関係の持ち方」を見つけさせる場は、一層失われてしまったように見えるのです。
異業種交流が定着しつつある社会のなかで、教師が、教師という枠組みだけで生きるのではなく、社会の多様な層の方々と交流を深め、幅広い人格を備えた先生として、いまいちど、学校と教師の責務に立ち戻ってほしいと思うのです。

今回、このほかいじめを見逃した教員への処罰への問題点、いじめを行った生徒への対応など、この鹿川君事件のルポから学び取れる部分がありますが、ここでは、割愛したいと思います。
今日には、子どもへの「いじめ」を原因とした事件も発生しました。いじめの話題が一過性で終わる事なく、いじめ克服の手法確立への動きがでてくる事を期待したいと思います。





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Last updated  2006/10/27 06:28:44 PM
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