真理を求めて

真理を求めて

2003.12.22
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遅ればせながらベストセラーになっている「バカの壁」(養老孟司・著)を買った。僕は、ベストセラーというものが売れている間は手にしないという風にしていたんだけれど、書店でぱらぱらとめくっていたら、次のような文章が印象に残ったので、これは読むに値するかなと感じて買ってみた。それは次のような文章だ。

「つまり、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在しています。これも一種の「バカの壁」です。」

これは、薬学部の学生に、妊娠から出産までのドキュメンタリーを扱った番組を見せたときに、男と女ではその反応が全く違っていたという例を語った後に書かれていた言葉だ。それは、女子学生にとっては、妊娠や出産というのは、自分にとって非常に切実な問題なのでそこから受け取る情報が非常に深く広いものになる、つまり自分が知りたいことが多いという風に語っている。

それに対して、男子学生にとっては、このテーマはそれほど知りたいとは思わない、むしろ知りたくないものになっているのではないか。だから、自分が知っている以上のことは目に入ってこない。それ以上の情報に対して「バカの壁」を作っているという説明だった。

これは非常によく実感できる。その通りだと僕も思う。それで、これは一つ読むに値するのかなと感じた。この知識は、自分が何かものを考えるときにもいろいろ応用できるし、人の評論を読むときにも、その評論の評価に「バカの壁」を見ることが出来るかどうかを考えることが出来る。実践的に非常に有効だと感じた。

ただここには、壁で遮断していることに伴う逆の効果についてはあまり書かれていなかった。まだ半分くらいしか読んでいないので、後半部分には書かれているのかもしれないが、次のようなことが頭に浮かんできた。

自分が知りたくないことと言うのは、壁によって遮断されて考えの中に入ってこないが、逆に自分が期待している知識というのは、それを深く反省しないうちに取り込んでしまう傾向が出てくる。つまり壁というのは、遮断するだけではなく、検問所のように取り込みやすいものも選んでしまうという面もある。

僕は反権力・反体制の気質を持っているから、その気質に合いそうな事実はすぐに目に飛び込んでくる。それに対して、権力の側を擁護するようなものに関しては、これは信用できないと眉につばをつけてみることになる。これは、ある種のフィルターをかけていることになるのだが、このフィルターが偏りすぎていないかどうかに気をつけなければならないと言うのが「バカの壁」の一つの効用だ。

それと同時に、僕と反対側の論理を使うものに対しては、その論理が、自分に都合のいいものはフィルターを通し、都合の悪いものには目をふさいでいないかどうかに注目してみると言うことに気をつける。実践的な指針として使えると言うことが、「バカの壁」という指摘の優れたところだと思った。



論理的な整合性とか、事実としての確実性とか、それを取り入れるかどうかに客観的な評価が出来る問題に関しては、平等に取り扱うことは間違いだ。それが自分と違う考えだから排除するというのではなく、間違っていることが確実だから排除するという判断であれば、排除することの方が正しい。このとき、排除することは「バカの壁」だ、と単純に受け止めていたら、判断をせずに受け入れるという、「バカの壁」を意識しすぎたために「バカの壁」にだまされるという結果になってしまう。

まことに「バカの壁」というのは奥が深い。この本は、ベストセラーにしては珍しく優れている。「バカの壁」を意識してイラク関連のニュースを眺めてみよう。まずは次のニュースだ。

「スパイのリスト、フセイン拘束時に発見…米TV報道
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031219-00000513-yom-int

これは、利害当事者のアメリカの側の一方的な発表だと言うことをまず押さえたい。都合がいいからといって鵜呑みには出来ない。逆に言うと、これは都合が悪いからといって、アメリカの発表だからというだけで排除するのも「バカの壁」を感じる。これが嘘だという確実な証拠がない限り、嘘だという判断をしてはならないと思う。結局この情報に対しては、真偽は分からないという態度保留がふさわしいだろう。そして、真偽がどうあろうとも、何が言えるかという視点でこの情報を受け止めることが必要だろう。

アメリカは、フセインのみじめさを宣伝したがっているのに、一方ではフセインが重要な指導的位置に居続けたというように思える情報も流している。だから、どちらが正しいか分からなくなる。この情報が正しいものならば、アメリカからの情報漏れによるテロは減るはずだ。しかしこれが、イラク人に対して容疑をかけて拘束することの証拠に利用するという目的で出されたものなら、無実でありながら拘束を合法化するために使われる恐れもある。今後の展開を慎重に見ることで、どちらの事実が出てくるかに注目できるのではないか。

「<リビア>大量破壊兵器開発を全面廃棄 米大統領が緊急発表
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031220-00001024-mai-int

このニュースに関しては、平和のためにはいいことだと歓迎する人がたくさんいるだろう。しかし、その情報だけに終わっていると「バカの壁」を感じてしまう。幸い報道は、別の視点も提供してくれた。それは次のようなものだ。

「<リビア>イスラエルの例外扱いに不満も

米国はリビアの決定を称えるが、アラブの一般市民の間には、イスラエルの優位をさらに確実にする今回の決定に複雑な感情も残る。特にイスラム原理主義過激派は米政府のこうした二重基準に強い不満を抱いており、イスラエルを例外扱いしたままの米国のやり方はテロリストに口実を与える危険さえある。(毎日新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031221-00000072-mai-int

リビアの決定を歓迎するだけで、イスラエルを忘れていたら「バカの壁」に情報を遮断されていると思わなければならない。また、このことに関しては次のような情報もある。

「「米が事前に体制保証」 リビアの大量破壊兵器放棄
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031221-00000018-kyodo-int

つまり、リビアにとっては十分に見合うだけの国益があったので、このような宣言をすることが出来たのだ。平和のためというような理念で実現したものではない、と受け取った方がいいと思う。さらに、アメリカが体制保証した理由も次のような記事から推測できる。

「米英にアルカイダ情報提供 リビア、制裁解除見返りで
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031221-00000048-kyodo-int

体制を保証したと言うことは、カダフィ体制が、たとえ国民を弾圧しているような、フセイン体制と同じ面を持っている独裁体制であっても、それを容認すると言うことだ。カダフィ体制はフセイン体制とは違うのだろうか。僕は詳しく調べていないので結論は出せないが、違うということでなければ、アメリカの姿勢には論理的整合性がないだろう。フセイン体制は、戦争をしてまでつぶそうとしたのだから、もしカダフィ体制が同じ面を持っていたら、たとえどんなことがあろうとも体制保証なんかしないというのが筋の通った考え方だ。

しかし、上の記事のような利害関係があるのなら、これは論理的整合性も出てくる。つまり、正義よりも実益の方をとったと言うことで理解できるからだ。そして、正義よりも実益をとったのなら、イスラエルに対しても正義を実現するよりも、実益の方をとってダブルスタンダードをとることも予想される。気になるのはもう一つの国に対してアメリカがどんな態度をとるかという予想だ。次のようなニュースがあった。

「<リビア破壊兵器廃棄>「北朝鮮に心理的圧迫」 韓国政府当局
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031222-00000032-mai-int

アメリカが自分の正義に忠実に、フセイン体制を倒した姿勢を堅持するのなら、この国に体制保証などをするはずがない。しかし、リビアが独裁国家であるにもかかわらず、利害関係から体制保証をもたらしたのだとしたら、ある種の利益が得られるという判断があれば体制保証をする可能性がある。リビアは、アルカイダの情報を与えるという利益をアメリカにもたらしたが、かの国にはそのような利益をもたらす何かがあるだろうか。

すべてはリビアがどんな国かという判断にかかわっているような感じもする。ニュースによると、

「リビアの最高指導者カダフィ大佐の二男、セイフ・イスラム・カダフィ氏は20日、米CNNとのインタビューで、リビアが大量破壊兵器計画の放棄に踏み切ったのは、米政府がカダフィ体制の「安全を保証したためだった」と述べた。

 セイフ氏は、カダフィ大佐のスポークスマン役を務め、大佐の有力後継者と目されている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031221-00000013-yom-int

とも書かれている。権力の世襲制が行われているようにも感じる。何となく、アメリカが非難している独裁国家の特徴を備えているような感じもするのだがどうなのだろうか。

以上のような報道を見ていると、アメリカの判断は、正義よりも利害の方が重い、と考えるのは「バカの壁」によって遮断された判断ではなく、論理的整合性を通じて得られた判断のように思えるんだけれどな。だから、かの国に先制攻撃をするかどうかという問題も、正義をもとに予想するよりも、かの国がアメリカにどのような利益をもたらすかという面を見て考えた方が良さそうだと思うのだ。先制攻撃をした方がアメリカの利益なのか(正確には、その時点で権力を握っている勢力の利益といった方がいいだろう)、それとも先制攻撃をするとマイナスの害の方が大きいのか、それを教えてくれるような情報を探そう。





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最終更新日  2003.12.22 09:38:35
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