真理を求めて

真理を求めて

2004.01.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日、目にとまったニュースは次のものだった。

「<成人式>川崎市の式典批判の男性が謝罪

 川崎市の成人式問題で、演台に土足で上がり式典を批判した男性が同市に謝罪していたことが16日、分かった。男性は14日午前、市長に対する始末書を持参して市役所を訪れ、担当職員に「演台に上がったことは深く反省しているが、自分の思いは間違っていないと思う」と伝えた。阿部孝夫市長は受け取りを拒否したという。(毎日新聞)
[1月16日20時44分更新]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040117-00002066-mai-soci

この男性は、暴れて式を滅茶苦茶にしたわけではない。以前の報道を見る限りでは、演台に土足で上がったのを非難されたという風に言われている。だから、彼はその点について謝罪した。この意味を深く考えてみたい。

彼の成人式批判の内容は、成人式が、議員の挨拶の場になっていて、選挙のための宣伝の意識の方が強く、成人を祝うという趣旨が感じられないということに対する批判だったように思う。内容のない挨拶ばかりで、成人の心に言葉が届いていないということから、そのような批判を抱いたのだろう。

これは、僕はとてもまっとうな批判のように感じる。彼は、ただ目立ちたいために行動を起こしたのではなく、演台に上がったのも、気持ちが高ぶり興奮してしまったせいではないだろうか。だから、後で冷静に考えて反省したら、その点を謝罪しなければならないと感じたのだろう。

彼が謝罪したことで、彼の行動のすべてが悪かったと見られるのは間違いだと思う。その点、この報道では、彼は演台に上がった点での謝罪をしていて、主張そのものは間違っていなかったと思っているようなので、これは良かったと思う。だいたい、式典と呼ばれるものは、ほとんどがエライ人のハレ舞台として用意されているだけのものが多い。エライ人がエラサを宣伝する場として利用されている。これに対して、舞台の背景として利用される側が、違うんじゃないかという声をあげるのは当然だと思う。



彼のやったことは秩序を乱すことだから、保守的な人間にとっては、成人式で暴れる行為と同じようなものに見えるかもしれない。批判の内容にかかわらず、秩序を乱したということで怒りを覚えているのかもしれない。しかし、批判を正当に受け取らず、秩序を乱したということですべてを否定しようとするのは、同じことをまた繰り返すということになるだろう。ここには、共同体主義の弊害が表れているように僕は感じる。

共同体主義というのは、ある種の仲間意識を持った共同体では、証明なしに・無条件に信じられている真理というのがあって、それは疑問を持つなどということでさえ許されないことだとされる考えだ。それに疑問を持つことは、共同体としてのまとまりや一体感を破壊する最悪の行為ということになる。

共同体主義は、その成員がすべて身内意識に囲まれていて、幻想を信じていることが利益だという人に限られていれば、その弊害は出にくい。しかし、身内だけでなく、異質な人間との接触が必要になった近代以後では、お互いに納得しあえる論理によって妥協しあうことが必要になる。頭から拒否するという態度は、時代遅れの間違いだ。

共同体主義は、価値観の転倒ももたらす。たとえば、夫婦別姓の実現が叫ばれて久しいが、保守的な層では、これに強硬に反対している。これが現実的にどんな弊害を生むかということに対しては、確かなことは誰にも言えない。むしろ、希望する人でさえも、その希望を制限されることに、権利の侵害を見るのは僕だけだろうか。希望しない人にまで夫婦別姓を押しつけるのではない。希望する人がそうできるようにしようという考えだ。反対する人は、希望する人も出来ないようにしようとしている。しかもその反対論は、全く納得できないようなものだ。

一つの反対論は、夫婦の安定を壊し、ひいては家族の安定を壊すというものだ。別姓にすると離婚がしやすくなるという人もいる。これは、共同体主義による価値観を条件抜きに肯定しているように僕には見える。離婚がしやすくなるとなぜ困るんだろうか。離婚がしにくくて不幸になる人も大勢いるんだから、それは条件次第であって、一般論として離婚がしやすくなると困るということではないだろう。

共同体主義に毒されていると、論証抜きに認めなければならないことが基礎にあるから、論点のすり替えが行われて、直接反論できないことを別のもので反対するというやり方も出てくる。成人式批判に対して直接反論できないときに、それは土足で演台に上がったことの問題だけにしてしまおうとするやり方だ。

我々が論証抜きに認めてしまいがちな事柄をもっているときは、そのことに論点をすり替えようとするような言葉遣いには気をつけなければならない。今までも多くの問題でそのようなことが行われてきた。

大きな事件で思い出すのは、「沖縄密約事件」だ。これは次のページで詳しいことを知ることが出来る。

http://www.jca.apc.org/mai-u/120.html

ここでは、沖縄返還交渉での密約という、国民への背信行為である事実を報道するという、いわば国民の利益としてこの報道がどうであるかという問題が、情報入手の方法としての男女関係に矮小化されてしまった。本来の論理の問題に目がいかず、末梢的な問題の方へ論点をすり替えられてしまった。これは、当時の日本社会が、やはりまだ共同体主義の弊害の中にあって、公的な観点が民衆の側に欠けていたからだろうという感じがする。

教育の現場でも同じような論点のすり替えを感じるような問題はたくさんある。服装の乱れは生活の乱れになり、非行の第一歩だという信念が教師の側にはある。これは、証明抜きに信じられていることで、一つの共同体意識と呼んでもいいだろう。だから、ばかげているとしか思えないような服装の規定である校則があったりする。

しかし、事実をよく見てみると、服装の乱れが非行につながるのではなく、非行という事実があれば必然的に服装にもそれが表れて乱れているように見えるというのが、論理的には自然なのではないだろうか。非行の原因は多様で、その本当の原因に対して対処しない限り非行というものを防ぐことが出来ないのではないか。単に服装を注意しているだけで非行が防げるものではない。



服装の乱れは、秩序を乱しているように見える。しかも、それを校則で禁止したりして、その校則を破ったりすれば、それは共同体主義に対する挑戦でもあると見られる。共同体主義としては、許し難い行為になるだろう。共同体主義に毒されている学校ほど、このような校則には厳しくなるのではないかと思われる。非行の原因を服装の乱れに還元するのは論点のすり替えではあるけれども、共同体主義にとっては、もっとも大事な証明抜きに承認する価値観を守るという点では、論理的には理解できる行為かもしれない。

論理的に理解できるというのは、それが納得できるとか、賛成できるとかいうことではない。因果的に、何が原因でそのような行動が起きているかが理解できるというような意味だ。自分ではそのようにはしないけれど、そのように行動する人間の心理は、こう考えると理解できるだろうというような感じだ。

さてイラク関係で気になるニュースは次のものだ。

「陸自先遣隊、クウェート到着へ=米軍キャンプに宿営-週明けにもイラク入り
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040117-00000188-jij-int



アルカイダは、イラクの地に自衛隊が一歩を踏み込んだときが、日本への攻撃の時だと宣言していた。アルカイダは、その時をいつだと認識するだろうか。先遣隊が行ったときなのか、それとも本体が足を踏み入れたときなのか。それに注目していきたい。

「イラクで数万人規模デモ、「暫定議会」直接選挙求める
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040116-00000102-yom-int

この記事に注目したいのは、民主主義というものを原則的にとらえれば、直接選挙の方こそが民主主義にふさわしいだろうと思うからだ。建前として、イラクに民主主義を実現すると言っているアメリカが、なぜ直接選挙に反対するのか。この報道ではその理由が分からない。

民主主義にも様々の弊害はある。だから、どんな理由で直接選挙がだめなのかが論理的に納得できるものであれば、それに反対するのも、アメリカの欺瞞だけだとは言えないだろう。直接選挙が、衆愚政治につながるということが納得できれば、それは時期尚早だということも分かる。遅れた民衆は、進んだ指導者に導かれなければならないというわけだ。でも、この図式は、もしかしたら崩壊した社会主義国家と同じ図式じゃないのかな。アメリカは、イラクに昔の社会主義国家のような体制を作りたいのだろうか。本当は、サウジアラビアのような傀儡の独裁国家を作りたいんだろうと僕は思っているんだけれど、果たして直接選挙が行われるようになるだろうか。注目していきたい。





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最終更新日  2004.01.17 11:10:33
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