真理を求めて

真理を求めて

2004.06.04
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カテゴリ: カテゴリ未分類
構造主義を理解すると言うことは、僕にとっては「構造」を理解すると言うことだった。これは、実存主義を理解することが「実存」を理解することであり、マルクス主義を理解することは「マルクス」を理解することだったのと同じような感じだった。「実存」と「マルクス」に関しては、ある意味でそれを理解したと思っているけれど、「構造」の場合は、僕が理解した「構造」が、必ずしも構造主義で言われている「構造」と重ならないことが、構造主義を難しいものだと感じてしまうところだった。

「マルクス」の理解も、ちまたで言われている「反マルクス主義」が理解しているような「マルクス」と僕の理解は全く違う。しかし、これは「反マルクス主義」が唱えているマルクスの理解が浅はかで間違っていると思っているので、これが違っていてもそれほど気にならない。もっとも、大多数を占める多数派の「マルクス主義者」が理解する「マルクス」の理解とも、僕の理解は違うように感じる。

「マルクス」の理解だって難しいには違いなのだが、これは三浦つとむさんという素晴らしい導き手がいたので、難しいことを単純化して、自分が理解したがっている「マルクス」の像を作らずに、現実の「マルクス」にかなり近い像を受け取れたと思っている。ちなみに、三浦さんは、多数派の「マルクス主義」のことを、「官許マルクス主義」と呼んで厳しく批判していた。

これに比べ、構造主義の「構造」に関しては、構造主義者ごとにどうも違う「構造」を感じてしまうし、どれが正しくて、どれが間違っているという受け取り方も出来ずにいた。僕にとって「構造」のイメージの基礎にあるのは「数学的構造」であり、構造主義と呼ばれているのは、「構造」に注目するからこそ構造主義なのだろうと受け取っていた。

しかし、構造のとらえ方が、構造主義者ごとに違うのであれば、構造主義というのは一つのまとまった「主義」と呼ばれるような考え方ではなく、それぞれが正しいと思ったことを勝手に主張しているだけなのではないかとも思える。構造主義と呼んでいるのは、それが今の流行だと言うことを宣言しているだけだろうかと感じてしまった。そして、構造主義を理解できないままに、構造主義というブームはさってしまい、今はポスト構造主義などと呼ばれるようになってしまった。

内田さんの「寝ながら学べる構造主義」は、「構造」というもののイメージをまだはっきりさせてはくれないけれど、「構造主義」というもののイメージがつかめそうな記述を見つけた。「構造」と「構造主義」という言葉は切り離して理解した方がいいのではないかという気がしてきたのだ。「実存」と「実存主義」、「マルクス」と「マルクス主義」は切り離せない概念として理解するべきだと思うが、「構造」と「構造主義」はその関係とは違うのではないかという気がしてきた。

内田さんは、我々が「構造主義」を理解していなくても、我々の時代には、「構造主義」の考えが常識として深く浸透していると語っている。だから、我々が当たり前だと考えていることを反省すれば、そこに「構造主義」というものが浮かび上がってくると言う。次の言葉が心に残った。

「戦争や内乱や権力闘争について、コメントするときに、一方的にものを見てはいけない。なぜなら、アフガンの戦争について「アメリカ人から見える景色」と「アフガン人から見える景色」は全く別のものだからだ、と言うことは私たちにとって、今や「常識」です。
 しかし、この常識は実はたいへん「若い常識」なのです。


確かに、上のようなものの見方・考え方は、僕の中でもほぼ「常識」になっている。と言うことは、僕も「構造主義者」だったと言うことなのだろうか。意識していなかったが、このような考えの中で生活していたのだろうか。問題は、上のような考え方を論理的に正当なものと理解していただけで、これを「構造主義」とは呼んでいなかったということなのだろうか。

「構造」に注目した結果として、どちらの見方も対等に正当性を持っているのであって、どちらか一方が正しくて、もう一方が間違っているとか、一方が他方に優位していると言うことはないのだと受け取れるのだろうか。もしそうであるのなら、このようなものの見方・考え方を「構造主義」と呼ぶのは理由のあることなのかなと思った。

レヴィ・ストロースは、その当時未開で遅れていたといわれていた民族の習慣やその習慣を育てたものの考え方を、西洋的な観点で「未開」という評価をすることに異議を唱えたような気がする。それを比較するのではなく、一つの歴史として合理的に理解できるという方向を指し示したのがレヴィ・ストロースの業績だったような気もする。それが「構造主義」と呼ばれたのは、表面的な現象の違いを超えた、「構造」という普遍的な面の分析によって、表面的な具体像の現れの違いを単純な基準で評価せずにすんだから「構造主義」と呼ばれたのだろうか。

このように考えると、表面的なセンセーショナルな事実に驚かされずに、その「構造」の部分にまで考えを及ぼして、難しいものを「構造の違う」単純さに解消してはいけないという注意を促すのが、実は「構造主義」というものではないだろうかという考えが浮かんできた。それならば、構造主義はまだ終わったのではなく、今でもかなり有効な考え方の一つになるのではないかと思えてきた。

内田さんは、実に論理明快に構造主義について語っている。

「私たちは常にある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け入れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
 私たちは自分では判断や行動の「自立的な主体」であると信じているけれども、実はその自由や自立性はかなり限定的なものである、と言う事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法なのです。」

これを読んで、僕は初めて「構造主義」というものの全体像がつかめたと思った。期待通りの成果が出たと思った。やはり内田さんは僕の好みに合う人だった。

ただ上の考え方は、構造主義に特有の、構造主義だけが持っている個性だとは思わない。マルクスが残した「存在は意識を決定する」という言葉の中にも、上のような考え方の基本的な発想は含まれている。だからこそ「構造主義」の姿が今まではつかめなかったのだろうと思う。ことさらそれを「構造主義」だと意識する必要がなかったからだ。

「構造主義」というものを正しくとらえて説明してくれれば、それは常識を深く掘り下げたものだから、実はとてもわかりやすいはずだ。内田さんはそのように説明してくれた。他の説明がひどくわかりにくかったのは、実は説明者自身もその本質をよく理解していなかったからではないかと思う。よく理解していない人間が説明すれば、難しい用語をちりばめた知識だけを伝える説明になってしまうか、理解できなところを切り捨てて、単純化できることだけを説明するような間違った説明になってしまうだろう。

「構造主義」の理解の際の上のよう問題は、あらゆる「難しいことの理解」に起こってくる問題ではないかと思う。難しいことを、わけの分からない難しい用語を当てはめて説明した気になってはいけないし、単純化して見当違いの理解をしてもいけない。






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最終更新日  2004.06.04 09:23:16
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