真理を求めて

真理を求めて

2004.06.08
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長崎の小学生による殺人事件について、様々の事実の報道がなされているが、その事実の解釈に対してはなかなか共感するようなものを見ない。想像を超えた事実が起こってしまったので、それを理解するための準備がまだないのだと思うが、今までの常識的な解釈の範囲内ではこれを受け止めることができないのだろうと思う。

この解釈の一つとして、そう考えることも出来るなと言うようなものを見つけた。メールマガジンで届いた「星川 淳@屋久島発 インナーネットソース #88」の中の次の文章だ。

「ひと昔前だったら考えられないほど、毎日のように悲惨な殺人事件が起こる日本で、小学生が同級生をカッターナイフで切り殺す今回の事件は、一線を越えた気がしました。真因はネットや悪口うんぬんより、殺人を含む過剰な暴力が日常化した映像やマンガにあると、ぼくには思えます。いくら「憎らしい」と感じても、その反応が「殺してやる」につながること、その道具にカッターナイフのような本物の凶器を選ぶことは、ロールモデルがなければ起こりえないはずです。」

この文章の中の「ロールモデル」という言葉が、一つの解釈のキーワードになるのではないかという感じがした。我々の理解を超えているのは、殺したいほどの憎しみがたとえあったとしても、それが実際に殺してしまうことに結びつくと言うことが想像を超えているのだと思う。観念と存在とには、ある程度の一定の距離があるというのがこれまでの常識だったと思う。

その距離が簡単に超えられてしまったように見えることが我々には理解できない、受け入れらないことなのではないかと思う。しかし「ロールモデル」というものがあった場合に、それを越える可能性はかなり敷居が低くなりそうな感じもしてくる。

状況はちょっと違うが、信じられないような残虐な行為が行われているイラクの地でも、それが実際に行われてしまうというのは、歯止めがどこかで失われてしまったからだと思う。その歯止めを失わせるものはやはり「ロールモデル」なのではないかと感じられる。

戦争という極限状況の中では、信じられないような人間性の残虐さが出ても仕方がないと言うことが「戦争の常識」になった場合、倫理観や道徳意識でそれに歯止めをかけることはかなり難しくなる。しかも、目の前にそのような行為をする他人がいた場合には、それが許されないことだと思う意識がかなり薄くなるだろう。

そのような行為をしても仕方がないという意識ではなく、そのような行為に流されそうな状況にあっても、それが人間として許されない行為なのだという倫理を確立しておかなければ、それをせずにいられる人間として主体性を持つことが出来なくなる。どうすれば、このような主体性を持つ人間になれるかを考えなければならない。

中国での旧日本軍の兵士は、ほとんど残虐行為の歯止めになるような倫理観を持てなかったのではないかと僕は思う。それは、そのような歯止めを持った「ロールモデル」が存在せず、むしろ歯止めをなくした「ロールモデル」しか彼らの前になかったような気がするからだ。このような状況では、戦争だから仕方がないというようないいわけの気持ちしか浮かんでこないだろう。



国際政治の世界でも、単純な善のアメリカと、単純な悪のイラクという図式がはびこっている。これはあまりに単純すぎて、それを本当に信じている人は少ないとは思うのだが、これは日本から見て他人事だからそう冷静に判断できるのだろう。他人事ではない切実な問題では、かなり単純な見方しかできないものも見られる。朝鮮民主主義人民共和国に対して、それが「悪」であると言うことにちょっとでも疑いを差し挟む日本人がいたら、それは悪の手先だみたいに言われるのではないかと感じることがある。

実際にはそう単純な問題ではなく、様々な要素が複雑に絡み合って、国家としての敵対関係ができあがっているはずなのだが、その複雑さを一つずつ解きほぐしていこうとするような冷静さが日本国民の中で主流を占めているとは僕には思えない。これに対しては、世論は単純な反応しかしないようだ。しかもそれが正しいというイメージが行き渡っている。

このようなものがロールモデルになっているとしたら、自分が「悪」と判断した相手に対しては、同情や思いやりなどいらないのだと単純に考える可能性が出てくる。星川さんは、上の引用文に続けて次のようにも語っている。

「いま52歳のぼくが少女たちの年齢の頃、「仲良しの同級生が意地悪したからカッターナイフで殺す」(まだカッターナイフはなかったけれど、鉛筆を削る小刀や切出しナイフは必需品でした)と発想できる子どもは、おそらく日本中で、いやひょっとしたら世界中で一人もいなかったでしょう。強いて翻訳すれば「殺したいほど」の悔しさはときどき味わったにせよ、「殺す」という発想や衝動に
つながる心の回路がありませんでした。子どもの本性が変わったのではなく、取り巻くロールモデルが何百倍・何千倍も残酷で暴力的になったのです。表現の自由とは別の問題として、子どもたちの心を暴力的・反生命的ロールモデルから守る対策を考えるべき時機だと思います。せっかく銃が身辺にない社会で、ハリウッドばりにマシンガンを乱射したり、次々と人間を吹き飛ばしたりする映像・画像を、一定年齢以下の子どもたちに見せる必要があるでしょうか。そういう対米追従からも自由になりたいものです。」

この解釈にも、僕はほぼ同意する。この事件を教訓として、将来のために何かが出来るとしたら、「子どもたちの心を暴力的・反生命的ロールモデルから守る対策を考える」と言うことではないかと僕も思う。社会的状況の解釈としては、この星野さんの解釈が、今のところ僕にはもっとも納得できるものだった。殺したいほどの衝動が心に生まれてしまうのは、感情の生き物としての人間にはあり得ることだというのはよく分かる。しかし、それが実際の行動に結びついてはいけないのだという倫理的な歯止めを持つと言うことが大事なことだと思う。感情的判断は、誤った判断であることが多いという認識を持たなければならない。それをどう育てるかと言うことがこれからの問題だ。

社会的側面の解釈としては「ロールモデル」と言うことが重要であると思うが、個人的資質の問題としては、普通に冗談のように語られた言葉を、深刻に殺したいほどの恨みを伴うものとして受け取ってしまうと言う資質を考える必要があると思う。

河合隼雄さんの本を読んでいたときに、「コンプレックス」という言葉に注目したことがあった。これは単に「劣等感」というイメージで解釈するのではなく、複雑な心理がからみついた心的イメージというふうに僕は受け取った。たとえば、自分自身の経験でも、ある種の言葉に関しては、必要以上に反応してしまうのを感じる。他人からみれば大したことのない問題でも、それを冗談として受け取れない心理状態を感じる言葉があるのだ。

僕はその言葉を分析的に受け取ることが出来るので、感情に流されることはないけれど、そのように冷静になれないときは、その言葉から一気に「殺したいほどの感情」が生まれてくる可能性もあるかもしれない。それは他人には大したことではないけれど、自分には非常に深刻なことであるという特殊性を持っているからだ。事件の加害少女に、そういう面があったかどうかはまだ報道されていないので分からないが、本人が語る動機というものが、他人からみれば「殺したいほどの衝動」を感じることが難しいものが多い。特殊な「コンプレックス」に結びついた衝動があるのではないだろうか。

特殊なコンプレックスなどは他人には分からない。それに気をつけて言葉を選ぼうとしても、失敗することがあるだろう。だから、問題は、そのようなコンプレックスに触れることがあったとしても、それが「殺したい衝動」に結びつかないようなメカニズムを社会的に確立することが必要ではないかと思う。それが心を傷つけることであるとしたら、正当にそれを主張できる手段を確立しなければならないし、誰もが納得できる正当な主張であれば、何らかの補償がされるような社会的制度も確立されなければならないだろう。そうすれば、恨みを晴らすために短絡的な行動に走ると言うことの歯止めにもなるのではないだろうか。

暴力的な手段に訴えるというのは、それ以外に方法がなかったということを意味するものではないかと思う。それ以外の方法がたくさんあるのだと言うことを示すことも、社会が果たすべき責任の一つではないだろうか。社会を指導していく立場の人は、そのようなものを考えなければならないのではないかと思う。





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最終更新日  2004.06.08 10:27:37
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