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真理を求めて
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2004.06.29
再び、事実と解釈について
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僕は、三浦つとむさんを師と仰ぐほど尊敬していて、その語ることをほぼ100%に近いくらい信頼している。100%にならないのは、板倉さんが批判した部分などは、やはり間違いだったかなと思うからだが、たとえ間違いがあったとしてもその信頼感は揺るぐことはない。
三浦さんは、アカデミックな世界では全く評価されていない人で、一般的な意味での権威などはない。だから、権威があるからという理由で三浦さんを信じているのではない。僕が三浦さんに惹かれるのは、三浦さんが独学の人だからだ。僕も、ほとんどの知識を独学で得てきただけに、三浦さんの独学の姿勢や、その考え方に深く共感するところがある。
三浦さんは、「スターリン批判の時代」(三浦つとむ選集1,勁草書房)の中の、「私の独学について」という文章で独学について語っている。独学というのは、単に形の上で先生を持たないと言う「独り」という形式が大事なのではなく、「独力」で真理をつかむと言うことが本質なのだと語っている。
「(本質的な独学は)自ら能動的に対象と取り組んで創造的に真理をつかみ取り、現実的に訓練を重ねて頭脳なり手足なりが合理的に活動するよう肉体をして学ばせるという、勉強の仕方である。「独」とは、独自・独力の意味である。これは学校や教師と直接の関係がない。たとえ学生でも、教師の言葉を盲信したり教科書の定説を鵜呑みにしたりしないで、学問に欠けてはならぬ健康な懐疑精神を持ち、疑いなく真理と思われても対象と取り組んで再発見しながら身につけ、さらに進んで独自の見解・独自の理論の創造へ進んでいくという学び方をしているなら、それは本質的に独学である。」
僕は、数学に関しては、教えられたことをそのまま鵜呑みにしないで、自分の頭で納得してから受け止めることが出来ると感じていた。数学以外の教科では、どうしても知識というものを学ばなければ先に進めない。しかし、数学だけは、わずかな公理に当たる事実を認めれば、それから先はすべて独力で進むことも可能なように見えた。
僕は数学少年だった頃は、教えられたことをそのまま鵜呑みにするのではなく、その都度自分なりの結論を出しながら学んでいった。なぜゼロでわり算をしてはいけないのか、分数のわり算をするときには、どうしてひっくり返してかけるのか、定型的な解き方、たとえば種々の公式と呼ばれるものは、どのような発想の元に導かれているのか、そんなことを考えて、独自の見解を作りながら勉強した。
この勉強の方法が間違っていないという確信を与えてくれたのが、上の三浦さんの言葉だった。そこに僕が三浦さんを師と思い込める要素があったのかもしれない。社会に対する芽が育ってくるまでは、僕にとっては確実な知識というのは数学だけだったので、数学以外は学ぶに値しないという思いさえ抱いていたくらいだった。
哲学と文学に関心を持ってから、数学のように明晰に真理が判定できる事柄だけで世界ができあがっているのではないと言うことがだんだん分かってきた。しかし、明晰な真理がないからといって、「背理であるが故に信じる」というような信仰的な気分に浸ることは出来なかった。数学のように明晰な真理を語ることは出来ないけれど、明晰でないことは、最後まで疑いを持ってみていくようにしようという気持ちが生まれてきた。
「すべてを疑え」というのは、マルクスが座右の銘にしたと三浦さんが書いていた。これは、上の文章でも語っているような「健康な懐疑精神」を指している。「すべて」というのは象徴的な意味で語っているのであって、僕が疑うのは、世間では常識的・あるいは多数派と思われていることで、僕がちょっと変だなと思うようなものだ。それを徹底的に疑うべきだという姿勢を持つようにしている。そして、徹底的に疑ったあとで、その疑いが晴れたときには、今度は徹底的に信じることが出来るだろうと思っている。
これは数学で言えば応用問題に当たるものだろうか。応用問題は、単純に公式を覚えて解き方を適用するのではなく、その問題の構造を把握して、現実に適用することを考えなければならない。それは難しいことだと言うことで、数学の中ではあまり人気がないのだが、応用の出来ない理論などは、学んだことにはならないというセンスが必要だ。そのセンスは、事実と解釈の区別を正しく受け止めて、解釈の間違いという失敗から多くを学ぶ人でなければ身につけられないセンスだろう。最初から正解が欲しいと思っている人間には、このセンスは分からないだろう。
多国籍軍への参加というのは、日本が選択する初めての道である。今後どうなるかは、すべて解釈の域を出ない。何が正しいかは、今後の事実を見て決定するしかないことなのだ。その時に大事なのは、新しい事実が見いだされたときに、それを発見したあとに解釈をしても仕方がないということに気づかなければならないと言うことだ。新しい事実の前に、「仮説」となる解釈を提出しておかなければならないということだ。
小泉さんは、たとえ多国籍軍に参加しても、日本が行うことは「人道復興支援」であり、「戦闘行為」は行わないと言っている。この言葉が確かに実現されれば、僕も多国籍軍への参加というものへの賛成を考えよう。しかし、この言葉を信じられない間は賛成するわけにはいかない。
小泉さんは、「いかなる場合」においても、「人道復興支援」だけを行うのであって「戦闘行為」は行わないと言っているのだろうか。もしそうだとしたら、僕はその言葉を全く信用できない。「いかなる場合」というように、すべてを包含するようなことを言う人間は、現実の複雑性や矛盾というものを全く理解していない人間であることを物語っているだけだと思う。つまり、それは言葉の上だけでの理念の表明にすぎないのである。
現実を少しでも正しく把握している人間だったら、具体的にどのような場合には「人道復興支援」にとどめることが出来るかを語らなければならない。どのような場合に「戦闘行為」に巻き込まれる恐れがあるかも語らなければならない。そして、そのような場合が具体的に起こったときに、どのように対処するかを語らなければ、僕は小泉さんの言葉を信じることが出来ない。
理念に反することが現実に起こってしまった場合、あとから解釈する人間は、必ずそれは「やむを得ないことだった」という解釈に落ち着くようになる。解釈はあとからやっても仕方がないのだ。それはいいわけになる。
僕は今後も事実に注目していきたい。そして、事実の前に解釈を提出する人間を信用するだろう。宮台真司さん、田中宇さん、などはそういう意見を提出している人のように僕には見える。だから、僕は彼らを高く評価し、信頼する。彼らの言うことは、事実によって確かめられるからだ。たとえ間違ったとしても、どこが間違ったかを具体的に考えることが出来る。
ただ、僕はこのように考えるからと言って、他の人間もそう「すべき」だなどとは考えない。それは、それぞれが自分の判断で選び取るものであり、自由でなければならないと思っている。それが思想・信条の自由だ。押しつけてくるようなものは、たとえどんなに確からしく見えようとも拒否することが正しいと思っている。
正論というのは、正しいのであるから理解を求めればいいだけの話で、押しつける必要はない。理解されないようであれば、理解されるような語り方を見つけるように努力すればいいだけの話だ。数学の証明というのは、自分が分かっていればそれでいいというのではなく、他人が読んで理解できるように書かなければならない。そうでなければ書く意味がないからだ。自分が真理をつかむことだけが大事なのであれば、それはどこにも書く必要はない。自分だけが納得していればいいのである。
それを表現すると言うことは、理解してもらうために書くのであって、理解されなければ、それは書き方が悪いのである。僕が書いていることも、確かにその通りと共感してくれる人がいれば、僕の書き方も成功していると言えるわけだが、理解が伝わらなかったとしてもそれは仕方のないことだと思っている。歴史上の名著だとされているものだって、すべての人に理解されているわけではないのだから、僕が書くものが理解されないとしても、それはごく当然のことだろう。
真理というのは、それぞれの個人が、それぞれの判断で受け止めればいいもので、他人が言っていることをそのまま鵜呑みにして信じてはいけないと思う。真理だと思えないうちは、どこまでも態度保留をした方がいいだろう。分からないのであれば、分からないと言う感覚を大事にした方がいいと思う。
それぞれの意味を辞書的にたどると次のようになる。
じんどう ―だう 【人道】
(1)1 人間として守るべき道。人の人たる道。にんどう。
ふっこう ふく― 0 【復興】
一度衰えたものが、再び盛んになること。また、盛んにすること。
他人を支えたすけること。援助。後援。
あまりにも抽象的すぎて、どのような解釈も許すという言葉に見える。具体的には、どのようなものが「人道復興支援」なのかというのを提出しないと、それは事実の前の「仮説」という解釈にはならない。事実のあとに、なんとでも解釈できる言葉になるだけだ。
なんとでも解釈できる言葉は、どんな簡単な言葉であっても僕には分からない。どの解釈を選ぶかを、最初にはっきりさせてもらわなければ、僕と同じ解釈をしているかは分からないからだ。
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最終更新日 2004.06.29 09:34:52
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