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2004.07.01
「さらば小泉純一郎!」 天木直人・著
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この本は、その帯の部分に「イラクの泥沼を日本外交の失敗と言わずして、なんと言うのか!?」という言葉を掲げているように、小泉首相に対する批判の書である。人物評価の書だと言っても言い。この評価に共感する人もいれば、共感しない人もいるだろう。評価というのは解釈であるからそうなって当然だ。
小泉さんは個人ではあるが、日本国を代表する総理大臣でもある。だから、小泉さんに対する批判は、個人的な批判ではなく、総理大臣という立場に対する批判である。個人に対する批判を公にする意義というのは、個人が代表する立場に対する批判であるときに存在すると僕は考える。市井の一個人に対しては、批判を公表する必要はない。それは、親しい人間がいさめてやればいいだけのことだ。なぜ親しい人間でなければならないかというと、親しい人間でなければ、おそらく忠告というものを冷静に聞くことは出来ないだろうからだ。
親しくもないのに、いきなり忠告をしてくる人間がいるが、僕にはその神経は理解できない。「小さな親切、大きなお世話」という言葉があるが、まさにそのような感じのするものだと思う。忠告ではなく、ある意味の公的な批判を返しているのであれば理解できる。しかし、どう見ても、個人的な資質に関することを書いているとしか思えないような記述を見ると、何の目的があってそのようなことをしているのかが僕には理解できない。理解できないだけに、そのような人間が、深層心理では何を望んでいるのかを知るのは大いに関心を持つものだが、そのような人間が書いていることには僕はほとんど関心を持たない。
さて、この天木さんの本では、小泉さんの個人的な資質に関しても書かれている部分があるのを感じる。しかし、これは個人の欠点をあげつらって攻撃しているのではない。その資質が、日本の指導者としてふさわしいかという一般論的な部分を問題にしてるのである。個人にとどまっているのではないから、それを指摘して公表することに意義が出てくるのである。同じことをしても、条件が違えば、意義があると評価できたり、意義がないと評価できたり、全く正反対の評価も出来る。これが弁証法的思考というものだ。現実を正しく受け止めるには、弁証法を忘れてはいけないと思う。
この本の前半部分を少し読んだだけなのだが、天木さんが語る小泉首相批判を引用してみよう。まずはまえがきの部分に表された次のようなものだ。
「言葉は荒く無責任で、刃向かうものに容赦のない攻撃を加え、異なる意見に耳を傾けず、知識に対する謙虚さを忘れている小泉首相がこの国の指導者を続ける限り、日本中のあらゆるものが劣化していく。小泉首相を「わかりやすい」「面白い」と支え続けて、大きなものを失いつつあることに気づいていないのが、今の日本の姿ではないのか。」
この文章はちょっと抽象的なので、具体的な知識がなければ共感をするのは難しいかもしれない。「無責任」というのは、何を指して「無責任」と言っているのかを知らなければ、単なる悪口雑言に聞こえるかもしれない。しかし、「無責任」の内容を具体的に知っている人間がこれを読めば、その通りと共感するに違いない。
小泉発言の無責任さは随所に現れている。特にイラクに関しては、何がなんでもアメリカ支持をするために、矛盾したことでもなんでも言い逃れをするための無責任発言はたくさんあった。大量破壊兵器を巡る発言や、「非戦闘地域」を巡る発言などを思い出せば、その無責任さを知ることが出来るだろう。「フセインが見つからないからと言って、フセインがいないわけじゃないんだから、大量破壊兵器が見つからないからと言って、大量破壊兵器がないことにはならない」というような発言に唖然となった人は多かった。
「私に聞いても分かるわけないじゃないか」というような発言は、面白かったかもしれないが、無責任であることは確かだ。「攻撃」に関して言えば、批判者に対しては、批判にまともに答えることをせずに、揚げ足を取るような答弁を繰り返すことにそれが現れていると僕は感じている。批判を嫌うというのは、「異なる意見に耳を傾けない」と言うことの表れだろう。
ここで批判されているような資質が、総理大臣という立場にいる人でなく、なんの影響力もないただのおじさんのものであれば、それほど深刻にはならないだろう。世の中から見捨てられるのを寂しく感じて反省してもらえばいいだけのことかもしれない。しかし、総理大臣がこのような資質を持っていたら、国の進む方向に悪影響が出る恐れがある。だからこそ個人的な資質の問題であっても、公的に批判されなければならないのだと思う。このような批判を受け止めるのも、総理大臣としての公的な責任の一つだろう。
首相としての行為を具体的に批判したのは、人質事件に関連して天木さんは次の点を批判する。
「すなわち、今回の人質事件で、日本政府が深刻に受け止めるべきは、小泉首相がブッシュ大統領を支持し、自衛隊をイラクへ派遣したことが、イラク国民に「敵対行動」と受け止められている事実だ。そして、その結果、日本人の生命が確実に危険にさらされてしまったと言うことである。これから起こるであろうさらなる危機は、今回のような拉致だけに限らない。米国のイラクへの軍事占領と虐殺が続く限り、日本国民はあらゆる危険におびえねばならなくなったのだ。」
これも僕には、全くその通りだと思えることだが、違う解釈をする人もいるだろうと思う。それはそれで仕方がないが、これに共感するかどうかで、これからの行動が違ってくることは考えなければならないだろう。アメリカが主張する「テロとの闘い」が正しいと思っている人間は、たとえどんな危険が発生しようと断固として戦う方向を選ぶだろう。しかし、天木さんの言葉に共感する人間は、その危険が「引き受けるだけの価値がある」危険だとは感じない。だからこそ、危険があればそれを避ける方向を模索するという行動になっていくのだと思う。
知識に関する批判では、中東における「テロ」という言葉の意味をもっと深く考えると言うことの前提になる知識のなさを天木さんは批判している。中東の事件を、小泉首相は何度となく「テロに屈しない」という言葉で語った。これに対して天木さんは次のように語る。
「そもそも、何をもって「テロ」と呼ぶのかは、中東政治と関わる上で細心の注意を払わねばならぬ問題である。その定義について国際的なコンセンサスがないばかりか、イスラエル、米国の立場からとアラブ諸国側からとでは、正反対の意味を持つ。
すなわち「自爆テロ」という言葉で象徴されるパレスチナ人のイスラエルに対する無差別攻撃は、イスラエル、米国にとっては「テロ」である。彼らの安全保障を脅かすあらゆる攻撃を、イスラエル、米国は「テロ」と呼ぶのだ。
しかし、圧倒的軍事力で無辜の市民を巻き添えにするイスラエル、米国の攻撃は、パレスチナ人、アラブ人にとっては紛れもなく、「国家テロ」なのだ。そのような「国家テロ」に体を張って戦うことは抵抗運動であり、民衆蜂起であるのだ。」
小泉首相は、「テロ」という言葉をイラク人の側の行為に使うことで、自らの政治的立場を表明していることを自覚しているだろうか。自覚して言葉を使っているのなら、それはそれで仕方がないが、自覚していないで、何も知らないで「テロ」という言葉を使っているとしたら政治家としては失格である。政治家の公の発言は、すべて政治的発言として受け止められるのである。
中東の人たちを敵に回したくないと思ったら、「テロ」という言葉の使い方に気を遣って、たとえ自分では本心では「テロ」だと思っていても、その言葉を使わないようにするのが政治家というものだろうと思う。この言葉を使えば、アメリカは喜ぶかもしれないが、中東の多くの人々を敵に回すのは確かだ。それは国益にかなうことなのか。アメリカにだけ喜ばれていればいいのか。もしそうならば、やはり宮台氏が言うように、「ケツ舐め支援」と批判されても仕方がないんじゃないのか。
天木さんの鋭い批判はこれからも続く。続きを読むのが楽しみだ。
ライブドアという会社は、現在の新しい時代を生き抜く新しい発想を持った会社のように見える。それに対して、プロ野球という企業は、旧態依然とした、古い体質の企業のように見える。「マル激」に出ていた二宮さんによれば、プロ野球というのは、親企業の宣伝媒体くらいにしか考えられていない企業だったらしい。その経営者は、親企業からの出向で、経営として成り立たなくても責任は取らないし、やがては親企業に帰ってしまう人間たちだ。
だから、ほとんど企業努力というのがなされていないと批判していた。これだけ現実から学習をしない会社も珍しい、と二宮氏は語っていた。たとえ赤字が出ても、それは親企業の宣伝費くらいにしか考えられていない。それに対して、新しい発想を持った人間が、宣伝ではなく、本気で経営を考えて参入しようとしたら、これは古い人間にとっては脅威だろう。自分たちが淘汰される恐れがある。だから、ライブドアが参入するのはかなり難しいと僕は思う。
問題は、ファンがどのようにこれをとらえるかだろう。旧態依然としたプロ野球であっても、とにかく巨人が勝ちさえすればいいんだよ、ということで残っているプロ野球ファンだったら、1リーグになろうが、巨人が強ければいいと言うことになる。しかし、野球そのものを楽しみたいというファンは、巨人だけが勝つリーグ戦にはほとんど興味を失うだろう。
二宮さんは、1リーグ制にはほとんど魅力がないといっていた。しかも巨人だけが強いリーグなんかができあがったら、たとえば6月の時点で巨人が独走するような展開にでもなったら、その後は誰も見なくなるだろうと語っていた。しかし、それでもなおプロ野球のオーナーたちは、すでに1リーグ制が既成事実のように振る舞っている。
ファンはいったいどの方向を望むだろうか。僕は、1リーグ制になったら、プロ野球人気が地に落ちて、衰退して欲しいと思っている。今でさえプロ野球に対する関心がないのに、1リーグ制になって、巨人のためだけのプロ野球ができあがったら、それはもはやニュースにすら関心を持たなくなる。
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最終更新日 2004.07.01 09:33:09
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