真理を求めて

真理を求めて

2004.08.04
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ここ一週間ばかり日記を書かなかった。新しいパソコンを買って、それの設定に忙しかったり、高校生になった息子にパソコンを買ってやって、その設定に忙しかったり、新しいパソコンで映画の録画をしたり、それをDVDにするのを試していたり、ためていたMP3のファイルを整理したりバックアップしたりと、そういうことに追われていて、日記のことに手が回らなかった。

楽天の日記に関しては、よく依存症的なことが語られる。僕も、今までほとんど毎日欠かさず書いてきたのだから、多少は依存症的なところがあるのかもしれない。でも、僕は、それを大して困ったこととは思っていない。それは、その依存度を自分でコントロールできると思っているからだ。

今回一週間ほど日記を書かなくて思ったのだが、僕には、まだ脅迫観念的なものが起こっていないので、依存症的と言うほど重症にはなっていないような気がする。他に面白いことがあれば、日記のことはしばらく忘れていて、それに没頭することが出来る。

依存症というのは、自分の意志とは関係なく、日記を書かなければならないという強迫観念に襲われるものではないだろうか。自分の意志でこの強迫観念をコントロールできるのならば、まだそれほど重い依存症にはかかっていないのだろう。

僕の場合は、文章を書くことが表現活動であり、それを読んでくれる人がどこかにいるということが、文章を書くことの動機になっている。ある意味では、読んでくれる人の期待に応えようという思いも潜んでいるだろう。しかし、その期待に応えようという思いが強くなりすぎると、それが目的になってきて、ある種の強迫観念を持つようになる。それが依存症と呼ばれるものになるのだろう。

誰かと深いコミュニケーションが出来れば、それはかなり楽しいことになるので、依存症的になってくるのもよく分かる。しかし、最終的には、あくまでも自分の意欲が基本にあってやっているかどうかで、その行動を自分がコントロールしているかどうかと言うことが決まるのではないだろうか。

今回、他にもっと楽しいことがあれば、しばし楽天を忘れることも出来た。だから、たぶん僕はまだ重い依存症にはかかっていないだろう。これからも、気ままに日記を書き続けると思うけれど、それを目にした誰かと、深い対話が出来れば嬉しいと思う。そういう機会は滅多にないけれど、滅多にないだけに、遭遇したときには喜びもまたひとしおだ。

また、自分の考えを表明し、表現すること自体にも、僕はカタルシスを感じるので、あまり読む人がいなくても、こうして表現すること自体が一つの満足にもなる。この一週間、日記を書かないでいて、こんな考えが浮かんできた。次の日記からはまたいつものペースに戻ろうかと思う。





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最終更新日  2004.08.05 10:13:59
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