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2005.01.12
内外差異という内部
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宮台真司氏と仲正昌樹氏の共著「日常・共同体・アイロニー」は、それぞれが交互に自分の主張を述べあっていくというスタイルになっている。宮台氏の最初の主張は、「現代思想と自己決定」という中見出しが付けられている。ここから、宮台氏の発言の中で、深く考えてみたい文章を抜き出してみようかと思う。まずは次の文章だ。
「現代思想は、元々アイロニーの思想だと言えます。アイロニーについては回を改めて話題にするようなので、一言だけでいえば、全体を標榜するものが部分に対応してしまうことです。従って、いま仲正さんがいったエクリチュールの問題は、システム理論の言葉を使えば、「内外差異という内部」ということになります。」
これは、この章の冒頭に書かれた文章で、アイロニーについてはこれまでに少し検討した。ここで考えてみたいのは、「内外差異という内部」という言い方だ。これは非常に難しい。いったいどんなものをイメージしたらいいかを考えてみたい。まずは、これを考える材料として、仲正氏が語った「エクリチュールの問題」を見てみようかと思う。それは、生き生きとした体験を綴る文章から、生き生きとした現実を受け取れるかという問題のように僕は感じた。芥川賞を取った作品を例に出して、仲正氏は次のように語る。
「文字によって書かれたもの、すなわちエクリチュールが「生き生きとしたもの」を再現=表象するということは、パラドックスだと言えます。現代思想の大きな問題の一つが、このエクリチュールのパラドックスだと言ってもいい。生き生きとした「言葉」を語って欲しいとか、作品の中に生き生きとしたものを見出すようなことは、非常に矛盾した行為です。
金原ひとみさんが、『蛇にピアス』で記した他者体験のようなものをしたとする。だが、その体験は、言葉にした瞬間に他者体験ではなくなっている。なぜかといえば、彼女は体験を文章にした瞬間に、社会で使われている言葉に引き戻して表現しているからです。そうやって書かれた彼女の文章を、市民社会の日常の中にいる私たちが「理解」しているわけですから、他者体験という一回的なものが、一般的な言語に翻訳されて、表現されていることになります。
彼女が経験したようなことを、彼女のエクリチュールを読むことによって引き出せるかというと、それはとても困難なことだと思います。もちろん、全く引き出せないとはいいません。問題なのは、エクリチュールの読み手が、あたかも書き手の経験を追体験できるかのような幻想に陥ってしまうことです。」
長い引用になったが、これが仲正氏が提起した問題の前段を語る内容だ。この前段を理解してもらわないと、問題提起そのものが分からなくなりそうだと思ったので引用をした。この前段を承認した上で、仲正氏が提起する問題は次のようにまとめられる。
「これが、デリダがエクリチュールの問題として、指摘していることです。現代人はなぜか、「主体性」の問題に関心を持ちつつ、「生き生きとした経験」からなる「世界」を求めている。しかし、生き生きとした経験というものは、あくまでも瞬間的なものである。言葉という他人から与えられたものを媒体として、他人に分かるように語ってしまえば、その瞬間に体験そのものは、文字によって「死んで」しまう。」
「生き生きとした経験」は、あくまでもその個人がその時に経験した一回だけのものであるのに、追体験によってそれが経験できると思うところに、幻想があり、しかもそれが幻想であり、不可能なことであるというのは、「生き生きとした経験」というそのものに含まれている、というところにパラドックスを見ているように感じる。
システムというのは、ある存在を指す言葉で、この存在は、何らかの境界を持っていてそれが他と区別されるという特徴を持っている。そして、その境界の中に入る要素を「内部」と呼び、それ以外を「外部」あるいは「環境」と呼んでいる。「内外差異」というのは、この「内部」と「外部」の要素の違いを指すものだと思う。これは、ある条件の下に区別されたのであるから、「内外差異」はその条件に深い関わりがある。
「エクリチュールの問題」では、「生き生きとした経験」と、それを記述した「言葉」というものが二つの要素として出てきている。これをシステムとしてとらえるということを考えてみたい。
「生き生きとした」という条件で様々な「経験」を区別してみようと思う。そうすると、内部に入ってくるのは「生き生きとした経験」で、それはある種の気分の高揚をもたらしてくれるものというイメージがある。それは、内面からの気分を感じなければ「生き生きとした」という条件に当てはまらない。そうすると、それは経験している本人にしか実は感じられないものになるだろう。どんなに想像力が豊かでも、「生き生きとした経験の追体験」は、このシステムの内部には入ってこないのではないだろうか。
それでは、「生き生きとした経験を綴った言葉」というシステムはどのようなものになるだろうか。これは、まず綴った人間が、自分の体験を「生き生きとした経験」と認識している必要があるだろうか。自覚していなくても「生き生きとした」ということがあるだろうか。これは、ありそうもないような気がする。「生き生きとした」というのは、内面から感じるものであるから、やはり自覚があると思った方がいいだろう。そういう自覚がある人間が綴ったというのがまず条件の一つだろうか。
この言葉が、他人にも「生き生きとした」イメージを伝えて、想像の中で追体験させるという幻想を生むというのは、条件の中に入れるべきだろうか。これは、ちょっと躊躇するところだ。「幻想」だという判断は、システムの中にいるだけでは判断が難しいような気がするからだ。システムそのものに属する性質ではないような気がする。
システムというのは、ある境界を引いて、内部と外部を区別するが、それが内部と外部であると分かるのは、システムを超えた視線があるからである。それは、そのシステムを含むより広い世界を見ることが出来るので、その世界の中で、システムの外部があるということが分かるのである。システムの内部の世界だけしか見えていないと、そこだけが世界だと思ってしまうだろう。外の世界は、考えることも出来ない異界になってしまうのではないだろうか。
「幻想」という判断は、システムの外を理解してから出来るものだと思うので、システムの条件からは外さなければならないのではないかと思う。システムの世界しか知らないと、バーチャルな「幻想」の世界がリアルな「現実」だと思い込む、マトリックス的な感覚になるのではないだろうか。
内外差異というと、本来ならシステムを超えた視点で眺めないとそれが見えてこない。システム内部から眺めるだけでは、とにかくシステムにあるのとは「違う」という感じだけでとらえたものに過ぎなくなる。それが、どう違うのかはそのままでは分からない。このような内外差異を、「自分の観察による構成物」と宮台氏は表現している。
これは、システムの外にあると思っているが、実はそう思っているだけの「幻想」ではないかというのが、「内外差異という内部」なのではないだろうか。本当にシステムの外にあるということを確かめて、それから導き出された内外差異ではなく、そういうものがあるらしい、あるいはそういうものがあって欲しいという外部として、実は内部が作り出したものとしての差異であり、内部との関わりしか持っていないから、内外差異という「内部」と呼ばれるのではないだろうか。
エクリチュールは、言葉によって表現されたものだが、言葉によって表現することで、その言葉の内部ができあがる。「生き生きとした経験を綴った言葉」によって、その内部に「生き生きとしたイメージ」ができあがる。この内部を外に照射したものが「現実に生き生きとした経験」になるのだが、それは照射であって、本当の現実では無いというのが、内部であるエクリチュールによって作られた「内外差異という内部」と言えるのではないだろうか。
このエクリチュールの問題は、身近なものでは、教育目標のようないろいろなスローガンに見られるような感じがする。だいたい、そういうものは美辞麗句で作られている。「自ら考え、自ら行動する子供を育てよう」というようなものが、最近ポピュラーなものだろうか。これは、言葉としては、たいへんけっこうなものだが、言葉に出してみると、この言葉で語られている「幻想」が実際に存在していると錯覚してしまう。しかし、実際にはそういう子供が存在しているかは、スローガンの有無には関係がない。現実の存在を見て判断しなければならないことだ。
エクリチュールの問題は、それを忘れないことが大切だ。それを忘れると、「幻想」が現実に存在していると錯覚してしまう。「幻想」を「幻想」として受け止め、リアルな現実を見つめなければならない。そうでないと、「幻想」が存在しないことを何かのきっかけで知ってしまうと、それを受け入れることが出来なくて思考停止になってしまうからだ。「幻想」に対する免疫性を持たなくてはいけない。それを、エクリチュールの問題は教えているのではないだろうか。
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最終更新日 2005.01.12 00:02:16
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