真理を求めて

真理を求めて

2006.01.11
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冬休みは、撮りためたビデオをいくつか見たのだが、その中でも特に印象に残ったのは韓国映画の「ブラザーフッド」だった。この映画は、芸術の鑑賞として、登場人物に深く感情移入することが出来たし、その結果として大きな感動を覚えた。同時に、論理的な理解として引っかかる部分もいくつか感じ、芸術的な鑑賞と論理的な理解との両方を考えることが出来て、その点でも特に印象に残った。

感動の中心にあったのは、兄弟の絆を描いた兄弟愛だった。だから、物語のすべての設定は、この兄弟愛の感動を深めるために存在していたというのが、芸術としての鑑賞における僕の感覚だろうか。これはフィクションとしての物語だから、感動を大きくするための設定が随所に見られる。それをご都合主義的な作り話だと解釈することも出来るが、実際にはないことであっても、そう設定することによってより感動が大きくなるということが、物語としての特徴でもあると思うので、たとえフィクションであっても、そこに込められた感動が伝わるという点では、僕にはこの映画は優れた芸術に思えた。

チャン・ドンゴン演じるジンテという兄の、弟ジンソクに対する愛の深さは、まさに純粋な美しさに満ちている。このような純粋さは、現実には見られないとも思うが、もし現存するならこれほど美しいものはないだろうと思えるようなものであることに、理想を描いた芸術としての素晴らしさを僕は見ることが出来た。それは現実にはあり得ない理想だといわれても、それが本当の理想であるなら、それこそが芸術としてのリアリティではないかとも思う。現実にありそうなことは、現実的なリアリティだろうが、それは決して芸術的なリアリティではないような気がする。芸術的なリアリティは、本物の理想の中にこそあるのではないかと思う。

弟の成功こそが家族の夢であり、家族の夢が実現することが自分自身の夢であると信じて疑わないジンテの夢は純粋で美しいものだ。ジンテは、その夢のために自分のすべてを犠牲にしても悔いがないほど気高い思いを持っている。このような強い愛を抱くことが人間としての理想であり、本当の幸せだろうと思えるところに、この映画が理想を描いていると思えるところがある。このような強い愛の対象を持てること自体が幸せなのだという感覚だろうか。そう思えるだけに、随所で主人公のジンテに感情移入することが出来た。

この中心のテーマに沿って、さまざまの状況設定がなされ、その状況の中で、この思いがさらに強まって伝わってくることで、また感動が大きくなっていくのを感じる。特に、状況設定としては、極限状況ともいうべき生死が関わる重大な場面として、戦争というものが選ばれている。この状況設定に関しては、僕は、芸術の鑑賞をする限りでは、戦争であることの意味をそれほど感じなかった。

それは、極限状況の一つとして選ばれた場面に過ぎないのであって、それがもっと他のことでふさわしいものであれば戦争でなくても感動を覚えるのだと思う。ただ、朝鮮戦争というのは、韓国の多くの人にとっては生の歴史としてよみがえってくるものだろうから、状況設定としては、表現せずとも伝わるものがたくさんあるだろうと思う。その意味では、今作る映画としては、朝鮮戦争が選ばれたのはそれなりの必然性があるのではないかとも思う。

僕にとっては、朝鮮戦争はそれほど深刻に自分自身の問題として迫ってくるものではないので、いくつかある極限状況の一つという感覚にしか過ぎないが、それでも大きな感動を覚えるということにこの映画の優れた芸術性を感じることが出来る。

感動を感じて鑑賞するには、自分が登場人物の誰かと一体になって、感情移入して、あたかもそこに一緒にいるような感覚でそれを見なければならない。しかし、この映画にすべて入り込むことなく、ちょっと外からこの内容を眺めるという立場も映画の鑑賞には存在する。この場合は感動よりも、論理的な整合性の方が気になって来るという見方になる。

僕が気になったシーンは、ジンテの婚約者ヨンシンが共産主義者だという嫌疑をかけられただけで処刑されてしまうシーンだった。感情的な問題でいえば、このような理不尽な運命にさらされた主人公のジンテに、その後の精神の異常につながるような強い怒りの感情が生まれてくるのは、感情移入して同じように自分の中にその怒りが生まれてくるのを感じる。



このこと自体が、物語の過程で持つ論理的整合性というのは感じたのだが、引っかかったのは、これほどひどいことが本当に行われていたのだろうかという、歴史的な事実だったのかという点だった。もし、ここで描かれていたようなことが、歴史的事実ではなく、感動を大きくするためのフィクションであるなら、その感動が少々薄れてしまうような気がしたのだ。果たしてこのようなことは本当にあったことなのだろうか。

学生のころに、ロバート・デ・ニーロ主演の「ディア・ハンター」という映画を見た。これにも僕は大きな感動を覚えた。感動の中心にあったのは深い友情だ。好きな俳優のロバート・デ・ニーロが出ていたこともあり、長い間僕の中では好きな映画の一つだった。このときは、ベトナム戦争についての知識はあまりなく、それは物語の背景を構成する状況の一つに過ぎないという受け取り方しかしていなかった。

しかし、後に本多勝一さんを知り、ベトナムで、解放戦線の側が映画に描かれたようなロシアン・ルーレットのようなことをする可能性はゼロだということを知った。つまり、あの物語の設定は、感動を無理やり強めるためのフィクションであり、しかもそのフィクションは、決してあり得ないことを描いた本当の作り物のフィクションだったというのを知った。

それを知って以来、僕は映画「ディア・ハンター」の感動をもはや味わうことが出来なくなった。素晴らしい友情を描いた映画だという感情移入が出来なくなったのだ。ベトナム戦争の嘘を描いた作品だとしか思えなくなった。フィクションなんだから、何を描こうと勝手だとも言えるが、その勝手の中に、あり得ない作り物を描くことは、芸術としての感動を薄れさせるのだと感じた。

SF映画などは、あり得ない現実を描いて感動させるではないかと思う人もいるかも知れないが、SF映画の感動は、あり得ない現実を下にした感動ではなく、例えば「E・T」などでは、友情が感動を呼ぶのであって、SFであるという設定から、客観的な場面については作り物だという前提で鑑賞者も見る。本物だと思ってそれを見るのではなく、はじめから作り物だと思って見ながら、それでもなお感動するような物語に作り上げるのがSFなのだろうと思う。

「ディア・ハンター」では、実際のベトナム戦争を描いておいて、それが本物であるかのように装って嘘を使うというところに問題がある。嘘を使うなら、最初から嘘であることが明らかなSFにすればいいのだと思う。そうすれば、「ディア・ハンター」は、あれほどの感動を呼ばなかっただろう。現実のベトナム戦争という極限状況が感動を呼ぶための装置であるにもかかわらず、そこに嘘を入れたところに僕は感動が薄れるのを感じた。

「ディア・ハンター」でのこのような経験があっただけに、「ブラザーフッド」でも、あの場面が引っかかった。果たして、戦争とはいえ、単に署名をしただけのことで有無を言わさずに処刑されてしまうようなことがあったのだろうか。このような事実があったかどうかインターネットで検索したのだが、なかなか見つからなかった。ようやく発見したのが 「保導連盟事件」 というものだった。ここには、


「保導連盟事件とは、1950年夏、朝鮮戦争で敗走していた韓国軍が、保導連盟員や政治犯ふくめ二十万人あまりを殺害したとされる事件である。

日本からの独立後に大韓民国政府は共産勢力を大弾圧した。元来、抗日パルチザン勢力はほぼ全てソ連や中国の支援を受けていたのでメンバーのほとんどが赤化していたのも当然の成り行きであった。そこで韓国政府は、「保導連盟」という思想改善組合を組織し、そこに登録すれば共産主義者として処罰しないと宣伝した。「共産主義者に騙されていただけだ」と釈明すれば許す、と甘言で誘ったとする見方が強い。

しかし、1950年6月25日に北朝鮮が侵攻してくると、韓国軍は釜山にまで後退しながら、保導連盟に登録していた韓国人を危険分子と見なして大田刑務所などで大虐殺を行った。韓国当局は彼らが北朝鮮軍に呼応して反乱することを恐れたのだという。これは韓国史最大のタブーとされ、現在でも韓国では口に出すのも憚られるという。」




芸術におけるフィクションは、感動を大きくするためにこそ設定される。しかし皮肉なことに、本物を装った嘘は、それが嘘であることを知ってしまうとかえって感動が薄れる。それはフィクションである嘘だと分かっていても、なおフィクションだからこそかえってリアリティを感じると言うとき、感動はより大きくなるのを感じる。三浦つとむさんが、芸術におけるフィクションを論じた文章があったのを記憶している。これは、芸術の論理的な理解において非常に重要な感じがする。探して、もう一度読み返してみたくなった。





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最終更新日  2006.01.11 10:02:59
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