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2018.01.03
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卒業式<娘へ>いくつもの困難を乗り越え、努力を重ねて来たあなたを母は誇りに思う。あなたの笑顔や振る舞いに、今までどれだけ心を救われて来た事だろう。あなたの所まで、わずか200キロ。ツーリングなら楽勝の距離だ。毎日顔を見られないのは寂しいけれど、会おうと思えばいつでも会えるね。部屋の下見を兼ねて、最後に行った二人きりの旅行、とても楽しかったよ。一緒にいる間に、もっといろんな所へ行けば良かったね。こんなに早く離れて暮らす事になるとは夢にも思わなかった。母は自分中心で動き回っていたから、何度も何度もあなたを寂しがらせてしまったね。こんな母でも慕ってくれてありがとう。母のところに生まれて来てくれてありがとう。 なばなの里22年間一緒に暮らして来た娘が、就職の為愛知県で一人暮らしをする事になった。昨年の5月に就職が決まったので心積もりはして来たが、やはり淋しさを感じる。しかし、ごてんの時のように永遠の別れではないので何とか元気を保っている。今年に入ってからは新生活の準備に追われていたが、無事に送り出す事ができようやく一息ついた。娘に会いに行く楽しみも増えた。娘の頑張りに負けないよう、私も新生活のスタートだ。 愛知行きの為に買ったナビ ソニーのnv-u35。ツーリングでも大活躍しそうだ。
2010.04.02
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一昨日、職場の方が心筋梗塞で急死された。前日まで一緒に机を並べて仕事をしていたのに訃報を聞いた時はとても信じられない気持ちだった。昨夜はお通夜に参列させて頂いたが、それでもまだ実感が沸かなかった。遺影の笑顔に思わず涙が滲んだ。その方とは何回か、意見のぶつかり合いで気まずい思いをした事があった。お互い似たような性格で言ってしまってから後悔し、どちらからともなく「さっきはごめん・・。」と言い合うような、そんな関係だった。ここ数日、何かと私の事を気使って下さり、私もとても優しい気持ちになれていた。悲しく辛い出来事ではあったが、笑顔のままでお別れができて良かったと思った。今回のように突然別れが来る事もあるのだから、身近な人と悔いが残るような関わり方はするまいと改めて考えさせられた。数年前にも、この2月に親しいバイク友が不慮の事故で亡くなった。いまだにまだどこかで元気にバイクに乗っているように思い、何年たっても亡くなったと言う実感がない。今回亡くなった職場の方も、いつまでも私の心の中で生き続けてくれる事だろう。
2008.02.21
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10年余り頑張ってくれたキャノピーが、とうとう走れなくなりがっかりしていたところ運よく知人からミニカー登録のキャノピーを超格安で譲り受けれる事になった。とても愛着があったので廃車にするのは忍びないと思っていたが、今度のキャノピーはエンジンは極上だが、外装はあまり良くない・・。そこでニコイチにして蘇らせようと思いつき、今日ショップで相談してきた。少しお金はかかるけど、これで完全な廃車にならずにすむ!10年間、お疲れさまでした。長い間、雨を遮り、たくさんの荷物も運んでくれてありがとう!!
2012.08.03
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昨年は、伊勢で大集合できて嬉しかったです!今年も、皆と逢えるといいな。(*^_^*)
2015.12.30
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最高の相棒だった旧マグナ 一緒に旅した距離は、5万キロ!13年前に1万キロ程で知人から譲り受けたマグナが、いつの間にか6万2千キロにもなっていた。タイヤ、チェーン、スプロケ、ワイヤー類、キャブのOH、オイルパン等、修理、交換を重ねて来たが、昨年11月に再びチェーン、スプロケの交換が必要となり、交換して乗り続けるか、思い切って新しいバイクを買うかずっと迷っていた。フロントフォークのダストシールもひび割れていた為、そろそろOHの時期、ハンドルのベアリングも交換が必要との事でざっと10万程要りそうだ。エンジンはまだまだ元気そうだが、他の部品も劣化が来ている頃だろう。後10年はバイクに乗り続けたい、13年も一緒に旅をして来たマグナと別れるのは本当に寂しいけれど、修理代にお金をつぎ込むよりは、年式も新しく走行距離の少ないマグナを探そうかと思うようになった。マグナにも色々年式があり値段もピン切りでずいぶん迷ったが、フェニックスタンクの最終型のマグナにしようと決めた。なかなか条件に合うマグナがなかったのだが、毎日GOOBIKEを見ているうちに走行距離3000キロ足らずのマグナが目に止まった。お店の場所は愛媛県の松山市。すぐに実車を見に行ける距離ではない。しかし、走行距離と、予算にあったそのバイクはとても魅力的だった。 お世話になったB-LINE バイクがぎっしり!そこで思い出したのが楽天繋がりの松山在住女性ライダーさんだ。何とか連絡が取れ、厚かましいお願いにも関わらず、快く引き受けて下さった。さっそく、お店(B-LINE)の方に出向いて下さり、詳しい画像を10枚程送ってくれた。さすがに相場より安いだけあって錆は気になったが、それでもなぜかそのマグナにとても魅かれた。2007年製、10年間で走行2415キロ、このマグナは私が乗ってあげなくちゃぁ、と言う気持ちになったのだ。購入を決めてから、ハンドル、チェーン、タイヤ等、メールや電話で私の希望をお店の方に伝えた。特にこだわったのがハンドルで、ネットで色々詳しく調べた。マグナは少し前傾姿勢になってしまうので、楽なハンドルに変えたかったのだ。良さそうに思ったのが、ハリケーンの80クラッシック、4インチポストの組み合わせ。お店の方に画像を送ると、バランスも良く、かっこいいと返信を頂いた。初めの頃、メールは苦手・・とおっしゃっていたのだが、頑張って練習して下さって整備状況をマメに報告して頂いたおかげで、遠方のお店、という不安はすっかり吹き飛んでしまった。我ままな私の希望をすべて受け入れて下さり、少しでも外観が良くなるようにと受け取りの日まで毎日整備を頑張って下さった。輸送も考えたが、乗っていたマグナの備品の付け替えと、下取り、旅行を兼ねて納車は松山まで行く事にした。フェリーで2泊、余裕をみて松山のホテルで2泊だ。ひさびさのロングソロツー、少し緊張したが、それよりもワクワク感で一杯だった。3月23日、もう調整できないと言われていたチェーンが心配だったが、無事に南港へたどり着き、東予港行きフェリーに乗り込んだ。フェリーでゆっくり過ごし、翌朝今治へ着いて、さあ下船、と思ったところエンジンがかからない。バイクを押して、下船し、何度かセルを回してみたが全くかかる様子がないので保険に付いているロードサービスを呼ぶ事にした。 愛媛に置いて行かれるのを嫌がったのかも? 強制、レッカー積みこみ!!なんとかレッカーでお店に到着し、やっとお店のご主人と新しいマグナとのご対面だ。旧マグナは、給油のホースが抜けていたのでエンジンがかからなかったそうだ。ホースがゆるくなっていていつ抜けてもおかしくなかったとの事、やはりあちこち劣化が出て来ているのだろう。新しいマグナは想像以上の仕上がりで、とてもびっくりした。ハンドル、チェーン、タイヤの他、ウィンカーやミラーまで変えて下さってて、嬉しいやら申しわけないやらで少し戸惑った。旧マグナから、バックレスト、サイドバックサポート、ラジエーターガード、ETCを付け替えて頂いた。グリップヒーターと、ナビ用のUSBは新しく取りつけをお願いしていた。新マグナの整備をしている間は、お店にマグナを見に行ってくれた楽天ライダーさん(クニさん)があちこち連れだしてくれた。ご主人が漁師をされているお店の1200円の漁師ランチ。食べきれないほどのランチを頂いた後は、大洲の菜の花畑。どっちのマグナもまだ乗れなかったので、クニさんのApeをお借りしたのだが、とても乗りやすくて、私も一台欲しいと思ったほどだ。 魚づくし、1200円ランチ! Ape(エイプ)&シグナス&菜の花畑二日目は、旧マグナで佐田岬まで足を延ばした。雨の予報にもかかわらず、クニさんの友達が二人参加してくれた。山道はとても寒かったが、旧マグナとの最後のツーリングと思うと、あまり苦にならなかった。お昼ごはんが済むと予報通り、雨が降り出した。気は焦ったが、安全運転を心掛けお店に無事戻った。 二度目の大洲・菜の花畑 地元ライダーさん達と 佐田岬の風車いよいよ新マグナに初乗りだ。ハンドルの高さがちょっと違うだけで、マグナはマグナなのにとても緊張した。いざ乗ってみると、今までのマグナよりずっと乗りやすい。ハンドルの交換は大成功だった。初めて使うイモビライザーの説明を何度か受けたが、なかなか頭に入らなかった。最終日、午前中に高速を一区間だけ乗ってETCの作動性を確認した。お店で最後の調整をして頂き、感謝の気持ちで一杯でお店を後にした。迎えに来て下さったク二さんと道の駅、風和里(ふわり)へむかう。ライダーがよく集まると言うハンバーガーショップで美味しいハンバーガーを頂いた後、風和里で昨日ご一緒させて頂いたライダーさんと待ち合わせだ。これから新居浜まで帰ると言うライダーさんに、今治までの広域農道を案内して頂いた。まったく信号のない道の快適走行で、あっと言う間に今治へ到着だ。フェリー乗船まで時間が会った為、ライダーさんと別れ、クニさんと2台でしまなみ大橋が展望できる公園に向かった。もうここで、3日間お付き合い下さったクニさんともお別れだ。思わず「四国から帰りたくない・・」と言う言葉が出てしまった。 ライダー集まるハンバーガーショップ! 道の駅風和里クニさんと別れ、一人東予港へ向かった。3日間、ずっと一緒に走って下さったので、とても寂しく感じた。港の手前で夕食をすまし、フェリーに乗り込んだ。東予港に着いてからの出来事を思い出しているうちに、知らずに眠りに就き、目が覚めたらもう南港近くまで来ていた。下船準備の時に、一人の女性ライダーと知り合った。わずかな時間だったが話がはずみ、私のツーリングクラブに参加して頂く事になった。バイクの輪がまた広がった事を嬉しく思い、今から出勤すると言う女性ライダーを見送って、私も自宅に向けて慎重にアクセルを開けた。 すぐそこには、しまなみ海道! 無事、南港到着!マグナの乗り換えが目的だったけど、それ以上に旅を存分に楽しめ、味わえた。マグナをきっかけに、B-LINEさんとの出会い、クニさんとの再会、松山のライダーさん達とのツーリング、美味しい物もいっぱい食べた。温泉も入ったし、しょっぱなにレッカー移動も経験した。旧マグナ、北海道から九州まで色んな場所へ連れて行ってくれ、これまで私にたくさんの出会いを作ってくれた。楽しい時も、寂しい時も、悲しい時も、いつも一緒だった。13年間、ありがとう。旧マグナにもいい相棒がみつかると良いな。新マグナ、これから私と一緒に旅に出よう。末永く、よろしくね!(^O^)/ ありがとう!旧マグナ! 新マグナ・これからの相棒です。(*^_^*)
2017.04.07
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2024.01.02
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娘のいない生活にも少しずつ慣れて来た。寂しさを紛らす為には、体を動かす方が良い。忙しさを理由に、溜まっていた汚れや不要な物を毎日少しづつでも片付けようと精出している。今日は朝からトイレ掃除と風呂掃除を集中的にしようと張りきった。長年の染みついた汚れはなかなか落ちない。所要2時間づつかけ、そこそこではあるが少しでも綺麗になった事に満足した。絶好のお天気なので、一日家にこもっているのももったいない。昼からはお散歩ツーだ。先日の日記で『バイクという移動自体が楽しめる乗り物』とコメントを頂いた。車では味わえない解放感と緊張感。同じ道を通っても、景色も違って見える。アクセルを開けると、寂しさも吹き飛んで行く。いつもの通り道の途中で見事なピンク色の山が見えた。いったいどこだろうと思い、注意して進むと神社への上り道だった。気軽に脇道へ入って行けるのもバイクの魅力だ。もう葉桜になりかけていたが、また来年の楽しみができた。目的地で偶然、大好きなしだれ桜も見ることができ、心も和んだ。次は、どこへ春を見つけに行こうか。
2010.04.10
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皆さん、お元気ですか?楽天での交流はなくなったけれど、またいつかどこかで 皆さんに逢える事を楽しみにしています!
2014.01.01
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あけましておめでとうございます!12月23日から、1月2日まで休み無しの連続勤務で3日に1日休みがあったものの翌日から今日まで仕事、やっと明日・明後日と連休です。ここ10日程午前5時起床、ひととおりの家事をすませて出勤、仕事が終わって家に帰り着くのは午後10時前と言う生活でした。途中でバテないように睡眠時間だけはしっかり確保しようと心掛けたので、皆さんの所へのご訪問、コメントできずにごめんなさい。人員削減のシワ寄せで例年以上に厳しい年末となりましたが、仕事をやり終えた後の達成感は何とも言えません。ロングのソロツーをし終えた後の気持ちと通づるものがあり、忙しく大変だったけれども満足感に浸っています。今年も一週間に1回程度の更新になると思いますが、よろしくお願いします。(^^)
2007.01.06
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今年に入ってすっかり元気をなくし、ここ一週間ほどは寝たきりになってしまった飼い犬の『ごてん』が今日とうとう力尽きて死んでしまった。先月獣医さんに診てもらったところ、「癌があちこち転移しています」」と言われ、覚悟はできていたものの、やはり寂しい。だんだん歩けなくなり、最後の方は自分の体を支える事ができなかったので、だっこをして排泄させていた。インターネットで老犬介護を調べると寝たきり状態が何か月が続くようなので、大変だなぁと感じていた。でもわずか一週間ほどで天国に召され、最後まで世話をかけない犬だった。ごてんは、16年前我が家にやって来た。捨て犬だったのを、息子がどこかで拾って来たのだ。犬を飼う予定などまったくなかったのだが、私の前でいきなりごろ~んと横になりお腹を見せ服従のポーズを取った。その一瞬で家族の一員となった。当時、ドラゴンボールの大ファンだった息子が、『ごてん』と名付けた。我が家は近くの中学校の通学路にあるので、ごてんはいつも中学生のアイドルだった。朝、夕、中学生たちがごてんに挨拶をして行ってくれた。ごてん、ごてんと可愛がってもらっていた。獣医さんのところでも、いつもおとなしく診察を受けるので『しつけの必要のないほど、おりこうなワンちゃん』とほめられた。毎晩、寝たきりになってしまったごてんに「「うちに来て幸せだった?」と語りかけた。元気だった頃のごてんの姿を思い出して、涙が止まらなかった。いつも私の帰りを待ちかねていてくれた。出勤する時は寂しそうに見送ってくれた。忙しくて、散歩はショートカットばかりになってしまってごめんね。元気な時に、もっと一緒に遊んでやれば良かったね。優しさを、ありがとう。今年に入って住宅ローンや年金分割の手続き、生命保険、公共料金の切り替え等に追われ毎日忙しく過ごしていました。再びニートに戻ってしまった長男、100年に一度の氷河期と言われる長女の就活、老犬介護、職場の欠員状態で、ちょっと疲れ気味のここ最近でした。GWのゆうゆうツーで、皆さんから元気をもらいに行こうと思っています!
2009.04.25
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私が一才の時に愛媛県八幡浜市から、大阪へと移り変わりました。中学生頃までは、母に連れられ母の故郷である八幡浜へ、お盆の時期に毎年帰っていました。成人になってからは、すっかり足が遠のいてしまった八幡浜でしたが、、叔父が今回大きな手術をされると聞き、思い立ってバイクで、故郷へ帰る事にしました。また、昨年暮れに相次いで亡くなった二人の親戚にも、仏前にお線香を供えたかったのです。南港から、新造船になったオレンジフェリーにバイク共々乗り込み、四国へと渡りました。初日から、大変な雨と霧と強風で、快適なツーリングではありませんでしたが、親戚や、バイク繋がりの方々からとてもよくして頂き、感謝の気持ちが一杯の良い旅になりました。二日目、松山の「そらともり」の温泉の後、大洲の親戚を訪ね、その後八幡浜の二軒の親戚宅を訪ねました。一軒は、若くして亡くなった従兄弟宅でした。三日目、高知県の四万十町に住んでいる親戚を訪ね、叔父にも、お線香を供える事ができました。一緒に昼食を頂き、その後父方のお墓参りをすませました。四日目、母方のお墓参りをした後は、バイク仲間と、従兄弟と待ち合わせ、大洲のお店で食事をした後菜の花畑を見に行きました。バイク仲間に、フェリー乗り場近く迄見送りをしてもらい、無事に事故なく、四国での走行を終えました。お天気には恵まれませんでしたが、今回の目的を全て果たす事ができ、最高の旅となりました。
2019.03.29
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『忘年会をやらかそう!』と思ったのはちょっと落ち込む事があって、そのままでは病んでしまいそうだったので『何か楽しい事を考えよう!』と思ったのがきっかけでした。思い付きの忘年会だった為、店は押さえたものの参加人数がなかなか揃わずちょっとハラハラドキドキの一週間でしたが、おかげでずいぶん気が紛れました。私は常に何か目標がないとだめみたいで、例えばそれが旅であったり、何かの試験であったり、ツーリングクラブの企画であったりするのですが、それに向かって突き進む方です。今回は『忘年会の幹事』と言う事で、けっこう燃えました!昨日は最終的に8人のメンバーで、1次会、2次会を楽しくすごさせて頂きました。遠方からはるばる来てくれたトマトちゃん。お金を工面して来てくれたsyu君。飲み会の約束をやっと果たせた乗りさん。久しぶりに顔を見れた今年の新年会の幹事・侍君。カラオケをめっちゃ盛り上げてくれたサトシ君。嬉しい報告をしてくれたしす汰さん。歯医者の予約を忘れてまで?来てくれたバルパパ。皆さん、どうもありがとう!!(^^)今回来れなかった皆さん、新年会でお会いしましょう!!\(^o^)/
2006.12.03
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このところ、危険信号が出っぱなし。何も決められない。自分でどうしたいのか分からない。買い物に行っても何が必要なのか、何が欲しいのか自分で分からない。仕事中でも、ある一つの事に気持ちが行ってしまい集中できずミスの連発だ。走れば少しは元気になるかと思って出かけたが、景色に感動できなくなっていてただ疲れて帰って来ただけだった。長年走って来てこんな事は初めてだ。バイクは、いつでも私に元気をくれたのに。昨日も、最高のお天気の平日休みなのに走りに行く元気が出なかった。定例ツーの行き先もなかなか決断できず、メンバーに助けてもらった。昨年から考えが、同じところをぐるぐると回っている。なんかひどく疲れちゃった。訪問も、コメントもできずにごめんなさい。ちょっと休養中です・・。
2008.09.11
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今年の元旦に、母が急性心筋梗塞で亡くなった。本当に突然の出来事で、私は年賀状配達のまっ最中だった。誰もが信じられない思いで、葬儀に駆けつけて来てくれた。この一カ月程は、相続の手続きや一人暮らしをしていた母が入居していた住宅の片付けに追われた。悲しむ間もないほど忙しかったけれど、その方が自分をしっかり持てて良かったと思う。生前にしてあげられなかった事、もし母が生きていたら喜んでくれたであろう事を一生懸命考えた。母の部屋に出せなかった年賀状を見つけ、元気そうにしていたけれどそんなに弱っていたのかと愕然とした。勤めていた会社を定年になってから、パッチワーク、手芸、習字、パソコンとお稽古事に励んでいた母に100通ほどの年賀状が届いていた。亡くなった事を知らせる為に私が母の代わりに「ありがとう」の言葉を添えて母の写真付きで年賀状を送った。年賀状を見て、電話を下さった方、お手紙を下さった方、お花を贈って下さった方が、口々に「とてもお世話になった。もう一度お会いしたかった。」と、亡くなった事を惜しんでくれた。姉も、親戚の人も母の夢を見たと言った。49日までは、まだ霊がこの世とあの世を彷徨っていると言う。私も母がこの世にいるうちに会いたかった。49日の法要の時、お坊さんの法話で「今の私達があるのは、戦後の物のない時代に頑張って来られたお母さん方の世代の方々のおかげです。私達は、その事に感謝しなければなりません。お母さんは亡くなられたけれど、お母さんが頑張って来られたおかげで、皆さんがこうして今元気に過ごしておられるのです。」と言うお話があり、父の亡き後、一人で頑張って来た母を思い出し涙が止まらなくなった。亡くなってちょうど49日目の朝方、やっと夢で母に会う事ができた。「勤めていた会社の人や、みんながとてもお世話になったって言ってくれたよ。お母さん、頑張っていたんやね。」と言うと、「そうよずっと頑張って来たのよ」と満足そうに笑ってくれた。母が生きている間に言えなかった一言を言う事ができて本当に良かった。涙がぼろぼろこぼれ、泣きながら目が覚めた。自分の事で精一杯で、母の寂しさや辛さを分かってあげられなかった。温泉や旅行にも、もっともっと連れて行ってあげたかった。お母さん、ごめんなさい。そして、今までずっとありがとう。
2013.02.23
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マリーナシティ・いつもたくさんのバイクが停まっている。土日の予定がなくなりどうしようかと迷っていた土曜日の朝、『東海からの来訪者・歓迎の和歌山ツー』があるとの知らせを受けた。クラブメンバーを伴って、慌しく集合場所に駆けつけた。集合時間に遅れた為挨拶もそこそこに和歌山へ向けて出発する事になった。第一の休憩場所は、橋本から和歌山へと伸びる広域農道途中にある『はちくまカントリー』だ。北海道を思わせるような、アップダウンと程よいワインディングが面白いこの広域農道を見つけたのは15年ほど前だ。それ以来お気に入りのお散歩コースとなり、何回走ったか分からない。『はちくま』は、ちょうど良い休憩場所となっている。皆のお馴染みの場所なので、一人で走りに行って何となく寂しくなった時はここで誰かが来るのを待ったものだ。3年半程前にクラブツーの途中で今回の先導役の方と出会った場所でもある。和歌山のおすすめラーメンで腹ごしらえをした後、マリーナシティへと向かった。ここも何回となく来た場所ではあったが、やはり来る度に気持ちの良い場所だと思う。マリーナシティでしばし談笑の後、途中合流の方が待つ『はちくま』へと再び向かった。和歌山方面へ走る時の最初と最後の休憩場所、やはりここへ来ないと何だか忘れ物をしたような気になって来る。昼間は汗ばむほどの陽気だったが、解散場所の道の駅『かなん』へ着く頃にはすっかり寒くなっていた。男性陣は来訪者を藤井寺まで見送るとの事、家の事が気になる私達主婦はここで家路へと向かった。遠方からはるばる来られた来訪者。『はちくま』に、また一つの思い出が増えた。マリーナシティはちくまカントリー・数多くの思い出が詰っているお気に入りの休憩場所
2006.10.15
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父が亡くなったのは、私が4歳の時だ。癌になり何回も入退院を繰り返し、とうとう還らぬ人となった。この時、父は37歳、母はまだ31歳。私はその頃の両親の年齢をはるかに越してしまった。この写真は父が亡くなって、しばらく親子3人で母の実家で暮らしていた頃のものだと思う。この頃の母の写真は何枚か残っているのだけど、どの写真も笑顔がまったくなく目に生気がない。とても寂しそうな、今にも泣き出してしまいそうな深い悲しみの顔をしている。大人になってから聞いた話だが、父が亡くなって間もない頃近くの踏み切りの近くまで行った時に母は「このまま3人で死んでしまおうか」と、幼い私たちに言ったらしい。その時私が「死ぬのはいやや!死んでどうなるん?」みたいなことを言ったので思い留まったそうだ。「あんたの一言で、これから頑張っていこうと思った」と話していた。小さかった私にはまったく記憶のないことだけど、子供の力って、大きいものだと思った。今は近くにお骨を移したのだが、それまでは毎年欠かさず父の眠る故郷へ年に何回も墓参りに行っていた。まだまだ再婚できる年であったのに、父だけを想い続けてずっと一人でいた母。そんな母はもう73歳。女手一つで、私たちを育てて来たので、なかなか気丈だ。子供の頃は、「お父さんの分まで叱ってるんや」と、厳しく、怖かった。そんな母がやはり年と共に年々気弱になって来ているのを、寂しい思いでいつも見ている。
2006.07.06
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2025.01.01
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大好きな北海道やバイクの事を書きたいと思って始めた『Bike バイク ばいく』は、6月6日で一周年になります。元々文章を書くのは大好きなので楽天をやってて楽しかったのですが、週1回の更新がやっとの状態で、それでも忙しすぎて色んな所に皺寄せがいくのがずっと気になりながら続けていました。何でも生真面目にしてしまう方なので、更新やコメントに時間がかかり過ぎてこの一年家の事がおろそかになっていました。また、娘が話しかけて来てもブログに集中し過ぎて真剣に聞いてやれず、ずっと悪いなぁと感じていました。その他にも色々思う所があり、1年を機会に思い切って更新を停止させて頂く事に致しました。旅の記録やツーリング先での出来事を読み直すのは楽しみでもありましたが、これからは自分の心の中だけで楽しんで行こうと思います。今の所は完全閉鎖せず、自分の記念として『Bike バイク ばいく』はおいて置こうと思っています。リンクして頂いた方々には大変申し訳なく思っています。今後皆様の所へはコメントはできないかもしれませんが、暇を見てまた遊びに行かせて頂くつもりです。楽天ツーでご一緒させて頂いた皆様、また機会があれば一緒に走って頂けたら幸いに思います。とても短い期間ではありましたが楽しく過ごさせて頂き、また、たくさんのコメントも本当にありがとうございました。
2007.06.02
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今朝は4時起きだった。息子が再び関東方面へ働きに出たからだ。約2年余り『ニート&ネットゲーム中毒』という生活をしていた息子が「明日関東へ働きに出る」と、突然宣言したのは3月の終わり頃。なかなかゲームの世界から抜け出せなかった息子が、成人式を機に少しづつ変わって行った。しかし、やはり家に居て何時でもパソコンに向える環境では、完全にネットゲームの世界を断ち切れないと思ったのだろうか。『このままでは、ほんとうに自分がだめになる。無駄な時間を過ごしている』と思うようになったようだ。私がいくら「こんな暮らしをしていてはだめだ」と、懇願しても耳をまったく貸さなかった息子がようやく自分から動き出した。現場から現場への仕事は面白かったらしく、充実感を味わっている様子がたまに来るメールから伺えた。6月終わり一現場が一段落したので息子は約2ヶ月半ぶりに帰り、2週間ばかり家で過ごした。息子の居ない生活に慣れてしまっていた私は、すっかりペースを崩されてしまった。とは言え家に居た頃は私とぶつかりあってばかりいた息子だったが、この2週間は息子の機嫌も良く平穏に暮らせた。以前は自分の身の回りの事もろくにできなかった息子だったが、『自分の事は自分でする』と言う、ごく当たり前の習慣が少しは身に付いたのだろう。家に居た頃はいばりちらしてばかりいた息子が、脱いだ服をたたんだり、自分でお茶を入れるのには驚いた。関東へ行っている間に車同士の接触事故もあったりして、心配もかけさせられたが親はいつまでたっても子供の心配をするのが役目だとあきらめないとしょうがない。体に気を付けて、しっかり働いて、またいつでも帰っておいで!!
2006.07.04
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約一月程前、北海道でお世話になった『とほ宿』の宿主さんから「大洗までフェリーで行き、そこから大阪の実家までスーパーカブ50で5~6泊位かけて、帰省するのでその時お会いできたら・・」との連絡が入った。この宿が縁で知り合った、北海道繋がりの常連さんも来られるとの事。大阪で再会と初顔合わせができる日を待ちわびて、宿主さんとの「いつか、大阪で一緒に呑みましょう!」との二年越しの約束が昨日実現した。メンバーは宿主さん、常連さん、宿のお手伝いをされていた方と私との四人だ。難波のこじんまりとした、料理の美味しい居酒屋で楽しい時を過ごす事になった。先に到着されていたお二人が数多くのお店の中から選ばれた場所とあって、雰囲気の良い落ち着ける店だった。北海道好きが四人も集まれば話が尽きず、北海道や旅の話題を肴にお酒がどんどんすすむ。 宿主さんから、800キロの50CCカブでの旅の話を楽しくお聞きした。根っからの旅好きが高じて、北海道で宿を開かれた方だ。人には困難と思える50CCバイクでの旅を、とても満喫された事だろう。北海道の宿で旅好きな仲間が集まってお酒を一杯やりながら夜遅くまで語りあってる、そんな気分になった。旅の話や宿のご苦労話 、バイクの話で盛り上がり、お店の終了時間まで居続けた。久しぶりに北海道気分へどっぷりと浸れた、とても楽しい夜だった。 臥虎蔵龍さんの『未知との遭遇・大阪の記事』
2006.11.23
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20年近くツーリングクラブの運営をしているので、大抵の場所は行き尽くし毎回行き先を決めるのが悩みの種だ。来週のツーリングの行き先を色々と考えて比較的涼しい三重県の飯高方面へ行く事に決めた。場所は決まったのだが所々自信のない道があり、大勢を引き連れて行くには不安があったので今日一人で下見に行く事にした。R309から途中県道を利用し、R166で松坂方面へと向かう道はGWに通ったばかりだと言うのに、案の定何ヶ所か迷いかけた。 家を出る時はさすがに暑かったが、三重に近づくに連れだんだんと涼しく感じるようになって来た。 高見トンネルはヒヤッとして、まるで氷のトンネルの中を通っているようで気持ちが良かった。目的地の香肌峡の温泉に着くと『蓮ダム』と言う看板が目に入り、ついでに行ってみることにした。わずか1キロ程でダムに到着すると展望台があったので早速登ってみた。 私は高い場所が大好きなので、『展望台』と名が付くとつい登りたくなってしまう。汗だくにはなったが、素晴らしいコバルトブルーの湖を眺める事ができた。また一つお気に入りのスポットが増えた事に満足し、ピストンで家路へと向かった。今日のコースは地元より気温が低いので田んぼの稲は穂が実り、すっかり黄色みを帯びていた。一足早い秋を感じたせいか、一人ではちょっぴり寂しいツーリングに感じた一日だった。
2007.09.01
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<神戸・南京町へ 最初で最後のツー>9月にお見舞いツーに行った友人が、今朝亡くなったとの知らせを受けた。私といくつも変わらない。あまりにも早すぎる死に言葉が出ない。病院での彼女の嬉しそうな笑顔と言葉は、今でも忘れられない。「また一緒に走りたいなぁ!」「友達って、ほんとにありがたいなぁ!」「病気なんかに負けないで、頑張らんとあかんなぁ!」貴女の分まで、悔いのないよう毎日頑張って生きていきます。元気になった貴女と、もう一度一緒に走りたかった。遠くから、ご冥福をお祈りします。
2006.11.14
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