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昨日、湯島天神に行ってきました。少しおくれた初詣と、少し勉強を見させてもらっているお子さん達と、そのご家族へのお守りを買う為に参拝してきました。ピークでは過ぎたものの、季節だけあってたくさんの人がきていました。実はこの「お守り」は、確かに理想の未来へ働きかける為の一つの「アイテム」という事は、御覧の方もご存知の通りです。このアイテムで、人の「認識」を、「未来」の方向に向けさせるわけですね。当然、その「未来」は良いモノであるわけです。余談でしたが、時間の流れの認識を「過去」からでは無く、「未来」から流れてくるという、話をしてきましたがその続きと、注意点について今回は書いてみます。「過去」にこうだったから「今」の自分は・・・ではなく、「未来」にこうなる自分だから「今」の自分は・・・へと、解釈を変えるコトは、これからの未来に向かって行く皆さんを始め、子ども達にとっても重要なコトです。それを踏まえて、その人を成長させる為に周りの「他者」が注意しなければならないコト。それは、「決して『ドリーム・キラー』になってはいけない」という事です。「ドリーム・キラー」=「Dream Killer」=「夢の殺し屋」これは、時間の流れが過去からであるという意識を持って行っている人には、よくあるパターンです。難しいのは、その御本人は、そうする事が相手にとって本気で「良い事だ」と、信じ込んでしまっているケースが多いという点です。その様な人は、今までがこうだったからこれからその人が向かう道は「良くて」こう、「普通なら」こうなる、「最悪は」こうだろう、と過去からの情報のみで判断してしまいがちです。前述したように、人は「他者からの情報」を使って自分を判断してしまいます。すると、その他者が与えてくる情報が「君は、こんなものだよ」と、セルフ・エスティームを下げてしまうような情報を送ってしまった場合、それを伝えられた本人はどう解釈するでしょうか?そうか、自分はこんなものか、だったら・・・となる道筋がみえてきます。ところがそこで良く、「いや、そうならない為に・・・」と後追いで、追加情報を流す人もいます。ただその時には、相手が「では最悪の道を避ける為に自分はこうすべき」と、自分を「客観的」に見る事ができる人かどうかを踏まえて、話さなければなりません。又加えると、過去からの情報からでしか評価されてこなかった人の周囲の環境は「親」「兄弟」「先生」、「会社の上司」「同僚」などを含めて、そう度々変化するものでは無いので、本人は「本気」で「自分はこんなもの」と認識しているケースがほとんどです。この様な、(意図的かそうでないかは別として)相手の自己評価をを下げる発言や行動をしてしまう人。この様な人を「ドリーム・キラー」といいます。では、ドリーム・キラーがいる世界で、どの様に自分の未来を理想とする方向に向けていくか。続きます。
2012.01.13
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「時間の流れの考え方」の続きです。「過去」→「現在」→「未来」 = ×「未来」→「現在」→「過去」= ○の、証明です。よく「過去に起こったことは変えられない」という表現がありますが、これは違います。過去は「変えられます」。例えば、今、自分が何かスポーツでも、楽器の演奏でも、とても「苦しい」と感じている練習をしているとします。今すぐにでも、この苦しい練習から逃げ出したい。そんな練習をしている自分を想像してみてください。その苦しい練習をしてきた「過去」又は練習をしている「現在」の、その練習に対する「評価」は、恐らく「マイナス」の評価になるでしょう。ところが、スポーツであれば「試合」、楽器であれば「演奏会」もしくは「コンクール」で、みなさんがとても高い「結果」又は「評価」を手に入れた時、先ほどまでしていた「練習」の「評価」はどうなるでしょうか?「あの時あの練習をしていたからこそ、この結果を手に入れる事ができたのだ!」と、評価が「プラス」になるのではないでしょうか?別に試合に勝つ事だけではありません。「苦しい」と思っていたジョギングで、「体重が目標としていた数値に到達した」時、「周りの人の自分を見る眼が変わった」になります。つまり「理想の未来」をまず最初に設定してしまえば、現状や過去の状態はいくらでも変える事ができるようになります。先日2011年度のサッカーでの最優秀選手及び監督になった澤選手、そして佐々木監督両氏の認識はもちろん、今度は次の「ロンドン・オリンピック」という「未来」へと、(とりあえずの)「ゴール」が「セット」された訳です。過去はいくらでも変えられる。まずは、「未来」=「ゴール」をセットする。そして、そのゴールを達成できる自分の「エフィカシー」を上げ、そのゴールを自分は十分達成できる能力=脳力を今の自分は持っているのだという、「セルフ・エスティーム」も上げていく。これが、子どもは及び人が成長する為の思考の「ファースト・ステップ」になるのです。ただし、この時の注意すべき事があります。この点は、又次回へ。追記:政界が「ダラしない」といわれる一方、スポーツ界では、街頭インタビューで応えていた女子高校生のように「やるな!日本人!」というシーンを眼にする事が多くなりました。先日の箱根駅伝での東洋大学の活躍も然り、ある重要な点を注意しながら上手くコーチング技術をつかう人達がスポーツ界では表れてきています。この技術は、正に「真っ白な画用紙」と例えられる、子ども達の成長にはとても有効だと思っています。
2012.01.11
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昨年ティナ・シーリグというスタンフォード大学の教授が著した「what I wish I knew when I was 20」(20歳の時に知っておきたかったこと)が書店に平積みされていました。お読みになった方もおられるかもしれませんが、印象に残ったものの一つに、彼女が「元手5ドルを、2時間で増やす」という授業後、「お金」を元手にする事から、「クリップ」を使って価値を増やすという授業に変えたという事が書かれていました。発想は、「赤いクリップ1本」から物々交換で最後は家を1軒手に入れた過程を載せたブログ「one red paper clip」から得たという事ですが、「お金」という「限界効用」が減らない動機付けを、「人のココロ」に変えた事に共感を覚えました。さて、前置きをやめて本題に。「時間の流れ」について前回書いてみましたが、子ども(と呼ばれる人)に限らず、大人(と呼ばれる人)にも当てはまる考え方です。人間の中には、「以前、こういう過去があった」から「今の自分があるのだ」と考える人がいます。「あの時もっと勉強しておかなかったから、今は・・・」とか、「学生の頃に真面目に練習していれば、今はプロになって・・」という、思考の流れです。御覧になられている方は、この考え方にどのような思いを持たれるでしょうか?実は、この思考は前述したヨーロッパではアリストテレスが整理したとされる「三段論法」と呼ばれるものと同じで、時間を「ある前提」=「過去」からみている思考です。「神がこの世の全てを創られた」と発想するユダヤ・キリスト教的な発想が根っこにあるのかもしれません。ところが、この「思考回路」に「本気」でハマってしまうと、「人はいつまで経っても変わらない」という論理が成り立ってしまいます。つまり、「あの時ああすれば・・・」という、過去の情報を元に考えている限りは、残念ながら「過去」に対して「現在」からは働きかけが出来ず、結果「未来」まで固定されてしまう事になります。この思考は、「今までの成績がこうだったから」とか、「君の今までの様子からすると・・・」と、同じで、大人よりも遥かに長い「未来」を持つ子どもに対して、「無意識レベル」で「制限」を「他者」が加えている事に他なりません。本人が「良かれ」と本気で思っていることが、実は「逆」の結果を生み出す原因になっている可能性が高いのです。これは、とても注意しなければいけないことで、かつての私自身もその傾向が有りました。では、その思考をどう変えていくべきか。続きは、又。
2012.01.07
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以前、ある保育士の方とお話をしていた時、こんな点で共通認識があったことを覚えています。それは、「『こども』と『大人』という言葉が好きではない」という認識です。「こども」も「大人」もなく、一人の「人」である。「こどもだから」、とか、「大人だから」という認識で判断を下すことがありますが、実はこの世界で生きていくときに、「こども」という言語を使うことで逆にその「人」の成長に制限を加えていることになるのではないかというものでした。これはイタリアの教育学者であったマリア・モンテッソーリの考えにも共通しています。さて、エフィカシーが低い「こども」(と呼ばれる「人」)へのアプローチの仕方ですが、その背景にある心構えは、「現在や過去に目を向けさせるのではなく、『未来』に本人の意識を向けさせる」というコトです。これは後で詳述しますが、アリストテレス含めた古い哲学の中では「時間の流れ」は1.過去、2.現在、3.未来という様に、時間が古い「過去」から始まり、今の「現在」に至り、それから「未来」に向かっていく、と考えています。まさにA=B、B=C、だからA=Cの論理です。もちろん、算数などの世界(「システム」又は「系」)の中では、この論理が成り立つことがあります。ただ、今話題にしているのは「人の育て方」の世界の中で通用する論理です。では、その世界で通用し効果的な「時間の流れ」の論理は何か?答えは、1.未来、2.現在、3.過去初めに「未来」があり、「現在」に至り、そして「過去」へと過ぎ去っていく。これが、米国では1970代ごろから普及し始め、今の日本でも少しずつ広がり始めている「コーチング」の手法を含めた、「人の育て方」です。次回は、その「心構え」・「認識」を持った上での、具体的な方法を書いてみたいと思います。追記:自分でこのブログを書きながら、「回りくどい」説明だなとも思いました。が、人間の脳に入力されているプログラムをしっかりと変える為には、「無意識」のプログラムも変える必要があります。この文章が、役に立ってくれれば、正に「幸甚の極み」デス。
2012.01.06
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以前「人は言語で思考している」という内容のことを書きましたが、これはとても重要な点だと思います。「言霊(ことだま)」という言葉がありますが、「霊」という漢字が使われているだけに、なにやら「神秘的」匂いを漂わせる言葉ですが、実は現代風に言い換えれば、「言霊」=「プログラム」ということになります。「プログラム」である「言語」によって、人は思考し、行動する。ということは、この言語の使い方次第で、エフィカシーやセルフ・エスティームを理想的な方向に導いてゆくことが出来るし、逆の効果を産んでしまうこともあるということになります。そこで前回の、用語テストでのケースを見てみます。エフィカシーやセルフ・エスティームを持っている子と、持っていない子の間の違いです。ここで関心を持つべき対象の子は「持っていない子」です。持っている子に関しては、自分の能力を「自分はこれだけの力はあるのだ」と判断しているので、仮に失敗しても、軌道修正を「自分で」することが可能です。ところが持っていない子に関しては、仮に前述の「出題箇所を伝えた」テストをしても、結果は伸び悩んでしまいます。この「伸び悩む」という言葉に含まれていることは、伸びる力は「充分に有る」というコトです。なぜそれがわかるかと言うと、その子達は「きっかけ」又は「刺激」を与えると、しっかりと結果を残しているからです。では、「きっかけを与え続ければ良いではないか」と、言いたいところですが、それではいつまでたっても「自分の力」で成長する事が難しくなります。(ちなみに、人が「自分の能力はこれぐらいだ」と判断して、その能力の「範囲内」でしかパフォーマンス出来なくしてしまう「無意識の力」については、後述します。)それでは、エフィカシーやセルフ・エスティームが「低い」子をどう導いて行くことで、「高めていったか?」については、又、後日。
2012.01.01
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「今現在の自分を肯定している状態=self esteem」と「自分は自分の未来をいくらでも変えていく力があるんだ」と認識している状態のefficacy。この事については、以前教えていたクラスの中ででの出来事で、説明をしたいと思います。社会の用語の「暗記テスト」を、週に1度やっていました。テストの前の週に、問題文と答えを一緒に印刷した紙を渡し、その渡した問題をそのままテストとして出します。暗記する用語はおよそ30語程度。ただ闇雲に暗記するのでは効率が悪い為、まずは用語の全てを授業で説明をして、子どもたちにある程度、理解してもらった上で、「問題&解答」プリントを渡し、1週間後にテストをする。恐らく、どこの塾でもやっている事ではないでしょうか?用語の解説をし、テストの問題と答えも教えた上でテストをする。しかも、そのテストの問題は渡したプリントの問題文をそのままです。さて、その結果は!?実はこの結果にこそefficacyとself esteemを持っている子と、持っていない子の違いが「ハッキリ」と現れたのです。その違いは具体的には何か?は、又、次回。とはいへ、この「違い」に対しての対応の仕方が、その子のその後の伸びに大きく影響する事になるわけですが、その点で、能力をつぶされている子は多い様な気がします。
2011.12.31
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人間は基本的に何かを考える時には、「言語」を使って思考しています。とはいへ、その言葉が意味する内容を全ての人が「同じ意味」に捉えているかは、判断する事が難しいのですが、それでも「最大公約数」的に、共感が得られる言葉を使ってコミュニケーションをしています。で、「エフィカシー(efficasy)」と「セルフ・エスティーム(self esteem)」ですが、この言葉に含まれている「情報」「思想」を丁寧に理解することが、子どもの能力=脳力アップには重要なポイントとなってきます。まず「エフィカシー(efficacy)」です。「Oxford new pocket English」という英英辞典では「the ability to produce an intended result」とあります。直訳すると「意図する結果を生み出す能力」。これは言い換えれば、「自分が『こうするのだ』と意識した事を実現できる力」とでもいえばいいでしょう。自分の「将来=未来」に働きかけをする能力です。「自分が、こうなりたい!」と願った自分になる為の力。これは、とても重要です。そして、もう一つの「セルフ・エスティーム(self esteem)」です。これは、「セルフ/self(自己)」と「エスティーム/esteem(尊重)」という2単語によって作られた概念ですが、これをコーチング的な意味に言い換えると、「今現在の自分は、『充分に』能力を持っている!と、認識している事」となります。言うなれば、「セルフ・エスティーム」は「現在の自分の評価」であり、「エフィカシー」は「将来=今この瞬間から、自分は自分が望むものになれるんだ!」という、これから「将来、能力を発揮する自分の自己評価」というコトです。サァ、ご覧の方はご自身の「現在」そして「未来」の自己評価をどのようにお考えになるのでしょうか?で、この「自己評価」が、ご自身は勿論、もしお子様がいれば、その子どもたちの「豊かな」将来につながって行く「キーワード」なのです。それをこれから丁寧に説明して行きます。続く。。。追記:今、個人的に小室直樹氏の「痛快!憲法学」を読んでいます。憲法や資本主義がキリスト教から生み出されたもので、その歴史を知っていなければ、正しい認識が出来ない事を学びました。ゴールが「点を取る事」と思っている教育に関係する人にはお勧めです。
2011.12.27
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昨夜、NHKで「ミラクルセンス」という番組が放映されていました。全盲の方が、「クリック音(口で出す舌打ちの様な音)」を使って、眼では見えない物体の形をその反響音から見分けられるようになったケースなど、脳の「可塑性(かそせい)」=言い換えれば「変化する性質」などを扱った番組でした。番組ではfMRIも検査機として使われていましたが、脳の機能を科学的に見る技術は一般的になり、かつて「人間の『心』は『心臓』の辺りにある」と言っていた時代から、「『脳』にある」と、小学生も言う時代になっています。前置きが長くなりましたが、これまでの拙ブログの内容を簡単にまとめてみたいと思います。ポイントは(とりあえず)2つの点。1:「脳は自分が『重要だ』と、判断したもの『だけ』しか認識しない傾向がある。」 例としてあげた「社会が苦手だと『勘違い』している子には、解答するためには重要な「表」が見えなくなってしまう事を始め、今コノ文章を読んでいる方も「ほら、読んでいる時に『呼吸』をしていたでしょ」と言われて初めて、「あ、本当だ!」と認識する事など、いろいろありました。つまり、その瞬間「脳の神経が向かっている(=重要と認識している)対象」にしか、意識がいかない傾向がある。これは言い換えれば、「無意識状態」ではいかに人間は何も「見ていない」かという事を表しています。そして、2つ目。2:「人間は『他者』=『外部』から得た情報を元に、思考し、判断し、行動してしまう傾向がある。」自分で選んでいるつもりでも、実は元を辿ると「誰かから」言われたり、そう思うように刷り込まれている事が大半だという事です。生まれて初めて100点満点のテストを受けた子どもは、「100点を取るコトは『良い』コトだ」という情報を誰かから受け取って初めてそう思うようになります。他にも、「貸し倒れリスクが高い人(=貸したお金を返す可能性が低い)人への金利は『高い』」のは「当たり前」だと、思っている人も同様です。恐らくその情報は過去に人から聞いた情報などを元にして、無意識に判断しています。(本当にそれが良いモノかどうかすらも分かっていない「資本主義」という考えが「良い」と、マスコミをはじめ世間がが発している情報を元にして判断しているのですが。。。)「じゃぁ、他者からの情報を受け、それで判断するのが人間だったら、自分ではどう仕様もないじゃないか!?」と、思われる方もおられるかもしれません。そこで、登場するのが前回の「エフィカシー」と「セルフ・エスティーム」。この考えを「認識するコト」が、次へのステップになります。
2011.12.25
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「人は他者から受けた情報を元に動いている。その事を踏まえた上で、生まれて初めて100点満点のテストを受けて、「0点」をとった子に対しての、大切な「声がけ」は何か?声がけ1:「0点なんて取って、何てお前は・・・」声がけ2:「そうか今回は0点か。とはいへ、君は勉強をすれば100点をとる力があるのだから、復習をして、次は練習をして100点を取ろう」使う言葉は色々ですが、相手に伝わる「意図」はこの2つに凝縮されています。声がけ1の「・・・」の部分に続く言葉はたいがいの方は「あ~、あれね」となるのではないでしょうか?では今度は、上の2種類の声がけを受けた側がどの様に「感じるか?」それも、書くまでもないと思われます。「Efficasy(エフィカシー)」という言葉と「Self esteem(セルフ・エスティーム」という2つの言葉が英語ではあります。詳しくは後で書きたいと思いますが、共通する点は「自己評価」という事です。自分の事を、自分でどの様に評価しているか?ここで一つ注意して欲しいのは、「自惚れ」は、勿論NGです。論理的に(自分なりに)客観的に下した「自己評価」でなければいけません。又、評価を伝える側も、慣れていなければ注意が必要です。子どもは非常に「敏感」な生き物です。自分に評価を下す相手の、「顔色」・「声色」などから「無意識」に相手の「本音」を読み取ります。口では「怒ってないよ」と言いながら、その実「心」=「脳」では『メラメラ』と、、、なんていうのも、顔の筋肉の微妙な動き、緊張した時に発せられる声の周波数の違いなどから、すぐに子どもは見抜きます。「あ、やっぱり怒っているんだ・・・」と。過去に接する事ができた子どもたちからはとても多く学びました。そしてその経験の中から、また文献などから共通して世界的に見て「better」な方法を、ここでは書いています。因みに、このプログラムは「脳科学(brain science)」先進国のアメリカで開発され、日本企業などでも少しずつ取り入れられてきている様です。「科学」scienceが「再現可能なもの」と定義出来るなら、このプログラムは、かなりscienceです。「気合だ~!!」も、時には必要ですが、闇雲にそれを唱えていては効果は「0」どころから「マイナス」になってしまったというご経験をお持ちの方もおられると思います。さて、今回はまとまりが無い様な文章になった様な気がするので、次回はこれまでの内容をまとめて見たいと思います。
2011.12.21
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「人は他者からの情報によって、自己分析をして、行動をする」これは、人間=自分の行動・思考などはあたかも自分が決めていると思っている「よう」で、実はかなり大半「他人=外部から受ける情報によって左右されている」ということを表しています。簡単な例でいえば、「今現在の」皆さんがテストで100点を取ったとき「嬉しい」と感じるのは、過去に100点もしくはそれに近い点数をとった時に、他の誰か、多分テストで言えばお父さん又はお母さん、もしくは先生または友達から「褒められた」などの記憶があるから「嬉しい」と感じています。もう少し厳密に言えば、「褒められる」=「自分は他者に認められた」=「100点を取ることは『良い』ことである(と、何となく言う人が多い概念)」=「その『良い』ことをした自分は素晴らしい」というプログラムが脳の中で構築されているためです。(実際には他のプログラムも入力されているのですが。。。)では逆に、「テスト」という存在を知らない子どもが、生まれて初めてテストなるものを受けて「0点」をとったとき。その「0点」という点数に対して、本人はどういう「感情」がわくでしょうか?ちょっと想像してみて下さい。恐らく、本人の「テスト」にたいする「価値基準」がない状態では、「うれしい」とも「くやしい」とも「悲しい」とも、何の「感情」も湧いてこないと思われます。さぁ、そこで「他者」の登場です。そして、この存在がその「人」に対して影響を与えるとても「重要」な存在になるのです。生まれて初めてテストを受けた人がとった「0点」という数値に対して評価をするのは、その人自身ではなくて一番最初は「他者」なのです。その「他者」がどのような「評価」をするのか?みなさんが、「親」の立場であればどのような「評価」をくだされるのでしょうか?基本は、その人の能力を今後伸ばす為の「評価」であるべきだと思いますが、いかがでしょう?雑感:視聴料をとり営利を目的をしない番組を制作する公共放送のはずのNHKのこの報道。もちろん、マスコミは情報を発信しているわけですから、この「情報」を流す「意図」があります。この情報を送る「送り手」であるNHKの「意図」は何か?そういう視点でニュースを見ることはとても重要です。
2011.12.19
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以前、進路に悩む学生からの相談を受けたとの内容の話を書いた記憶があるのですが、その学生のお母さんから「嬉しい」メールを頂戴しました。進路の最終決定をする学校での3者面談で、私を含めた「他者」からの情報を聞いた上で自分で結論を出したとの旨を先生に伝えたところ、学校の先生がその成長を褒め、高校生になってからの活躍に対する期待の言葉を頂いた、との内容でした。ご家族を含め、その学生は決定までにいろいろ悩んだと思いますが、ポイントは「本人が『自分なり』の結論としてとりあえず方向を『自分』で決めた」ということだと考えています。このブログを書き始めるにあたって、それこそ私自身もいろいろな面で悩みました。そして、書くことにあたって自分のルールを決めて、それから書き始めたのがこのブログです。そのルールとは?「利己的なブログを書かない」第1回ブログ「RE-START」の中でも書きましたが、情報を発する人間は、なんらかの『意図』を持って発信します。その意図は、ブロガー個人個人によって違いますが、私個人の意図は「利己的な文を書かない」というものです。もちろん、この世に「絶対正しいモノ」が存在する可能性は極めて低い(ハイゼルベルグの「不確定性原理」などで証明されている)と考えていますが、そんな世界でも「最大公約数」で受け入れられている、通常は「有料」の情報を、「無料」でこのブログではあげています。「ちょっと待てよ!今回の「嬉しい話」ってのは、少しでも読者数を稼ぎたいから書いているんだろ!」見方によっては、そういう論理もあるかもしれませんが、将来を背負っていく子どもたちを、自信の「利己」に利用してどうすんの?というのが、素直な私の考えです。なにやら、今回の内容は前回までの内容とは直接にはつながっていないような内容でしたが、「カスって」はいるので、アップしました。それは!「人は他者からの情報によって、自己分析をして、行動をする」これは、人と接する際には「と~っても」重要なことです。この「情報」が前回までの「重要性 函数」とどう関係しているのか???めちゃめちゃ関係しています。
2011.12.17
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Q:12名中、10名には見えているある問題の表が、ある2名だけには、何故か見えない理由は?(前回ブログ)その理由は、このブログを書いている私は勿論、読まれている皆さんにも起こり得る現象です。」というと、「ドキっ!」とか、「いや、そんなコトは自分には起こらないよ」と、思われる人もいらっしゃるかもしれません。もう少し厳密に言うと、「いや、自分は。。。」と、思われた方は既に、その「罠(ワナ)」にハマってしまっているのです。それでは、見えるはずのモノが、見えなくなってしまう理由、そして、見えない2人に共通していた点は?答えは、「見えなかった2人にとっては『表』は『重要で無いモノ』と、認識されていたからであり、2人に共通していた点とは、『2人とも「自分は、社会は苦手である、又は、出来ないと、「思っていた」』という点です。そして、今後の皆さんにとって、このブログが「役立つモノ」とする為に、更に「正確に」表現すると、実は「思っていた」という言葉は正確ではありません。正確には、「自分には出来ないと『勘違い』していた」というコトになるのです。その根拠には、結果としては、実際の入学試験では、2人の「社会」の出来は、合格には『充分』な点数をとっていました。過去に見てきた中で、ある科目が本人が「苦手だ」という子供に対して、「指導」と称しながら、「イヤ~、その科目は『捨てて』いいよ。出来ないのだから使用がない。だから、得意科目を。。。」などという、『先生』と呼ばれる人がいましたが、腰を抜かすコトです。子供の能力を上げるべき、お金をもらっている人間が、「君にはそれは『出来ないよ』」と、平気で、その子の「能力」をつぶす発言を平気でしていました。どうでしょう?ご自分の身の周りにそういう発言をする人はいないでしょうか?では、この様なケースの場合、どの様に対応すれば良いのか。。。?答えは、どうしようかな~...追記:今朝、サッカーのCLUB Team世界1を決める試合の結果の報道がされていましたが、サントスに破れはしたモノのJリーグで優勝を果たした柏レイソル監督にネルシーニョ氏、又「俺流」で有名な野球の中日ドラゴンズ監督の落合博満氏も、共通した指導方針があるのです。選手のインタビューを聞いていると、よく分かります。
2011.12.15
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「脳は、『重要である』と認識したものしか認識しない」その具体的な例として、こんなことがありました。以前、ある小学生を教えていた時の話です。その日は社会の問題を解いていました。制限時間が過ぎたため、その後各自で答え合わせをしようとしたのですが、その前に、クラスの子たちに次の様に聞いてみました。「さて、これから答え合わせをするんだけど、その前に。皆さんが解いた問題の問題用紙に九州の地図が描かれてありますが、その横に九州の特色をまとめた『表』があるのは知っているよね?その表のことを知っている人は手を挙げて下さい。」さて、その結果は????12名中、手が挙がった子は10名。2人の子は手を挙げませんでした。もちろん、意地悪をしてその2人の子にだけ『表』がない問題用紙を渡したわけではありません。他の10人と全く同じ問題用紙です。それにも関わらず、2人はその「表」の存在を認識できません。私も改めて見てみましたが、明らかに問題用紙に描かれています。でもその2人には「全く見えない」のです。そこで、その2人に、「よし、じゃぁ時間をあげるから、その表を見つけてごらん。」その後2人がその表の存在に気付き、「あぁ。。。」というまでに、8分ほど時計の針が進んでいました。これは、冗談ではなく本当の話。10人には見えていた「表」が、その2人には見えていなかった。これが正に、「脳は『重要』と認識しないものは見えなくしてしまう」という現象なのです。では、何故「ある」はずの表がその2人には「見えなかった」のか?実は、この2人には共通する点があったのです。それは何か?続きは、次回に。追記:誤解のないように付け加えますが、その2人がずば抜けて「視力が悪い」など身体的な欠陥を持っているということでは勿論ありません。。そして、この現象の原因となるものは、この文章を書いている私は勿論、ご覧になられている皆さんにも共通して持ちうることなのです。
2011.12.14
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Q:ブログを読んでいる時に「呼吸をしている」という、意識をしながら読んでいましたか?答えはその人それぞれだと思いますが、恐らくはほとんどのからは「無意識」で読んでいたのではないでしょうか?実は、これも人間の脳の性質の一つ。「脳は「重要だ』と認識するものしか、見ようとしない」というものです。何かというと、「呼吸をしていましたよね?」という「情報」を、この場合ブログですので「見た」瞬間、「あっ、呼吸をしている!」と「認識」したわけです。つまり、「呼吸」という言葉=情報を聞くまでは、そちらに意識がいっていなかった、つまり「重要という認識がなかった」状態から、その言葉を聞くことで「重要性」が高まり、認識するようになる。例えばここで、貴方が座っていれば「お尻が椅子に当たっている」という感じがし、立っていれば「足の裏が床に触れている」と感じる。。。というのも同じこと。ある言葉=情報を目にする、又は耳にして、「あっ、本当だ」と認識する。つまり、X(えっくす)に、ある値を入力すると、y(ワイ)の変数が決まってくる、という正に「函数」の仕組みと似た=同じ動きが脳に起こっているということなのです。「脳は重要なものしか認識しない」ある意味、当たり前じゃん!なのですが、この性質を「認識」する・しないで大きな違いがでてくるのです。それは何か?それは、又次回。昨夜の「皆既月食」皆さんの地域では見ることが出来たでしょうか?
2011.12.11
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前回まで「ゲシュタルト」というものについて書いてみました。「いくつかのパーツ=部分が集まるコトで、同時に集まった全体が一つの意味を持つ状態になるコト」がゲシュタルトでした。ただ、残念ながらそのゲシュタルトは、その「部分」と「全体」の「両方」を「同時」に認識する事が出来ないという面もある。(例:「ルビンの壺」の絵をみた時、「壺」を認識すると「人の横顔」が消え、「人の横顔」を認識すると「壺」が消えてしまう。)さて、そこから学べる「脳の育て方」とは!?これも人間の脳は常に何らかの働きをしているのですが、困ったコトに脳は、「その脳が『重要である』と、認識したものしか、認識出来ない」という、性質を持っています。ただ、この「重要なもの」の「重要」という言葉が、かなり広い範囲を表しているので、それを少しずつ説明して行きたいと思います。ではまずは、このブログをご覧になっているご自身についてで、説明をすると...「今、この文章をお読みになられている貴方は、『呼吸』をしていましたよね?」「そんなの当たり前じゃん!(怒)」かもしれませんが、マァそこは怒らないで下さい。実は、先程の「呼吸をしていましたよね?」の質問文=言語を認識する「前後」のご自身の「認識」が、と~っても「重要」なのです。それは、何故か!?To be continued....Outside cold raining... But let's have a warm heart or mind, take care of yourselves!
2011.12.09
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質問:「親」という漢字を見る時、「親」という漢字を認識すると『同時に』、「独立した『立』・『木』・『見』」を認識出来るでしょうか?これは先日紹介した「ルビンのつぼ」、「嫁と義母」、「ウサギとアヒル」でも同じです。「『つぼ』と『向かい合った人の顔』、「『向こうを見ている若い女性』と『こちらを見ているおばあちゃん』」そしてその名の通り、「『ウサギ』と「アヒル』」の絵。その2つを「同時」に見て、「同時に」認識することは出来るでしょうか?答え、「できない」「いや、できるんですけど!」と言う方は、前に見た一方の画像の「記憶」が脳に残っている為に見える「気』になっているのですが、実際には2つの画像なり、文字を「同時に』認識することはできません。いわゆる「錯視」も、脳が起こす「勘違い」を利用したものです。「ゲシュタルト」・・・部分と全体が同時に存在することで、認識が生まれる。誰の脳も持っている一つの「性質」です。さて、先日ある中学生から「相談メール』をもらいました。相談とは、「現在、私立中学校に通っているけれども、その私立学校の進学できる成績は十分に取っているものの、とある理由から別の学校への受験もしたいという気持ちもある。どちらを選ぶにしても、あの時にこうしておけば良かった、という後悔はしたくない」というものでした。電話で少し話しましたが、最終的には「彼女自身」が、しっかりと自分の「答え」をだしました。ポイントは「本人が答えを、「自分』でだすように対話をすること」。今朝のNHKで、かつて学校の保健師をされていた方が、とある町の「相談屋」になっている、との話が流れていましたが、基本は同じです。「答え」は「本人」しか持っていません。それを、本人から「引き出す」=educe(エデュース:一般にエデュケイション=education=「教育」と訳される、単語の「動詞形」)ことがポイントなのだと思います。かつて、ゴータマ・シッダルタ(良く「お釈迦様」と言われている昔いた人物)も使っていた対話法です。
2011.12.07
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さて、先日の「問題(?)」。Q:頭の中で、漢字の「たつ」をまず描き、その下に同じく漢字の「き」を描き、最後に今描いた2つの漢字の右隣に漢字の「みる」を描く。それで、完成した漢字は何ですか?A:それは「親」です。いかがでしょう。頭の中で最終的に「親」という漢字をイメージ出来ましたでしょうか?さて、そこでテーマの「ゲシュタルトとは何?」の、説明です。「親」という漢字は、先程イメージしてもらった様に、「立」と「木」と「見」という3つのパーツ=部分から成り立ち、全部そろって初めて頭=脳の中で、「あっ、これは『親』だな」と、認識できます。ただ、その漢字を「ジ~っ」と見つめていると、何だか「あれ?「おや」って、こんな漢字だったけ??」と、不思議な感覚におちいってきます。その感覚が「ゲシュタルト」が「崩壊」した状態、つまり「ゲシュタルト崩壊」現象です。別にこれは「親」という「漢字」限った話ではありません。「ひらがな」、「カタカナ」、「アルファベット」、「ハングル」、「アラビア文字」、、、、ありとあらゆる「文字」(という「概念」)は、そうなっています。まさに、「複数のパーツ=部分が集まるコトで、『同時に』全体の(別の)概念を作り上げるコト」=「ゲシュタルト」です。さて、この「ゲシュタルト」。次の様に考えて見ると、今度はどうなるでしょう?賢いひとは「知識」が既に出来上がっているので、一つポイントがあるのですが、次の様に考えるとどうなるでしょう?Q:先程の「親」という漢字ですが、今度は「逆(?)」の操作をして下さい。 それは、先程の漢字を見るコトで、「親」という漢字を認識すると『同時に』、「独立した『立』・『木』・『見』」を認識出来るでしょうか?連日の質問でスミマセンm(_ _)mそれでは又!
2011.12.05
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ここで、一つ実験(というほどのものではありませんが)をして見たいと思います。もしこの文章をご覧になられている方で、ご興味がある方はためしてみてください。実験次に書かれる情報をそれぞれ頭の中でイメージし、最終的な結果を声に出して言ってみてください。では、始めます。(1) 頭の中で「あそこに人がたっている」の「たつ」という漢字を描いて下さい。(2) 次に同じ様に頭の中で、「ドングリのき」の「き」という漢字を、先ほど描くいた「たつ」の漢字の下に描いて下さい。(3) それでは最後です。最後に先ほど頭の中で描いた、「たつ」と「き」の右横に、「工場をけんがくする」の「けん」という漢字(言い換えれば「みる」という漢字を描いて下さい。(4)さて、問題です。最終的に出来上がった漢字は何ですか?答えは、次回に。人間にとってはと~っても大切なものです。
2011.12.03
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「ゲシュタルト」とは何かというコトを、自分の言葉で表現すると、「複数のパーツ(=部分)が組み合わさると同時に、組み合わさってできた全体が意味を持つ状態になるコト」という、感じになります。※Google検索で、上位にヒットされるもので、個人的に説明がイメージできるwordは「ゲシュタルト崩壊」でしたのでリンクします。(wikipedia参照「ゲシュタルト崩壊」)この文章をお読みの方で「ルビンの壺」という絵をご存知の方は多いかと思います。(「ルビンの壺」リンク)又、「見方によって」、若い女性に見えたり、お婆ちゃんに見えたりする絵をご存知の方もおられるかもしれません。(「嫁と義母(my wife & my mother in law)」wikipediaリンク)よく「だまし絵」として紹介される(他に「ウサギとアヒル」を含め、かつて文科省認定の英語のテキストにも使用されていた)のですが、これは実は「ゲシュタルト」をとてもわかり易く説明できる「ツール」なのです。「部分と全体」かつて、「不確定性原理」を語った哲学者ハイゼルベルグの自伝の名前にもなっていますが、「脳」の「働き」=「機能」を理解する時にはこの「ゲシュタルト」の知識がとても役立ち、更には、人間の「能力」=「脳力」UP!にも通じる所があるのです。という所で、to be continued!
2011.12.02
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今日から師走。昨日の2桁の最高気温から、一気にひと桁の最高気温へ。体調管理にはくれぐれも気をつけて下さい。さて、今年も色々ありましたが、個人的な最大の関心事は「脳の仕組み」=「思考の仕方」によるモチベーションアップの方法です。今、様々な「脳」に関する情報が流れる様になりましたが、これは以前は視覚化出来なかった「脳機能」の一部が「fMRI」(wikipedia参照)の開発によって、「見えてきた」コトから始まっています。先日も銃撃され言葉が不自由になった米国女性議員が、会話調では発話出来ない単語が、歌にして「節」を付けると発話できる様になったと、報道されていましたが、それも「脳機能」を利用してのことの様です。従来、何か「脳」というと、「神秘的な存在」だったのが、広く知られる様になったのは、恐らく「そういう経験あったかも」と、自身にも当てはまる記憶がある経験が、客観的に示される様になってきたからかと考えています。さて、その「脳の仕組み」ですが、次回から少しずつ書いてみたいと思います。まずは、「ゲシュタルト」からかな。
2011.12.01
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昨日(2011/11/28/sun)、大阪府知事、大阪市長を決める為の選挙が行われ、結果は報道されての通りです。いろいろな分析がなされ、しばらくは、マスコミを中心に関係する報道がなされるのでしょう。さて様々行われている分析の一つに、個人的に印象に残ったものがあります。どこのテレビ局か忘れましたが、投票に行った有権者の方々が「何を求めて投票に行ったのか?」というアンケートに答えた集計が報道されていました。確か、60%近くの方々が求めていたと思いますが、それは端的に言うと「変化」でした。(今までの)「現状」を続けていたのでは尻すぼみ、何か「変化」を起こして打開したい。この場合の「現状」「変化」という言葉に含まれているものの過半数に、「現状」=「悪いもの」、「変化」=「良いもの」という「ニュアンス」があるのではないか。かつて某国、総理大臣も選挙で掲げたスローガンにも通じることがあるな、と思いました。それはさておき、なにはともあれ発せられる情報には、必ず何らかの「意図」が含まれるという事実を、改めて「実感」した瞬間でした。さて、そこから関連して思う今日の雑感ですが、先日家庭教師に行って、本人とまたその保護者の方から頂いた、個人的には嬉しい言葉=情報がありました。「代数が少し、面白いかもと思えるようになった」「何故、分数の割り算は分母と分子と『ひっくり返すのか]分からん?」と「感じ」、それが原因とはいわずとも、「数字」で表記される学問は徹底的に現役時代には「拒否」してきた人間が私です。そんな私の話で、その子が「面白いかも」と話してくれ、さらに保護者の方が「そういう方向の言葉を本人が言ってくれるようになったことが嬉しい」とおっしゃってくれたことは、個人的に目指してきたところとはいえ、やはりとても単純に「嬉し」くなってしまいました。「学問はそれ自体に取り組み、それを理解できたということに対して喜びを感じるものであって、それ(学問)をすることで、「どうなるか」といった「目的」のようなものと一切関係はない」と、某社会学者がいっていましたが、その点は共感できます。「偏差値」という概念があります。「進路指導をする立場としては(抽象化された数字には反対する人は少ないので)便利だから」という理由で、多くの教育機関などの場で使われている概念です。 また、「理系」「文系」という概念があります。 人間の「脳」が、あたかもその2分野に分けて考えることが(大学に合格する為には、という理由を含めて)効率が良いという印象を受けそうな概念です。 「えっ?本当ですか?」 今回のブログでわたしが「意図」したこと。 伝えるのは、難しいなぁ。。。
2011.11.29
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ブログを書く、会話をする、ツイッターでつぶやく、、、何か情報を「発信」する時には、必ずその「発信者」の「意図」が含まれています。一人でも多くの人に、今の自分の気持ちを知って欲しい。自分のお気に入りの商品をブログで紹介することで、その商品を多くの人に買って欲しい。自分の発する「情報」で、何か(大きくいえば「世界」「日本」)を自分の理想とする方向に変えたい。私が、このブログを始めたのにも当然「意図」があります。それは、「『この世界から戦争と差別をなくす』という自分の夢(DREAM)に少しでも近づく為の一つの『道具』として、このブログを使いたい」というものです。今年2011年10月31日、ご存知の通り世界人口は70億人に達したと、推計されています。 (wikipedia参照)この人口の増加は腰を抜かすほどの勢いです。(「ネットワーク地球村」参照)では、「増えた人々が全て「幸福」に人生を送れている世界になったのか?」というと、その質問に即座に「YES!」と答える人は、恐らくいないでしょう。震災、貧困、失業、経済危機、鬱病患者の増加等々。国内外を見ても、「Happy」なニュースを目にすることが難しい世の中になっています。(先ほど、Facebookで知り合ったニュージャージーの友人が失業し、今週はガソリンスタンドに面接に行くとのこと。もちろん、応援のメッセージを送りました。)「何故?」「どうすれば?」答えは、簡単にはみつかりそうにありません。が、今起こっている現象は、全て「人間」の「行動」の結果です。人間は、それぞれ「考え」=「思考」を持って行動します。それでは「未来」も、人間の「思考」次第で「良く」も「悪く」も変えられるということにもなります。そのような「意図」をもち、フラフラとただよう「くらげ」が、横浜市都筑区というこの「宇宙」の片隅からつぶやいてみたいと思います。その中では、16年間塾の講師という仕事をしてきた経験上、役立つかもという「情報」も載せられたらとも思っています。
2011.11.27
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