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その周りには広場がたくさん隣接しています。その広場では11月も20日を過ぎれば徐々にクリスマスの準備が始まるようです。
でも、ハワイ同様に今年は何気に少し寂しいそのだそうです。
右のドームが大聖堂。
聖堂手前の広場はカピテル広場。
反対側にはレジデンツ広場があり、モーツァルト広場につながっています。
鐘楼の前にはドーム広場があり(ここから見えない)、そのあたり一帯がクリスマスマーケットに変わるのです。
でも、今回はまず大聖堂から、とても中が綺麗なので。
ザルツブルク 3 (司教座聖堂と大司教)
オーストリア共和国(Republic of Austria)ザルツブルク(Salzburg)
大聖堂(Dom)
聖堂建設史
司教
司教座聖堂
ザルツブルク大司教

レジデンツ広場側から撮影。
1万人収容のできる西欧最大規模の聖堂と言います。
大聖堂(Dom)
聖堂建設史
最初の聖堂は司教ヴィルギリウスの治下に 前期ロマネスク様式で建設。
767年に建設開始され774年に完成。
祝堂の時にはこの街の開祖、ルーペルト司教(街の守護聖人)の遺骨が葬られたそうです。
西側の改築は1181年から1200年頃にかけて後期ロマネスク様式で建築。
ウンター山の大理石から造られた西側正面は1628年完成。但し、据え付けられている像はもう少し後年。(爆撃でも残ったようですね。)
ドームは度々火事に見舞われ、その度に増改築がされたようです。
歴史上8度目の大火(1598年12月)はドームに大きな被害
を与え、取り壊してもっと大きなドーム建設に着手。
1628年に完成したのはバロック様式の影響を受けた後期ルネッサンス様式の聖堂。
ところがこれも 第二次世界大戦中の爆撃でドーム部分が被弾して崩壊。
完全に 修復改修が終わったのは1959年
だそうです。
教会入り口と身廊をクロッシングから撮影。普通の教会より身廊がやはり広い。
身廊から内陣の祭壇を撮影。
ヨーロッパ最大のパイプ・オルガンを所蔵し、1万人もの人員を収容しての大規模なミサが執り行われるそうです。
さすが、司教座のある教会です。
クロッシング(翼廊との交差部)の部分の角にはパイプオルガンが設置。
入り口上にもパイプオルガンが付いてました。
司教
使徒が信者を増やす中で 地域ごと信者をとりまとめる指導者をギリシャ語でエピスコポス(監督する者)を指し
、 英語でビショップ、日本語で司教と訳
されたそうで、その 管轄区域が司教区
と呼ばれるようになったようです。
司教区はローマ帝国の公的な制度として整備されたそうです。
司教座聖堂
教区を治める教区長(大司教)が、司式するための着座椅子(司教座)のある聖堂を指す そうです。
その椅子、司教座(ラテン語でcathedra)のある聖堂を特に大聖堂(カテドラル)と呼ぶ
のだそうです。
ギリシャ語のカテドラ(kathedra)椅子が語源で、もとは「椅子」そのものを現す言葉だったようです。
それが今は監督する者の椅子(カテドラ)が大聖堂そのものに・・・大きくなっちやった![]()
司教の墓所。
ザルツブルク大司教
1803年の神聖ローマ帝国廃止まで 神聖ローマ帝国の侯爵を兼ね、その為、侯爵司教(Fursterzbischof)の称号を有した、ザルツブルク大司教領の領主だった
そうです![]()
さらに、教区内の教会運営上、切迫した事情のある場合において、 ローマ教皇の決断を待たずに司教権限で採決する力が与えられていた
そうです。
ここは798年に大司教区に昇格してますし、権力
的にも格別な地位にあった事は要塞建設からも解りますね。

天井の装飾絵画も、彫刻も、シャンデリアも、まるで宮殿のような豪華さ・・と言うか、きらびやかさです。外の外観はかなりシンプルなのに・・。
大戦の被害から内部の全面改修が終わったのは1959年で新しいせいもあるのでしょう。
中央内陣、中央高壇の天井画と円蓋の新しい画はウィーンのシュース教授とブレーゲンツのフィッシヤー氏による復元だと言う事です。
1961年据え付けられた聖堂の鐘もドイツ語圏では最大だそうです。
次回は広場のクリスマス市に・・。
リンク ザルツブルク 5 (待降節とクリスマス市)
リンク ザルツブルク 6 (聖ニコラウスとクリスマス市)
リンク クリスマス市の名物グリューワイン
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