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さて、ちょっと予定も変わったので今回写真は教会の外観を紹介。内部は次回にしました。
当然全体が当時の姿で残っているわけではありませんが、建設当時、13世紀のゴシック建築の姿はそこなわれていません。
ゴシックの教会とは? が今回テーマです![]()
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 4 (ブルゴス 2)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)
ブルゴス(Burgos)
サンタ・マリア大聖堂(ブルゴス大聖堂)
ロマネスク建築からゴシック建築へ
フランボワイアン様式
ガリシア(現在のスペイン西部とポルトガル北部)の名は古代ローマの属州ガラエキアから来ているそうです。
ガリシアは入江の入り組む海岸線をもつ地形で、実はリアス式海岸の語源となったのがこの地域で、入り江(リア)の複数形がガリシア語で「リアス」なのだそうです。
もとはケルト系の民族の土地だったガリシアには、ローマ時代末期に様々なルートを辿ってキリスト教が伝来。
レコンキスタの本拠としてカトリックはより根付いたようです
。
9世紀に聖ヤコブの遺骸が見つかり10世紀にはサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼が始まっていますが、巡礼は12世紀頃に最盛期
を迎えています。
ブルゴス大聖堂の建築はそんな情勢の中で再建
されたようです。
たぶんマヨール広場
サンタ・マリア大聖堂(ブルゴス大聖堂)の建築
11世紀、アルフォンソ6世の時代に、城塞のある丘の麓にロマネスク様式の教会が建築されていたようですが、13世紀(1221年)には今のゴシックの大聖堂建築が開始されています。
聖母被昇天の奇跡に捧げられたこの大聖堂
はマウリシオ司教と時のカステーリャとレオンを納めていた王、フェルナンド3世により計画されています。
ラテン十字の教会は 1230年には聖堂は完成
してミサが執り行われたようですが、周りの礼拝所は13~18世紀に14の礼拝所が造られ、14世紀には回廊の上に新たな礼拝所が4つ建設されるなど、 最終的に500年近くかけて今の大聖堂の形になった
そうです。
長い年月なので様式は様々ですが、中心となるのはゴシック様式です。
今の時代のように情報伝達が速くないので、こうした建築もジワジワと欧州に広まっていますし、建築年月かかかるので地域により伝播には差があったわけです。
この聖堂は、
フランスのゴシック様式で、アミアン、ブルージュ、クータンス、シャルトル、パリ、ランスが手本
となっているそうで フランボワイヤン様式が見どころです
。
南西のサンタ・マリア門の塔とファサード
ピナクル(小尖塔)はファン・デ・コロニアル作の透かし彫りの付いた八角形で、13世紀の建築当時の姿ですが、これは修復されたものです。
バラ窓の中心は「ソロモンの印」と言われる六芒星が現されています。
諸王の廊
二つの炎状のアーチには8体の彫像がおかれ諸王の廊と呼ばれています。
どの門にもこうした装飾のアーチと彫像が置かれています。
ロマネスク建築からゴシック建築へ
ロマネスク建築からゴシックへの 転換期は11世紀末期から12世紀初頭
です。
発端はフランスのサン・ドニ修道院長
で、建築にも造形の深かった院長のアイデアで修道院付属聖堂の改築に革新的な技術が用いられた事に始まったそうです。
あまりに革新的な技術だったので小さな教会から徐々に、北フランスの国王領から各地に伝わったようです。
つまり、 ゴシック建築はフランスを発祥とする建築様式なのです
。
そしてその伝播に役立ったのはベネディクト会、シトー会、そして13世紀以降はドミニコ会、フランシスコ会など各修道会
だったそうです。
特徴は尖ったアーチ(尖頭アーチ)、フライング・バットレス、リブ・ヴォールトなどの工学的要素で、特に聖堂の壁にフライング・バットレスが使われていれば一目でわかる
ところです。
聖堂の壁を支えるフライング・バットレス(flying buttress)・・・赤
のラインで指示
聖堂裏手の北側から撮影
フライング・バットレス(flying buttress)
ロマネスク時代には側廊屋根裏に隠 されていたアーチを外張りにする事により外に膨らむ圧力を押さえて聖堂の高さをより高くする事が可能になったそうです。
同時に身廊上部を塞ぐ事なく窓をもうけられ、教会内部に明かりがとれるようになった画期的な工法
です。
身廊の聖所
フランボワイアン・ゴシック
フランボワイアン様式(火焔式)Flamboyant
フランス語で「火が燃えているような」の意
。
フランス後期ゴシックに分類されるようですが、石堀の中枠、窓や塔の装飾文様が炎が燃えるようなメラメラとした形を表現して装飾されたもの
です。
様式と言っても 建築の構造的な部分には関係無く、あくまで全体の装飾意匠
です。
サン・フェルナンド広場から右は南東の翼、サルメンタル門の上部
サルメンタル門
扉の上部のティンパヌム(tympanum)・・アーチによって区画された装飾的な壁面は1240年以前の彫刻。
キリストの説教の場面が掘られ、四福音書記者が記録し、使徒が布教し、司教が説法している事を示した門のようです。
この大聖堂で最も美しい門です。
コロネリア門
南東の翼、サルメンタル門の対角にあるのが北西の翼、コロネリア門です。
使徒の門、あるいは上門と呼ばれ建設は1250年。
この門は最後の審判を表現した門です。
コロネリア門のティンパヌム(tympanum)
西側には珍しいビザンチンスタイルで使われるモチーフです。(13世紀)
中央が審判キリスト、左に慈悲を請う聖母と右にキリストを洗礼した聖ヨハネが人間のために嘆願している姿
です。
これは 正教会のイコンに見られるデイシス(Deisis)のデザインです
。
次回こそ内部です![]()
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 5 (ブルゴス 3)
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リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 1 (巡礼)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 2 (中世の街)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 3 (ブルゴス 1)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 5 (ブルゴス 3)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 6 (ブルゴス 4)
リンク ブルゴス(Burgos)番外編 エル・シド
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 7 (レオン)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 8 (オスピタル・デ・オルビゴ橋)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 9 (オ・セブレイロ峠)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 10 (聖ヤコブの墓地)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 11 (栄光の門)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 12 (聖域、ヤコブ像)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 13 (聖ヤコブの棺、聖なる門)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 14 (ボタフメイロ・プロビデンスの眼)
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