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マルクト(Markt)とは、もともとドイツ語由来の語で、市場の意。英語圏ではマーケット(market)と翻訳されるが、現在のマーケットとは別物である。
マルクト(Markt)とは中世クラフト職人や農民、漁師に遊牧民等が商品を持ち込み売り買いする場所で、それら取引の市が建つ特定の広場をマルクト(Markt)広場と呼んでいた
。
だから中世そこそこ大きな街にはたいていマルクト広場があったのである。
どんな所か?
簡単に言えば土日に建つ朝市やフリーマーケットのようなものである。
しかし、 中世の本来のマルクト広場で買い物をするのは一般人よりもむしろ商人である。
商人がこの地方の品を買い付け、他国に売りに行ったりと仕入れをしたり、逆に他国の品を持ち込み売ったりする商品取引所の要素の方が大きかった
かもしれない。
そう言う意味で言えば、そこはマーケット(市場)と言うよりは卸売り市場であり、国際見本市的な要素もあったのである。
マルクト広場については、 2009年12月「ザルツブルク 4 (マルクト広場) 」でも紹介
しているから良かったら見てね ![]()
それにしてもベルギーは本来フランス語圏なのにフランス語のマルシェ(marché)とは呼ばない。やはりドイツ起源の売り方だからなのだろうか?
ブルージュ(Brugge) 4 (マルクト広場)
マルクト(Markt)
毛織物業のもたらした冨
マルクト広場に建つ英雄の像
ブルージュのほぼ中心には二つの広場がある。
もちろん市民のメインとなるのはマルクト(市)の建つマルクト広場であるが、隣接するようにある元フランドル伯の居城の跡地、ブルグ広場も外せない場所である。


マルクト広場
北と西・・・切妻屋根のギルドハウスが並ぶ。今はほぼレストラン。
東・・・・・・・州庁舎、その右隣は郵便局。
南・・・・・・・鐘楼(Belfort)と毛織物ホール
ブルグ広場
南・・・・・・市庁舎
西・・・・・・聖血礼拝堂
.
Vlaming streetからのマルクト広場の鐘楼
マルクト(Markt)広場は文字通り、マーケット建つ広場であるが、今回は朝市の写真はありません。
朝市は毎週水曜日に市が建つそうだが、これは956年以来の慣習らしい。
尚、全体を紹介する前に・・。天気の調子が悪く、雨と晴れの写真が混じっていますのでご了承ください。撮影はほぼ同じ日か翌日です m(_ _)m
鐘楼の下
ほぼ同じ位置から広場の中心の方を撮影
マルクト広場はどこもたいがい広いのであるが、ブルージュのマルクト広場は特に広いように思う。
写真1枚に収まらないのです ![]()
毛織物業のもたらした冨
マルクト広場の回りはギルドハウスが囲むように立ち並んでいる。
実は鐘楼自体も毛織物業者のギルドハウスの上に建てられている・ ・と言う特殊な建物なのだ
。

前に紹介したが、 ブラバントは
リンネルを特産に成功した街であるが、フランドルは羊毛産業が盛んな街
。 共にブルゴーニュ公領になった時代
、
特にハンザ同盟のおかげでブルージュの街は欧州一の景気のよい街に発展する
。
リンネルは、高級レースや高級下着などの衣料になる。
毛織物業とは、衣類も含まれるが、稼ぎ頭は、フランドル特産と言われるタペストリーの事である
。
以前(2014年01月)ブリュッセルの所 「サンカントネール美術館 2 (フランドルのタペストリー 他)」で紹介したよ
うに フランドルは羊毛を使ったタペストリーで欧州の全てのシェアを握った時代がある
。
リンク サンカントネール美術館 2 (フランドルのタペストリー 他)
上質な高級品の織物のタペストリーは13~14世紀から需要を増し、フランスのゴブラン工場に持って行かれるまでフランドルの特産品であり、外貨かせぎの物品であったのだ。
だから 今も残るブルージュの立派な建築物はその冨の証
である。
その為、この街 はわずかな大商人が街の自治をにぎっていた
。
鐘楼のバルコニーからは新しい法律などが発布され読み上げられた。
だから「マルクトの法」とも呼ばれたとか・・。
現在は州庁舎。
実はここも 1787年まで織物の屋内市場として使用されていた場所なのだそうだ。
その頃は運河もこの広場まで引き込まれていた・・と言う。
右のレンガの建物は郵便局になっている。位置的に以前はこの下までが運河であったのだろう。
真ん中の建物は19世紀に建てられたネオゴシック様式だと言うので、左の一部建物を除いては後に建て替えられた物のようだ。
現在中に観光案内所とちょっとした美術館が併設されている。
観光馬車がいると華やか![]()

鐘楼の上から北側 地図でA
マルクト広場に建つ英雄の像

マルクト広場の中心には ブルージュの英雄ヤン・ブレーデル(Jan Breydel)とピーテル・デ・コーニンク(Pieter de Coninck)の像が建っている。
自由都市だったブルージュが完全にフランスの支配下になってしまった時代。
1302年フランス支配に逆らうように市民が立ち上がる。(黄金の拍車戦争)
この時市民を指揮したのが銅像の二人だそうだ。
因みにこの戦いはとりあえず市民が圧勝したが、その後再びフランスに制圧される。
.
ブルージュが盛況になるのは、ヴァロア・ブルゴーニュの時代に入ってからだ。
特にヴァロア・ブルゴーニュ3代目君主、フィリップ3世(Philippe III)こと、フィリップ善良公(Philippe le Bon)(1396年~1467年)の時代は最盛期と言ってよい。
毛織物に引っかけて、1430年、金羊毛騎士団が誕生している。創設者はフィリップ善良公である。
切妻屋根のハウスはフランドル独自の形式を生んだという。
ブリュッセルのグランプラスとは違いこちらはほぼカフェ・レストランです。
鐘楼の上から西側 地図でB
とにかく広い。
地図のB側
ここでほぼ360度回ったのでおわります。
次回ブルグ広場予定。
リンク ブルージュ(Brugge) 5 (ブルグ広場 1)
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