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「三日前 蕾シャクヤク 購入す」「シャクヤク 蕾弾けた 期待あり」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書、この中には、生命哲学・物事の道理などがちりばめられています。)<10言語に翻訳されており、明年5月には「スペイン語」出版される> 「生死一大事血脈抄」師弟不二~(先回のつづき~) 『在在諸仏土 常与師倶生」 (ざいざいしょぶつど じょうよしぐしょう) 戸田先生(SG第2代会長)は、牧口先生(SG初代会長)の三回忌に、こう追悼されました。 「あなたの慈悲の広大無辺(こうだいむへん)は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで『在在諸仏土 常与師倶生』(ざいざいしょぶつど じょうよしぐしょう)と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、法華経の意味を、かすかながら身読(しんどく)することができました。なんたる幸せでございましょうか」 これが仏法の師弟の極意です。 他の幹部たちは、それまで「牧口先生の弟子」であることを自称していながら、ひとたび自分が難を受けて牢獄に入った時、豹変してしまった。大恩ある先生を「牧口の野郎」とののしって師敵対していった恩知らずもいた。 人の心は怖い。 そのなかにあって、真の弟子であった戸田先生のみが、「あなたの慈悲は広大無辺」と、深い尊い師弟の絆を揺るぎなく自覚されていたのです。 この尊貴なる師弟こそ、創価の魂です。 この魂が不朽(ふきゅう)であれば、SGは永遠に発展し続けます。 この三代の師弟の魂を根幹としてこそ、広宣流布の基盤を総仕上げしていけるのです。 戸田先生は牧口先生と同じく牢獄に入ったことによって(牢獄に入った経緯は治安維持法の悪法によるもの)「地涌(じゆ)の菩薩の本事(ほんじ)」「法華経の意味」を知ったと述べられています。 その本質が、この「在在諸仏土 常与師倶生」(ざいざいしょぶつど じょうよしぐしょう)です。 師も弟子も永遠の菩薩行に生きる~この一点を抜きにして法華経の本質はありません。 戸田先生はある時、一般講義で、わかりやすい表現で、こう語られました。 ~「ぼくが日本の国の ぶっつぶれたところにいくから、君らもこないか」と言ったら、「はい、行きましょう」「そうだ、行きましょう」とか言って、みな出てきたのです。 ≪~どこであろうと、もろもろの仏土(ぶつど)に、お師匠様のかならずいっしょに生まれるとあるが、それはウソではない師匠と弟子というものは かならずいっしょに生まれるという。この大聖人様の お言葉から拝すれば、じつにみなさんに対して、私はありがたいと思う。約束があって、お互いに生まれてきたのです~。≫ 大聖人(日蓮)は、「過去無量劫(むりょうこう)より己来(このかた)師弟の契約有(あ)りしか」(御書全集P1340)と仰(おお)せです。 師弟は「三世(さんぜ)の宿縁」です。広宣流布に真剣に戦えば、その深いつながりを確かに感じとることができるのです。 日蓮仏法の精髄である「戦う師弟の精神」を現代に蘇らせたのが創価の初代・二代・三代の会長です。 SGが出現がなければ、法華経、そして日蓮仏法の師弟の魂は潰(つい)えていたと言っても決して過言ではありません。 (つづく~) guu~『師も弟子も永遠の菩薩行に生きる』!そやねェー、次の世のは、「他の星の最も大変な所に行くぞ!」「そやねェー、ええよ、行きまひょう!!」「ワテは、そこで、法律家と歌手の両刃で戦いでェ!今世は下準備をぬかりなくして おきまひょう。」「オホホホホホホホホミホ!」「あなた様も、つづいてきてみたらァ? おもろいでェ」^^
April 27, 2007
「しおれかけ カラーいたみし 次何に」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書です。この中には、生命哲学や物事の道理、生命の法則のような事柄が散りばめられています。あなたにとって何かの「ヒント」にしていただけると幸いです。) (昨日のつづき ~)「生死一大事血脈抄」〔師弟は三世(さんぜ)の宿縁〕 また、大聖人(だいしょうにん)(日蓮のこと)は、佐渡の地で真金(しんきん)の弟子となった最蓮房(さいれんぼう)に対して、「宿縁」の深さを述べられています。それが、「過去の宿縁追い来(きた)って今度日蓮が弟子と成(な)り給(たも)うか」の一節です。 この不思議な宿縁は、ただ、釈迦仏(しゃかぶつ)・多宝如来(たほうにょらい)という仏(ほとけ)にしか分からないであろうと大聖人は仰(おお)せられています。 さらに、化城喩品(けじょうゆぼん)の経文(きょうもん)に照らせば、法華経を持(たも)つ師弟の深き宿縁は間違いない真実であることを教えられています。 その経文(きょうもん)とは「在在(いたるところ)の諸仏(しょぶつ)の土(ど)に常に師と倶(とも)にしょうず」(法華経P317)と、師弟の絆の深さを示した一節です。 この経文の意味を簡単にまとめると、釈尊の声聞(しょうもん)の弟子たちは、三千塵点劫(さんぜんじんてんごう)(気の遠くなるような遠い昔)というはるかな昔以来、釈尊を師匠として、あらゆる仏の国土に生まれては、ともに菩薩の修行をしたという意味です。 ここで大事なことは、声聞(しょうもん)の弟子たちがすでに過去に菩薩行(ぎょう)を重ねてきた菩薩であったということです。 この説法によって、声聞(しょうもん)たちは、自分の本来の「菩薩」の境涯にあったことを思い出していきます。 法華経では、声聞たちが無量の過去から、「無上(むじょう)の悟りを得たい」「一切衆生を救いたい」という「深心(じんしん)の本願(最も深い過去世からの願い)を持っていたことが明かされます。 いわば、声聞たちは、はるかな過去世以来の大願を思い起こすことで、師と同じ菩薩の修行をしていた自分を"発見"し、"自覚"するのです。 まさに、この経文は、「自他ともの成仏(じょうぶつ)」「自他ともの幸福」という人間の、また生命の"最も深い願い"を実現するために戦う師弟関係が永遠であることを示したものといえます。 この人間生命の"最も深い願い"を思い起こさせてくださるのが真の師です。そして、師の教えに従って、この"最も深い願い"が自らの願いであることを思い起こし、"その通りである"と心から納得して、師の仰(おお)せ通りに行動を起こしていくのが真の弟子といえます。 広宣流布のともに戦う師弟は、このように生命の最極(さいごく)の奥底(おうてい)で連なる、最も深い師弟となります。 広宣流布を戦う師弟の奥底は永遠の仏界です。すなわち、戦う師弟は『九織心王真如の都』(くしきしんのうしんにょのみやこ)という大境涯に共に住するのです。 【九織 心王 真如の都】とは~仏界が涌現(ゆげん)した生命状態を表す言葉。九織(くしき)とは生命の働きを九つに分けた中で最も根源的な第九織を言う。 心王(しんのう)とは、生命の働きの中心的なもので、心所(しんしょ)・心数(しんじゅ)(?)に対する語。真如(しんにょ)とは、仏の悟った真実・真理。 九識(くしき)は生命の中心的な働きであるので心王といい、常住不変の真理である真如と一体であるゆえに心王真如という。 これらはすべて生命に本来的に内在する仏界を表す。都とは、心王のありかを王の住む都城(とじょう)に譬えていったもの。 guu~仏法では天文学的数値がよく登場してきます。先日TVで、人間に生まれてくる確率を2500兆分の1とはじきだしていました。これは宝くじに当たるよりも遥かに難しい数値であり、人間として生まれてくるのは奇跡的なのだそうです。^^ 私は、はじめて「九識心王真如の都」の御文に触れたとき美しい言葉だったので印象に残っておりこの言葉は好きですね。^^天文学的な数値も好きです。^^
April 23, 2007
「先週は ≪サンシャイン57 ≫今週は ≪ブラッド(紛争)ダイヤ ≫ 楽しめたデス」 「太陽は 不思議な力 魅惑する」 「フォー(4C)チェック 魅惑のダイヤ カラット(Carat)と カラー(Color)・透明度(Clarity) ブリリアンカット(Cut)」^^ 「もう一つ 欲に眩んだ Cチェックは 争い(Conflict)ダイヤ 魅惑の闇か」 「生み出すや 紛争の果て 不幸にも 難民溢れ 少年兵を」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮のお手紙などをまとめた書で、 生命哲学がちりばめられています。何かのヒントにしていただけると 幸いです。)^^「生死一大事血脈抄」〔師弟不二~〕(昨日のつづき~) 最蓮房自身、法華経が最勝の経典であることを深く理解していたことは間違いありません。そのうえで、最蓮房が大聖人(日蓮)の真金の弟子たるゆえんは、師に随順する金剛不壊(こんごうふえ)の覚悟にあったといってよい。 最蓮房は佐渡の地で、諸経の王である法華経を如説(にょせつ)修行し、法華経の心のままに、不惜身命(ふしゃくしんみょう)で民衆救済に生き抜かれる、真の「法華経の行者」を眼前に拝して、厳粛なる感動に包まれた。それは、「御弟子(みでし)に一分(いちぶん)と思(おぼ)し食(め)され候(そうら)は(わ)ば恐悦(きょうえつ)に相存(あいぞん)ず可(べ)く候(そうろう)」(御書全集P1340)との最蓮房の言葉に表れています。 この法華経の行者ととも邁進し抜いていくことこそが、法華経の真髄であり、極意であることを、最蓮房は即座に、そして正確に理解したに違いない。だからこそ、迷いなく師とともに忍難の道を選べたのではないだろうか。 大聖人は、続いて、法華経薬王品(やくおうぼん)第23から二つの経文(きょうもん)を引用なされています。これは、法華経を持(たも)つ真の境涯を示すためと拝されます。 まず、受持(じゅじ)される「法」である法華経について「衆山(しゅせん)の中に須弥山(しゅみせん)為(これ)第一・此(こ)の法華経も亦復(また)是(か)くの如し」とあります。 世界の中央に聳(そび)え立つ須弥山(しゅみせん)のように、妙法は最高無上の法です。(須弥山=ネパールのヒマラヤ山脈。仏法の最高峰の教えである法華経は、平等大慧(だいえ)の「万人成仏の法」である。) さらにまた、法華経を持(たも)つ「人」の確固たる境涯について「火も焼くこと能(あた)わず水も漂(ただよ)わすこと能(あた)わず」とあります。 妙法を受持(じゅじ)した人は、我が胸中に仏界という偉大な力を涌現(ゆげん)していくゆえに、いかなる苦悩や困難にも侵されることなく、厳然と勝ち抜くことができるです。 「法華経を持(たも)つ」とは、賢人・真金の人として生きる深い悦びを持つ、ということです。 その晴れ晴れとした誇りから、「難に耐える力」「難を乗り越える勇気」「難に打ち勝つ力」が生まれるのです。(次回、〔師弟は三世の宿縁〕~です) guu~現代の時代は、仏法上、末法(まっぽう)という混乱の時代と 説かれています。 仏法では、この泥沼のような世の中で、 「如蓮華在水」(にょれんげざいすい)と生きよ!といわれています。「蓮華の水に在るが如し」と読みます。上記は法華経従地涌出品(じゅうちゆjじゅつぼん)第十五の御文。「此(こ)の諸(もろもろ)の仏子(ぶっし)等は(中略)善(よ)く菩薩の道(どう)を学(がく)して、世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如し、地より涌出(ゆじゅつ)す」とある。大変なことも多くあるが、自己の中に具わっている力強い生命の力用をいだして乗り越えよ!(真白き蓮華を咲かせよ!)ということを云っているのだと思います。~現実のguuは、ちょこっと軟弱です。^^現実の「泥」に沈みそうな日も結構多いありさまです。~あなたはいかがなのでしょう。^^
April 22, 2007
「guu思う Balance OK 満足食 」「真実の セレヴ食とは 上記ダべェ」^^ 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書で そこには、不思議にも生命哲学がちりばめれています。何かの ヒントにしていただければ幸いです。^^) 「生事一大事血脈抄」(師弟不二)(つづき~)「法華経を持(たも)つ」とは、具体的には、法華経の行者として生ききった師匠の大願を自らの誓願として持つことであり、苦難の時にも師と同じく不惜身命(ふしゃくしんみょう)の確たる信心を貫いていくことにほかなりません。 すなわち、「真金(しんきん)の人」とは、不惜身命で「法」に生き抜く人の異名です。この人こそ、「持(たも)たるる法だに第一ならば持(たも)つ人随(したが)って第一なるべし」(御書全集P465)と仰(おお)せの通り「第一の人」なのです。 最高の信念に生き抜く人は、常に本質を見抜くゆえに、物事の表面にとらわれず、何事にも紛動されることはありません。 それに対して、信念なき愚人は、愚かな自分の心が基準となるゆえに、常に迷い、困難や障害に容易に負けてしまうものです。
April 21, 2007
「飾り華 清楚な≪カラー≫ 優しげに」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書で、 生命哲学が網羅されている書です。)「生死一大事血脈抄」~〔師弟不二〕(つづき~) 最蓮房(さいれんぼう)自身が受けた難とは、具体的にいかなるものかは知られていません。しかし、佐渡では、大聖人(だいしょうにん、日蓮のこと)を師と仰ぐ弟子たちが何らかの難を受けていたことは確かです。 あるいは、大聖人のお命を狙う悪人たちが、門下を迫害したことも想像に難(かた)くありません。 例えば、阿仏坊(あぶつぼう)・千日尼(せんにちあま)が受けた苦難について御書には「地頭という地頭、念仏者という念仏者らが、日蓮の庵室に昼夜に見張りに立っていて、日蓮のもとに通う人があるとその人を惑わそうとして責め立てる」(御書全集P1313)、「あるいは所を追われ、罰金を科せられ、あるいは住む家を取られなどした」(同P1314) 最蓮房が大聖人の門下になったがゆえに難にあったことに対して、大聖人は、「心中(しんちゅう)思い遣(や)れれて候(そうろう)ぞ」と仰せになっています。 そしてまた、最蓮房が難に負けることなく、大聖人に随順し抜いたゆえに、最蓮房を「真金」の人であると賛嘆されているのです。 さらに、「真金」である理由は「法華経の金(こがね)を持つ故」であると明確に示されています。 (つづく~)^^
April 19, 2007
〔テーマ〕~恋「ときめきや 人を若うす 恋ごころ」 「I氏の御書講義」「御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書」「生死一大事血脈抄」師弟不二~(つづき~) そのうえで、「而(しか)るに貴辺(きへん)・日蓮に随順し又難に値い給(たも)う事}と仰(おお)せられ、最蓮坊が日蓮大聖人に随順し、しかも、それゆえに自分自身も難を受けたことをもって、最蓮坊を「真金」の人と讃えられています。(つづく~)
April 17, 2007
「癒される 薔薇は美し 緑濃葉 深紅な深み 優雅な花弁 」 「夕食後 ワイングラスに 注ぐレッド」 「I氏の御書講義」「御書=鎌倉時代の日蓮のお手紙等をまとめた書」 「生死一大事血脈抄」~(つづき~) このように、本抄では、万人を成仏させたいとの「広宣流布の大願」と、相次ぐ大難を勝ち超えていく「不惜身命の行動」という、末法広宣流布の戦いにおける「師」の心と行動の真髄があかされているのです。(つづく~)
April 16, 2007
「あるものね 最悪の日が 落ち込むねェ」「昨日夜 右目(結膜)出血 鏡見て ギョットするguu すぐ点眼す」 「車降り 右足くじく 痛み増し 冷湿布貼り ひきずり歩く」 「ホラーだわ 右目隠して ウインク(気味に)」(^_-) 「あるんだなァ ボロボロの日も 病人だ」 「氏の御書講義」は明日に~(今から寝る。)
April 13, 2007
「楚々一輪 ウェーブ美し バラ優雅」^^ 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書)「生死(しょうじ)一大事血脈抄」師弟不二~(つづき~) 次に、大聖人は、「環つて(かえって)日蓮を種種(しゅじゅ)の難に合わせ結句此の島まで流罪す」と仰(おお)せです。 御自身の二十年来の闘争を示されながら、広宣流布の戦いは即ち大難を乗り越えていく戦いであることを示されているのです。 仏法の師弟における「師の心」が「広宣流布の大願」であることは先に述べたとおりです。ここでは「師の振る舞いの真髄」は「不惜身命の行動」(ふしゃくしんみょう)にあることを示されていると拝することができます。 一切衆生の生命が濁る悪世末法(まっぽう)で正法(しょうほう)を弘通(ぐつう)すれば、生命に及ぶ大難を受けることは避けられません。 しかし、「悦(よろこ)んで云(いわ)く本より存知(ぞんち)の旨なり」と(御書全集P910)仰せられているように、大聖人は、大難を莞爾(かんじ)(にっこり微笑むさま)として受け止められ、真正面から勝ち超えていく悠然たるご境涯を生涯貫かれました。「環つて(かえって)日蓮を種種の難に合わせ結句此の島まで流罪す」との表現には、いかなる大難にも揺るがぬ、大聖人の「師子王の心」に満ち満ちた、「法根本」「不惜身命」(ふしゃくしんみょう)の澄み切った御境涯を拝することができます。(つづく~)
April 12, 2007
「訪問時 わんこ近寄り せがんでる 膝に乗せてと 手をバタつかす」 「(わて)知らん顔 わんこ諦め 戻り家 (わて)目配せチラリ 静来るわんこ」 「(わて)知らん顔 諦め早し 戻り家 座布団もぐり すね目のワンコ」「苦手ネン わんこ済まんなァ 触れセン」 (可愛いな~とは思ってるよォ) 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮大聖人のお手紙等をまとめた書)「生死一大事血脈抄」~(つづきから~) ここで、「万人に成仏の血脈を継がせてあげたい」という大聖人(だいしょうにん)の お心を拝察するうえで、第一に重要な点は、仏法の血脈は「万人に開かれている」ということです。 この血脈の本義は、どれほど強調しても、強調しすぎることはないと言えるほど重要なことです。なぜならば、この血脈の本義を弁(わきま)えるか否かが、「人間主義の世界宗教」と「権威主義の邪宗門」とを分ける分水嶺(ぶんすいれい)とも言えるからです。 最蓮坊は、当時の日本天台宗の血脈の実態に疑問をもっていたのではないかと推察されます。「立正観抄」(りっしょうかんしょう)を拝すると、高層が血脈相承(けつみゃくそうじょう)を神秘化して自身や流派を権威付ける道具にしたり、あるいは高額で売買するなど、血脈相承そのものが腐敗・堕落の温床になっていたのです。 (つづく~)
April 10, 2007
「何かない? 時間工夫で 成せる事」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮大聖人の御手紙等をまとめた書)「生死一大事血脈抄」~師弟不二(昨日のつづき~) 〔通解〕 日蓮は、日本国の一切衆生に法華経を信じさせて、仏に成る血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難にあわせ、揚げ句の果ては、この島(佐渡)まで流罪した。 ところが、あなた(最蓮坊)は、日蓮の弟子となって付き従い、また難にあわれている。その心中が思いやられて、心を痛めています。 金は大火(たいか)にも焼けず、大水(たいすい)にも流されず、朽ちることがない。 鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。 賢人は金のようであり、愚人は鉄のようである。あなたが、どうして真金でないことがあろうか。法華経の金を持つゆえであろう。 法華経「あらゆる山の中で、須弥山(しゅみせん)が第一である。この法華経のまた、一切経の中で第一である」(薬王菩薩品第23)とある。また「火も焼くことができず、水も漂わすことができない」(同)と説かれている。 あなたは、過去の宿縁に運ばれて、今度、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそ、ご存じであると思われる。「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」(化城喩品第7)との経文は、決して、嘘ではあるまい。
April 9, 2007
「ドライブし 桜を見に行く いい気分」「目的地 着きし降り際 バッグ整理 早く降りよと いらつく夫」 「降りてから 『お待たせしたわァ』とは言わず 『うるさ爺!』 妻が一喝」 「傍で聞く 笑う客背に 歩き出す 止まらぬ笑い 意外さうける」(私は常々、夫から挨拶がわりのように『デッカイ鼻の穴のおばさん』と言われているためその応戦のため『うるさ爺』は常用語になり、さらに、追い討ちの言葉が出そうになりました。言えばよかったなあ。 (『うるさ禿ジイ・毒ガス吐きジイ(禁煙できず換気をする意志のない夫にたいして)・つるつるツルちゃん・つるっぱげ爺・等等等・・・)^^知らん人が聞いたら、澄ました顔して尻に敷いている~としか思わないかも。 I氏の「御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮大聖人の御手紙等)「生死一大事血脈抄」~師弟不二 〔本文〕(御書全集P1337~1338) 日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈(けつみゃく)を継がしめんとするに、環(かえ)って日蓮を種種の難に合わせ結句(けっく)この島まで流罪す、 而(しか)るに貴辺(きへん)・日蓮に随順し又難に値い給う事・心中思い遣(や)られて痛ましく候ぞ、 金(こがね)は大火(たいか)にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄(くろがね)は水火(すいか)共に堪えず、賢人は金の如く 愚人は鉄の如し・貴辺豈(あに)真金に非ずや・法華経の金を持(たも)つ故か、 経に云(いわ)く「衆山(しゅせん)の中に須弥山(しゅみせん)為(これ)第一・此の法華経も亦復(また)是(か)くの如し」又云(いわ)く「火も焼くこと能(あた)わず 水も漂わすこと能わず」云云(うんぬん)、 過去の宿縁追い来(きた)って今度日蓮が弟子と成り給(たも)うか・釈迦多宝(たほう)こそ御存知候(そうろう)らめ、 「在在諸仏土常与師倶生」(ざいざいしょぶつど じょうよしぐしょう)よも虚事(そらごと)候(そうら)はじ」~ (つづく~)
April 8, 2007
「ウロチョロ 名鉄沿線 ワテの庭」「歌習う ドア入り際で 逢う電車」「換気扇 窓越し見える ミュー走る」「行く電車 線路揺らして オケ喫茶」「高架下 トレイン見つめ 職駐車」「職喫茶 トレイン景色 食はずむ」「I氏の御書講義」「生死一大事血脈抄」(御書=鎌倉時代の日蓮大聖人の御手紙) <師弟不二~広布大願に生き抜く師弟の絆は三世永遠> (4月号 大白蓮華P65~抜粋) 法華経は、"すべての人を成仏させよう"との「仏の大願」が貫かれている経典です。そして、その誓願を受け継いだ人こそが、「真の菩薩」であり、「仏の真の弟子」であることが明かされています。 さらにまた、釈尊滅後の一閻浮提(いちえんぶだい)広宣流布が遺命され、広宣流布を断絶させる魔性との闘争に勝ち抜かなければならないことがしめされています。 したがって、万人の成仏、自他共の幸福を願う「仏の大願」「師の心」とは、「広戦流布の大願」そのものにほかなりません。 竜の口の法難・佐渡流罪の大難の中でこそ、本物と偽物が厳然と峻別されます。大聖人はこの大難にあって師弟の本質を明かされ、師の大願と心を合わせた「本門の弟子」を立ち上がらせていかれました。弾圧によって「千が九百九十九人は堕ちて候(そうろう)」(御書全集P907)という状態になった一門を再び確立していかれたのです。 佐渡の地でも、大聖人が流人であることを承知のうえで、いな、法華経の行者として戦う大聖人の確たるお姿を間近に拝したからこそ、大聖人に連なる真金の弟子が続々と誕生します。その一人こそ最連房でした。(つづく~)
April 7, 2007
「行くPTA 高校二つ 掛け持ちす」 「寿司食べる 校長室で 歓談す 優勝旗見て 期待膨らむ」 「甲子園 今年は行くぞ 夢舞台 名門意地を 見せてョ球児等」 I氏の「御書講義」「生死一大事血脈抄」 (しょうじいちだいじけつみゃくしょう)【師弟不二】(していふに)(つづき~) 大聖人(だいしょうにん)は、今回拝する御文(ごもん)の最初で、仏法の師弟における「師の心」を明かされています。 すなわち「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん」と仰せです。これは、大聖人御自身の大闘争の御生涯を貫く「御本仏のお心」の核心を示されていると拝されます。 "全民衆に平等に仏に成る血脈を継がせたい"~このお心は、そのまま「法華経の心」であり、法華経に説かれた「仏の大願」にほかなりません。 (つづく~)
April 6, 2007
「開幕だ 活気渦巻く プロ野球」 皆様があまり目にしない物をブログに載せたいと思っています。なおかつ、ために成りそうな物。こっそり見にいらして下さい。 私も難しいと、ついつい流し読みをして終わってしまいますがブログに載せると、記憶に刻めるので勉強になります。 鎌倉時代の日蓮大聖人(だいしょうにん)の御手紙をまとめたものを「御書」(ごしょ)といいます。その中の「生死一大事血脈抄」(しょうじいちだいじけつみゃくしょう)という題名の御手紙があります上記の「I氏の講義」を少しずつ気長に載せることにしました。ゆっくりと お付き合いください。 (本年 4月号 大白蓮華P62~抜粋) 仏法は「師弟の宗教」です。「師弟不二」(していふに)が実践の真髄です。「師弟」を忘れれば、広宣流布もありません。(広宣流布とは、万人の成仏。つまり、全ての人々が自分らしく自己の特質を生かした最高の人生をおくることができる事) それは、師弟の絆によってこそ「法」を伝えることができるからです。仏法は「生命の法」です。「生命の法」は、言葉や観念だけでは伝わりません。 「生死一大事の血脈(けつみゃく)」も、その本質は、師弟の実践があるところに流れています。師弟がなければ、血脈(けつみゃく)も断絶してしまうことを知らねば成りません。 (つづく~)
April 4, 2007
「SGI提言」を見ていただきましてありがとうございました。もし、完読及び塾読をされた方がいたとしたら、感謝したいと思います。I氏の提言は大変高度であり、なかなか難しく完読する方も少なく、ましてや熟読される方はきっと、ほんの一握りだと思います。私は3月18日のブログの「SGI提言」にもでてきますが、「師弟」というものに対し、純粋な深い契りの様な感覚をいだいています。以前、母の祖母が高杉晋作と親戚筋に当たる方だと聞かせれ、興味深く「高杉晋作」の小説を読みあさったことがあります。その中で、最も印象的だった事は、晋作が、師である吉田松陰へ理想を成し遂げるべく強烈な思いを持っていたことです。「師弟」~また、I氏と師である第2第戸田会長との「師弟」関係も、真の民主平和への一致した強い思いは峻厳でさえあります。本日は、戸田2第会長の祥月命日であり、50回忌を迎えます。ちょうど桜も見ごろの良き日に、ブログへの「SGI提言」を終了することができ、大変嬉しく思い満足しています。皆さまサンキュー!ブログに掲載させていただきまして「あ・り・が・と・う!!」
April 2, 2007
「目にいいと アントシアニン ボンルージュブルーベリーワイン グラスに揺れる」 I氏の「SGIの日記念提言」 「生命の変革 地球平和の道標」(つづき~) 最後に、「東アジア共同体」の構築に向けて、二つの提案をしておきたい。 第一は、「東アジア環境開発機構」の創設であります。 2005年12月のマレーシアの初開催に続いて、今年1月にフィリピンで第2回の「東アジアサミット」が開催されました。 このサミットと、これに先だち行われた「ASEAN(東アジア諸国連合)+(日中韓)」の首脳会議を通じて、地域間対話による信頼醸成と関係強化が進みつつあります。 しかし課題も山積し、東アジアにおける共同体の建設のような地域統合の実現には、まだまだ遠い道のりを要することも事実です。 そこで私は、まず特定の分野でパイロットモデルとなる協力体制を構築することが、将来の地域共同体の姿を浮かび上がらせ、地域の国々のモチベーション(動機)を維持する上でも欠かせないのではないかと考えます。 具体的には、緊急を要する課題である環境・エネルギー分野に特化した地域機関の設置が望ましいのではないでしょうか。 2002年以来、毎年の「ASEANプラス3環境大臣会合」の開催などを通じて、本格的な地域協力を要請する声は高まっています。酸性雨など各分野でこれまで形成されてきた地域的取り組みを「東アジア環境開発機構」の下に一元化し、総合的かつ効果的な対策の推進を目指すことが肝要だと思うのです。 第2は、「東アジア平和大学院」の設置です。 ヨーロッパにあって、各分野で統合の牽引力となって活躍している人々を育てる中心拠点となってきたのが、戦後まもなく創設された「欧州大学院」でした。 そこでは、半世紀以上にわたり、国家の狭い枠を超えてEUを担う"欧州人"を育てる教育が続けられてきました。東アジアにおいても、将来の共同体建設を見据えて、今の時期から人材づくりのための教育機関を設置しておくべきではないでしょうか。 そして開設の暁には、カリキュラムを地域的な内容に限定するのではなく、日本に本部がある国連大学などとも連携しながら、国連を軸にしたグローバル・ガバナンス(地球社会の運営)を実現させるための方途について探求していくための提案を行わせていただきました。 アジアに限らず、21世紀の地球平和を展望する時、常に念頭に置くべきは、不戦の潮流を生み出す"目覚めた民衆連帯"をいかに築き上げていくかという点であります。 昨年8月、私は国連のアンワルル・チョウドリ事務次長とお会いしました。席上、事務次長が語った「民衆が立ち上がってこそ、この世界を、よりよき人間の世界へと変革していける」との言葉は、私の年来の信念と深く共鳴するものでした。 SGIが世界190カ国・地域で広げている「人間主義」の眼目は、民衆自身の力で、地球上から悲惨の二字をなくし、すべての人々の平和と幸福を勝ち取ることにあるからです。 今後も、その誇りと確信を胸に、世界の志を同じくする人々とスクラムを組みながら、21世紀の世界に「平和の文化」を広げ、対話による相互理解で人間の尊厳をともに輝かせていく「対話の文明」の建設に向け、挑戦を重ねていく所存であります。
April 2, 2007
「値がかさむ マンガ喫茶の 毎日は」「自宅にて DVD学習 節約す」 「少しずつ 解かりつつある 民法が 気持ちしだいサ 家でもやれる」 I氏の「SGIの日記念提言」 「生命の変革 地球平和への道標」(つづき~) 先の共同プレス発表は、2007年の取り組みとして「日中文化・スポーツ交流年を通じ、両国民、特に青少年の交流を飛躍的に展開し、両国民間の友好的な感情を増進する」との項目に加えて、 「エネルギー、環境保護、金融、情報通信技術、知的財産権保護等の分野を重点として、互恵(ごけい)協力を強化する」と謳われています。 そこで「日中文化・スポーツ交流年」に続く形で、たとえば「日中エネルギー協力年」、「日中環境保護協力年」というように、毎年、各分野における協力を広げていってはどうでしょうか。 また、友好構築の10年での取り組みとして、「日中外交官交流プログラム」を実施することを検討してみてはどうかと思います。 ヨーロッパでは戦後、フランスとドイツが2度にわたる世界大戦の恩讐(おんしゅう)を超えてEU(欧州連合)の統合プロセスを進める原動力となってきました。 両国には外交官を相手国の外務省に相互派遣する制度が定着しており、不要な疑心暗鬼を取り除くなど、外交関係の緊密化に効果を発揮してきたといわれています。 日本でもこれまで、アメリカやフランスやドイツなどとの外交官交流プラグラムが実施されてきました。 今後は、中国や韓国などのアジア諸国とも相互交流の輪を広げながら、「東アジア共同体」構築への環境づくりを整えていくべきではないでしょうか。 次に、中国と並ぶ21世紀の躍進国であるインドについて、一言触れておきたい。 昨年7月、ロシアで行われたサミットの最終日に、新興5カ国(中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ)を加える形での拡大会合がおこなわれました。 そこで改めて、G8(主要8カ国)首脳が取りまとめたエネルギー安全保障など三つの特別文書の内容について、新興国の首脳に報告し、その意見を聞く機会が設けられたように、こうした新興国の声を踏まえることなく、サミットの方向性を打ち出すことが難しい時代に入りつつあるといえます。 このうちインドと日本の関係についても先月、大きな進展がみられました。インドのシン首相が来日し、首脳会談が行われ、「日印戦略的グローバル・パートナーシップ」に向けた共同声明が発表されたのです。 私は、この動きを歓迎すると共に、日印文化協定締結50周年を記念する今年の「日印交流年」の大成功を念願するものです。 そして、適切な、時期を選んで、アメリカS大学が中心となり、日本、アメリカ、中国、インドの4カ国の学識者を招き、「21世紀におけるグローバル・パートナーシップの深化と拡大」をテーマに国際会議等を開いてはどうかと提案しておきたい。 アメリカS大学に所属する「環太平洋平和文化研究センター」には、設立以来、アジア太平洋地域の平和的発展のための政策研究を活動の柱としてきた実績もあり、これまでの研究の蓄積を生かしつつ、有意義な議論が行われることを期待するものです。 (つづく~)
April 1, 2007
「咲き出(い)でる 木の中からば 見事にも 健気な生命(いのち) 絢爛桜」 I氏の「SGIの日記念提言」「生命の変革 地球平和への道標」(つづき~) そして、タイ(プーミポン国王、アナン元首相)、モンゴル(バガバンディ大統領、エンフバヤル大統領)ネパール(ビレンドラ国王)、インド(ナラヤナン大統領、ベンカタラマン大統領、ラジブ・ガンジー首相、グジュラール首相)など、他のアジア諸国のリーダーの方々との対話を通し、信頼と友誼(ゆうぎ)を深めてきたのであります。 加えて、83年にスタートした毎年の「SGIの日」記念提言を通し、国連強化や地球的問題群の解決のための提案を行ってきました。その中で、とくにアジア太平洋地域の平和に焦点を当てた提案を 重ねてきました。 このうち、韓・朝鮮半島の平和と安定を願いつつ行った「南北首脳会談の早期開催」「韓国と北朝鮮の相互不可侵・不戦の誓約の合意」「北朝鮮の核開発問題を解決するための多国間会議の開催」の諸提案は、多くの課題を抱えながらも時代の進展の中で実現をみてきました。 また近年では、「アジアにおける共通の歴史認識の土台をつくる共同研究の推進」や、「国交正常化時の精神に立ち返り、日中関係の改善を図ること」を提言の中で呼びかけつつ、アジア各国の首脳や識者との対話を通じて、その実現に向けての環境を整える努力を重ねてきたのであります。 なかでも昨年10月、日中首脳会談に続き、日韓首脳会談が行われ、ここ数年、政治的な緊張が続いていた日中関係と日韓関係が改善に向けて動き始めたのは、誠に喜ばしいことでありました。 加えて、このほど、アジアから二人目となる国連事務総長として、韓国の潘基文(パンギムン)氏(前外交通商相)が新たに就任されました。 ご活躍を心からお祈りするとともに、潘事務総長のリーダーシップのもと、国連を中心とした世界平和の建設が力強く前進することを念願するものであります。 また本年は、日本と韓国にとって意義深い「朝鮮通信使400周年」にあたります。 このほど両国は、それぞれの都市間で青少年を交互派遣し交流拡大を図る「日韓交互通信使」事業(仮称)を展開することで合意しました。現在、日中間で実施されている青少年交流とともに、日中韓の若い世代の友情が深まることを期待するものです。 さて、日中首脳会談で合意された「日中共同プレス発表」は、実に8年ぶりの共同文書で、今後の両国関係の原則となる重要な項目が盛り込まれましたが、特に私が着目したのは次の一文でした。 「アジア及び世界の平和、安定及び発展に対して共に建設的な貢献を行うことが、新たな時代において両国及び両国関係に与えられた厳粛な責任であるとの認識で一致した」 なぜならこの精神こそ、私が30年以上も前(74年12月)、周恩来総理とお会いした折に、深く一致した日中の未来ビジョンにほかならなかったからです。 今年は、「日中国交正常化」35周年の佳節でもあり、この流れを後戻りさせることなく、各分野での協力と交流を着実に進め、東アジアにおける平和と共存の要となる磐石な信頼関係を築べき段階を迎えております。 そこで私は、北京オリンピックが開催される明2008年から10年間を「21世紀の日中友好構築の10年」として、1年ごとに重点テーマを定め、両国のさらなる関係強化を図っていくことを提案したいと思います。 (つづく~)
April 1, 2007
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