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〔都々逸風~〕「給料前に かたずけ野菜 なんでもカレー 節約す」(>・) 〔都々逸の心~〕・今日は買い物せず、カレーでまに合わせよう。・じゃがいもが切れているので長いもをいれたろォっと。^^・肉も切れてるからずっと前に冷凍しといた、餃子の中身を つっこもっと。^^・後はレギュラー野菜。・ここんとこは冷蔵庫が綺麗ですねェ。 〔第34回「SGIの日」記念提言〕SGI会長I氏~ 抜粋つづき~ なぜなら、指摘するまでもなく、資本主義のもたらす弊害を除去するために、社会主義が標榜(ひょうぼう)した「平等」「公正」等のスローガンは、国内的にも国際的にも、まさしく「人道」、ヒューマニズムに立脚した理念以外の何物でもないからであります。制度としての社会主義の失敗ともども、それらおも葬り去ってよいものでは、決してない。そうであっては、なぜ社会主義運動が、人々とくに若者たちの心をとらえ、一時は地球の3分の1までを席捲(せっけん)するに至ったのかという、20世紀の貴重な教訓までも忘却の淵に沈めてしまいます。 正しい理念を標榜しながら、なぜ社会主義は蹉跌を余儀なくされたのか? いまさら論ずるまでもないことですが、本論に即して一言でいえば、牧口会長が「苟(いやし)くも天然、人為の事情によりて自由競争の阻礙(そがい)せらるる所。是れ沈滞、不動、退化の生ずる所」 (同)と喝破した。人間社会の活力の源泉である「競争」的側面を、あまりにも蔑(ないがし)ろにしてしまったからだといってよい。階級をなくし外的条件さえ整えれば、人間らしい社会が実現するかのごときバラ色の未来像に寄りかかりすぎました。 エゴイズムの赴(おもむ)くままの野放図(のほうず)な自由競争は、弱肉強食の社会ダーウィニズム(自然淘汰主義)に陥りますが、適正な枠組みとルールに基づく競争は、人間と社会に活力をもたらします。それ故に、競争的側面を直視しつつ、むしろ人道という価値を基盤におく競争に転換し、「人道」と「競争」の両方の価値を相乗的に顕現させようとする「人道的競争」こそ、21世紀を拓きゆくパラダイムの先駆(さきが)けたりうるものではないでしょうか。つづく~ 〔guu~〕またまた眠くなった、湯たんぽを入れて風呂さ入って寝よォ~っと。
February 19, 2009
〔都々逸風~〕(本日はひらめきが悪いのでおやすみィ) 〔第34回「SGIの日」記念提言〕SGI会長I氏~抜粋(仏法の実践家であり、生命の本質を見抜くスペシャリストであるI氏が鋭く洞察する「世界の潮流~」何かのヒントにしていただけたら幸いです)つづき~ <100年以上前の先見的な発想> そこで私が、資本主義の袋小路を抜け出すための発想の転換というか、新たなパラダイム・シフトのヒントとして提唱したいのが、S会の牧口常三郎初代会長が、100年余り前に32歳で世に問うた『人生地理学』で提起した「人道競争」という概念であります。 牧口会長は、人類史を俯瞰(ふかん)しながら、生存競争は軍事競争、政治競争、経済競争をへて、これからは人道競争を目指すべきだと訴えました。 もとよりそれらは、截然(せつぜん)と区分けできるものではなく、例えば軍事的背景をもった経済的競争もあれば、逆もまた真である、といったふうに、多くの場合、輻輳(ふくそう)し重なりあいながら、漸進(ぜんしん)的に変化を遂げてくる。 その過程をを丹念にかつ大胆にたどってみれば、紆余曲折をへながらも、人類は凡(およ)そのところ、その方向を目指しているし、そうあらねばならない。~ こうして牧口会長は、超歴史的観点からではなく、学者らしく、歴史の内在的発展の論理をたどりながら、「人道的競争」という帰結に至っているのであります。 その中身に目をやれば、短い記述のなかに、今なお新しいというよりも、時とともに輝きを増す洞察がちりばめられております。 例えば、「武力若(もし)くは権力を以(もっ)てしたると同様のことをなしたるを、無形の勢力を以て自然に薫化するにあり。即ち威服(いふく)の代わりに心服をなさしむるにあり」(『牧口常三郎全集第2巻』第三文明社。現代表記に改めた)と。 このくだりなど、私の知友に引き寄せていえば、何度かお会いしたハーバード大学のジュセフ・ナイ教授の、「ソフト・パワーとは何なのか。それは、強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力である」(山岡洋一訳『ソフト・パワー』日本経済新聞社)との指摘と、瓜二つではないでしょうか。 また、牧口会長の言葉に「要は其の目的を利己主義にのみ置かずして、自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとするにあり。反言すれば他の為めにし、他を益しつつ自己も益する方法」(『牧口常三郎全集第2巻』)とあります。 これは、アメリカの未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士の提唱する″WinーWin World″(皆が勝者となる世界)と強く響き合っていないでしょうか。あらためて、若き牧口会長の洞察に思いを致さざるをえないのであります。 残念ながら、その後の歴史は牧口会長にの期待を裏切ってしまったが、100年の歳月を閲(けみ)した今こそ、「人道的競争」という先見的発想、ビジョンへと、パラダイム・シフトしていくべき″時″であると声を大にして訴えたいのであります。 〔guu~〕このへんで、風呂へ入って寝る。^^
February 18, 2009
〔都々逸風~〕「お茶誘われて 連れ行きたるや オーシャンビュー 新舞子」 〔都々逸のこころ~〕・近所の奥様から「お茶しようか」とメールあり。・迷わず連れ行くオーシャンビュー。 〔第34回「SGIの日」記念提言〕SGI会長I氏~抜粋 『人道的競争へ新たなる潮流』(つづき~) 昨年亡くなった友人で世界的文豪であったチンギス・アイトマートフ氏の言葉を想起します。 氏は「父親としての助言」として、「若者たちよ、社会革命に多くを期待してはいけません。革命は暴動であり、集団的な病気であり、集団的な暴力であり、国民、民族、社会の全般にわたる大惨事です。(中略)無血の進化の道を、社会を道理に照らして改革する道を探し求めて下さい」(『大いなる魂の詩』、『池田大作全集第15巻』所収)と切々(せつせつ)と語っていました。 マルセルが「弱い精神」からの決別を訴えたのは、ファシズムよりも共産主義(=ソビエト型社会主義)への警戒を第一義としていました。 執筆時期が1951年(ファシズムは壊滅し、共産主義は声望(せいぼう)を維持していた)であることから当然ですが、彼が最も警戒したのは、「失うものは鉄鎖のみ」「収奪(しゅうだつ)者が収奪される」といった抽象的なスローガンが、あたかも歴史的必然であったかのように装い、怨念をかきたてて、革命という大義のもとに暴力、流血の惨事を招き寄せてしまうからです。 70年にわたる社会主義の興亡の歴史は、彼の洞察の正しさを十二分に立証しております。 また、貨幣に象徴される拝金主義的な価値観への嫌悪、呪詛(じゅそ)にもかかわらず、かつての社会主義が、ついにそれを乗り越えることができなかったことは、歴史の重い教訓といえるのではないでしょうか。 そろそろ、発想を転換し、文明論的なパラダイム・シフト(思考の枠組みの転換)を図っていかなければならない。 暴走する資本主義にブレーキをかけるために何より有効なのは、法的、制度的な統御であることは前述しましたが、それらが、その場しのぎの弥縫策(びほうさく)に終わるのではなく、長期的なビジョンに繋(つな)げていくためには、パラダイム・シフトを避けて通ることはできないと思うのであります。 80年前の大恐慌の頃は、資本主義に取って代わるものとして、曲りなりにも社会主義(共産主義であれ、国家社会主義であれ)というパラダイムがあった。 しかし、今は、それに代わるような理念、ビジョンは、提起されておりません。 ところで、サルコジ仏大統領のブレーンであるジャック・アタリ氏は『21世紀の歴史』(林昌宏訳、作品社)で端的に分析しています。いわく、「現状はいたってシンプルである。つまり、市場の力が世界を覆っている。マネーの威力が強まったことは、個人主義が勝利した究極の証であり、これは近代史における激変の核心部分でもある」と。 すなわち、グローバルな拝金主義とは、半面、あらゆるしがらみから自由になった個人主義の勝利であり、「貨幣」の抽象的普遍性は労働力商品としての「個人」の抽象的普遍性とコインの表裏をなしているということでしょう。 いうまでもなく、この個人主義をベースに、自由や人権等の普遍的理念も形成されてきたのであ、資本主義と近代民主主義は、かなりの部分で重なっている。 (つづく~)^^
February 15, 2009
〔都々逸風~〕「2度寝寝過ごし 寝ぐせあるまま 飛び乗る車 茶で治す」 〔都々逸のこころ~〕・5時半に目覚め、少し早いのでもうひと寝入り。・7時34分に目覚めた。・バナナをふた齧(かじ)り イレッサを服用し茶で流し 車に飛び乗る。・ミラーを覗くと寝ぐせあり。・水がないので慌てて麦茶でなおす。・化粧も信号止まりでおこなう。・アイライン引いた後、右後方の車びとを偵察。 滑稽で笑われているのかもね。・こんなことになったのは自分のせいなのだが 何か ふくれっ面をしたくなり、頬をふくらませる。 *そんなこんなで焦っている最中に不思議に脳裏に浮かんだ事~ それは、現実と同じ、かっこ悪い体験だった。 *入院していた時、顔を洗って、携帯シャンプーを手に 部屋を歩いていると、放屁が出てしまった。 まさにその時、主治医が入ってきた。マジ、冷やっとした。 *脳って面白い、今、冷やっとしている時に過去の冷やっとした事を 思い出すのですね。 第34回「SGI記念提言」SGI会長I氏~抜粋(つづき~) <「呼称」が先行し 独り歩きする弊害> 日本では、グローバリゼーションの「負」の現象として、「格差社会」や、「勝ち組」「負け組」といった嫌な言葉が飛び交(か)っています。 いうまでもなく、昨今のように生活が脅かされる人々が続出する事態は、一刻も放置できず、何らかの対応が必要不可欠なること、繰り返すまでもありません。それと同時に留意すべきは、これらの現象を十把一絡(じっぱひとから)げに、抽象的な「呼称」で括(くく)ってしまうと、個々の努力といった人間の具体的な事実の世界が見えにくくなってしまうということではないでしょうか。 どんな境遇に置かれようと、社会状況が厳しくとも、外的条件にのみ依存するのではなく、気力を奮い起して壁に立ち向かっていく多くの人たちの実像は、そうした「呼称」からはほど遠い。 勝ち負けといっても、永遠につづくものではなく、またそれらの「呼称」が、経済至上主義的な価値観から一歩も出るものではなく、全人格的価値を覆うに足らずと、勝って傲(おご)らず負けて挫(くじ)けず、毀誉褒貶(きよほうへん)を眼下に見ながら、悠々と生きている人々を、有名無名を問わず、社会は数限りなく有しているはずであります。 十把一絡げな「呼称」があまりも頻繁に使われると、そうした人間としての価値や尊厳性、創意工夫こらして苦難に立ち向かおうとする気概や勇気を矮小化し、それに水を差す結果をもたらしかねないのではないでしょうか。 その結果、マルセルのいう「何か最後の審判の雛型みたいなもを見ようとする弱い精神」(前掲『マルセル著作集6』)、人間性に背を向けた、他力本願的暴力志向への誘い水になってしまいはしないかということを恐れるのであります。 13年前、アメリカ経済が″我が世の春″を謳歌していた頃、『ニューズウィーク』紙(日本版、96年2月21日号)は、「理想の社会はどこに」との特集の冒頭で、「うまくいっているのに、誰もが不満をもっている。それが私たちの時代のパラドックスだ」と書き起こしていました。 専(もっぱ)ら金銭的収入の多寡(たか)という物差しでしか、人間的価値の優劣を論ずるしかない経済至上主義、拝金主義の地平には、原理的に″自足″はありえません。 常に何がしかの怨念~不満や羨望が渦巻き続け、それは、社会を停滞させる″嫉妬社会″の温床であります。(つづく~)^^
February 9, 2009
〔都々逸風~〕「ウインドサーフィン 一艘もなく 陽光眩し 新舞子」 ・「小雪舞いし 古寺ありき 決起勇壮 功山寺」 〔都々逸のこころ~〕・凪~風なく、波なく、サーフィン無く。・マジ、年末年始の「晋作恋し旅」は小雪がちらつき 超寒かった。 ・功山の馬上の晋作は勇壮であり、本人によく似ていたので とても満足した。 第34回「SGI記念提言」 SGI会長I氏~抜粋「人道的競争へ新たな潮流」(仏法の実践者であり、生命本質の洞察するスペシャリストであるI氏の 世界情勢の見識をあなたの何かのヒントにしていただけると幸いです) (つづき~) <資本主義の暴走が招いた社会の混迷> 『勝者の代償』以来、ニュー・エコノミー(現代資本主義)の行き過ぎた動向に警鐘を鳴らしてきたロバート・ライシュ氏(クリントン政権時の労働長官)は、近著『暴走する資本主義』(原題は『超資本主義』。雨宮寛・今井章子訳、東洋経済新報社)で、 「全体人間」の帯びる多面性を、端的に「投資家」「消費者」の側面との二つに要約し、「厄介ことに、私たちはほとんどみな二面性の持ち主なのだ。消費者や投資家としての私たちはその結果もたらされる社会的悪影響を懸念する」と指摘しています。 肝心なことは、両者のバランスをどうとるか(全体人間たろうとするか)にあるが、「超資本主義」の下では「消費者と投資家が権力を獲得し、市民が権力を失ってきた」と。 その結果もたらされたのが、資本主義の優位と民主主義の劣位であります。そこを席巻(せっけん)する拝金主義という一元的価値観が、世界的に所得格差の拡大、雇用の不安定化、環境破壊など、資本主義の負の側面を増進させてしまった。 それどころか、最近の金融危機、経済危機は、正の側面である富の拡大という面でも、実体と乖離した胡散(うさん)臭いものではないかという疑念を満天下にさらしてしまいました。 規制緩和や技術革新を追い風に順風満帆のように見えたグローバリゼーションも、今や世界同時不況という台風並みの逆風にさらされています。 自由競争に任せておけば、市場は万事うまく運ぶといった予想調和的な生き方の破綻は、誰の目にも明らかなのですから、かつてない難局への対応は焦眉の急を告げています。 金融資本の目にあまる暴走には、ブレーキをかけねばならないし、企業実績の急激な落ち込み、それに伴う雇用情勢の目を覆うばかりの悪化は、可能な限りでの大胆かつ迅速な対応(財政、金融面での支援、セーフティーネットの整備など)が急務であることは論を待ちません。 特に私どもが忘れてならないのは、今日の国際情勢を覆う貧困の問題です。それは、職業という人間の根源的な営みを脅かし、生きる意味、目的、希望など、人間の尊厳、社会の存亡に関わるものだけに、総力を挙げて取り組んでいかなければならない。 今こそ、大所高所に立った経綸(けいりん)の才が求められていることを、特に政治家は、自覚すべきであります。グローバル資本主義という暴れ馬の手綱(たづな)を引き締める役割は、何といっても「政治」や「国家」に課されるところ大であるからです。 同時に、「国家」による統制、コントロールに期待する余り、万が一にもファシズムの台頭を許した1930年代の轍を踏むようなことがあってはならない。 その意味からも私は、マルセルのいう「抽象化の精神」の警鐘に耳を傾ける必要があると思います。 <guuことKURIKURUMI~>・私の夫である「とど乃輔」様の会社でも とうとう「派遣切り」が始まるそうです。(>・) 大変な急激な情勢の低下ですね~ ・「トド乃輔」様は~誰に似ているがというと、 西武の江藤選手を15歳くらい歳をとらせたら うりふたつデス。笑えるくらい そっくり。
February 8, 2009
〔都々逸風~〕「年末年始 萩下関 閑散寒し 電車旅」〔都々逸のこころ~〕・80になる母が、母方が高杉晋作の親戚筋らしいというので 「晋作恋し旅」を企画した。・松下村塾で斜めから見た「晋作の写真」が微笑んで いたように感じた。・「よう来んしゃったのう。」~と言っているようだった。^^ ~つづきから~ 〔第34回SGI提言〕SGI会長~抜粋(仏法の生命哲学を極めた実践家であるSGI会長の 生命の本質を見抜いた現代世界情勢観は非常に示唆に富んでいます。 きっとあなたが生きていく上で、何かのヒントが得られますよ^^) 「人道的競争へ新たな潮流」<人間の正視眼が見失われた社会> 現今の金融危機、経済危機の経緯に目をやる時、時流は、ある種の「抽象化の精神」にからめとられてはいないでしょうか。「貨幣」の抽象性、非人称世界に住するメドゥサの魔力の餌食となって、それを、人間社会に不可欠なものではあっても、あくまで約束事、バーチャル・リアリティー(仮想現実)にすぎないと看破する、「「人間」としての正視眼を失い、貨幣の「崇拝」あるいは「呪詛(じゅそ)」といった「情念」に目をくらまされてはいないでしょうか。 拝金主義とは、いうまでもなく「崇拝」の産物であり、「貨幣」という物的欲望を超える欲望の虜になって、会社に例をとれば、その会社への貢献といった″公(おおやけ)″の側面など無視して、短期的な利益にしか関心のない株主の″私的″意向が優先され、経営者、従業員、顧客・消費者などへと広がる具体的な人間の繋(つな)がりといった人称世界の具体的な事どもは、二の次、三の次として、捨象(しゃしょう)されてしまう。~ 不本意ながらもそういう嫌な役回りを演じざるをえなかった、という良心的経営者の嘆きの声が、世界の各地から聞こえてきます。 「全体人間」であって初めて、真に人間たりうるという人間の条件を亡失し、「抽象化の精神」の化身ともいうべき、貨幣的価値しか念頭にない「経済人」(ホモ・エコノミクス)へと、それとしらず身を貶(おとし)めてしまっている~ 金融主導のグローバリゼージョンは、その種の人々を、おびただしく排輩出してきました。 グローバリズムと反比例するかのような人々の閉塞感は、″利″に目が眩み、「私は、私と私の環境である」(A・マタイス/佐々木孝訳『ドン・キホーテに関する思索』現代思潮社)というオルテガ・イ・ガセットの不朽(ふきゅう)のテーゼなど我関せず、自然環境や文化環境(由緒ある街並みや地域コミュニティー等)を破壊しておいて、なおかつ人間社会が存続しうるかのような錯角に陥っている傲慢なエゴイズムの、自ら招き寄せた末路とはいえないでしょうか。 もとより「経済人」といっても特定の人間を指すのではない。資本主義そのもそに内蔵されているベクトル(力の方向性)の所産であって、株主は当然のこと経営者や従業員、顧客、消費者といえども、資本主義が純化してくればくるほど、そのベクトルに従わざるをえなくなる。 従わなければ、少なくとも短絡的には損をする。(つづく~) <guu~>もう眠いっす。風呂へ入ろうか入ろまいか
February 6, 2009
〔都々逸風~〕「寒風のなか 陽光優し 兆しを隠す こぼれ日を」 〔都々逸のこころ~〕・この時期いつも思う。・寒いのだが、枯れ枝の中には今にも芽吹かんと 勢いを凝らしている生命の息吹。・この時期は厳しいけど好きです。^^ 〔第34回「SGIの日」記念提言~SGI会長I氏 〕 抜粋~「人道的競争へ新たな潮流」 マルセルのいうところの「抽象化の精神」とは、その具体性から乖離(かいり)した悪しき独り歩きの謂(いい)であります。 人間は、例えば戦争に参加するとなると、個々人の具体的な人格的特性をすべて捨象(しゃしょう)し、敵を抽象的な概念~ファシスト、コミュニスト、シオニスト、イスラム過激派、等々~で括(くく)ろうとする。 マルセルが分析するように、「これらの存在者を絶滅する用意をせねばならなくなるその瞬間から、まったく必然的に私は、亡(ほろ)ぼさねばならないかもしれないその存在者の個人的実在についての意識を失ってしまう。 かかる人格的存在を蜉蝣(かげろう)のごとき姿に変えるためには、是非ともその存在を抽象概念に変換してしまうことが必要」だからです。 一番の問題は、そうした「抽象化の精神」は、ニュートラル(中立的)で没価値的な境位(きょうい)に止(とど)まっていず、「価値貶下(へんか)的な帰納」(意訳すれば、価値を貶(おとし)めるための決めつけ)を引き起こす「情念的側面」、怨念(ルサンチマン)を随伴している点にあります。 すなわち、抽象的概念で括(くく)ったとたん、それらは無価値なもの、低級なもの、有害なものとして、駆除されるべき対象の位置まで貶(おとし)められてしまう。 人格的存在としての「人間」は不在となる。 「抽象化の精神は情念的な本質をもっているものであり、逆にいえば、情念が抽象物を捏造(ねつぞう)する」と述べるマルセイは、故に自分の哲学上の全仕事は「抽象化の精神に対する休みなき執拗な闘い」と位置づけている。 このような指摘は、今なお、光を失っていないとおもいます。 (つづく~) <guuより~>・とっかかりは、難しい。・しかし、熟読すると丹念に練られたものであることが解る。^^ *抽象的概念で括って、人格をみえなくする最たるものは「戦争」でしょうか。他にもいろいろありますか?
February 5, 2009
〔都々逸風~〕「研修会 マスク三重 インフルエンザ 予防にて」^^ (都々逸のこころ~)・疲労か酸欠か、研修後頭痛がした。^^ 〔第34回「SGIの日」記念提言 〕~SGI会長I氏~抜粋 「人道的競争へ新たなる潮流」(先回のつづき~) グローバルな市場経済を差配(さはい)する「貨幣」とは、紙か金属片(最近では電子情報)にすぎず、周知のように使用価値は、皆無に近い。有するのは、交換価値のみです。交換価値とは、人間同士の約束事として成り立っているもので、本質的に抽象的、非人称的な存在といってよい。それは、財やサービスのように具体的な、それゆえに限定的な対象物をもたず、際限のない広がりをもつ。 欲望の対象として限界がない。そこに「貨幣愛」というものの特徴というか宿命的な病理があります。 金融市場のみならず市場経済全体を貫く「効率性と不安定性との根源的な『二律背反(にりつはいはん)』(岩井克人『二十一世紀の資本主義』筑摩書房)が指摘される所以(ゆえん)でしょう。 利潤をあげるための限りなき効率性の追求と、実態の裏付けを欠く貨幣というものの不安定性~それは、「個人」の自由な経済活動を基調にした市場経済が発達した現代の宿命といえるかもしてません。 ところで、哲学者のガブリエル・マルセルが、第2次世界大戦を顧みながら、「抽象化の精神~戦争の要因たるもの」という興味深い論点を提起していたのを記憶しています。(以下、小島威彦訳『マルセル著作集6』春秋社)。 いうまでもなく抽象作業そのものは、人間の知的な営みに欠かせないものです。早い話、「人間」などというものは存在しない。実質は、日本人やアメリカ人であり、男や女であり、青年や壮年であり、何々県人であり細分化していくと、十人十色一人として同じ人間はいません。それをきちんと踏まえた上で「人間」を論じないと抽象概念が独り歩きしてしまう。(つづく~) <guu~> ・難しく感じられるが読み進めるときっと解ってくる だろうと期待しつつ載せています。^^
February 4, 2009
〔都々逸風~〕「(PM)9時に寝て 早4時目覚め 優柔不断 起き迷う」^^ 〔都々逸のこころ~〕・夜更かし癖がまた始まりそうだったので 気を引き締め早寝した、21時寝るとやはり自然と 4時頃目覚めた。・起きて実のあることでもすればいいのだが、 寝床の恋しいguuでした。^^ 第34回「SGIの日」記念提言~SGI会長I氏 「人道的競争へ新たな潮流」~S新聞1月26日より抜粋~(昨日の続きから) 人間は、平和に人間らしく暮らす権利を持っております。大多数の人は、そのために孜々(しし)として怠らずに、日々の営みを続けており、その生活基盤が、予想だにせぬ、しかもほとんど関知しない次元からの「津波」のような衝撃によって翻弄される事態などあってはならない。 事態をこれ以上悪化させないためにも、各国は、より一層緊密に連携をとりながら、財政、金融等あらゆる面で、衆知を結集し、後手にならぬよう、全力で取り組んでいってほしいと思います。 〔『貨幣』に対する際限のない欲望〕 今回の破綻の最大の原因は、いうまでもなく、一説には世界のGDP(国内総生産)の4倍にのぼるとされる金融資産の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)にあります。 「暴走する資本主義」「強欲資本主義」等の言葉が飛び交(か)っているように、本来、経済活動を円滑化するための″脇役″であるべき金融が、″主役″の座を占拠し、それがどのような余波をもたらすかなど我関せず、ひたすら利益、儲けのみを追い続ける人々が、時代の寵児(ちょうじ)のごとくもてはやされてきました。 その根底には、この提言で何度も警告してきたように、「貨幣愛」にとりつかれたグローバル・マモニズム(拝金主義)ともいうべき文明が横たわっております。 イデオロギー崩壊後の世界の潮流は、ポスト冷戦への人々のほのかな期待を嘲笑うかのようにマンモン(富の神)の宰領する世界になってしまったといっても過言ではない。(つづく~) <guu の感想~>・難しくてなかなか読み切る人は少ない「SGI提言」ですが ブログに載せながら日にちをかけていくと 不思議と頭に入っているので不思議です。・興味のある方は最後までお付き合いください。^^・さあ、風呂さ入ってねよォっと。 仕事でもパソコン使っているし、あんまり長く向かうと ストレス過剰になるそうです。 免疫を高めるには、仕事をいい加減せよと~ ある本にかいてあるましたが~^^ まったり~してなくてはいけないと思いつつ。
February 2, 2009
〔都々逸風~〕 「ストレス溜まり 恋し温泉 満喫コース まったりと」 〔都々逸のこころ~〕・日曜の温泉は混んでいた。^^ 〔第34回「SGIの日」記念提言〕~SGI会長I氏 ー抜粋ーアメリカのサブプライムローン(低信用者向け高利の住宅ローン)の焦げ付き、リーマン・ブラザーズの経営破綻などに端を発する昨年秋のアメリカ金融危機は、「100年に1度」といわれる衝撃をもってグローバル会社を襲いました。 それは、経済恐慌から世界大戦へと転落の道を歩んでしまった1930年代の悪夢を想起せざるをえない。暗夜を手探りで進むような状態が続いていますが、金融危機は、世界的な景気の後退、雇用情勢の悪化など容赦なく実体経営の足元を脅かしており、80年前の大恐慌が、金融危機から1,2年を経過して、本格的なパニック(混乱)に陥ったことを考えると、事態の推移はまったく予断を許しません。 ~(つづく)^^<友人の夫が影響をこうむり、派遣切りされています。 景気が心配です。>
February 1, 2009
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