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2012.12.11
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 根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。


 古くから漁場として栄えた根室管内は色々な人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんな形で残っています。古代から近代までねむろの歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えしていきたいと思います。
 わたしと一緒にちょっと昔に想いを馳せてみませんか?


第6回 第7回 は、 「根室の名城:根室半島のチャシ跡群」 を巡りながら、アイヌの歴史をご紹介しました。今回は根室半島の先端--納沙布岬にて 「アイヌの人々と和人との関わり」 をご紹介いたしましょう(難読地名シリーズ第1回「 納沙布 」は こちら )。


 15世紀以降、北海道に和人の移住が増加したのち、松前藩が成立しました。松前藩はアイヌの人々と和人(商人)との交易を認めましたが、これはかえってアイヌの人々に商人の横暴と搾取による苦しい生活を強いるものでした。

 そのため、アイヌの人々と和人の間で争いが起こっています。
和暦 西暦 出来事
長禄元年
1457年 コシャマインの戦い
寛文9年
1669年 シャクシャインの戦い
寛政元年
1789年 クナシリ・メナシの戦い


 クナシリ・メナシの戦はアイヌの人々が組織だって立ち上がった最後の争いになります。
 蜂起の舞台は現在の北方領土・国後島(クナシリ)と忠類や標津など(メナシ)でした。
マメキリ 率いるアイヌの蜂起に対応したのは、 新井田孫三郎 をはじめとした松前藩(現在の渡島振興局)の藩士でした。戦いの終結には、国後島の副首長 ツキノエ などアイヌの人々も協力したと伝えられ、争いの仲裁に協力した12名のアイヌの方は松前藩家老・ 蠣崎波響 ( かきざきはきょう ) によって描かれ、現在にも伝えられています(この絵は 夷酋列像 ( いしゅうれつぞう ) と呼ばれ、模写を含め、現在でもいくつかの博物館に収蔵されています)。 
 この出来事を記録した碑が納沙布岬にあります。

H08-01_表.jpg表には
横死七十一人之墓
と彫られています。
(ブログの仕様のため、横書きで記しています)

H08-02_裏(V.2012_12_11__06_31_25).jpg裏には
寛政元年己酉夏五月此地凶悪
 蝦夷結黨為賊事起乎不意士庶
 遇害者總七十一人也姓名記録
 別在官舎乎茲合葬建石

と彫られています。


 この碑は、明治45年(西暦1912年)5月に 珸瑶瑁 ( ごようまい ) の浜で見つかったものです。
 側面には「 文化九年歳在壬申四月建之 」とあり、文化9年(西暦1812年)にこの碑が建てられたことがわかります。
 裏面にはこのようなことが書かれています。

寛政元年(西暦1789年)5月。凶悪な蝦夷により武士および庶民、計71名が被害にあった。記録は役所にて保存。この碑は被害者を弔うために建てたものである

 碑には、「凶悪」とありますが、様々な史料から、前述のように和人によるアイヌの人々の酷使の様子が明らかになりつつあります。
 また、平成20年6月には「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で採択され、 アイヌの人たちの習慣や文化を尊重し、ともに豊かで幸せな社会を築いていくことは大切なこと であると、現在では認識されています。

H08-03_イチャルパ.jpg平成24年(西暦2012年)9月に行われたイチャルパの木幣(イナウ)

 昭和49年(西暦1974年)からは、亡くなった和人だけでなく、アイヌの方々の弔うための 供養祭(イチャルパ) が、ノッカマップにて行われています。
 私も、この場を借りて、お悔やみ申し上げます。

参考:平成24年9月18日付根室新聞
参考:平成24年11月1日付北海道新聞夕刊
参考文献:郷土の歴史1 クナシリ・メナシの戦い(根室市博物館開設準備室 編)


■補足
アイヌの歴史については、わかっていないことが多く、様々な角度から研究が進められています。
今回は、文献史学的な話題がほとんどでしたが、平成24年11月1日付けの新聞各紙では、遺伝学的な研究成果が報じられました。それによると、現在の日本人の多くは、縄文人と渡来人の混血である一方で、アイヌ民族や沖縄出身者は縄文人の特徴を色濃く遺しているとのことでした。
数年後には、まだ知らないアイヌの歴史が分かっているかもしれませんね


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最終更新日  2013.01.08 19:06:18

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