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11月いっぱいで任期満了となり退任された民生・児童委員さんに代わり、新しい委員さんによる最初の定例会が12月6日(火)に開催されました。会議では会長以下役員が選出され、市役所福祉課及び市社会福祉協議会より今後の活動についての説明がありました。新しい委員の皆さん、よろしくお願いします。挨拶される小野木会長市福祉課による説明
2022年12月08日
11月いっぱいで任期満了となる太田地区民生・児童委員さんの最後の定例会が11月1日(火)に開催されました。民生・児童委員の任期は3年ですが、この3年間はコロナウイルス感染拡大の影響下で思うように活動ができなくて委員の皆さんは大変苦労されたようです。12月からの新しい委員さんへ職務が引き継がれます。委員の皆さん、本当にお疲れさまでした。挨拶される板津会長
2022年11月07日
太田地区防災訓練(二次訓練)が10月23日(日)にプラザちゅうたいにて実施されました。今回の訓練では、「避難所開設から運営等、まだ公助が十分でない状況下での初動として必要な行動を学ぶ」として、約50名の参加者が避難所におけるパーティション(間仕切り)の組み立てや簡易トイレの組み立てを体験しました。パーティション(間仕切り)の組み立て体験簡易トイレの組み立て体験この訓練により、自分と家族の命は自ら守る「自助」と、地域で助け合う「共助」を主体的に実践し、地域の特性に合わせた防災体制の確立と防災意識の高揚を図っていきたいと思います。
2022年10月25日
太田地区自治会長会理事会が10月20日(木)に開催され、担当課長より23日(日)に開催される太田地区防災訓練についての説明がありました。今年度の防災訓練はコロナウイルス感染拡大影響下での開催ということで規模を縮小し、プラザちゅうたいにて9時30分より避難所開設訓練を実施します。可茂消防署による移動式指令車の展示等もありますので、地域の皆さんのご参加お待ちしております。
2022年10月21日
6月27日(月)加茂高校で、加茂高校の3年生17名と古井地区の市議4名が、古井地区のまちづくりに関するワークショップを行いました。古井地区の一部は、美濃加茂市立地適正化計画において文教交流拠点と位置づけられております。まちづくり課では、古井地区の市議の皆さんとこれまで意見交換をしてきました。その中で、古井地区の中にある高校生の声が聞きたいという意見があり、今回のワークショップを企画しました。ワークショップでは、4つのグループに分かれ、まずはじめに市議からまちづくりに関わるエピソードを紹介してもらいました。その後、高校生からの感想発表や質問があり、意見交換をしました。高校生の意見は付箋に書いて記録に残していきます。その後、グループでどんな発表をしたか共有し、発表内容をグラフィックレコーディングでまとめ、みんなの意見を可視化しました。参加した高校生からは、「地域の行事に積極的に参加したい。そして参加したことをSNSで発信したい。」「参加するだけなく、行事やイベントの主催者側になってみたい」というような感想がありました。今回のワークが、地域に一歩飛び出してみるきっかけとなったら嬉しいです。また、今後地域のために、何か活動してみたいという高校生の声も、実際にカタチにしていく支援をしていきたいと考えています!参加していただいた加茂高生の皆さん、ありがとうございました!
2022年07月04日
6月16日(土)6時30分から井戸畑児童公園で地域の方が集まり、ラジオ体操やごみ拾いをすると聞いたので、取材してきました!この企画は、「井戸畑児童公園を考える会」さん、「神明みんラジの会」さんの共催で行われ、健康づくりや公園の環境美化を目的に行われました。早朝にもかかわらず、子どもから高齢者の方々まで約25人ほどが集まり、ケヤキの木の下で、ラジオ体操をしました!また、ラジオ体操が終わった後は、公園の草取りやゴミ拾いを行いました。井戸畑児童公園は、今年4月に改修工事を終え、地域住民の声を反映した素敵な公園に生まれ変わりました。今回の主催者である「井戸畑児童公園を考える会」では、地域住民が集える憩いの場、そしていつまでもきれいな公園を目指されています。今後も井戸畑児童公園で様々な活動が進んでいくといいですね!また、今回の井戸畑児童公園でみんなでラジオ体操の会は、毎月第三土曜日に行われるとのことです。興味のある方、ご近所の方などぜひ参加してみてくださいね。
2022年06月27日
太田地区体育振興会が主催する太田地区自治会親善野球大会決勝戦が6月19日(日)にサン・スポーツランドにて開催され、西町東チームが優勝しました。地域のみなさまのご声援、ありがとうございました。優勝の西町東チーム
2022年06月27日
5月29日(日)、6月5日(日)、12日(日)の3日間、東総合グランド他で第10回古井地区野球大会が開催されました。3年ぶりの開催となった大会には、開催を待ちかねていた17チームがエントリーして熱戦が繰り広げられました。 梅雨入り間近で前日には土砂降りの雨が降る日もありましたが、大会当日はいずれも晴天に恵まれ、12日の準決勝戦、決勝戦では、引き締まった好試合が展開されました。 大会の結果は次の通りです。 優勝:京町チーム 準優勝:田畑東・西チーム 三位:宮西二チーム・森山本町チーム 優勝した京町チームの皆さん 表彰式後の講評では、若見古井地区自治会長会長から「3年ぶりの大会が、晴天の下に開催できたのは皆さんの日頃の心がけのおかげだと感じた。」との言葉がありました。
2022年06月17日
太田地区自治会親善野球大会が6月12日(日)に前平グラウンド、サンスポーツランドにて開催され、西町東、西町中、西町北一、西町西自治会がそれぞれ決勝トーナメントへ進みました。 決勝は6月19日(日)サンスポーツランドにて開催されますので、地元自治会の皆さんの応援よろしくお願いします。
2022年06月14日
北一西自治会から発足した「北一西自治会の今後の在り方検討委員会」が5月20日(日)に開催され、これからの自治会の在り方について、フリートークを交えての意見交換会がなされました。この委員会は自治会長経験者や現自治会長、各班長さんから成る組織であり、これからの自治会の進むべく方向を模索検討し、より「自分達の為」の自治会の在り方を目指す事を目的としています。第2回目となるこの日の会議では、自治会の班編成と役員の見直しについて協議がなされました。今後も毎月開催される予定ですので、協議事項の経過等、随時報告していきたいと思います。
2022年06月10日
太田地区民生・児童委員協議会定例会が開催され、コロナ禍での活動方法についてのDVD研修会が開催されました。近年はコロナウイルス感染拡大の影響で本来の活動ができなかった部分もあり、コロナ禍での活動方法など民生・児童委員さん各個人で工夫しながらの活動であったため、その為の様々なアプローチの方法が学べました。民生・児童委員さんの更なる今後のご活躍に期待します。
2022年06月10日
太田地区体育振興会主催の自治会親善野球大会監督者会議が6月2日(木)に開催され、6月12日(日)開催の大会対戦カードが決定しました。2年振りの大会開催になりますので、参加されるチームの皆さん頑張って下さい。 大会は午前8時から前平グラウンド、サンスポーツランドにて開催予定です。
2022年06月07日
5月15日(日)、前平公園で第44回古井地区ソフトボール大会が開催されました。3年ぶりに開催となった古井地区のソフトボール大会。6チームが参加し、熱い戦いを繰り広げました。古井地区ソフトボール大会は、古井地区体育振興会が主催で開催し、親しみやすくだれもが気軽に参加できるソフトボールを通じて、自己の体力向上と健康増進を図るとともに、自治会の団結と親睦を深めることを目的に開催しています。▲大会の様子①▲大会の様子②▲大会の様子③久しぶりの大会ということもあり、参加したチームの皆さんは楽しみながらプレーをされていました。大会の結果は以下のとおりです。優 勝・・・宮西二準優勝・・・森山団地三 位・・・森山本町、京町▲優勝した宮西二
2022年05月19日
5月14日(土)、美濃加茂市総合福祉会館ふれあいホールで森山団地「つながり」研修会が開催されましたので、取材してきました! この研修会は、高齢化が進んでいる森山団地にて、元気で過ごしていくために、地域でつながることの大切さを考えてみたいという地域の声があり、美濃加茂市社会福祉協議会が主催で開催されたものです。当日は森山団地の住民の方が約40名参加されました。 開催にあたり、森山団地を拠点に活動されているワンコインカフェ「憩」の代表の熊崎さんから、「森山団地の高齢化率は40%を超えている。しかし、そんな中でも楽しいまちづくりを目指していきたい。」と挨拶がありました。 今回の研修会の講師に、「楽しくなくっちゃ講演会じゃない!」をメインテーマに、福祉学習を始め様々な分野のちょっと変わった研修・講演を行われている mottoひょうご 事務局長 栗木 剛 氏を迎えました。▲講演会の様子▲席が近い人とテーマについて話す場面も 講演会では、どんな話題でも必ず笑えるポイントを用意してくれる栗木氏。参加者同士でお喋りの時間もあり、あっという間の90分でした。 「地域のいろんな活動にでて、うろうろすることが元気につながる!」「家を出ようと段取りをするだけで脳トレにつながる!」など非常に勉強になりました。 元気で楽しく過ごしていくために、これからも地域でのつながりを大切にしていきたいですね!
2022年05月19日
太田地区自治会長会理事会が4月21日(木)に開催され、美濃加茂市消防団第一分団の活動報告と令和4年度の役員及び事業について協議しました。今年度も太田地区自治会長会総会はコロナウイルス感染拡大防止により、書面総会となりました。 理事の皆さん、各自治会長の皆さん、大役となりますが一年間よろしくお願いします。活動報告をする第一分団後藤分団長
2022年04月28日
4月6日(水)午前10時から古井地区の森山団地集会所でワンコインカフェ「憩」が開催されていましたので、取材してきました!ワンコインカフェ「憩」は、森山団地の住民の方が有志で集まり、地域内のつながり作りを目的に令和元年から開催しています。コロナ禍で、延期が続いていましたが、開催を希望する地域の声も多く、今回はオープンカフェ形式で開催されました。また、パーテーションを設置したり、座席の向きを工夫するなどコロナ対策もしっかりとされていました。▲久しぶりの開催となったワンコインカフェ「憩」。桜も咲いてお花見も!▲オープンカフェスタイルで実施されていますそして、ワンコインカフェ「憩」のすごいところは、なんとワンコイン(100円)でコーヒーとお菓子が付いてくるんです!!!▲100円でコーヒーとお菓子セットに!春の心地良い陽気に包まれて、来場された方同士でお喋りをされたり、楽しい時間を過ごしていました。また、藤井市長も訪れ、来場された地域の方々、スタッフの方々と交流していました。▲藤井市長との記念撮影ワンコインカフェ「憩」の代表の熊崎さんは、「久しぶりの開催となったが、来てくれた人の笑顔で楽しそうにしている姿を見られてよかった。地域にとってこのような場の大切さを実感できたし、スタッフも元気をもらえるので、引き続き開催していきたい。」と笑顔で話されていました。▲スタッフや来場者の方々。皆さん笑顔です。今回ワンコインカフェ「憩」に訪れて、来場者の皆さんが楽しそうに会話をしている姿やスタッフの皆さんがマスク越しでも伝わる笑顔でおもてなしされている姿がとても印象に残りました。そして、コロナ禍でも地域でのつながりを途切れさせないために、オープンカフェスタイルでの実施などの工夫がありました。このような地域での交流の場が増えていくといいですね。これからも頑張ってください!応援しています!
2022年04月08日
加茂野の地理のお話【稲辺山】 前回は加茂野町の標高のお話でしたが、今回はその時に加茂野町内の最高地点として写真を載せた通称「稲辺山」を紹介します。 加茂野町を歩こう⑤で紹介した稲葉池から南を見ると東西1キロほどにかけて横たわる山が稲辺山です。国土地理院の地図では、この山の西寄りのピークに「カナクズ山」と表記されていますが、山全体の最高地点に当たる中央付近のピークには名前が無いようです。加茂野の方は、この一帯の山を「稲辺山」と呼んでいるそうです。 カナクズ山の山頂から西は関市、そこから東は稜線を挟んで中央付近のピーク辺りまでの北側は美濃加茂市、稜線の南側及び東寄りは坂祝町となっており、カナクズ山山頂は標高142m、中央付近の最高地点は160mで、この最高地点を含む稜線が美濃加茂市と坂祝町の境界となっています。 今回、加茂野町まちづくり協議会の皆さんと稲辺山に登ってみました。稲辺山は現在、美濃加茂市からは登ることができませんので、山の南面、坂祝町側にあるいくつかの登山口のうち一番東の洞から登り始めました。 左手にため池を見ながら斜面を登り、300mほどで輪形展望台という眺望の開けた場所に出ます。この位置からは、北方向に加茂野町全域から市街地方面、遠くには御嶽山や福井県境の山々まで見ることができます。 輪形展望台 そこから稜線沿いを西へ進むと、250m程で境界を示す杭があり、そこから先の北斜面(右側)が美濃加茂市になることを示しています。さらに200m程進んだところに八幡展望台という看板がありました。この位置が標高160mの最高地点で、三角点の標識杭が確認できます。八幡展望台の三角点 山道はそのまま西に続いていますが、今回はここで引き返し、最初の展望台まで戻りました。下山は、元の道を100m程下りたところから、左方向に延びるルートを進みました。斜面を横切る細い踏み跡を辿ると、山の東端のふもとにある十二社神社の奥の建物に辿り着きます。神社に着いたら、階段を下って無事に下山です。この神社には県の有形民俗文化財に指定された「深萱の農村舞台」もあり見学することができます。深萱の農村舞台(岐阜県有形民俗文化財) まちづくり協議会の方に、以前は加茂野町の子どもたちも、美濃加茂市側から稲辺山に登っていたというお話を聞きました。また、そのお話と併せて、現在は整備されていない北斜面を整備して、昔のように加茂野町の皆さんが気軽に登れる山にしたいという構想をお話していただきました。 近いうちに加茂野町内に新たなウォーキングコースが誕生するかもしれません。そのような活動に関心のある方は、ぜひ加茂野町まちづくり協議会にご連絡ください。輪形展望台から市内を一望輪形展望台から加茂野町を見下ろす稜線沿いはきれいに整備されていました十二社神社からも登ることができます
2022年03月15日
市では令和元年度に「美濃太田駅周辺整備将来基本構想」を策定させていただところですが、その直後から新型コロナウィルス感染拡大の影響で、地域のみなさんと話し合いをさせていただく機会を持つことがむずかしい状況が続いてまいりました。 そこでこの度、構想や市街地活性化の実現のため、情報共有や地域のまちづくりへの取組み促進を目的に、アンケートを実施させていただくこととしました。■基本構想の一部(ゾーン等を示す図) 現在の状況を踏まえながらも、多くのみなさんのまちづくりに向けた熱い思いを、アンケートを通じてお聞かせいただきますようお願いします。□ アンケート回答アドレス: https://logoform.jp/form/XQZW/77087 アンケート回答用QRコード□ 実施期間 3月7日(月)から 3月22日(火)まで□ 注意事項等 ・美濃太田駅周辺整備将来基本構想【概要版】(PDF形式) をご覧いただきながらご回答ください。 ・実施期間を過ぎますとご意見の入力ができなくなります。■上記のような画面が表示されます。順に進んでご意見を入力してください。 関連リンク: 美濃加茂市HP 中心市街地活性化の取り組みのトップページ
2022年03月11日
中山道の宝物㉒近世の町屋を偲ばせる最初の国登録有形文化財「吉田家住宅主屋」(旧小松屋)が現存しています 吉田家住宅は、江戸時代に屋号「小松屋」の名で営まれていた旅籠(はたご)です。安永元年(1772)に小松屋親子が旅籠をはじめたようで、道中記(江戸時代の旅行案内書・ガイドブック)に、講の定宿や伊勢参りなどの旅籠として掲載され賑わっていました。主屋の創建は江戸時代末期になります。明治30年代には質屋と油しぼり業、大正中期から昭和初期にかけては次代の吉田宇三郎が煙草の売りさばき所を営んでいました。 建物は町屋建築の伝統的な技法で、現在の太田宿で最も整った外観を示しています。屋根は瓦葺きですが、調査の結果板葺きであったと思われます。また、当初は東側に土間がありました。外観は出格子や袖壁が特徴です。平成26年12月に国登録有形文化財に指定されました。小松屋正面(2階の袖壁と出格子)小松屋平面図道中記旅籠案内書(太田宿は2軒紹介 宿伯はいそ谷、休憩はこまつやと明記されています)
2022年02月08日
中山道の宝物㉑本陣の建物は明治以降順次解体されましたが、唯一、市指定有形文化財「太田宿本陣門」だけが本陣の面影を残しています この本陣門は今から160年前の文久元年(1861)仁孝天皇の皇女で孝明天皇(明治天皇の父)の妹宮・和宮が、第14代将軍徳川家茂に嫁入り時に建立されたと伝えられています。昭和初期、現在の中山道会館の北側に移築後、平成14年に解体修理されました。 門の様式は、「薬医門」造りで、中国から伝えられ医者などの門に利用されたため、この名の由来があります。特徴は門柱(本柱)の後ろに控柱を2本設け、大きな切妻屋根を設けており、鬼板に宝珠があり、梁(はり)の中心に棟木(むなぎ)を建て、ちまき状に端を丸めたスジボリの飾りがあります。屋根は照り(そり)を入れ、瓦は本陣福田家の「四つ目結い」の家紋、鬼瓦は宝珠の縁起とし、屋根の四隅には「亀」(亀は長生きの象徴)を配して災厄を払っています。 和宮様がくぐる門を当時の匠の技を各所に取り入れて、格式のある風格を表しています。本陣門正面より本陣門側面より薬医門の側面図(清水寺参照)四つ目結いの瓦と四隅の亀
2022年02月08日
中山道の宝物⑳祐泉寺は美濃西国三十三観音霊場のひとつです 祐泉寺は臨済宗妙心寺派(禅宗)の寺院で、美濃西国第二十七番の札所です。美濃西国とは、岐阜市、山形市、瑞穂市、関市、美濃市、富加町、坂祝町と美濃加茂市の内、観音様が本尊の寺院で三十三箇所の礼所があり宗派は問われません。 寺ごとに観音様の御開帳が違いますが、7年に一回、三十三寺全てが御開帳します。代表的なお寺として、下之保の日龍峰寺(滝沢観音)、岐阜市の大龍寺(だるま観音)、岐阜市の美江寺(美江寺観音)、乙津寺(鏡島弘法)、関市の新長谷寺(吉田観音)、当市の小山寺(小山観音)など、皆さんも知っている寺院ばかりです。因みに市内の寺院は、祐泉寺、小山寺、万尺寺、伊深の禅徳寺、加茂野の法幢寺の5寺です。御開帳時は観音様の右手に結ばれた五色の帯が善の網として本堂前に結ばれます。その帯に触れる事が観音様に触れることと同じで、ご利益があると言われます。 祐泉寺には本堂の本尊、聖観世音菩薩のほかに観音堂(滝場観音)があります。観音堂には伝説があり、老翁が「木曽川に沈む聖観世音菩薩を探し、祀られれば交通安全と火伏せの守りとなる」と告げられたので、木曽川から金色の聖観世音菩薩を迎えて観音堂を建てたところ、享保元年、太田宿の西から火事があり、本堂は燃えたが不思議なことに観音堂の前で鎮火したので、それ以来観音様のおかげといわれ親しまれています。 祐泉寺には観音堂以外にも安産、子授かり、子育ての帯解き地蔵や十三重の塔があります。皆さんも一度参拝してみてはいかがでしょうか。祐泉寺観音堂帯解き地蔵十三重の塔
2022年01月27日
加茂野の地理のお話【標高】 美濃加茂市は木曽川と飛騨川の河岸段丘に発展してきた街です。 今回は、美濃加茂市全体から見た加茂野町の地理について各所の標高を視点の中心にして紹介したいと思います。 社会科の地理の授業で、「河岸段丘」という地形を学ぶと思います。これは、川の流れにより土砂の堆積と浸食が繰り返され、階段状の地形が形成されるものです。美濃加茂市民ミュージアムのデータベースによると、美濃加茂市は木曽川・飛騨川の流れによって3段(高位・中位・低位)の河岸段丘となっているということです。 高位段丘は山之上の上野より北、中位段丘は加茂野町全体、低位段丘は太田町等の低地で、太田町西町の高山本線沿いの段丘崖が中位段丘と低位段丘を分ける典型的な地形であると説明されています。 これについては、市民の方でも以前から太田や古井が低く、加茂野・蜂屋が中段で、山之上より北が高くなっているという漠然としたイメージを持っている方が多いと思います。 西町跨線橋と段丘崖(草笛町) しかし、国土地理院の標高データを見ると中位段丘とされている加茂野町のイメージが少し変わってきます。 データでは美濃加茂市役所の標高は約65mです。一方、加茂野交流センターは72mで7mほどの段差があるといえますが、実は旧248号線で西町から加茂野町に入った辺り(標高84m程)をピークに、関市方面に向かうほど標高が低くなっており、加茂野町市橋の市橋グラウンド周辺では、市役所周辺とほぼ同じ標高になっています。 また、市役所のある太田町と同じく川に近い位置で発展してきた古井地区の上古井交流センターと比べると、加茂野町内の平地は10mほど低い土地となります。 加茂野町内は大きな川も山も無いため、大雨の際の自然災害についても比較的心配の少ない地域ですが、低地となっている地区では小河川や農業用水が溢れるなどの影響が心配されることもあります。 以前に当ブログの「加茂野を歩こう」で紹介したため池は、農業用水としての役目を終えた現在でも、雨の影響を小さくする調整機能を担っています。また、農地は雨水を地下に浸みこませることで災害を防いでいます。 住宅が増え、賑やかになってきた加茂野町ですが、これまで守ってきた農業のおかげで自然と共生できていることも忘れてはいけないのではないでしょうか。 〈加茂野町内の標高〉 加茂野交流センター 72m 富加駅 68m 加茂野駅 76m あじさいエコパーク 67m 市橋グラウンド 66m 加茂野コミュニティセンター 79m 稲葉池 73m 最低地点(市橋) 63m 最高地点(稲辺) 160m 〈美濃加茂市内の標高〉 美濃加茂市役所 65m 美濃太田駅 69m 太田交流センター 64m 上古井交流センター 85m 山之上交流センター 133m 蜂屋交流センター 86m 伊深交流センター 100m 三和交流センター 140m 下米田交流センター 91m 最低地点(草笛町) 59m 最高地点(御殿山(三和町)) 559m 加茂野交流センター(72m)加茂野町市橋の農業地帯(奥に向かって低くなる)稲葉池(73m)と通称稲辺山(加茂野町内の最高地点)
2022年01月25日
太田宿の宝物⑲大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の承久の乱、大井戸の戦いの舞台は木曽川を挟んだ大井戸の渡し場一帯です 現在の大河ドラマの舞台として木曽川を対峙した当市と可児市にスポットライトが当たっています。可児市は「麒麟がくる」に続いて再登場です。 「鎌倉殿の13人」は源頼朝の死後、鎌倉幕府の最高指導者に北条義時が上り詰めるまでの鎌倉初期を描いた作品です。 承久の乱は、承久3年(1221)に後鳥羽上皇が鎌倉幕府を討幕するため挙兵した戦い。木曽川流域を舞台に戦われた古戦場の一つが大井戸の渡しがあった大井戸の戦いで、幕府軍5万人が可児市側の大井戸の渡しに布陣し、上皇側2千人の東軍であった当市側を撃破した場所です。 大井戸の渡し場は、現虚空蔵堂付近になります。当時、太田宿はなく、中山道は東山道と呼ばれ、可児市側を通り犬山橋付近の「内田の渡し」で木曽川を渡っていました。虚空蔵堂付近の説明版可児市側の土田(大井戸)の渡し場跡承久の乱・幕府軍の進路中山道太田宿のパンフレットにも記載されていますので、ご参考に
2022年01月20日
太田宿の宝物⑱名号碑や記念碑がたくさんあります 太田宿の宝物⑧で文学碑(俳句などの文章を石などに刻んだ碑)の話をしましたが、名号碑や記念碑もたくさんあります。名号碑①法華経碑塚(碑文:南無妙法蓮華経)西木戸には虚空蔵堂、東の太田町と古井町の境界に法華経碑が建っており、旅人は無病息災、道中安全を祈願して旅路につきました。②播隆上人の名号碑(碑文:南無阿弥陀仏)槍ヶ岳開山で知られる播隆上人終焉の地は脇本陣で、祐泉寺には墓と名号碑が建っています。播隆碑は岐阜県内に59基、八百津には13基建っています。市内には5基あります。③妙見堂の碑(碑文:南無妙法蓮華経)太田代官所跡の一部に明治22年、日蓮宗が妙見堂を開祖して説教所を開きました。因みに「南無阿弥陀仏」と称えればどんな人間でも往生できると説いたのが浄土宗・法然。「南無妙法蓮華経」と唱えればその身のまま成仏できると説いたのが日蓮宗・日蓮。当時は悩み苦しむ人々を宗教によって救う時代でした。しかし、太田宿にある寺は4寺が禅宗(臨済宗妙心寺派)です。守護である土岐氏の加護で発展しました。記念碑①坪内逍遥顕彰碑太田小学校に隣接した逍遥公園(昭和32年整備)で、昭和37年(1962)1月27日に除幕式が挙行されました。②忠魂碑祐泉寺に明治維新以来、日清、日露戦争など戦没した太田町出身の兵士のために制作された記念碑です。戦後、国内の忠魂碑はGHQにより軍国主義的な意図を有するとして多数撤去されましたが祐泉寺には残っています。日清戦争で1名、日露戦争で9名など、209名の方が刻まれています。中山道太田宿のパンフレットにも記載されていますので、ご参考に。
2022年01月20日
加茂野を歩こう⑦【富加駅からたんどーる】 美濃加茂市はWalkable City Minokamoをテーマに生涯健康で、元気に生きるまちを目指しています。 今回は、加茂野町内のウォーキングコース紹介の第7回目です。今回は美濃太田駅を起点とする市内の公共交通を利用したウォーキングコースを紹介しますので、市外からいらっしゃる方にも楽しんでいただきたいと思います。 記事の最後には、美濃太田駅発着のモデルプランをご紹介します。(所要時間4時間) コース7【富加駅からたんどーる】 起点:富加駅(加茂野町鷹之巣・富加町羽生) 終点:たんどーる(あじさいヶ丘1丁目) 距離:5.3km ルート:富加駅→(駅舎から北に向かい最初の交差点を左折)→(次の交差点を左折)→(踏切を渡り道なり)→あじさいエコパーク→蜂屋川(橋の手前を左折)→《蜂屋川土手》→(3つ目の橋で右折)→加茂神社(参道前を右折)→《(水路沿いを南へ)》→(T字路で左折し次を右折)→(最初の交差点を左折)→三ツ池北西→三ツ池南東(市道へ出て東へ)→今泉グラウンド→公園(通り過ぎたところで斜め左)→(左に見える横断歩道を渡る)→長良川鉄道(踏切を渡って直進)→木野村中線(渡って直進)→《(斜面に沿って東へ)》→前平公園通り(渡る)→たんどーる 美濃太田駅から長良川鉄道に乗って富加駅に着いたら、駅舎を出て左回りに踏切を渡って南へ進みます。右手に見えるあじさいエコパークを通過して蜂屋川の手前で左折したら川沿いを歩きます。土手を歩き始めて3つ目の橋を渡り、前方に見える林の中に加茂神社があります。加茂神社の正面に出たら、参道を南に進みます。右手にある水路に沿って左折、右折と繰り返し、T字路に突き当たったら左折し、次の交差点を右折します。次の交差点を左折するとしばらくして三ツ池の北西角に出ます。池沿いに南へ向かうと、池の南側には公衆トイレがあります。池の南から市道に出て東へ進み、今泉グラウンドを通過して県道富加坂祝線に出たら、少し左にある横断歩道を渡ります。その先の長良川鉄道の踏切を越え、しばらく直進すると周辺が住宅から農地に変わり、見通しの良い広い交差点に出ます。この交差点を直進し、前方の丘の上に見える大きな工場を右側から回るように東へ進みます。先の道路に続く坂を上がり、前平公園通りを渡った左側に「たんどーる」の店舗があります。たんどーるからは、市が運営する路線バス(あい愛バス)で美濃太田駅まで戻ることができます。 今回は公共交通を利用して、⑥で紹介した【富加駅】から加茂野町を東西に横断し若尾製菓㈱が運営するカフェを併設したスイーツショップ【たんどーる】に至るコースです。 起点にする美濃太田駅は、昔から交通の要衝として、高山本線・太多線・長良川鉄道の乗換駅となっています。また、市内を走る交通網として市が運営するあい愛バスがあり、市内各所にバス停を設置し、多くの方に利用していただいています。9路線のうち加茂野町内では、「あまちの森・しょうよう線」と「フルーツ蜂屋線」の一部が通っています。このルートで利用するのはフルーツ蜂屋線の「たんどーる」バス停です。たんどーるの店舗は蜂屋地区にありますが、運営する若尾製菓㈱(タンドール製菓㈱)は1980年代から加茂野町を拠点に全国にお菓子を出荷されてきた企業です。カフェを併設した店舗【たんどーる】は、2016年に美濃加茂市あじさいヶ丘に建設したあじさい工場の隣に直営店として開業され、様々なスイーツがその場で味わえるようになっています。 ウォーキングの締めに、お店に寄っていただくのもいいかもしれませんね。(利用される場合は、事前に営業日・時間等ご確認ください) 交通機関(令和4年1月現在の時刻表によるモデルプラン) 出発:美濃太田駅 8:12美濃太田駅発(長良川鉄道・3駅)→8:21富加駅着 8:30富加駅出発(ウォーキング5.3km・90分)→10:00たんどーる(カフェ)到着 12:02たんどーる(バス停)発(あい愛バス フルーツ蜂屋線右回り・5区間)→12:10美濃太田駅北口着 富加駅駅舎加茂神社三ツ池(南側)たんどーるとあい愛バスバス停
2022年01月11日
加茂野を歩こう⑥【富加駅】 美濃加茂市はWalkable City Minokamoをテーマに生涯健康で、元気に生きるまちを目指しています。 今回は、加茂野町内のウォーキングコース紹介の第6回目です。これまでは各地区にあるため池を目的地にしてきましたが、交流センターから北に進むと蜂屋川・詰田川という2本の河川があるため、農業用ため池の必要性は低かったようです。そこで今回は長良川鉄道の駅を目的地に歩いてみることにしましょう。 コース6【富加駅】起点・終点:加茂野交流センター 目的地:富加駅(加茂野町鷹之巣・富加町羽生)距離:4.9km ルート:交流センター→小学校前歩道橋(渡る)→グループホーム百々美濃加茂(左折)→喫茶ブレイク(右折)→《蜂屋川(橋を渡って左折)》 →(2つ目の橋で右折)→あじさいエコパーク→長良川鉄道(線路沿いに左に進み踏切を渡る)→(次の交差点を右折)→富加駅前→(蜂屋川までは同じ道を戻る)→蜂屋川(橋を渡って道なり)→(突当りを右折)→鷹之巣公民館→旧国道248号線(点滅信号を渡って直進)→(2つ目の交差点を左折)→加茂野保育園→天乳池(池に沿って左折)→加茂野交流センター 交流センターから旧国道248号線に出て、左側に見える歩道橋を渡ったら、最初の交差点を左に向かってください。しばらく進むと左手に喫茶店のある交差点に出るので、そこを右折します。そのまま直進すると蜂屋川に架かる橋に出ます。この橋を渡って左折し、川沿いを歩きましょう。そこから2つ目の橋まで行ったら、右折して北へ向かいます。左手にあるあじさいエコパークを通過してさらに進むと長良川鉄道の線路に突き当たります。道なりに進んだ踏切を渡って次の交差点で右に向かうと、すぐに右手に富加駅があります。帰り道は蜂屋川まで同じ道を戻ります。蜂屋川に着いたらそのまま橋を渡り、道なりに進むとすぐにT字路の突き当たりにぶつかります。そこを右折し住宅地の中を進んでいくと、旧国道248号線に出ます。点滅信号がありますので、これを渡って2つ目の交差点を左に曲がったら、あとは直進すれば加茂野交流センターに到着します。※歩道のない道では、路側帯やカラー舗装の内側を歩きましょう。※あじさいエコパークは敷地内にトイレがありますが、施設閉鎖中は入口の門が閉まっています。 加茂野交流センターから北に2000mほどのところに長良川鉄道の【富加駅】があります。この駅は美濃太田駅から数えて3つ目の駅で、「加茂野を歩こう③【木野池】」の時に紹介した加茂野駅の次の駅になります。また、駅は市町境にあり、ホームの東半分の加茂野駅寄りが加茂郡富加町羽生、反対の西半分の関市寄りが美濃加茂市加茂野町鷹之巣となっています。国鉄越美南線時代は、今の加茂野駅ではなく、こちらの駅が加茂野駅と呼ばれていたようです。 この富加駅の駅舎は屋根こそ葺き替えられているものの、大正時代に建てられた木造の駅舎です。また、加茂野駅のホームは片側のみですが、富加駅は線路を挟んで両側にホームがあり、駅舎側から反対のホームには構内踏切(といっても遮断機や警報器はありません)を通って渡るようになっています。こういったローカル線の駅や駅舎の構造に注目してみるのも面白いと思いますよ。 あじさいエコパーク(フィールド)あじさいエコパーク(建物)富加駅駅舎
2021年12月14日
太田地区民生・児童委員協議会定例会が12月7日(火)に開催され、毎年実施されている歳末たすけあい事業の打ち合わせと認知症サポーターの研修会を行いました。認知症サポーター研修では、西部長寿支援センターの職員の皆さんによる寸劇も交えながら、実践に即した対応を学ぶことができました。 コロナウイルス感染拡大予防の状況下ではありますが、徐々に訪問活動等を再開していく予定です。*感染防止対策を実施して会議を行っております。寸劇の様子
2021年12月13日
太田宿の宝物⑰太古のロマン 日本最大級の『化石林』 平成6年(1994年)の夏、異常渇水により木曽川の水位が低下し、太田橋下流の右岸(美濃加茂市)と左岸(可児市)の河床から大規模な425本の直立樹幹化石林を当時の加茂高校鹿野勘次教諭が発見されました。 発見された化石林は直径1cmから1mほどで、規模は日本最大級と言われています。 この化石林は珪化木で、約1900万年前の樹林が立ったまま化石として残ったもので、重要なことは立ったままの化石で倒れた化石ではないということです。倒れた化石ならば何処からか流れてきた事が考えられますが、立ったままだと言うことは、当時この付近は森林だったということです。木曽川は何処にあったのか?育成した状態で水底に沈んで土砂に埋もれたのか?火山活動による火山泥流に埋もれたのか?火山活動だとすれば蜂屋火山か?上部は燃えて根だけ残ったのか?まさに太古のロマンを感じざるを得ません。 年輪から最高樹齢は112年で全体では20年以内が多く、意外に若木です。主な樹種名は、今の日本には分布していないアオギリ科の植物です。この地層は瑞浪層群で化石林以外にもカニサイの足跡化石などがあり、化石の宝庫です。文化財として保護することが検討されましたが、木曽川の浸食で消滅するため見送られました。その後、美濃加茂市では化石林公園として整備され現在に至っています。木曽川左岸(可児市側)から化石林を望む
2021年12月06日
加茂野を歩こう⑤【稲葉池】 美濃加茂市はWalkable City Minokamoをテーマに生涯健康で、元気に生きるまちを目指しています。 今回は、加茂野町内のウォーキングコース紹介の第5回目です。 コース5【稲葉池】 起点・終点:加茂野交流センター 目的地:稲葉池(加茂野町稲辺) 距離:5.7km ルート:交流センター→天乳池(南へ直進)→水路(直進)→(突当りを右折)→(次の交差点を左折)→《地下道(248号バイパスをくぐって直進)》→稲葉池(上池1周700m+下池1周650m)→下池を半周(北西角を右へ)→水路(越えて左折)→(右折)→稲辺交差点(渡って直進)→稲辺公民館→水路(越えて右折)→美容院ぴよぴよさん(左折)→加茂野保育園(右折)→(県道に出たら右の横断歩道を渡る)→(直進)→(右方向に信号交差点のある市道を渡る)→→天乳池(池に沿って左折)→加茂野交流センター 交流センターからまっすぐ南に向かいます。農地の間を抜けて再び集落の中を通ると、国道248号バイパスの手前の市道に出ます。右折して1本隣の通りからバイパスをくぐる地下道を通って再び南へ向かうと、200mほどで稲葉池の上池と下池の間に着きます。2つの池をそれぞれ1周して、下池を半周すると右に逸れて帰路に入ります。少し北に進み、248号バイパスの手前で水路沿いに左に向かうと、稲辺交差点があります。信号を渡って北へ進むと、集落のはずれに水路が通っています。この水路沿いで1本東の通りに入り、再び北に向かうと加茂野保育園に突き当たります。あとは右折して道沿いに進むと天乳池と加茂野交流センターが見えてきます。 ※車通りの少ない農道を通りますが、交差点など安全には十分注意してください。 ※路側帯やカラー舗装のある場所では、その中を歩きましょう。 ※公衆トイレは、起点となっている加茂野交流センターの南にある天乳池にしかありませんのでご注意ください。 加茂野交流センターから南に1800mほどのところに【稲葉池】があります。加茂野町に現存するため池の中で、最も古い時期に作られたものだそうです。稲辺は周辺に河川のない地域で、土地改良の木曽川右岸用水事業が完了するまでの間、稲辺地域の農業を支えてきました。 現在は、東側の上池と西側の下池の周囲に遊歩道が整えられています。池の脇にも駐車場がありますので、そちらを利用して周辺を散策してみてもいいかもしれません。左が上池、右が下池上池下池
2021年11月30日
加茂野を歩こう④【大池】 美濃加茂市はWalkable City Minokamoをテーマに生涯健康で、元気に生きるまちを目指しています。 今回は、加茂野町内のウォーキングコース紹介の第4回目です。 コース④【大池】 起点・終点:加茂野交流センター 目的地:大池(加茂野町加茂野) 距離:3.7km ルート:交流センター→天乳池(左折)→(左に信号交差点のある市道を渡って直進)《旧248号線の南の市道》→(左に信号交差点のある県道を渡って直進)→大池(1周300m)→大池(南東角を南)→(交差点を右折)→加茂野コミュニティセンター→加茂野神社→(県道に出たら右の横断歩道を渡る)→(直進)→(右方向に信号交差点のある市道を渡る)→(最初の交差点を右折)→天乳池→加茂野交流センター 交流センターから南に出て、天乳池の南東角から東に進みます。旧248号線の1本南の通りを東に向かい、突当りまで進むと大池があります。大池は南北で2つに分かれており、南部分は周囲を回ることができますが、北部分との間は林となっており、少し薄暗い場所になるので通行する場合は注意してください。池を通過したら、池の南にある加茂野コミュニティセンターの表に回り込んで加茂野神社の前を通過、県道を渡ったら行きに通った道の2本南を今度は西に進みます。再び広い市道を渡ったら、最初の交差点で北に向かうとすぐにゴールの加茂野交流センターが見えてきます。 ※コース上は車の通りは少ないですが歩道がありませんので、路側帯の中を歩きましょう。 ※大きな通りを渡るときは、十分に安全を確認しましょう。 加茂野交流センターから東に1500mほどのところ、木野池の約300m南に【大池】があります。できた当初、3つの池がありましたが現在は南側の大きい池と北側の小さい池で構成されています。池周辺は森のようになっており、南側の加茂野コミュニティセンターや加茂野神社を含め地域の人の憩いの場となっています。また、池の中央(南北の池の間)には弁財天を祀った祠があり、毎年7月には「弁財天池祭り」が開催されています。大池(奥に加茂野コミュニティセンター)南側の池の東側から池の北端に沿って進むと…弁財天を祀った祠があります加茂野コミュニティセンター加茂野神社
2021年11月16日
太田宿の宝物⑯『太田の渡し』 太田宿は、中山道三大難所の太田の渡しがある宿場町として繁栄しました。幕府は江戸防衛の為、東海道の大井川や安部川などの大河には橋を架けず肩車や連台での通行とし、勝手に徒歩で渡ることを禁じていました。増水すると水が引くのに時間が掛かり、大井川の島田宿では31日間も川止めとなった記録もあります。 太田宿の木曽川は、水深が深く徒歩では渡れないので、渡船でした。中山道には蕨宿の戸田川、本庄宿の神流川と太田宿の木曽川の3つの渡船場がありました。 太田の渡しの渡船料金は、1人6文、馬9文でした。(時代によりますが、1文は約10円~20円)因みに明治14年には1人1銭2厘、馬は2銭4厘でした。 太田の渡しの位置は時代とともに上流側へ移り、祐泉寺の下から最後は現在の太田橋付近になり、併せて太田宿も東側へ延びていきました。 因みに可児市側は太田の渡しとは言わず『今渡の渡し』と言います。木曽川右岸(美濃加茂市側)太田の渡し場跡から今渡の渡し場を眺める
2021年11月16日
太田宿の宝物⑮宿場町には珍しい尾張藩地方役人出張役所(太田代官所)が開設されていました 尾張藩は太田宿が郡上街道や飛騨街道の分岐点で交通の要衝であることや、木曽川と中山道が交わるこの地を美濃地方の中心地であるとして、天明2年(1782)藩政改革として領内の10か所に代官所が設置され、太田宿には加茂、恵那、土岐の3郡(落合塾から鵜沼宿までの9宿)を所管する太田代官所が開設されました。代官のほか、手代(書記)6人、同心(警護)4人が勤務していました。明治元年8月、代官所が廃止、閉鎖されるまで86年間、この地の行政を司りました。坪内逍遥は手代の子として生まれ、明治2年に名古屋へ移住しました。 太田代官所の場所は、太田宿西入り口の虚空蔵堂の北付近で、現太田小学校が跡地になります。この地は低地であったため、2m程盛り土されて整備されました。昭和58年の水害時に、地元の人は小学校が高いことは知っていたため、車をグラウンドに避難しましたが、想定外の水位だったので被害に遭いました。参考に当時の被害写真と浸水図を添付します。浸水図の青い部分が高い地域で、この付近では太田小学校のグラウンド部分だけが目立ちます。因みに駅周辺も高いことがわかります。小学校の校舎は元は木造で現グラウンドの位置にあって、その後コンクリート校舎が低地に建てられ、58年の水害被害に遭いました。もし、木造校舎と同じくグラウンド位置に建てていたら被害は軽減されていたかもしれません。 坪内逍遥が描いた代官所の復元模型が中山道会館に展示されていますので、行かれた方は参考としてください。 明治23年に太田代官所跡地を南北に分断して虚空蔵堂から深田まで道路が整備されました。参考に現況の写真を添付しておきます。整備当時は小学校側も妙見堂側も玉石が積まれていました。58災害浸水図(美濃加茂市9.28災害誌より)青色部分の被害は床上10cmから床下浸水 太田小学校グラウンドが青色で埋め立てたのがよく分かります58災害で太田小学校グラウンドへ避難した車両の被害(太田小学校所蔵9.28あの日をわすれない...より)代官所跡地を南北に分断した道路 両サイドが盛り土され高くなっているのがわかります
2021年11月16日
太田宿の宝物⑭『桝形』の形態をよく現している宿場町 宿場は、江戸幕府の要塞の役割を担っていて、出入り口には桝形が設けられました。桝形とは、街道を2度直角に曲げて外敵が侵入し難いようにし、宿場の出入り口から本陣など中心部が見通せないようにする為の形状を現しています。桝形は寺院など、多くの人が集合できる場所に設置し、外敵から防御する要衝となりました。 書物によれば、殆どの宿場の出入り口には桝形が設置されたと書かれていますが、山地の宿場にはその形状から直線が取れず桝形が無い宿場も存在しています。 現在は道路改良や河川改修などで桝形がある宿場町は少なくなりましたが、太田宿や恵那市の大井宿、犬山市の城下町にも桝形は存在しています。 宿場を守る為に設置された桝形が現存していることは珍しく、これも中山道の宝物です。太田宿の桝形の場所虚空蔵堂前弥勒寺跡地西福寺入り口前祐泉寺前参考に、1800年作成の『中山道分間延絵図』の太田宿と恵那市の大井宿を添付しておきます太田宿大井宿
2021年11月16日
10月26日(火)に上古井交流センターで「第2回自治会のあり方検討会議」を実施しました。「自治会のあり方検討会議」とは、本来の自治会活動を見いだすため、自治会と行政が、自治会活動における疑問点や課題について議論、解決策を実行していく場です。近年、少子高齢化など社会情勢の変化や個人の価値観の多様化などによって、自治会活動においても市役所に多くのご相談をいただいている状況です。今回の「自治会のあり方検討会議」では、そのような自治会活動で疑問に思われていることや困っていること、負担に感じていることなどを持ち寄ってもらい、一緒に考え解決につなげていくことで自治会のあり方を見直すきっかけとすることを目的としています。第1回の会議に引き続き、今回も現役自治会長や過去の自治会長経験者約20名の方々に参加していただきました。第1回での課題出しから「ごみ問題」「加入者(率)減少問題」「役員のなり手問題」の3つのテーマに絞り、グループワークを進めていきました。グループワークの進行は、ぎふNPOセンターの野村様、北村様、野尻様にご協力いただきました。今回のグループワークでは、テーマに沿って、対象者を誰にするか、目指す姿はどんなものか、現状はどうなっているか3つのステップで議論を進めました。自治会長を経験した方々ならではのリアルな意見が多く出ました。次回は、今回のワークを基に、課題の解決策を考えるワークを行う予定です!
2021年11月09日
加茂野を歩こう③【木野(この)池】 美濃加茂市はWalkable City Minokamoをテーマに生涯健康で、元気に生きるまちを目指しています。 今回は、加茂野町内のウォーキングコース紹介の第3回目です。 コース③【木野池】 起点・終点:加茂野交流センター 目的地:木野池(加茂野町木野) 距離:4.1km ルート:交流センター→加茂野小学校前歩道橋(渡る)→グループホーム百々美濃加茂さん(右折)→三ツ池→公園先の三叉路(左)→(県道に出たら左の横断歩道を渡る)→長良川鉄道踏切(渡る)→広い市道との交差点を渡って右折《写真の交差点を右方向へ》→御鍬神社(左の林の中)→(市道に戻り先へ進む)→木野池(右折し池の北側を通過)→(突当り左折)→踏切(渡って右折)→(最初の踏切を渡ってさらに直進)→加茂野駅→踏切(左折)→(県道を渡って直進)→三ツ池→若尾製菓さん(左折)→今泉東交差点(渡る)→(最初の交差点を右折)→天乳池(手前を右折)→加茂野交流センター 前半の三ツ池までは前回紹介した「コース②【三ツ池】」と同じです。三ツ池の南を通過して、県道富加坂祝線に出たら、少し左にある横断歩道を渡って長良川鉄道の踏切も越え直進します。しばらく直進すると周辺が住宅から農地に変わり、見通しの良い広い交差点に出ます。この交差点を右折し、前方左に見える林の中の御鍬神社に寄り道しましょう。戻って、元の道をもう少し進むと右手に木野池が見えます。池の手前で右折し、池を通りすぎたら左に曲がり、再び踏切を渡ります。踏切の先で右折し、しばらく線路沿いを歩きます。次の踏切を渡り、今度は線路を左手に見る形になります。すぐ先に長良川鉄道の加茂野駅(線路の反対側)があります。次の踏切を渡って、直進し再び県道富加坂祝線を渡ります。今度は三ツ池の北側を通過してしばらく道なりです。交差点の左に若尾製菓さんの工場が見えたら、そこを左折し、旧248号線の信号を渡ります。その先の交差点を右に曲がったら、すぐにゴールの加茂野交流センターとなります。 ※大きな通りを渡るときは、十分に安全を確認しましょう。 加茂野交流センターから東に1500mほどのところ、木野地区に【木野池】があります。木野池は江戸時代、天保の大飢饉の頃に作られたものであるといわれています。 木野池には周囲を回れる遊歩道は無く、公衆トイレ等の施設もありません。トイレは途中に通過する三ツ池の公衆トイレを利用してください。 後半に長良川鉄道沿いを歩きます。長良川鉄道は、国鉄時代に「越美南線」として開通した路線が国鉄民営化に合わせて第三セクターに移行したものです。美濃太田駅を起点に、富加町・関市・美濃市を通過して郡上市にある北濃駅まで続くローカル路線です。長良川鉄道では、観光列車「ながら」を運行するなど美濃加茂市を含む美濃地方の自然や文化を楽しんでいただけるような企画を実施しています。列車の旅もぜひ楽しんでみてください。御鍬神社木野池長良川鉄道加茂野駅
2021年11月02日
美濃加茂市はWalkable City Minokamoをテーマに生涯健康で、元気に生きるまちを目指しています。 今回は、加茂野町内のウォーキングコース紹介の第2回目です。 コース②【三ツ池】 起点・終点:加茂野交流センター 目的地:三ツ池(加茂野町今泉) 距離:2.2km ルート:交流センター→加茂野小学校前歩道橋(渡る)→グループホーム 百々美濃加茂さん(右折)→三ツ池(1周)→(往復) 加茂野交流センターから旧国道248号線に出て、左側に見える歩道橋を渡ったら、最初の交差点を右に向かってください。いくつかの交差点を直進すると、左手に池の駐車場がありますので遊歩道を散策しましょう。帰り道は同じ道を戻ります。 ※歩道橋の通行が難しい方は交流センターの200mほど東の信号交差点(今泉東交差点)を通ることでコースに合流できます。 ※コース上に歩道はありません。カラー舗装の中を歩きましょう。 加茂野交流センターから東に700mほどのところ、今泉地区に【三ツ池】があります。明治に池が作られた当時は、今残っている池と合わせて3つの池があったため三ツ池と呼ばれるようになったそうです。 池の周囲は、1周600mの遊歩道となっており公衆トイレと駐車場があります。遊歩道の一部に池の上の木道があり、池中央の島に渡れる橋があるなど池の周囲だけでも楽しめます。 また、池の南東角には木曽川右岸用水事業の「土地改良碑」があり、かつてこの一帯が田園地帯であると同時に、農業用水の確保に悩まされた歴史をうかがうことができます。 歩きやすい季節になりました。明るい時間を選んで、気持ちよいウォーキングをしてみてください。三ツ池池の上の木道池の南側の駐車場と公衆トイレ土地改良碑(裏側に土地改良事業の沿革が記されています)
2021年10月19日
美濃加茂市はWalkable City Minokamoをテーマに生涯健康で、元気に生きるまちを目指しています。 これから複数回に分けて、加茂野町内のウォーキングコースを紹介します。 コースは交通量の多い場所もありますので、以下の点に注意して安全にウォーキングを行ってください。 ①歩道のある場所や歩行者用のカラー舗装のある場所はその中を、それ以外の場所は道路の右側を歩きましょう。 ②見通しの悪い交差点では必ず立ち止まって安全を確認しましょう。また、交通量の多い道路を横断するときは近くの信号や横断歩道を利用しましょう。 ③早朝や夕暮れ時、夜間は目立つ色の服を着用し、反射材を活用するなど、ドライバーから見つけてもらえるよう工夫しましょう。 ④こまめに水分補給を行うなど、熱中症や脱水には十分注意しましょう。体調が悪いときは無理をしないようにしましょう。 ⑤屋外でも密とならないよう、適切な距離を取って歩きましょう。 コース①【天乳(あまち)池】 起点・終点:加茂野交流センター 目的地:天乳池(加茂野町鷹之巣) 加茂野交流センターの南側に【天乳池】があります。鷹之巣地区と今泉地区の境目にありますが、大部分は鷹之巣となっています。 池の周囲は、1周420mの遊歩道となっており公衆トイレもあるため、歩きやすい環境となっています。周回コースで距離調整もしやすいので、健康増進のためにもぜひウォーキングに挑戦してみてください。天乳池と加茂野交流センター遊歩道は1周420m
2021年10月05日
太田宿の宝物⑫中山道には常夜燈が3か所あります 常夜燈(灯)は夜道の安全のために街道沿いに設置された石、木で造られた建造物です。一晩中火を灯すのは難しいので、どちらかというと街道のランドマーク(道標)的な扱いで設置されました。街道沿いの神社前、枡形、木戸に多くみられます。 常夜燈と灯篭の違いですが、目的は同じで街道沿いにあるのが常夜燈で、庭園にあるのが灯篭になります。 常夜燈は道標の役割ですので、形はシンプルで台座が高くなっていますが、灯篭はデザインに優れ、様々な大きさがあります。 数年前には中山道会館沿いの木曽川堤防上に常夜燈を模した時計台が設置されました。以下太田宿の常夜燈を紹介します。西の入り口にある虚空蔵堂(こくぞうどう)前で桝形地虚空蔵堂は旅人の安全祈願のために祭られたお堂で、旅人の旅人が休める安息の場でもあります。安永2年(1773年)設置祐泉寺前の桝形にある秋葉神社(火伏せの神)文政11年(1814)設置 寄進者は若竹屋林冨三郎(当時質屋、宿屋経営)祐泉寺観音堂前安政3年(1856)設置中山道会館前の木曽川堤防に常夜燈を模した時計台
2021年09月29日
太田宿の宝物⑪子供のころからの原風景 赤い丸形ポストが中山道には4基あります。 明治の後半からイギリス風の赤いポストが設置され、昭和24年ごろを最後に現在のような箱型ポストへ徐々に移行していきました。丸形ポストは小さな取り出し口から郵便物を手でかき出す手間と雨で郵便物が濡れることが欠点でしたが、箱型ポストは中に郵便物を入れる袋を吊るし、袋を交換するだけで収集できるからです。 しかし、丸形ポストは昭和の原風景で中山道のような古い町並みには景観上なくてはならない存在であり、今でも全国では4300基ほどが現役として活躍しています。中山道にある4基を東から順に紹介します。駅前通りにも1基ありますので、併せて紹介します。佐藤印刷前亀谷酒店前下町の枡形高木方前駅前通りの加久登前
2021年09月29日
楽天ふるさと納税クラウドファンディングに、美濃加茂市のプロジェクトも掲載しています。 観光地への人流減少や里山地域の担い手不足に対して、里山に新たな価値を見出すためのプロジェクトとなります。 返礼品は、プロジェクトのテーマでもある「里山」の恵みを生かし、大切に育てられたお米や果樹、お酒を始め、年越しには欠かせないおせち料理や飛騨牛など食に関わる商品を中心にご用意しました。たくさんの方に応援いただけると嬉しいです。■募集期間 令和3年9月3日(金)~12月3日(金)※ふるさと納税を使用したクラウドファンディングとなっております。美濃加茂市民の方から寄附をいただいた場合、返礼品は送付されませんのであらかじめご了承ください詳細はこちら↓https://event.rakuten.co.jp/…/crowdfund…/project/2021/0044/…
2021年09月08日
太田宿の宝物⑩中山道会館へ毎年飛来するヒレンジャク ヒレンジャクは毎年北東アジアから越冬地として日本各地に飛来していますが、中山道会館には昨年は1月21日に、今年は1月11日に飛来しました。ヒレンジャクは中山道会館にとってはお客さんの少ない冬場の救世主となります。ご存知かと思いますが、ヒレンジャクはヤドリギの実を好んで食べます。大きさはスズメよりも少し小さく18cm程度で、一番の特徴はトサカのような立派な冠羽、目の周りには歌舞伎役者のような隈取、目の下には白いアイシャドウ、尾の先が赤いのが特徴です。ヒレンジャクの名前は「緋連雀」と書いて尾が赤く、スズメのように連なって飛来することに由来しています。ヒレンジャクは西日本、尾が黄色いキレンジャクは東日本に飛来します。鳴き声はヒーヒー、チリチリと鳴きます。 なお、ヒレンジャクが飛来するためには条件があって、カラスや鷹などの外的から身を守る為の隠れ家(藪化した低木など)、近場に水飲み場、羽のダニを払い落とすための砂場があることが条件となり、中山道会館は逃げ場は脇本陣、水場と砂場は木曽川と、飛来のための3条件を満たしています。
2021年08月26日
太田宿の宝物⑨中山道沿いには公開されている『水琴窟』が2か所あります水琴窟とは、日本庭園の手水鉢(ちょうずばち)などの地下に甕(かめ)を埋めて、落ちた水滴が甕の内側空洞に反響して音が鳴る、日本庭園の最高技法と言われています。水琴窟は心で聴く音色であり、音の文化として継承されてきました。(1)太田脇本陣林家住宅隠居部屋厠(厠・便所)から出て手水鉢で手を洗い、その水滴で音を聴く(2)祐泉寺玄関前(鐘つき堂の横)35年ほど前に蹲(つくばい)の前に整備されたもの。水琴窟は江戸時代からありましたが、まだ50年ほど前に世の中に知られるようになった造園手法です。管理が難しく土が埋まって音が聞こえなくなり、かめを掘り出す作業も大変です。今では日本庭園にはなくてはならない施設になりました。如何に水滴がまっすぐ落ちるか。またかめに水を貯める工夫が困難なのです。水琴窟の構造
2021年08月25日
太田宿の宝物⑧文学碑が豊富中山道沿いには著名人の句碑が建立されています。皆さんも散策して探してみてはいかがでしょうか?・祐泉寺境内(1)松尾芭蕉の句『春なれや 名もなき 山の 春かすみ』芭蕉の句を脇本陣2代目林由興が建立されたもの。太田宿で詠んだ句ではありませんが、芭蕉は中山道を歩いています(2)播隆上人の句『世の人の恐れ 憚る槍の穂も やがて登らん われに始めて』1828年7月28日、播隆上人(42歳)が初めて槍ヶ岳に登頂した時の句(3)坪内逍遥の句『やま椿 さけるを見れば いにしえを 幼きときを 神の世をおもう』『この木の実 ふりにし事し しのばれて 山椿ばな いとなつかしも』の2種明治の文豪坪内逍遥博士が大正8年に夫婦で来町され、後に句を送付されたもの(4)北原白秋の句『細葉樫 秋雨ふれり うち見やる 石灯籠の 青ごけのいろ』北原白秋が「日本八景」の木曽川を書くために、今は廃業された望川楼に宿泊した朝、西隣の祐泉寺に立ち寄った際にその場で書かれた句・中山道会館糸遊庵前(5)岡本一平の句『木曽川と 枕を並べ 昼寝かな』『秋晴れや 映画の景色 行くここち』(絶筆)・太田宿から中之島公園(現リバーポートパーク)に移設されたもの(6)大野伴睦(元副総理)『萬緑や 木曽川下る 水飛沫』昭和39年3月3日飛騨木曽川国定公園指定記念
2021年07月21日
太田宿の宝物⑥中山道会館のシンボルツリーのエノキは日本を代表する昆虫が集まる樹木 中山道会館の中央広場には、高さ16m、幹周り3.5mのエノキ(榎)がそびえています。エノキは北海道以外の日本各地に見られる里山の樹木です。エノキの葉は、数多くの昆虫により食べられ、落葉時には綺麗な葉はありません。代表的な昆虫にチョウがあります。チョウは食草があり、例えばギフチョウはカンアオイ、モンシロチョウはアブラナ科です。国蝶であるオオムラサキはエノキしか食べません。オオムラサキは8月にエノキの葉裏に卵を産み幼虫となりエノキを食べます。秋に落葉したエノキにくっついて幼虫で越冬します。春になると幹に登り、7月に羽化します。オオムラサキを絶滅させないためにも落葉したエノキの葉を片付けない事が重要なのです。 日本で最も美しい昆虫と言われているのがタマムシです。タマムシはエノキの枯れた木に卵を産みます。幼虫はエノキの枯死木を食べ、3年後に羽化します。中山道会館のエノキの根元をよく観察すると死んだタマムシを見つけることができます。オオムラサキと同様、タマムシを絶滅から守る為には枯死木を片付けない事が重要なのです。 以上のようにエノキは多様性の植物です。エノキは里山には必ずありますので、アベマキと共にに大切に守りたいものです。 なお、中山道など街道には両サイドに一里毎に一里塚があり、多くはエノキが植えられました。 市内には文化会館の木曽川河畔に跡地があります。ランドマークの為でしょうが、旅人の夏の緑陰には最適です。 エノキは漢字で「榎」と書きます。木辺に夏と書くのもやはりエノキは夏の木である証拠なのです。タマムシオオムラサキ中山道会館のエノキ
2021年07月16日
太田宿の宝物⑤土木学会選奨土木遺産「太田橋」 中山道三大難所の太田の渡し場は、度重なる水害により上流に何度も場所を移し、太田橋が完成するまで太田橋のたもとにありました。この付近は木曽川の流れも緩やかで、川幅も狭く、橋建設場所として絶好の位置でした。建設主体は国(内務省)で、国道14号として延長約400m、幅員6.4mです。 その後国道21号、国道248号(県管理)を経て現在約4分の3は美濃加茂市道、4分の1は可児市道です。 平成23年に太田橋の内、可児市側のワーレントラス橋218mが岐阜県初の近代的道路鋼橋として土木遺産に登録されました。 因みに太田橋の完成は、大正15年2月ですが、大正天皇の容態が悪くなり、式典や開通式などが自粛され、太田橋開通式も延期されました。大正天皇は15年12月15日に崩御され、年賀状を出すことも禁止となりました。昭和元年は1週間で昭和2年が始まりました。太田橋の開通式は昭和2年に盛大に開催されました。 また、新太田橋が完成したことにより、太田橋は壊す(落橋)のが通常ですが、当時は日本ライン下りの乗船場であり、地元自治体からの要望もあって落橋にはなりませんでした。太田橋
2021年07月15日
太田宿の宝物④重要文化財・旧太田脇本陣林家住宅 脇本陣は5街道で唯一の重要文化財であり、それだけでも宝物です。約250年前の建造物が現存していることから、観光客に説明する時には、この辺りは地震が少ない証拠だと話します。隣の鵜沼宿は明治24年の濃尾地震で崩壊しています。 また、脇本陣には以下の日本最大級の施設があります。①日本最大級の半地下式の大かまど 建設の理由ですが、脇本陣は味噌醤油製造業をされていたので、製造の為か、宿泊者用の風呂を沸かす為か、(木製の風呂釜で直火で焚かず、湯を沸かして運んだ)宿泊者の料理の為かは不明ですが、かまどの煙が外に出る為の「煙出し越屋根」が現存しています。 因みに58年水害後の解体修理前は半地下は土で埋められていました。②蔵(倉)の数が10棟 現存しているのは質倉と借物倉の2棟だけですが、10棟は日本一でした。因みに重要文化財の指定名は「質倉」「借物倉」ですが、なぜ「質蔵」「借物蔵」の指定名(倉ではなく蔵)ではないのかは脇本陣でも市でもわからないようです。③うだつ(卯建)の見事さ うだつで全国的に多いのは袖壁で、脇本陣のような威勢があるものは珍しいと思います。 美濃市のうだつは防火壁で、脇本陣のそれは正に語源のごとく装飾的なデザインです。 うだつの漢字は卯建と書きますが、うだつの形が「卯」に似ているからです。 因みにうだつは暴風時に風が当たり、壊れるので都市部にはありません。京都や東京にうだつが無いのは建設禁止令が出ていたからです。重要文化財・旧太田脇本陣林家住宅脇本陣のうだつ
2021年07月14日
7月5日(月)、6日(火)の2日間、内閣府地方創生推進室より吉添圭介次長と土橋仁参事官補佐の2名が美濃加茂市を訪れ、中心市街地の状況について視察されました。1日目は初めに伊藤誠一市長と面会され、市の概要や目指す未来についての説明を聞かれました。その後、市内を回り、中山道、リバーポートパーク美濃加茂、美濃太田駅周辺などの状況について、実際にまちを歩きながら市より説明を行いました。▲中山道を案内している様子▲美濃太田駅から駅南側を望んでいる様子2日目は意見交換を行い、昨日の現地の様子から、市街地活性化のための情報提供や、他自治体の事例紹介など、たくさんのアドバイスをいただきました。視察を通して内閣府のお二人は「駅南側の地域には歴史のある中山道や、集客力のあるリバーポートパーク美濃加茂など、大変魅力的な場所があるため、それらと上手く連携して、美濃加茂市の中心市街地を活性化していってほしい」と話されていました。懇談の様子は「市長・副市長のうごき」よりご覧いただけます。
2021年07月13日
太田宿の宝物③槍ヶ岳を開山した播隆上人と地理学者で日本ラインの命名者、志賀重昴の墓が偶然にも祐泉寺に隣同士に建立してある 両名とも「山」に関連しています。播隆上人の詳細は省きますが、登拝(登山)信仰で笠ヶ岳再興、槍ヶ岳開山など、アルプスの山々に関係しています。最後は脇本陣で亡くなり、祐泉寺など4か所にお墓があります。 志賀重昴は岡崎市の名誉市民で、詳細は省きますが明治27年に刊行した「日本風景論」がベストセラーとなりました。内容は、日本の風景の美しさを書いた本で、得に山について詳しく書かれています。(日本山岳名誉会員) 大正時代に太田町に講義・講演の為2回訪れています。昭和2年に太田橋開通の為、船頭さんのリストラ対策及び大正10年の高山線開通の為、観光対策として志賀重昴に依頼されました。志賀先生のお墓は祐泉寺など3か所にあります。 両名とも山に関しての第一人者でお墓が隣接しているのは太田町だけでなく、市の宝物といえるでしょう。播隆上人のお墓志賀重昴のお墓
2021年07月12日
太田宿の宝物②太田盆地に産出する玉石積みの石垣風景 太田宿一体は、木曽川の扇状地である太田盆地に形成された町です。木曽川の中流域のため、石積みに適した玉石が河原だけでなく掘れば地中からザクザク出てきます。各務原市から下流は、玉石が無くなり砂になります。特に有名なのが銀杏の生産量が多い稲沢市祖父江町の祖父江砂丘です。日本一の湖畔砂丘です。 昭和58年の大水害後、現在の堤防ができる前のライン街道付近は玉石積みの街道や民家が沢山ありましたが、堤防整備により現在では殆ど残っていないのが残念です。高さがある玉石積みは少なくなりましたが、太田盆地には今でも多くの玉石積みがあります。県内には意外と少ない風景が今でも残っています。 その顕著な祐泉寺の玉石積みと神名水神公園の玉石積みによる石垣の写真を添付しておきます。 今ではこんな綺麗な積み方ができる石工は日本でも数が少ないです。 祐泉寺の玉石積み神名水神公園の玉石積み
2021年07月08日
初めに 私達の住んでいる太田地域の魅力を広く紹介するため、これから地域のから「地域の宝物」を集め、それをこのブログで「中山道太田宿の宝物を探るシリーズ」として発信していきたいと思います 昨年度からコロナ禍に明け暮れ、感染防止対策の年となり、現在も感染拡大に歯止めがかかりません。すでにwithコロナの時代に突入し、未曾有の危機だからこそ大きな変革をもたらす事ができる時でもあります。 太田宿は過疎化、高齢化、商店の衰退など課題が多く、長い間まちづくりをやっていても思うように成果が上がっていないのが正直なところです。コロナ禍同様、困ったときに助け合う共助の大切さが再認識され、新たなライフスタイルに合ったまちづくりや運営など改革が求められています。 特に太田宿では、古くからの商店主と新たな商店主、静かな町に住んでいる人達が共存する宿場町に向かう為に、私達は地域の宝物を如何に発掘し、活性化し、その魅力を効果的にPRする戦略にかかっています。 皆さん、未来につながる太田宿の宝物を探し、育て、後世に伝えていきましょう。太田宿の宝物① 酒造りに欠かせない良質な地下水が豊富 良質な水とは麹菌や酵母の栄養源となる物質が豊富に含まれている事。ただし、鉄(水道水の十分の一)、マンガン(水道水の半分以下)が多いと、日本酒の色を褐色化し、香味を悪くする作用がある。木曽川の伏流水はまさに鉄分やマンガンが少なく良質な水である。 酒造りには最高なので御代桜の酒が美味いのも納得できます。
2021年07月05日
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