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正しい物の見方を身につけなくてはいけません。つまり、あなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自分を表現していることです。霊的部分が本来のあなたです。霊が上であり、体は下です。霊が主人であり、体は召使いです。霊が王様であり、体は家来です。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分です。
2021.06.08
神は、全生命を包む法則です。なぜなら神は全生命を創造し、全生命を扶養し、全大宇宙は神と神の法則によって存在できるからです。神は森羅万象となって顕現しています。昇っては沈む太陽にも、満ちては引く海の潮にも、夜空に輝く星にも、鳥のさえずりの中にも、稲妻や雷鳴の中にも顕現しています。
2021.06.07
皆さんは私の姿を見ることがありませんでした。この霊媒の口を使って語る声でしか、私のことを知りません。しかし信じてください。私も物事を感じ、知り、愛することの出来る実在の人間です。霊界こそ実在の世界であり、地上は実在の世界ではないのです。そのことは地上という惑星を離れるまで、理解できないことかもしれません。
2021.06.05
霊的真理のための闘争は、やさしいものではありません。聖書にも光と闇の闘いの話がありますが、両者は現実に存在します。が、光の方が強力です。いつかは光が闇を突き通します。しかし時には闇があまりに濃いために、突き通すのに手こずることがあります。
2021.06.04
私たち霊はあなた方人間に、精一杯の努力以上のことは求めません。あなた方は欠点をもった存在であり、その欠点を一つ一つ取り除いていかねばなりません。しかしそれは大変時間のかかることであり、たった一度の地上人生では達成できません。
2021.06.03
あなたが説く霊的真理が敵意をもって迎えられた時は、その素晴らしい宝石の輝きが見えない気の毒な人への適切な言葉を求めて神に祈りなさい。もしもそれが少しでも効果があれば、その人との出会いは無駄でなかったことになります。もしも何の効果もなければ、それはその人がまだ霊的真理を受け入れる用意が出来ていなかったことを意味します。魂に準備が出来ていない時は、なすすべがありません。
2021.06.02
敵意は無知の産物です。そこに理性の働きは見られません。時には恐怖心から出ていることもあります。また時には、洗脳の結果の場合もあります。知的抵抗力のない幼い時期に植えつけられた、おざなりの教えから抜け出せず、精神が汚染されているのです。
2021.06.01
解放されねばならないのは女性だけではありません。男性だけでもありません。子供だけでもありません。人類によって苦しめられている動物も解放してやらねばなりません。霊は常に自由であるべきです。物的な何ものによっても束縛されるべきではないのです。物的身体は、霊が自己表現する手段として与えられています。解放とは、それを制約するもの全てを取り除くことです。
2021.05.31
物的なことと霊的なことの区別がつかない人は気の毒です。日常で悪戦苦闘していても、霊的な平静さと安らぎを忘れないでいることは可能です。地上のどんな困難の中にあっても、自分が本来は霊であることを忘れず、その聖域を守ることが出来れば、いつでも内的な安らぎを得ることが出来ます。安らぎは外から得るものではありません。内部から湧き出てくるものです。
2021.05.30
良くも悪くも、あなたの霊的運命を決めるのはあなたです。あなたのことに関して、最後に責任を負うのはあなたです。もしも死の床で罪を告白し、特別な信仰を受け入れれば、立ちどころに罪が許されて潔白の身になれるとしたら、それはまさにお笑いものであり、茶番劇というべきです。
2021.05.29
死後と言いますが、私たち霊は時々地上を見渡して “果たして死ぬ前に生命はあるのか” と思うことがあります。全く生きているとは思えない人、仮に生きていると言えても、これ以上小さくなれないほどお粗末な形でしか自分を表現していない人が無数にいます。
2021.05.28
名声が何になるでしょう。子供のオモチャのようなものです。何の価値もありません。そもそも名声はどうやって得られるか考えてみなさい。お金があるとか世間的に出世したとかで、名が知れたに過ぎません。キリストはそういう名声は一切求めませんでした。先師、聖者、先駆者、改革者と言われた人は、名声を求めたでしょうか。大切なのは、どれだけ人のために尽くしたかであり、その人の名前ではありません。ですから、有名人の名前を名のって出る霊には気をつけた方がよろしい。判断の基準は、何と名のっているかではなく、どういう態度でどんなことを説いているかです。
2021.05.27
動機が何か 一 これが最後の試練です。魂の奥の静かな、そして小さな声が反発するために、戦争に参加することを拒否する人と、これが国への奉公になるという考えから、つまり一種の奉仕的精神的から敵を殺す覚悟と同時に、イザとなれば我が身を犠牲にする覚悟をもって戦場におもむく人は、私たち霊から見て上下の差はありません。動機が最も優先的に考慮されるからです。
2021.05.26
聖書の言葉を議論することよりも、もっともっと大切なことがあります。主よ、主よと叫ぶ人がみな敬虔なのではありません。神の意志を実践する人こそ敬虔なのです。それをキリストは二千年前に言っています。なのになぜ今日なお、あなた方キリスト教の牧師は、それが一番大切なことを信者に説けないのでしょう。
2021.05.25
神は人間に理性という神性の一部を植えつけました。あなた方クリスチャンも、その理性を使ってもらいたいのです。大きな過ちを神妙に告白する。それは心の安らぎになるかも知れません。が、罪を犯したという事実は少しも変わりません。神の目から見て歪みが正しくなるまで、罪は相変わらず罪として残っています。いいですか、それが神の法則なのです。キリストが言ったという言葉を聖書からいくら引用しても、その法則は変えられません。
2021.05.24
大半の人は、地上だけが人間の住む世界だと考えています。今の人生が全人生と思い込み、物的なものを、いつかは残して死んでいかねばならないのに、せっせと蓄積しようとします。戦争、流血、悲劇、病気の数々も、元はと言えば、人類が今の時点ですでに霊的存在であること、つまり、肉体だけの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。人間は肉体を通して自分を表現しているスピリットなのです。そのスピリットが地上という物質の世界を通して、魂を成長させ発達させて、死後に始まる霊界生活に備えているのです。
2021.05.23
あなた方人間こそ死者です。本当の生命の実相を知らないという意味で、立派な死者です。神の宇宙の美しさが見えません。地上という極小の世界のことしか認識していません。すぐまわりに雄大な生命の波が打ち寄せているのです。愛しい人たちは、そこで生き続けているのです。そしてその背後には何重にも高く界層が広がり、計り知れない遠い過去に同じ地上にいた人が無数に存在し、その体験から得た叡智を役立てたいと望んでいるのです。
2021.05.22
皆さんもいつかは寿命を全うして、肉体に別れを告げる時が来ます。皆さんのために尽くして古くなった服を脱ぎ捨てる時が来ます。土の束縛から解放されて、死の彼方で待ち受ける人と再会できます。そのめでたい第二の誕生にまとわりついている、悲しみと嘆き、黒い喪服と重苦しい雰囲気は取り除くことです。そして一つの魂が、光と自由の国に旅立ったことを祝福してあげるべきです。
2021.05.21
苦痛と老い、疲労と憂鬱から解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から抜け出し、光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。魂本来の欲求である探求心を、心ゆくまで満たせるようになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っています。その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを嘆いているのです。自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、つまり、自分を包んでくれた愛を奪われた、その孤独を嘆き悲しんでいるのです。
2021.05.20
霊が地上に働きかけるためには、必要な条件を人間が用意しなければなりません。霊界と連絡のとれる条件を用意すれば、身近な霊が働きかけることが出来ます。よく聞く不思議な体験、奇跡的な救出の話は全て、それなりの条件が整った時のことです。条件を提供するのは人間です。人間が手を貸してくれなければ、霊は人間界に働きかけることが出来ないのです。
2021.05.19
霊界の誰かが、それまでに身につけた知識を伝えて、地上を良くしようと思い立ったとします。その時、その霊が地上で有名人なら、身元を明かすことを躊躇するものです。少なくとも当分の間は明かしたがりません。それは、その霊が通信を送ろうとする、そもそもの目的とは関係のないことであり、そんなことで余計な混乱を生じさせたくないからです。
2021.05.18
人間は身体的には進化の頂点に達しています。次は精神的進化と霊的進化です。長い年月をかけて徐々に全人類が、自分の心霊能力に目覚めていくでしょう。が、ここで但し書きが必要です。心霊能力を発揮することが、必ずしも霊的に進化しているとは言えないことです。霊的身体がもつ能力を全て発揮しても、魂そのものは少しも進化していないということはあり得ます。本当の意味で霊的に進化し始めるのは、人への奉仕を目的にして、霊界のスピリットと協力しながら心霊能力を開発した時です。
2021.05.17
人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖くないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知りながら、なぜ将来のことを心配するのでしょう。不幸の心配は、不幸そのものより大きいものです。その心配の念が、現実の不幸より害を及ぼしています。
2021.05.16
人間には三つの側面があります。まず第一に霊であり、次に精神であり、肉体です。人間としての個性を存分に発揮するようになるのは、この三つを認識し、上手く調和させた時です。物的世界にのみ心を奪われ、物的感覚にしか反応しない人間は、精神的な面や霊的な面でのみ得られる、大きく深く美しい喜びを味わえません。反対に、精神的なものや霊的なものばかりの瞑想的な人生から生まれる内的な満足のみを求め、この世の人間としての責務を無視する人間は、一種の利己主義者です。
2021.05.15
私たち霊が地上の人たちに伝えられる最高の知識は、人生は死とともに終わらないことです。したがって、苦しい人生を送った人も失敗の人生を送った人も屈辱の人生を送った人も、みなもう一度やり直すことが出来るのです。悔し涙をぬぐうチャンスが必ず与えられるのです。人生は死後も続きます。永遠に続くのです。その永遠なる旅の中で、人間は内部に宿る能力、地上で発揮できなかった才能を発揮するチャンスが与えられます。同時にまた愚かにも法則を無視し、他人への迷惑も考えず横柄に生きた人には、その悪行の償いをするチャンスが与えられます。
2021.05.14
体が病むということは、精神か魂のどちらかに不自然なところがあることを意味します。魂が正常で精神も正常なら、体も正常なはずです。体に出る症状は全て魂と精神の反映です。これを医学では心身相関医学と呼ぶようですが、名前はどうでもよろしい。大切なのは、いつの時代にも変わらない真理です。魂が病めば体も病みます。魂が健康なら体も当然健康です。体の治療、これは大切ではありません。魂の治療、これが大切なのです。
2021.05.13
人間の健康を動物を犠牲にして得ることは、神の計画の中にはありません。全ての病気には、それなりの治療法が用意されています。その神の用意した自然な方法を無視して動物実験を続けるかぎり、人間の真の健康と福祉は促進されません。動物はそんな目的のために、地上に生まれてくるのではありません。真の健康は調和です。精神と魂と肉体の正しい連係です。その三つが一体になって働くことです。これは動物を苦しめたり、体内から特殊成分を抽出したりすることで得られるのではありません。
2021.05.12
大自然の因果律は変えられません。神は法則として、一瞬の休みもなく働いています。全てを含み、木の葉一枚落ちるのも法則の働きです。あらゆる治療法を試して治らなかった患者が、もし心霊治療によって見事に治ったら、それは奇跡ではなく、霊的法則が働いた証拠です。
2021.05.11
恐怖心は無知の産物です。つまり、知らないから怖がるのです。知識を手にし、霊的理解の中で生きるべきです。心配の絶えない人は、心のどこかにその無知という名の暗闇があることを示しています。そこから恐怖が湧くのです。人間が恐れるべきは恐怖心そのものです。恐怖心は闇の産物です。霊力を絶対的に信じる魂は、恐れることを知りません。
2021.05.10
人間は物質に埋もれて暮らしているために、バイブレーションが低くなっています。朝目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちから、煩わしいことや心配事の波に呑み込まれていきます。大きな悩み、小さな悩み、真実の悩み、取り越し苦労に過ぎないもの等々いろいろあります。いずれにしても一時的なものに過ぎないのですが、そういうものに心を奪われると、背後霊が働いてくれている事実を忘れ、あなたの思考の中から霊的要素が閉め出され、霊的流入を遮断する一種の壁をつくってしまいます。
2021.05.09
神は一瞬の休みもなく働き、全存在のすみずみまで完全に知り尽くしています。神は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日もともに神の働きです。有限なる人間に、神を裁く資格はありません。宇宙を裁く資格もありません。地球を裁く資格もありません。自分自身さえ裁く資格はありません。物的尺度が、あまりに小さすぎるのです。物的尺度で見るかぎり世の中は、不正と邪道と不公平、力の支配と真理の敗北しかないように思えるでしょう。当然かも知れません。が、それはきわめて偏った、誤った判断です。
2021.05.08
人間の人生に過ちはつきものです。その過ちを改めることで魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった人が、気楽な人生を送った人よりも、大きく力強く成長することが、真の意味でのご利益です。何もかも上手くいき、日向ばかり歩み、何一つ思い煩うことのない人生では、魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の計画の一部である地上という名の戦場で、魂の兵器庫を開き神の武器を持ち出すこと、それが悟りです。
2021.05.07
悲しみは魂に悟りを開かせる数ある経験の中でも、特に深い意味をもっています。悲しみが魂に触れた時、一番よく魂を目覚めさせるのです。魂は物的身体の奥深くに埋もれていますから、それを目覚めさせるには余程の経験を必要とします。悲しみ、病気、不幸などは、地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段です。もしもその教訓が簡単に学べるなら、それは大した価値のないものです。悲しみの極み、苦しみの極みでのみ学べるものだからこそ、それを学べるほど進化した魂にとって深い価値があるのです。
2021.05.06
時々、人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら暗闇の中で生きているように思えます。しかしその見方は、事実の半面しか見ていません。まだまだ未知の要素があることに気づいていません。私たち霊はあなた方人間に比べれば、遥かに長い年月を生き、宇宙の法則の働きを遥かに多く見てきました。そして私はその法則に絶対的な敬意を表します。神の法則がその通りに働かなかった例を、一つとして知らないからです。
2021.05.05
霊は生命であり、生命は霊です。霊のないところに生命はありません。物質は殻に過ぎません。霊という実在によって投影された影に過ぎません。物質自体に存在はないのです。あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、決断できるのは、あなたが霊だからです。霊があなたの体を動かしているのです。霊が離れたら最後、その体は崩壊して元の土くれに戻ってしまいます。
2021.05.04
あなたは体の奥に、神の属性である莫大なエネルギーの全てを、未熟な形、ミニチュアの形、小宇宙の形で宿しています。その神性を開発して人生の原動力にすれば、心配も不安も悩みも消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つないと悟るからです。その悟りを得ることが、あなたの勤めです。簡単なことではありませんが。
2021.05.03
シルバーバーチという存在にのみ関心を向けるのはよくありません。私は、私より遥かに偉大な霊から送られてくるメッセージを、皆さんに届けているだけです。光り輝く存在、大天使団によって組織された政庁があり、神の計画の責任をあずかっているのです。私はその使い走りに過ぎません。そのことを光栄に思っていますが。
2021.05.02
知識を求める人には、ちゃんとその人なりのものが用意されます。ですが、あなた方のように真理普及の第一線に立つ人は、みずから冒険を求める勇気がなくてはいけません。時には予想外の危険も覚悟しなくてはいけません。未踏の地に踏み込む用意も必要です。しかも、真理に導かれる所ならどこにでも付いて行き、間違いであると分かったものは、たとえ古くから大切にされている教えでも、即座に捨てる心の準備が出来ていなくてはいけません。
2021.05.01
霊能を養成する時間が無駄に終わることはありません。何の反応もなく、じれったく思う気持ちは、私たち霊にも分かります。が、そうした状況でも着実に進歩していることを知ってください。背後霊との絆が強化され、霊的感覚がますます鋭敏になっています。成長と開発と進化は、絶え間なく続いています。
2021.04.30
全存在に神の息吹きが掛かっています。だからこそ物質界の最下等の生命体も、全知全能なる神とつながり、地上で最高の聖人君子ともつながっているのです。同じ意味で、極悪非道の犯罪人と高潔な聖人は兄弟です。どちらにも同じ神の息吹きが宿っているからです。
2021.04.29
クリスチャンがキリストの生き方を見習い始めた時、画期的な新時代が始まります。が、今のところまだ始まっていません。私の目には、その兆しが見えないのです。キリストの名前を口にするだけでは、キリストに忠誠を尽くしていることにはなりません。生き方を見習わないといけません。それが出来ずに私の前で “クリスチャン” という言葉を使わないでください。キリストも言っているではありませんか。 “私に向かって主よ主よと言う人全てが、天国に召されるわけではない。神の意志を実行する人が召されるのです” と。
2021.04.28
全く新しいものが創造されることはありません。何が生まれても、それはすでに存在していたものの一部に過ぎません。大自然の法則と一致しないものが発生することはありません。法則は全てを包み込んでいるからです。人間がその存在に気づくかどうかの問題です。
2021.04.27
心配という敵との戦いがあります。無知から生じる無用の心配が、無数の人間の心に巣くっています。心配は想像の世界にしか存在しません。実在しないのです。それで私は、心配の念を捨てなさいと繰り返し言うのです。解決できない問題は起こりません。重すぎて背負えない荷は与えられません。常に明るく確信に満ちた雰囲気の中で生きれば、必ず援助の力や導きの力を呼び寄せます。
2021.04.26
霊的真理は、人間の理性と知性と体験によるどんなテストにも耐えられます。といって、もしもあなたが “こんなものは受け入れられない” と拒否してもバチは当たりませんから、心配は無用です。
2021.04.25
私は、進化の頂点を極め間違うことのなくなった、完全な霊の教師ではありません。そんなものは存在しません。向上するほど、その先に向上すべき余地があることに気づきます。その連続です。
2021.04.24
あなたは人間です。過ちを犯します。判断を誤り、失敗することがあります。人間は強く出来ていないために、常に弱さを背負っています。人間が人間である証(あかし)は、欠点があることです。だから今あなたは地上に来ているのです。
2021.04.23
皆さんはキリスト教の聖職者にも、ユダヤ教の聖職者にも、世界のどんな宗教の指導者にも出来ないことが出来ます。神は聖なる職にある人だからという理由で、霊力を与えるのではありません。霊力を与えるのにふさわしい人に与えるのです。
2021.04.22
人生で最も貴重なものは、入手が最も困難なものです。 困難でなかったら貴重とは言えません。 もしも霊的な褒賞が楽に手に入るなら、価値はないことになります。 ですから困難を歓迎しなさい。 しり込みしてはいけません。 それを逆手にとって支配下におさめ、克服しようと努力する中で、あなたの未開発な能力が引き出されるのです。
2021.04.21
大切なことは魂を感動させることです。人間はたいていの場合、神から与えられた神性の炎が小さく弱くなっています。それを大きく燃え上がらせるのです。そうした経験の中から新たな悟りが生まれます。他の人にそういう経験をさせるために、特別な聖衣はいりません。特殊な養成所に通う必要もありません。ひたすら人の幸せを願い、霊的資質を発揮する生き方を心掛け、いつでも霊力の通路として使ってもらえるように態勢を整えていればいいのです。
2021.04.20
どんな聖職者も魔法の力はもっていません。水を他のものに変えることは出来ません。司祭が赤ん坊の顔に水を、二、三滴たらしたからといって、その子の人生は何も変わりません。死後の生活も何も変わりません。その二、三滴の水は、たらす前も、たらした後も、相変わらずただの水に過ぎません。その水の化学成分を変え、法則と違ったことを起こす力は、司祭にはありません。
2021.04.19
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