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おとといはさんざん皆様に心配かけてすいませんでした。もうまりィは元気です。はい。家の中以外のことでは忘れるのも早いですので・・・。ちょっとわめきすぎたと反省もしております。暖かい言葉をくださったみなさま。心から感謝です・・・・。ありがとうございました。ただ自分自身についてさまざまな思考をめぐらせておりました。いかに自分のトラウマと向き合っていくか。忘れるために風化させるのか。完全に癒すのか。最初楽天でホームページを立ち上げるときにずいぶんと日記と言うものにとまどっていました。でも開設約2ヶ月、本当に色々な方と話すことができました。自分の痛みとむきあってる方もいます。愛するものや自分の好きなものにこだわって作ってる方もたくさんいらっしゃいます。皆さんそれぞれが表現者だと学ぶことも多々あります。今日、ファッション雑誌の編集長さんが生活雑誌の編集長をしていたことを伏せてほしいと最初に会社から言われたことを話しておられました。ファッションに生活感がでてはいけない、と。私も最初はそれを恐れていました。でもここは、なんでもありです。まじで。笑。でも根本のテーマは変わりません。「キラキラ輝いて生きていきたい」でしょう。本来自分のプライベートをきりうりしてなんぼ、私自身というひとりの人間を他人に伝えなくてはいけない世界を目指してましたから。原点にかえりました。帰還と言うやつですね。日記ではもう少し自分自身については赤裸々にお話してもいいかなと思うようになりました。私の経験してきたことで、共感してくださって、元気になってくださる方が一人でもいれば幸いです。私がみなさんに救われたように。ずっと自分には音楽しかありませんでした。作詞家として仕事をしたかった。まあ自分自身でも歌ってはいたのですがとてもとてもプロになるレベルではないと思っていたのです・・・・。作詞家志望でうけたオーディションである方と出会うことで話はとんとん拍子に進みました。君は裏方ではなく表にでなさい、とすぐにボイストレーナーの先生をつけてくれた。私も、私の家族のことも心から理解してくれた。ものすごいわがままにもかかわらず自宅から通いで仕事をさせてもいい、とまで言ってくださった。大学を卒業するまではデビューさせない、という母の考えに同意もしてくれた。約2年間、育成と言う形で、東京に通いながらそのための準備をしていました。「2年で目が出なければ諦めなさい。」家族はずいぶん反対しましたがその方への信頼感もあり、なんどももめつつも、応援してくれた。時が熟したはずの時に私の恩人が会社を引退されたこと・・・・そして私自身もあまりにも大きなエンタテイメントのビジネスの世界で心を病んでしまったこと・・・それに打ち勝つ強さが当時の私にはありませんでした。さまざまな要因が重なって、私は挫折しました。素直に、曲が書けなくなったのです。音を楽しむはずの音楽が、ばらばらに聞こえるのです。ひとつひとつの楽器の音が、素直に心にはいってこない。家族の問題も含めて私はどんどん自分を追い詰めていました。ある日なんの前触れもなく、すべてが白紙に戻りました。理由もはっきりした原因もきちんと説明されることもなく。「君みたいなお嬢サンがこんな汚い音楽業界で生きなくてもいい。」別の方はそう家族にあやまりました。私の当時生きていた世界では、なかなか信頼できる人に出会えなかった。約束などなんの意味もなかった。他人のせいではなく自分自身の問題で挫折したのだ。結果的にそのほうがよかった・・・立ち直るまで3年かかりました。おそらくあのままでは私の心は完全に壊れていたでしょう。俳優という仕事をしている系統の家族なので(別に有名ではないですが)私もその道に目覚めそうなもんですが。私はとにかくコンプレックスの塊でした。背が低いこと、それから昔太っていたこと。プロの世界に片足をつっこんだのが遅かったことの年齢的コンプレックス。女は25をすぎてデビューしても絶対にウケないとたたきこまれてましたから・・・。その世界の女のコで可愛いコや自分より歌がうまいコ、顔立ちの綺麗なコなど腐るほどいるのです。それでも私は自分らしさ、を追及しました。女は努力することでいくらでも変われることを知りました。しかも年齢は絶対に関係ないっ!自分自身を愛して似合うものをみつければよいのです。雑誌やテレビのタレントさんがやってることがそのまま自分に似合うとは限らない。洋服、メイク、などの知識もその時に得たものです。その経験を生かしながらここを作れたらと思います。いつか本当にお店になるかもしれないし。このまままた挫折するかもしれない。何年かかるかわかりませんが・・・ゆっくりやっていきたいと思います。体力と時間との戦いです。余談ですが今日お医者様にお薬を強めていただきました・・・ていうより強くなったのです・・・。胃潰瘍もなおす作用があるという抗鬱剤。副作用で乳がはるかもしれないと。笑。私は少し特殊なタイプの患者らしくて眠れないのではなく寝る時間がないのです・・・。昼に体を動かすために抗鬱剤というのは驚くほどしっくり私の体に効きました。日本ではまだまだ鬱病、神経内科、精神科などに嫌悪感を感じる人間が多い気がします。もっと昔に、ちゃんと病院へ行けばよかった、いまよりもはるかにずっと心が痛かったのに・・・。そう思います。昔は薬に依存すると(多分私は依存してしまう)将来赤ちゃんを産むときに影響がでるのではないかしらという偏見と恐怖感があったのです。歯が痛いから歯医者に行く。不眠も心の病気で、心が痛いからお医者様に行く。それだけのことなんですが。薬が増えたことで母ともめました。「自分の心の持ち方じゃないの、そんなの。」祖母がずいぶん調子がよくなってたので元の生活に戻すと祖母は自分の部屋でひとりで寝ることになりましたが・・・4時間で挫折しました。笑。私は新しい薬が眠くて仕方なく部屋でふてねをしてたんですが「出血がー!」と起こされました。泣。入院したらおそらく退院できない患者です。ウチの祖母は。看護婦サンにまかせて自分は自分の生活をしてもよいのです。でも病院から強制退院させられたあの日。祖母は完全に命をうしないつつありました。家族の愛情でがんばるしかない、そう決心したのは母でした。そしてその考えは正解でした。そしてそれに同意したのも私。気難しいのは確かなので、ヘルパーさんや家政婦さんでは、なかなかうまくいかないのです。体と心のバランスをとりつつ、やっていくしかありません。私にとってもかけがえのないひとです。祖母は。でもどれだけ大きな病気を抱えようと、鬱になってる彼女はみたことがありません。やっぱり私は弱いのかも。看病しながらでも自由に寝れたらいいんですけどね。ダー(本人にそう表記してるというとばかっぽいから違うのにしてくれ、とゆわれた。どうしましょ。)も古風な人なので、(口にだしませんが)もしかしたら私が抗鬱剤を飲むのにあまり感心してないかもしれません。ただ今の状況上、薬を飲んだら体が楽になった、と話しています。鬱剤が増えたとおちこんでいたら「乳がでかくなるならいいじゃんー♪揉みしだいてやるゥー。」と笑かされました。後に来たメールで心配かけてること充分わかりましたが。彼といたら薬いらないんですけどね。自分で決めた道をしっかりと歩きたい。でもいつも私は誰かに救われています。どうぞ見守ってください。
2002年04月30日
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今日は少々考えさせられることがありました。基本的にレスは書きこみいただいた方のところにさせてもらっています。しかし、私の判断で、自分の管理しているここに書かせていただく場合もあります。体力不足ですぐお返事できないこともあります。最初、私は自分の家庭のこと、自分の経験したこと、痛み、思いを日記というものに吐き出すことに躊躇を感じていました。たくさんトラウマを抱えていますから。しかし悩みを日記につづることで、共感していただき、助けていただいたことのほうが多いです。ネットの世界でひとの優しさにささえられて、教えていただいたことも多々あり、本当に感謝しています。他サイトでも書きこみをさせていただいてます。本音で話してくださる方には本音で自分の感情をお話しています。私がたくさんの方に救ってもらったように、共感できることで、お互いをわかりあえて、救われることもあるだろうと思うから。ただ、他のサイトではありますが、あきらかに私に批判されているであろうメッセージを読みました。他にもいろんなことがあったようですし名指しされているわけではありませんが・・・・私のことはかまいませんが、家族のことを中傷される覚えはないです。うちの掲示板で堂々と書いていただきたかったです。そのかたはご自分の日記にメッセージを残し、その後すぐホームページを削除されてしまいました。私のここの掲示板に書いている言葉が貴方の引き金になったのではないかと大変気になりましたので私書箱にお詫びのメッセージをおくらせて頂いたのですが届いているかわからないし、その方がまたここにこられるかどうかもわかりません。ですのでこの場を借りて申し上げます。私の言葉が無意識のうちに貴方を傷つけたなら深くお詫び申し上げます。さまざまなことを考えてみましたが、私はやはり自分の感じたこと、大切なひとのことしかかけません。まだ躊躇は残っていますが。お洋服や雑貨を扱うお店をつくりたい。自宅で仕事をする時間をつくりたい。一人の大人として今の環境に甘えず依存せず生きたい。そう思ったのがはじまりでした。プライドの高い女だと思う方もおられるかもしれません。私は言葉を扱う勉強をしていました。詩人になりたかったのです。シンガーソングライターの卵としてあるレコード会社で育成をうけていました。デビュー直前で挫折しました。お洋服を扱うこと、メイクやおしゃれのこと。コンプレックスをたくさん抱えていたのですがその時に学んだことが多いです。こうやって日記を書かせていただくことで誰かになにかを伝えようとすること。それも、すべて含めて原点に返った気がします。また挫折するかもしれませんが・・・笑。ゆっくりやっていきます。私のやり方で。ちなみにうちの掲示板はなにを書いていただいてもかまいませんので・・・ただし自分が発言をするときは慎重になりたいと思いました。まあこんなまりィですが、今後ともよろしくお願いいたします。
2002年04月29日
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日記タイトルは峠という詞のフレーズ。絶望的な風景のなかで主人公が愛する人と歩き出す・・・。ザ イエローモンキー活動休止前のアルバムの最後の曲・・・。さて昨日書いていたとおり昨日はお仕入れにいってきました。仮眠を取らずに商品整理して、薬なしでこてッと寝ました。しかもこの半年で一番の熟睡です・・・・。4時間弱でぱきっと目がさめました。が、かなりさわやかです。先日お百度参りの後のせいか足も痛くないし。人間歩くのが健康のモト、というのはわかる気がする。そして睡眠も時間ではなく質なのでしょう。今までは問屋街を歩きつつ、自分で探していたのだけれどそれなりにホームページが動き出したのでダー様(今日は様なのである。)がプロ用の総合仕入れのお店につれていってくれました。IDカードをつくらねばならないので一般の人は入店できないのです。警備のひともたくさんいて、まずコインロッカーに荷物をいれ、透明バックに貴重品のみをいれます。おおおおお、なんじゃこりゃー。付き添いは1名のみ入店できるということでまりぃは借りてきた猫状態でダー様についていきます・・・。閉店まで二時間弱、というチャレンジャーなことをしたのでそれはもう建物の中を猛スピードで歩き回ること・・・・。ダー様はお仕入れやお洋服にかけては師匠なので怖いのなんの。笑。「スニーカーと動きやすい格好、それからメモとペンと電卓、持ってきたァ?」まりぃはスニーカーを一足ももってないのです。トップに貼る赤のサンダル(ヒールが低いので)にジーンズ、という格好でした。「うう、持ってきてません。ゆってくださいよゥ。」「そういうのは心構えの問題で教えなくてもできなきゃいけないじゃん。」と、日本舞踊を習う時の祖母と同じ言葉・・・・。言い訳は、いけません。そのとおりです・・・。プロ用のお店とはいっても、お店持つ人が楽しめるディスカウントショップみたいなもので家電製品からお洋服まですべてが揃うのですが、はーこんなんバーゲンのほうがよっぽど安いやろーと思うものもあれば、掘り出し物もあります。そんななかで目利きを養うそうで。今は趣味の延長上でやっていますが・・・まりィは大量仕入れしないので利益率なんて考えてないし・・・だから楽しくて仕方ないんだけど・・・本当にプロになればさまざまな問題がでてくるでしょう。いつまでも今の気持ちを忘れず「高品質、低価格」を目指したいもんです。(どっかのうたいもんくみたいだな)まりィは家庭教師というお仕事をプロとしてやっていました。もちろん塾では学生よりしたっぱで働いて修行したし睡眠時間減らして勉強もしました・・・やっと自分で自信が持てた頃にすべてをゼロにもどすのは勇気がいりましたが・・・何年かかるかわかりませんが、ゆっくりやっていこうかな・・・と思います。叶うかな。バイヤーの友達に「お前にできんのー?」と笑われたりしてますが(塾講師になったときも黒板とどくのー?と言われた。笑。)でも自分の原点にもどった気がします。おしゃれも、メイクも大好きです。でもいつまでも若い子と同じでもいられないのも事実。私なりのいろんな経験を生かせたらと思います。目指せ大人の安可愛いいゴージャス。昔はあえて流行モノは買わなかったのですが自分に似合うものを見つければ、意外とにあったりするもんです。少しの勇気で。ひとは変われる。その話はまた明日・・・・・。
2002年04月28日
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本日は本格的お仕入れにいってまいりました。まだまだ体力不足で出品しきれてないしホームページもまとまりないんですが・・・雑誌で流行のものを研究し尽くして出かけたのでちょっと自信のセレクトです。(>_<)雑誌や市販のものよりは価格も低くしてるつもりなんですが・・・。さてさてどうなることやら。でもやっぱり自分が欲しいと思うものを基本に目をギラギラさせて選ぶまりィです。お店を持つってこんな感じかな。また詳しい話は明日でも・・・。明日からまた毎日少しづつ更新していきます。のでぜひページとフリマをのぞいてクダサイ♪うーんここ数日睡眠不足なので帰宅すると死ぬほど疲れました。(-_-;)今寝たら朝まで起きれないかもです・・・・。この半年、一回だけ本当に起きれなかったことがあって仮眠のつもりが目覚めたら朝六時でした。(^_^;)携帯のバイブレーションがぶるっと鳴っただけで起きるまりィですが・・・当時は目覚まし三個使ってました。昼、母親が交代で起こしにきたとき、身体をゆさゆさ3分ほどゆすっても起きなかったらしい。・・・このコ死んだのかしら。と真剣に思ったそうな。(-_-メ)うーん。今日はおきれないかも・・・。ああ神様。あたしに体力と時間をください・・・。
2002年04月27日
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ダーが仕事ひとだんらくしたらしく明日お仕入れ行こうか?とゆってきてくれた。が深夜一時をすぎていたのでどうなるかな・・・・。母は彼とメールしてるというと小姑のようにがみがみいうので(笑。)メールはしてないことになっている。明日起きてから交渉なり。明日昼に交代してから、買い物、夕飯づくりは神業だァ・・・。女はおめかしが大変なのお・・・できたら前もって知りたい・・・。でも彼もフリーで働いているから仕方ないです。彼はカジュアル専門なので、まりぃの着るお洋服はピンとこないらしい。私は精一杯キレイ系のカッコがしたいのだが彼は私にジーンズをすすめる。教師生活はジーンズ厳禁なので3年以上買ってなかった。私がぜったいジーンズをはかないのでダーがプレゼントしてくれたのはビンテージモノのリーバイス501。ざーっと商品を見て、はいこれはいてごらん、と渡された一枚はばっちしジャスト。プロってこんなものなのねー。やっぱりまりぃはまだまだ修行中です。まりぃはぺたじリなので、女物ではなくメンズもの。ベルボトムが好きだがこの身長なので切れば普通のジーンズになってしまう。泣。しかも驚きなのは!心斎橋のリーバイスの女物はローライズしかないのだ。あんな股上の浅いジーンズ・・・はけない・・・。ちょっと年を感じて泣きそうだったな。うまくいけばメンズモノも増やしていきます。またページ見てくださいね。ちなみに今年の流行はうすい色か白のGジャンらしい。さて今日は夕寝せず睡眠時間3時間でがんばっつた・・・。そろそろ寝るかな。
2002年04月26日
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ううむ。すっかり生活が悪循環のここ2,3日。祖母が昼夜逆転してしまい深夜に元気になるのでついついほっとけず一緒に起きている。昨夜は他オークションサイトで出品していたリストバンドが完売した。(ていうか時間無いからそんなに出品してないけど。)突然いっきに売れたので私はやはりあゆ姫の影響ではないかと思う・・・。昨日ViViを購入、あゆ姫が表紙だったのだがやはり黒と白のリストバンドをしていた。微妙に糸がほつけてたりして「?」と思ってみたら本人私物とあった。しかもあれはシャネルではないっぽい。先日シャネルのリストバンドをネットで見たのでそれだと思ってたんだが・・・どうなんだろ。冬場彼女はシャネルのファーマフを可愛く着こなしていたので。ViViでの彼女は無地のリストバンドにワッペンを貼りつけていた。意外と安いものだったりして。ううむ。(うなってばかりだね。)センスに脱帽である。私が一番お気に入りの雑誌はJJである。うちのダー様がカジュアル専門の人なんで勉強の為にいろいろ読んでいるが。(あ、お勧めのカジュアル雑誌教えて欲しい・・・)JJが好きなのはクレイサスという可愛いブランドに惚れたのがきっかけ。可愛ゴーとは可愛いゴージャスの略です。(知らない方の為に。私も最初は何じゃそりゃと思ったので。)ブランドで全身お金をかける訳でもなく、シャネルもあれば300円の安可愛いアクセも上手につかってしまう。可愛ゴーちゃん達のセンスにまりィははまっているのです。今月号でその可愛ゴーちゃんたちのお母さまやらおばさまやらあきらかに30代後半から50代くらいのマダムと可愛ゴーちゃんの特集があった。マダム可愛ゴーは存在したのである。私もJJのモデルさんより若干年上でJJ卒業を友人に言われたことがあったが・・・。年齢は関係なく可愛いいものは可愛いいのだ。若作りでもなんでもなくて、ちゃんと自分に似合うものを熟知しているマダム達。JJをお手本にしているというではないか・・・。恐らく体系維持にも驚くほど努力しているのだろうが。昨日恋する女は綺麗さーと歌っていたまりィですがやっぱり年齢は関係無いですね。男が仕事をがんばるように女が美しくありたいと願うのもおそらく本能でしょう。女に生まれてよかった?と聞かれたら私もYesと答えます。思うように自分の時間が作れず、レスが遅れています。みなさま、すいません。あーもっとショップに時間かけたいんだけどな・・・。お仕入れもままならないままだし。時間革命をせねば。
2002年04月25日
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今日はさっさと寝ようと思いつつすっかり昼夜逆転した祖母におつきあいしてだらだらしている。おとといは朝まで戦争であったが本日はそこそこ平和であった。(私がよく寝たせいでもある。)体調がよかったので縁あって仕事を続けていた近所の姉妹の姉を自宅に呼ぶ。私の後輩にあたる大学に入学したので英語のてほどきをして欲しいと頼まれていたのだ。彼女の自宅は偶然にも私の最初の職場と同じ駅である。(通勤時間は20分弱。)ひさびさに授業をしたらすっかりくたびれてしまった。イギリス英語を好む我が母校。さすがに傾向は同じで記憶をほりかえしつつ・・・大学時代はがむしゃらに学問に励んだがやはりちゃんと身についていたようだ。彼女は恋をしている。この1ヶ月でみるみるうちに美しくなった。授業終了が22時前だったので危ないから彼氏に迎えにきてもらいなさいね、を連呼していたらやはり彼氏は飛んできた。ううむ・・・ほほえましいかぎりである。私も大学入学から三年半、ひとりの男性を愛していた。別れる前日まで手をつないで学校に行くような仲良しで有名なカップルだった。ある日突然、ゼミの教室で離れて座る私達に教授や友人たちのほうがとまどっていたものだ。今と同じくあまり自分の自由が許されなかった私はすべての行動を彼と共にすごした。そのせいでいまだに仲間うちで集まると彼の親友ばかりなので・・・当然のことながら何かイベントがあれば彼に会う。昨年私の次につきあったひとと結婚し、可愛い女の子も誕生した。奥様が私をどうしても毛嫌いしているのでもう連絡をとるのは不可能なのだが。なんだか彼のことを思い出してしまった。感情の起伏のはげしい私をはたちそこそこの男の子がすべて受け止めるのは不可能だったのだろう。しかし私はまた今あの頃と同じくらい純粋な気持ちで恋をしている。最後の恋になればいいと思う。たとえ彼が気がつかなくてもまつげの1本にまで念入りにメイクがしたい。スカート丈の1センチにまでごだわりたい。そういう心境なのだ。私も昔に比べて綺麗になれるだろうか?
2002年04月24日
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昨日SMAPの情報をくれたみなさま、ありがとうございました。愛するザ イエローモンキーの歌に「カナリア」という歌がある。私は最初それが大嫌いだった。しかし今は相当大切な一曲になっている。Did you sleep well?それがその歌詞のサビ。今は寝る時間がないだけで昔は相当な睡眠障害を抱えていたことがあった。その時の話も今書きこんでみたが今日はどうもPCがよくフリーズしてしまう。へこんだので書きなおすのはやめた。笑。薬に頼ると依存しそうなので意地でも眠薬はつかうものか、と思っていたが今は寝ないとからだがもたない。9月からずっと3時間づつの短時間睡眠、神経質なせいか二度ねに時間がかかる。入院しても私は泊り込み・・・まああれからほとんど体を休養させてないので限界を感じ、神経内科に通うようになった。ちょうどこのページを開設した頃だ。神経内科に通う、眠剤をつかうという私を心配して初代の生徒が会いに来てくれた。心が風邪ひいただけじゃ、ねたらなおるわよ。といいつつもたった20分だがげらげら笑いころげて本当に懐かしかった。病院の先生に体が極度に緊張してますね、ちゃんと息抜きしてくださいね。とゆわれた。驚いたことに私は帰宅するなり3時間ほど薬ものまず自分の部屋で熟睡してしまった。緊張の糸がほどけたのか。子供達から・・・まあもう当時の中学3年が大学受験なんだけれど・・・相当元気をもらっていたのだなと実感した。可愛い彼女を守る強い男の子に成長した彼。あいかわらずとても純粋であたしの心も洗われる気がした。急にまたカナリアが聞きたくなった。「Did you sleep well? 震えるほど純粋だった あの日のまま 仰向けで眠りたい」余談だがいつもいく薬局の薬剤師の先生に「息子サン?にしては大きいわね。」といわれた・・・・・がーん。あとでだんなサン?とかわけのわからないフォローをされたがどれも違うっちゅーねん。私が老けたのか。彼が成長したのか。180センチはあるからな。うん。そういうことにしておこう。
2002年04月23日
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ウチの家族はカタブツである。母はおそらく木村拓哉氏を知らない。だがなぜかサタスマは大好きで「慎吾ちゃん」と「中居くん」は知っている。慎吾ママのおはロックを歌って踊る母はかなり謎だ。というわけで音楽番組は見せてもらえないがSMAPの番組は家族で見ることができる。今日はたまたまゲストが浜崎あゆみ姫で私も一緒にまじまじ見ていた。(私は常になにかをしていてテレビだけみるということがない。)私の可愛いい生徒ののりこ姫があゆ姫の大ファンで知らないうちに彼女のことが好きになってしまった。のりぴに等身大あゆポスターをプレゼントしたくてメイクはヴィゼが増えるし知らない間にリキッドアイラインをマスターし、アイラインをひかなければメイクした気がしなくなってしまった。彼女は常に流行をつくりだす。自己演出の才能はすばらしいと思う。否のうちどころがない美しさもさておきどうすれば自分らしさが表現できるのかちゃんと知っている。話はかわるが私はダーからリストバンドホームページで扱ってみてよ♪と頼まれたもののまったくピンときていなかった。彼もカジュアルにかけてはプロなのでこの夏の流行だと予言していたのはホントなのね、と関心してしまった。あゆ姫があまりにも可愛くリストバンドを使ってたのだ。ジーンズに、白のノースリーブTシャツ。白のリストバンド。ジーっと見ると刺繍がはいってたのであれはシャネルのリストバンドではないかと思う。ううむ。やられた。かっこいいのだ。確かに。私がリストバンドを使うのは腱鞘炎になった時くらいだった。笑。夏は間違いなく手が死ぬ。8時間や9時間の授業はあたりまえだからだ。一度包帯で授業をして「先生手首切ったの?」とまじまじと聞かれて(その経験はない)複雑な気持ちになったので。しかもサイズのあわないイエローモンキーのベースのヒーセ氏がデザインのびょう入りのものごっついやつをしていた。体はちっこいというのに。(それしか持ってなかった。)とんちんかんもいいとこである。人から見られる自分というのを常に意識する。一番自分に似合うのは何かを考える。顔立ちなど関係なくそれで女性は美しくなる。私はそう思う。姫を見て改めて女を磨かねば、と思った。話は変わるがSMAPの楽曲も好きだ。どういうわけか。CDを買うほどではないが。カラオケでも歌ってしまう。5月に新曲がでるらしい。なんだかあまりにも今の自分の心境にぐっとはまってしまって涙がでた。はっきり覚えてないのでファンのかた、教えてください。「立ち止まるのも大切なこと 自由に飛びまわるために・・・・」そうしめくくっていた気がする。
2002年04月22日
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You tell me again and one more time,looks like you’rebreaking freeMaybe you can,inspite of themI’ll water you everyday私が一番大切にしている球根という曲の英語詞である。昨日お参りにいきました。お百度参りなるものをしたので足が痛い・・・。今までなんともなかったのですが。うう年だろうか・・。昨日の延長の話になりますが宗教そのものの根本は救われたいという気持ちで祈る、感謝の気持ちで祈る、はっきりと断定して表現はできませんがかならず同じところから始まってる気がします。たまたまうちは日蓮宗に縁がありました。お経も暗記するほど拝んでましたが「おじいちゃんが喜ぶんだよ、おじいちゃんのご飯みたいなもんだよ。」といわれてきました。ふーんそうなのか、喜んでもらえるならいいや、という感覚です。ただわけもわからず唱えてもしかたないのである程度その意味を勉強しましたが。仏教の考え方にはきちんと共感しています。うちの。家族のようにしていた日蓮宗のお坊さんがいました。その方はもうずいぶん前に亡くなられたのですが、亡くなる前、私が学校でならった聖書の授業の話をとても喜んで、亡くなる直前までテープに録音した私の話をくりかえしきいておられたそうです。ひとが苦しみから救われるにはどうしたらいいのか。そんなことをずっと探求していたひとでした。因縁という言葉がある。あまり良い響きにきこえないのだけれど(個人的感覚。)因というのは綺麗な花を咲かせる種。もしくは球根。・・・でもそれを咲かせるのが水や土。それがなければ花は咲かない。それが縁なのだという。私もひとにとっての良い縁でありたいし、綺麗な花も咲かせたい。私の花はまだ咲いていない。でも毎日綺麗なお水を注いでもらってるのも事実だ。
2002年04月20日
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時の流れと空の色になにも望みはしないように椎名林檎姫のデビュー曲である。わたしの愛する教え子のりこ姫がメッセージをくれた。先生に贈りたい歌詞と。私もこの曲は、いや、詞が大好きですよ。のりぴ。あたりさわりのない爽やかなアレンジに仕上がっている最初の音源よりも、アルバムのとんでもないアレンジのほうが本物の彼女の表現方法だと私は思う。椎名林檎姫も私の崇拝する表現者のひとりである。ザ イエローモンキーの吉井和哉氏(ボーカル)といい林檎姫といい。歌うときの目がものすごい。狂気寸前の顔であろう。おそらく。自己陶酔なのか表現者として素晴らしいのかその辺の境界線はかなり微妙だ。見る人の感性による。かくゆう私も欲望の塊であった。18歳のとき、初めてオリジナルの曲を演奏するためのバンドを組んだとき、そのバンド名は「Harpy」と言った。発音するとハーピーと情けないが下半身が鳥、上半身が女性の裸体というギリシャ神話にでてくる妖怪のような生き物だ。女性の欲望の象徴らしい。欲しいものは絶対に手に入れる、努力して不可能なことはなにもない、ある種のわけのわからない井の中の蛙的自信があった。・・・そしてなによりも私は愛されることを望んでいた。いつだって望んでばかりいた。与えるということをしらずに。変わらないもの。永遠と呼べるもの。ただそれだけが欲しかった。その頃の映像を見るとやはりとんでもない目をしている。そうとう歪んだ精神であったことがよく分かる。日常生活のワタシは昔からさほど変わりない天然(ぼけ)なのだが。あの頃の自分は二度とないだろう。嫌悪感も愛しさも感じる。様々な経験をした。自分の感情や欲望を抑える事を覚えた私はもう歌うことは二度とないのかもしれない。話は変わるがウチの家族は信仰心が強い。宗教という意味ではなく先祖とか血の流れをとても大切に考える。(仏教徒であるにも関わらずキリスト教の学校に10年行ったしなあ・・・別にこだわりはないのだろう。)自分が今存在しているのはその血の流れがあるから、と。毎日が無事であるように守ってください、そして何事もなく一日がすぎたことに感謝すること。子供の頃から自分の為の願い事をしてはいけない、とは言い続けられて来た。うちは縁あって日蓮宗である。たまたま近所に有名な日蓮宗のお寺がある。電車でいけばなんてことないが車で祖母を連れていくのは一苦労だ。そこにはさまざまな言い伝えがあってわりと全国から信者さんが来たりする。本当に苦しいとき、一心に願いごとをしながらそこのお堂のまわりをぐるぐるとまわる。百回。そうすると不思議と願いがかなえられるというのだ。私自身も不思議な経験をさせてもらった。毎年4月、そこにお参りにいく。昨年、祖母がおみくじをひいたとき、病がすべてなおる、という内容のことが書いてあった。9月に倒れたときから、地獄のように辛い日々だった。母は10分おきに泣いていた。自宅に帰ってからもそうだった。何人もの医師に死を宣告された。そのたびに私は、あの時のばあちゃまがひいたおみくじの内容を信じないのか、お百度参りもしたじゃないか、絶対に守られてるって信じないとだめじゃないか。そう言いつづけた。手術はしない、痛い思いは一秒だってさせない。ふたりでできる限りのことをしてあげよう。そう言いながら泣きながら喪服の準備をしたことでやっと母は気持ちがおちついたようだ。まだ、数ヶ月前の話である。本当に不思議なことに祖母は奇跡的な回復をしている。出血のせいで失明したはずの片目の視力も戻った。今はおそらく、2,3、年前よりもずっと体調がいいだろう。目に見えない何か目に見えない不思議な力に守られていると私は思う。ただしたくさんの爆弾は抱えている。ああこの平穏な時がいつまでもつづきますように。愛する人達が幸せであることを願う欲望は捨てきれていない私。体調が良ければ4月20日。そのお寺にお参りに祖母を連れていく予定である。そしてまた私は感謝の気持ちでお百度参りをするだろう。(ただし現在体力の不安はあるが)幸福論という詞はこうしめくくってある。「君がそこに生きてるという真実だけで・・・幸福なのです。」
2002年04月19日
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外国で飛行機が堕ちましたニュースキャスターは嬉しそうに「乗客に日本人はいませんでした。」「いませんでした。」「いませんでした。」僕は何を思えばいいんだろう 僕はなんて言えばいいんだろうこんな夜は 逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて君に逢いたくて 君に逢いたくてまた明日を待ってる愛するTHE YELLOW MONKEYの「JAM」の歌詞。四年前、センター試験かなにかの模擬試験に出題されたらしい。「作者はなにを伝えたいと思ったのか述べなさい。」今の私なら、書けるかもしれない。この詩を書いた吉井和哉氏を崇拝するきっかけはラジオのパーソナリティをしていた彼の人柄だった。阪神大震災のこと、我がことのように心配し、なにか自分にできることはないかと淡路島でチャリティコンサートを開いた。・・・・正直私は自分の生活に精一杯で自分が大震災で大変な経験をするまで、この歌詞になにも感じることができなかった。心の狭い人間だったのだろう。自分の大切な人に優しくするのは簡単なことだ。ホームページを開設して、1ヶ月がすぎて、本当にさまざまな人と出会うことができた。同じような心の痛みを抱えた同い年の女性。同じアーティストのファン。いつも優しい言葉をかけてくださるお兄様方、そして最近出逢うことができたとても美しい女性。その女性と出逢えたことで急激に人の輪が広がっていった。まるで彼女の人柄をあらわすかのように。そして私の悩みもひとつづつ癒されていく。世界観が広がる。ひとの暖かさを感じる。自分の心が満たされることで、私も誰かの為に、なにかをしてあげることができたら、と思う。辛いことも無くしたものも多くてもそれでも得たもののほうが多かったと思える。私に優しさをくださったみなさま、この場を借りて心よりお礼を申し上げます。すべての人の心が平穏でありますよう。平和というのはそういうことかもしれないと思う。自分が今、生きていることの意味を深く考えたまりぃでした。そしてできることならちゃんと輝きたい、誰にも恥ずかしくない自分になりたいと思いました。
2002年04月18日
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おかげさまで急にアクセス数もあがり、お取引回数も増え、他オークションサイトからお客様ひっぱってきて商品もすこしづつでも着実に売れてきたというのに。でた。ウイルスメール。届くぶんにはかまわないんだけど。開けなければ良いから。楽天に出入りするようになってから初めてウイルスメールが来るようになった。親友も楽天でそういうことがあり、ずいぶんまえになにかあったときの為に、ともらっていたチェックと復旧のソフトが役にたった。まさか自分がつかうとは夢にも思わなかった・・・・。楽天の【Re:落札のご連絡】で送信者が私の名前で添付つきのメールが勝手に送られたらしい・・・。しかも検査直後で私のパソコンは正常なのだが。なんで??お客様のひとりがそれを開いてしまった。涙。PCをウイルス検査し、初期化してメールソフト入れ替えて、セキュリティ強化したのになんなんだ。まったく。んでもう一度その作業をやり直し、サーバーの有料ウィルス対策を申し込みました。私のアドレスで勝手にメール送るという状況が起きた場合エラーが出るようにしました。だもんでもう大丈夫なはずなんだが・・・・。私は添付をおくることはありません。友人でももし送る場合は予告しますよ。それから添付がきたみなさま。かならず開封せず削除してください!!そうすれば問題はありません。ご迷惑をおかけしたお客様。本当に申しわけありません。まりぃはそれだけが気がかりでなりません。仕入れの勉強も始めて、家で仕事ができるように必死にがんばってるのにな・・・まったくへこみますな。んでもまりぃは負けない。うん。なぜならかなりの行動派だし勉強好きだから対策調べまくってやるっ。しかしなあ。だいたい世の中にそういうくだらないものがあること自体おかしな話。ひとを傷つけたら必ず自分にかえるものなのに。愚か過ぎるなあ・・・。喜怒哀楽の怒がないと言われるまりぃが人生で数えるほどしかない怒った事件のひとつでした。
2002年04月17日
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手をさしのべる、という意味である。おととい歯医者に祖母を連れていき、その帰り、一年ぶりくらいに某ホテルのレストランでお食事。母の舞台のあと、私の連れもふくめ数十人で食事したり、もう何度も行っていた家族のおきにいりだ。また家族でこれるとは夢のようだ・・・。母はひさびさにぴかぴかにおしゃれしていた。「やっぱり外に出ないと頭がおかしくなっちゃうね・・・。」ああ楽しいと連呼していた。仕事を辞めなければならないと宣告されておちこんでいたけれど結局舞踊家としての本業を休んでいる母だって同じ気持ちかもしれない・・・と思った。母は母というよりも私の中ではひとりの芸術家だ。小さな頃からいつも、祖母の代わりに母を守れるように・・・そう言い聞かされてきた。直営店があるので母が祖母の為にエルメスのスカーフをプレゼントする。(パジャマにエトロやエルメスのスカーフをする祖母。ちょっと笑える。)エルメスのスカーフにはそれぞれ意味があるらしい。「誰かに手をさしのべる。相手がそれを握る。この行為には単なる挨拶以上のことがあり礼儀作法の域を越えている。親愛の情を示し、友情の芽生えを意味する。それでは、お互いに手をさしのべあうとき、その人数がとても多いとしたら、世界中がつながった輪舞になりえる。詩人も絶賛するこの踊りを、最高に楽しく舞うことができる。民族衣装をまとった人々が形づくっている丸い花飾りは私達の希望を暖める太陽だ。」祖母が欲しいといったのはこんな意味のスカーフだった。もちろん偶然。しかし本当ならばとてつもなくおちこんでいるはずが穏やかな気持ちですごせるのは楽天でしりあったみなさまのおかげである。ほんとうに、どれだけ、救われているか。家族のことしか見えなかったしそれだけで精一杯だった。他人の優しさを今は強く感じる。本当に。いつか私も誰かの為になにかできる人間になりたい。追伸。私を大笑いさせてくれるおねぇさまがた。ほんとうにありがとうございます。まりぃは幸せです。
2002年04月16日
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ああ神様 そこにいるならこの声が聞こえるなら守りたいことすべてを諦める勇気をください 1998年 「破片」より抜粋昨夜の話には続きがありまして。今日はおそらく泣きじゃくるであろう、そんな気がした私はメイクもせず、出かけました。ダーリンに迎えにきて、とも言わなかった。情けない顔をみせるのもいやだったから。(素顔を見せるのがいやなわけではないですよ。笑。わたしが年末倒れて入院したとき、面倒を見てくれたのは彼でしたから。)いつもより一時間早く仕事を終え、彼にメールを送ると電話がかかってきた。「なんだ、迎えにいこうと思ってたのに。」「今ねもう電車なんです。だって今日は泣きじゃくるの目にみえてるからかっこわるい。また駅についたらかけなおしますね。」そして自分の住む町について、彼に電話。今日の出来事を話す。ものすごく普通に10分ほど話して、「で、今どの辺歩いてるの?」彼はいつもあたしが心を痛めると予告無しに現れる。それがたとえ話す時間が10分でも彼は40分かけて車を飛ばして会いにきてくれる。電車の中でものりちゃんのくれた詞を読みながらずっと泣いていたあたしはとんでもない顔をしていた。ああ、やっぱりこうやって会いにきてくれるひとなんだ。顔を見るなり私は大声で泣き喚いてしまった。それは悲しいのではなくて、びっくりしたのと、安堵したのと、なんでみんなこんなにあたしに優しくしてくれるのだろうと。本当に本当に嬉しかった。帰宅して母にのりちゃんとよっちゃんのおかあさまの言葉を告げる。そこまで言って下さるなら、毎週は無理かもしれないけど来てもらえばいい。体調の良い時は行って仕事をさせてもらいなさい。そう言ってくれた。今日授業をしたときに出てきた歌。瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ(瀬の流れが速いので岩にせきとめられる滝川がいったんはふたつに別れてもいずれはひとつになるように、今はあなたと別れていてもいつかは必ず会おうと思います。)本当に、大好きな彼女達への気持ちそのものだった。そしてダーリンと出会ってからあたしは諦めることをしなくなった。上記にあるのはあたしが過去に書いた歌。彼女たちのお母様とダーリンはすごく似てるところがある。どんなにあたしが悲観的にとらえてしまうことも笑い飛ばして前向きに進んでいくアドバイスをくださる。経験が人格をつくるのだと思う。ふさぎこんでいては幸せはやってこない。そして本格的に仕入れの勉強をはじめました。そしてこのホームページで知り合い、私を心配し、あたたかなことばをくださったみなさま、ありがとうございました。まりぃは、がんばります。どうぞ私の成長を見守ってくださいませ。みなさまの優しさを勇気に代えて、毎日を精一杯生きていきます。
2002年04月15日
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実はここのところ体調が悪かったのは母に仕事を辞めるように宣告されたからでした。祖母が微熱を出すたびに母は情緒不安定になる。いまよりずっと大変なときでも週に一度や二度、仕事に行かせてくれたのに・・・。正直あたしは絶望してました。まったく自分の時間も自由もなくなるのではないかと。可愛い生徒達と会えることはあたしの癒しでした。そしてうちのダーリンとも会えなくなるかもしれない。仕事先まで迎えに来てくれる、帰りの一時間が週に一度確実に会えるデートでしたから。ささやかでも、わがままでも、そんなひとときは自分の精神のバランスを保つのに必要だと思ったんです。結論として、母の言い分を受け入れました。頼る人があたししかいないのは事実。なにかあったときにあたしがいないと気が動転してしまう。今は調子がいいからこそ、調子の良い間に一分一秒祖母と過ごす時間を大切にすべきだと。本当に祖母が調子が悪いとき、彼女はあたしのことがわかりませんでした。母以外の人間を認識することができなかったのです。きっとそれはあたしが今まで、大学やら仕事やらで祖母の為になにひとつしてあげなかったからでしょう。今日の仕事、というのはここの掲示板に書きこみをしてる姉妹の生徒達の家庭教師のこと。(左下に姉のビーズの作品がのってます。)正直母の気が変わってくれないかと願い、今日、彼女達に会うまでそのことを口にしませんでした。もうしばらく会えないんだ。ごめんね、突然言い出してしまって。家庭教師の代わりはいるかもしれないけどやっぱり家族だからあたしが守ってあげなきゃいけないんだ。お姉ちゃんののりちゃんはぽろぽろ大粒の涙をこぼしました。言葉はなくても、すべてを理解してくれました。妹のよっちゃんは最初は自分が泣いちゃいけないと笑顔を見せてくれました。でも最後は三人で泣きました。さみしい。魂がひきちぎられるほど、さみしい。何度も生徒とお別れしたけれどこんな気持ちになったのは初めてでした。しばらくして二人のお母様が帰宅されて、あたしは家の事情を話しました。突然無責任に仕事を辞めると告げて、怒られても当然なのに。お母様も本当に、あたしのことを、家族のことをすべて理解してくださっていて。数ヶ月に一度でも、出れる日があったら来てください、月に一度でもこの子達がおじゃましてもいいならおばあちゃまの体調の良い日に通わせますとも言ってくださいました・・・。電車で片道1時間以上かかるというのに。先生とはこれで最後の気がしないですよ。絶対また来てくださる気がしますから。そう言って笑ってくださったことであたしは笑顔になれました。前向きにがんばれる気がしました。どんなことも乗り越えていこうと。そして最後は笑顔でまたね、と言いました。のりちゃんが、帰り際に渡してくれた英詞を映したノート。一枚をちぎり、あたしにいそいで渡してくれました。鬼頭ちひろさんの歌詞だそうです。結局彼女達と別れたとたん涙が溢れて止まりませんでした。ひとめも気にせずしゃくりあげて泣きました。こんなに泣いたのはいつぶりだろう。泣く暇すらなかった自分に気がつきました。そして彼女達とお母様の優しさにとてもとても心があたたかかった。そんな優しさを無駄にできない。うつむかずに、ゆっくりと、歩き出しました。どんなことがあっても乗り越えられる気がした。彼女達が教えてくれた笑顔は、やっぱり幸せになるための魔法なんだと思いました。
2002年04月14日
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昨夜はへこんでたまりぃですが復活です。へこんでるひまも無い・・・。(水戸黄門のテーマが頭に流れる私。でもそんなにおばちゃんじゃないです。笑。これも昔母が出演したことがあるな・・・。)武蔵野唐変木さんのお見舞いの心得を読んでうなずくこと多々あり。2時間以上自分のことをお話していく人。顔を見て泣き出すひと。がんばってくださいの言葉のかけ方も色々。若いからふんばれますよねーとか言われると逆にむっとしてしまったりする。笑。言葉選びは慎重にせねばね。とはいうもののやっぱり病気を経験しなければ(もしくは病気の家族がいなければ)なかなか相手の状態なんてわからないと思う。「痛み」を理解できる人間が同じような経験をしているのと同じだ。今日のお客様は祖母が22年間踊りを教えていたお嬢さん。最近ママになったので赤ちゃんを連れて来てくれた。30分しないうちにで先生がお疲れになるといけないから・・と帰ろうとされるのだが赤ちゃんが可愛くて可愛くて逆に祖母がひきとめていた。笑。介護も子育ても同じ位大変だから今の経験がきっと役立つとたくさんの人に言われる。同世代の女の子がどんどんママになっていくので複雑な心境の今日この頃・・・。毎日やるべきことを、自分のできることから精一杯ひとつづつこなしていきたい。
2002年04月11日
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昨日までトラブル続きでした。母親が体がつかれていたらしく仕事にでかけたあと(3時間なんだけどね。)仕事やめてくれ騒ぎになってました。介護のヘルパーさんも気を使うからという理由で断ってしまうし・・・。おまけにノートパソコンを夜いじってることまで注意されて店に関してもそんなひまがあったら寝るか家の片付けでもしてくれとさんざん怒られてすっかりへこんでました。(寝るといっても突然夕方寝て来いとかゆわれるのだ。無理。)睡眠も断続的、昼寝もできない、かつまったく自由がなくなってしまっては私は完全におかしくなってしまう、と思い抵抗を続けたところとりあえずパソコンだけはなんとか許可がでました。今日偶然他のサイトも含め5件商品が売れたんでそれでかも。笑。もっときちんといいものを仕入れに行くためにダーと出かけるのは許可がおりてるけどいつ違うこと言い出すかわからないし。なんだかストレスたまりぱなしです。うう。自分の意思が通じないのは子供の頃から同じです。そして自分の築いたものをひとつづつ奪われていくのも。このホームページは閉鎖したくない。実店舗持って仕事することは不可能でもネット上の店舗なら可能だし。もっとセンス、磨かなくては。いくら自由が無くなってもおしゃれ心もスキンケアも忘れたくない。みなさんとの交流でどれだけ気持ちが救われたかわからない。母親も祖母と等しいくらい病弱です。ひとりでなにもかもやらなくてはいけない、家族を守らなきゃいけないのもしかたの無いこと。可愛いお洋服、アクセ、バックを仕入れてあるんですがまだ出品できないままです。またがんばって更新していきますんでページを覗いてくださいね。とはいうもののあたし自信も体調不調中。泣。祖母の熱が37度5分になると母が異常に心配するんだけどあたしも毎日37度以上あるんだよねー。年末に腎臓壊して入院して(突如40度熱がでて自分で救急車のりましたよ。わはは。)3日で帰宅してその夜には夕はん作ってました。うーん。健康体になりたい。幸せの価値は自分で決めなくちゃ。不自由を知ってるから誰よりも自由の喜びを感じるし。空は四角いんじゃない。限りなく広くて高いもの。
2002年04月10日
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来年の4月頭でなくなってしまうらしい。ニュースで聞いた瞬間ぼろぼろと涙が溢れてきた。さみしい。さみしい。たまらない。思い出の場所が消えてしまう。明治時代から営業を始めたそうだ。私も子供時代月に3度は連れていってもらった。家族との思い出が溢れるほど詰まった場所。あたしが子供の頃大好きだった象亀はまだ生きてるんだとか先日生徒と話をしたばかり。動物達はどうなるのかな?子供ができたら連れていくのが、ささやかな夢だったのに。時は流れる。そして今世の中がどれくらい不況かを思い知らされる。先週、かな。満開の桜が見たいという祖母を偶然宝塚ファミリーランドへ連れていった。桜のアーチ。見事だった。昔を思い出しながら車椅子で園内を歩く。ちょうどタイミングよくお花見ができたのははじめてて(しかも次の日は雨で散り始めてた・・)家族の思い出がひとつできたね、本当に綺麗だったね、と繰り返し話をしていたのに。来年の4月、閉園する前にもう一度行こうね。まりィどうしてももう一度行きたいんだ。ばあちゃま、そのときも今くらい元気でいてね。連れていってね。そう約束した。うん、行こうねと、ばあちゃまは約束してくれた。
2002年04月09日
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祖母が原因不明の発熱をして母がまた極度に心配するので医療サイトめぐりをしていたらまた朝になってしまった。ちなみに症状はそんな重くなく、さっきまでふたりでだらだらしてました。(まだ寝ない祖母。)人工肛門の知識が皆無だった私もネットで勉強することで自信をもってケアできるようになった。もちろんサイト上で知り合った恩人のおかげであるが。彼女は他に、肝臓、すい臓、腎臓、甲状腺、高血圧を患っている。最近は足におそろしいむくみがある。信頼できる内科のお医者様に出会えていない今、病気について看護してる自分が基礎から知識を得ることが基本だと思った。(多分先生をしてるので職業ぐせかも。笑。)ネットめぐりで或る程度それができるんだから便利な世の中になったもんだ。私が尊敬する寺山修司氏も最期は自宅療養で迎えたという。それでも私は素人だし憶測でしか看護ができない。的確なアドバイスをしてくれる名医はどこかにいないのかしらん。先生業も医者も、どれだけひとりひとりの生徒や患者のことを真剣に考えて、その人にあった処置をするというのは同じだと思うんだけどな。私はどうもいろいろな事を一人で背負い込んでしまうらしく、「お前の言葉は重い。」となんど恋人にいわれたことか。今のダーリンは私に対して批判をしない。重いとも言わない。そのかわり愛してるを簡単に言う人でもない。(最初はかなりそれが不満であった。)うつ病寸前になる私に対しても常に明るく堂々と接してくれる。そして私は自然に笑顔になる。家族に初めて挨拶してくれたのも彼。あまり賛成されてないので家族公認のデートは月に一度だ。仕事に出かけたとき、迎えに来てくれる一時間がささやかな会える時間だ。しかし彼のゴルフの日と重なるとそれは不可能になる。今日彼はゴルフだったので疲れ果てているはずとお迎えを諦めていたがどういうわけか今日はお迎えに来てくれた。もうそろそろ元気がなくなる頃でしょ。と、彼は笑った。私が調子が悪いことをきちんと察してくれていた。涙がでるほど嬉しかった。これでまた、しばらくがんばれるね。ありがとう。これが決まってお別れするときの言葉。自分の思いを的確に言葉にして相手に伝えたい。不器用な私が選んだ手段が詩だったというのに。学問として、大学で4年間研究までしたのに。本当に大切な思いは言葉にしなくてもいいのかもしれない。
2002年04月08日
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おとといからどうも体調が悪い。祖母がすっかり昼夜逆転して朝まで寝てくれないのとすっかり寝入っても4時間程度で起きてしまうのだ。私は神経質らしく一度起きるとなかなか眠れない。人といっしょでも眠れないことが多い。自分勝手といえばそれまでなんだけどな・・・。春になったし昼から私が8時間睡眠をとろうもんなら家族はどこへも出かけられない。体力的限界を感じたので3週間前から睡眠薬を服用してむりやりでも眠るようにしている。が。やっぱり断続的睡眠には違いないのだ・・・・。3年ほど前、急性アトピー性皮膚炎になった。もともと体に症状はあったんだけれど見えるところは問題なく普通だった。顔にでたのである。原因は長くなるゆえまた今度。メイクが大好きな私が化粧水がぬれないほど顔が腫れ上がり1年近く悩み悩みぬいた。縁会ってとても良い先生に出会えてだまされたように4日で完治した。プロトピックという薬に出会ったからである。ステロイドはよくないというがほんとにやめたほうがいい。一年近くステロイドを使用していたせいで肉体疲労を感じるといまでもまぶたが赤くなる。今は上記の薬でほぼ数時間で治るがそのくすりのかゆいことかゆいこと。叫び出して走り回りたくなるくらいである。笑。今日はうちのお弟子さんがお見舞いにきてくれた。祖母のお弟子さんはみんな20年とか30年の付き合いである。ある、ひとりのお弟子さんはお父さんの看病を10年していたらしい。結婚したのも40近かった。(でも今赤ちゃんもいるのです。)みんないろいろあるもんでしょ、と母は言うがそんなものだろうか・・・。確かにばあちゃまは大好きだしなんでもしてあげたいけど24時間つきっきりの家族ってそんなにいない気がする・・・。明日はヘルパーさんが来てくれるので久々に仕事に出る。気分転換してきます。週に一度くらい、おしゃれして出かけなくちゃね。
2002年04月07日
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黒のタイトが定番の私。ずいぶんくたびれたので新しいものを買いに行く。Mプルのスカートはシルエットがとても綺麗だというが私が行くときに9号サイズがあったためしがない。泣。結局インタープラネットで入荷したばかりの9号サイズを購入。ストレッチで良い感じ。いつも倉庫から出してもラわなければならないのがツライ。あたし今はそんな太ってないのにさー。みなさん洋服のサイズはどのくらいのを着てるんでしょうか?昔確かにあたしは太っていた。小学生の時なんて小学校内太った女子ベスト3にはいっていた。母親は運動会で必ず太った女子をさがしたという。怒。中学のときは毎日のようにスペシャル3段弁当を母親が3時起きで作ってくれた。(六時前には家をでるため。)芸術作品に近い愛情弁当だ。太ってあたりまえである。泣。さすがに申し訳無いので中3以降は食堂を利用するようになるが五時起きのため間食にパンをたべなくちゃやってられない。大学時代も2回生まではかなりのぽっちゃりさんだった。大学生協のからあげ冷麺が大好きだった・・・。半パンで通学し「お前それは犯罪じゃ」とゆわれた・・・。阪神大震災時のストレスで4キロ落ちたのをきっかけにダイエットをはじめた。約1年間飴玉ひとつ口にしない、ジュースは一口ものまない、体脂肪を燃焼する運動をし、カロリー計算をした料理をつくり血のにじむ思いで8キロ落とした。毎日小鳥みたいな食事だった。それでも足はやせないんだぁ!!!!!さすがに先生をするようになってから食事する時間が遅くなり少しリバウンドしたが食べたいものを食べたいだけ食べても無茶な太り方はしなくなった。それでもじきに三十路である。おなかだけは絶対出たくない。運動をしなくちゃ、と思う今日この頃。
2002年04月05日
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うまれて初めて自分で高価な財布を買ってしまった。衝動買いといえばそれまでだがずっと欲しいと思ってたDiorモノグラムのお財布。小さくて金のDの金具がなんとも可愛い。もちろんそれまで使っていたクレイサスもお気にいりだけど。まりぃは働いてもお給料は全部親に渡す。(いくつになってもそうだと思う)その中からおこづかいをもらう。欲しいものがあれば買ってあげるからいいなさいというシステムは子供の頃から変わらない。母はおそらく私がお金をもつとよからぬことをするのを知っているのだろう・・・。無駄遣いとか。25をすぎるとブランド物に興味がでてきた。過剰にブランドにこだわるのは好みじゃないけれどシャネルやらDiorやらの一流ブランドはやはり大人♪という感じがする。親に与えられたものにはほとんど関心が持てなかったが最近がんばってる自分のご褒美だわっ、と購入してしまった。自分で買うとなんと愛しいことか。みなさんブランド物を買うのは自分のお金かしら?親、もしくは彼氏からのプレゼント?うちのダーにエルメスやティファニーをいただいたときあうゥどうやっておかえししたらいいんだぁ・・と真剣にあせってしまった。同額のおかえしをしなければっと思う私はおかしい?世の中のお金もちとよばれるひとはやっぱりものすごく仕事をがんばってるんだと思う。ブランド物って高いだけじゃなくて品質面でもすばらしい。何年も使用できるくらいしっかりしたつくりのものがたくさんある。決して無駄なお金じゃない。一生懸命働いたそのステイタスとして、ブランド物が持てれば良いなと思う。
2002年04月04日
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2週間ぶりにもう一件の教え子のところへ行く。その子のウチは偶然にも私が最初に働いていた塾の近くである。源氏発祥の地であるそこは4月になるとお祭りがあって駅から神社までの道がピンクのちょうちんでいっぱいになる。その道の地名は桜木という。その名のとおり道の両側に桜の木がえんえんと植えられていてとても美しい。見事な夜桜に感動してしまった。ここの桜を見るのは三度目だというのに。私の教え子もしばらく会わないうちにすっかり大人になっていた。中学生と高校生ってこんなに変わるものかしら。お姉ちゃんは大学生になり、これまた急にお姉さんになっていた。彼女の彼氏はわざわざ彼女の近所の大学を選び、(かなり遠いというのに・・・)一緒に通学しているらしい。純粋なカップルで見ていて大変ほほえましい。帰り道、偶然最初の教え子に会う。彼女を連れていて・・・あらら大人になったのね、と思う。もうすぐ彼は18歳になる。純粋に愛しているという感情はいつ生まれるのだろう。私は18歳のときだった。そのひとがすべてだった。彼と家族をつくるのがわたしのささやかな夢だった。彼は結局、私のことを受け止めきれずにさよならしてしまった。とてもまじめで純粋なひとだった。私の次につきあったひとと遠距離恋愛を含め6年の交際期間を得て去年お父さんになった。仲間の結婚式で奥さんと、彼の娘に会った時の複雑な感情。私は今幸せだと胸を張って言いたかった・・・・。桜を見るとさまざまな記憶がよみがえる。時間は残酷なほど緩やかに流れ、そして美しい。いつまでも打算や裏切りや嘘のない心で貴方を愛していると言える女でありたい。十代の頃のように。
2002年04月03日
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私がこのサイト上でまりぃと名乗っている理由。1.敬愛するザ イエローモンキーの歌の中にでてくる女性。 大きな心の傷と悲しみを抱えた女性。2.敬愛する寺山修司氏の毛皮のマリーからお借りした名前。 (私はモンキーを愛する前から寺山氏のことを 研究していた。おそらく吉井和哉氏もこの芝居から インスパイアされたと思われる。)私は物書きになりたかった。「詩人はことばで人を酔わせる酒みたいなもんです。 ときにはことばで人を傷つけたりすることもできる。 ようやくみがいたことばで、 相手の心臓をぐさり、とやる。」 -毛皮のマりーより。私はこの台詞に深い感銘を覚えた。ホームページをつくって、日記を更新したりみなさまの詩を読んだりするとやはり血が騒ぐ。寝た子をおこすとはこのことである。しかし今の私に詩は書けない。行き場の無い感情を吐き出すのに私は歌うことを選んだ。厳格古風な家庭な故当然のごとく反対されたがだまって出したオーデションに合格し大喧嘩をしつつも某大手レコード会社で育成をうけていた。大学では詩について専門で研究し着実にプロになるために力をつける努力をしていた。デビュー直前にすべての話が白紙になった。理由は割愛。長くなるので。私はすべてを失った。立ち直るのに3年はかかった。私が家族をほおって上京しなかった事は正しかったと信じたい。それでも今は本当に強くなって生きることに前向きな自分がいる。過去の作品をおいおいサイトに載せようかと思っています。それを読んで なにかを感じて心を癒してくれる人がいたら嬉しいから。絶望から生まれる希望があることを。もちろんおしゃれやメイクについてもプロ意識をもって勉強した結果なのですよ。実は。今後も更新がんばりますんで応援してください。うひっ♪
2002年04月02日
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ひさびさに3時間の夕寝をしたら体力が多少戻った。ピース。朝から病院に行って帰宅したのは4時。想像以上の大病院でびびりまくりましたが(過去のトラウマ)良い先生にめぐり逢うことができた。普段祖母は往診に来てもらっているので外の病院に診察に行くのは半年振り。去年まできちんと日本髪を結ってたしおしゃれが大好きなひとなのでやっぱりお洋服をきると自分のばあちゃんながらすごいセンスがいいと思ってしまう。ラインストーンのお花を袖と襟にあしらったカーディガン、ニットのロングスカート。(春とはいえ冷えは怖いので)コートは豹柄(大阪のおばちゃん独特の感じではなくてどちらかというと可愛ゴー娘が着そうな感じ♪)である。スカーフなんかも上手にコーディネートしてしまう。まったくどこが病人なのかしらという風貌であった。母親のご用達ブランドはジャンルィシェレル。(おそらく性格が生真面目なため浮気せず)祖母は自分のお気に入りをブランドにこだわらずコーディネートするタイプ。ウイッグなんかも上手に使ってしまう人だった。私はといえば若かりし頃はブランドにごだわり18、19の頃は戦闘服のごとくゴルチェしか着なかった。「いくら洋服にお金を使っても中身がないなら仕方ないのよ。もっと女として人間としてしっかりしなさい。たとえ白いシャツ一枚でも魅力的に見える人間になれるように努力しなさい。」と母によく言い聞かされた。或る程度の年齢をすぎてその言葉が理解できるようになった。もちろん今も好きなブランドはあるけれど安くてもいいものもたくさんあるし自分に似合うものを着るのがなによりも大切だと思う。でもどんな環境であれ、女ですもの。綺麗になる努力は忘れちゃいけない。今日の祖母をみてつくづく思った。顔立ちが美しいとかそうことじゃなくて人間的魅力はたくさんの経験から生まれる。祖母は楽観的である。それはそれは想像を絶する苦労をしてるしたくさん大手術もしてる。それでもどんなに体がしんどかろうが前向きにゲラゲラと笑いとばしてしまう。しかし私も若く見えることにはある種の自信があったのだけど。初対面のひとには最近必ずばあちゃまが母親、かあさまが姉だと思われる。老けたのかしら・・・・。いかんいかん。パックでもするかぁ。
2002年04月01日
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