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泣き言をくりかえしておりましたら皆様から暖かい励ましを頂きました。感謝。少し体力回復しました・・・が相変わらずレスにおじゃまできずすいません。^_^;朝ご飯、レンコンの金平をたべつつ祖母がひとこと。「明日死ぬかもしらんのに・・・おいしいもん食べたいわ・・・。」脅迫じゃ~(-_-メ)身体のために粗食をこころがけているが何度か書いてきたように祖母は相当のグルメである。しかもストマ持ちなのでちょっとしたことでおなかがゆるくなるがゆえ、外食にも細心の注意がいるし食事当番の私にも徹底した消毒と心配りが必要になる。しかもモニラックという量を加減しないとすぐにおなかがゆるくなる薬を服用しなければならない。一度、(私のせいではないかもしれないが)、私が看病をしだしてからおなかを壊したせいでストマから1リットル以上の出血をしたことがある。血液不足で死にかけた祖母にそれはすごい打撃で私も立ち直れず病院の待合室でしくしく泣いていた・・・。看護婦さんになぐさめられてなんとか気力を取り戻したが。他人さんに任せられない理由のひとつがこれなのだ・・・。宝塚の若水という料亭が前回おいしかったので今回も出かけることになった。おしゃれ心と食欲が同時に満たされる外食は祖母にとっては至福のときらしい。何事もなく終ったのでやれやれ。食事をつくらずに済んだので私は帰宅後寝させていただいた。ありがたや。というわけで少々体力回復です。が目覚めたとたん母が片付け物がはかどらないのにぶち切れ。彼女はきっちりした性格で完ぺき主義なゆえ部屋が散らかると雷が落ちる・・・(-_-メ)少し無理すると寝込むくせに動くので「私がやります。」で喧嘩になるし私もとろくて全てこなすには時間がかかるのだ。ううう、自己嫌悪。相変わらず人生には厳しい母だが38度の熱で7年間以上、祖父の看護もこなしながら働いた人だ。・・・やはり逆らえません。すごい人です。悔しいが。^_^;なぜか私の人生はいつも生と死とが渦巻いている。病院で寝たきりでどこにも出かけられなかった頃を思うと今はささやかながら幸せだ。辛いことも未来には「あんなこともあったから今があるんだな。」と笑いたい。昨日神経内科の先生に一時の頃を思うと元気そうですよといわれた。身体ものすごいきついんですけどぉ・・・と心の中で思ったが。「まりぃさんの場合は根本原因がはっきりしてるんであえて言いませんけど・・しっかり身体コントロールしていきましょうね。」と言って頂いた。さすが心のお医者様。素晴らしい。けったいな患者ですいません。私が元気になったのはここで出会った方々のおかげです。でもワーカホリックゆえに病気になったうちの家族のことを思うと私もちゃんと自己管理せねばなるまい、と思った。まあぼちぼちやっていきます。うちの家族もわがままだがわたしもわがままだわ・・・。いつも勝手で、ごめんなさい・・・。
2002年05月31日
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うーん身体が緊張してどんなにきつい薬でも眠たくならない体だったんですが・・・。眠い。とにかく眠い。単なる疲れ説というのもありますが。笑。店の模様替え・・・実行できず。泣。2時間×2回という睡眠できてるんですがどうもぼちぼち限界らしい。月に一度、起きれないときがあるんですがそれをやると決まって母がぶったおれるので仕方ないでやんす。(>_<)この9ケ月5時間以上寝た記憶が、ない。うううう。8時間以上寝てた頃が懐かしいわ・・・・超弱音モードですが精神的にはへこんでません♪瑠那ねえありがとう☆あたしのやってることは正しいのかしら~とやはり疑問だったりしますが。家族の我が儘とは言えども。めきめき回復を遂げる祖母を見てると仕方ないかなと思ったり。取り合えず寝よ。(昨日も宣言したわりに不発だった)レス遅れ気味・・・すいません。
2002年05月30日
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さて私も若いコたちのエネルギーに負けずがんばってゼロから勉強再開するかあ・・・とネットショップ設立の手順本などを買い込んでみたものの。身体がゆうこときかないんだあ・・・・。(超弱音モード)週に一度ほどとてつもない疲労感に襲われる。寝てないのが原因と見た・・・・。(自業自得)祖母はまったくもってもう看病らしき看病はしてないくらいなんだけれども。独りで寝るのはどうしても怖いらしい。1月風邪で入院したときどの病院もうけいれてくれず仕方なく初めて一日だけ大部屋で入院してもらったことがある。(しかも私と同じ部屋で同じベット。)というわけで私は泊まれないので帰宅したのだが夜中に看護ステーションまで歩いていき家に電話して私をよんでくれ~といって怒られて超へこみモードはいっていた。(笑)さみしがりやなのね。結論。わたしなにやってんのかしら~いまあたしのやってることって正しいのかしら~と自問自答してみるが彼女のベットの横でPCをいじりつつまだ形にならない「仕事」をみているばあちゃま。marie-marieが見事ひとりだちしたら会長になるらしい。(なんじゃそりゃ。)やっぱりそばにいたいかな。私。何年かかるかわからないがやってみるか。いつまでも母のすねかじりはイヤなのだ。ひとりの成人として。でも今日は眠剤投入予定。寝る。寝るぞおお。ばばどの蹴っ飛ばしておこしてくだされ。甘えたいモード最高潮のまりぃでした。
2002年05月29日
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ばあちゃま風呂にいれて腰が痛いまりぃです。年を感じるな・・・・。少しやせてくれたし、一時期よりはずっと楽なんですが。近所の人に「おばあちゃんは怪獣みたいですね・・・。」といわれていた。死にかけては生き返るからであろう。いろんなひとにいろんな呼び方をされるうちの祖母はやはりチャーミングである。トイレでぐるぐるとおなかをさすりながら「あ”~。」というのでどうしたの?と尋ねると「おなか半分くらいにならへんかな~。」という。(爆)最近おしゃれ心がよみがえったらしい。5年前のベルトがつかえなかったのでたいそう落ち込んでおられた。食い気より色気で居て欲しいんだが。私は。JJ今月号で浴衣特集がはじまったしばあちゃまに教えていただきたいこと山ほどあるのだ。紺地に白の王道が流行らしい。どっからうまれてくるのかね~流行って。勉強せねばならないことがやまほどある。高校生のとき合唱コンクールで「お江戸日本橋」を浴衣をきて歌ったんだがあたしひとりが粋な浴衣で恥かしかった。み~んなカラフルだったから。クラス全員のゆかたをたたむはめになったのは言うまでもない・・・。さて、遊ちゃんへ。こんなにすぐここにきてくれるとは思わなかった。ありがとう。遊ちゃんへのレスはこれからここに、書いておくね。遊ちゃんが来てくれた時に、ちゃんと形として残るように。遊ちゃんが来てる、元気なんだな、て喜んで生きる勇気をもらってるひとがここを見てくれてるから。もちろんわたしもそのひとり。愚痴りたくなったらいつでもきてちょうだい。嬉しいことも悲しいことも、そのままの遊ちゃんでたくさんのひとが共感してたね。もうすでに遊ちゃんはネットアイドルだせ☆新しいHP開設したときはまたリンクさせてください。多かれ少なかれ人間はみんな痛みを抱えてる。それを吐き出せるほうがきっと楽になれるのかも。私も目に見えない大きな不安と戦いながらがんばってみようと思えるようになりました。天命をまっとうするつもりでいますが死ぬ瞬間に「幸せだった。」といえるようになりたいです。
2002年05月28日
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本日は親愛なるお二人へのレスです。ここに書けば形として残るので。まずばいぼおぉさま。Pessimistic angel・・・読んでくださったんですね。ありがとうございます。楽天で一番最初に友人になった女性に私のことを知ってもらいたくてページに載せました。あの曲が世にでるか出ないかというものだったのですわ。プロデューサーを決める段階まで話が進み、ふたりの人が私に会いたいと言ってくれた。工藤静香さんの編曲で有名なG氏。それから松田聖子さんの編曲で有名なT氏。G氏は会社のトラブルのためお会いすることができずT氏と私は作業をすすめました。T氏と事務所の意見の違い・・・莫大なお金が動くこと、まったくもってさまざまな目に見えないものが私の心の負担となりました。T氏は私の母と祖母に「必ずお嬢さんの将来を約束します。」とそれを私も含め信じて疑わなかった。結果的にさよならも言わずにすべてが白紙になった。おそらく目にみえない大きなビジネスというものが関係していたのでしょう。もちろん私が才能という意味で力不足だったのもあるでしょうが。家族の期待にこたえられなかった。反対されつつもあたしの気持ちを大切にしてくれた家族をなによりも絶望させてしまった。傷付けてしまった。デビューできなかったことで。そこそこ有名な大学を出て、就職もしないで、(おそらくさせてもらえないのだろうけれどもと私は思うが^_^;)、親のすねかじりの馬鹿娘だというレッテルが貼られる。世間では。人を信じるということが出来なくなってしまった私。あらゆる意味で深い絶望感を覚え、立ち直るまでに数年の月日が必要でした。先生という仕事についたことでその傷は癒されていくのですが。あの曲は18くらいの頃に書いたものですね。音で効くと良く分かるんですが、希望を書いたものに見せかけて実は飛び降り自殺がモチーフなのです。(暗いでしょ)自分が嫌いだった。自由が欲しかった。祖母と母が私には偉大すぎてそれにこたえられない自分が情なかった。感情のコントロールができずにいた。どうしてあたしの気持ちをわかってくれないの?そんな毎日でした。鏡を見るといつも眉間にしわを寄せてる自分がいた。泣いてばかりでした。居場所がないと・・・とろくてどんくさくて劣等感の塊。生きていく自信がもてなかった。好きなことを好きなようにしてみたかった。でも死んだ気で生まれ変わろう、そういう思いで書き上げた曲でした。母は純粋にあたしを守ろうとしていると、母の言うことは間違いではなかったと。病気で苦しむ祖母をほっぽらかして私だけがちゃらちゃらしてもいけない。そう気づくことができるようになったのは歌うことを辞めてからでした。全てを失ってどん底まで落ち込んだ瞬間にある日突然心が透明になれたんですよ。今でも馬鹿みたいなことで衝突しますよ。母とは。今日ね、おかしなこと言うんですよ。たまたま。タイムリーに。「あたしやっとあんたのことがわかったわ。あんたがぎゃーぎゃー必死で言うときはあたしをかばってる時なのね。このコなんて気のきつい子かしら・・って腹立つこと多かったけどよく考えたらいつもしょうもないことでもめてたなあ・・。」あんたわかってなかったんかい??と突っ込みたくなりました。^_^;おかしな親子ですよ。まったく。荷物もたせまいとか、睡眠をきちんととらせたいとか、用事させたくないとかね。そういうとき私はものすごく言葉がきつくなるんですわ。お互い繊細すぎるからしんどいんでしょうね・・・。どっちかが図太い神経だったらいいんですが。意外ときちんと伝わらないのですね。伝えないと。どっか甘えてます。やはり。まあでも今は。母の育て方は間違ってなかったと。心から思ってます。現在の私は、そうやってここに居ます。今は大丈夫、居場所がないなんて思ってません。(^o^)殺しても死なないようなパワフルな女になりました。まあまだまだたまに不安定ですが。ばいぼぉ様からいただいた優しさも私のエネルギーです。はい。遊ちゃんへさよならを言いにきてくれてありがとう・・・。さみしいけれど貴方がいつかここにきてくれる事を期待して貴方も大好きだったばいぼぉさんへの手紙をここに載せました。遊ちゃんに出逢えたことで出逢えたひとがたくさんいる。もちろんあたしのとこへ来てくれる人も遊ちゃんが大好きで遊ちゃんを見守ってる人がたくさんいます。まりぃはもういい大人になりましたがやはりまだまだ自分よりもさまざまな経験をしたひとに甘えてしまうことがたくさんです。あたしの存在を誰かに知って欲しかった。そう遊ちゃんは言ってたけど。あなたはあなたでいるだけで、ほんとうにたくさんのひとが共感して、貴方を見つめてました。ひとの気持ちの、痛みのわかる繊細な貴方。あたしにも親切にいろいろ教えてくれた。貴方と出逢えてよかった。本当にありがとう。貴方に笑顔がありますように。あたしは、まだ此処にいます。また誰かに愚痴りたくなったら此処に書きコしてくださいな。遊ちゃんに会いたいと願ってるひとはたくさん居ると思うから。あたし、本当は生きたいんだ。そう書いてくれたこと。あたしの勇気になりました。本当に、ありがとう。あたしの愛する人も春という名前がつくのです。おだやかな、春の日ざしのような人です。貴方の名前にもそんな意味がある気がした。あたしにも長くてつらい冬があったから。これからも不安はある。どうしようもなくなるときもある。でもきっと誰かに甘えて助けを求めてしまう弱い人間かもしれない。みんな多かれ少なかれ痛みを抱えてます。HPをつくってそれに気づくことができたし人を信じることもできるようになった。あたしは生きる。改めて決意しました。遊ちゃんの教えてくれた勇気です。いつか、また、逢えますように。あたしは、ここに、いるから。必要としてくれるならいつでも・・・・。本当にありがとう。感謝をこめて。
2002年05月27日
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貴方はどうぞ貴方のままであたしがここから動けずに身体が灰になったとしてもあたしが歌うこと辞めてから書いた・・詞。一番最後の、部分です。昨日は日記更新もせず死亡していました。笑。おととい祖母が膀胱炎になったかもさわぎがありひさびさに一睡もせず主治医のところまで走り発送作業をしたり日々の行いにおわれておりました。大事に至らずにすみました。ふぅ。今日も元気に車椅子でお買い物。ものすごい日差しですっかり夏です。まあ新商品ぺえじの更新をするつもりなんですがまったくもって思うように進みませんな・・・すみません。(一応期待してくださる方がいるつもりでゆってみた)とりあえずメンズのTシャツ商品が増えましたのでUPするつもりです。それからつきやんさんの作品、和風のタペストリー。実際まりぃが見て、惚れた。可愛い。癒し系。とにかくあたし自身が癒されてるのは掲示板を見ていただければお分かりのことかと思います♪販売のお手伝いをさせていただくことになりましたので色々種類があるそうなので興味を持ってくださった方、ぜひ私の私書箱にご連絡を。もちろんつきやんさんご本人のHPも訪れてみてください。まったくもってマイペースで運営してるHPですいません。レスもろくに返せてないです。m(__)mそれでもいろいろな人が訪れてくださることはあたし自身の元気の素でございます。実は少々へこんでおりました。自分に負けそうな日々。マネーの虎というテレビを見てたんですが、まあ塾講師の21歳の方が新事業をはじめようとするんですね。厳しいことをばしばし言われるのです。彼は生徒の受験が済むまでは塾講師を辞められない、と言いました。それまでは2足のわらじでも寝ないでもやってみせると。「生徒達の顔がちらつくんですね。」と虎(スポンサー)は言いました。まあ結果的に彼は資本金を手に入れ、夢を実現させるスタートをきるのですが。あたしはその言葉をきいてわんわんと一時間近くも泣いてしまったのです。あたしは無責任に9月に仕事をやめた。中2と高2のクラスを担当していました。高校生はおちこぼれだの、ばかだのいわれて隔離されてる5人。他のクラスが30人ずつですから彼らがどういう扱いをうけていたか想像がつくでしょうか?中2はまんなかのハイレベルのクラス。最初に働いていた塾が廃校になり、あたしはその高校生の担当をこなすということが条件で新校舎で採用されました。先生いびりで有名な生徒達。授業はきかない。いわゆる問題児。学長に鼻血が出るまで殴られたことがあるコもいます。でもあたしは彼らが大好きでした。週に一度あえるのが本当に楽しみでした。最終的に、彼らは夏に「勉強して大学に行きたい。」「馬鹿にされて生きるのはいやだ・・。」と少しは真面目になったわけで・・・模試である程度の結果を出しうまいぐあいにあたしがやめる前に、上のクラスで授業を受けることが許されました。週に一度、あたしが補習授業することが条件で。中二のクラスは・・・どういうわけか担当していない子のほうがあたしのところに来るのです。話し掛けに。いろんな子がいました。腕に、好きな男のコの名前を、カッターで刻んでいた子・・親との葛藤に苦しんでいる子・・・たくさんの子供たちと話をしました。高校生の子たちとはいまだにメールのやりとりをしています。あたしが辞める日、学長はそれを告げることを許してくれませんでした。もちろん仲のいい子たちには言いましたが(-_-;)生徒達は言いました。「ちゃんと自分のことを考えてくれる人がいなくなる。不安だから受験がすむまではがんばってきて欲しい・・・でも先生におしえてもらったことは忘れへん、おばあちゃんの看病は先生しかできひんから。ここでがんばってるから、がんばってな。」何人もの子がそういってくれたのです。私は教えるのではなく、教えられていたのだと思います。改めて私は生きるのだと決心しました。ここでの優しい人たちの出逢いも含めて。やれるだけやってみようと。できれば3度目の挫折はしたくない。祖母のことを日記に書くのも私の記憶の中で言葉として彼女の存在をのこしておきたいから。奇跡と生命力の塊のような彼女の存在を。そしてこの場所で彼女の死を告げる日も、くるのでしょう。いつか。まったくもって自分勝手な此処ではありますがどうぞ見守っていてください・・・。
2002年05月26日
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よくわからない睡眠で起きて、自分の病院と郵便局で発送をすませばあちゃまを歯医者に連れて行く。歯医者の院長先生も介護経験者だ。35キロのおかあさんを自分で抱いてお風呂にいれていたらしい。(まりぃには無理^_^;)先生は蘭が好きでお世話になっているのでプレゼントにもっていったら「命かけて育ててますから。これなんて7年目ですよ。」と自慢の蘭を見せていただいた。ひとつだけ、だがちゃんと咲くのだ。ちょっと感動した。ここまで愛してもらえたら花も嬉しいに違いない。いつものパターンでホテルにお食事に行く。今日はなんだか味が違う、と婆上殿ごきげんななめ。・・・・すごい。いつもの料理長はお休み。ばあちゃまの舌の肥えてること。おおこわ。明日の夕飯は・・・がんばらねば。(-_-;)そのレストランは20年来のおつきあい。店長さんは「昔はあんなにお元気だったのに。」とおっしゃる。きょうはすこぶる調子もよく自分で杖で歩いているのだが。うちは運転できる人間がいないので個人タクシーの運転手さんにお世話になっている。彼は「先生ほんとに元気になられましたね、信じられないくらい・・・・。」とおっしゃる。命の不思議だ。蘭の花にしろ、ばあちゃまにしろ。時間の流れはとてもゆるやかでやさしく時には残酷だ。こんな生活をはじめてもう9ヶ月になる。まともに睡眠を取れた日は一日もない。(・・・あ、年末に入院した2日間は寝たおしたわ・・)それでも結果として彼女の体調がよくなるならやはり母の選択は正しかったのだと思う。今はほとんど苦労はないし、神経質になるのはストマからの出血だけだ。祖母の身体から流れ出る血が確実に彼女の命を削る。それをとめる役目をしている私。うーんこんな話題ばかりでもなんなので本題です。CHANELとエルメスをまた見てきました。とりあえずオレンジの目立つこと。ゲラルディ-二の新色もオレンジ。この夏はオレンジなのか???それからひきつづきターコイズブルーも流行のようですね。それから、白。うちの新商品もちかじか発表していく準備をしております。があいかわらず私の作業はとろく、本日もレスお休みさせてください・・・。明日の深夜からまたがんばるぞ。うっす。
2002年05月24日
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ぐあ~。ちゅかれました。帰宅して爆睡する予定だったのですが落札して頂いた方の連絡をすませるのとばあちゃまの喘息に悩まされ起きています。「少女になにがおこったか」を放送中。懐かしい・・。年齢層を考えず喜んでいただきたい、という思いで商品をいれてきました。さて・・・どうなるでしょうね~。今のところがんばって価格さげてるのでサンダルが好調です。ひそかにうちのばあちゃまが靴好きで、今も足が悪くて靴ばかりみてるので(車椅子の生活ばかりはいやだし)そっちに目がいくのかなァ・・・・。などと思いつつ。こだわりのカットソー系とサンダル、アクセなど。それからメンズモノも少々預かってまいりました。それからHPでご縁をいただいたつきやんさん(掲示板のイラスト作者さま)の作品も販売させていただく予定です。体調にまかせてですがぼちぼち出品、紹介していきます。仕入れ問屋に足を運んでみました。ダーが到着するまでひとりで。1件目でおもいっきしおばちゃんにウザがられてへこみました。「あーあかんあかん店舗構えて仕事してる人間にしか販売せんよ」ぐあ。まったくゼロからスタートする人間に世間はつめたいのう・・・。2件目では親切に応対していただき名刺いただいてる途中でダー到着したので前回の仕入先の新商品をさがしに行きました。やはり現状に甘えてしまう私。泣。フリマのほうで大きめサイズのお問い合わせかなりいただいたのでマダムコーナーでもねばってまいりました。(*_*)自分の感性を信じるしかないですねえ・・・。少々最近自分に負けそうです。がんばらなければ。見事に本日病院すっぽかしました。明日は婆上殿の入れ歯の金具が突然はずれたのでまた歯医者なのです。うう、病院つづき。というわけでレスはお休みしてます。あさって以降に期待してくだしゃいまし~。
2002年05月23日
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・・・だがどうも思い通りに身体が動いてくれない。というわけで仕入れに行く予定なのだがおそらくまた同じ場所で靴とお洋服を探してくるかもしれない。新しい洋服の仕入先が欲しいのじゃ~。可愛くてゴージャスで値段の安いいいものを提供したいのだ~。Lサイズの問い合わせを良く頂くのでまりぃなりのマダム可愛ゴー商品を見つけたいのだけど・・。でも素人の小娘に大阪の卸しサンは簡単に提供してはくれない。のでやはりダーの力をお借りすることになる。月に一、二度の仕入れがとりあえずは公認のデートである。悲しいかな。はァ・・・。でもおかげさまで仕入れた商品はそこそこきちんと売れているのでこうやって母上殿から外出許可もいただけるのである。ありがたや。お客様。でも普段不自由にしてるぶん、外に出る時間の幸せなことこのうえない。おそらく普通のひとの100倍くらい充実した時間をすごしているであろう。そう思うとやはり半年間一歩も外に出れなかった祖母と彼女に付き添う母の気持ちもわからなくはないのだ。私も辛くないといえば絶対に嘘だ。でも家族みんながつらいし世の中には大変な思いをしてる人がいっぱいいるのだ。ネットデビューをしてそれが本当によくわかった。どうもここの所メンタルバランスがよろしくなかった。愛しいダーに会えないのが一番の原因でもあるが寝不足がたたっていたらしい。本日は母上殿が体調がよろしかったため朝の11時に交代していただき、1時間ほど昼ねします。と申し上げて目覚ましにも気づかず目覚めると午後四時半だった・・。うおおおおお。やばい、夕食の支度だああ・・・。と思ったら祖母が「お散歩(車椅子で買い物)」に行くというので手抜きご飯で済んだ。やれやれ。というわけで本日レスはお休みさせていただきます。明日のために無理やり眠ります。笑。☆☆☆ばいぼおさま。らぶれたあ届きました。憂鬱な気分もぶっとびました。本当にありがとうございました。あまりのお美しさにまりぃはクラクラでございます。私のお薬の処方は立派に「鬱病患者。」です。自分に自覚はありませんが。真面目に飲んでいないし、眠剤はほとんどつかいません。昼間はどうも時間においつめられていらいらしてしまいます。抗鬱剤を飲むと寝不足でも身体が動くのです。怖いくらい。不安を抑える薬(かなり軽いのですけど)をしばらく抜いていたのでものすごく調子が悪かったのです。ちょっと自分に負けそうでした。不思議なもんでお薬はちゃんときくらしく、よけいな不安感はきえていたのですが。薬をぬくと昼間はどうも調子悪い・・・。ちょっとおちこみぎみでしたがお手紙頂いて即効復活しました。(^o^)丿メンタルというのはおそろしいですね。薬よりもひとの暖かさや優しさのほうがずっと心に染みるのです。ありがとうございました。そして私は明日も心療内科をすっぽかします。笑。元気な証拠です。ばいぼおさまもご自愛くださいませ。
2002年05月22日
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まりぃ体調不良のためレスが遅れてしまいすいません。どうもメンタルストレスがたまっているらしい・・・。我が家が平和であれば木曜日に新商品の仕入れに行く予定。靴の仕入れ先は決めたのだけどお洋服となるとなかなか低価格で品質がよくて、サイズもあって、となるとなかなかゼロからはじめる素人には難しい(-_-;)みんなどうしてお店をはじめてるんだろー?日々勉強である。うちは靴屋になるのか?ううむ。しかも私のストレス解消は休むことではなく働くことだ。かなしいかな。実は私は過去に紳士服の○ーバリーの販売のバイトの面接をうけておちたことがあるのだ・・・。洋服業界はそんなに甘くないんだよ。ただ立ってるだけで金を払うわけにはいかないんだ。君に男のお客は呼べるのかい?うううう・・・いまだに失礼な面接官だったと思う。たしかにあたしはおこさまぽいよ。色気はないよ。あんたの好みじゃないんだろ、くそ~。と心の中で思ったが近所というだけで選んでいたあたしの考えも実は見抜かれていた。(-_-;)何でも勉強をかさねなくては。天から幸運は降ってこない。ばあちゃまが最近体調がよく、車椅子でおでかけするようになった。ワンピースの丈が長いので商品にするつもりだったレザーのフリンジベルトをあげた。すごい76歳だ・・・。しかも買い物中、突然金のブレスが欲しいという。クレージュでお買い上げ。浜崎あゆみに負けないトレンディーだ。笑。プライバシーを公開するのをうちの家族は嫌うがいつかここで記す日記が、あたしにとっての祖母の記憶になれば、と思う。ああ、どうかこのまま穏やかな日がつづきますように・・。
2002年05月21日
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が外に出むかない人間である。私は。いつもまにか怒りという感情がなくなっている。そのかわり感情のベクトルはいつも内側をむいている。鬱というのはどこからやってくるのだろう。思春期の頃、私は完全に鬱病そのものだった。ほかの友人達にくらべて自由に遊べなかったのがおそらく根本の原因であろう。自分の感情を殺すこと。好きなことを好きだと堂々言えない・・・。病気の祖母をほおって私だけちゃらちゃらするわけにいかない。単に自分のわがままであろう。今思うと。別に母の言うことは間違ってないし母自身も辛かったのだと理解するまで何年もかかった。母と価値観が違うために苦しんできた。母の理想の娘になれない自分が悔しかった。母は怖いくらいに純粋なひとだ。私のように隠れて悪さはしない。笑。絵に描いたような親孝行娘だ。おそらくこのHPを母が見たら気絶するであろうと思う。^_^;精神科の婦長さんの知りあいがいて、「お嬢さん、カウンセリングを受けたほうがいい。」とずばり指摘されたことがある。目が死んでいたのだ。私の。明治時代生まれの祖父の考えを受け継ぐ我が家では精神科や神経内科に通うなどもってのほかだった。感情が繊細なのは生まれもっての性質だから仕方がない。まだまだ日本人は鬱病に関する偏見が多すぎると思う。多かれ少なかれ、誰もが痛みを抱えている気がする。私はたまたま肉体的に限界で、身体をコントロールするために心療内科に行って、薬がうまく効いたがゆえに毎日をおだやかに過ごすことができるがやはり心の痛みの根本原因は薬では癒されない。自分と戦うしかない。心療内科の先生は薬を処方してくれるがカウンセリングはしてもらってないし私は人のやさしさに救われて今日がある。声を枯らすほど、涙がかれるほど苦しんで。それでもまだ楽になれないひとはたくさんいる。私もまだまだ感情が不安定な人間だ。ここに来てくださる方が少しでも穏やかな気持ちであるように。本当に、心から、そう思います。
2002年05月20日
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めずらしく早寝早起きのまりぃです。ばあちゃまがいびきをかきだし安心して寝たらすぐおきてたようです・・。楽天メンテよ。私の活動時間にとまるなよぉ。←超自己中。先日のウサギの里親探していますの続編です。神奈川の近くのかたでこの日記がめにとまったかたはぜひ、まりぃまで連絡クダサイ。まりぃの恩人が里親探しをしてらっしゃるのです。うさぎちゃんの写真はこれ。なまえはカレンちゃん。 昔愛していたひとに初めてプレゼントされたのが硝子のウサギだった。そのひとのことは又いつか日記に書くかもしれない・・・。不眠症で心に大きなトラウマを抱えた彼を私は救うことができなかった。今は、連絡も、できない・・・ウサギみたいな奴だ、とよくゆわれた。さみしいと死んでしまう。目を真っ赤にして泣き喚いてしまう。彼にとってあたしはすぐに壊れてしまう硝子のウサギだったのだろう。ウサギが好きになったのは・・・強くなりたかったからなのかな・・・。「おまえの言葉は人を殺せるよ。」そういわれた。彼に。それが最後の言葉だった。あたしには文字でしかあたし自身を伝える手段がなかったからメールは毎日のように交換した。そのうちあたしのメールは「重い」といわれた。あたし自身のなかに渦巻く感情が言葉として溢れ出すことは私の愛したひとにはいつだって負担だったのだ。だからここでこうして日記を書くことも最初はものすごく怖かった・・。「あなたは強い人ね。」とよく言われるが絶対にそんなことはない。時間をかけて自分を癒す方法や果てしなく続く不安の原因をはっきりさせたからどうすれば自分が元気になるかわかっただけ。今だって不安はつきない・・。ただ考えないようにしているだけ。でも幸い人のやさしさにいつも救われてきた。ネット上の世界では現実では不可能な出会いができる。改めてここをがんばっていきたいと思う今日この頃です。
2002年05月19日
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ばあちゃま3キロ減量に成功・・・。急激におちたように思うけれど一日目はおかゆダイエットして。二日目は消化にいいものをたべて。三日目には規則正しい食生活に戻したのだ。それから適度な運動。おやつたべすぎやっちゅーねん(^_^;)家族の責任もあるけどぉ・・・。おかしじゃないけど寝てばかりの生活なのでついつい食べてしまう、という感じだった。それから薬が多いので空腹で飲むのが危険なのでなにか食べるという感じ・・・。でもさすがにおととい元気がなかったので(食べる楽しみがなくてブルーだったのかも・・)小豆のおしるこを炊いた。事始めの日にはかならずばあちゃまがつくるおしるこを伝授してもらった。夜中にしるこをたく変なふたり・・・。1.小豆をあらう。2.水を適度にいれたなべでことことたく。3.黒くなってきたら水(お湯になってますね)を全部捨てる。4.もういちど適度に水をいれてことことたく。 汁がくろくなって小豆にしわがよればOK,その汁を又捨てる。5.小豆がやわらかくなるまで煮る。塩少々。砂糖はお好みで。 (あんまり甘くしないで小豆そのものの味を楽しむとよい。)時間はかかるがほっとけばいいので意外と簡単。低カロリー、利尿作用ばっちしなので気になる方はお試しください★おばあちゃんと暮らす、っていいな~と改めて思った。ぬかみその漬け方とかも習ったし。魚の煮つけとか。(その代わり私は洋食づくりの経験が少ない。)「男は胃袋でおとせ!!!」ってか。誰かがゆってたな~。だったら私は和食には自信があるぞ。もてもてになれるぞ。笑。でもそんなに簡単じゃなかったぞ・・・恋愛は。あ~早くでえとしたいわ・・・(愚痴)そんなことはさておき。自分の住所も孫の存在も年も時間も季節も忘れてた人間がここまで元気になるんだな・・・と思う。命の不思議。生きたいと思う気持ちだけでこんなに変わるんだな・・・。悲観的になっちゃいかんな、と思う。しわの数だけ輝いて見えるおばあちゃんになりたいな。わたしも。
2002年05月18日
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昨日テレビを見ていて、ネイルアーティストの方が老人ホームで無料でネイルアートをしてあげていました。たとえ70歳をすぎても女性ですよね。皆さん嬉しそうで、なんともほほえましい気持ちになりました。うらやましそうな顔で見てたのがおじいさん。「わさび色のマニキュアお願いします。」だって・・・(*_*)しっかりネイルアートしてもらってました・・。まりぃはおしゃれ好きですがネイルだけはめったにつかいません。理由はお料理、それからゴム手袋はつけるけれどもストマケア。それから祖母のマッサージをしなくてはならないからなのです。うちの祖母は痴呆症状はありませんが肝性脳漿のときはほとんど記憶を失いました。そんなとき彼女が私と母に求めたのは「からだをさすって。」身体にふれるだけでいい。安心するし死の恐怖から解放される。そういう理由だったようです。ネイルアートもからだに触れるから。素敵なボランティアだな、と。まりぃは足が太いということはさんざん書いてきましたが手は細い・・・。でも手首がほそくて徳したことなんてまったくないんだああ。指は短いし。手首はかったら13センチよ。握力は15よ。お子様以下よ。まず時計ができない。というか嫌い。さまにならないんだもの・・・指輪も似合うものを探そうとすればものすごい大変なのだ。今は7号だけど。ピークにやせてたときは5号だった。今のダーに頂いた指輪も。汗だくになりながら探していただいた。m(__)m結局ひとつじゃさまにならず、フォリフォリとティファニーを二連使いしているのです・・・。特別おしゃれしたいときはチップを使用します。オーダーチップで六千円つかってつくったのに・・・でかいんだよ(-_-メ)まったくもお。何のためのオーダーなんだ。ぷんぷん。いろいろ試した結果、やはりJJのカリスマネイリスト。えり子さんの市販品を愛用中。でもね、すぐはがれるのさ・・・。勉強不足だね・・。ネイルに詳しい方。まりぃにお話、きかせてくださあああああい(^_^;)
2002年05月17日
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実は昨日同じタイトルの日記を書いていたのにぼんやりして消してしまった。少々体調が悪く、どうしても薬も服用する気になれず。本来、深夜12時をすぎないとPCを開かないのだ。母が祖母についている間はなるべく家事をしたいから。お店のリニューアルも思うようにできず(T_T)PCばかりに向かっていようものなら母のお怒りに触れそうだし。そんなことを思いつつ。たまたま昼にPCをひらくと常連のウニの母さまからのメッセージが。寝ぼけてたまりぃはピンとこなかった。何で泣いてるの~と書きコしてすぐ気がついた。大好きなばいぼぉさんの日記。とても落ち込んでいたとき、ミナピンさんのHPで彼女の書きコが気になって遊びにいった。それ以来本当にお世話になった。どれだけ元気をもらったか分からない。祖母と同じ人工肛門の看病の経験のあるウニの母さまを紹介していただいたのもばいぼぉさんだった。ばいぼぉさんに出会った日。私は本当に仲良しの生徒の家庭教師を辞めて。家族のために家に居る時間を増やそう、そう決心した日だった。今まで築いた仕事のキャリアをゼロにもどすこと。祖母の看病と寝不足と出血に悩まされながらそれだけが日々の全てになるかもしれない、そんな不安感でいっぱいだった。自由に遊んでみたい。堂々とデートもしたい。好きなことを好きだと言いたい。そんな気持ちもないといえば嘘になる。ヘルパーさんやお手伝いさんにまかせないのも家族のわがままなのかもしれない。それでもこうしようと決心したのは私だ。祖母とあとどれくらい一緒に過ごせるかわからないから。今までなにもしてあげれなかったから。自分に負けてしまいそうになりそうな日々、ばいぼぉさんにたくさんの笑顔と元気をもらった。知らないうちに私は、がんばれる私に戻っていた。ばいぼぉさんがHPを閉められたのはものすごくさみしいけれどその理由もとてもよくわかる。きっと永遠にさよならじゃないしまた遊びに来て下さるのだろうけど、やっぱりせつなくてせつなくて仕方なかった。涙が止まらなかった。年齢は違えども、毎日クラスに行けば会える級友のような。そんな感覚で毎日お会いできるのを楽しみにしていました。まりぃも不器用で、ひとの何倍もがんばらないとひとつのことができません。でもここのHPとお店をちゃんとはじめたい、それから家の家事やばあちゃまの看病もきちんとやろう、両立させよう。そういう決心ができました。レスが遅れてしまうみなさま、ごめんなさい。それから大切な時間をさいてここに遊びに来てくださる皆様。ありがとうございます。昨日で3か月目に突入しました。きっとこれからもいろんなことがあるのでしょう。でも本当に人のやさしさを感じることができるようになりました。ぼつぼつですが、マイペースでやっていきます。きっと私は長距離走者なんだ。今後ともまりぃをどうぞよろしくお願いします。そして最後にばいぼぉさま。心からの感謝をこめて。「貴女と出逢えてよかったです。」また来てくださる日を楽しみにがんばりまっす☆
2002年05月16日
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夜中に突然祖母が「あ”~。」という。「なになに?」というと「やせたいわあああああ。」という。^_^;本日入浴介助をしてる後姿を見て母がつぶやく。「絶対・・太ってるわ。足、むくみのせいだけじゃないわ・・。後姿が象のようだ。」体重計ではかるとなんと!56キロをこえていた。やばい。これはやばい。祖母の身長は147センチである。(+_+)そこで祖母がつぶやく。「ヒャッカンデブ・・・。」その一言がつぼに入った私は笑いが止まらない・・・。笑い事でもないんだけど。どうも最近車椅子が重いと思った・・・。彼女は職業病で足が悪い。半分は車椅子の生活だし、手をつないでも長距離は歩けない。太るからしんどいし、歩くのも辛くなる。悪循環きわまりないのだ。血が少なくて死にかけたのでしっかりたべて欲しいという思いでいっぱいだった。9月、病院にいたとき、毎日嘔吐を繰り返し、体重が40キロまでおちた。家から毎日食事をつくって運んでもダメだった。全部はいてしまう。退院の日など食事を一口もとらなかった。(それで強制退院させられたのだからやはりおかしな話である)ぶっちゃけた話家でみとるくらいの覚悟だったが自宅に戻るとすぐに体力も食欲も回復した。食べることは生きること。まさにそのとおりだった。海老が好きなので活いせえびをネットで取り寄せて(わたしが料理するのだ。怖いけどね~)ぺろりと2匹平らげたりする。懐石料理も大好きである。晩御飯がまずいとご機嫌が悪くなる。年をとると食べることが生き甲斐になるのよ~というが60キロを超えた人間の入浴介助なんぞできんぞ。私は。というわけであしたからダイエット大作戦開始である。まりィ家のダイエットはお粥ダイエットである。おかゆに刻んだしその葉、ゆで小豆を数粒乗せて食べる。そのおかゆだけなら何回食べてもいいのだ。3日続けるといいと本で読んだのだが3日もできないぞ・・。たいがい気持悪くなるので一日で良いと思う。宿便がたっぷりでるのでお試しあれ。むふ。
2002年05月14日
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母の日は皆さんいかがお過ごしだったでしょう?まりィは結局ダーとのデ-トはお流れになり家族サービスに徹しました。(^_^;)バーベキュー大会は子供連れも含め30人程度のあつまりだったらしい・・・。「終わったよ~。」報告のダーの声があまりにしんどそうで日を改めて、ということにしたのだけれど。うーん次に外出許可はでるのだろうか・・・。うちの母上様も何とか体調がもどったらしく祖母と母と近所で外食をしました。うちの母の日は2倍なのである。母と祖母の両方に感謝の気持ちを示さなければならないのだ。祖母には蘭の鉢植え。母にはピンクのゲラルディ-二のバックをプレゼントさせていただいた。最近JJにゲラルディーニがOLの間で流行!とのっていたがビニールで軽くて祖母のお出かけセットを入れるには大変便利。母はもう50をすぎたがいまだにピンクが好きである。母も祖母と同じく体が弱い。腎臓が片方壊れているし、ガンも経験している。料理も掃除も完璧にこなすひとだが体力がない。冬場など洗い物(食器洗いだけどさ)などさせようものならすぐに風邪をひいてしまう。よって私は母をかばうべくほぼ家事をこなすようにしているのである。日記を最初から読んでくれてる方ならお気づきのことと思うがうちには父親がいない。どうやら結婚してすぐ嫌いになったらしくすぐに離婚したらしいのだが・・・。あまり深くは追求できないので謎のままである。(-_-)すでに父親は死亡したのだが会いたいと思ったこともないし無感覚だ。うーむ。というわけで母の日は3倍の感謝をしなければならないまりィにとっては特別の日なのだ。母子家庭という感覚を感じたこともないし、父親が欲しいと感じたこともない。女独りで子供を育てるのがどれだけ大変だったのか自分が働いてみてはじめてわかった・・・。名前のとおった私学にも通わせてもらったしまったく母にはあたまがあがらないまりィなのである。ただ思うのは「母を守ってくれる人が欲しい・・・。」そう感じたことは本当に小さな頃から何度も、ある。私が、母を守らなければ。そういうプレッシャーにつねに押しつぶされそうだった。祖母と母はいわゆる一卵性親子。いつも祖母に守られていた母。「私の代わりができるようになりなさいね。」と小さな頃から祖母に言い聞かされてきた。なかなか感謝の気持ちは言葉にするのが難しい。踊りも母に習うのは苦手である。ばーちゃま。まだまだ教えてもらわないといけないことがたくさんあるよ。もっともっと元気になってがんばってね。「生きているのではなく生かされている。」そう思う。祖母にしても。私にしても。母は私を妊娠したとき、すでに体を壊していた。恐ろしいほどの妊娠中毒症状でほとんどメロンしか食べれなかったらしい。私が3歳のとき母も死の危機にあっている。40度近い熱が続くにもかかわらず数年間がむしゃらに働いて私を育ててくれた。祖母も同じである。お医者様はよく子供をうめましたね、当時発見していたらあきらかにドクターストップがかかりましたよ。と。祖母もそれを知っていたらおそらく私を産ませなかっただろう。知らぬが仏とはこのことである。まさに。母上、産んでくれてありがとう。言葉には出来ないが(照れくさい。言葉にすると嘘臭い。)貴方のためにできることをひとつづつ、やっていきます。生命力の塊のような、まりィ家である。
2002年05月13日
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うーんえらいもんが重なってしまった。しかも私の親友とダーの親友がおつきあいしていてバーベキューを企画しているのだ。まりィも参加したい気満々だったけど朝八時半に奈良にいくなんて今の状況では不可能なのであきらめた・・・。ていうか誕生日デートがしたかったのにィ。(-_-)親友よ。私に気をつかってくれよ。(-_-メ)愛するひとが生まれた日。彼がこの世に存在してくれてることがただ、嬉しい。私は去年の自分の誕生日は病室で迎えた。ばーちゃまと手をつないで。祖母はそのとき、ものすごく具合がわるく、自分の年や私の存在もわからなかったのになぜか私の誕生日は覚えていた。付き合った男に言われた言葉「俺とかあさまとどっちがだいじやねん」いや、家族なんだよ。申し訳ないが。今のダーはそんなことは言わない。仕入れに出てもばーちゃまへのお土産を探す私をニコニコして見てくれてる。もうひとりの親友に言われた言葉。「あなたが生まれてくれて嬉しい。それよりももっとあなたをうんでくれたおかあさまに感謝するよ。」なによりもなによりも嬉しい言葉である。いつか愛する人にゆってほしいと思ってた言葉を女の親友にゆわれてしまった・・・(^_^;)だーもいつかゆってくれるかな。世の中の母上さまたち。明日は家事もやすんでゆっくりできますように。
2002年05月12日
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「種類 ミニウサギ 購入して2年目なので大きいですが美形なのは保証つき!しばらく放し飼いしてたので(ゲージ飼いでも平気)とても人なれしていて噛みません。毛並みもよく茶と白の♂です。えさは普通のフードに野菜。おとなしい温和な子です。★使用済みできれいなものではないですが希望者には飼育に必要なゲージ一式つけます。すのこだけ変えれば十分です。神奈川県川崎市小田急線、南武線、登戸までとりに来てくれる方を希望します。」私がHPを立ち上げる前に携帯のサイトでお世話になった方のお手伝いで載せさせていただきました。もしも条件に当てはまる方、いらっしゃれば、まりィまで連絡してください~♪さてさて。母上がどうも本格的に気の緩みからダウンしたらしい・・・・。一時間程度の昼寝で身体をもたせてたのだがそれができないのだ・・・。彼女も体が弱い。大病を2回している。ううむ。まりィ家に平和はもどるのだろうか・・・。
2002年05月10日
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完全に昼夜逆転である。私も祖母も。12時間反対にすればまともな生活なのだが(-_-)すっかり明け方眠る癖がついてしまった。しかも母上様が寝込んだので私は祖母の隣でほぼ24時間をともにしている。PCやり放題なのでいいんだけど・・・・。ウチの母上様が極度の不眠症だったためまりィ家の活動は午後からである。メラトニンというサプリメントを摂取するようになってから眠れるようになったのだが。そもそもメラトニンは日光にあたることによって人間の体内に分泌される。彼女はおひさまにあたらないから眠れなかったんだ~。と、私は解釈している。そのかわり肌はめちゃくちゃ白い。プラウディアのオークル00が普通に使える。そういえばタレントの大石恵さんも日光にあたらないようにしてるとかゆってたな。私も白肌にものすごい執着がある。スキンケアは美白ラインをつかい、ありとあらゆる美白美容液を試した。なんとかたまには「色の白い先生。」などとゆわれるようになったが。いつもいつも1箇所だけやけるのだ。ずばり後ろの首筋。(-_-;)女の色気が一番出るとこなのにい~。「うつむいて歩いてるからよ。」と母上につっこまれた。そーなのかしらん。^_^;日焼け止めをつけて日傘もしくは帽子。基本ですね。1秒の気の緩みがあとあとシミをつくります。5月は一番紫外線が多いですからぼちぼちきをつけましょう。と自分に言い聞かせるまりィ。おしりの白さが自分の白さだそうだ。うーん。ということはやはり私は色白ではない。努力で白くなるなら私はがんばるぞ。「女の白肌は七難隠す」と言うし。そして流行の白を着こなすのだァ!
2002年05月09日
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二日に一度の睡眠のおかげで今日はばりばり(古い)体調のいいまりィです。めざせ114歳の長寿。(爆)↑わかるひとはわかると思いますが2日起きて2日寝るというおばあさんです。ちょっとピントずれてる気もするが。^_^;過去に受けた心の傷がいまだに痛いこと・・・・なんだけれども。けっこう真面目にお洋服についての勉強をはじめて自分の過去を回想してみた。ダーに「これとこれどっちがいい?」ときいても「わからんー。」というのだ。師匠はレディースのことはさっぱりらしい。んでは今の自分のこだわりはどこからきてるのか・・・実はものすごーく苦手な人がいたのである。そのひとのおかげなのである。ひそかに。音楽育成時代に、私には担当者がいたのですが、もうひとり女のスーパーバイザーさんが「芝居やってみる気ない?」と私をNHKの朝ドラマのオーデションに声をかけてくれた。それで女優志望の女の子たちとスチール撮影に参加させてもらったことがあるのだ。女優って女が優れてるって書くんですよ。場違い・・・帰りたい・・スタイルよすぎ・・まりィはびびりまくってました。だがしかし私には担当者(彼)いたのでもめるのなんの。彼は音楽のプロモーション用に撮影するつもりで彼女はドラマオーデション用のつもり。撮影は済んだものの、私だけミュージシャンメイクなのだ~。それは女の人が遅れてスタジオにきたせい・・・。それでまたもめるもめる。^_^;何でもっとナチュラルにしないのよーとか。極端なメイクだったし(アイライン太すぎとか。当時はまだ自分のメイクにこだわりがなかった。それも今思うといやだけど。)結局音楽が軌道にのりかけてたんで(失敗したけどねー。)二兎を追うものは一兎も得ずだろーと私の担当者にゆわれてドラマのオーデションはうけなかった。しかし得たもの大きかったのだ。何日もかけて渋谷を歩きまわり洋服、靴についての知識を彼女に仕込まれた。まず下着からの改革。まず私はきちんと自分の身体に合ったサイズをつければカップがあがった。洋服も下着も5ミリのずれがものすごい結果を生むこと。Tシャツも身体にあわなければ後姿に安全ピンをとめなくてはいけなくなる。ま、いっかーと思っていたものでも彼女が手を加えると自然と身体のラインが美しく見えるのだ。裁断のしかた、生地、それから靴。ヒールのバランス。実は今日の私の知識はその人の恩恵が大きい。でもなんでその人が苦手だっかかというと・・・。キツイのだよ・・・・。まりィ当時は顔には症状はないが手足はアトピーのせいであざだらけだったのである。(そして今はほぼ完治♪)キャミソールを着せられ「わ、なんなのこの汚い傷、ファンデーションでも消せないわねーひどーい、ぎゃははは」とゆわれたのだ。(-_-メ)肌を露出できなかればなにかをはおればいい。その後ツインニットやカーディガンがわたしの必需品になる。でも意外と意識して隠すのをやめてちゃんとお日様にあてるとキズは消えてきた。今思うと悪気はなかったんだろうな・・・。彼女も。「女はどんな女でもかならず身体の一部分にうつくしいところがあるの。例えばアナタは足は太いけど首から下、胸にかけてのラインがとてもキレイよ。」複雑だったが(-_-;)それなりに嬉しかったかな・・・。さて、みなさんは自分の身体のなかで一番自信のあるところはありますか?
2002年05月08日
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おはようございます。変な時間に活動するまりィです。昨日は仕入れにいってきました。サンダル、キャミソール、Tシャツ、ワンピなど、10代から50代まで楽しんでいただけそうなアイテムをたくさん仕入れてきました。(^o^)毎日ぼちぼち出品していきますので興味のある方はページもしくはフリマをチェックしてください♪例のごとくめちゃくちゃ歩きまわるのでくたびれたまりィ・・・・。たいがい深夜12時に交代するのですが寝ずにいるつもりが12時前になってうとうと。目が醒めたら4時半でした。がーん。母にものすごく悪いことをしてしまった・・・・。半日おでかけするとやはり彼女は体調を崩してしまうので・・・ためいきのまりィです。はあ。月2、3回はこらえておくれ・・・。あたしも電車にのれば友人に「座りなよ。」とゆわれるタイプなので健康優良児とはいきません。^_^;ダーといれば昼間の薬もいらないし、何かに頼らなくても眠れる。ああ強い心になりたいなあ。
2002年05月07日
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さてあらためて昨日のイラストレーターさんから許可をいただいたので・・・お名前はつきやんさん、です。私のHPに日記リンクがしてあるのでぜひ彼女の作品を見に行ってあげてください。オリジナルグッズをつくってらしたのでまりィも少しお手伝いができればと思ってマス。みなさんの反応次第になりますが・・・。まりィが選んだ・・・心にぐっときた・・・彼女の作品をご紹介する予定なのでお楽しみに♪(体力との戦いナリ)そもそもこれだけPCに向かう時間があるのも祖母の看護をしてるおかげなわけで。同世代の女のコが(コ、につっこみをいれないように。)夢をいだいてがんばってるのはすごく素敵でした。まりィもがんばるじょー。5月7日。また新商品探しの旅にいってきます。デニムのTシャツ待っててくださるお客様。今晩のご報告、待っててください♪最近ほんとにナポレオン並みの睡眠時間なので今日は寝ないとまずい・・・と処方どおりの薬を飲用。4時間でぱきりとおきました。(>_<)もう私の身体は睡眠4時間でじゅうぶんらしい・・・・。介護認定5(一番上)がでるくらいからだが悪かった祖母が今は私が寝たいときはだまってひとりでトイレにも行ってくれる。おなかの出血も最近おさまってるし。爆弾はたくさん抱えてるし波もあるけれど・・・奇跡っておこるものだと思う。いつもきちんと日本髪を結っていた祖母が突然髪を切るといいだしたのが始まりだった・・・。そのときは、ほんとうに、なにもなかったのに。何か予感していたのかもしれない。またその髪を切る先生が(20年来のおつきあい^_^;にもかかわらず)突然きんさんぎんぎんさん並みのショートヘアにしてしまったので祖母はぽろぽろ涙をこぼしていた。女はいくつになっても女なのだ。その後、片目を失明する。(なんと現在は回復。コレもすごいと思う・・)そして倒れる。さまざまな流れがありつつ今日にいたる。信じるものは救われると言うが。家族の愛情で面倒を見ていくしかないと決心した母がやはり偉大であると思う。ヘルパーさんを断るときもええええええええ~と思ったが。ヘルパーさんがくる前に部屋も台所もぴかぴかに掃除してしまうような母だ。かえって気疲れするのも無理はない。私が仕事をやめてから、少々母も体調が戻った気がする。後は自分との戦いじゃ。ああ、ずぶとい神経になりたい。祖母の看護など、他の方にくらべたら相当楽なはずだ。痴呆の症状はないし、ヘルパーさんは医療行為ができないので私がやるしかないのだ・・・。西川きよしさんのところなんて3人の介護をしていたらしい。今日は病院の日にもかかわらず、明日に延期して出かけようとしてるくらいなので調子はよいのであろう。でもあとひとり家族がいたらな・・・と弱音をはくときも、ある。母も命がけで私を産んだので、仕方ないのだが。さて、メイクでもするかあ。今日もがんばっていきましょう♪
2002年05月06日
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なんだかここ1週間ほど、祖母は家でおとなしくしていたので(体調が悪いのか朝まで起きているから眠たいのかは不明・・・)まりィもよくわからない生活リズムである。ものすごいへんな時間に寝起きしているのだ。GWは昔から関係ない・・・。会社員とは無縁な家族だし人ごみが嫌いなので休みは大概避けるのだ。が。仮眠していると「今日は外食よー♪」と起こされてまたもや素顔のまま出かける。某百貨店に掲示板上で紹介していただいたイラストレーターさんがおられるし「赤い車椅子です」と予告していたのでう、絶対気づかはるわ・・・化粧くらいさせてくれ・・とブルーになりつつおでかけ。笑。(ご本人の許可をまだ得ていないのであえてお名前は書きませんね♪)昨日は雨だったし久々のお散歩なので家族は上機嫌である。子供の日なので毎年恒例のサンリオのイベントが開催中だったので大人3人にもかかわらず^_^;わなげやらくじやらダーツやら、子供にまぎれて遊んできました。(^0_0^)おめあてはマイメロディ。実はまりィは「癒し系うさぎキャラフェチ」なのである。つきあう男までうさぎ年ばかりときたもんだ。(-_-;)筆箱の中身はうさぎだらけで生徒達に「先生がきんちょみたいー。」とゆわれつつ小学生からよく貢物を頂いた。(爆)自分のもってる便箋やらシールやらうさぎのものをくれるのだ。それはさておき、帰り道、犬猫グッズを扱うコーナーに寄ることにした。祖母は可愛いぬいぐるみが大好きなのだ。そこにはご紹介いただいたイラストレーターさんが実演でイラストをかいてらっしゃるところ。一目で気づいてくださいました♪とてもかわいらしい感じの方でもう、そのお人柄といい、イラストといい、すっかりファンになってしまったのです。祖母は昔飼っていた犬にそっくりのマルチーズのぬいぐるみを購入。(超おきにいりらしい)まりィはその間に手がきのポストカードをつくっていただきました。ワンニャンコーナーにもかかわらずまりぃはうさぎをお願いしてしまいました。(-_-;)言葉をイラストに添えてくださるのですが書いていただいた言葉は「しあわせになれますように」なんとも可愛いウサギと、四つ葉のクローバー。嬉しくて嬉しくてずっと眺めております。ホームページを開設して短い期間でほんとうにたくさんの方と出逢えました。どんどんひとの輪が広がっていく。現実世界ではなかなかできないことです。体力的にも精神的にも一番辛いときにここを開設した。一番の悩みは自宅にいることで自分の世界がとざされることだった。結果的に私は日々たくさんのことを学ばせてもらっている。「雨降っても地固まればよし。」BY 吉井和哉今日はとてもあたたかないい気分なのだ。素敵な絵をありがとうございました。(^o^)宝物にします♪
2002年05月05日
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「自分のあたえられた範囲で満たされることを知りなさい。」それがまりィ家の家訓のひとつである。貪欲はよくない。たべすぎたら太るのと同じである。がんばりすぎるわけでもなく、だらけるわけでもなく、自分にちょうどいいを見つけるのが一番なのだと。とはいえ私は欲の塊のような女であった。(過去の日記参照。harpyとバンド名につけたくらいだから。)しかし昔から食に対する欲と、睡眠に対する欲がない。私の会話に食べ物の話がでてきたことがないと友人どもは言う。最近祖母が完全に昼夜逆転してしまったので私は非人間的睡眠時間で生きているが、好きなことをやっていれば全然寝なくてもごきげんなのだ。祖母の一番の楽しみは食べることだという。生きていくには食べなきゃいけない。瀕死の状態で退院して3日後に「宅配ピザが食べたい。」といったらしく母が仕事先に電話をしてきたことがある。^_^;エネルギッシュそのもの、生命力の塊のような祖母を見てるうちに私の心も自然と強くなった気がする。最初はかなり過酷に感じたが。最近はかなり日々穏やかな気持ちである。このホームページのおかげですね。五月十五日で2ヶ月をむかえます。自分の心が満たされないと絶対に優しくなんて出来ないから。私に優しさをくださるみなさまにこころから感謝です。追伸昨日いろいろおしえてくださったみなさま、ありがとうございます。まりィ自身も参考にさせていただきます。
2002年05月04日
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HP作成してる方って、やはり使い放題をご利用なのかしら?まりィの元生徒が、ADSLにしようか、おすすめのプロバイダ知りたいよーよかゆってるんですが。私はさっぱりわからんのです。詳しい方がいたらぜひアドバイスください-♪まりィは塾講師を辞めたいまでも生徒達とメールで会話をよくするのです。あいかわらず仲良し。「親指族」とはよくいいましたがいまや女子高校生もまッ青の速さで携帯メールがうてるようになりました。(-_-;)勉強を教える上で、私は絶対に子供達に圧迫感を与えたくなかった。生徒達と同じ目線で物事を考えたかった。なんで勉強してるのかなんて大人になるまでわからなかったし。本人がやる気にならなければ強要もしない。ただ、意外と「人に負けるのはくやしい」というコが多かったりして。そういうコは突然ぐーんとのびたりする。二度目の職場(一度目の職場は子供が少なくて廃校になった)は最初の職場とぜんぜん違うマンモス校。学長は元暴走族の頭というとんでもないひとで。男の子の生徒なら容赦なしに殴る。鼻血が出るまで。罵倒もする。わたしも怒られた・・・・。去年の生徒が会いにきて、休憩時間に会っていただけなのに「ここはみんなと仲良くする場所じゃないんじゃああああ!」休憩時間になにをしようが自由じゃくそくらえと思った。(-_-メが。やはり彼についていく生徒も多かったので、カリスマだったのだろう。私の母校は中学から制服がなかった。よって私はうまれてこのかた制服、学生服の制服を着たことがない。ワンピースはダメ、という訳のわからん校則があったがそれも今はないらしい。私の今の性格は母校の風潮が一番影響しているように思う。モラルに反するのはどうかと思うが個性というのは大切にされていた気がする。私も最初はきちんとスーツで授業していたがチョークの粉だらけになるのがあほらしくて軽めの服装に変えた。厚底サンダルに、ミニスカに、紫の網タイツだった日もあったさ。今になっていえるのは、勉強することや学校に行くことで社会へでるための根性を身に付けた気がする。朝五時おきで京都まで通ったのも今日の忍耐力につながってる気がする。叶わない夢はない。努力してみるだけ。そう私は子供達に言い聞かせた。実は教えながら自分が学んでたんだと思う。
2002年05月03日
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私がhideの音楽を知ったのは彼の死後だった。私はそのとき、音楽の世界から足を洗い、相当な心神喪失状態だった。夢も、恋人も、同時に失った。それからおそらく今と同じく外出できない状態になるのが怖くて仕方がなかった。祖母が病気で苦しんでいるのに(当時はいまよりもっと肝臓やストマの出血や熱に悩んでいた。)あたしだけがちゃらちゃら遊ぶわけにいかない。その理由ももっともなので私はそれに従った。家と、夕飯の買出し・・それも時間は限られていて・・・30分外にいるのが精一杯だった。同じ事務所にいるミュージシャンがテレビに出るたびに胸が苦しかった。音楽以外に自分になにがあるのかわからなかった。この先どうやって生きる目的を見つけたら良いのか分からなかった。歩くこともままならない。息をするのも苦しかった。ぼんやり見ていたワイドショー。hide氏の葬儀の様子が繰り返し流されていた。音楽はこんなにも人の心を癒す力がある。そう改めて思い知らされた。彼の人柄、センス、音楽性。全てが私のつぼにはまった。それでももう、彼はこの世にはいない。せつない。辛いことが多すぎて泣いてばかりでも絶対に死にたいと口にしないと決めたのは二人の友人の死を一度に経験してからだった。詩人でロマンチストだった友人。白血病で亡くなった。もうひとりは大学の同じサークルの友人。後輩にあたる男の子。いつも「まりぃさんまりぃさん」と追いかけてきてくれて自分の音楽に対する夢を話してくれた。彼は突然のバイクの事故で亡くなった。誰に迷惑をかけるわけじゃない。自分で転倒した。それが彼らしい死に方だと、誰も傷付けなくてよかったと彼のご両親は話していた。・・・今も手元に彼のデモテープがある。せきばらいや携帯の鳴る音。そんなささいなことですらせつない。どんなに会いたくてももういないのだ。どこにも。大学時代のまま、私の頭の中は時間が止まっている。あの場所に行けば、また、みんなに会える気がする。ノスタルジア。もうずいぶんと時間が流れたというのに。あたりまえだと思っていたのに。約束をしなくても会えたのに。離れてみて、はじめてわかること。・・・私は、ちゃんと大人になれたのだろうか?私はまだ、愛する人が目の前で息をひきとる姿を経験していない。おそらく、時間がたてば必ず祖母ともさよならをしなければならないだろう。祖母と過ごす時間はおだやかだ。どんなささいなことでも、彼女の笑顔が、嬉しい。もう後悔はしたくないのだ。繰り返しの毎日に埋もれてしまわないために空をみあげてため息をつく前に自分自身が努力するしかない。そう教えてくれたのがhideの音楽だった。
2002年05月02日
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