【粗筋】
幾代太夫の絵姿に恋患いになった搗き米屋の奉公人・清蔵、みっちり働いてやっと幾代に会いに行くが、「今度いつ来てくんなます」と言われて、自分はしがない奉公人だと告白する。幾代はその真心に打たれ、来年3月年季が明けたら女房にしてくれと言い出した。ボーっとした清蔵、店に戻ってもニタニタして「来年の3月」とつぶやくばかり。「おい3月」と呼ばれて返事をする始末。さあ、3月になって約束通り幾代がやって来て祝言を上げる。二人は幾代餅という店を始め、大変に繁盛いたします。
古今亭志ん生(5)が演じていた。三遊派の「紺屋(こうや)高尾」と全く同じで、もともと同じ物と思われる。志ん生が焼き直したという説もあるようだが、浪曲にもあるので疑問。浪曲は、「遊女は客に惚れたといい、客は来もせずまたくるという」という名文句でお馴染み。志ん生は臨機応変で、終わり方も適当。人情噺のように店が出来てめでたしめでたしというのは金原亭馬生が、客が大騒ぎをして「銭だけおいて顔を見て、餅をもらわずに帰って来ちゃった」という終わり方は古今亭志ん朝がやっていた。
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