【粗筋】
お忍びで町の様子を見回る大岡越前、利発な子供を見付け奉行所に呼び出して問答をする。この子が将来池田大助という越前の側近になる。
【成立】
三遊亭円生(6)から「佐々木政談」を教わった三遊亭金馬(3)が許可をもらって改定した。円生は「池田大助は享保時代の人だから天保銭などはまだないわけで、話がおかしくなってしまう」と説明した。金馬にはこういう改定、「高田馬場」に「蟇の油」の台詞をそのまま入れるなど、これはおかしいでしょうという部分がある。安藤鶴雄は金馬を認めなかったというが、こうしたことが原因なのだと推察できる。
私個人としては、子供の頃金馬と痴楽で落語に入門したので、最初から好きな噺家の方に入っている。それでも確かに、改悪かなと思う部分はある。大学時代に円生・志ん生を聞いて寄席通いが始まったのだが、志ん生には接することが出来なかった。
【蘊蓄】
大岡越前は、8代将軍吉宗が紀州から抜擢して江戸奉行に据えたが、実は能力が疑問視されたのか、そこから上に行かなかった。戦国末期の京都町奉行・板倉勝重の裁きが『板倉政要』という判例集にまとめられた。裁判で負けた方も納得するものが収められている。大岡政談はこれをもとに創作されたものである。尚、徳川家康が大坂城を攻め滅ぼすが、その理由となったのが彼の報告。有名な京都・方広寺の梵鐘の文字一つで開戦したかのように書かれた本を見てびっくりしたことがある。
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