【粗筋】
黒板塀に女名前の表札という妾宅で、旦那が金を置いていく話をして帰るのを耳にした泥棒がはいる。女を脅して金を取ろうとするが、お崎という女は少しも動じず、実は私も泥棒で、旦那と別れることになったから、一緒になってくれないかと言い出す。泥ちゃん、すっかりその気になって、「今夜は泊まる」と言うが、「二階に用心棒がいるから」と止めて、「取り合えず明日、旦那がいなければ三味線を弾いているから」と約束をして、約束の印に紙入れまで取られて追い出された。さて、翌日行ってみると、三味線の音は聞こえない。不審に思って前の家で聞くと、
「昨夜お崎さんの所に間抜けな泥棒が入りましてね、女房約束をしたそうですが、泥棒と夫婦になるなんて、馬鹿なことを約束する人がいる訳はありませんよねェ。それで、泊まっていくと言い出したんで、二階に用心棒がいると言ったら逃げ出したそうですよ。泥棒に入るなら調べておけばいいじゃありませんか、あれは平屋でしょう」
「で、お崎はどうしました」
「今日来る約束をしたというので、夕べのうちに転宅をしましたよ」
「そうですか。いったいあの女、何者なんです」
「なんでも元は義太夫の師匠だったとか」
「道理でうまくかたりやがった」
【成立】
後半の趣向は「なめる」と同じで、書物では明治以降に「なめる」を改定したものとされている。
三遊亭円遊(1)は鉄道馬車など、明治の風俗を入れ、「転宅(洗濯)したわけで、あそこにシャボンが出ています」という落ちで演じ、「転宅」の題が広まったと思われる。
古今亭今輔(2)は女と旦那が帰ったら表の盥(たらい)をしまうと約束したが、いつまでも盥が出ているので、近所で尋ね、「転宅(洗濯)しましたか、道理で盥が出ていました」という落ち。
上方では、「なんで盥が出てまんねん」「盗人が戻って来んよう、転宅(選択)しよりました」と言う。
これらによって「転宅」というタイトルになったようだが、本文の落ちは江戸時代にもう演じられている。盥で洗濯という風習が消えて、昔の落ちに戻ったということらしい。各書物で「なめる」の方が古いらしいから、その改定ということは間違いないのだろう。
【一言】
難しいのは、泥棒が馬鹿になっちゃァいけないてえことですね。あくまでも馬鹿じゃなく、ただの間抜けでなくちゃァいけません。で、いやにこわがらせをいうんだけれど片ッ方がちっともこわがらない。で、「この紙入れ見てくれ」って紙入れを出すやつを見て、この金を取っちまおうとする女の了見だから、「あら、大変に持ってんだねェ。こんな物を持たしといちゃァ、あたし心配だよ。これは、ちょいと困るよ」「お、お、おい、いけないよ、俺のもんだ」あすこのやりとりがちょっと難しいが、女の性根をよく心得てやりさえすりゃァいいんです。(三遊亭小圓朝)
【蘊蓄】
「転宅」という語が使われれるようになったのは、漢学の影響で明治中期から。だから研究家は、この落語はそれ以前にはなかったものとしているらしい。
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