【粗筋】
酔っぱらってかっぽれを踊るのを見ている蚤の親子。父親が人間につぶされたから気を付けろと言うが、好奇心旺盛で、踊っている男の足に飛び付く。背中に回ると、男は出掛ける様子、いけないと思ったが出るに出られず、表へ出てしまうと、この男にはぐれると迷子になる。男は馬の足、猪の足専門の役者で、飲み屋へ行くと女と話すうちに痒くなる。捕まった蚤が「助けておくれよ」と言う。
「お袋が心配するから」
「蚤にお袋があるのか」
「あるとも。無くって生まれる道理がねえ」
「理屈を言うな」
「小父さん家の畳で生まれたんだ。血を分け合った家族じゃねえか」
その証拠に、かっぽれを覚えたと言うから、じゃあ踊って見せろというと、
「小父さんと同じだ。素面で踊れるかってんでここに来たんだろう」
ってんで、一杯飲ませて、
「じゃあ、小父さん、景気のいい声で頼むよ」
「あ、かっぽれかっぽれ」
「あよいよい」
「沖いいいの」
「セッセ」
「うめえもんだな……暗いのおに〜」
「あよいとこさら」
「こりゃ面白ェや……白帆が見える、あよいとこらさ、あれは紀の国、えやれこのこれわにさ……それ、みかん船じゃえ……おい、どうした……合いの手を入れねえか……おい、どっかにはねちまったのか……あっ、しまった、ノミ逃げをされた」
【成立】
小噺では蚤が敷居を枕に寝て「ノミがノミつぶれた」とし、歌だけなので「蚤の歌」という題がある。
【蘊蓄】
ムソルグスキーの「蚤の歌」は『アウエルバッハの酒場でのメフィストフェレスの歌』で1879年の作品。ゲーテの『ファウスト』にある詩に曲を付けたもの。元々はアルトの歌手のための作品だが、バスの豪快な笑い声が定番になっている。ソプラノで聞いたことがあるがヒステリックでおかしかった。笑い声は原作にはなく、ムソルグスキーが作ったもので、詩もロシア語訳を使っているので、それに合わせたイントネーションが生かされている名曲である。ベートーヴェン「6つの歌」作品75の第3曲、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」第2部、ワーグナー「ファウストによる7つの歌曲」作品5の第4曲、ブゾーニの「2つのゲーテの詩」作品49の第2曲が同じ詩に付けられたもの。もちろんどれも笑い声はない。
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