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にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.31秋には、昆虫が集まり、夜通しオーケストラ演奏会を開きます。夜が明けるまで、休むことなくオーケストラ演奏会までするのです。多彩な音でハーモニーを生み出して、素晴らしいオーケストラ演奏会を催し、その音が四方に響き渡ります。人間は、「彼らは彼らは今、何をしているのだろう」といぶかしげに思います。彼らはキスし、愛を交わしているのです。愛の音色です。キスして抱き合い、明けるする音だというのです。愛のオーケストラ演奏です。それは低俗なものではなく、神聖なものです。(天聖經P.621)
2016.08.31

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.29集まり、夜通しオーケストラ演奏会を開きます。夜が明けるまで、休むことなくオーケストラ演奏会までするのです。多彩な音でハーモニーを生み出して、素晴らしいオーケストラ演奏会を催し、その音が四方に響き渡ります。人間は、「彼らは彼らは今、何をしているのだろう」といぶかしげに思います。彼らはキスし、愛を交わしているのです。愛の音色です。キスして抱き合い、明けるする音だというのです。愛のオーケストラ演奏です。それは低俗なものではなく、神聖なものです。(天聖經P.621)
2016.08.29

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.28愛には創造の能力があるので疲れません。あの心をもてば、いくら投入しても消耗したエネルギー以上にいつも補充する愛の力があるので、疲れないのです。ですから、苦痛であっても嫌ではないのです。それが嫌ならば行くことはできません。愛のための道においては、「嫌だ」という心を永遠にもつことができないのです。真の愛のための道には、永遠に「嫌だ」という心があり得ないのです。神様の本質には怨讐の概念がありません。悪の概念がないというのです。それは、真の中にいるからです。(天聖經P.620)
2016.08.28

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.27宇宙はどのように出発したのでしょうか。相対理想を中心として創造された神様を見れば、すべてがために生きるところから、投入するところから出発したのです。自分を消耗するところから始まります。それでは、自分を消耗して相対をつくり、何をしようというのでしょうか。二つとも消耗するのですが、消耗して得られるものが愛です。愛さえもつことができれば、いくら消耗してもよいというのです。そのような概念が愛なので、愛を中心として神様が創造を始めたのです。そのような概念が愛なので、愛を中心として神様が創造を始めたのです。神様が損をするようなことをしたのではありません。投入するのは損害ですが、なぜ神様はそのようにしたのかというと、愛にはすべてのものを満たして余りある力があるので、消耗させて投入しましたが、その代わりに愛を見つけてくるのです。真の愛は投入すればするほど、次第に小さくなるのではなく、大きくなっていきます。次第に小さくなるのでは、大きくなっていきます。動けば、その動き自体は投入して消耗することですが、真の愛は、投入すればするほど、大きくなっていくのです。(天聖經P.620)
2016.08.27

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.26宇宙はどのように出発したのでしょうか。相対理想を中心として創造された神様を見れば、すべてがために生きるところから、投入するところから出発したのです。自分を消耗するところから始まります。それでは、自分を消耗して相対をつくり、何をしようというのでしょうか。二つとも消耗するのですが、消耗して得られるものが愛です。愛さえもつことができれば、いくら消耗してもよいというのです。そのような概念が愛なので、愛を中心として神様が創造を始めたのです。そのような概念が愛なので、愛を中心として神様が創造を始めたのです。神様が損をするようなことをしたのではありません。投入するのは損害ですが、なぜ神様はそのようにしたのかというと、愛にはすべてのものを満たして余りある力があるので、消耗させて投入しましたが、その代わりに愛を見つけてくるのです。真の愛は投入すればするほど、次第に小さくなるのではなく、大きくなっていきます。次第に小さくなるのでは、大きくなっていきます。動けば、その動き自体は投入して消耗することですが、真の愛は、投入すればするほど、大きくなっていくのです。(天聖經P.620)
2016.08.26

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.25さけは卵を産んで死にます。それを見れば、死ぬ日が定められた死刑囚の立場で、夫婦が愛する以上の愛を交わすのです。雌が卵を産めば、雄地面を掘って卵を保護してあげます。それこそ理想的な一双です。そして、卵を産むと、二匹は死ぬのです。死んでいく雌、雄の姿を見たとき、先生は本当に大きな衝撃を受けました。その母親の体は、子供たちの餌になります。創造主がいるとすれば、なぜそのように作ったのでしょうか。それを見れば、子女がどれほど重要か、愛がどれほど重要かを知ることができます。愛が最高のものであり、子女が最高のものであることを見せてあげるための、一つの標本としてさけを造ったのだろうという理論な、ごく当然な話です。命を捨ててでも、愛と子女のために行かなければなりません。(天聖經P.616)
2016.08.25

にほんブログ村「平和を愛する世界人の為の名言集」(2016.08.19)人の心は不思議で、だから私は人と接することに夢中になってしまうのですが、一言ほめる、ほんの小さなことを認めるというだけで光が差してくる。簡単な言葉の中に大きな力が潜んでいます。☆ゆうきゆう(精神科医・心理研究者)☆「自分と仲良く生きる」といい。好きな自分と四六時中一緒にいる人は、自然と笑顔が多くなり、言葉から刺がなくなり、相手の言葉をふんわりと受け止めることができるようになるから不思議です。☆渡辺和子(ノートルダム清心学園学長)☆顔をあげて、胸を張って。あなたならできる。暗闇が訪れても、朝はやってくる。希望を捨てないで。☆ジェシー・ジャクソン(米国の市民権活動家)☆生きることは時々しんどくてゼイゼイすることもあるけれど、そんな時、周りの誰か、人に限らず、犬や猫、健気に咲いている野の花や、あたたかい陽射しになんかにも、「ありがとう」と言ってみる。そうすると心が落ち着き、大丈夫という気持ちになってくる。☆みつはしちかこ(漫画家)☆一つひとつの悲しみには意味がある。時には思いもよらない意味が。どんな悲しみであろうと、それはこのうえなく大切なもの。太陽がいつも朝を連れて来てくれるように、それは確かなことなのですよ。☆エラ・ウィーラー・ウィルコックス(米・女性作家・詩人)☆うまくいかなくなったとき、素直に反省してその原因を適切につかむという人はきわめて少ない。・・・・・どういう場合でも、失敗の原因は自分にあるといえるんじゃないかと思いますね。それに気づいたら対処の道が出てくるんです。☆松下幸之助(松下電器創業者)☆
2016.08.19

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.18神様は、絶対信仰の宇宙で万物を造りました。宇宙の存在物をそのように造ったのに、それを信じられず互いに争う人々は、万物を見るのが恥ずかしいこと知らなければなりません。流れる川水を見ても恥ずかしく、飛ぶ鳥を見ても恥ずかしいのです。きりぎりすや昆虫も、万物の本然の信義をもって、人間よりも立派な生活をしています。絶対の中で造った被造物が、そのような価値をもっていることを考えるとき、私たち人間が堕落して、絶対信義を見つけることができないというのは、天を見るのも恥ずかしく、あの山と川のすべての草木と昆虫、ひいては病原菌を見るのも恥ずかしいというのです。病原菌までもが信義をもって生きているというのです。神様が神様となったのは、絶対信仰を立てて絶対愛を実行したからです。(天聖經P.606)神様が創造されるとき、まず何を造られたのでしょうか。霊界を造り、その次に万物を造り、人間を造られたというのです。そして、人間を造り、愛によって神様と一つになるのです。まず霊界、二番目に万物、三番目に人間、その次に愛です。愛によって神様と人間が一つになるのです。再創造過程においては、これを引き返しながら蕩減したという条件をたてかければ、帰る道がありません。(天聖經P.608)
2016.08.18

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.17神様は、どうして宇宙と人間を創造されたのでしょうか。それは、神様が心情をもっているからです。心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命あるところから発展運動が起きるからです。その創造には必ず目的があるのですが、その理由は、本来、心情というものが目的を指向するものだからです。ですから、創造目的は、心情を充足させる喜びにあるに違いありません。そして、この喜びは被造物、特に人間が神様に似たときに訪れるのです。(天聖經P.603)宇宙は神秘的な世界です。神様がいたずらや遊び道具として造ったのではなく、愛する人のために精誠を込めて造ったとすれば、この世界がどれほど美しいでしょうか。この宇宙は父が「私」のために造ったのだという、この上ない感謝の気持ちをもたなければなりません。そのような思いをもって丘を散策し、草木と花を見つめ、鳥の鳴き声を聞いて鑑賞し、水が流れ、風の吹くすべてのものを見るとき、それがどれほど立派で素晴らしいかというのです。(天聖經P.605)
2016.08.17

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.16私たちの国の水は、どこの水を飲んでも玉水です。私たちは、自然に対する復帰を先にしておかなければなりません。外国に出ていく前に、私たちの国の自然を深く愛してあげなければなりません。自分が生まれた地を愛する人が、自分の体も愛せるのです。また自分の体を愛する人が、自分の心を愛する人であり、自分の心を愛する人が、神様を愛する人です。(天聖經P.598)人間は、主体と対象、すなわち相対的な関係で造られました。また人間のために存在するすべての万物世界も、愛の原理のもとで調和を形成し、人間の愛によって生命と理想を実現するようになっています。万物世界は、人間、特に成長するアダムとエバにとって愛の教科書であり、愛の真髄が無尽蔵に陳列された博物館なのです。神様の一性をそれぞれ代表したアダムとエバが、愛の教科書である自然の中で、愛を体得しながら完全に成長し遂げることが、宇宙史的な神様の創造の願いでした。(天聖經P.600)
2016.08.16

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.12世界を本当に愛するには、先に人を愛さなければなりません。人を本当に愛するには、自分の相対を本当に愛さなければなりません。男性は女性を愛し、女性は男性を愛さなければなりません。それか^_^夫婦です。夫婦になった人たちは、自分の相対を愛する気持ちで世界の男性を愛し、また自分が男性から愛される価値のある存在であることを知って、世界の女性を自分と同じ価値のある存在として愛さなければなりません。男性も同じです。世界の女性たちを自分の妻のように貴い女性として愛し、また世界の男性を、妻が愛する自分と同じ立場に立てて愛さなければなりません。愛の道は、このようにたどっていかなければならないのです。漠然としていてはいけません。ですから、家庭は国家形成の基準になります。いくら大きな世界を形成するとしても、家庭が基準になります。このような立場で、今日、統一教会は、天宙主義を叫ぶのです。天の家庭主義だというのです。(天聖經P.589)
2016.08.12

にほんブログ村「毎日の訓読生活」(2016.08.11)皆さんは、取り戻すべき本然の自分を置いたまは、喜ぶことのできない自らであることを知らなければならないのです。しかし、ある世界を見て悲しく思うのではありません。悲しみや苦痛を感じるのではなく、「真の私」を探せない悲しみ、真の私を探せない苦痛を感じなければなりません。世の中に悲しみと苦痛がたくさんあるとしても、真の私を探せない悲しみと苦痛よりひどい苦痛と悲しみはありません。それでは、創造主である神様は、今まで誰を求め続けていらっしゃいはすか。皆さん自体、すなわち私を訪ねてきていらっしゃいます。ですから、真の私が完全に決定されなければなりません。そうすることができないとき、完全に一つの実体を中心とした真の家庭、真の家庭を中心とした社会、国家、さらには国家を単位とした世界、世界を単位とした天宙とは、関係を結ぶことができません。ですから、完全な私になることが、すべての段階の一番の基準になるのです。(天聖經P.835)
2016.08.11

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.10神様は、愛の王であられ、主人であられます。もし愛の王になられ、新郎になられたお方が神様ならば、相対者である皇后が必要だという話は、絶対的な原理です。神様のみ前に、絶対的なそのお方の前に愛の相対になることができるのは、真の人間だというのです。皆さんはお金を必要とし、知識を必要とし、権力を必要としますが、妻がいないとすれば、みな無駄な、ことです。夫には妻が必要であり、子女が必要であり、妻には夫が必要であり、子女が必要なのです。そのような愛の対象が暮らす所が家庭です。神様の愛の対象である男性と女性が一つになって、その愛で息子、娘をもって幸せに暮らせるその家庭こそ、神様の真の愛を中心とした地上天国の最初の出発の基地になります。私たち人間も愛する相対が自分より何千万倍、無限大の価値ある存在として現れることを願うのと同じように、神様も自分の愛する相対が無限の価値の存在になることを願うのです。そのような人が真の人間です。そのような男性と女性が正にアダムとエバだったのです。(天聖經P.584)
2016.08.10

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.09本性の心が向く道を行くようになれば、宇宙と一つになります。それは弾丸よりも速く、より強いのです。そのようなところに至れば、自分の心と語り合うようになります。そのような境地では心と会話します。何かをしようと考えれば、既に返事が返って来ます。そのような境地にいる人は、自分の行くべき道が分からないでしょうか。既に行くべき道は明確で、宇宙のあらゆる作用の力が助けるようになります。手を引っ張られて試験場に入るようになれば、すぐにあらゆるものが協助します。それでこそ大きなことができるのです。(天聖經P.580)
2016.08.09

にほんブログ村 家庭連合(統一教会)「真の御父母様は永遠に一組」2016.08.08大母様と趙元模おばあさんは、生涯にわたって再臨主を迎えるための準備をする信仰生活を貫かれました。世の中と妥協したり、安逸な家庭環境に安住したりせず、全面的に天のみ前に奉仕しながら、至誠を尽くされました。大母様が主を迎えるために、歴史的な受難の道を歩んできたがゆえに、私(お母様)もそこに同参(一緒に参加すること)したのです。私もそのような訓練をしました。み旨のために行く道であれば、何であれ犠牲にしてきたので、私たちの家門に神様が共にあったのです。
2016.08.08

にほんブログ村「毎日の訓読生活」(2016.08.05)人間は、神様のみ言に背いたために、神様のみ言葉を失い、神様の実体を失い、神様の愛を失ってしまいました。神様がみ言を語られるときの心情はどうであり、実体を造るときの心情はどうであり、その実体を通して誇ろうとしていた神様の内的心情はどうだったのでしょうか。このようなことを考えるとき、私たちは、神様のみ言を失った者であり、本然の実体を失った者であり、神様の理念の園を動かせる愛の実体を失った者だというのです。ですから、私たちは、自分を立てて誇ることのできない罪人だと悟らなければなりません。また、自分の実体を立てて主導する行事ができない存在であり、自分の心を立てて安息の基盤を求められない存在であることを知らなければならない のです。(天聖經836)
2016.08.05

にほんブログ村「毎日の訓読生活」(2016.08.04)鳥や、海にいる魚のような万物、万有の存在にも、歌と、踊りと、会話できる言葉があります。言葉が少し発展すれば歌になり、歩き方が発展すれば踊りになるのです。このような表現で和合し、会話できる関係というものは、愛を中心として成り立っていることを知らなければなりません。愛の時間を分かち合い、愛の時間を互いに高揚させるための行動を、万有の存在が競争しているのです。人間は万有の主人です。ですから、人間がこの歌の話と、和合の話を一日に十倍、百倍加担させて、さえずり、喜べる世の中になれば、その世の中は、神様が酔いしれて暮らせる環境となる世の中なのです。(天聖經P.870)
2016.08.04

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.03真の愛には消耗がありません。動けば動くほど大きくなります。力学では、入力が出力が大きいですが、愛の世界では、入力よりも出力が大きいのです。ですから、愛がすべてのものの核なのです。それで、相対に供給しても余るのが真の愛です。供給して不足するということがありません。真の愛は、相対になるそのすべてに分けてあげても余るので、運動をすればするほど大きくなって行くのです。真の愛の関係では、入力よりも出力が大きくなるのです。ですから、歴史の聖人たちは、その時代に迫害されて消えていったのですが、彼らは入力より出力が大きくなる真の愛を投入し、また投入し、さらに投入しました。神様もそのようにしたので、宇宙創造が可能でした。投入すれば大きくなります。大きく、大きく、大きく、もっと大きくなるのです。投入する心情圏があれば、生命の存在基台は、永遠に残るのです。(天聖経P291)
2016.08.03

にほんブログ村「毎日訓読生活」2016.08.01宗教は何を指導するのでしょうか。心を生かし、体を占領しようというのです。それで、宗教では、「犠牲になり、奉仕しなさいというのです。そして、「断食をして苦痛を与えなさい」と言います。「苦行の道を行き、犠牲になって奉仕しなさい」と言います。 その道を行かなければ、天国に入れません。これが原則なのです。イエス様も断食をしました。どの宗教を見ても、その宗教内には苦行しない人がいません。そのような宗教であるほど、高次的な宗教です。この世を完全に否定した立場から出発してこそ、完成されます。真の宗教は、全体を否定しながら進んでいくようになります。世の中が考えることとは違うというのです。真の宗教は、世の中とことを肯定するところから出発するのではなく、否定するところから出発します。否定のどん底から肯定の要件を形成させて、自己主管圏を立てていかなければなりません。ここにおいて、心を中心として再創造されたという価値をもつ存在になる時には、善の人になるのです。(天聖經P.882)
2016.08.01
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