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海外生活者の食の支え、電気炊飯器がついに壊れてしまった。昨日まで使えたものが、今日スイッチを押しても、作動しない。どうして? というよりは、よくぞ今までもってくれた、という状態であったので、ご苦労様と、キッチンから片付けた。考えてみたら12年前から使い続けていた。日本にいたら同じ炊飯器を12年も使わないよね。普通なら買い換えているところであるが、やはり海外では炊飯器はわざわざ日本から持ってくるものなので、そう簡単にはいかず、大切に使ってきた。この炊飯器、海外で使用できるタイプで、当時の日本のお友達がお土産に持ってきてくれたものであった。そしてこの12年間、白米を食べ続ける我が家の強い味方であった。トルコのお米は普通に日本のお米のように炊けるので、とても助かっていた。炊飯器がなくても、鍋でちゃんとご飯を炊くことはできるので、とりあえずは困ることはないが、やはり炊飯器のセットして待つだけ・・とい便利さは何ものにも変えられない。帰国できるまで、あと何ヶ月かあるので、炊飯器が欲しくてもどうしようもないが、今年は帰国したらまず炊飯器を手に入れなきゃと思っている。
2008年03月31日

息子の学校行事で、アンタルヤ郊外の観光牧場へ行ってきた。子供と父兄と担任教師が朝食と遊びをしながらの懇親会。ここへはオープンしたての頃、ダチョウ肉の料理を食べさせるという話で来たことがある。今はダチョウ牧場の名を捨て、馬牧場になっていた。ダチョウもいた、いた。2羽だけだったけど・・・。この観光牧場、入り口でカードを受け取り、施設内での支払いはカードに書き込み、出口で支払いをするシステム。オープンビュッフェの朝食が大人15YTL(約1250円)、子供8YTL(約670円)。乗馬が15分15YTL(約1250円)。カラーボールの射撃が4人で100YTL(約8400円)。その他に宿泊施設やプールなどもある。(余談だけど、ついこの前まで15YTLが1500円、8YTLが800円、100YTLが1万円だったのに、この急激な円高でずいぶん円換算で安くなったものだ・・・と改めて思うわけである。)日曜日とはいえ、こんな辺鄙なところにあり、しかも安くない牧場の朝食に、子供連れはもちろんなんだけど、カップルや大人のグループで来ている人がたくさんいた。約1000席はあるだろう朝食のテーブルも、最後は座るところが見つからないほどである。乗馬も列をなして待たされている状態であった。息子とその友達は馬に2回ずつ乗り、水を買ったりしているうちに、会計は109YTL(約9100円)。ずいぶん高い休日の朝食になってしまったけど、子供たちは楽しんだから、まあいいや・・である。それにしてもトルコでも、お金がないとどこへも行けないご時勢になったのか、と思わずにはいられない。先週行った遊園地でも、チップ10個で25YTL(約2100円)。もし家族4人で行って10種の乗り物に乗ったら、それだけで100YTL(約8400円)の出費。飲み物でも買ったらすぐに1万円コースになる。都市生活は便利になったとはいえ、こんな調子で、我が家の家計は年々厳しくなっていく一方である。
2008年03月25日

出張もこれが最後の日。用事をすっかりすませたコンヤを早朝6時に出発。セイデシェヒール経由でアンタルヤへ向かう。途中、峠越えで雪景色が続く。外気も低く、2日前までのあの暑さは何だったの・・・である。そして、いつもの峠の休憩所で朝食をとって、いつもの道を進む。いくつかの山越えをして、最後の下り坂にかかると、突然、気温が上がったのを車内でも感じる。山の風景も雪景色がいつの間にか消え、新緑。そして地中海が見えてくると、そこはもうマナウガットである。マナウガットからアンタルヤはわずか1時間半の距離。地中海沿いに西に向かう。思えば、この前ここを通ったのは1週間前のことだったなあ・・・・などと感傷にひたりつつ、無事7日間の南トルコの旅を終えたのである。そして、最後は客人をアンタルヤ空港へお見送り。その日はなぜか夜遅くまでミフリカフェで皿洗いをしてから帰宅したミフリ社長であった。これでおしまい。
2008年03月24日

ポザントで高速道路を降り、真っ暗な街道をコンヤ方面へ向かう。この日はエレイリまでたどり着く予定だったけど、途中、ウルクシュラの温泉ホテルの看板を見つけて、宿泊地を急遽変更した。ホテルは各部屋に温泉が引かれていて、さらに男女別の大浴場もある。部屋のバスタブも普通のより大きく、深く、温泉の湯量もたっぷりで、熱いし、浴場に行かないまま満足してしまった。大浴場も深さが段階的になっていて、一番深いところは立って首までくるほどらしい。夜はここの温泉に保養に来ている女性グループと一緒で、歌とダンスの宴会風。さて、エレイリを通り、カラプナールへ。エレイリもカラプナールもキリム好きな人になおなじみの地名であろう。この辺りは周辺の山脈に雪が残り、新緑の地中海、乾燥地帯から一転しての雪景色に感動。カラプナールの町の周辺には遊牧のための5,6件ずつの集落ができていて、その集落の屋根が独特である。平らな藁葺き屋根に泥をのせているのである。その屋根を近くに見るために、ある集落に立ち寄った。家の人は突然の外国人の訪問にも快く、家に招いてくれて、アイランをごちそうしてくれた。・・・・と、画像を載せようとして気がついた。なぜかこの日の写真ファイルが空っぽなのである。間違って消去してしまったらしい・・・・。というわけで以下、省略。昼過ぎにはコンヤ市内に到着した。
2008年03月23日

ウルファと言えば、まずブルビベル。日本で言うとなんだろう・・・・乾燥させた赤とうがらしを砕いたもの・・・う~ん。料理に混ぜたり、スープにかけたりして食べる。自家製ものが多く売っていて、これらは上品にまろやかに辛い。こちらはウルファというより、ガジ・アンテップで有名なピスタチオ。トルコ名はアンテップ・フストーゥ。ガジ・アンテップはウルファから西に100kmほどだからご近所である。ピスタチオも殻付きなら普通に見かけるけど、これは殻を剥いてあるもの。ウルファの名物料理と言えば「ウルファ・ケバブ」。ひき肉を串につくねのように固めて、焼いたもの。似ているけどプルビベルを入れて辛めにしたのが「アダナ・ケバブ」で、アダナの名物料理。画像はウルファの名物、トマト・ケバブ。ほかにナス・ケバブもある。1串が結構でかいのだけど、町はずれの食堂で食べたら1人前に2串ついてきた。もちろん、アンタルヤで食べるより量は多いし、値段は安い。アンタルヤより東方面の旅の醍醐味は食い物の安さとうまさでもある。もうひとつ、ウルファで有名な甘いもの。シュルルック。ユフカの中に胡桃の砕いたものが詰まっていて、例以外なくシロップに浸したもの。売り切れというところを無理に作ってもらったから、食べたものが正式なのかどうかわからないけど、温かく、そして甘み抑えめで、おいしかった。シュルルックは隠語で「売春婦」の意味もある。甘いという共通項なのか・・・・?そしてウルファで忘れていけないのが「チーキョフテ」。生のひき肉を捏ねながら、その熱のみで調理していくもの。これにプルビベルなどを加えて、辛めにし、レタスに巻いて食べるのだが、この本場の味が他の地方ではなかなか味わえない。そして今回の旅で、なぜか食べ物の写真が少ない。というのも食べ物を前にして、写真を撮るのを忘れて、がっついてしまっていたからである。シュルルックもそうだけど、食べてから写真を撮っていないことに気がついた。ほかのところでも状況はほぼ同じ。例外なく、どこで食べたものも、ハズレがなかった。こういうときに食いしん坊であるミフリ社長の鼻と腹が役に立つのである・・・と自慢しておこう。
2008年03月22日

ウルファからシリア国境へ南下し、約45km。シリア国境の町アクチァカレまで、わずか約25km。ハランは、その昔、旧約聖書の時代、預言者アブラハムが約束の地、カナンへ向かう途中に住んでいたことがあるという。ちなみにウルファには、アブラハムが生まれた洞窟というのがある。レンガを積み上げた壁と屋根に、泥を塗り固めた、とんがり帽子の家が並ぶ。雨がほとんど降らない地だから可能な家である。家の内部は夏は涼しく、冬は暖かい。床は土のままで、絨毯やキリムは敷かず、鞍の形の椅子に座り、テラス台の上に布団を敷いて眠る。とんがり帽子の屋根の上には空気穴がある。夏は山羊毛で織った巨大キリムを庭に張り、その下にできた木陰で涼む。近代化の流れで、また手入れの面倒さもあり、これらの家を捨て、住民は他の場所で生活するようになっているらしい。カッパドキアの岩の家と状況は同じである。ハランはシルクロードの終着点でもある。ここの城塞跡はおもしろい造りで、1階がパザール(市場)、2階がモスク、教会、3階が隊商宿として使われたという。これは、おまけ。乾燥した地に全く似合わない、ふくよかな体型・・・・。これも、おまけ。こちらはアラブ訛りのトルコ語を話せば、見分けがつかないほど、よく似合っている。今回の運転手くん。
2008年03月21日

ウルファは石の町である。石造りの家が並び、暑く、乾燥した地域である。それがまた魅力的である。さらにこの地域で興味をそそられたのが、ウルファの街中でももちろん、ウルファからシリア国境へ向かう道の村々、集落で出会う人々、見かける人々が本当にこの地域独特の民族衣装を着ていたことである。しかも文化的にはトルコではなく、アラブ系の衣装である。女性はこれ、現代で本当に着ているの!? っていう派手派手な服を普段着として、本当に本当に着ていた。これには感動である。男性も頭に布を巻き、ダブダブのズボンを履いている。ハタイもシリア国境の町であるが、ウルファはもっと徹底した異文化圏であった。話によると、シリアではなく、イラクからの移民がここに町を築いたらしい。そして、ウルファと言えば、ハラン。とんがり屋根の土の家があり、3階建ての隊商宿跡もある。シルクロードの終着点でもある。・・・・・つづく。
2008年03月20日

4日目はウルファまでの長距離移動日。午前中はハタイ県のクルクハン。クルクハンには黒海地方のトラブゾンからの移民地区がある。地区まるごとトラブゾン出身のラズ人で占めている。シリア国境、トルコの南端のハタイになぜ、トルコの北端のトラブゾンからの移民が・・・?移民といっても、古い移民ではなく、1960年~80年代にかけてと歴史的には新しい。親世代がこちらへ移り住み、20代、30代、40代の子供世代はハタイ生まれがほとんど。ただ地元民とは交わらず、ラズ人同士の結婚をし、ラズの文化を継承し、黒海訛りのトルコ語を話す。彼らの話によると、ハタイは綿花栽培などが盛んであるが、どうも温かいところに住む人たちはのんびり屋が多いらしく、畑仕事が進まない。そこで働きものと言われる黒海地方の人たちに、ハタイでの農作業をさせるために移民を募集し、その結果、この一角に黒海地方の人の住居区が形成されたということである。黒海出身者が働き者だとは初めて聞いた。「黒海出身者は午後から頭が働く」と言われていて、つまり朝に弱い、午前中はぼーっとしているもんだと思っていたもん。この一角では苗字が5、6つしかない。つまりほとんどが親戚である。ハタイでは遊牧をする人も多い。しかし移民のラズ人たちは遊牧はせず、綿花栽培を中心に農作業のみに従事した。世代が変わり、子供たちになると、農作業以外に、貴金属屋、農薬販売、洋服屋などの商売をはじめ、それぞれ生活をしている。そのラズ人地区でのパザールの様子。クルクハンからヌルダウへ北上し、そこから高速道路を利用し、一路ウルファへ。
2008年03月19日

おまけ。ハタイのモザイク博物館に展示してあった、表情の可愛い3点。これらの、現代でも十分ウケそうなマンガチックな表情が、約2000年前の人たちによって創られていたというのが不思議でおもしろい。
2008年03月18日

ハタイで泊まったホテルの中の骨董品。鏡。手彫りの装飾のある木製枠の鏡。家にひとつは欲しいです。これまたカラフル。電化製品系の骨董はあまり興味ないのだけど、これは魅かれる・・・。今日行った、ウルファ・レストランで大人数分のスペシャル料理をこれに似た容器で運んでいたけど、お菓子なんかが入っていたりもするのかな・・・? これだけ立派だといいなあ。古いアイロン。中に炭とか入れるのでしょうか? 実際に使っているのは見たことないけど。持っていないので欲しいなあ・・・・。こちらの地方で有名な貝殻細工の長持ち。長持ちはたくさん持っているけど、貝殻入りの古いので状態がよいのは持ってない。欲しい・・・・。そして一番欲しかったのが、これ。シャンデリアなんだけど、ランプのシャンデリア。これに昔は1つ1つ蝋燭を入れて火をつけたのだろう。すごい、すごい。そして、ハタイと言えば、モザイク博物館。イスタンブルのも見たけど、ハタイはさらに上をいく、コレクションが並んでいる。たくさんあるのだけど、この色と石の細かさと絵の繊細さに魅入ってしまったのが、このモザイク画のこの部分。ハタイのモザイク博物館はアンカラの考古学博物館の展示物に負けないものがあって、また欲しいものが増えてしまった。(って買えるわけないんだけど・・・・)
2008年03月17日

ハタイはシリア国境の町で、歴史上はシリアになったこととか、トルコ以外の国の統治も受けたこととか、あるのだと思う。(ちゃんと調べようとしないのがミフリ社長)町には西洋風な洒落た古い建物があったり、教会がいくつもあったり。で、旧市街で一番気になったのは、家の扉である。家の中まで見たかったけど(時間があったらドアを叩いていたと思う)、なんとか歩くことができるだけの時間しかなかったので、それはあきらめて、扉だけでもと撮影させてもらった。最後の画像はドアの鉄格子なんだけど、平面なのとか、曲線を描いて立体的なのはよくあるけど、こんなに飛び出している箱型は見たことないので驚いた。そして泊まったホテルは、古い民家を改造したものらしく、またオーナーの趣味なのだろうけど、ロビーにはこの地方の骨董家具、民具が並んでいて、おもしろかった。骨董家具、民具の画像はまた後日ということで・・・・・。ちなみにホテルの部屋は、骨董品はないけど、こんな感じ。
2008年03月16日

ハタイと言えば「クネフェ」。「クネフェ」と言えばハタイ・・・・・である。ハタイはトルコの南、シリア国境が目の前の土地柄である。そのせいか、街中にはアラブ系の人が多く、売っているものも雑多で、そのゴタゴタ感がイスタンブールの旧市街の市場や路上と雰囲気が似ている。旧市街には古い建物も多く、時間があったら、片っ端から見てあるいたのになあ・・・・とちょっと残念であるが、古い家屋の扉の写真を見てまわれた範囲で撮ったので、それも後日。話を元に戻すと、ハタイはクネフェが有名である。クネフェとは小麦で作った素麺みなたいな細い麺状のものを固めて、その間にチーズを挟み、甘いシロップで焼いた温かいデザートである。甘いのだけど、中のチーズのおかげで、結構食べられてしまう。私がトルコの激甘デザートの中で、唯一好んで食べるのがこのクネフェ。クネフェ自体は、トルコのどこでも食べることができるが、味はどこのでもうまいとは限らないし、誰でも作れるとは限らない。(クネフェにはちょっとうるさいミフリ社長・・・)ハタイに行くならクネフェだけは食べて帰らねば・・・・と、この旅のスケジュールを組んだ時点でそれを一番に考えたほどである。もしかしたら、トルコで手工芸に次に何が好きかと聞かれたら、迷わず「クネフェ」と答えるかもしれない・・・・!?これがハタイのクネフェ~!! 甘さ控えめ、そしてなにより薄い皮にチーズがたっぷり。そして上にはのびるアイスクリーム、ドンドルマを載せてもらった。上の緑色なのはピスタチオを砕いたもの。せっかくだからダブルでいけばよかったなあ・・・と後悔しているところだが、日本からの客人を驚かせてはいけない・・・と遠慮した!?さて、クネフェの材料である、素麺状のものは、「テルカダユフ」と言う。どうやって作るかというと・・・・・。クネフェの話題になると、妙に興奮するミフリ社長であった。
2008年03月15日

アンタルヤからメルシンまでは一般道路で、しかも高低のある海岸線なので距離の割りには時間がかかる。今回、この長距離をこなせたのは、ひとえに南トルコを走る高速道路のおかげである。西はメルシンから、東はガジアンテップの東、ニジップまで。正式開通はしていないけど、実際はウルファまで完成し、しかも利用できる。南もハタイの手前、べレンまで。北もポザントで降りたが、その先も続いていた。エーゲ地方でよく利用するのが、アイドゥンからイズミール線。安くて便利なのが、トルコの高速道路で、例えば今回利用した、メルシン-ハタイ間は約260kmで4YTL(約400円)。ヌルダウからウルファまでの約180km間も実質1.75YTL(約175円)の支払いであった。しかも広大な平野を通る、幅広の道路で、利用者が少ないので、独占状態。いやあ、私たちが通るためにこんな道路まで作ってくれてありがとう・・・という感じである。アダナ市内を通る道路も、こんなにガラガラ。地図上ではガジアンテップの少し先までしか完成していなかったが、実際に行ってみるとその先、ウルファまで道路は通っていた。ただし、正式には開通していないようで、一般道路扱いで料金所はあるけど、料金は取らない状態であった。この高速道路、一応、ガソリンスタンドとトイレ、レストランなどがあるサービスエリアもあるのだけど、どこに寄っても自分たちのクルマ以外は見かけない。工業地帯の主要輸送ラインだから、夜間のトラックなどの利用が多いのかと思う。ちなみに最高速度は120km/h。もちろん、こんな快適な道路でそんなゆっくり走っているクルマはいないのだろうけど・・・・。今回は高速道路の話になってしまったけど、この日はメルシンからアダナ、イスケンデルを経由してクルクハンへ。そして宿泊はハタイのアンティークホテル。ハタイでは話題が多いので出張3日目のブログはまだまだ続く・・・・。
2008年03月14日

この間は興味深い、遺跡、史跡がある。ひとつはアナムルのマムレ城。アナムルは遊牧系のキリムの産地でもあるし、よく通る。マムレ城の外側は何度も見ているのだが、実は中に入ったことがない。というのも、外壁で見える分しかないのだろうと思っていたからで、入ってみたら内部の広さ、城塞の複雑な作り。ちょっとハマってしまった。次にシリフケの「天国と地獄」。ここも取材で入り口まで来たことはあるのだが、実は下まで降りたことがなかった。今回、頑張って降りてみた。そして、たぶんもう二度と降りないだろうと思った。こちらが天国。この谷を降り、さらに画面左下の巨大洞窟に入っていく。こちらが地獄。天国は巨大な洞窟になっていて、入り口には古い教会がある。天国の洞窟の岩の上に、民家が建っていたりして、思わず、天国の上に住む人たちのことを想像してしまった。地獄は降りることはできず、上からのぞくだけであるが、台の安全度が不明でちょっとしたスリルである。そしてクズカレシ。ビーチの目の前に石造りの城がある。イスタンブルにも似たような伝説の場所があるが、予言で娘が死ぬと言われた王が、娘を誰もこれない場所に隔離するのだが、フルーツバスケットに忍んだ蛇に噛まれて、結局命を落とすという話。乙女の塔。幻想的な風景であるが、夏になると海水浴の人でいっぱいになる、その対比がおもしろい。ちなみにボートで渡り、上陸することができる。いずれもガイドブックの取材や、仕事のついでによく通るところであるが、今回のように看板の説明もしっかり読んで、じっくり見たのは初めてである。トルコにはまだまだおもしろいところがたくさんあるし、ちゃんと見ていなかったなあ・・・・と反省。
2008年03月13日

出発を目前に、この時期、温かいはずのアンタルヤを始め、トルコ各地で雪が降るという異常気象。そのため目的地での道路状況などがはっきりせず、ぎりぎりまでルートが確定しなかった。その後、運がよいことに晴天が続き、問い合わせてみると道路状況は問題ないとのことで、いざ出発。実際、7日間の行程で1晩雷雨があったものの、日中はどこへ行っても初夏の気候。天気に恵まれた旅であった。第1日目。16時過ぎにアンタルヤの空港でピックアップ。その後アランヤを過ぎ、ガジパシャへ。とにかく時間稼ぎをしないと目的が果たせない距離である。少しでも東へ東へ、と、ホテルに困らないアランヤにはあえて泊まらず、その先のガジパシャで泊まることにした。ガジパシャは小さな町で、観光では全くのノーチェック地帯であるが、ひそかに日本と縁がある。まぐろの水揚げ港があり、一時期ここから大量にマグロが日本へ送られた経緯がある。そのため、日本人が来るというと「まぐろを買いにか!?」と聞かれるのが常である。その他にアランヤからこの地帯にかけて、トルコ国産のバナナが有名である。バナナ畑が広がり、冬はビニールハウスの中で栽培されている。道端には房ごとぶら下げて売られており、通りがかるクルマが買っていったりする。ここのバナナ業者の知り合いから、ガジパシャで冬期唯一営業しているホテルを聞いて予約しておいた。ガジパシャに宿泊施設があるとは知らなかったし、聞いたこともなかったので、はっきり言って期待していなかったけど・・・・。アパートをホテルに改築したもので、入り口から廊下が続き、バスルーム、ベットルーム、キッチンのついた大きめのリビングがついていた。1人25YTL(約2500円)。設備もテレビ以外は一応揃っていて、ホテルとしては殺風景なだけであるが・・・。ミフリ社長、何度も書いているかと思うけど、出張先では部屋にテレビがないとダメなのである。一人で泊まるときは、テレビをつけっ放しじゃないと眠れない。普段も暗闇でちょっとした音などがすると、起きてしまう。意外なところで怖がりである。さて、さてガジパシャを過ぎると恐怖の海岸線、崖っぷち、ぐにゃぐにゃ道が永遠と続く。道路がかなり広くなって、走り安くなっていたが、それでもガードレールがまだないところも少なくなく、眼下の崖と地中海を見ながらのドライブであった。それが3時間は続く。左右へのカーブのみでなく、上下もあるので、ミフリ社長にとっては、ただひたすら吐き気との闘いである。今回、長距離なのもあって運転手を頼んだので、酔いはいっそう。でもこの酔いをも我慢して、このルートを越えたいと思うのは、新緑と花々と地中海の景色のすばらしさである・・・・。
2008年03月12日

まるで旅行会社のツアータイトルみたいになってしまったけど、こんなルートのツアーはまずないだろう。アンタルヤ、ガジパシャ、シリフケ、メルシン、クルクハン、ハタイ、ウルファ、ハラン、ニーデ、カラプナール、コンヤ、アンタルヤ。今回、短い期間で、約2500kmの距離を移動しつつ、しかも目的地と経由地で用事を果たせたのは、南トルコを走る高速道路のおかげである。途中、一般道路におりる区域があるが、東はウルファまで高速がつながり、時間の短縮になった。(ガジアンテップ以降は現在、一般道路扱いで、つまり高速料金の徴収もなし)やっとコンヤにたどり着いたところ。今夜はコンヤ泊(!?)。明日は我が家である。いまどき高級ホテルじゃなくても、各地のホテルの部屋では、ワイヤレスインターネットは当たり前。そのおかげで通信もできるし、調べ物もできる。トルコの地方の旅も以前に比べたら、ずっとずっと便利になったものである・・・と一人で感心。旅の詳細は仕事のため書けないけど、各地のおいしいもの、見たものなど、紹介できる範囲で順次UPします。
2008年03月06日
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