パク・ヨンハ見っけ!(もも色猫)

パク・ヨンハ見っけ!(もも色猫)

●女性中央、日本語訳





●韓国雑誌「女性中央」 日本語訳



韓流スター パク・ヨンハ
 5年の空白が終わってドラマで国内復帰、屈曲多かった32男の深い内面告白


何日も徹夜で撮影でもしたような痩せている姿の彼がスタジオに入った。
 馴染みが薄い初対面。
 全体を包んでいたぎこちなさと、距離感のコートを脱ぎ置いて、
 彼が静かに話し始めるといつのまにか空気が違和感なくなった。
 パク・ヨンハ、彼が5年ぶりに帰って来た。
 その間、日本で歌手活動して、より一層公告された「韓流スター」という修飾語をつけて・・・。


また国内に帰って来た時、蒸発した5年の間に拡大したイメージのため、
 待遇を受けているという気がしました。
 それが私には負担に感じました。
 去る5年間、私自身は熱心に活動したと思っているが 、
 人々にはわからないじゃないですか。

 私の目の前で1万~2万名の日本ファンが私の歌を聞いていても満たされない一つの部屋があるんです。
 親しい友達であるソ・ジソプさんがドラマ「ごめん愛してる」で上手くいった時も
 私はここで何をしているのかと、何故だか分からない寂しさがあったりしました。




静かに蒸発して「韓流スター」になって帰って来る

記者「 韓流スターのパク・ヨンハ。ベ・ヨンジュン。クォン・サンウ。
   イ・ビョンホンなど代表的な韓流スターと呼ばれる人たちと共に
   パク・ヨンハという名前の前にも当然に韓流スターというタイトルが追い付く。
   去る2002年ドラマ「loving you」を最後に主な活動舞台を日本に移した後
   日本ゴールド・ディスク3年連続受賞、
   オリコンチャート最上位圏進入などの快挙を成して
   堂堂と韓流熱風の主役で位置づけた彼。
   しかし自らは負担になることが大きいと言った。
   「黄金漁場」の「ムルブパック道士」に出たキム・ユンジンが
   「ワールドスター」というタイトルが頼みと言いながら悩みを吐露したように、
   彼もいつのまにかパク・ヨンハという名前の前に
   間違いなく付く「韓流スター」というタイトルが調子悪いということ。
」

ヨンハ「 5年前に日本へ行く前に最高のスターだったことでもなく、
    俳優でも歌手でもそのようなタイトルを持った人ではなかったのではないですか。
    日本活動を始める時です。「パク・ヨンハ、日本行く」という感じに
    知らせたのではなく静かに蒸発しました。
    その後日本活動話が記事化されながら人々が
    「あら、この人も日本行ったの?皆いくんだ。」でした。
    反対に日本では韓国最高の俳優。最高の歌手が来たと歓迎してくれた時に私がそうだったです。
    出演したドラマの中に冬のソナタが一番知られた作品なのに
    主人公はベ・ヨンジュンだったし、アルバムも`初めて出逢った日のように’という
    ドラマ「オールイン」の主題歌を歌っただけライブ歌手でもなかったと、
    それでは人々がまた謙遜だと言います。そうしようと思ったのではないのに。
    また国内に帰って来た時に蒸発した5年の間に拡がったイメージのために
    待遇を受けているという気がしました。それが私には負担なのです。
    去る5年間あの自らは私が何をしたのか分かって一生懸命に活動したと思うが、
    人々には分からないでしょう。ただ‘韓流’というタイトルが吹いたので
    もう一度振り返るのです。そのストレスが私にはとても大きいです。
」


記者「 一言一言、行間ごとにその間の悩みがそっくりにじみ出た。
   人気絶頂のスターたちが言葉それでも謙遜の次元で'負担’どうしてすることとは違う。
   20代が過ぎて30代になって帰って来た歳月の深み程に一層成熟した男の重量感も感じられた。
   ところで彼がこういう人だったのか。率直に一枚スポットライトを受けた時期、
   それに対する好奇心がちょうどで生じようとしていた刹那に彼の表現のように'蒸発’したので
   パク・ヨンハという人に対して正しく知る機会がなかったりした。
」

ヨンハ「 その間たくさん変わりました。
    得たこと、習ったのも多いです。一応日本語を出来るということ、
    日本人と座って長い間話すことが出来るから、結構することそのとおりです。
    最初は人々が私に対して何と話しているのか、そのニュアンスがとても気になって、
    日本語を習い始めました。後ほど分かりました。
    良く言う時は本当に良く言って、悪く言う時は聞こえないようにするというのを、クク。
    何より第2外国語をすることができると思ったら自らとても違って見えることあります。
    今は英語を勉強しようと準備しています。
    もっと大きい市場で仕事をしてみたら性格もも肯定的に変わって余裕もできました。
    振り返ればこの以前の私はどこから出てきたのか分からない無駄な自信があったようです。
    ‘私も芸能人なのに’とすることあるでしょう。
    その時はひたすらスターを夢見たしなれると思いました。
    5年だけ過ぎれば最高のお兄さんたちのようになっているようで、
    そのお兄さんたちと同じ所属事務所に入れば良いと思います。
    そのような公式化された手続きを重要だと考えたようです。
    どうしてそうだったのか。今ですか?あの芸能人ではなくても良いです。
    そのまま舞台に立っている時は歌う歌手、演技をする時は演技者、それだけです。
    幼い時のようにいつも、どこへ行くにも芸能人のふりをしようとすれば大変です。
    全て気にしなくなってからはいくらか楽です。
」



人々が私を忘れないだろうか、そんな恐れとの戦い

記者「 実際に気になった。
   結果的に日本で活動した去る5年が外的でも内的でも彼を成長させたたが、
   あえて国内活動を急に切ってある日突然に蒸発する必要があったのか、
   しかも‘冬のソナタ’の、‘オールイン’の主題歌の歌手で
   国内(韓国)でも彼の位置が一段階アップグレードされた時点の話だ。
   幸いにスポットライトを受けながら帰って来たが、
   短くない空白が致命的でかも知れないことを分からなくなかったはずなのに。
」

ヨンハ「 ‘冬のソナタ’の運で日本に行くことになったのに、
    プロモーションを引き受けた日本企画会社で今後5年間は
    パク・ヨンハがアルバムを出して何をしても揺れないこととし、
    2~3年分計画を立てておきましたよ。
    1月、5月、9月にアルバムを出してその合間合間に公演をという式であったから
    同時に韓国で活動をするのが不可能だったんです。
    私が‘いつからいつまで時間になるからその時期にどんな作品を誰としたいです’
    と言えるのではないでしょう。
    国内活動をしたい気持ちが沢山で良い作品が入ってきても
    時間が長く持って2ヶ月であるから行き来することができる状況ではなかったんです。
    そうするうちにできなかったことであって、
    日本活動に集中するためにわざわざしないことではなかったです。
    所属事務所の立場もありました。当時日本活動だけでも収入が良かったし、
    また上手くしておけば長期間できるという期待感もあっただろうし、
    その状況を後悔するのではないが、やむを得ず満たされない部分が私を大変にさせました。
    公式日程の他に大部分の時間をソウルで過ごしながらも
    人々に会わなかった理由がその為でした。
    人々がいくら‘君は上手くできた’と良い言葉を言ってくれて、
    私の目の前に1万~2万人の日本ファンたちが私の歌を聞いていても
    満たされない一つの部屋があるんです。
    懇意な友人のソ・ジソプさんがドラマ‘ごめん愛してる’で上手くいった時も
    共に苦労した十年知己(十年の親友)が一つの部屋に日照りを解消したというのが
    涙が出るようになりながらも、私はここで何をしているか、
    なぜか分からない寂しさを感じたりしました。
    人々が私を忘れないだろうかと思う恐れもひどかったです。
    それぐらい恐ろしいことはなかったんです。
」


記者「 怖かったと言ったが彼のカムバックに対する人々の関心は想像以上です。
   SBSドラマTV‘オンエア’に出演するという知らせがあった時から期待感で揺れた。
   二種類だっただろう。一つは彼を待った国内(韓国)ファンたちのノドの渇き解消で、
   もう一つはどんな姿で帰って来たんだろうと思う期待感。
   実際に放送局が制作するドラマというものだけでも既にホットした関心があるから
   事実的に作品運が良い方だ。実際に作家と監督の話を基本土台にした‘オンエア’で
   パク・ヨンハはソウル大出身の艶がないドラマPD役で、
   ソン・ユナ、キム・ハヌル、イ・ボムスなどと息を合わせる。
   慣れた所だとしても離れていた時間が長かったので撮影場が緊張するはず、
   しかし最初はむしろぎこちない感じがなかった。
   ただ他の人々は全く分からないのに一人だけ益々ぎこちなさが増す状態。
」

ヨンハ「 実際に復帰作でどんなものをすれば良いだろうか悩みました。
    制作者たちは韓流が初めて生まれた時のパターンのようなドラマや
    ‘冬のソナタ’のように作れば良いと考えるが、
    私は作品を決める時、日本受けの考えはしませんでした。
    すでに日本で歌うことだけでも充分だが
    あえてドラマを通じてまで商業的に金を儲けたくなかったんです。
    作品だけ見たかったし、全面的に私だけ見せてあげたかったです。
    韓流に似合ったメロドラマや柔らかいイメージ、
    こういうものよりは一味違うことをしてみたかったんです。
    それでも劇的な変化でもない、適当な距離の変化。
    そこ正確に合ったのが‘オンエア’でした。
    まだ一人で導いて行くエネルギーもないから他の俳優たちと一緒にするということも安心しました。
    待ったと、嬉しいと挨拶をする方々もいるのにまだ肌で感じることができないです。
    私に対する期待感が増幅されるのか、
    でなければそこで終わるかは今回の作品を通じて分かれるでしょう。
    最も好むのは僕の母です。母の友人たちが
    「息子は日本で上手くいっているのに何故テレビに出てこない?」と言われるたびに
    「日本にいるからそうなの」と言いながらも心残りだったようです。
    もう話せることができたら良いです。クク。。。
」



愛する家族、愛した彼女との傷と思い出

記者「 高等学校在学中にデビューして、14年を活動したので経済的にもだいぶ余裕ができたはず。
   しかし20歳の頃、想像出来ない事件により家の生計の責任を負わなければならなかった彼は
   7年間稼いだ金をそっくり借金を返すのに使わなければならなかった。
   ソン・チャンシク、ヤン・ヒウン、なと70~80年代歌手たちの
   マネジャーだった父が96年に親戚の借金の保証を間違ってした為に
   家に差し押さえが張られたこと。以後はご家族たちはバラバラにならないといけなかったし
   彼も不本意ながら独立をすることになった。
   借金を返すために努力したがお父さんは結局は信用不良者になって、
   音楽を専攻したお姉さんも大学院勉強を辞めなければならなかった。
   日本に進出する作戦、借金をすべて返してご両親をまた迎えたという彼。
   一度も打ち明けなかったご家族の話ができるようになったのはその時期、
   その状況に対して胸で理解して受け入れたからだと言った。
」

ヨンハ「 以前は、逆に隠したくて、もっと良い車に乗って良い物を食べたりだった。
    しかし今は、誰かに問われれば自信もって話せるまでになりました。
    もちろん借金祭りではなかったら大金を儲けたかも分りません。
    ところでそれよりは私が20代にそのようなことがあったので
    いくら幸いなのか分からないという考えをします。
    俳優を始める前にそうだったらどうだったろうかと考えてもみます。
    私は両親に本当に感謝します。家庭環境自体が笑いが絶えないスタイルです。
    大変だった時期があったが長く見れば少しの間でしょう。
    切ないことは両親とまた一緒に暮らすことになった後に
    二人がしきりに私の機嫌を伺って大変でした。
    いくら親子の間でも7年を離れて暮らしたのでぎこちないことがあるのは当然だが、
    あなたたちが自ら持っている申し訳ない思いのためなのか
    私がご飯を食べて何か落として音がしただけでもびっくりされます。
    それから「何? おかずが変なの? クチに合わない? 長く出て行っているからそうだ」言います。
    そうする時はいくらか腹が立ったのか分からないです。
    親なのに子供になぜそうすべきなのか。
    そのように数ヶ月経ってすぐに日本に行ったのに海外生活をしながら、
    両親の考えをたくさんしました。
    どれくらいさびしかったのだろうか、と考えながら
    一人でとても悲しかったです。
」

記者「 傷を触ったのか。 ご両親の話に彼の目がしっとりとする(涙を浮かべる)。 」


記者「 20代半ばから私の年齢より成熟した役割をしたせいなのか30代になっても別段違わない感じです。
   ドラマの中ではいつも愛を勝ち取るよりも待っている男だった彼だが、
   実際には勝ち取るスタイルだ。
   不幸にも2年前にガールフレンドと別れた後には
   なかなか新しい人に会えずにいるという彼。
   他の事にはクールでよくはたいてしまう彼が特に愛に対してだけは傷が大きいと言った。
」

ヨンハ「 愛した人皆そうではないです。
    今まで3人の女性に出会ったが、
    大学キャンパスカップルだった友達、
    共演した友達、
    そして2年前別れた友達です。
    実は共演した友達とは短く会ったりしたがあまり大きな記憶がないです。
    結局は胸に閉じ込めていくのだろうが、
    2年前別れた友達とはこんなに苦労させますね。
    恋愛する時、私が利己的というものをその友達を通じて悟りました。
    良いことだけしようとするのに問題はそれが私の観点だというんです。
    それのためにたくさん喧嘩しました。
    もう誰に会っても愛の方式が変わるでしょう。
」


記者「 これから国内活動と日本活動を並行する予定という彼。
   今までのように一方を頭から閉めて過ごす事はないと言った。
   今立っている席に比較的満足しながらも、これからまたどんなことがあるのか、
   率直に心配も先に進む。彼は最後の目標でベ・ヨンジュンを取り上げた。
」

ヨンハ「 共演する人々、先輩たちでも私の同じ年齢でも屈曲なしにまっすぐ行く人がいないです。
    ところがベ・ヨンジュン先輩の場合は、もめごとは堪えるでしょう。
    大きな過ちをしない限りそのまままっすぐ行くんです。
    私の最後の目標がそれです。
    私が辞めたいと言っても辞めることができないようにする人々があまりにも多い状況・・・。
」


記者「 インタビューがあった日、
   日本のTVカメラがドキュメンタリー制作のため彼に付きまとっていた。
   撮影スタッフの言葉ではパク・ヨンハという名前を掲げたドキュメンタリ番組一遍なら、
   まさに大騷ぎが起こると言った。
   数日前の週末に日本出張でも現地人たちの口を通じて彼の人気を確認したりした。
   記者が「ムルパック道士」と言う、
   いやだが「韓流スター」というタイトルが負担になると言った彼に
   悩みを解決してあげたくなった。
   韓流スターでなくても、彼が(彼のおかげで)
   "海外でも韓国のことが知れ渡ることに一役果たしている"
   ということが事実であることを知らせてあげたい。
」

   ーーー 終わり ーーー



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  ・(パク・ヨンハ)記事&写真。
  ・Magazine Info
    素敵な男(パク・ヨンハ)




 パク・ヨンハ 「本、雑誌」など






●韓国雑誌
 ・ 「Numero 」(2008.9月号) 日本翻訳
 ・ 「In Style 」(2008.7月号) 日本翻訳
 ・ 「GQ KOREA 」(2008.5月号) 日本翻訳
 ・ 「COSMOPOLITAN 」(2008.4月号) 日本翻訳
 ・ 「ELLE 」(2008.3月号) 日本翻訳
 ・ 「ELLE girl 」(2008.4月号) 日本翻訳
 ・「女性中央」(2008.2月号) 今のこのページ
 ・ 「marie claire 」(2008.2月号) 日本翻訳
 ・ 「 anan 」(2008.1月号) 日本翻訳





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