森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

まるごとで聴くあり… New! かめおか ゆみこさん

Comments

Profile

森の声

森の声

2010.05.24
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
日本人と欧米の人とでは自然観も人間観も異なります。だから本来は当然、自然との関わり方も、子育てや教育の方法も異なって当然なんです。

これは個人においても言えることで、自然観や人間観が異なる人は自然との関わり方も、子育ての方法も異なるのです。

だから、自分とは異なる自然観や人間観の人のやり方を無自覚的に真似していると、後で「こんなはずではなかった」という結果になります。

でも、日本人は明治維新の時も、戦後もそのことには無頓着に、欧米のやり方ををそのまま取り入れてしまいました。だから急激に発展することが出来たのですが、でもだから自国の文化が空洞化してしまったのです。

このような傾向はアジアの国々に一般的に見ることが出来ますが、でも日本が一番そのことに対しては無頓着でした。まるで子どものような素直さで欧米の文化や考え方を無条件に取り入れたのです。

でも、「方法」は取り入れることが出来ましたが、「感覚」は取り入れることが出来ませんでした。「方法」は単なる技術ですからマニュアル化することが出来ますが、「感覚」は歴史、生活、文化、そして風土の中で育つものなので、そういうものを共有していない人の感覚を取り入れようがないからです。

その結果、目的と方法が異なるようになってしまいました。というより、日本人は自らの目的を放棄してしまったのです。「方法」はあるのに「目的」がないのです。
今、教育でも子育てでも、ちゃんとした目的意識を持って関わっている人は多くないと思います。 ほとんどの人が「方法」を守ることだけに精一杯なのです。

そして、その「方法」がどのような「結果」につながっているのかなどと言うようなことは考えようともしていません。


ちなみに「目的の放棄」は「感覚の放棄」に他なりません。

今の日本人にとって、昔の日本の文化は文化財的な価値しかありません。子どもたちがその文化を受け継ぎ、さらに自分の子どもたちに伝えるという価値観や方法が生活の中から消えてしまっているからです。特別な人たちだけによって守られ、生活の中から消えてしまっているようなものは「文化財」であって、「文化」ではないのです。

そのような視点で見ていった時、今の日本における世界に誇れる文化は、「アニメ」や、「ゲーム」や、「ロリータファッション」といったようなものです。これらに共通しているのは「感覚的」であり、「子ども的」な文化だということです。それはそれですごいのかも知れませんが、それだけではちょっと悲しくありませんか。

日本食は世界中に広まってきましたが、肝心の日本では廃れてきてしまっています。ちょっと前までは世界に誇ることが出来ていた「物作りの技術」にも翳りが出ています。「ありのまま」や、「かそけきもの」や、「つながり」や、「生命」に美を感じる、日本人の美意識も消えてしまいました。世界中で有名だった日本人の「勤勉さ」ももう過去の話です。

さらに、こんなにも教育が普及して、識字率がほとんど100%なのに、読書を楽しむ人はどんどん減ってきています。子育て関係の本も、今では絵を多くしてマンガのようにしないと売れないとも聞きます。文字が多かったり、ちょっと難しいことが書いてあったりするとみんな敬遠してしまうです。

(このブログをお読みいただいている方達は、「変わっている人」なのかも知れません。)

うちの近くの文教堂は1,2年くらい前に売り場の半分を「ゲームソフトのコーナー」にしました。さらに、残りの半分のうちの半分を「マンガコーナー」にしました。その位の割合でないとお店の経営が成り立たないのでしょう。

日本人は読むのも書くのも話すもの、日本語すらうまく使えなくなってしまっています。英語がどうのこうのなどと言っているような状況ではありません。ネイティブのような発音で英会話が出来ても、実際問題として英語の本が読めないような人はまともな知識人として相手をして貰えないのです。そして、日本語の本すら読めない人が英語の本など読めるわけがないのです。

小さい時からいっぱい塾や習い事に通わせて、高いお金を掛けて子どもを教育してきた結果がこうなってしまっているのです。

でも、文科省は教科書を厚くして、学ぶ量を増やせばそれを乗り越えられると信じているようです。ここで求められているのは価値観の転換なのに、そのことが全く分かっていないのです。

(選挙に勝つためにはタレント候補を多く立てればいい、と考えるような人たちが政治をやっているのでどうしようもありません。)



私が幼稚園の園長だったら、「お話しを聞いたり、演じたり、楽しむこと」を保育の中心に持ってきます。幼い子どもたちは「お話し」を通して価値観を育てているからです。

学校の校長だったら、図書室を学校活動の中心に持ってきます。図書室を子どもたちにとって一番居心地のいい場所にします。

読書や図書室をないがしろにするような価値観で、「学力」が上がるわけがないのです。古今東西のあらゆる価値観や、考え方や、人間と出会うことが出来るのが図書室なのです。

そして(これは不可能でしょうが)教科書を使わず、実際に見聞きしたり、体験したりすることと、本を読むことで学びます。子どもの人間としての成長にとって、「知識の詰め合わせ」のような教科書なんか何の役にも立たないからです。

どんなに山ほどの知識を覚えさせ、人並みはずれた能力を育てることが出来ても、「本を読むことが出来ない」、「本を読むことを楽しめない」子どもたちになってしまったのなら、その教育は失敗なのです。



ですから、司書の人の数を多くして、更に子どもの心との向き合い方も学んでもらいます。「お話し」や「物語」に高い治療効果があるのは認められた事実です。

共同保育ににおいても「お話しを聞いたり、演じたり、楽しむこと」を大切にしてもらいたいと思っています。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.05.24 08:38:35
コメント(19) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: