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人目が気になるって… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2017.02.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
仏教はお釈迦様の教えを聞いた人達が、他の人達や、他の民族や、他の国の人達に伝えていく過程で生まれました。

お釈迦様自身は「教え」を説いただけで、「仏教」を説いたわけではありません。

そして、お釈迦様は一人だけなんですが、それが色々な人、色々な民族、色々な国に伝わるうちに、大きな区切りでは「仏教」ですが、実際の内容では大きく異なる「多様な仏教」が生まれました。

チベットではチベット仏教が生まれました。
中国に渡った仏教は中国でも多様な派に分かれ、日本に渡ってさらに多様な派に分派しました。

ちなみに、ウィキペディアで見たら、現在日本には、18の仏教があるそうです。
三論宗・法相宗・華厳宗・律宗・倶舎宗・成実宗・天台宗・真言宗・融通念仏宗・浄土宗・臨済宗・曹洞宗・浄土真宗・日蓮宗・時宗・普化宗・黄檗宗・修験宗などです。

その日本に来た派は、大きなくくりでは「大乗仏教」と呼ばれていますが、東南アジアで信仰されている仏教は「小乗仏教」と呼ばれています。

ちなみに、大乗仏教では厳しく戒律を守ることよりも、「心の中の信仰」の方に重点が置かれています。それに対して、小乗仏教では「心の中」だけでなく、同時に厳しい戒律を守ることも大切にされています。



ちなみに、仏教はインドで生まれましたが、次第にヒンズー教に飲み込まれ、今ではお釈迦様もヒンズー教の神様の一人になってしまっています。

お釈迦様だけではありません、あろうことか、「イエス・キリスト」までもヒンズー教の神様の一人になってしまっているのです。

多様に分派したのは仏教だけではありません。

キリスト教も同じような歴史的経過をたどり、現在、世界中には様々な「キリスト教」が存在しています。

ではどうして、原点はたった一つなのに、それが伝えられていくうちに、このように多様なグループに分かれて行ってしまうのかということです。

でもだからといって、無数に分かれてしまうわけでもありません。
人の数だけに無数に分かれてしまったら、宗派自体が消えてなくなってしまっているはずだからです。

どうしてそのように分かれてしまうのかというと、人は「教えられたこと」をそのまま伝えるのではなく、自分なりに理解や解釈をしたものを、他の人に伝えようとするからです。

じゃあどうして、人間の数だけの解釈がないのかというと、人には「解釈のパターン」があるからです。

ですから、みんな自分なりに解釈をするのですが、他にも必ず自分と同じような解釈をする人がいるのです。

私は、私が理解、解釈したことをブログに書いています。
その理解や解釈の背景には、私の個人的知識、個人的体験が働いています。
でも、それをお読み頂いて共感して下さっている人もいっぱいいます。



もちろん、このブログをお読み頂いている人達と私とでは、個人的知識も、個人的な体験も異なります。でも、物事の理解や解釈のパターンが似ているのです。

だから共感して読むことが出来るわけです。

「気質」は、その理解や解釈のパターンともつながっています。同じ話を聞いても、人はみな自分の気質に合わせて理解し、解釈しているのです。

ですから、元々は一つでも、そのことを受け継いだ人達は、気質ごとに異なったものを受け継いでいるのです。

そして人は、自分が受け継いだものを伝えようとするのですが、そこでもまた同じ事が起きます。

じゃあ、その繰り返しで、どんどん違ったものになってしまうのかというと、そういうわけでもありません。



アッシジのフランチェスコは、中世の歪んだキリスト教の教えを受けて育ちました。でも、その教えにはなじめず、結局は「イエス・キリスト」そのものの生き方に回帰しました。

キリスト教と仏教はその成り立ちにおいて全く異なるものですが、でも、キリスト教の中にも仏教に共感的な人達も多くいます。また逆に、仏教の中にもキリスト教に共感的な人達も多くいます。

今、遠藤周作が書いた「沈黙」という小説を元にした映画が上映されていますが、遠藤周作やその友人の井上洋二という神父などは仏教的な感性を持っていました。

シュタイナー教育とモンテッソーリメソッドは、その理論も方法も全く異なりますが、でも、シュタイナー教育の中にもモンテッソーリ的な感性の人もいれば、モンテッソーリをやっている人の中にもシュタイナー的な感性の人もいます。

西洋にも東洋的な感性を持っている人もいれば、東洋にも西洋的な感性を持っている人はいます。

人間は一人一人違った感性を持ち、違った考え方をするのですが、そこにはある種のパターンがあるのです。

そして、感性や思考のパターンの人同士は理解し合いやすいし、またつながりやすいのです。
「類は友を呼ぶ」という諺通りです。

でも、実際の生活では、自分と同じ感性、同じ思考パターンの人とばかり付き合っているわけにはいきません。また、パートナーは選べますが、子どもや同僚や上司は選べません。

そんな時、「ああ、この人はこのパターンの感性を持っていて、このパターンの考え方をしやすいタイプの人だ」と知ることで、誤解をなくし、お互いに理解し合える可能性も広がってくるのです。





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Last updated  2017.02.11 16:06:51
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