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「聴く」こと、「対… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2019.01.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人間は「視覚」を奪われると、思考が停止します。


急に猛獣が現れたり、崖が崩れてきたり、敵が襲ってきたときに、ゆっくりと考えていたら間に合わないからです。

皆さんが何か考えながら道を歩いているときでも、目の前に急に自転車が表れたら、思考は停止しますよね。

そんな時の頭の中は「え!」「なに!」「ばかな!」という感じですよね。

子どもたちが簡単にスマホやゲームなどに夢中になってしまうのも、この「からだの仕組み」によります。

大人よりも子どもの方が「動くもの」や、「光の変化」や、「音の変化」に対する感受性が高いからです。だから、スマホやゲームでなくても、子どものオモチャには、動いて、チカチカ(キラキラ)光って、音が出るものが多いのです。

ゼンマイ仕掛けや、電気仕掛けのオモチャが現れるまでは、そんなおもちゃ存在していなかったのですが、オモチャが自分自身のエネルギーを持つようになったら、チョウチンアンコウのようにそのエネルギーを使って子どもを釣るようになってきたのです。

この「からだの仕組み」は自然界で、とっさの危険から自分の命を守るために必要な能力です。

その「仕組み」の背景には「不安への予感」があります。
視覚や、音や、嗅覚などの感覚に対する急な変化は、人に不安を与えるのです。

子どもの方が視覚的、聴覚的な変化に敏感なのは、周囲の環境への高い適応能力も関係していますが、子どもの方が身体的な能力が低いからということもあるのです。

老人になると様々なレベルでの変化を好まなくなったり、小さな変化にも敏感になるのは、老人になると危険に対応する能力が低下するからです。子どもの甲高い声が耐えられなくなるのも、その声が不安を連想させるからだと思います。


(だからゲームが変化への対応力を促し、リハビリに対して効果的に働いたりするのです。)

スマホやゲームでは実際の「危険」は発生していませんが、「からだの仕組み」は「社会の変化」とは無関係な仕組みですから、現代人でも太古の人と同じように反応してしまうのです。



そこで「音」と「成果」と「物語」という別の要素が登場します。

視覚的な変化に音が着くことでよりリアルになります。

赤ちゃんに音付きの動画を見せると、ジーッと見入ります。
ただし、それは面白いからではありません。

不安を感じて目を離せなくなってしまうからです。
その段階を通り過ぎると、今度は好奇心で見続けます。

ただ、4,5才頃になると「自分の心」というものが目覚め始めてくるので、視覚的な変化と音だけでは、視覚を奪えなくなってきます。

そこで何かしら人間的な欲求を満たしてあげる必要が生まれてきます。

そこで「成績や成果を競う」とか、「物語で遊ぶ」という別の要素が入ってきます。すると、友達と一緒に遊ぶことが出来るようになったり、物語の世界の中で一人で遊ぶことが出来るようになります。

でも、あくまでもそのインターフェイスは「視覚」です。その内容に関係なく、ゲームでは画面を見続けることでしか遊びが成り立たないのです。

「音」も、「成績」も、「物語」も、「視覚」を画面(ゲーム機)に釘付けにするための補助に過ぎません。

ゲーム機は子どもの視覚を画面から離さないように作られているのです。

そして、ゲームをやっているときは視覚を奪われているので思考は停止しています。だから何時間でも夢中になることが出来るのです。



強制的に「大きな音を出して激しく動くもの」ばかり見つめさせられていると、「動かないもの」や「ゆっくりしか動かないもの」や「音を出さないもの」に対して意識を集中することが困難になってしまうのです。

そのため他の感覚に対して受動的にもなります。
自分の意思で見たり、聞いたり、感じたり、集中したりすることが難しくなるのです。

すると、当然のことながら観察力が低下します。観察力が低下すると、無心になることが出来なくなります。すると遊ぶ能力が低下します。

体験から学ぶ能力も、お勉強の能力も低下します。


ただ、映画を見たり、パチンコをしたりするように、それが一時的なことなら感覚はすぐに元に戻るのですが、幼児期からそのような遊びしか体験していないと、脳が視覚からの強い刺激に適応したまま成長してしまうので、なかなか元に戻らなくなってしまうのです。

それは麻薬中毒者の脳と同じです。

一見、「観察力」と「遊ぶ能力」とは関係がないように思えますが、実際には観察力がないと無心で遊ぶことは出来ないのです。

子どもと遊べない人は、子どもをよく観察していない人でもあるのです。


まただから、子どもは大人が気付かないようなことにもすぐに気付くのです。
「森」の中には不思議がいっぱいありますが、その「不思議」に気付くのも観察力の結果です。

観察力があれば石ころだって面白いのです。

でも、観察力のない子には「森」は不思議でも何でもありません。石ころに面白さを感じることもありません。
それよりも、ロボットや自動車の方が面白いのです。





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Last updated  2019.01.11 15:24:43
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Re:「人は視覚を奪われると思考が停止します」(子どもがゲームに夢中になる原理)(01/11)  
観察力の不思議 観察力の偉大さ


視覚を奪われると思考は止まるというからくりは命を守る安全弁のひとつ。
観察力が低下すると、無心になることが出来なくなります。
すると遊ぶ能力が低下します。
子どもと遊べない人は、子どもをよく観察していない人でもあるのです。

不思議がいっぱいの「森」の中、「不思議」に気付くのも観察力があればこその結果。
観察力があればこそ石ころだって面白い。
でも、観察力のない子には「森」は不思議でも何でもない。


子供たちの感性の根っこ(感性の畑)を耕すうえで「観察力」を高めていけるようなかかわりが大事。とても大きな気づきを得て嬉しいです。感謝合掌。 (2019.01.12 09:17:58)

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