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共感って何? New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2019.06.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私たちは日常的に見たり、聞いたり、感じたりしています。

でも、ちゃんと見たり、聞いたり、感じたり出来ている人は多くありません。
ほとんどの人が、見て、聞いて、感じて、自分の思い込み(観念、概念)を確認しているだけです。

ですから、「知識として知っているもの」はちゃんと見たり聞いたり出来ても、知らないものは見えていないし聞こえてもいません。

また、「自動車が走っている」とか「背が高い人が歩いている」とか、「子どもが踊っている」というような「言葉化できるようなこと」は見ることが出来ても、車のエンジン音とか、歩き方とか、踊っている子どものからだの使い方のような、「言葉化できないようなこと」まで見たり、聞いたり出来る人は多くありません。

実は、人が見ているのは、その人が持っている言葉によって創られた世界なんです。
ですから、自分自身の言葉として「雲」という言葉を持っていない人には「雲」は見えていないのです。「愛」という言葉を持っていない人には「愛」は存在していないのです。


泳ぐ生き物に対して「魚」という言葉しか持っていない人には、イワシとかアジは見えません。イワシもアジもみんな「魚」だからです。

逆に言うと、自分自身の体験とつながった形で「イワシ」とか「アジ」という言葉を学べば「イワシ」や「アジ」が見えるようになるということです。

「ダンゴムシ」が見えるのは、自分自身の体験とつながった形で「ダンゴムシ」という言葉を学んだ子どもだけです。

このように、「言葉」が世界を創っているのです。
存在しているから見えるのではなく、「自分自身の言葉としてそのことを言い表す言葉」を持っているから見えるのです。


ですから、日本語しか知らない人は「日本語が創っている世界」に生きていて、英語しか知らない人は「英語が創っている世界」に生きているのです。


また人は、「見たいもの」しか見ないし、「聞きたいこと」や「理解出来ること」しか聞きません。講演会に行っても聞きたいことだけしか聞きません。

勉強が嫌いな子は、何時間おイスに座って先生の話を聞いても、何にも心に残りません。先生が何を言ったのか覚えていません。

でも人は、「自分が見ている世界」と同じものを、他の人も見ていると思い込んでいます。「自分が聞いている音」と同じ音を、他の人も聞いていると思い込んでいます。

そのため、自分が認識できる「それ」を根拠にして相手の考えの間違いを指摘しようとしますが、でも、その根拠としての「それ」が見えない相手にはその論理は全く通用しません。

国会での論戦を見ていても、そのすれ違いが非常に多いです。質問する人は自分が見ている世界を根拠にして質問をし、答える方も、自分が見ている世界を根拠にして答えています。だから話がかみ合いません。

子どもに「相手の子が困っているから止めなさい」と言っても、相手の子の「困っている」が見えない子はその言葉を理解出来ません。

逆に言えば、相手の子が困っている状態がちゃんと見える子は、相手が困るようなことはしないのです。
子どもの「悲しい顔」や「苦しい顔」が見える人は子どもを虐待などしないのです。

「子どもの表情」ではなく、「出来なかったこと」ばかりを見ているから、虐待してしまうのです。


と、ここで疑問が生じます。

「その人が持っている言葉」が「その人が生きている世界」を創っているのなら、まだ言葉を持っていない子どもたちはどのような世界に生きているのかということです。

実は、まだ大人と同じ言葉を持っていない子どもたちは、大人とは全く違う世界に生きているのです。

まず、約束とか、お金とか、清潔とか言うような社会的な価値観とつながった言葉が創り出す世界は全く見えません。

子どもに見えたり、聞こえたりするのは直接子どもの五感の働きに響くものだけです。
そのため、「色や形を持った物体」としての自動車は見ることが出来ても、「機能を持った乗り物」としての自動車は見ることが出来ません。



「リンゴ」は脳が創り出した概念であって、五感では感じ取ることが出来ないからです。

また、その「丸」は立体としての「球」ではありません。平面的な○です。それは写真に写ったリンゴと同じものです。

立体認識や空間認識といったものを学んだり、リンゴと赤や○とがつながるためには、後天的な学びが必要になるのです。

だから子どもの絵は平面的なんです。

網膜に映った映像は写真と同じ平面的なものです。これは大人も子どもも同じです。ですから、本当は大人にも世界は平面的に見えているのです。もっと言えば、上下左右も逆さまに見えています。(だから子どもは逆さ文字を書いたりするのです)

それが立体的に見えるようになるためには、様々な体験を通して、網膜に写った平面情報を立体情報や空間情報に変換するソフトを脳の中に創り出す必要があるのです。

何も体験しないままで世界が立体的に見えたり、空間が見えるようになるわけではないのです。もちろんそこには「言葉」も必要です。




でも、その「物」の意味や価値が認識できない子どもには、「色」と「形」だけしか見えません。(音も同じです。子どもは属性の音ではなく、音そのものを体験するのです)

そのため、子どもには一万円札と新聞紙の区別が付きません。

「家の床」と「野原の地面」の区別が付きません。

「家の中」と「外」の区別も付かないので、家の中では裸になってもいいのに、どうして家の外では裸になってはいけないのかも分かりません。

これは大人には驚愕の事実かも知れませんが、これが子どもが実際に生きている世界なんです。

こういうことを知ると、いかに今まで自分が子どもに対してトンチンカンなこと言い、やってきたのかが分かりますでしょ。





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Last updated  2019.06.24 09:59:35
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