森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

「あ~、湧いたな~… New! かめおか ゆみこさん

Comments

Profile

森の声

森の声

2019.08.17
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
「憂鬱質の子は臆病だ」という印象がありますが、これは誤解です。

「憶病」なのではなく「デリケート」なんです。

その背景にあるのは「他の気質の人との感覚の違い」であって、「憶病」というような「性格の違い」ではないのです。

人はどの気質の人でも、自分の許容できる範囲内の刺激ならイライラしないし、不安や恐怖も感じません。でも、どの気質の人でも、自分の許容量を超える刺激に対してはイライラしたり、不安や恐怖を感じます。

ですから、この点に関しては気質の違いはありません。

問題はその許容量が気質によって大きく違うということなんです。

一番強い刺激に弱いのが憂鬱質です。そして、一番強いのが胆汁質です。

そして、理解して欲しいのは、この「気質の許容量の違い」は「感受性の違い」でもあるということです。

憂鬱質の人は単に刺激の許容量が少ないのではなく、かすかな刺激も感じ分けることが出来る感性を持っているのです。


私たちは、音などの刺激が変化していった時、その変化を感じ取る能力を持っていますよね。だから、「音が小さくなった」とか、「大きくなった」ということを認識できるわけです。

その時、憂鬱質の人は胆汁質の人には感じ分けることが出来ないような小さな刺激の変化でも感じ取ることが出来るのです。

なぜなら、感受性のメモリが細かいからです。


また、メモリが細かい故に大きな刺激は量れません。
ミリグラムという重さまで正確に測ることが出来る秤では、何トンという重さのものは測れないのです。
そんな重さのものを載せたら、秤が壊れてしまいます。

重いものを量る時には重いもの用の秤が必要になるのです。そしてそれが、胆汁質の人の感覚です。

ですから、この違いは用途(適性)の違いに過ぎません。

でも、胆汁質の人は自分の「鈍さ」を「強さ」だと思い込んでいます。そして、自分にとっては大して重くもない物にヒーコラ言っている憂鬱質に、「なんだこれくらいで音を上げて、だらしないぞ、もっとガンバレ」などと発破をかけます。

でも、憂鬱質の人には頑張るという能力があまりありません。「頑張らなければ」という気持ちを持っても、実際には胆汁質のように頑張れないのです。

なぜなら、感受性がデリケートなので、無理して頑張るとその感受性が傷つくからです。


憂鬱質のそのデリケートな感受性は「頑張るためのもの」ではなく「味わうためのもの」なんです。

逆に、強い刺激が心地いい胆汁質の人は、頑張ることを楽しむことが出来ます。

でも、胆汁質の人も憂鬱質の人もそのようなことを知りません。
そして、胆汁質の人も憂鬱質の人も、憂鬱質のデリケートさを「弱さ」だと思い込んでしまっています。

そのため、憂鬱質の子を見ると、「もっと鍛えて強くしなければ」と子どもを追い立てます。

強い刺激が苦手で恐怖なのに、「慣れなさい」と無理に強い刺激のところに連れ出します。



でも、そのことを知らない大人は「もっと無理強いすれば・・・」と考え、子どもを追い立て、子どもを変えようとします。その繰り返しで、子どもは憶病に、そして恐がりになっていくのです。

憂鬱質だから憶病で恐がりなのではなく、周囲の大人が憂鬱質の子のデリケートさを理解しないから、憶病で恐がりな子に育っていくのです。

ですから、憂鬱質の子でも、9~10才頃までそのデリケートな感受性を守られて育った子は憶病でも恐がりでもありません。

ちなみに、憂鬱質の子にとっては人工的な機器が作り出す刺激は強すぎます。刺激の強いゲームで遊ぶだけで憂鬱質の子の感受性は傷つくと思います。

そして、憂鬱質の子のよさが失われます。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.08.17 08:00:02
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: